【韓国・反日種族主義】日帝はご先祖様が自由に使っていた山地を国有化し「はげ山」に勝手に植林した!【植民地収奪論】
5ch(5チャンネル)で面白い記事を見つけたので、覚え書きとして。
記事は朝鮮日報の雑誌「月刊『山』」の記事で、雑誌自体は登山愛好家のための情報誌らしいのですが、特集記事として、登山のメッカ智異山(チリさん 지리산)国立公園はかつてははげ山だったのを、日本統治時代、国有林化して植林をしたということが書かれています。
しかし、面白いのは雑誌社の電話取材に応じた大学教授で、「ご先祖様がはげ山にしてしまったのは生活のためであり、これを現在の尺度で批判するな」、「日帝が植林したのは、植民地収奪の手段であり、その証拠に木材や生産した炭で金儲けしていたではないか」という、いかにも反日種族主義的韓国人らしいアクロバティックな日帝批判をしています。
以下、記事(和訳)の引用、その後若干の補足をします。
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http://san.chosun.com/site/data/html_dir/2020/11/24/2020112401633.html
朝鮮日報(韓国語)[フォーカス] 100年前地理、700m以下低地帯は禿山
2020.12.10
「母なる山」智異山(チリサン)の100年前の姿を調べた論文が発表された。11月16日、国立公園論文公募展で最優秀賞を受賞した<日帝強制占領期間、文献を中心にした智異山国立公園の時代的状況考察>だ。
論文の著者はパク・ソクコン国立順天(スンチョン)大学山林資源・造園学部教授で、日帝強制占領期間、植物学者、中井猛之進と帝国大学演習林関係者が記録した智異山関連文献4冊を翻訳して当時の状況を分析した。同論文によれば、100年前の智異山の姿は今の植生と全く違っていたという。

박석곤 교수(パク・ソクコン教授)
전공/학위(専攻学位):
조경수목, 환경생태/ 이학박사(造園樹木、環境生態理学博士)
不明瞭な政局が続いた朝鮮末期、山林管理がまともになされず、地域住民が堆肥や燃料、農機具材料などを得るために山林伐採を継続したからだ。東京帝国大学演習林報告書には1925年当時、智異山一帯の約70%が一時的あるいは永久的無立木地(木が殆どない山林)で、樹林を形成する場所は28%だったとある。
植物群落もやはり現在とははっきりと異なっていた。朝鮮総督府と九州帝国大学がそれぞれ1915年と1934年に作成した植生分布図と2018年国立公園公団精密植生図を比較するとアカマツ林は18.18%から7.29%に急減し、モンゴリナラ群落は11.87%から41.78%に急増したことが分かった。これは長く智異山圏が保存され、自然な森の遷移過程が進んだものと解釈される。
一方、当時記述された文献は「日帝強制占領期間、日本帝国大学が智異山に研究目的で演習林(現在の学術林)を設置し、造林事業を進めながら地域住民の焼き畑と山林伐採を禁止して山林保護に寄与した」と記述した。
しかし、パク・ソクコン教授は本紙との通話で「断片的に解釈すれば日本帝国大学が智異山保全に尽くしたように見えるが、歴史的真実はそうではない」と一蹴した。
「当時、智異山に演習林を設置した大学のうち九州帝国大学と京都帝国大学は関連学科の農学部がないのに演習林を設置した。これは明確に研究目的より経済的利益を創出するために演習林を設置したという意味です。実際に地域住民に演習林で伐採した木や生産した炭を販売した記録もある。つまり演習林は植民地収奪の手段だったという事だ。」
パク教授は付け加えて「今の定規で当時の地域住民たちの山林利用を判断してはならない」として「当時のご先祖に低地産地は保存対象でなく唯一の生計の手段だった。日本人たちは植民地支配層の認識で彼らをあたかも未開な環境破壊犯のように追い立てた」と話した。
「演習林設置によって智異山で暮らしてきたご先祖は生活の基盤を失うことになった。私はこのご先祖と今の国立公園内部や近隣で暮らす地域住民が重なるとみている。過去の歴史を教訓にして地域民を管理対象でなく国立公園保全のための協力者として参加できるよう政府が出て助けるべきだと思う。」
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京都大学百年史編集委員会編『【部局史編 2】第12章: 農学部附属演習林』(PDF)によると、農学部が設置されたのは1923年(大正12年)で、その14年前の1909年(明治42年)に、帝国大学の基本財産及び維持管理、そして林学に関する研究・教育の場として台湾総督府より山林の移管を受けて演習林を設置、1912年(大正元年)に朝鮮演習林、1915年(大正4年)の樺太演習林等を経てのものです。
つまり、農学部設置前ではありましたが、その準備期間とも言える状態で実績もあり、経済目的と演習を両立させるものです。また、当然の事ながら、育苗などは国費で行われていますし、はげ山からのスタートですから収益化するまでコストが掛かる。営林には間伐も欠かせず、炭作りはそれを有効利用するものです。
これに対して、パク教授は「明確に(・・・)研究目的より経済的利益を創出するため」と妄想で批判しています。
実に反日韓国人らしい妄想です。
「(はげ山にしたご先祖様を)未開な環境破壊犯のように追い立てた」と言っていますが、未開なのは朝鮮末期の社会システムに他ありません。
“朝鮮では、古来より山野は「無主公山」と呼ばれ、地元住民による一種の入会権が認められていたため無断開墾は罪となら”なかったのだそうです。(Wikipedia『火田民』より/火田は日本で言う焼き畑)
「一種の入会権」とは書かれていますが、日本の「入会(いりあい)」とは、資源を保全しながら共同利用するためのルールがあります。しかし、そうしたルールがない日本統治以前の朝鮮では、住民は山で自由に薪用の木を切ったり、土地を持たない農民は勝手に焼き畑をして農地を作って生活していました。その結果が、前掲の写真の光景となります。
森林の「収奪論」については『反日種族主義との闘争』において李宇衍(イ・ウヨン)博士が「15 事実と逆である林野収奪論」で反論していますが、土地の所有権が明確ではなかった朝鮮時代は投資をせずに消費のみ行うため、資源を枯渇させてしまいました。
朝鮮総督府が真っ先にやったことは土地調査事業(1910~1919年)で、土地を測量し、私有地と公有地(国有地)とを分け、私有地の境界を明確にしました。上記本によると、これと並行して、山林の復興と林野調査事業も行っています。(明確では無いものの)林野の所有地らしき者を「固有林の縁故者」と呼び、事実上の所有者として扱い、彼らの権利を保護しました。そして、縁故者のいない林を国有林としたのです。
そこに国費を投じて(投資)、収益を上げるのは当たり前のことではありませんか。
おそらく、ここで問題となるのは小作人でもなく、土地を持たない「火田民」でしょう。朝鮮総督府は火田民対策を行い、解放した農耕地に移住させるという政策を行いますが、特に江原道(現在の38度線をまたいで日本海側に広がっていた道で、現在は北と南に江原道がある。北朝鮮側には観光で有名な金剛山がある。)には最後まで火田民が残り、韓国語のWikipedia『火田民』によると、1968年の「火田整理法」でようやく火田整理が終結したそうです。
このパク教授は、全体的には成功した土地改良事業を「断片的」とし、本来断片的である、「ルールが明確化されたことによる不自由」や「救済が遅れた人々」を持ってして否定をするという、いかにも「反日種族主義的韓国人」らしい批判をしているのです。
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