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2021年1月の9件の記事

2021/01/31

【慰安婦問題】米ハーバード大学教授が慰安婦問題は朝鮮の業者が問題だと指摘する論文を発表

産経新聞web版に1月28日付で『世界に広まる「慰安婦=性奴隷」説を否定 米ハーバード大J・マーク・ラムザイヤー教授が学術論文発表』という記事が掲載されました。

この記事は有料記事で、紙面に掲載されたのが今日(1月31日)でした。

以下はweb版の公開部分です。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

 慰安婦問題をめぐっては、日本軍が戦前、朝鮮出身の女性を「性奴隷」にしていたというイメージが世界に広まっている。最近、ドイツでもこうした主張に基づく慰安婦像が新たに設置された。

 こうしたなか、米ハーバード大のJ・マーク・ラムザイヤー教授が、慰安婦が当時政府規制下で認められていた国内売春婦の延長線上の存在であることを理論的実証的に示した学術論文が、3月刊行予定の「インターナショナル・レビュー・オブ・ロー・アンド・エコノミクス」誌65巻に掲載される(雑誌ホームページですでに閲覧可能=こちらをクリック)。

 米国の高名な会社法学者であるとともに、日本研究の大家でもあるラムザイヤー教授が、他の専門研究者の査読を経た学術論文で、「慰安婦=性奴隷」説に異を唱える議論を展開した意義は大きい。

◆問題は朝鮮の募集業者にあった

 教授は、いかなる対象であれ、人間は与えられた条件の下で、自らの利益を追求するという経済学の手法を用いて分析する。慰安婦もその例外ではない。

 本論文では、他の研究者の業績や当時の日本・朝鮮の史料に基づき、朝鮮人慰安婦も日本人慰安婦も公認の売春婦であり、日本軍に拉致され、売春を強いられた「性奴隷」ではないこと、慰安婦をめぐる問題点は、朝鮮における募集業者にあったことが指摘されている。

 以下、教授ご本人の了承を得て、論文要約を掲載する。

(解説・要約 青山学院大教授 福井義高)

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

【追記】産経の記事を韓国紙『韓国経済』がほぼ全訳して掲載しました。それを「シンシアリーのブログ」さんが更に日本語訳しているので、こちらで読むことができます。なお、それに対する韓国人の反応を紹介した同ブログの記事はこちらです。

自分でもNAVERの方のコメント欄を読んでみました。1/3くらいは、「論文が真実だ」という趣旨のコメントではありましたが、コメントに押される共感数を加味すると、論文を肯定する人数は1/10もいない感じです。ただ、論文を否定する意見は非論理的・感情的なコメントが多く、肯定する意見は、「女性が安く買えた当時、拉致するまでもなかった」とか、「秘密にしているが、みんな知っている事実だ」、「李栄薫教授の説と一致するから正しいのだろう」、「日本統治時代の歴史は100%嘘だ」と、まともと言うか、「反日種族主義」から目覚めた人のコメントが目に付きました。

 

引用文中にリンクを貼った先(ScienceDirection)に論文『太平洋戦争における性サービスの契約』(Contracting for sex in the Pacific War)の要約が書いてあります。ここには売春宿と慰安婦との契約についてのみ書かれており、おそらく、論文のメインはこの部分なのでしょう。しかし、福井義高教授の要約を読むと、慰安婦の募集において、日本政府や朝鮮総督府はもちろん、軍人も関与しておらず、また、内地(日本国内)とは事なり、朝鮮では専門の労働募集業者が大量に存在しており、彼らが欺瞞を働いていたということも書かれているようです。

いずれにしても、売春婦と売春宿との間には契約(=年季奉公)があり、前受金を支払い終えるか、年季が明ければ廃業することができたことや、日本軍慰安婦の場合はリスク(風評被害等)のためにその契約期間が2年と短かったなど、その契約に駆け引きがあったということが論文には書かれているので、その仕事が「不快」なものであったとしても、決して「奴隷」ではないことは明らかです。

また、記事によると、そもそも、慰安所ができる数十年前から朝鮮人女性は海外で売春婦として働いていたそうです。

ところで、上記を書いていて気付いたのですが、「年季奉公」というのは日本人には当たり前過ぎて、このシステムが一見、人身売買に見えることに気付いていなかったのではないでしょうか。論文によると、慰安婦の場合は無利息だったそうで、これなら「働いても、働いても元本を返すことができない」という事はありません。だからこそ、雇用主に売上から天引きはされるものの、慰安婦の取り分もあり、貯金もできたわけです。

 

以下、公開されている論文の目次を転記します。大凡の内容が想像付くのではないでしょうか。

1. Introduction/前書き
2. Prostitution in Prewar Japan and Korea/戦前の日本と朝鮮における売春
2.1. Introduction/はじめに
2.2. Japan/日本
2.3. Prostitution in Korea/朝鮮における売春
2.4. Recruitment in Japan and Korea/日本と朝鮮における慰安婦の募集
3. The comfort stations/慰安所
3.1. Venereal disease/性病
3.2. Contract duration/契約期間
3.3. Contract prices/契約金額
3.4. Contract terms/契約条件
3.5. Prostitute savings/売春婦の貯蓄
3.6. The closing years of the war/終戦の年
4. Conclusion/結論
References/参考文献
 

なお、産経の英語サイトである『Japan Forward』に1月12日付でラムザイヤー教授の寄稿文『Recovering the Truth about the Comfort Women』(慰安婦の真実を取り戻す)が掲載されており、この中にも「The Contracts」(契約)という章があります。短いですが、産経の記事と同様のことが書かれています。

 

ところで、この論文について、ちょっと面白いことがありました。

韓国のYouTube動画のコメント欄に、論文のサイトのURLを貼っても無視されるのです。どういうことかと言うと、コメントを書いてから再読み込みしても総コメント数が増えず、また、ログオフするとブログ主が書いたコメントが見えなくなるのです。

始めは、論文のタイトル等を書いたことが不味かったのかと思い、色々試して、最後は「まもなく、下記の論文が発表されます」という文を機械翻訳でハングルにして貼り付けても同じ結果でした。

日本人の動画のコメント欄に書いたときは、「イイネ」と返信も貰ったので、YouTube側で何か判断しているのでしょうか?

 

  


 

 

 

【韓国】韓国人「対馬は韓国のもの」の根拠とは?

竹島の件が韓国で話題になると、NAVER(日本で言えばYahooニュース)等の記事のコメント欄に、「我々も対馬の領有を主張しよう」という意見が書かれ、それに「イイネ」が多く押されます。

あまりにもこれを頻繁に見かけるので、何を根拠に言っているのだろうと思って調べたところ、岡本隆司 ・京都府立大学文学部教授の書かれた記事がWedgeInfinityのサイトに見つかりました。 以下、一部を引用します。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/3107
盗難仏像返還差し止め
対馬も「我が領土」
慕華侮日の韓国
2013年8月26日

岡本隆司 (京都府立大学文学部教授)

(前略) では、なぜ対馬を韓国が領有することになるのか。そこには歴史が関わる。最も古いものでいえば、15世紀に朝鮮王朝が対馬に遠征した、いわゆる「応永の外寇」というのが、その根拠の1つだったりする。しかし大きく作用しているのは、江戸時代の長期的な情況だろう。

 江戸時代といえば、朝鮮通信使がたびたび来日し、日・朝が善隣の関係にあったといわれる時代。その同じ時期、最も朝鮮半島と交流の密だった対馬が頻繁に送った使者は、釜山の居留地につくと、必ず朝鮮国王に見立てた位牌に拝礼をしていた。これを「肅拜(しゅくはい)の儀」という。

 右の図がそれを描いたもの。対馬の人々はこの儀式をやらなくては、釜山で居住生活することが許されなかった。対馬が自分たちに属していた、という韓国の根拠は、このような慣行にある。

韓国や中国が持つ世界観「華夷秩序」

 当時、君主のところに臣下が挨拶にいく儀礼を「朝貢」といい、中国王朝と周辺国との間にあった慣行である。朝鮮王朝も中国の明朝・清朝に大がかりな朝貢を行っていた。

 朝貢をすれば、臣礼をとったに等しい。その国なり君主なりは、朝貢を受ける側の下位につくことになって、「藩属」とよばれる。したがって朝鮮王朝は、中国の「藩属」「属国」だった。その朝鮮からみれば、自国の王に拝礼した対馬は「藩属」にあたる。(後略)

 

20210131_tsushima01

「東莱府使接倭使図」屏風・「草梁客舎」

「草梁客舎」は対馬人居留地の一施設。その内部中央に朝鮮国王の位牌「殿牌」が置かれ(写真では、左手中段の建物の中央の屋根の下に配置)、まわりに朝鮮側の関係者が居並ぶ。対馬側の関係者は、離れた位置でその「殿牌」を跪拝している。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

応永の外寇とは、「応永26年(1419)朝鮮王朝の大軍が対馬を侵略した事件。日本の海賊集団倭寇に悩まされ、その根拠地とみて来襲したものとされる。」(広辞苑)で、元寇(1274年、1281年)以来の高麗軍の侵略ですが、これによって対馬が高麗のものとなったわけではありません。

これより古く、朝鮮の三国時代、朝鮮半島の南部は倭人が支配しており、対馬は交通の要所となっていました。白村江の戦い(663年)後、日本側は新羅や唐の侵略に供えて九州や対馬に水城(※みずき/土塁・水濠)を築き、防人を配置するなどしており、それが前述の侵略にも役立ちます。

 

※日本書紀に「天智(てんち)三年(664) 対馬嶋(つしまのしま)、壱岐嶋(いきのしま)、筑紫国(つくしのくに)などに防(さきもり)と烽(とぶひ)を置く。また、筑紫(つくし)に、大堤(おおつつみ)を築きて水を貯えしむ。名づけて水城という。』とあります。その意味は対馬、壱岐、筑紫の国などに防衛のために兵士を派遣し、通信手段のためにのろし台を設置した。また、筑紫に大きな堤防を築いて、水を貯えさせた。水城という名をつけた。となります。(福岡県大野城市のサイトより)

 

上の文章によると、シナ同様に中華思想の朝鮮との貿易は「朝貢」の形式をとっており、対馬からの使者もそれに倣った儀礼を行っていたという。

岡本教授の文章を続けて読むと、“「属国」「藩属」というタームはその最たるもので、朝貢儀礼を行う国と、近代国際関係で主権を失って従属した存在とが、まったく同じ字面で表現された。”と書かれており、対馬と朝鮮の関係は前者なのですが、韓国人は後者だと考えているのでしょう。

