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2020年11月の11件の記事

2020/11/22

【韓国】日帝が朝鮮語を奪ったことが嘘だと一目で分かる広告【朝鮮語教育レコード】

韓国人のYoutuber「百年歴史」さんのコミュニティページより。

以下は、百年歴史さんの説明文(一部)を機械翻訳(ママ)したものです。

 

◇ ◇ ◇

 

朝鮮語教育レコード

以下の写真は1936年1月1日付の朝鮮日報に掲載された広告です。

有名歌手たちのアルバムを発売していたオケレコード社から「朝鮮語教育レコード」を発売しました。

朝鮮総督府が編纂した普通学校朝鮮語読本1巻~6巻までの内容が含まれており、
計20枚のレコード盤で構成されています。

読方指導は京城女子師範学校シム·ウィリン先生が、
作曲と音楽指導は中央仏教専門学校、朝鮮音楽教育協会のイ·ジョンテ先生が、
音声指導は延喜専門学校、朝鮮音声学会のチョン·インソプ先生が担当し、

京城師範付属普通学校児童、
京城女子師範付属普通学校児童、
キョンソン女子師範学校の補習生も中で選抜された学生たちが吹入に参加しました。

その他にもこの広告には生徒たちが家から学校まで登校する姿を写した写真と、
朝鮮語教育レコードを買ってプレイするターンテーブルの広告も載っています。

当時の学生のための視聴覚資料としてレコードが発売·販売されていたということは驚くべきことです。
教育目的のターンテーブルは流行歌アルバムの売り上げを押し上げる役割も果たしたのではないかと思われます。

 

19360101_korea

 

その他にも、「全鮮普通学校状況」として、学校数 2,100校、教員数 10,222人、児童数 561,920人 とありますね。この普通学校とは朝鮮人児童のみを対象として1906年から始まり、現地の日本人向けの小学校(尋常小学校)とは1938年になって統合したようです。(Wikipedia『普通学校』参照)

これは母語の違いにより教え方が異ならざるを得ないためで、(『NEW KOREA』訳者注釈より)差別ではありません。従って、この児童数とは朝鮮人のみの就学者数と言っても良く、同書によると1911年と1924年では20,121人→361,710人に増加しているため、1936年には更に20万人ほど増えたことになります。

 

コミュニティページの説明文にリンクが貼ってありますが、韓国では古い新聞のアーカイブが充実しており、そのリンク先でこの広告が掲載された新聞を紙面イメージで見ることができます。

朝鮮日報の正月の特別号で、日本の新聞で今でも元旦に見られるような企業の年賀広告が出ていたり、現代の新聞と引けを取りません。

 

 

 

  


 

 

 

2020/11/21

元朝日新聞記者植村隆氏、最高裁で敗訴。櫻井よしこ氏完勝

公開:2020-11-21 08:47:34  最終更新:2020/11/28 19:18

記録としてこの裁判の結果をブログに残しておきます。

以下は産経新聞のweb記事から。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://www.sankei.com/affairs/news/201119/afr2011190021-n1.html
元朝日新聞記者の敗訴確定 最高裁、慰安婦記事巡り
2020.11.19

 元朝日新聞記者の植村隆氏(62)が「従軍慰安婦」について書いた記事を「捏造(ねつぞう)」とされ名誉を傷つけられたとして、ジャーナリストの櫻井よしこ氏(75)と出版社3社(ブログ主註:新潮社、ワック社、ダイヤモンド社)に謝罪広告の掲載と損害賠償を求めた訴訟で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は植村氏の上告を退ける決定をした。18日付。請求を棄却した1、2審判決が確定した。

 1、2審判決によると、桜井氏は、韓国の元慰安婦の証言を取り上げた平成3年の朝日新聞の記事について「捏造」「意図的な虚偽報道」などとする論文を執筆し、週刊誌などに掲載された。植村氏は「事実に基づかない中傷で激しいバッシングを受け、家族も含め危険にさらされた」と平成27年に提訴した。

 1審札幌地裁は30年の判決で「櫻井氏が、記事の公正さに疑問を持ち、植村氏があえて事実と異なる記事を執筆したと信じたのには相当な理由がある」として請求を棄却。今年2月の2審札幌高裁判決も支持した。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

「棄却」とは「却下」(門前払い)とは事なり、審理をした上で請求を退けることなので、裁判所の意見(判断の理由)が述べられます。

「櫻井氏が、記事の公正さに疑問を持ち、植村氏があえて事実と異なる記事を執筆したと信じたのには相当な理由がある」とは、回りくどい言い方のようにも聞こえますが、植村隆氏の記事内容が捏造か否かは直接の争点でないものの、櫻井氏が捏造と思うのは当然だ(=真実相当性)という判断です。

その上で、一審では、名誉は毀損されたが公益性があるとして請求を棄却しました。

この一審の判断を高裁、最高裁とも支持したのですから、櫻井よしこ氏の完全勝利です。

 

問題となった記事は過去のエントリー『【朝日新聞慰安婦報道】櫻井よしこ氏側勝利判断は妥当である/附:慰安婦報道訂正記事』に貼ってありますが、金学順という元慰安婦の女性のインタビュー音声を聞いた(と主張する)植村氏が、それを元に書いた記事(1991年8月11日付け)で、事実と異なる「挺身隊の名で募集されて慰安婦された」という内容でした。しかし、金学順氏はその数日後の8月14日に記者会見をして、翌日付のハンギョレ新聞は彼女が母親によって40円でキーセンに売られたことを報じました。これは日本でも記事になっています。

ここで上の段落の2つの日付に注目すれば分かるように、植村氏の記事は(もし事実だったら)大スクープで、当然、韓国では大騒ぎになりました。なぜなら、これに先立って吉田清治氏が「女子挺身隊として慰安婦狩りをした」という(虚偽の)証言を本にしており、この当事者が見つかったことになるからです。

挺身隊とは勤労奉仕で工場などで働くことなので、もし、そう言われて募集に応じたのに慰安婦にされたというのですから日本でも衝撃が走りましたが、本人が「売られた」と言って、植村氏が聞いたと主張するテープの内容を完全に否定したわけです。また、彼はテープの複製もその時のメモも持っていないと言っています。

この記事に対する朝日新聞の言い訳は前述の過去のエントリーに掲載していますが、こちらの画像の左端です。

ここで、「挺身隊」と「慰安婦」の混同があったと書いてありますが、確かに韓国ではそのような混同があり、そのため、このテープを提供した団体も「韓国挺身隊問題対策協議会」(通称「挺対協」、現「正義連」)という名前で長い間活動してきました。しかし、日本人の記者である植村隆氏が間違えるはずもありません。

また、記事を書く半年ほど前に、植村氏は韓国の別の団体(「太平洋戦争犠牲者遺族会」)の代表の娘と結婚しています。この団体が当時日本政府に対して(自称)慰安婦被害者のための損害賠償裁判を起こしていました。娘婿である植村氏がこの裁判に有利な記事を書いたと思われてもしかたが無い部分があります。

ここまで読まれたら、櫻井よしこ氏でなくても「植村氏が【意図的に】捏造記事を書いた」と思うのに妥当性がある、そう思われてもしかたがない(=真実相当性がある)と理解できるでしょう。従って、彼女が書いた批判記事は「公益性」があるわけです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

2020/11/28追記

なお、植村氏は西岡力麗澤大学教授に対しても同様の裁判を起こしており、現在、二審まで西岡氏が勝訴していますが、3月3日の東京高裁判決では更に具体的且つ踏み込んだ判断を示しています。

  1. 金学順が女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本人相手に売春行為を強いられたとする事実と異なる記事を“敢えて”植村氏が書いた事は「真実」だと認められる。
  2. 金学順が経済的困窮のためキーセンに身売りされたという経歴を有している事を知っていたが、このことを記事にすると権力による強制連行という前提にとって都合が悪いため“敢えて”これを記事にしなかったという西岡氏の見方が「真実相当性」が認められる。
  3. 植村氏が“意図的に”事実と異なる記事を書いたのは権力による強制連行という前提を維持し、遺族会の幹部のである義母の裁判を有利に進める為であったという西岡氏の見方は「真実相当性」が認められる。

【参考動画】

 

現在、植村氏サイドは「捏造記者」のレッテルを非常に嫌がっているようで、氏の弁護士はSNS等を使って、捏造記者と呼んだら訴えるぞと不特定多数に向かって脅しています。

まあ、「植村氏は捏造記者と呼ばれてもしかたがない、限りなく黒に近いグレーな記者」でもいいのですが、ここまでするのは、おそらく、彼の義母がいまだに遺族会幹部でいることに関係あるのでしょう。西岡力教授の裁判も最高裁の勝訴は決まっています。その結果が正しく韓国側に報道されたら、義母の活動(植村ファミリーの活動と言ってもいいかも知れません)に支障が出るし、何よりも植村氏は今後日本でも韓国でも言論活動はできなくなります。

 

m9(^Д^)プギャー

 

なお、金学順氏が韓国で記者会見をした8月14日は現在「慰安婦の日」となっており、この日は様々なイベントが催されます。しかし、前述の通り、キーセンに売られたことを告白しただけの日なのですから、この記念日そのものが「嘘」で成り立っているということになります。

 

【参考】二審判決後の櫻井よしこ氏のブログ:2020.03.05 (木) 櫻井よしこから重要なお知らせです

 

 

  


 

 

 

2020/11/17

【NHK】『軍艦島』の歴史歪曲はNHKから始まった【虎ノ門ニュース(2020/11/17)】

公開:2020-11-17 14:37:01  最終更新:2020/11/20 7:36

 

先日予告された動画の本編が公開されました!
(約21分)

“負の遺産”軍艦島はNHKの捏造から始まった

 

以下は、11月17日に公開した文章です。

本日(11月17日)の『虎ノ門ニュース』火曜特集は、産業遺産情報センターの加藤康子氏と元島民でセンターのボランティアガイドを務める中村陽一氏(Skype出演)を招いて「被害者が証言 マスコミ取材の実態」でした。

