【竹島】また性懲りも無く「勅令41号」を証拠として出してきた韓国メディア
韓国メディアの報道を見ていると、ある特徴に気付きます、とっくに論破されている“証拠”を新発見!とばかりに“忘れた頃に”取りあげることです。
“忘れた頃”と書きましたが、日本人なら、「あれ、またこれを出してきたの?」と呆れるだけですが、韓国人は数年経つと忘れてしまうのかも知れません。
今回も再び1900年に出された「勅令41号」(「欝陵島全島と竹島・石島」を欝島郡と定める大韓帝国の勅令)と「石島は竹島(独島)の別名」であるという主張を持ち出して、“1905年に竹島を編入した日本よりも先だ”と書いています。(記事後述)
なお、勅令41号の「竹島」は、後述の【図5】の地図で示されるように、鬱陵島の近くにある島のことです。
反論する必要もないのですが、ある動画をご紹介したかったのでエントリーにします。
韓国が“独島はわが国土”と主張する根拠には、主に2つの島が使われます。「于山島」と「石島」です。しかし、これらをいくら「独島」の別名だと言い張っても、現在「竹島」と我々が呼んでいる島の位置や形(双子の岩礁)を把握していた証拠がない(地図が無い)のが致命的なのです。
「于山島」なる島は、朝鮮の古地図では鬱陵島とほぼ並んで大抵左側(西)に、時には南に、時には北に、ピッタリ寄り添うように描かれています。(あたかも古地図を元に作ったかのようなレリーフでは、東に描いて捏造しています)
一方、「石島」はその場所を示す地図すらありません。
従って、「勅令41号」で編入したという「石島」と「竹島」のどちらかが島根県の「竹島」だと主張できる根拠がないのです。
ここで、何枚かの画像をご紹介します。
まず、竹島の形や位置(特に鬱陵島からの距離)を確認しましょう。
〔帝国書院「新詳高等地図」より〕
日本には、上図のように、鬱陵島と竹島、隠岐(そして日本本土や朝鮮半島)の位置関係がしっかりと分かる地図はたくさんあります。
上の地図の于山島はどう考えても現在の韓国の竹島(下図)です。
この「竹島」は「竹嶼島」という名を経て、現在は日本語で「竹嶼」、韓国語では竹島、チュクト、죽도と呼ばれているそうですが、『反日種族主義』の続編である『反日種族主義との闘争』では、李栄薫博士は「石島」とは「観音島」の事ではないかと書いています。
更に詳しくは、島根県のサイト、「竹島の「真実」と独島の《虚偽》」の『第4回「1905年、日本の独島編入は無効」説の捏造』や外務省の「竹島の島根県編入」などをお読み下さい。内閣官房室の「領土・主権企画調整室」にも各種リンクがあります。
◇ ◇ ◇ ◇
上で使用した地図で出典がないものは、raito hainaというチャンネルの「竹島問題 日本と韓国の古地図を比較する」という動画のキャプチャです。
この動画は、竹島の日本と朝鮮の古地図にのみ注目して分かりやすく比較しており、冒頭に書いたように、朝鮮は竹島の位置も形も全く把握していなかったことがよく分かります。
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http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/10/30/2020103080107.html
「石島は明らかに独島」 新たな証拠が出てきた
2020/11/01 05:30
勅令41号の内容、1968年に公開…
それ以前も研究者らは石島と呼んでいた
10月25日は「独島の日120周年」に当たる日だった。この日は、1900年10月25日に制定された大韓帝国の「勅令第41号」が石島を鬱島郡(鬱陵島)の管轄区域内に置くと明示したことを記念する日だ。韓国側は「石島」が独島の別表記だという立場だが、日本側はそうではないと主張している。
「石島は明らかに独島」であることを立証する新たな根拠が提示された。ハンア文化研究所の所長で独島研究家のユ・ミリム氏は24日、独立記念館が開催した学術会議の発表文で「1968年以前は勅令第41号の内容は知られていなかったが、多くの学者が石島を独島の別名と認識していた」と明かした。
1950年代に日本が独島の領有権を主張した時点でも、韓国外務部(省に相当)は独島が鬱陵島の行政区域に編入されたという公的な記録を入手することに失敗した。しかし68年に法学者の李漢基(イ・ハンギ)ソウル大学教授が、大韓帝国議政府総務局の刊行した『法規類編 続弍』で当該部分を見つけ出したことで、勅令第41号の内容が初めて知られるようになった。
そのときまで、勅令第41号で「石島は鬱島郡の管轄」だとしたことを誰も知ることはできなかったのだ。ところが68年以前の時点でも、方鍾鉉(パン・ジョンヒョク)、李崇寧(イ・スンニョン)、洪以燮(ホン・イソプ)、朴観淑(パク・グァンスク)、黄相基(ファン・サンギ)、柳洪烈(ユ・ホンリョル)、朴大錬(パク・テリョン)など多くの学者が「石島」を独島の別名だと紹介していた。勅令第41号を見て「石島」を独島だと主張したわけではなく、もともと独島の別名が石島だったことになる。19世紀末、湖南(全羅道地方)出身の住民らが「石の島(トルソム)」という意味でこの島を「トクソム」と呼び、この意味を取って表記したのが「石島」、音を取って記したのが「独島」だった。
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