おそらく、清と朝鮮のような関係しかイメージできないのだと思います。

明が衰退し、後金(後に清)が台頭し、朝鮮に属国となるよう求めますが、これを拒み、丙子胡乱と韓国では呼ばれる「丙子の乱」で徹底的に打ち負かされます。これで過酷な朝貢を科せられるのですが、その内容は、とても交易と言えるものではなく、屈辱的な条件での従属を強いられます。(Wikipedia『丙子の乱/戦後』の項参照)その有名な例が、女性を貢ぎ物として捧げる「貢女」です。

「朝貢関係にあっただけで宗主国の領土」という理屈なら、朝鮮(韓国・北朝鮮)は中国のものになるはずですが、敢えて韓国人の理屈を想像すれば、“朝鮮は(日清戦争で日本によって)清から独立したのに対し、対馬はそうした経緯も無く、現在日本が領有している”ということなのだと思います。

韓国人は、日本政府(明治政府)が「中国の琉球を無理矢理編入した」と思っているようですが、これでその謎と教え諭す際のポイント(友好関係か属国かの違い)が分かりました。

 

 

  


 

 

 

2021/01/27

【朝日新聞】新大久保駅で亡くなった李秀賢さんの母が日本批判!? 人の死を利用するメディア

昨日(2021年1月26日)は新大久保駅でホームから転落した人を助けようとして亡くなった韓国人留学生・李秀賢さんとカメラマンの関根史郎さんの20年目の命日でした。

ここでは、半年程前に李さんの母親にインタビューした朝日新聞の記事と対照的な読売新聞の記事をご紹介します。

と言っても、朝日新聞の記事は有料で、一部しか読めません。(下図)しかし、朝日の記事を引用した韓国紙『中央日報』の記事でその内容が伺えます。

 

20200622_asahi01
(有料記事)https://www.asahi.com/articles/DA3S14521026.html

 

https://s.japanese.joins.com/JArticle/267310?sectcode=A10&servcode=A00
「義人」故李秀賢さんの母親「日本は真摯な気持ちで謝り、韓国は徴用賠償を防いでほしい」
2020.06.22 16:31

2001年、東京の線路に転落した日本人を助けようとして亡くなった李秀賢(イ・スヒョン)さんの母親の辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(70)が強制徴用と慰安婦問題に対する誠意のある謝罪を日本政府に求めた。

辛さんは22日付の朝日新聞とのインタビューで「日本は元徴用工や元慰安婦らを傷つけたことを認め、真摯(しんし)な気持ちで謝ってほしい」と語った

あわせて「真摯な気持ちというのは、公式の記者会見で準備された原稿を読むようなものではない」とし、「例えば、息子の命日に事故現場に来た日本人女性が色紙にしたためた言葉のような、人間味が感じられる行動であってほしいと思う」と話した。

辛さんは「私が知っている日本人と日本の政治家の態度には差がありすぎて、戸惑っている」と厳しい忠告をした。韓国政府に対しては「日本企業が元徴用工らに損害賠償する事態を防いでもらいたい」とし「(1965年の請求権協定によって得た日本の経済支援は)韓国政府が国の発展のために使った。それを韓国人が我も我もと要求したら、収拾がつかなくなる」と話した。

また「韓国では昨年、日本統治が朝鮮半島の近代化に貢献したという視点に立つ『反日種族主義『がベストセラーになった」という記者の質問に「日帝時代は政治的には誤りだが、結果として朝鮮半島の経済を発展させたとの指摘も完全には否定できないと思う」と話した。あわせて「多様な考えに触れることが大事」とし「韓国人のなかに、日本に対する被害者意識があるのは事実だが、触れ合えば触れ合うほど、互いの心の中にしまっている考えも知ることができる」と付け加えた

辛さんは「(息子の)事故が起きるまで、私は日本を訪れたこともなく、歴史認識問題などでは日本人に反感を持つ、ありふれた韓国人だった」とし「事故の後に大勢の日本人と会ったお陰で、本当に中立的に物事を見られるようになった」と話した。その中で、日本にも韓国にも足りない点があることに気づいたと話し、互いの意見に触れることの大切さを強調しした。

続いて「韓国と日本は隣同士」としながら「断絶など決してできない。互いに、色々な人と付き合いを続けていくべき」と強調した。

辛さんの息子である李秀賢さんは26歳だった2001年1月26日、東京のコリアンタウンである新大久保駅で、線路に転落した日本人男性を助けようとして線路に降りたところ、列車にひかれて命を失った。

 

中央日報は自分では全く母親に取材しておらず、朝日の記事を丸パクリしてるだけなのですが、韓国のメディアにはよくあるパターンです。

この記事では全く触れていませんが、李さん(母親)は、息子に対する見舞金を原資にして日本に留学する学生へ奨学金を贈っています。(後述)

 

この記事から想像できるのは、朝日新聞が李潤賛さんの息子の死にかこつけて取材し、母親に日本批判をさせたのだと思います。

ただ、興味深いのは、李さんが、「現実の日本人」と「歴史の中の日本人」のギャップに戸惑っていることが読み取れます。(李さんは「政治家」と発言していますが、根本的には歪曲された歴史と日本人像が原因だと思います。)

70歳(インタビュー当時)では、おそらく1950年生まれ(韓国では数え年)で、日本統治時代は経験しておらず、彼女の頭の中の「日本人」は、報道によって形成されたものなのでしょう。

ある意味、政府の反日政策の被害者だと思います。

 

朝日は1月21日付『Asahi GLOBE+』では『新大久保駅事故から20年 最悪の日韓関係、「亡くなった韓国人に合わせる顔ない」の声』と、ここでも李秀賢さんにかこつけたインタビュー記事を書いていますが、インタビューの対象は元駐日韓国大使の李俊揆氏で、以下のように冒頭に事故に触れているだけで、あとは、一般的な日韓関係の話題です。

 

――事故から20年が経ちました。

恥ずかしい気持ちになるばかりだ。李秀賢さんの殺身成仁(身を捨てて仁をなす行為)によって生まれた両国民間のお互いを思いやる心を育てられず、現在のような最悪の韓日関係を作り上げてしまった。本当に李さんに合わせる顔がない。

――なぜ悪化してしまったのでしょうか。

最も重い責任は、両国関係発展のための意思と能力が不足していた両政府と政治指導者にある。(以下略)

 

李さんの死をダシに使っているだけですね。

 

最後に、読売新聞の記事をご紹介します。

なお、今年の命日には産経新聞が同様の記事を書いています。(『日韓交流の絆、継承 新大久保駅事故20年 アジアからの留学生を支援』)

 

20201024_yomiuri01

 

20201024_yomiuri02

 

こういう方を、朝日の記事は「反日韓国人の李さん」に仕立ててしまったわけです。

 

  


 

 

 

2021/01/23

【創氏改名】朝鮮人の名前と戸籍制度/朝鮮人に人間らしい名前を付けるように指導したのは朝鮮総督府

このエントリーは、前回のエントリー(『【湿TV動画】創氏改名の真実/창씨개명의 진실』)でご紹介した京都大学の『朝鮮人の名前とその歴史』という講義資料を読んで理解したことを纏めることが目的です。

最初に結論から書くと、以下のようになります。

 

朝鮮総督府は統治時代に日本の「イエ」の概念を朝鮮に導入し、それまであった戸籍を日本式に改めました。改名は規則の範囲内で自由(許可制)でしたが、日本風の名前は禁止しました。(1911年10月26日付け朝鮮総督府令 第124号『朝鮮人ノ性名改称ニ関スル件』/前回エントリー参照)

しかし、朝鮮人(当時は朝鮮系日本人)が日本風の名前を欲し、これを許可したのが1939年に官報で公示された創氏改名の「改名」です。同時に「創氏」(家族姓)をつけることを義務化しました。この2つの届出が1940年2月11日~8月10日の6ヵ月間と、同時に行われたので誤解されているわけです。(過去のエントリー『「創氏改名」について多くの日本人も勘違いしていること』参照)

この間、朝鮮人の名前については、様々な改革が行われました。併合以前との最も大きな違いは、奴婢も姓名を持てるようにし、戸籍から「身分」の記載を削除し、人間らしい名前をつけるように指導したことです。

  

以下、時系列に見ていきます。

 

1897年 光武改革による戸籍の作成(光武戸籍・新式戸籍)

光武(광무/1897年 - 1907年)というのは朝鮮の元号で、光武元年10月に国号を大韓帝国に改称します。(cf. 1895年(明治28)4月、下関条約→清に朝鮮の独立を認めさせ大韓帝国が成立。)

これによって行われたのが「光武改革」で、戸籍の改革も行われました。(この改革を持ってして「朝鮮は自力で近代化できた」という主張もあるが、実態はどうだったのかはリンク先のイザベラ・バードの批評を参照)

光武戸籍は図-3のようなもので、男系の先祖が記載されており、女性(妻)の名前はありません

『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』(崔吉城著/ハート出版)によると、崔教授の母上は1898年(明治31年)生まれで、亡くなった時に戸籍を取り寄せたら、名前が無かったそうです。生前は「宅号」(出身地名+宅)で呼ばれていたと書かれており、上記を裏付けます。

 

1897_soushikaimei01
図-1

 

1897_soushikaimei02
図-2

「幼名」とは:(Wikipedia『朝鮮人の人名/伝統的愛称』より引用

子どもの死亡率が高かった庶民の間では、死の使いに気付かれることなく長生きすることを願って、子供にはしばしば幼名(ko:아명、兒名 )が与えられた[20]。これらの愛称はしばしば侮蔑的であり、今日では子供にはあまり使われない[21]。
結婚すると、女性は大抵は幼名を失い、出身の町を示す「テッコ」(택호、宅号)によって呼ばれた[20]。

 

1897_soushikaimei03
図-3:韓国・国立中央博物館より

図-3の解説引用:1897年(光武1年)11月に作成した江原道旌善郡臨渓面三里下臨渓洞第3戸、李元在の戸籍表である。旌善郡印が押されている。
 朝鮮時代に作成された、家族事項を記して申告する書類である戸口単子と事なり、甲午改革以後新たに作成された戸籍表であることが特徴である。
 戸主李元在は55歳、本貫は全州、職銜は幼学、生業は農業で、正月20日卯の時に出生したと記している。
 四祖(父・祖父・曾祖父・外祖父)をみてみると、父は容聖、祖父は柳、曾祖父は洙天、外祖父は全鎬で、本貫は旌善である。妻沈氏は45歳で、2月19日生まれである。子供はなく、この戸は夫婦2人だけで構成されていた。あわせて、二間の藁屋を持っていると記されている。