 

20201117_gunkanjima01

 

中村陽一氏によると、週刊金曜日や朝日新聞、毎日新聞、共同通信等のマスコミ、活動家の矢野秀喜(※)氏等が時には身分を隠して取材し、時節柄(コロナ禍)で、入り口で芳名録への記入をしていますが、それに対して抵抗するのだそうです。

※矢野氏については当ブログの過去のエントリー『【軍艦島】韓国と反日メディアが目の敵にする産業遺産情報センター【虎ノ門ニュース(2020/09/01)】』でも取りあげています。

今回も、韓国で自称元島民と称してデタラメを言っているグ・ヨンチョル氏について触れていましたが、同窓会名簿や元島民の記憶にもグ・ヨンチョル氏に該当するような人物はいません。なお、彼はこういう経歴の持ち主です。

 

20201117_gunkanjima02

 

1949年 反政府運動で逮捕 3ヵ月後釈放
1950年 朝鮮労働党入党 パルチザンとして山岳地帯を中心に米軍を襲撃する武装活動
1954年 釜山市内に潜入した時に逮捕され無期懲役
1974年 20年間服役後出所
現在、汎民連・釜慶(釜山・慶北)連合顧問

 

韓国側が、「日本の元島民の証言は子供時代の記憶なので信憑性に欠ける」という趣旨のことを言って批判するそうですが、後述するように、東京ドームのたった1.3~1.4倍という狭い島で、ほとんどプライバシーがなかったので、子供でも十分に周囲の状況を把握していたと思われます。仮に朝鮮人労働者を“奴隷”として収容していたとしたら、たとえ子供でもその存在に気付くはずです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

さて、今回タイトルにした「『軍艦島』の歴史歪曲はNHKから始まった」とは、NHKが昭和30年に製作したドキュメンタリー番組『緑なき島』が完全にフィクションでありながら、韓国ではその映像が、あたかも事実のように利用されていることです。

なぜ、日本人が殆ど知らない30年前の作品を韓国人が知っているかというと、2015年に『軍艦島よ永遠に』というタイトルでNHKがDVDを製作・販売し、その中に『緑なき島』を収録しているからのようです。

 

20201117_gunkanjima03
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上の2枚の画像と下の画像は軍艦島の真実の公式YouTubeチャンネルに本日upされた1分の動画(予告編)『【緊急予告】“負の遺産”軍艦島はNHKの捏造から始まった』のキャプチャですが、下の画像は『緑なき島』に挿入された「再現映像」だとのことです。

 

20201117_gunkanjima05

 

しかし、坑道は最低でも1.5mほどの高さがあって、このように這って歩くことはなく、危険だから裸で作業することもない。炭鉱の中でヘッドライトを付けないのはあり得ない(ヘルメットにライトがない)とのことで、完全に捏造です。

【追記】ヘッドライト以外にも、出勤する作業員は作業着を着ているのに、画面が坑内に切り替わると裸(しかも、褌は全く汚れていない)だったり、坑道に付けられた照明は防爆型(覆いが付いている)ではなく裸電球。この映像のイメージは、朝鮮人労働者として使われた写真の炭鉱夫の姿や作業環境にそっくりなのです。そして、このDVDが韓国の「国立日帝強制動員歴史館」で使われているという...

 

20201120_gunkanjima_nhk01
20201120_gunkanjima_nhk02

【追記終わり】

 

このDVDは2015年発売なので、軍艦島を含む産業遺産が世界遺産に登録されるのを機に発売されたと思われますが、『緑なき島』を収録するところに“ある種の意図”が感じられないでしょうか?

つまり、「水を差して」やろうという意図です。

上でご紹介した動画は予告編で、本編は近日公開とのこと。

しかし、国民から視聴料を巻き上げておいて、反日的なプロパガンダをするNHKとは一体何なのでしょうか。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

もう一つ、良い動画をご紹介します。『軍艦島 産業遺産を歩く』(WAC/2014年製作/約25分)という動画で、テレビの『ガリレオX』という番組で放送されたものの傑作選の一つだそうです。動画は『月刊WILL』の公式YouTubeチャンネルにあります。

以下、動画のキャプチャを交えてご紹介しますが、東京ドームの1.4倍ほどの島は炭鉱エリアと居住エリアに分かれており、その居住エリアにはコンクリート製の住居が隙間無く建てられ、しかし、そこに、床屋や映画館、スナックバー、パチンコ店、麻雀店、ビリヤード場、そしてナイター設備のあるグラウンドやプールまであったそうです。

 

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このような設備が可能だったのは、各世帯の居住スペースは「寝るところ」だけで、それ以外の生活スペース、例えば風呂、炊事場、洗濯場等は、昔の長屋のような「共同生活」だったからです。

 

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こんな環境で育ったら、子供と言えども、周囲の人達はほとんど顔見知りで、状況は十分に把握していたに違いありません。

番組の中で元島民の方々が、今だったらあのプライバシーのなさは耐えられないよいうな話をされています。また、これだけ濃密な人間関係だったので、島を離れても「家族」のようになっているそうです。

最後にもう1枚の画像をご紹介します。

 

20201117_gunkanjima10

 

『軍艦島の真実』公式Twitterのツイートで知ったのですが、この男性は端島診療所に勤務されていた金圭沢氏という方で、元は通訳だったのが、後に診療所の助手となり、島民の間で「朝鮮人」と言えばまずこのキム先生が思い浮かぶのだそうです。

従って、グ・ヨンチョル氏のような存在はあり得ないのです。

 

 

  


 

 

 

 

2020/11/16

【韓国】『反日種族主義』(李栄薫著)に欠けていること

ブログ主は保守系韓国人の方が作るYouTube動画を観て、そこに書き込まれたコメントを翻訳ツールで読んで、必要があればコメントを返しています。(日本語だったり、英語だったり。)

そこにコメントを書くような韓国人は、いかに李氏朝鮮時代が未開だったのか、日本統治時代に韓国の発達の基礎が築かれたこと=植民地近代化論は理解しているのですが、なぜ、日本と朝鮮が併合に至ったのか、正確には、なぜ、朝鮮が日本に併合を依頼したのかを理解していない事に気付きます。

反日種族主義』(李栄薫著)は画期的な本で、(李栄薫教授は以前からそのような内容の本を書いていたのですが)多くの韓国人に読まれ、そこで真実を知って「反日種族主義」から脱することができたとは思うのですが、最近、上記のことに気付きました。

このことを『反日種族主義』で取りあげなかった理由は分かりませんが、李栄薫教授は「併合」自体は認めていないようです。ブログ主が『李承晩TV』の動画で理解できるのは日本語字幕付きのものくらいですが、その中でも、そのようなことを仰っていた記憶があります。しかし、その上で、しかも、身の危険を顧みず、客観的な数字から植民地近代化論を解説していることは大いに称賛を贈ります。

こうした本や動画で多少歴史の事実を分かった方が「李朝の王族は国を売って自分達だけ貴族となっていい思いをした」、「高宗は売国奴」などと言いますが、毎年、歳出が歳入を何倍も上回り、大韓帝国は、最早財政破綻をしていました。併合以前にそれを援助していたのが日本です。1910年にいきなり併合したわけではありません。

手元に『日韓併合 韓民族を救った「日帝36年」の真実』(崔基鎬著/2004年、2007年文庫化)という本がありますが、これによると、1904年度に日本から目賀田種太郎(1853-1926)を財政顧問に招聘し、日本政府は直接支出で援助します。1907年の朝鮮(大韓帝国)の国家歳入は748万円で、一方、歳出は3000万円以上だったので、差額は日本が支払っています。

おそらく、大韓帝国は日本にまるごと併合されなかったら、欧米列強に“食い散らかされて”いたでしょう。最早、高宗一人でどうにかできる状態ではなかったのが朝鮮であり大韓帝国でした。

日本が併合しなかったら、中国やロシアの一部になっていたと考える方もいるようですが、中国やロシアが朝鮮の借金を肩代わりしたとは思えません。それ程朝鮮は貧しい国でした。権益だけ貪って、朝鮮という国は消滅していたのではないでしょうか。

例えば、併合以前、京仁線の鉄道敷設権も日本がアメリカから買って開通(1900年)させました。併合以前にいかに日本が大韓帝国を自立させようと協力したか、しかし、結局自立できなかった。それが分からないので、日本がいきなり「植民地」化したなどという誤解が生じるのだと思います。

 

 

  


 

 

 

 

2020/11/15

【韓国】3.1独立運動の真実【YouTube】

『3.1独立運動』あるいは『万歳事件』というものがあります。

反日辞書として有名な広辞苑では以下のような説明が記されています。

 

さんいち‐どくりつうんどう【三‐一独立運動】
1919年3月1日、京城(現、ソウル)で起こった朝鮮民族の反日独立運動。朝鮮独立万歳を叫んで市内をデモ行進したので万歳事件ともいう。運動は次第に全国に波及して数カ月間続き、参加者は2百万に達した。朝鮮総督府はきびしい弾圧を加え、各地で虐殺事件が発生した。

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

 

「朝鮮独立万歳を叫んで市内をデモ行進」とはずいぶん平和的なデモのようです。それなのに、そのような人々を虐殺した日本人はなんとひどいことをしたのだ!と思うでしょう。しかし、実際は警察署や村役場、小学校を襲い、破壊や放火、投石、暴行が行われた「暴動」でした。

日本がしたことには根拠無く「○○大虐殺」とかつけるくせに、これは「運動」ですか。まったく、日本の歴史学会の自虐ぶりには呆れます。

 

3.1独立運動の背景には、1918年に第28代米大統領ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)が提唱した「民族自決主義」があります。そこで、まず、日本に留学していた朝鮮人(朝鮮系日本人、以下朝鮮人)留学生に独立の気運が高まり、決起(2.8運動)。それが朝鮮半島でも起こったものです。中心となったのは天道教(朝鮮の土着の宗教)キリスト教、そして仏教関係者ですが、学生も加わり、大暴動になりました。

実際に、日本の統治に対する不満はあったと思います。事実、この事件をきっかけとして、朝鮮統治は武断政治から文事政治にシフトしました。

 

怪我人や死者数については、朝鮮総督府発表のものや朝鮮軍司令部発表のものがありますが、韓国では独立運動家・朴殷植がまとめた数字を公式の物としているそうです。

  • 朝鮮総督府発表(1919年6月20日) 死者:553名(憲兵・警察官:8名)、負傷者:1409名(158名)
  • 『独立運動の血史』(朴殷植著/1920年) 死者:7509名、負傷者:15961名

※朝鮮軍司令部の数字は朝鮮総督府発表のものより少ない。

※朴殷植は日韓併合後亡命生活を送り、上海にいた安昌浩や李光洙等の資料をまとめたもので重複もあり、不正確。

 

しかし、なぜ、このような大規模な運動になったのでしょうか?