 

1909年、民籍法制定。日本の戸籍制度導入。

これにより、女性にも名前がつけられ奴婢も本貫(男系血族の祖先発祥の地名)と姓を持つことになります。戸籍に身分を記載することも廃止しました。図-4で「民籍編製への抵抗」とありますが、これはおそらく両班が抵抗したのでしょう。以下は、Wikipedia『韓国併合/身分解放』より引用)

 

統監府は1909年、新たに戸籍制度を朝鮮に導入し、李氏朝鮮時代を通じて人間とは見なされず、姓を持つことを許されていなかった奴婢、白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた[38]。李氏朝鮮時代は戸籍に身分を記載していたが、統監府はこれを削除したのである。これにより、身分開放された賤民の子弟も学校に通えるようになった[38]。身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された[39]。

 

また、1915年(大正4年)の官通牒240号では女性の名前のガイドラインが公布されます。

 

1909_soushikaimei01
図-4

 

1909_soushikaimei02
図-5

 

1909_soushikaimei03
図-6

 

1909_soushikaimei04
図-7

 

1911年(明治44年)日本風の名前の禁止(前回のエントリーより)

併合するやいなや日本風の名前を付ける者が現れたため、改名を許可制とし、日本風の名前を禁止します。

 

19111026_soushi03
図-8

 

19111026_soushi01
図-9

 

1925年(大正14年)朝鮮語固有語彙による命名の制限

 

1925_soushikaimei01
図-10

 

1925_soushikaimei02
図-11

 

「創氏改名」を話題にしたあるYouTubeのコメント欄で以下のようなコメントを見つけました。(機械翻訳ママ)身分の低い者の名前がどうだったのか想像できます。日本で在日朝鮮人の家族の元に生まれた李明博元大統領の父親の名前「ドクスェ」(덕쇠)がどんな語感なのか、ブログ主は韓国語が分からないのですが、惨めな名前だったのでしょう。韓国語のWikipediaによると1939年に「忠雨」と改名しています。

 

立場を変えてみよう。私が日帝だったら、あの未開の朝鮮人が私たちの偉大な日本人の名前を書くことを許さなかっただろう。したがって、創氏改名を非人道主義的とはいえない…。ところで日本が来る前は名前は両班(ヤンバン)だけ独占し、ほとんどの人は名前がなかった…ケトンイ、牛のフンイと呼ばれた…李明博(イ・ミョンバク)父の名がドクスェだったので、胸の痛い話だね。。。後で名前を変えたんだけどこれを戸籍洗濯したんだ…

 

1939年(昭和14年) 創氏改名

「イエ」の家族姓を義務化し、同時に、日本風の名前も許可しました。届出の実施は1940年2月11日~8月10日。(下記画像はWikimediaより直接表示)

 

Gazette of Government-General of Korea, 1939-11-10, page 1
図-12

 

 

  


 

 

 

 

2021/01/13

【慰安婦訴訟】原告の元慰安婦12人の内6人は2015年の慰安婦合意で和解金を受け取っていた

JBpressに1月13日付けで「『反日種族主義』の著者、イ・ウヨン氏が慰安婦賠償判決を斬る」というタイトルの論文が寄稿されました。これを読んでいて驚いたのが掲題の事実です。

3ページめにその記述がありますが、その部分を引用します。

 

 日本軍慰安婦問題で“最終的かつ不可逆的な解決”で合意した2015年の「韓日慰安婦問題合意」に対して、韓国裁判所は、訴訟を提起した12人の原告らが合意の適用対象に含まれないとした。12人の原告のうち6人は、2015年の日韓合意に基づいて日本政府が出資し、設立された「和解・癒し財団」から1億ウォンずつをすでに受領しているという。 12人の原告のうち、一部が和解癒し財団から慰労金を受領したことは明らかな事実だろう。このような状況で、これらの原告らが2015年の合意内容の適用対象に含まれないなど、一体何を言っているのか分からない。

 

【2021/02/07追記】「12人の内6人」というのは西岡力・麗澤大学教授によると、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河(パク・ユハ)教授の情報のようです。(月刊WILLの動画で語っていました。)

一体どういうことかと、調べて見たところ、この裁判の原告は2013年から慰謝料を求めていましたが、合意後の2016年に裁判に至ったことが分かりました。2021年1月12日付けNewsweek『慰安婦訴訟、韓国国内にも判決と文在寅政権を批判する声も』より引用します。

 

故裵春姫(ぺ・チュンヒ)氏ら12人の原告は、植民地時代に日本に強制連行されて慰安婦にされたとして2013年8月、慰謝料を求める民事調停を申し立てが、日本政府が訴訟関連書類の送達を拒絶し、調停が行われることはなかった。

16年1月、原告の要請を受けて正式裁判に移行したが、日本政府が送達を拒絶したため、ソウル中央地裁は訴訟関連書類を受け取ったと見なす「公示送達」の手続きを取った。

 

和解金を受け取ったのがどの時点かは分かりませんが、金を受け取った後も裁判を継続していたのです。

一体、どういう思考、論理なのか? 李宇衍博士は以下のように(敢えて)推測しています。

 

 このようなでたらめな主張をする表面的な論理が何なのか、これまでの韓国の裁判所の行動を見れば推測できる。

 2011年に出た韓国憲法裁判所の慰安婦問題関連の判断と、2018年における最高裁判所の戦時労働者(徴用工)に対する判決がそれである。これらを統合すると「強制・強要された慰安婦動員と性奴隷生活は不法だが、2015年合意では、その不法性が明示されず、不法行為の損害賠償も行われなかった。したがって、原告らは損害賠償金を請求することができる」という論理だろう。

 

2018年の判決は記憶に新しいので、「日本の併合を不法なもの」とし、そこで行われた“強制徴用”(韓国側の表現)や労働者の取り扱い(未払い賃金ではなく、「劣悪な環境で働かされた」とか「殴られた」「食事が不十分だった」等という苦痛)を不法なものとして“賠償”を求めた判決というは理解しています。

それでは、2011年の憲法裁判所の判断とは?

調べたら、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の時の2005年に日韓請求権協定の交渉過程の文書を公開し、その時に「慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者」は請求権交渉の対象に含まれなかった、と主張し始めたと分かりました。その結果、文書の公開を請求した市民団体が65年の協定締結の際に「慰安婦問題」に対する政府の取り組みが不十分だったとして裁判を起こしたのです。そして、憲法裁は2011年に、「元慰安婦らへの個人補償が協定の例外にあたるのかどうか」を韓国政府が日本政府と交渉しないことを違憲と判断しました。(記事後述)

つまり、①日帝による不法な占拠期間に、②強制連行されたり、性奴隷として扱われた、という所謂「徴用工判決」と同じ論理なのでしょう。それに加え、③請求権協定によって日本が与えた援助金には元慰安婦に対する“賠償金”は含まれていないので、(韓国政府ではなく)日本が支払え、ということなのだと思います。

訴訟を提起した12人の原告らが合意の適用対象に含まれない」というのは、「歴史認識問題研究会」が要約した判決要旨にはもう少し詳しく書いてあって、“請求権協定と2015年「日韓軍慰安婦被害者問題に関連する合意」もまた被害を受けた個人に対する賠償を包括できなかった”という判断のようで、あれは見舞金みたいなもので苦痛に対する賠償金ではない、という論理でしょうか?

全く理解できないのですが、理解できないブログ主は正常なのでしょう。

 

李宇衍博士は最後にこのように結んでいます。

 

 ここで我々は、2015年の日韓合意のような外交的約束の効力は、その約束をした政府だけでなく、立法府と司法府にも及ぶという点を想起しなければならない。そうでなければ、どの政府が他国政府と外交協約など約束するのか。 韓国政府は「三権分立」を云々するが、それがたわごとである理由も同じだ。日本政府が再び韓国政府と外交的合意をしないと言ってもおかしくない状況に陥ってしまった。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/181030/mcb1810301800012-n1.htm
元徴用工の個人請求権、政府見解は「解決済み」 「韓国政府が負う」と韓国外務省も明言
2018.10.30

 30日の韓国最高裁判決に困惑しているのは、文在寅(ムン・ジェイン)政権と与党に他ならない。1965年の日韓国交正常化当時の交渉経過を検証し、元徴用工の個人請求権は「解決済み」とする政府見解をまとめたのは、文大統領本人や与党の現代表が中心となった盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権だったためだ。

 盧政権は2005年1月と8月に請求権放棄を明記した日韓協定締結当時の外交文書を公開。請求権を持つ個人に対する補償義務は「韓国政府が負う」と韓国外務省が明言していたことも明らかになった。

 文書公開に併せて発表した政府見解では、「慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者」は請求権交渉の対象に含まれなかった、と主張。元慰安婦らについては日本側に対応を求める方針を示す一方、元徴用工の賠償請求権については日本が韓国に供与した無償3億ドルに「包括的に勘案された」と明言した。

 盧武鉉大統領は同年3月の演説で、「被害者としては、国家が国民個々人の請求権を一方的に処分したことを納得するのは難しいだろう」と交渉当時の韓国政府の対応を問題視した上で、補償問題の解決に韓国政府が努力していく方針を示した。(以下略)

* * * *

https://www.asahi.com/articles/ASG795JCXG79UTIL02B.html
韓国憲法裁決定で再び懸案に
2014年8月6日

(前略)2003年2月に発足した盧武鉉(ノムヒョン)政権も基本的にこの路線(ブログ主註:慰安婦問題を日韓の懸案課題に据えることを避け、外交問題にしなかった)を踏襲する。

 ただ、韓国内では、1965年に締結された日韓基本条約の交渉過程を明らかにすることを求める運動が活発化し、関連文書の公開を求める裁判が起きた

 裁判所が公開を命じたため、韓国政府は2005年8月、韓国側文書を全面公開。同時に、サハリン残留韓国人、元慰安婦、在韓被爆者を、韓国側の財産権放棄を定めた日韓請求権協定の例外とすることを確認した。

 これを受け、市民団体は慰安婦問題について、韓国政府の取り組み不足を問題とする裁判を起こした

 訴えから5年。11年8月に韓国憲法裁判所が下した決定が、慰安婦問題を再び日韓間の大きな外交懸案に押し上げることになる。

 日本政府は協定によって請求権はすべて消滅したとしていたが、憲法裁は、元慰安婦らへの個人補償が協定の例外にあたるのかどうかを、韓国政府が日本政府と交渉しないことを違憲と判断した。

 もっとも、決定に対し韓国外交通商省は当初、請求権協定に基づき、解釈の違いを正す交渉を求めるにとどめた。当時の李明博(イミョンバク)大統領も、11年10月に訪韓した野田佳彦首相に対して慰安婦問題を提起しなかった。

 

 

  


 

 

 

 

2021/01/12

【韓国・慰安婦訴訟】国際司法裁判所(ICJ)の場に於いて日本が100%勝てるかどうかは分からない

後ほど、資料などのリンクを貼って、加筆修正するつもりですが、今朝(1月12日)の西岡力・麗澤大学教授が出演された『虎ノ門ニュース』を観て、掲題のように思いました。

今回の判決のような、国家は外国の裁判権に服さないとされる国際法上の「主権免除」の原則から逸脱する判決はあってはならないのですが、ホロコーストのような重大な人権侵害はその適用外だからです。

もちろん、ブログ主が慰安婦をホロコーストに匹敵するような犯罪だと思っているわけではありません。

しかし、西岡力氏によると、韓国の裁判官が、原告側に追加の証拠を要求(【資料-1】)し、(←この時点で、判事が中立ではないわけですが)クマラスワミ報告マクドゥーガル報告を提出したそうです。

そして、ソウル地裁は「反人道的な犯罪行為であるため、主権免除は適用すべきでない」と判断しました。

番組で西岡力氏が仰ったように、クマラスワミ報告に対して日本政府は事実関係に踏み込んだ反論書(【資料-2】)を提出したのに、事を荒立てたくないからと撤回してしまいました。結局、荒唐無稽なクマラスワミ報告だけが残ったわけです。

安倍総理は「河野談話」を継承するという立場を表明しましたが、反論書を入手した西岡氏は、それでもこれだけの反論書が書けるんじゃないかと思われたそうです。

しかし、その反論書は幻の反論書となってしまった...

河野談話より、むしろその後の記者会見の発言が問題で、結局「慰安婦の強制連行」は世界的に見ると全く払拭されていません。ドイツに慰安婦像が次々と建っても、せいぜい説明板を撤去させることしかできないのもそのためです。

実は、その後、2016年1月18日の参院予算委員会で、中山恭子氏が安倍総理から、「性奴隷あるいは20万人といった事実はない」「政府としては、それは事実ではないということはしっかりと示していきたい」「政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」という答弁を引き出し、一応、政府の公式見解はこれで上書きされたことにはなっていますが、これを日本政府が世界にアピールしたとは言い難い状態です。

もはや、日本政府は「2015年の慰安婦合意で解決済み」などという態度ではなく、また、外務省のサイトの片隅に書いているだけではなく、事実関係に踏み込んだ主張をする必要があります。

或いは、国際司法裁判所で戦うことを想定して理論武装する必要があります。裁判は正しい方が勝つとは限らないのだから。

韓国で、国史教科書研究所の金柄憲(キム・ビョンヒョン)所長を中心としたグループが、韓国内の慰安婦関連法(=元慰安婦を「被害者」と位置づけている)の撤廃を求めて活動していますが、もう一つ、彼らが目指しているのはクマラスワミ報告の撤回です。これが慰安婦問題を正当化する根拠となってしまっていると考えての事です。

これは韓国人にやらせることではないでしょう。日本政府がやるべき問題です。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

【資料-1】

https://www.wowkorea.jp/news/korea/2021/0109/10283639.html
元慰安婦に勝訴の判決下した部長判事…積極的に訴訟を指揮し注目=韓国
2021/01/09

元慰安婦が日本政府を相手に起こした損害賠償請求訴訟1審で初めて「原告勝訴」の判決を下したキム・ジョンゴン部長判事(48・司法研修院28期)は、裁判の過程で訴訟指揮権を積極的に活用し注目を集めた。

今回の裁判は、日本政府側と原告側双方の代理人が参加した中で行われたが、キム部長判事は原告側の主張と提出の証拠に満足せず、日本政府の違法行為を客観的に証明できるより多くの証拠を集めることに集中した。

9日法曹界によると、ソウル中央地裁民事合意34部(部長判事キム・ジョンゴン)は8日、故ペ・チュニさんなど12人が日本政府を相手に起こした損害賠償請求訴訟で、原告勝訴の判決を下した。

この事件は、2016年1月に裁判所に提出されたが、日本政府が送達を拒否したことで提起されてから4年の間に裁判が開かれなかったが、昨年4月に初公判が開かれ、以降4回弁論が行われた。

日本政府は、「主権免除」を理由に裁判に応じなかった。主権免除とは国内裁判所が外国の訴訟について裁判権を持たない国際慣習法である。

裁判は、主に原告側の証拠提出とその主張を釈明する方式で行われたが、この過程で裁判所は日本の違法行為により被害者の損害を証明しうる証拠を細部にわたり検証した。

1次弁論でキム部長判事は主権免除が適用されないとの被害者側の主張と関連し、「イタリアのフェリーニ事件判決など原告側の主張を裏付ける判例、文献、論文で準備書面を補強してくれ」と要請した。

第二次世界大戦当時、ドイツに連れて行かれ強制労働をした自国民のために、ドイツの賠償責任を認めた2004年のイタリア最高裁の「フェリーニ事件判決文」などは、裁判所が「主権免除」を認めない根拠となった。

また、元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」に保管している被害者本人と周囲の人間の陳述書、第三者の証言資料、女性家族部に提出された書類等具体的な証拠の詳細を指定して、不備の補完を要求した。データ収集の方法と手順を教えることもした。

キム部長判事は、原告側の一方的な主張を受け入れるよりも提出された書面資料を丁寧に調べて、その不備を補完しながら日本の違法行為の証明と主権免除不認定のための法的論拠を用意していたのだ。

裁判所が裁判の過程で、積極的に要求した証拠は、元慰安婦が日本政府を相手に提起した損害賠償請求訴訟で初の勝訴を引き出すために決定的な役割をした

裁判所は「証拠と各種資料、弁論の趣旨を総合すると、日本政府の違法行為が認められる」とし「被害者は想像もつかないほど精神的・肉体的に苦しんでおり、慰謝料は被害者が請求した1億ウォン以上が妥当である」と述べた。


【資料-2】

正論 6月号 (発売日2014年05月01日)
歴史編 慰安婦・対国連の日本政府「幻の反論書」全文(上)

正論 7月号 (発売日2014年05月31日)
歴史編 慰安婦・対国連の日本政府「幻の反論書」全文(下)

島田洋一ブログ:2014年06月08日 慰安婦・日本政府「幻の反論書」解説


 

追記中

 

  


 

 

 

 

2021/01/09

【湿TV動画】創氏改名の真実/창씨개명의 진실

韓国人Youtuber「湿TV」さんの新しい動画を観て、以前のエントリー『「創氏改名」について多くの日本人も勘違いしていること』で解説した『創氏改名』についてもう少し書いてみます。調べたら面白い記事が見つかったので。

 

 

『創氏改名』は1939年11月10日付けの官報で公布され、1940年に実施されました。

韓国では、女性は父親の姓を結婚しても名乗りますから、家族姓(氏/家族で共通した苗字)のようなものは無いわけで、動画では最初に「氏」と「姓」について説明しています。

『創氏改名』は実は「創氏」と「改名」の別々の制度であり、日本式の家族を単位とした戸籍制度を導入するにあたり、家族の「氏」(苗字)を付けること=創氏=を義務づけ、日本風の改名を許可(自由意志)したものなのですが、この2つの届出が1940年2月11日~8月10日の6ヵ月間と、同じ期間に行ったので誤解されています。(と言うよりも、誤解しやすいところにつけこんで、『創氏』と『改名』がセットだと、「反日」に利用されているのだと思います。)

そして、前述のエントリーでも説明したとおり、『氏設定ニ就テ御注意』という告知には、新たな「氏」を作るつもりがなければ、戸主の姓(夫の姓)を「氏」として戸籍に登録されるという説明されていました。(Wikimediaには丁寧に韓国語の対訳まで掲載されています。)

韓国では、日帝=悪というストーリーで、『創氏改名』はセットで強制されたものとされています。民族文化の抹殺だというロジックだからです。

そこで、動画に紹介されたブログには「創氏改名感謝状」なるものが登場します。

動画に出てくるブログはこちら(https://m.blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=dseco&logNo=140019987572)ですが、創氏改名の感謝状として掲載されている表彰状は軍隊への寄付にに対するものだったり、国民学校の生徒の皆勤賞だったり...。創氏改名とは全く関係ありません。現代の韓国人が漢字が読めないとしても適当すぎますw 金田クンもビックリしてることでしょう。

 

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◇ ◇ ◇ ◇

 

さて、冒頭で言った面白い記事ですが、2003.12.19付け朝鮮日報の『日帝의 창씨개명 강요문서 발견돼 1940년 6월 "모든 가구 신청하게 독려"』(【機械翻訳】日本帝国の創氏改名強要文書発見 1940年6月、「全世帯申請するよう督励」)という記事で、以下に翻訳した内容をご紹介します。(翻訳ママ。原文は後述)

 

https://www.chosun.com/site/data/html_dir/2003/12/19/2003121970022.html
日本帝国の創氏改名強要文書発見
1940年6月、「全世帯申請するよう督励」
朝鮮日報 入力2003.12.1905:54

日帝が「創氏改名」を強要したという事実を示す資料が、日本人研究者によって大田の政府記録保存所で発見された。

京都大学の水野直樹教授(韓国近代史専攻)は18日、政府記録保存所で、日帝時代に釜山地方裁判所長が管内の機関長に対し、創氏申請率が低調だとし、住民全員の創氏申請を督励した事実が盛り込まれた行政文書を見つけた、と毎日新聞電子版が報じた

水野教授が発見したこの文書は、釜山地方裁判所長が1940年6月12日付で管内の市町村長宛てに送った例規文書で、設定督に励関する件」というタイトルが付けられている。

朝鮮人の創氏申請期間は1940年2月11日から8月10日までだが、申請受付から4カ月が過ぎても、全世帯の10%のみ申請し、一部地域には3%以下の地域もあることを指摘、7月20日までに全世帯が創氏申請を終えるよう督励する内容が盛り込まれている