それを「湿TV」さんが動画で説明してくれています。

 

 

上記動画をご覧になったら分かるように、あちこちの掲示板にデモに参加するように脅迫する張り紙をしたのだそうです。(動画キャプチャ:文書は政府の国史編纂委員会のデータベースだそうです。)

 

20201113_31banzai01

万が一、休学しない者がいたら決死団が貴重な命を奪うだろう

 

動画では他にも同様の警告文が紹介されています。

下は、別の資料でしょうか? 動画では説明がありませんでしたが、博物館かどこかの展示物のように見えます。拡大して見てみましたが、ワープロ文字のようで、実際のビラやそのレプリカではないのかも知れません。

 

20201113_31banzai02

大韓独立万歳、言わないと注意しなさい

 

これと全く同じ文面ではないかも知れませんが、上述のデータベースからよく似た文面のビラが紹介されます。

 

20201113_31banzai03

大韓独立万歳、言わないと火に注意しなさい

 

要するに放火するぞと脅しているのです。

この文書を「大韓獨立萬萬歳」をキーワードにしてデータベースに見つけました。右側の手書きビラには「大韓独立萬々歳 唱ヘサレバ 注意スベシ」と書かれています。

 

20201113_31banzai04

 

こうした動員があったことは本で読んでいましたが、そういうことをいくら日本人が言っても、また、日本語の本をソースとしても、韓国人は聞く耳を持たないのですが、さすがに韓国人が政府公認のハングルの資料を使って説明すると理解して貰えるようです。

 

しかし、これって、BLM運動みたいですね。不満分子が暴れただけ、みたいな。

ところで、前述のウィルソン大統領が唱えた民族自決はの対象にはアジア人など入っていません。彼は白人優性主義者で差別主義者でした。今回のBLM運動がきっかけで、プリストン大学が元学長のウィルソンの名前を冠したものから大学がその名前を外したのは記憶に新しいところです。

 

この後、上海に臨時政府が「樹立」され、独立軍と称するゴロツキが各地で暴れ回ります。『親日派のための弁明2』(金 完燮/キム・ワンソプ著)によると、1920年から40年までの朝鮮日報には、独立国、馬賊、匪賊に関する記事が395回も登場するそうです。

そして、これら自称独立軍兵士とその子孫は現在「独立有功者」として年金を貰っているのです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

ブログ主の手元に『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(任文桓・著)という本があります。

著者は1907年生まれなので、普通学校の時(12歳)に3.1を経験しています。彼は「万歳運動」を良いことだと考え、友人と3人で太極旗を作り、小高い丘の上で何度も万歳を叫んだところ、刑事がやって来て警察署に連れて行かれます。警察署長は3人に自分の名前と父親の名前を黒板に書くように命じます。3人は、父親の名前を自分の名前より高い位置に書きました。すると、それを見た署長は笑いだし、「教育が行き届いている。帰って宜しい。」と、許してくれました。それから数日後、学校の校長が3人を呼び出し、「警察署長が褒めていた」と言って、飴玉をくれたそうです。

なお、著者は、本のタイトル通り、朝鮮人(朝鮮系日本人)として、東京大学法学部を卒業した後、朝鮮総督府に官僚として勤め、終戦後、一旦解雇されますが、再び大韓民国の官僚となった人です。この本は元々日本語で書かれました。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

3.1独立運動のヒロインとして、柳寛順(ユ・グァンスン)という当時16歳の女学生がいます。彼女は韓国にとって安重根のような「反日のシンボル」なのですが、記録としてはそのような名前の女性が懲役刑(1年半)を受けたことしか分からないのですが、何故か韓国では、投獄されても度々「独立万歳」と叫んだので拷問されて殺された、ということになっています。(いつもの事ながら、彼女をヒロインにした反日映画も作られています。)

最早、こういうのいちいち付き合っていたら切りが無いからか、ブログ主も知りませんでしたが、女学生の柳寛順と、現在彼女を映したものとされる写真の女性は別人ではないかと考える人もいるようです。(投獄された女性は泥棒をした中年女性ではないか?というもの)

ブログ主の覚え書きとして、それを考察したYoutuberの「友達」さんの動画「柳寛順は偽者だ」("유관순"은 가짜다.)とコミュニティページのURLを貼っておきます。(後から探すのが大変なので)

 

 

  


 

 

 

 

2020/11/11

【反日は精神病】韓国で100ウォン硬貨の図柄変更-その理由は?

韓国で100ウォン硬貨の図柄が変わるそうです。

 

20201110_100won01

 

100ウォン硬貨の肖像画は李舜臣ですが、理由は、この肖像画を描いた画家が「親日派」という理由です。

これ以外に、5千ウォン札、1万ウォン札、5万ウォン札の肖像画も同じ理由で変更を審議中だとのことです。

 

20201110_won_bill

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

以下、中央日報の記事『100원 동전 속 이순신 얼굴 바뀌나…"친일 화가가 그렸다"』の機械翻訳ママ。

 

100ウォン玉の李舜臣の顔が変わるのか「親日画家が描いた」

入力2020.11.10 09:55修正2020.11.10 10:03

100ウォン玉に刻まれた忠武公·李舜臣(イ·スンシン)将軍の遺影が近く、変わる予定だ。 作家の親日行為のためだ。 韓国銀行(韓銀)は今後、親日画家が描いた貨幣の偉人たちの影像が標準影像の指定から解除される場合、新しい絵に変えると明らかにした。

10日、中央銀行の韓国銀行(韓銀)によると、貨幤図案の偉人肖像に対する政府の標準影幀指定が解除された場合、韓銀は図案変更を検討する計画だ。 これに先立ち、韓銀は貨幣の公共性を考慮し、政府が定めた標準影像を貨幣図案として使用してきた。

標準肖像画は、一人の人物の肖像画が乱立するのを防ぐため、文化体育観光部長官が一つに指定したものだ。 最近、標準影像を描いた作家たちが親日行為をした行為者に分類され、彼らが描いた標準影像の指定を解除すべきだという意見が出た。

現用貨幣のうち、100ウォン札(李舜臣)、5000ウォン札(栗谷李珥)、1万ウォン札(世宗大王)、5万ウォン札(申師任堂)の政府標準影幀の作家は09年、大統領直属の親日反民族行為真相究明委員会から親日反民族行為者に分類された李舜臣の影像は張遇聖(チャン·ウソン)画伯が、李珥と申師任堂の影像は金殷鎬(キム·ウンホ)画伯が、世宗大王影像は金基昶(キム·ギチャン)画伯が描いた

彼らのうち、100ウォン玉に刻まれた李舜臣(イ·スンシン)将軍の遺影写真が最初に印刷される予定だ。 6月に顕忠祠管理所は100ウォンの標準影像の指定解除を申請した。 このため、文化体育観光部(文化部)のヨンジョン銅像審議委員会でも解除を審議中であり、近く結論が出る見通しだ。

韓銀の関係者は「忠武公·李舜臣(イ·スンシン)将軍の肖像画の標準肖像画指定を解除するかどうかが最初に決まるはずだから、変えることになれば100ウォン札の姿が先に変わるだろう」とし「100ウォン札は現在のコインを溶かして新たに作ればいいので、大きさや材質を変えない限り、取り替えに大金はかからない」と明らかにした。

一方、張遇聖(チャン·ウソン)画伯が描いた李舜臣(イ·スンシン)将軍の遺影は、1983年から100ウォンの表を飾ってきた。 これに先立ち、彼が描いた柳寛順烈士の肖像画も、1978年に標準肖像画になったが、その後指定解除されたことがある。

5000ウォン券、1万ウォン券、5万ウォン券などの紙幣は現在、標準影像指定解除の申請が受け付けられていない状態だ。 ただ、パクヤンウ文化体育観光部長官は先月の国政監査で、忠武公の影幀のほかに親日活動疑惑がある画家が描いた遺影13位を所有者の申請なしにも文化体育観光部が指定解除できるかどうかを検討すると明らかにした。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

別の記事によると、3種の紙幣の絵柄を変えるのに必要な費用は約4700億ウォン(約450億円)だそうですが。

 

ところで、現在の100ウォン硬貨の肖像の元の絵を描いた画家はどういう人なのか、気になって調べてみました。

 

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張遇聖(장우성)
1912年6月22日 - 2005年2月28日

 

上の記事にもあるように、張遇聖(チャン·ウソン)という画家だそうで、1年前の記事『チャン·ウソン 将軍「李舜臣将軍標準肖像画」の更新を申請したが、文体部が差し戻し』(2019.10.01/原題:장우성 '이순신 장군 표준영정' 교체 신청했는데 문체부 반려)によると、

 