水野教授は「当時、朝鮮総督府は"創氏改名は強制ではない"と繰り返し強調したが、申請率が低いことから申請率を上げるため圧力をかけ、これを批判する人を逮捕するなど異議を申し立てることは許さなかった。 創氏改名を強要した実態がわかる資料」と述べた。

日帝が民族抹殺政策の一環として推進した朝鮮人の創氏改名は、申請後3ヵ月が過ぎても創氏を申請した世帯は全体の7.6%である32万世帯に過ぎなかったが、その後申請率が上がり、最終的に全世帯の80%である320万世帯が申請を終えたことになっている。

韓国近代史を研究する宮田節子早稲田大学講師は「この文書は創氏改名が強制的に行われたことを示している。 朝鮮総督が強く希望すれば、地方の責任者が成果を上げるために競争する構図がよく表れている。 当時、朝鮮総督府は自らが「やや行き過ぎだ」ということを認めてはいたが、あくまでも「(行き過ぎたものは)末端に過ぎない」と述べたが、その意味からも貴重な発見といえる」と評価した。

最近、日本では6月に麻生太郎自民党政調会長(現総務庁長官)が「創氏改名は朝鮮人たちが願って行ったもの」と妄言をした後、各種右翼雑誌が麻生の妄言を擁護する記事を相次いで出している。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

前述のように「創氏」(家族の苗字の届出)は義務なので、期間内に申請するように督励したのですが、それを「創氏改名」を督励→強制したとすり替えて研究結果が発表され、毎日新聞がそのまま報じたようです。

記事中に出てくる「氏設定督に励関する件」という通達は後ほどご紹介します。

そして、記事に名前が出てくる2人の教授をググってみた所、Wikipediaにエントリーがあり、一部抜粋すると...

 

水野直樹

「日本の植民地支配を肯定的に評価しようとする日本学界の流れに対抗し植民地近代化論を批判してきた」として、韓国の全南大学校から後廣賞を受賞した[1]。八木晃介、上田正昭らと共に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人も務めている[2]。

宮田節子

日本の朝鮮植民地を批判する立場で、自由主義史観研究会批判、新しい歴史教科書をつくる会批判[1]、日韓併合の不当を主張する「2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する」[2] などのアピールや声明に名を連ねてきた。

 

(´・ω・`)・・・

 

公正を期するために書くと、確かに、組織単位(学校など)で、改姓を推進した例があるようで、動画の中にも幾つか「創氏改名は強制では無い」という新聞記事が出てきますが、このような記事を朝鮮総督府が出させたのはそのせいもあるかもしれません。

 

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画像は動画よりキャプチャ

 

「創氏」は、特に「改名」しなければ、自動的に戸主の「姓」が家族姓となったのですが、2つの申請受付期間が同じだったこともあり、「日本風に改名しない」家族の場合も、期間中にその意思を示さないとならなかったのかと思います。届出がない場合、本当に戸主の姓を家族姓にしていいのかどうか確認ができません。

なお、上記記事中の水野教授の資料(論文ではなく、プレゼン資料のような体裁のPDF『朝鮮人の名前とその歴史』)も京都大学のサイトに見つかりました。表紙の日付が2005年12月9日・16日となっているので、この内容の講義を2003年以来、毎年行っているのかも知れません。

 

◆『氏設定督励ニ関スル件』とは?

『氏設定督励ニ関スル件』の文面は上記PDFファイル(P.98―以下にキャプチャ)で読めますが、はっきりと、「7月20日までに全戸数の届出を完了するよう~」と書いてはありますが、「改名」については書かれていません。

にもかかわらず、水野教授はこれを持ってして、「創氏改名」を強要した証拠だと言ったわけです。

 

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◆本当は、朝鮮人は日本名を名乗りたかった

上記PDFには他にもこんな記述を見つけました。(P.72)

 

19111026_soushi03

 

日韓併合(1910年)するやいなや、日本風の名前に改名する者がいた、という『毎日申報』1910年9月9日の記事です。

すると、(P.73)

 

19111026_soushi01

 

1911年10月26日付け朝鮮総督府令 第124号『朝鮮人ノ性名改称ニ関スル件』では、姓名改称を許可制にし、日本人風の姓名を禁止しています。(「運用で」とあるのは、受付の際に担当者が紛らわしい名前を却下したのでしょう。)

ということは、

改名を強制する迄もなく、
日本風に改名したい人が大勢いたということでは?

 

次のページ(P.74)にはその理由が書いてあり、「日本人と朝鮮人の差別化」とか「朝鮮在住日本人の優位性・優越感」だと水野教授は位置づけています。

 

19111026_soushi02

 

日韓2000年の真実』によると、内地(日本国内)で、勝手に日本名を名乗った詐欺事件などもあり、満州事変(1931年、つまり創氏改名以前)の頃、満州には100万人ほどの朝鮮人がいたそうですが、禁止されていたにも関わらず、ちゃっかり日本名に改名していたそうです。

そこで、日本人と紛らわしい名前を1940年まで禁止したのですが、動画でも湿TVさんが仰っていたように、日本風の名前を禁止したら「差別だー」、許可したら「民族文化の抹殺だー」。

まあ、左翼なんてこんなものです。

 

◆時系列

最後に、時系列を纏めておきます。

1910.08.29 併合
1910.09.09 『朝鮮申報』朝鮮人(朝鮮系日本人)が勝手に日本名を名乗っているという記事
1911.10.26 朝鮮総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」: ①改名を許可制にし、②日本風の名前を付けることを禁じる。(②は1940年まで続く)
1939.11.10 『官報』政令第19号(創氏)、第20号(改名)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gazette_of_Government-General_of_Korea,_1939-11-10,_page_1.png
1940.02.11~08.10 届出期間

 

下は英語風に説明。

1910.08.29 annexation
1910.09.09 『朝鮮申報』Some Koreans changed their names to Japanese style names.
1911.10.26 government ordinance No.124(朝鮮総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」): The government(朝鮮総督府/조선총독부)prohibited Koreans from changing their names to Japanese style.
1939.11.10 government ordinance No.19(創氏)、No.20(改名): The government ordered Korean to create a family name (no.19) and allowed them Japanese style names (no.20).
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gazette_of_Government-General_of_Korea,_1939-11-10,_page_1.png
1940.02.11~08.10 application period

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

以下は記事原文です。

 

日帝의 창씨개명 강요문서 발견돼
1940년 6월 "모든 가구 신청하게 독려"
조선일보
입력 2003.12.19 05:54

일제가 ‘창씨개명(創氏改名)’을 강요했다는 사실을 보여주는 자료가 일본인 연구자에 의해 대전의 정부기록보존소에서 발견됐다.

미즈노 나오키(水野直樹) 교토대학 교수(한국근대사 전공)는 지난 8월 정부기록보존소에서 일제시대 부산의 지방재판소장(일본인)이 관내 기관장들에게 창씨(創氏) 신청률이 저조하다면서 주민 전원의 창씨 신청을 독려한 사실이 담긴 행정문서를 찾아냈다고 18일 마이니치(每日)신문 인터넷판이 보도했다.

미즈노 교수가 찾아낸 이 문서는 부산지방재판소장이 1940년 6월 12일자로 관내의 시·정·촌(市·町·村)장 앞으로 보낸 예규(例規)문서로, ‘씨설정독려(氏設定督勵) 관한 건’이라는 제목이 붙어있다.

이 문서에는 조선인들의 창씨 신청기간이 1940년 2월 11일~8월 10일까지이지만, 신청 접수 후 4개월이 지나도록 전체 가구의 10%만 신청하고, 일부 지역에는 3%이하의 지역도 있다는 점을 지적하면서 7월20일까지 모든 가구가 창씨 신청을 마치도록 독려하는 내용이 담겨있다.

미즈노 교수는 “당시 조선총독부는 ‘창씨개명은 강제가 아니다’라고 거듭 강조했지만, 신청률이 저조하자 신청률을 높이기 위해 압력을 가했고, 이를 비판하는 사람들을 체포하는 등 이의를 제기하는 것을 허용하지 않았다. 창씨개명을 강요한 실태를 알 수 있는 자료”라고 말했다.

일제가 민족말살 정책의 일환으로 추진한 조선인들의 창씨개명은 신청 후 3개월이 지나도록 창씨를 신청한 가구는 전체의 7.6%인 32만 가구에 불과했으나 그후 신청률이 점점 높아져 최종적으로 전체 가구의 80%인 320만가구가 신청을 마친 것으로 돼 있다.

한국근대사를 연구하는 미야타 세쓰코(宮田節子) 와세다대학 강사는 “이 문서는 창씨개명이 강제적으로 이뤄졌다는 것을 드러내는 것을 보여주고 있다. 조선총독이 강하게 희망하면 지방 책임자들이 성과를 올리기 위해 경쟁하는 구도가 잘 드러나 있다. 당시 조선총독부는 스스로가 ‘다소 지나치다’는 것을 인정하기는 했지만 어디까지나 ‘(지나친 것은) 말단에 불과하다’고 했는데, 그런 의미에서도 귀중한 발견이라고 할 수 있다”고 평가했다.

최근 일본에선 지난 6월 아소 다로(麻生太郞) 당시 자민당 정조회장(현 총무청 장관)이 “창씨 개명은 조선인들이 원해서 실시한 것”이라는 망언을 한 이후 각종 우익잡지들이 아소의 망언을 옹호하는 기사들을 쏟아내고 있다.