張画伯は、1941年に朝鮮総督府が主管した朝鮮美術展覧会で総督賞を受賞し、日帝を称賛する作品を多数出品して、08年に民族問題研究所が発刊した親日人名事典に収録されている。 2009年に大統領直属の親日反民族行為真相究明委員会が発刊した『親日反民族行為関係史料集』でも親日行為が明らかになっている。

 

という理由だそうです。

朝鮮美術展覧会とは、さしずめ「日展」のようなものなのでしょうね。

この人の他の作品を見てみましたが、下図のような、所謂「日本画」です。別の記事によると、生前、「親日画家」のレッテルを貼られて、その画風から日本画の要素を消したのだそうです。

 

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운봉(雲峰, 1991)出典:朝鮮日報記事

 

それにしても、日展のような展覧会を開いてて、どこが“略奪と搾取の日帝強占期”なんでしょうかね。

 

下の画像は張画伯の描いた李舜臣の肖像画で「標準肖像」に指定されている絵(部分)だそうです。

 

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反日は精神病

 

Googleで、韓国語で「反日は」と入力すると、「精神病」とサジェストされるそうです。

 

あ、念のため、記事に付けられた読者のコメントを読んでみると、さすがにほとんどのコメントが呆れています。(以下、読みやすく評価数が多目のものをいくつかピックアップしてみました。翻訳ママ。)

引用元:https://news.joins.com/article/23916706

 

tjle****2020-11-10 16:21:27

気違い沙汰だね。 それでは地籍図、林野図、原野に焼き払え。 日本の植民地 時代に総督府がつくり、不動産制度も珍しく土地と建物を別々に取り引きする。 これも日帝の残題だ。 捨てろ、日帝時代に作られた貯水池や鉄道線路もすべて掘り起こしてしまえ。

賛成する19
反対する1


Keem*****2020-11-10 15:38:48

「今がある時代なのに、まだ解放ベビー意識レベルから脱することができないのか」。 劣等感の発露か、それとも国民の関心をそらすための声東撃西か。 そう、私は親日派だ。 私は日本人が好きだ, その勤勉性を尊敬する. 不義に屈しないオリジナル良心家たちを尊敬する。 セウォル号を、「盧大統領」を売って自分の利益だけを取る「左腕の思惑」よりははるかに良い。 「大衆先生(金大中?)の命を助けた人が日本政府なのに、なぜその事実に背を向けるのか」。 大韓民国の発展の土台は日本なのに、なぜその事実に背を向けるのか。 未来志向すべき同伴者として共に呼吸しなければならない最も近い国であるにもかかわらず、親日行為をして自分の利益だけを得ようとする人々、必ず次の世代にまでその長年のわだかまりを残さなければならないのか。 ベトナム国民を残忍に踏みにじった大韓民国に、そのような資格があるのか。

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反対する1

【ブログ主註】

  • 声東撃西:(せいとうげきせい)は兵法三十六計の第六計にあたる戦術。「東に声して西を撃つ」の意味。東を撃つと声言して実は西を撃つ。用兵の奇に出でて勝を制する策。
    韓国人は日本人より多くの四字熟語を使う印象があります。


Mazd*****2020-11-10 15:25:53

親日論議のある画家ではなく、ただの親日画家だ。

賛成する4
反対する9

 

  


 

 

 

 

2020/11/10

【韓国・北朝鮮・朝鮮総連】在日朝鮮人の帰還事業は「強制移住」と韓国団体が国連に調査請求【NHKスペシャル】

聯合ニュースに在日朝鮮人の帰還事業に関する少し気になる記事があったので記録しておきます。また、ついでに昨年(2019年)6月に放送されたBS1スペシャル「北朝鮮への“帰国事業”知られざる外交戦・60年後の告白」の内容もまとめておくことにします。

記事を最初に提示します。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://jp.yna.co.kr/view/AJP20201109002300882
在日朝鮮人の帰国事業は「強制移住」 国連に調査要求=韓国団体
2020.11.09

【ソウル聯合ニュース】北朝鮮の人権問題に取り組む韓国の社団法人「北韓人権市民連合」は9日、ソウル市内で記者会見を開き、在日朝鮮人の帰国事業について、「自由な意思で北に渡った人道目的の帰国事業とされているが、実状は北の政府によって体系的に企画・推進された強制移住だった」と主張した。

 同事業は北朝鮮側と日本側が結んだ「在日朝鮮人の帰還に関する協定」に基づき、1959年から84年にかけて在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させたものだ。

 北韓人権市民連合は同事業を主導した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)について、「北の政府と情報機関の指示を受け、虚偽の情報で大規模な宣伝活動を行った」とし、「事実上、北の情報機関となった」と指摘した。

 また、在日朝鮮人は北朝鮮に到着した瞬間から監視対象、差別・強制労働の被害者となり、不満を表したり脱北を図ったりした人は行方不明になったか拘禁されたと主張した。

 その上で、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)やソウルにある国連人権事務所、国連で北朝鮮の人権問題を担当する特別報告者、国連人権理事会の強制的失踪作業部会などに対し、北朝鮮政権が犯した人道犯罪である同事業の調査に着手し、国際司法の場で犯罪責任を立証するよう求めた

 同事業が広範囲にわたって行われたのは日本政府と旧ソ連政府、日本赤十字社、赤十字国際委員会などの支援があったためとして、日本政府などに対する調査も行うよう促した。

引用ここまで。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

ここに出てくる「北韓人権市民連合」とは韓国の報道なので「北韓」となっていますが、日本的に言えば「北朝鮮人権市民連合」で、韓国内で脱北者の援助などを行っている人権NGO団体です。

記事を読んで分かるように、「~と主張」、「(国連組織に)~を要請」というだけで、すぐに何かが起こるわけではありません。が、朝鮮総連が重要な役割を担って帰還事業が行われたことを指摘しており、このNGO団体の活動は心に留めておくべきと思います。

ネットで調べた所、よく記事を読まずに「また日本にたかろうとしている」といった書き込みが見られるのですが、この団体は北朝鮮の犯罪を追及しているのだと思われます。当然、日本政府や日赤は当事者の一員として証言や資料は求められるでしょう。

 

なお、後述するNHKの番組にも出演されている津田塾大の朴正鎮(パクジョンジン)教授(政治学)のインタビューがネットにあったので引用します。良いインタビュー記事で、帰還事業の概要がコンパクトにまとまっています。

詳細な経緯はWikipedia『在日朝鮮人の帰還事業』を参照のこと。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/26821
北朝鮮帰国事業60年 研究者に聞く 各国の思惑、客観的に検証を
2019年12月9日 16時00分

 「地上の楽園」と喧伝(けんでん)され、北朝鮮に9万人を超える在日朝鮮人や日本人配偶者が北朝鮮に渡った「帰国事業」の開始から、14日で60年()になる。帰国後の生活になじめず、苦しい生活を強いられた人も多いとされる。帰国事業とは何だったのか。韓国出身で、事業に関連した政府や団体への調査、外交資料などの研究を続けてきた津田塾大の朴正鎮(パクジョンジン)教授(政治学)に聞いた。 (聞き手・相坂穰、写真も)

※ブログ主註:1959年12月14日、975名の帰還者を乗せた第一便が新潟を出航。これに先立つこと同年2月13日に北朝鮮への帰還事業実施が閣議決定(岸信介内閣)、8月、日朝の赤十字社間で帰還協定を締結。この協定による帰還事業は1年毎に更新され、67年末まで続く。3年間の中断を経て、71年に再開。84年7月まで続く。71年からの帰還事業は明らかに前期(~67年)とは様相が異なっていた。詳しくは後述のNHKスペシャルの内容を参照のこと。

 

 -帰国事業の背景は。

 一つは、北朝鮮が労働力として在日朝鮮人を必要としたとされる。後年公開された内部資料で、日本政府も、生活保護費などの財政負担も大きかった在日を厄介払いする狙い)があったことが分かっている。
 ただ、日朝の思惑だけで、十万人近い規模の移住が可能だったとは考えない。
 一九六〇年前後は、日米間の軍事協力を巡る安保闘争が激化した時期。その中で、帰国事業は社会主義陣営の反安保闘争の側面があった。初期の帰国船としてソ連の旧軍艦を改造した船が使われるなど、ソ連、中国の関与も大きかった。帰国事業は、資本主義体制から社会主義体制への組織的な移住だったとみる。

※終戦直後から1948年8月15日迄の3年間で約140万人が帰国し、この時点では約60万人の残留在日朝鮮人がいた。後期には朝鮮から日本に来る密入国者も多く、逮捕した朝鮮人を送還する船がGHQにより認められ、これで帰国した者もいる。(cf. 済州島4.3事件 1948年4月 - 1949年5月)
戦後の帰還者に関する詳細はブログエントリー『【韓国】戦後3年間の在日朝鮮人引き揚げ推移(1948年で60万人が残留→59年には61万人=所謂「在日韓国人・朝鮮人」)』参照。

1954年4月7日 衆議院外務委員会にて自由党・佐々木盛雄議員が、「日本における犯罪のうち、10%は朝鮮人による悪質な犯罪」、「ところがこれに対して、日本は生活保護法で扶助している」と吉田内閣を追及。

 

 -なぜ北朝鮮を選択したのか。

 「帰国」というが、当時の在日の大部分は、現在は韓国が統治する朝鮮半島南部の慶尚道(キョンサンド)や済州島(チェジュド)出身だった。彼らは単純に祖国に帰ったのではない。北朝鮮は日本で朝鮮学校設立を進め、在日の子どもの将来を考える親たちに浸透した。
 韓国は当時、終戦直後の朝鮮人の引き揚げ事業は終了したとして、在日の受け入れには消極的だった。日本側に帰国者の「帰国定着金」の負担を要求ブログ主註:李承晩政権)するなど、何の支援もしなかった。韓国では、帰国事業を敵対する北に自国民を送る「北送」と呼び、過剰に反発)したが、国際的支持は得られなかった。日朝だけでなく、韓国の責任もある。