 

 

  


 

 

 

 

2021/01/02

【書籍】『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』

この本は、本間九介ペンネーム「如囚居士」)という人物が1894年4月から6月にかけて『二六新報』という日刊新聞に連載した朝鮮事情(連載終了後書籍化)を現代語に直したものです。その際、日本近代政治思想史を専門とするクリストファー・W・A・スピルマンという歴史学者が監修し、『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』とサブタイトルが付けられ、スピルマン博士による解説が付せられています。

後述しますが、この本が書かれた1894年というのは非常に象徴的な年です。

 

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『朝鮮雑記 日本人が見た1894年の李氏朝鮮』表紙
イラストは本間九介による

 

この『朝鮮雑記』(1894年=明治27年)とイザベラ・バード韓国ではビショップ婦人と呼ぶようです)の『朝鮮紀行』(1898年=明治31年)、荒川五郎の『最近朝鮮事情』(1906年=明治39年)と併せて読めば、朝鮮末期、即ち、日韓併合直前の朝鮮事情は大凡理解できますが、この3冊の性格は若干異なります。

 

 

イザベラ・バードは謂わば物見遊山の旅行記、荒川五郎の本は朝鮮に住む(予定の)日本人のための現地生活ガイドのようなもの。しかし、本間九介は、現代風に言えば新聞の特派員として、体裁はコラムのような形式で朝鮮の習俗などをユーモラスな文章でリポートしながら、時折、政治状況や経済状況を考察したり批評しています。それは、「朝鮮を先進的な日本の援助のもとで独立させ、東アジア全体に近代的な秩序と文明をもたらす」(スピルマン博士の解説より)という「アジア主義」の思想が根底にあるからです。

確かに、彼は「開化人」として所謂“上から目線”で「未開」な朝鮮人の風習や生活習慣を小馬鹿にしています。例えば、「市街の不潔」というタイトルのコラムでは、「不潔は、朝鮮人のパテント(専売特許)だろう。」という文で始まり、腐った食物も意に介さずに食べることや、家が粗末なこと、衛生観念に乏しいことなどを書いています。

しかし、一方で、朝鮮人がこのような惨めな生活をしているのは、中央政府の事大主義と改革を受け入れない李氏の保守主義や、役人が腐敗し、賄賂が横行する社会システムのせいだと同情したり、属国意識が抜けずに気概のない朝鮮人に憤慨し、世界情勢を知らない朝鮮人を、しばしば「井の中の蛙」と言っています。また、依然としてシナ(清)の影響下に置かれている状況や、朝鮮政府が顧問として日本人ではなく、アメリカ人やフランス人を招聘している事に対し、何故我が国はもっと積極的に朝鮮に関わらないのかと日本政府を批判したりしています。

従って、この本の価値は、彼の考えを述べた最終章の「清国の野心 朝鮮の懦弱 日本の無為」(懦弱:なまけて弱いこと。いくじのないこと。進取の気性のないこと)と、スピルマン博士の解説にあると思っています。

 

なお、この本は『朝鮮雑記 日本人の朝鮮偵察録』(조선잡기 일본인의 조선정탐록)というタイトルで韓国語訳もされています。(2008年06月16日出版) ネット書店のレビューを見た所、10段階評価で7.7と、思ったよりは高評価でした。(この項、後述)

 

ご存知の通り、伊藤博文(1841~1909)は、併合には消極的で、朝鮮の真の独立や開化は朝鮮人自身で成すべきと考えていました。つまり、これが当時の日本政府の方針であり、福沢諭吉も当初は同じ考えで、朝鮮の改革派の若者を庇護していました。

これら主流派と比較すると本間九介はかなり急進的ですが、彼の言動を通して、この時代の日本人が「世界におけるアジア」、「アジアにおける日本や朝鮮」という広い視野で状況を捉えて、朝鮮の自立を望んでいたことがよく分かります。もちろん、その根底には日本の国益があるのですが、「アジアの権益を虎視眈々と狙う欧米列強」、「依然として朝鮮への影響力を及ぼし続ける清」、「清の脅威」、「日本の朝鮮における権益」等々、これらが朝鮮を舞台に渦巻いていた時代でした。明治維新を成し遂げたこの時代の日本人、特に知識人は、現代の平和ボケした日本人とは異なり、日本を取り巻くアジアや世界の情勢には鋭敏でした。

一方、朝鮮人はと言うと、これもある種の「平和ボケ」...。この言葉が適当かどうかは分かりませんが、一部の知識層を除き、多くの人々が一握りの支配階級に生殺与奪を握られている状態を受け入れていました。いくら本間九介が不甲斐ないと憤ったり、義侠心に駆られていても、それ以外の世界を知らない層が大半だったので、そういう意味で安定した社会でした。

 

そして、当時の朝鮮人の対日観はどうかというと、非常に反日的でした。これは、『(小)中華思想』、『華夷秩序』によるものが大きいのでしょうが、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に対する恨みもあるようです。

何故か、彼らは朝鮮が大勝したと思っていたようですが、この時の戦乱により、朝鮮全土が焦土と化したことを非常に恨んでいるということを本間九介は度々書いています。(実際には、秀吉の目的は明であり、その通り道の朝鮮は“焦土”とされるほどに抵抗してはいなかったのですが。

日本人からすると、「それでは元寇(1274年、1281年)はどうなんだ」と言いたくもなりますが、とにもかくにも、16世紀から延々と日本を恨み続けていたのは事実であり、朝鮮人(韓国人)の「反日」は戦後教育によるものよりもっと根深いということを知りました。そしてこの反日感情は、この本が書かれた時代、何かの折に必ず吹き出すのです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

さて、この本が書かれた1894年という年ですが、朝鮮の改革を目指して1884年にクーデター(甲申政変)を企てるも失敗した金玉均(キム・オッキュン)が殺された年(3月28日)であり、甲午農民戦争=東学党の乱が始まった年(1月11日~翌3月29日)、日清戦争(7月25日~翌4月17日)が勃発した年でもあります。つまり、朝鮮が最も不安定な時期でした。

 

もう少し補足します。

朝鮮末期は李氏第26代国王の高宗(1852年7月25日 - 1919年1月21日)の実父で摂政の大院君と高宗の妻の閔妃(びんひ/ミンピ)の一族との対立と高官の派閥争いに明け暮れ、事大主義(自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやりかた)により、その時々で周囲の国を利用していました。

大院君がまず権力を握ると王権強化と攘夷に努めますが、1860年代から欧米列強が通商を迫り始め、1875年の江華島事件の結果日朝で結ばれた江華島条約により朝鮮が開港すると、閔氏一派が権力を握ります。日本の援助を受け、軍隊の近代化を図りますが、財政出費がかさみ、旧軍人への俸給が滞ったことから、1882年、兵士の不満が爆発して反乱(壬午軍乱)が起こり、この騒乱は反日感情を引き起こし、日本公使館襲撃事件にまで発展します。背後には大院君がおり、再び大院君が権力を握ります。日本も軍を出しますが、この騒乱を制圧した清が影響力を強め、大院君を拉致し、清は袁世凱を送り込んで朝鮮の実権を握ります。

一方、政治に不満を持ち、日本の明治維新のような改革を目指した金玉均や朴泳孝(ぼくえいこう/パク・ヨンヒョ)等の開化派は1884年にクーデター(甲申政変/甲申事変)を起こしますが、事大党(伝統を守って宗主国たる清国への臣属を主張した保守派)に与する清の派兵を許し、クーデターは失敗に終わります。金玉均は日本に亡命しますが、後に閔氏の刺客により、1894年、上海で暗殺されます。遺体は朝鮮に運ばれて切り刻まれ、これを知った福沢諭吉は朝鮮に見切りを付けて脱亜論を唱えます。

甲申政変鎮圧の際、清国の軍隊によって日本人居留民が殺されたことから、日清の対立が深まり、1885年、伊藤博文と李鴻章が全権大使となり、天津条約が結ばれ、この条約で、両国の朝鮮駐屯軍を撤退すること、以後朝鮮へ軍隊を派遣する必要ある時は両国互いに通知することなどを取り決めます。これが日清戦争の伏線となります。(本間九介はこの天津条約により朝鮮は独立したと考えており、その後も影響力を持ち続ける清に不満を持っていました。)

この間も欧米列強により朝鮮の権益が奪われていき、1894年の甲午の年、朝鮮南部を中心に農民戦争(甲午農民戦争)が起こります。これは東学(土着の宗教や儒教・仏教・道教を折衷した新興宗教で西学=キリスト教に対する)の信徒を主体とし、「反侵略・反封建」の性格を持った反乱です。本間九介や朝鮮の独立を支援しようとする日本人居留民は東学党を親日だと勘違いし、これを支援しますが、彼らは日本も敵視していました。

閔氏政権はこれを鎮圧するために清に出兵を要請、これを日本は天津条約違反として日清戦争(1894~95年)に発展します。

1895年10月8日、閔妃が暗殺されます。これは、一般には、「日本公使三浦梧楼の陰謀により1895年10月8日、日本守備隊および日本人壮士に惨殺された」(広辞苑)とされますが、まず、日本人だけでは閔妃を識別できたのかという疑問があり、朝鮮人の間でも閔妃を除外しようとする勢力が少なくなかったこと等から、日本人が首謀者だとしても朝鮮人の協力があったと考える方が自然です。そして、それどころか、実は閔妃は生き延びて、ロシアに逃れたという説(※)もあるようです。

 

※「친구 ともだち」さんの動画

動画主さんは、新たな資料がロシアから出てきて、これが事実だと言います。それなら何故、日本人の歴史家はこれを取りあげないのか不思議に思いますが、今更、異説を唱えても韓国の反日に火を点けるだけなので、やる気が無いのでしょうか。

 

日清戦争における日本の勝利により、下関条約(1895年4月17日)で清に朝鮮の独立を認めさせ(第1条)、高宗を皇帝として大韓帝国が成立すると、開化派はこれを記念して「迎恩門」(シナの使者を三跪九叩頭礼で迎えた屈辱的な門=沖縄の守礼門のようなもの)を壊して独立門を建てます。しかし、日本に対して三国干渉(仏、独、露)が行われると、王は今度はロシアに事大します。その元凶である閔妃が下関条約の半年後に暗殺(?)されると、高宗はロシア公館に亡命して(露館播遷/俄館播遷)引きこもります。ここから、日露戦争(1904~05)で日本はロシアと戦う羽目になっていきます。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

上記は主に日本が関係する部分を中心に1894年に至るまでの経緯を簡単にまとめたものですが、どのような感想を持たれるでしょうか?

韓国の歴史教科書では、高宗は「改革君主」とされているそうです。(これが、李栄薫博士らの唱える『植民地近代化論』に対して、“既に朝鮮末期には資本主義が萌芽していて、日本がいなくても朝鮮は自力で近代化できた”、というファンタジー理論に繋がります。)

 

日本は余計なお節介をしすぎたのかもしれません。そして、望み通り、清の属国のままであれば、今頃、中国の一地方か、独立国のままで北朝鮮のような生活をしていたかも知れません。

 

無知な安重根が伊藤博文を暗殺しなければ、福沢諭吉の言葉に従っていれば...