※ブログ主註:民団を中心として日本でも在日韓国人のデモが起こる。cf. Wikipedia「新潟日赤センター爆破未遂事件
民団は、人道的見地から等と言っていますが、北への対抗心からでしょう。また、日本各地で騒擾事件を起こしていて「人道」などというのはおこがましい。

 

 -証言を記録する上での課題は。

 特定の国だけを批判する内容に終わってはならない。たとえば、韓国は、在日に対する理解が浅く、脱北した帰国者も、一般の脱北者と同列にとらえられる。脱北者問題に積極的なのは、北朝鮮に強硬姿勢を取る保守。革新の文在寅(ムンジェイン)政権は人道主義を掲げつつも、脱北者の人権については北朝鮮との関係を優先し、関心が薄い。両派のイデオロギー論争とは距離を置くべきだ。

 

<北朝鮮帰国事業> 日朝両政府が推進し、両国の赤十字が1959~84年に実施。在日コリアンや日本人妻ら9万3340人が、新潟港から帰国船で北朝鮮に渡った。差別や貧困に苦しむ在日の期待に応え在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)を中心に活発化したが、在日人口を減らしたい日本政府と、労働者を必要とした北朝鮮の狙いも重なったとされる。

<パク・ジョンジン> 1972年、ソウル生まれ。2009年、東京大総合文化研究科博士課程修了。13年、津田塾大学芸学部准教授、18年11月から現職。著書に「日朝冷戦構造の誕生1945-65」、「帰国運動とは何だったのか-封印された日朝関係史」(共著)など。

 

帰還事業に関しては日本政府と日赤を主犯のように言う研究家もいるそうですが、上記のように朴教授はそれは過大評価だという立場です。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

BS1スペシャル「北朝鮮への“帰国事業”知られざる外交戦・60年後の告白」

放送日:6月16日(日)午後10時00分/再放送:17日(月)午前9時~10時50分

この番組は当初ETV特集としてEテレで放送し、NHKが総連から抗議を受けたものをBS1が放送しました。以下は、ブログ主がこの番組を観ながらTwitterにメモした内容をほぼそのまま転載したものですが、再視聴して加筆する可能性があります。

なお、番組は帰還事業の経緯と、帰還事業で北朝鮮に渡ってその後脱北した脱北者夫婦(韓国在住)と日本人妻(日本在住で北朝鮮に対して損害賠償請求をしている)のインタビューで構成されています。

 

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朝鮮総連からの抗議文(加藤健氏/チャンネル桜・討論より)

 

【番組内容】

50年代、日本はアメリカ一辺倒ではない自主外交を開始する。朝鮮半島については韓国より北朝鮮との交渉が先行。ソ連とも。
それは在留日本人の帰還という問題もあったからだ。56年1月、平壌で初交渉。そこで北から思いがけず在日朝鮮人の問題を出される。その裏にはソ連の助言があった。

戦後、欧州では東側陣営から西に脱出が相次いでいた。ソ連としては、北朝鮮への帰還事業を通じて、共産主義社会の資本主義社会に対する優位性を示したかった。

在日朝鮮人の約9割は南(つまり、戦後は韓国)から。北朝鮮の思惑は、南の人間が北に移住することが韓国に対する「勝利」と考えた。また、帰還事業で日韓関係に“くさび”を打ちたかった。尤も、当初は1000人以下を見込んでいた。しかし、前述のソ連の思惑で説得される。

当時、在日朝鮮人60万人の内、10万人が生活保護を受けていた。これは日本人の11倍の生活保護率。日本政府はこれを取り除きたかった。しかし、「帰国は自主性を尊重」という態度を示すため、第三者機関の国際赤十字に意思確認を要請する。

この動きに韓国(李承晩)は反発。アメリカが「韓国への帰還事業も行う」という提案をする。しかし、韓国は帰還者の「定着金」を日本が出すよう要求してアメリカは仲裁を断念。米国は戦後自主外交で北朝鮮やソ連に近づく日本に対し「赤化」を危惧していたが、日本は帰還事業について説明し、米国はこれを了解していた。米国は日韓関係の悪化を危惧して仲介役をしようと韓国に接していた。

そもそも、帰還事業は日本の朝鮮総連()が金日成にそれを要請する手紙を書いたことがきっかけ。総連は国内で集会を開き、「地上の楽園」を宣伝。在日朝鮮人の間に帰還の機運が高まっていた。
マスコミも取り上げ、国会では超党派の帰国協力会も結成された。

※朝鮮総連の前身(朝連)は元々は在日朝鮮人の互助組織。しかし、日本共産党員の金天海がトップに就くと、内部の親日派や民族派を追い出して、日共の別働隊になる。その後、民団の前身組織と血で血を洗う抗争に。この辺りの歴史は『ヤクザと妓生が作った大韓民国 ~日韓戦後裏面史』(菅沼 光弘著/インタビュー・構成:但馬オサム)に詳しい。

1959年8月、インドのカルカッタで帰還協定調印。12月14日に第一便(ソ連の客船)
これを民団が出港地の新潟に向かう列車の線路に座り込んだりして邪魔をする。政府関係者は列車が爆破されるのではないかとまで心配していたという。

番組に登場した脱北者(韓国在住)は、帰還船を降りて間もなく、出迎えの人達の身なりを見て「地上の楽園」の嘘に気付いたという。逆に、出迎えた側も、痩せこけた同胞が来ると思ったら、全く違うので驚いたという。

帰国者は北朝鮮国内で浮いていた。チェポ=在胞(在日同胞)と呼ばれ、中央も、帰国者を人民に悪い影響を与えると見なした。
北では「出身成分」()という考えがある。核心階層、動揺階層、敵対階層だ。帰国者は「金日成への忠誠が揺らぐ可能性がある」として動揺階層に分類される。

※『徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』によると、帰国者は資本家や地主、南出身者と同様の「敵対階層」と書かれている。要するに危険分子扱い。帰国者の収容所送りや粛正はマグジャビ(人間狩り)と呼ばれた。

1960年半ばになると金日成の独裁体制が強まり、一方、韓国は65年に日本と国交正常化。漢江の奇跡と呼ばれる経済成長。韓国に対抗するため、軍事費を増大させ、益々国民の生活は苦しくなる。帰還事業も一旦終了するが、その後も日赤に帰還の要請が相次ぐ。但し、意味が違っていた。

帰還要請の電話は明らかに組織的だった。帰還者は総連の幹部の家族。これは北からの命令で、謂わば「人質」であり、日本からの外貨を獲得するためのパイプであった。総連を通して200もの企業が作られ、家族に会いに来る「祖国訪問団」は金づる。万景峰号が港に近づくと「金が来た!」。

この「人質」作戦は金日成の後継者として70年代に台頭してきた金正日のアイディアだという。73年には国家政治保衛部(秘密警察)を発足させる。
80年代に入ると帰国者は年に数十人に落ち込み、84年に終了する。帰還者の総数は9万3340人という。

 

番組内容はここまで。

 

帰還事業に関するマスメディアや進歩的言論人の役割

徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』より引用します。

在日朝鮮人はそもそも38度線より南出身者が多かったので元々北に対する郷愁はない。 そのため、帰国事業を推進する国際赤十字委員会は本当に帰国の意思があるかどうか確認しようとした。しかし北朝鮮政府が反対。北の主張に加担したのは雑誌『世界』(岩波書店)で、59年6月号では 朝鮮労働党機関誌『労働新聞』59年3月17日の社説まで転載して北の立場を支援した。結局は本人への意思確認が必要と言うことになったが、北と総連は「共和国は地上の楽園」キャンペーンを行う。それを支援したのも『世界』(P.211)で、60年6月号では帰国協力会の代表委員だった自民党の岩本信行代議士が、それまでの帰国者1万6千人の北での暮らしぶりを訪ねた報告を掲載する。60年は他のマスコミ各社も北朝鮮の現地取材をしたが、どれも同じように北の豊かさを喧伝するものだった (P.212)

 

一旦ここまでで公開します。

 

 

  


 

 

 

 

2020/11/08

【韓国】庚戌国恥(日韓併合)を象徴する写真「景福宮に掲げられた日章旗」の嘘

韓国では様々な捏造写真を使って反日教育が行われています。

国共内戦(中国の内戦)の写真を日本軍の蛮行の証拠としたり、最近では日本人労働者の写真を「朝鮮半島出身強制徴用労働者」として教科書に掲載したり...

こういうものは日本人の目に留まり、それなりに反論できますが、目立たない小さな捏造もあることが「湿TV」さんのこちらの動画(경복궁의일장기【景福宮に日章旗】)で解説されています。

 

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このYouTubeチャンネルの管理者は日本に在住している韓国人で、所謂「old comer」(在日○世)ではなく、new comerと呼ばれる、最近いらした方で、韓国語で韓国の反日病を批判する動画を発信しています。最近の動画は日本語の字幕をつけているので、日本人視聴者も増えたようですが、韓国人の方のコメントを読むと、真実を知っているのに、それを語り合う仲間がいない韓国人の避難場所のような印象を受けます。まるで、「王様の耳はロバの耳」(言いたいことを井戸に向かって叫ぶという寓話)というイソップ童話の井戸のようなものです。

 

問題の写真(景福宮に掲げられた日章旗)の詳しい解説は動画に譲りますが、1910年の「庚戌国恥」(日韓併合の恥辱)を象徴するものとして頻繁に使われるというこの写真は、実は1915年の「朝鮮物産共進会」の時のもので、併合後、主がいなくなって公園化された景福宮(王宮)を会場とした博覧会の一コマです。要するに、イベントだから日章旗を掲げているに過ぎないわけです。

それを、「併合すると真っ先に王宮に日章旗を掲げて我々に屈辱を与えた」という趣旨のプロパガンダに使っているとは知りませんでした。

 

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朝鮮物産共進会のポスター

 

ところで、「朝鮮物産共進会」は博覧会と書きましたが、「1915年朝鮮物産共進会の構成と内容」(李泰文)という論文(PDFファイル)に詳しく解説されいるように、主目的は併合後5年経っての統治の成果を内外に知らしめる為だとは思いますが、その内容を見ると、映画や朝鮮の伝統公演を含むショーがあったり、記念飛行(動画で解説されていますが、今で言うとブルーインパルスによる飛行ショーのようなもの)、宝探しゲームや福引きがあったりと、娯楽の部分も大きかったようで、前述の論文によると、来場者の内訳は以下の通りで、多くの朝鮮人(この時点では「朝鮮系日本人」)が見物に訪れています。

 

朝鮮物産共進会の入場客数

内地人 昼 206,039人 夜  93,502人
朝鮮人 昼 472,503人 夜 254,651人
支那人 昼  3,326人 夜  1,333人
外国人 昼  1,705人 夜   938人
無料者 昼  88,953人 夜  41,214人

総計 1,164,383名

 

なお、話が前後しますが、景福宮は秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)で王が逃げ出した為、朝鮮人によって略奪・放火により焼失したものが、19世紀に再建されました。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

百年歴史さんという韓国人Youtuberがコミュニティページにこの博覧会を訪れた朝鮮人の感想を掲載して日本語訳も追加して下さいました。1915年11月の『朝鮮徽報』に掲載された文だそうですが、その一部をご紹介します。

- 咸鏡南道霊興郡虎島面長は、市政5年間、朝鮮の発展状況を共進会を通じて自ら目撃できたと述べ、驚きを禁じえなかったと話している。 殖産、工業その他の改良を要する分野が非常に多いが、我々は漁具の改良と湿田の排水方法を講じて韓電に改良することが急務と考えられ、自らこれを実行するとして現在計画中だという。

- 함남 영흥군 호도면장은 시정 5년 동안 조선의 발전상황을 공진회를 통해 친히 목격할 수 있었다며 이에 놀라지 않을 수 없었다고 하였다. 식산, 공업 기타 개량을 요하는 분야가 매우 많지만, 우리는 어구 개량과 습전의 배수방법을 강구해 한전으로 개량하는 것이 급선무라고 생각되며 스스로 이를 실행하겠다며 현재 계획 중이라고 한다.


- 医療器具と模型を見て、医術の進歩に驚かざるを得なかった。 これを韓医学の鍼灸術と比べてみると、天と地の差が感じられる。 従来の医術が浅薄だったために夭折した青年の中で、もしこれを早く知っていればよかったとため息をついた者もいる。

- 의료기구와 모형을 보고 의술의 진보에 놀라지 않을 수 없었다. 이것을 한의학의 침구술과 비교해 보면 하늘과 땅 차이를 느끼게 된다. 종래의 의술이 천박했기 때문에 요절한 청년 가운데 만약 이것을 일찍이 알았더라면 좋았을 것이라고 하면서 탄식한 자도 있다.

- 京城の衛生設備が完了しているのを見て驚いた。 至るところでその清潔さに感動したと言う者が少なくなかった。

- 경성의 위생 설비가 완료되어 있는 것을 보고 놀랐다. 이르는 곳마다 그 청결함에 감동했다고 말하는 자가 적지 않았다.

- 京城の朝鮮婦人が人々の視線を気にせず道を歩き、それぞれ業務に従事している状況を見て、これが文明の収入であり、新教育の結果だと実感した者がいるという。

- 경성의 조선 부인이 사람들의 시선에 아랑곳하지 않고 길을 걷고, 각기 업무에 종사하는 상황을 보고 이것이 문명의 수입이며 신교육의 결과라고 실감한 자가 있다고 한다.

- 朝鮮開国以来、これほど多くの人が集まったのは初めてだろう。 昔は一人でソウルに行くとたびたび強盗やその他の讒訴にあうなど、不意の災難に遭い、ソウル行きを恐れていた。 しかし、今は可能なところごとに警察機関が普及し、単身で旅行してもいかなる危険もないだけでなく、平和な宿泊を提供しており、共進会観覧者に対する警察の保護もきちんと行われ感謝を感じる。

- 조선 개국 이래 이처럼 많은 사람이 모인 것은 처음일 것이다. 예전에는 혼자 서울에 가면 왕왕 강도나 기타 참소를 당하는 등 불의의 재앙을 입곤하여 서울 가기를 두려워하였다. 그러나 지금은 가는 곳마다 경찰기관이 보급되어 단신으로 여행해도 어떠한 위험도 없을 뿐만 아니라 평안한 숙박을 제공하고 있고, 공진회 관람자에 대한 경찰의 보호가 잘 이루어져 감사함을 느낀다.

- 工業伝習所の製作品を見て、朝鮮人も実力を磨けば、そのような技術が得られるということに気づき感嘆した。

- 공업전습소 제작품을 보고 조선인도 실력을 연마하면 그러한 기술을 얻을 수 있다는 것을 깨닫고 감탄했다.

 

以前のエントリーで「3.1独立運動の真実」について書きましたが、韓国では憲法に建国の精神として謳われているこの独立運動は1919年に起こりました。朝鮮人は本当に朝鮮時代に戻りたかったのでしょうか?

 

 

  


 

 

 

2020/11/05

【韓国】またぞろ言い出した「好太王碑文日帝改竄説」/日本は百済が造った!?

今回ご紹介するのは中央日報に掲載された記事ですが、『広開土大王碑文、日帝が変造したに違いない』(機械翻訳、原題は“광개토대왕 비문, 일제가 변조한 게 맞다”)というタイトルで、『消えた碑文を探して』〔増補版/キム·ビョンギ著/原題:『사라진 비문을 찾아서』김병기著〕という本の書評です。

 

202010331_koutaiou_hi

 

好太王碑」というのは高句麗の好太王(広開土王)の偉業を称えて没後の西暦414年10月28日(碑文より)に建てられた顕彰碑であり、そこには、日本(倭)に関する記述があるので、歴史資料としても一級のものです。

詳細は後述しますが、高句麗の好太王の碑文から1883年(明治16年)に日本人が取った拓本は改竄されたものという説を1972年に在日朝鮮人の学者が唱え、それは2006年に中国の学者が更に古い拓本を発見したことで改竄はないと分かり、一件落着しました。

この本の著者は、調べたら2005年5月30日に同じタイトルで本を出しているので、その翌年に中国の学者によって改竄説が否定されたことになります。

今回の本は「増補版」として出していますが、以下にご紹介する中央日報の記事から読み取れるのは、どうやら確たる証拠もなしに、「書道学者としての感覚(=一部の文字が字体が違う)→書き直したに違いない」と「否定された在日朝鮮人学者の説」を持ち出して、再度改竄だと反論しているようなのです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

https://news.joins.com/article/23908232
広開土大王碑文、日帝が変造したに違いない
2020.10.31

414年に建てられた広開土大王碑の一部分に対する日本の解釈はこうだ。「百済と新羅は古くから高句麗の属民だった。そのためずっと朝貢してきた。しかし、日本が辛卯年に海を渡ってきて百済と○○(不明)と新羅を破って日本の臣民とした。

日帝は広開土大王碑を利用して任那日本府の証拠に使った

中国の詩学、書道の学者である著者キム・ビョンギ全北(チョンブク)大学中語中文学科教授はこの部分の最後を次のように解釈する。「しかし、倭(日本)が辛卯年以来、百済と○○と新羅に対して朝貢を入れ始めたので、高句麗は倭も臣民とした。」
著者は「属民」と「臣民」の差が分かるとこのように解釈できると見る。

まず属民は血縁関係にある時、臣民は一方的服従関係に使う言葉であることを資料で明らかにした。したがって日本が高句麗に朝貢を捧げる関係だったと見るのが妥当ということだ。

これが2005年の本の要点だったが、15年ぶりに増補版が出た。既存の主張を強化し、初版に対する反論に再反論をする内容だ。その間、著者は2018年JTBC「違いができるクラス」に出演して「漢字が分かってこそ広開土大王碑を正しく解釈し、歴史を取り戻すことができる」と主張し、オンラインでリアルタイム検索語に上がった。

増補版で著者は日帝が碑文を変えたともう一度主張する。碑文内容のうち「海を渡ってきて破った」という部分に該当する三文字「渡海破」が糸口だ。著者はこの字が合計1775字の中で他の字と形が全く違う点で改ざんと見る。操作前は「入貢于」すなわち、倭が朝貢を捧げたという内容だったと推論する。こうすれば「属民」と「臣民」を区分して使った理由も説明できるという。

1972年、在日史学者イ・ジニが提唱した日帝碑文改ざん疑惑も根拠に上げている。増補版で著者は「渡」の前に「来」が使われたことを見て日帝が文法に合わないほど改ざんしたという論拠を追加した。「来て」「渡った」という順序がおかしいからだ。

また、初版本に対して出た「碑文の解釈は歴史的状況に基づかなければならない」という反論に対して「碑文自体を徹底的に研究することがより重要だ」と再反論を行った。

著者が広開土大王碑を一文字ずつ見ることができたのは彼が書道家だからだ。儒学者である亡父キム・ヒョンウン先生と幼いころから漢文を学んだ彼は小学校の時『四字小学』を覚え『明心宝鑑』を読んだ。1982年、台湾で詩と書道を勉強している時、書店で広開土大王碑の拓本集に会った。美しい字体に魅了されて一文字ずつ全部まねて書くことを二回繰り返した。彼は「そのたびに詰まる文字があった」と言い、それがまさに改ざんしたと見る「来渡海破」部分だった

このように彼は他の史学者が関心を持たなかった方向から広開土大王碑を調べることに20年を使った。書道学者が広開土大王碑の改ざんを主張することになった背景だ。

著者は既存の歴史書物から出発して広開土大王碑を解釈することは順序が間違った組み合わせ式研究と見る。代わりに広開土大王碑自体を徹底的に研究し、それに基づいて後代の記録が誤っているならば校正しなければならない、という主張だ。字を知り、字を通じて文章を眺めてきた研究は「我々自らの歴史観から私たちの歴史を眺めなければならない」という主張に向かっている。