そう思わざるを得ませんが、歴史に「IF」はありません。現代の韓国人が日本を恨むのなら、それは感情の問題だからとやかくは言いません。しかし、理不尽な言いがかり(慰安婦問題、徴用工問題)は、日本側(反日日本人や朝鮮総連)が火付け役とは言え、毅然とした態度で望むしかありません。旭日旗などに対する子供じみた嫌がらせに対しても同様です。

歴史認識は利害関係のある二国間では一致することはないでしょう。しかし、願わくば、韓国人には歴史を捏造せずに、「朝鮮=善、日本=悪」という結論ありきではなく、起きたことを客観視できる理性を持って欲しいと思っています。そして、16世紀から西欧のアジア侵略の野心(cf. 1596年、 サンフェリペ号事件)を知っていた日本人と、知らない朝鮮人(韓国人)とでは自国史の視野が異なるのはしかたがありませんが、せめてアジアくらいには視野を広げないと、自国の置かれていた立場は理解できません。

これを改めるのは韓国人自身でしかできません。これが必要ないと考えているなら、日本人は、よく喩え話で言われるように、「回覧板だけは回すお隣さんの関係」として静観するしかありません。

ただ、現在、一部の理性的な韓国人が、「慰安婦関連法」(=元慰安婦を「被害者」と定義づけている)撤廃活動や反日銅像(慰安婦像、徴用工像)撤去を求める活動を行っています。慰安婦問題と徴用工問題は韓国が歪曲している歴史の内、最も「ほころび」が出やすい問題であり、歴史認識を正すきっかけになる可能性があります。

年末には『売国奴高宗』という本も出ました。どうやら、「日本=悪」という立ち位置は変わらない本のようですが、ファンタジー歴史ドラマで李氏朝鮮を美化している韓国にあって、ようやく、自国のダメな歴史を論じることができるようになったようです。(今更かよwという気がしないでもありませんが。)

この本の読者は別に日本との関係を良くしたいのではなく、左派の洗脳から自分を解放するためでしょう。しかし、それでいいのです。我々はもはや本間九介になる必要はないのですから。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

『朝鮮雑記』の原書は国立国会図書館のデジタルアーカイブで読むことも可能です。但し、語句が難解で、読むのに苦労するかと思います。現代語訳版は語句の解説(※印で章末にまとめて解説している他、括弧書きで意味の説明あり。)があり、すらすらと読むことができます。

ブログ主は電子図書版(Kindle)で読みましたが、紙の本への拘りがなければ、文中の※印をクリックすると注釈に飛び、戻るボタンで本文の元の位置に戻れる他、語句をドラッグで範囲指定して辞書(デジタル大辞泉)を引いたり、ラインマーカー(4色)でマーキングできたりと便利で、また、電子図書はページの概念が無いので、ページ幅を自由に変えたり、文字の大きさも変えることができます。(1ページに入る文字数がそれによって変化する)

『最新朝鮮事情』はおそらく国立国会図書館のデジタルアーカイブ、つまり原書でもあまり苦労なく読めるでしょう。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

韓国語版『朝鮮雑記』について

この項、書きかけ

 

  


 

 

 

 

2021/01/01

韓国メディア「ペン&マイク」の西岡力教授インタビュー「韓国最高裁の徴用工判決に徴用工はなかった」

以前のエントリー『【徴用工問題】西岡力著『でっちあげの徴用工問題』韓国で出版』で、西岡力・麗澤大学教授の著書が韓国で翻訳・出版されたことを書きましたが、韓国の保守系ネットメディア「ペン&マイク」が西岡教授とのインタビュー記事を掲載しました。

本を紹介した記事はこちら→『2018年最高裁判所徴用工裁判解剖した「捏造された徴用工問題」韓国語版出版』(2018년 대법원 징용공 재판 해부한 《날조된 징용공 문제》 한국어판 출간

 

以下はペン&マイクの記事のPapagoを使った翻訳です。明らかな誤訳(韓国語の同音異義語による漢字の間違いや翻訳の過程で漏れた単語の補足)以外は機械翻訳ママです。ブログ主は韓国語は分からないので、明らかに漢字がおかしいところのみ原文の単語を確認して日本語訳を修正しています。なお、Papagoはやや意訳が過ぎる傾向(※)があるので、予めご了承下さい。

※例えば、日本語の「日本統治時代」を韓国語に訳すと、一瞬直訳が表示された後、「日帝強占期」を意味する韓国語に修正されると韓国人が言っていたので、逆もまた然りかもしれません。

ペン&マイクは、登録者が66万人を越える、YouTubeではニュース番組や対談番組、歴史講座などを放送する等、日本には比較するメディアが見当たらない程の規模のメディアです。但し、保守(反共・反文在寅政権)の視聴者や読者が多いことは確かですが、彼らの多くが「反・反日」とまで言えるかどうかは疑問です。

なお、鄭奎載 (정규재/ジョン・ギュジェ)主筆は今年行われる釜山市長選挙の補欠選挙(前市長がセクハラで辞職)に、慰安婦像の撤去を公約に出馬するとのことで、朝鮮日報にはダークホース的存在と評されていました。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

http://www.pennmike.com/news/articleView.html?idxno=39445
「韓国最高裁の徴用工判決に徴用工はなかった」…西岡力教授との電撃対談。

パク·スンジョン記者
初承認2020.12.30 11:30:37
最終修正2020.12.31 14:38
コメント2

"数年前から韓国の勇気のある学者らと活動家が慰安婦や展示の労動者問題の嘘を暴露する活動を開始しました。 日本の保守派としてそんな方々と交流を深めたいです。」

【写真省略】西岡勉麗澤大学客員教授(写真=ペンアンドマイクDB)。

2018年に大法院(日本の最高裁判所に相当)が、いわゆる日帝時代の「徴用工」被害者原告らに対し、日本の関係企業が賠償すべきとの趣旨の判決が下された。 2年余りが過ぎた今、韓国司法府は当該訴訟の原告らに賠償金の支払いを拒否している日本企業の資産を強制売却するための手続きを進めている。 こうした中、韓国最高裁の判決には歴史的·法理的に深刻な欠陥があることを指摘した日本専門家の本が初めて韓国に紹介された。 『でっちあげの徴用工問題』の著者である麗澤大学客員教授をペンアンドマイクが会った。 以下一問一答

 

「親韓派」ではなく「愛韓派」と呼びますが、「愛韓派」という用語はどのような意味がありますか。

「愛情」とは、相手から受ける利益や相手の魅力などと関係なく相手のために無条件に行動することです。 祖国や家族に対する愛情であり、意志です。 私にとって韓国は10代後半の多感な時代から深い縁を結んできた第2の故郷、第2の祖国であり、韓国人は家族のような存在です。 そういう意味で、僕は「愛韓派」を 自称しています。

 

最近、「捏造された徴用工問題」の韓国語版を出版しました。 本書はいわゆる韓国最高裁判所の「徴用工の判決」に対する批判から始まるものですが、本の内容をもとに判決批判の要旨を簡単に説明してくださるとしたらどうでしょうか。

判決は、日韓両国の友好の基礎である1965年の日韓基本条約と付属協定である日韓請求権条約を全面的に否定したものです。 「日韓両国の多くの先人が築いた両国間の友好関係を破壊するのです」 両国で両国の未来を心配する心を持った人々が協力して、この判決を無力化させなければならないと信じます」

 

当判決の原告の中には「一人の徴用工」が(→も?)なかったという批判がありますが、当時日本に渡った朝鮮人労働者のほとんどが実は「自発的移住労働者」で、「募集」とか「官斡旋」といった「戦時動員」さえその規模が大きくなかったというのが学界の分析です。 先生が「強制連行」を否定される理由を韓国の読者が心で理解できるように簡単に説明してください。

1939年から1945年まで行われた朝鮮人労働者に対する「戦時動員」の本質は、高い賃金の雇用を探し出して内地(日本本土)に渡り、建設現場などで働こうとする人々の流入を統制し、比較的人気はありませんが、戦争遂行に必要な炭鉱、金属鉱山などに労働力を動員しようとした政策であったと言えます。 しかし、その政策は内地へ渡航した朝鮮人の一部を統制するのにとどまり、失敗しました。

1945年8月の終戦当時、サハリンや南洋群島などを除く日本本土内の在日朝鮮人の現況を見ると、約200万人でした。 戦時動員対象は、そのうち労働者32万人と軍人·軍属11万人の43万人でした。 つまり戦時動員で来日した彼らは在日朝鮮人人口全体の約2割に過ぎなかったのです。 残りの80%は、自発的に日本で稼ぐために渡ってきた彼らとその家族でした。

朝鮮から内地への人口流入を見てみましょう。 「朝鮮人移送計画」は1938年に成立した国家総動員法に基づき、1939年9月から始まりました。 当時、日本内務省が作成した統計資料によると、終戦まで約60万人が朝鮮から内地に戦時労働者として動員されました。 同時期、約180万人の自発的な渡航者がいました。 全体として渡航者合計は240万人でした。 そのうち、戦時動員は25%に過ぎません。 朝鮮から内地への渡航者は25%しか統制されていなかったのです。

 

韓国でも落星臺(ナクソンデ)経済研究所の研究委員であるイ·ウヨン博士などの研究を通じて、植民地時代、炭鉱などで民族間の賃金差別が全くなかったことを数値として証明しました。 「朝鮮人奴隷労働説が事実ではないことを本の内容に基づいて説明していただけますか」

奴隷というのは、人格は完全に否定され、持ち主が所有権を行使する対象になることです。 賃金を受け取ることができず、主人が自由に売買できる者を奴隷と言うのですね。 しかし、戦時に動員された朝鮮人労働者は高い賃金を受けました。 法的強制力のない「募集」や「官斡旋」だけでなく、強制力のある「徴用」の形で日本に渡ってきた人たちも、原則的には2年契約で民間企業で賃金労働を行っていたのです。 だから「奴隷」とは絶対言えないのです。 さらに、彼らのうち約40%は契約終了前に逃げてより待遇のよい職場に転職しました。

私は私が書いた本の中で、戦争末期の1945年8月、東京郊外の土木工事現場には朝鮮人労務監督者が運営する飯場(労働者の合宿所)で朝鮮人労働者たちが集まってマッコリを飲み、牛肉を食べるといった内容の「逃亡徴用工」の手記を紹介しています。

 

「韓国で反米関連理論の大半は、実はノアム·チョムスキーなど米国現地の反米左派学者たちが作ったものだそうです。 先生が著述した本の内容を見ると、徴用工の問題や慰安婦問題など韓国内の反日関連理論も、実は日本人の反日の左派系の学者たちが作ったという指摘があり、非常に興味深いことです。 日本人はどうしてそんなに自国の過去史を攻撃するんでしょうか