訳はこちらのまとめサイト『KNC』さんからお借りしましたが、元は5chのスレッドです。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

問題となる部分は「百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡[海]破百殘□□新羅以為臣民」で、この部分は「百済・新羅は舊(=旧/もと)これ(高句麗の)属民なり、由来朝貢す。而るに倭、辛卯の年(391年)よりこのかた、海を渡りて百済・□□・新羅を破り、以って臣民となす」と解釈します。

上記はWikipediaの「好太王碑」と解釈部分はブログ主が学生の時に使った参考書を参照しました。しかし、左記Wikipediaによると、韓国での定説は「倭が辛卯年(391年)に来たので(高句麗は)海を渡って百残を破り、新羅を救って臣民とした」となっているようです。

本では「『渡』の前に『来』が来るのはおかしい」という主張のようですが、日本の解釈では「来」を「(辛卯年)以来」の意味で「よりこのかた」と訳し、韓国ではそのまま「来た」と述語と見なしているようです。(読者は漢字が読めないので、「~来」を日本のように解釈できることが分からないのでしょう。)

 

ここで、後述する「百済が日本を造った」に繋がるので、ちょっと記憶しておいて戴きたいのは、「高句麗が海を渡って百済を破り」、つまり、韓国人の歴史観は、現在の日本に百済があったことになっているようです。

 

この前後の出来事は朝鮮で12世紀に編纂された『三国史記』(百済本紀/新羅本紀)などで補うことができますが、そこには、倭が度々攻めて来ることや、王子を倭に人質として送ったこと、貢ぎ物を贈ったことなどが書かれており、好太王の碑文の、新羅や百済を倭が属国としたという日本の解釈とも辻褄が合います。(少なくとも和睦した後は同盟関係にあったと考えていいと思います。)

しかし、著者は「碑文の解釈は歴史的状況に基づかなければならない」(=他の歴史書と突き合わせて多角的に検証すべき)という反論に対して「碑文自体を徹底的に研究することがより重要だ」と、否定する姿勢です。

 

何より、キム·ビョンギ氏の解釈は日本人が碑文を改竄したしたことが前提なので、その科学的・物理的証拠もないのであれば成立しません。

記事中に“美しい字体に魅了されて一文字ずつ全部まねて書くことを二回繰り返した。彼は「そのたびに詰まる文字があった」”とありますが、「たった2回かよ!」という突っ込みはさておき、「字体が異なる(感じがした)」ことが根拠とは、呆れてしまいます。ネット書店の本の紹介欄によると、書いていて、この3文字だけリズムが違ったのだそうです。

しかし、そこから、いきなり「この3文字は実は『入貢于』だった」と言い切れるのがすごいですね。いつものことですが、「こうあるべきだ」が史実になっちゃうんですから。

 

2006年の碑文改竄の否定

以下は、2006年に碑文改竄が否定された時の記事(読売)です。(画像は5chで拾ったので、どこかのブログなどからの転載かと思いますが、お借りします。)

本の著者が指摘する「渡海破」の文字が見えますが、他の文字とは字体が違うように見えますか?

 

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幸いなことに、好太王碑は現在の中国にあるので、韓国人には手を出せません。

 

【追記】ネット書店「yes24」の本の紹介を読むと、韓国人学者でも一応4割は2006年の調査結果を支持しているようです。(以下は機械翻訳)

この本一冊で私たちの歴史を立て直す!

今回の増補版では金石学的に文字一つ一つを細かくチェックし、文法的に碑文の文脈の前後連結関係を計算して日帝の変造証拠をさらに補強した。 また、初版出版後に提起された一部の中国学者と韓国学者の誤った主張に対する反論も準備した。 初版から15年が過ぎたが、依然として「日本と中国の学者の90%が文字の変造がないと信じており、国内学者の中でも40%程度はこの見解に同意」(韓国日報)のが現実である。 歴史は過去の記録であると同時に、現在を映す鏡として現在も生き生きと生きている。 どのような社会的雰囲気で歴史を見るかによって、歴史的事実は異なる。 そのような意味で、すべての歴史は現在の歴史である。 歴史歪曲を止めることにこの本が大きく貢献することを望む。

 

 

「日本は百済が造った」

しかし、なぜ、韓国がこのような解釈に拘るのか不思議に思われるでしょう。

それは、韓国では「任那日本府」の存在など、4~6世紀に日本(倭)が朝鮮半島南部を支配していたことを認めたくないからです。それどころか、韓国人の歴史観は「日本は百済(や高句麗)が造った」というものなのです。

これは、ブログ主もネットの記事やYouTubeのコメント欄でしばしば目にします。反日ではない韓国人も「日本は百済が造った同じ民族なのだから仲良くすべきだ」みたいなことを書くので、ブログ主はその都度反論していますが、あまりに「日本は百済が~」と書く人が多いので、韓国では定説なのでしょう。

しかし、朝鮮半島には所謂「和式古墳」と呼ばれる、日本の古墳の後期の形のものが現存したり、日本人の痕跡は様々(※1)あり、また、中国の文献、例えば『魏志倭人伝』で知られる『魏志』の「韓伝」にも、以下のような記述があり、朝鮮半島南部は日本であった(日本が支配していていた)証拠はいくつもあります。また、白村江の戦い(※2)で敗れた百済人を受け入れた事が分かる史跡も日本国内にはあります。

 

韓在帶方之南、東西以海為限、南與倭接。方可四千里。有三種、一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁韓。

【解釈】韓は帯方郡の南に在り、東西は海で尽き、南は倭と接する。地積は四千里ほど。韓は三つに区分される。一つ目は馬韓、二つ目は辰韓、三つ目は弁韓という。

つまり、南は海には接していないことになります。

 

※1 当ブログエントリー参照

 

※2 はくそんこう‐の‐たたかい【白村江の戦】 ‥カウ‥タタカヒ
663年、白村江で、日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との間に行われた海戦。日本は、660年に滅亡した百済の王子豊璋を救援するため軍を進めたが、唐の水軍に敗れ、百済は完全に滅んだ。(広辞苑より)

 

豊璋の弟・勇は生き残り、日本に逃れています。

 

「任那」を否定したい韓国人・日本人学者

以下はブログ主の『要点整理 日本史』より。

 

20201031_koutaiou_1979_nihonshi

 

ここでも朝鮮半島に古くから倭人が住みついていたと書かれています。

但し、この頃(この本を使っていた高校生時代)は気付かなかったのですが、やはり戦後の左翼学者による自虐史観によって、朝鮮半島の一部を支配していたとは書けず、住みついていたという表現になっているのだと思います。

「記紀」(古事記と日本書紀)を「神話」に追いやり、「歴史書」と扱うことがタブーとなってしまったのも一因です。

この辺りのことは、『知っていますか、任那日本府』(大平裕著)に書いてありますが、この時代の歴史に関して韓国人が好き勝手に言うのは、(慰安婦だの徴用工だのと同様)日本人学者のせいでもあるのです。

好太王碑の碑文や他の歴史資料を読むと、日本人(倭)は、朝鮮半島に領土を持ち、戦国時代さながらに暴れていたことが分かるのですが、その部分をぼかすから、何故、白村江の戦いにわざわざ日本が百済の加勢をしたのかも良く理解できないのだと思います。

 

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

実際にこのような古代史観かどうかは分かりませんが、参考として2つの記事を引用します。

 

https://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20160208/frn1602081540007-n1.htm
日本列島も朝鮮の領土 史上最凶ウリジナルの理屈 (1/2ページ)
2016.02.08

 他国の文化を何でも「わが国発祥」にしてしまう韓国の“ウリジナル”(韓国語の「ウリ=我々」をもじった造語)。日本の歌舞伎や相撲、寿司、桜のソメイヨシノまで「韓国起源」と言って憚らない彼らが、ついに「日本列島は古代朝鮮の領土だった」と言い始めた。

 今年1月7日、韓国ネットメディアの『共感ニュース』に「日本人は高句麗語で数を数える」という見出しの記事が掲載された。記事は、戦前の日本人学者による研究を引き合いに、日本の数詞「3(みっつ)、5(いつつ)、7(ななつ)、10(とお)」が、古代高句麗語の「3(ミル)、5(ウジャ)、7(ナヌン)、10(トォク)」と同語源だとした。

 また、「5000を超える韓国語と日本語の語彙は語源が同じ」「平安時代の日本人1059姓のうち、324姓が韓半島からの渡来人のものだった」とする日韓の比較言語学者チームの研究を紹介し、「渡来人の言語が日本語の母体となり、日本の古代文化を作った」と結論付けた。

 この学者チームは、韓国の大学で教鞭をとる日本人教授をリーダーとし、過去にも複数の媒体で同様の説を唱えてきた。たとえば、日本語の「車」は韓国語の「クルダ(転がる)」と「マル(馬)」の合成語、また「並ぶ」は「ナラニハダ(並ぶ)」から転じた言葉だという。

 確かに、日本は言語的・文化的に朝鮮半島の影響を受けていることは間違いない。しかし、そこから突然論理が飛躍する。「言語が同じだから、もともと日本は朝鮮の領土だった」というのだ。

 2007年、この日本人教授が韓国誌『週刊京郷』に寄稿。「日本列島は古代高句麗領土」という見出しで教授の説が掲載され、韓国人ネチズン(ネットユーザー)のナショナリズムに火をつけた。(以下略)

 

日本人教授とは誰なんでしょうか?