大きく分けて二つの理由があります。 第一の理由は、アメリカ占領期前期に行われた日本の弱体化政策の結果、共産主義者が学界や教育界、労働界、政界などに広範囲に浸透していたという点です。 連合国に敗北した日本はアメリカ軍政を経験しなければなりませんでした。 1945年から1949年頃までの米軍の定期政策は、日本の弱体化でした。 東京裁判も軍備を禁止した現在のいわゆる「平和憲法」が制定されたのも、そうした政策の一環であった。 米占領軍司令部(GHQ)内にも実はソ連に忠誠を誓った共産主義者とその協力者たちが多数おり、彼らが日本の共産主義を保護し育成しました。 その結果、明治維新以来の日本の近代国家建設の歴史をすべて否定する「反日自虐史観」が深く根ざしました。

第二の理由は、1990年前後のソ連·共産圏の崩壊により、日本国内の共産主義者と彼らの同調者が大きな衝撃を受けた過程で、朝日新聞に代表されるほとんどの左翼が、自分たちの理念が間違っていたことを認めず、戦前の日本が犯した悪を暴露することで、自分たちは「良心的知識人」という慰めを求めていたことに見つけられます。 朝日新聞が権力による慰安婦強制連行があったという架空のキャンペーンを展開し、韓日関係を大きく悪化させたのは1991年に、すぐにソ連が崩壊したその年でした。 また、日本の左翼、弁護士たちと運動家たちが韓国に来て、昔の慰安婦たちと旧展示労働者を捜し出し、これらを日本の法廷で、原告に立てて日本政府を相手に補償を要求するようにし始めたのも1990年代序盤からだったと指摘することができます。

 

韓国では慰安婦問題と徴用問題は安倍政権や菅政権のような特定政権の問題として片付けるだけで、日本の一般国民の間でも、確固たる認識があるという事実を悟ることができずにいるようです。 日本の世論の厳しい現実についてもお話お願いします。

慰安婦問題についても、戦時の労働者問題についても文在寅(ムン・ジェイン)政権の下で過去の条約や協定合意を次々と破らせる動きが起こっていることに対して共産党とごく少数の反日左派を除いては、日本社会全体はこれを受け入れ難いという認識です。 安倍晋三元首相や菅義偉首相が韓国に対して強硬な姿勢を見せたのは、日本社会の全般的な支持があったためです。

【写真省略】1991年8月14日、日本軍慰安婦の実状を初めて暴露したという金学順ハルモニさん。(写真=連合ニュース)

この2015年、朴槿恵(パク・クンヘ)政府時代に行われた韓日慰安婦の合意について、日本では反日左派の朝日新聞も社説で"韓日関係の歴史的な進展"とし、"両国政府がしこりを超えてマイナスの歴史を克服するための賢明な一歩を刻んだことを歓迎したい"と言っています。 韓日慰安婦の合意を高く評価したものです。 そのためにこの合意を事実上破棄した文在寅(ムン・ジェイン)政権の態度を支援する勢力は日本内でも非常に少数に過ぎません。 また、2018年10月の戦時労働者問題に関して、韓国大法院の判決に対しても、朝日新聞を含むすべてのメディア、共産党を除くすべての野党が「国際法違反」として受け入れられないという立場を表明しています。

国と国、政府と政府が締結した条約や協定、さらには合意を、前政権がやったと守らなくてもいいと繰り返し破ってきた韓国の姿勢に、左派を含む日本社会の多くは疲労感を感じています。

 

韓日基本条約を通じて日本政府は自国経済が危うくなるほど巨額を拠出しており、また韓国に対する様々な請求権も日本は放棄しています。 日本人は条約締結と関連して不満はないですか。

1965年、日韓国交正常化に対して、日本国内では激しい反対運動がありました。 その論理は大きく二つに分けることができます。

一つ目の論理は、共産主義陣営の支持を受ける立場で韓国とだけ国交を結んではならないという論理でした。 北朝鮮との国交も同時に結ばなければならないという主張です。 このような主張をする彼らは、日米同盟に対しても反対でした。

二番目は国際法上いくら戦勝国としても、無償没収が禁止された在韓(在韓)民間資産に対する請求権や東海上、李承晩(イ・スンマン)ラインの内側で操業して韓国側に拿捕され、死亡、または負傷を負った日本人漁民に対する韓国政府の補償を日本政府が放棄してはならないという論理でした。 当時、当事者や野党が激しく反発しました。 当時第一野党だった社会党の幹部が国会で在韓財産放棄を批判したのが議事録に残っています。

これに対して、当時の自由民主党(自民党)政権は、韓国の自由民主主義を守り育成することは日本の国益だとして請求権放棄を国民に納得させる一方、韓国の対日請求権を補償し、反共自由民主主義国家として韓国の発展を支援するために、有償·無償も合わせて5億ドルという巨額の経済協力を断行しました。 当時、日本の外貨準備高は17億ドル程度だったので、対韓経済協力金は一時給ではなく、10年間に分けて支給しました。

当時、この巨額の資金提供に反対の声もあがっていました。 韓日国交正常化に反対するデモでは、「朴正煕に与えるつもりなら、私にくれ」という文句が書かれたプラカードを持って、デモに参加する人もいました。

 

戦時動員労働者問題に関して、日本はもはやこれ以上の譲歩はないという姿勢です。 韓国も、韓国国民が伝統的に持ってきた反日世論を追い風に、それを正当化する判決が下され、困惑している状況です。 両陣営とも政権存立の危機というありさまですが、今後の状況をどう思いますか。

楽観も悲観もしません。 文在寅(ムン・ジェイン)政権は韓国を海洋国家・自由民主主義陣営から離脱させて大陸国家・全体主義陣営に連れて行っています。 文在寅(ムン・ジェイン)政権がこれを成功させるなら、韓日関係は最悪の局面に陥るだろうです。 しかし、その路線に反対している韓国の自由勢力が存在します。 その中にも、韓国人の伝統的反日感情が「偽りの歴史観」の上に成立したという、韓国人にとっては認めがたい事実を直感する人々が現れています。 私はそんな人々に希望を持っています

 

先生の著書目録を見ると、拉致被害者や北朝鮮人権問題、韓日の近現代史と関連した本をたくさん出版されていることが分かります。 韓日近現代史の問題はもともと先生の専攻ではなかったと思いますが、どんな理由で韓日近現代史の問題と関連した研究になったのですか。 2問お互いに繋がる部分があるんですか。

ご指摘の通り、私が専攻した分野は歴史学ではなく韓国·北朝鮮の現在の姿を研究する地域研究です。 だからこそ、当然、東アジアの現代史を見るときは共産主義の悪を直視しなければなりません。 そういう立場で、北朝鮮人権問題、特に北朝鮮による拉致問題を集中的に研究しています」 また関連市民団体の活動も行っています。

今回、翻訳された本で取り上げられた1965年の韓日国交正常化の過程での歴史問題の処理、日本の反日勢力による嘘キャンペーン、韓国の労働者たちに対する補償の歴史、2018年10月の韓国最高裁判所の判決分析など、私の専攻分野に属しますが、戦時労働の実態と関連した部分は、もともと私のような地域研究者ではなく、歴史学者が書かなければならない部分でした。 しかし、戦後日本の韓国史研究家たちは非常に偏っていて、事実に基づいた実証研究をしておらず、また日本帝国主義の罪悪を暴露するというような、結論をあらかじめ決めておいた研究しかできない人たちが大半です」 このような状況で歴史学者ではない私は、統計資料や労働者手記などを使って、歪曲なく事実に近づこうと努力しました。

歴史問題も調査してみると、北朝鮮の政治工作が深く介入しているという点で、韓日両国の左翼活動家たちとつながっていることが分かります。そのような意味で、慰安婦問題や戦時の労動者問題を研究する際にもいつでも北朝鮮の独裁政権の工作を意識しています。

 

日本の自由·保守右派勢力が韓国国民に真実を伝えようとする努力が、欧米地域の市民に対してする努力に比べると、多少足りないという指摘もあります。 真実を悟った韓国の若者たちが乗り出してくれれば、国際社会で日本のイメージ改善に役立つはずですが、いかがお考えでしょうか。

正しい指摘だと思います。 これまで日韓両国の左翼勢力がうそに基づいた反日感情を広めるために強い連帯をしてきたことにかんがみると、日本と韓国の保守勢力は真実を伝えるための連帯や努力が非常に弱かったといえる。

その理由は、保守派は愛国者で歴史問題や領土問題で対立しやすいからでしょう。 そのため、私は韓国の保守派について、北朝鮮の世襲独裁政権という共通の敵と戦うことを優先し、歴史問題については「一致しないことを相互認識する」(agree to disagree)という線で合意しようと述べてきました。

【写真省略】ソウル龍山(ヨンサン)駅前に不法設置された徴用共同像の撤去を促す記者会見を行っている反日銅像真実究明共同対策委員会の関係者たち(写真=朴スンジョン記者)。

韓国の保守派は日本統治時代を知っている世代を中心に慰安婦や戦時労働の実体を経験的に知っていました。 私は1970年代半ばから1990年代までその世代に属する人々から多くのことを学びました。 しかし、朴槿恵(パク・グンヘ)前大統領や朝鮮(チョソン)日報、東亜(トンア)日報などに代表される韓国の伝統的保守派は年長者が言うことを無視して日本左翼の反日宣伝に便乗しました。 彼らは左翼から'親日派'の音を聞くことに非常に強いコンプレックスを持っていることです。 1980年代から北朝鮮の工作によって韓国社会に広まっている反大韓民国史観に敗北したといえるでしょう。 反大韓民国士官(→史観?)という'韓国という国は建国以来、日本統治に協力して私益を追求した親日派が清算されず、反共・親米などに姿を変え、主流の支配勢力になった汚い国'というふうの歴史観を話します。

しかし、数年前から韓国の勇気のある学者らと活動家が慰安婦や展示の労動者問題の嘘を暴露する活動を開始しました。 日本の保守派としてそのような方々と交流を深めたいです。

西岡力整理=朴舜鍾記者francis@pennmike.com

 

コメント(2件)

ホン·ジョンジュ 2020-12-30 12:28:13
未だに自分は愛韓派だとおっしゃる西岡勉先生にお辞儀でもしたいです。 TT

アン·グンヒョ2020-12-3014:23:08
水増しした供述を事実確認もせずに判決した最高裁判所、
学者たちも反日感情的、
政治家も竹やり扇動~。
わが国は嘘つき天国になってしまった。

 

 

  


 

 

 

 

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