 

https://www.news-postseven.com/archives/20160208_382841.html?DETAIL
「百済、新羅が日本作った」が韓国の定説 東アジアにも領土
2016.02.08 07:00  SAPIO

 キリスト、ソメイヨシノ、剣道……、様々な他国のものを何でも「自国発祥」にしてしまう韓国の“ウリジナル”(韓国語の「ウリ=我々」をもじった造語)だが、ついに「日本列島は古代朝鮮の領土だった」と言い始めた。

 朝鮮半島に「高句麗」「百済」「新羅」が鼎立した“三国時代”(4~7世紀)に「百済が日本を植民地支配していた」と、古代史研究家で高麗大学名誉教授のチェ・ジェソク氏が主張するほか、韓国の大学で教鞭をとる日本人教授が「日本列島は古代高句麗領土」と仮説を述べているのだ。さらには、日本の地名や山、峠、島、寺院など27の名称に高句麗・百済・新羅・伽耶の地名が使われていることなどを根拠に「日本は古代朝鮮の直轄領土だった」というのだ。

 これらの主張に疑問を呈するのが、『日朝古代史 嘘の起源』の著書もある評論家の室谷克実氏だ。

「『魏志』には倭人伝の前に韓伝があります。それによると、百済は朝鮮半島に50ほどある国のひとつだった。一方、当時の日本には卑弥呼が統一した国がありました。そのような状況でどうやって百済が日本を支配するのでしょうか。

 また、韓伝には『(韓は)東西は海をもって限りとなし、南は倭と接する』との記述もある。つまり、朝鮮半島南部が倭人の地であったことを中国の史書が示しているのです」

 ここで、掲載した図をご覧頂きたい。(図省略。元記事でご覧下さい。) これは、韓国の歴史研究家が自身のブログで公開した「朝鮮三国時代の勢力図」を元に本誌が再現したものだ。

 注目すべきは、日本を含む東アジアの広域を「朝鮮領土」としている点だ。これは一般的な韓国人の古代史観を投影した図と言われている。前出・室谷氏が語る。

「韓国では『百済や新羅が日本を作った』というのが定説となっています。日本統治時代の朝鮮の歴史家、申采浩は『カタカナなどの日本文化はすべて百済人が作った』と主張した人物で、古代朝鮮による中国支配説も唱えました。

 一方、同時期の歴史家、崔南善も日韓古代史に言及し、『百済も高句麗も新羅も日本に多くの植民地を持っていた』と書いています。韓国の学者が主張する古代史の主張のほとんどは、この二人の影響を受けたもので、古代史観の“源流”とも言える。実証的な研究をほとんどせず、先人が構築した仮説を鵜呑みにし誤った歴史認識を拡散させているのです」

 昨年は、政治資金疑惑の渦中にいた韓国の李完九首相(当時)が、「百済が日本を作った」と発言。日本の歴史教科書を批判し話題となった。近年、再び日韓の古代史がクローズアップされるようになった背景には何があるのか。

「韓国では、古代史をナショナリズムの扇動や政治家の保身に利用してきた経緯があります。『東アジアを支配し、日本に文化を教えたのは我々だ』と煽ることで国民の溜飲を下げ、不都合なことから目を逸らせる。古代史と絡めた主張や発言は今後も次々と出て来るでしょう」(室谷氏)

 日本を「古代朝鮮の領土」と信じ込む韓国人の主張は、史上“最凶”のウリジナルと言えそうだ。

※SAPIO2016年3月号

 

 

  


 

 

 

2020/11/02

【自称徴用工裁判】朝日「韓国政府は後で補填するから賠償して貰えないかと日本政府に打診していた」←ネタ元は韓国の新聞でした

韓国政府が所謂「徴用工裁判」の解決策として、「企業が賠償に応じれば、後に韓国政府が全額を穴埋めする」との案を非公式に日本政府に打診していたと10月31日付けで朝日新聞が報じましたが、これが韓国国内で物議を醸しています。

国民は「もしそれが本当なら、国民の前では反日の姿勢を見せ、裏ではコッソリこんなお願いをしてたのか!」と怒っていますが、野党も同様に国会で追及しています。

しかし、実は、これは元々8月3日に韓国紙『国民日報』が報じたことだと分かりました。(これが分かったのは『レコード・チャイナ』がその記事を引用して報じていたからです。)

 

https://www.recordchina.co.jp/b825538-s0-c10-d0058.html
元徴用工訴訟めぐり日韓がまたも全面衝突?韓国政府は「準備万端」=韓国ネット「今回も勝とう」
2020年8月3日
2020年8月3日、韓国・国民日報は、日本と韓国がいわゆる元徴用工訴訟をめぐり「再び全面衝突する兆しをみせている」と伝えた。 (中略)
韓国政府内では、「元徴用工問題において日本と和解するのは難しい」と判断して「最悪の状況に備えなければならない」と警戒する声が高まっているという。韓国政府は3~4月ごろに「最高裁判決の履行に基づく日本企業の損失を補填する」という解決法を提示したが、日本政府はこれを拒否し、「1965年の日韓請求権で解決済み」という従来の立場を貫いている。ある外交消息筋は「韓国政府は日韓関係の最悪の状況を仮定して対抗策を準備した」と話したという。(後略)

 

つまり、韓国人は、つい3ヵ月ほど前に自国の新聞が報じたのを知らなかったのか、忘れたのか、朝日がその記事を引用しただけなのに(但し、朝日は引用元を書かずにスクープのような書き方をしている)、それを読んで、「日本の新聞がこんな事を書いているが、本当か!」、あるいは、「倭寇の新聞が捏造しているに違いない!」と怒っているのです。

 

こいつらの頭はニワトリなの? (´・ω・`)

 

以下、関連記事を引用します。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

下は朝日の記事です。

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14678354.html
韓国提案、日本は乗らず 元徴用工問題「賠償応じれば、後に穴埋め」
会員記事
2020年10月31日 5時00分

 元徴用工への賠償を日本企業に命じた韓国大法院(最高裁)判決をめぐり、韓国政府が「企業が賠償に応じれば、後に韓国政府が全額を穴埋めする」との案を非公式に日本政府に打診していたことがわかった。日本政府は1965年の日韓請求権協定で賠償問題は解決済みとの立場から、提案に乗らなかった。2年前の判決を機に悪化した日韓関係は、改善の見通しが立たない状況が続いている。

 日韓両政府の関係者によると、韓国大統領府は今年に入り、日本との関係改善に向けて、盧英敏(ノヨンミン)大統領秘書室長を中心に徴用工問題の解決案を検討。大法院判決を尊重するとの文在寅(ムンジェイン)大統領の意向を踏まえ、今春に穴埋め案を打診したが、日本政府側は「企業の支出が補填(ほてん)されても、判決の履行には変わりなく、応じられない」と回答した。(以下略)

 

まぁ、何故朝日が今頃この旧聞を記事にするのか、よく分からないのですが。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

下は左翼新聞『ハンギョレ』

 

http://japan.hani.co.kr/arti/international/38183.html
日本マスコミ「韓国が強制動員賠償事後補填案を打診」…大統領府「事実無根」
登録:2020-11-01 19:58 修正:2020-11-02 09:31

朝日「韓国非公式提案」報道に大統領府が否認

 韓国政府が、韓国最高裁(大法院)の強制動員被害補償判決と関連して日本政府に対し「被告である日本企業が賠償に応じれば、韓国政府が事後補填する」という案を非公式に打診したが、日本側が断ったと朝日新聞が31日報道した。大統領府の主要関係者は1日、「事実無根」としてこのような報道を否認した

 朝日新聞は31日、匿名の韓日両国政府関係者の話を引用し、韓国政府が安倍晋三前首相の在任時期である今春にこのような「事後補填案」を日本に打診したと報道した。ノ・ヨンミン大統領秘書室長を中心に、強制動員被害補償問題の解決を検討し、最高裁による賠償判決を尊重しようと考える文在寅(ムン・ジェイン)大統領の意中を考慮してこのように提案したということだ。

 具体的に同紙は「(被告である)企業が賠償に応じれば、後に韓国政府が(賠償金)全額を穴埋めする」という案を非公式に提案したが、日本政府が「企業の支出が補填されても、判決の履行には変わりなく、応じられない」と答えたと伝えた。

 新聞は「当時の安倍晋三首相が強硬な措置を求めていたのに対し、日韓の経済関係を重視する菅氏は穏当な対応を望んでいたという」とも伝えた。匿名の首相官邸幹部が「何とかしたいという思いは、今の総理には強い」と話したと同紙は伝えた。

 日本政府は2018年10月の最高裁強制動員被害補償判決以後、一貫して強制動員被害問題は「1965年の韓日請求権協定で解決済みで、最高裁判決は国際法違反」との主張を曲げていない。菅政権が強制動員被害問題に対して態度を変えるかは、依然として不透明だ。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

下は『国民日報』の記事(一部)とその機械翻訳。

 

[출처] - 국민일보
[원본링크] - http://news.kmib.co.kr/article/view.asp?arcid=0924150153&code=11121200&cp=nv
단독] 한국, 日의 추가보복 대응책 마련 마무리
‘강제징용 자산압류’ 내일부터 효력
입력 : 2020-08-03 04:05

정부 내에서는 최악의 상황에 대비해야 한다는 기류가 강하다. 강제징용 문제에서 일본과의 합의점 도출이 더 이상 어렵다고 판단해서다. 정부는 대법원 판결 이행에 따른 일본 기업의 손실을 보전해주는 방안을 지난 3~4월쯤 일본에 제안했지만 거절당한 것으로 전해졌다. 일본 측은 1965년 한일 청구권 체제를 뒤집을 수 없다는 기존 입장을 고수했다고 한다. 한 외교 소식통은 “정부가 한·일 관계 최악의 상황을 가정한 대안을 일차적으로 마련한 것으로 안다”고 말했다.

* * *

【単独】韓国、日本の追加報復対応策をまとめる
「強制徴用資産差し押さえ」明日から効力

政府内では最悪の状況に備えなければならないという雰囲気が強い。 強制徴用問題で日本との合意点を見出すことがこれ以上難しいと判断したためだ。 政府は大法院の判決履行に伴う日本企業の損失を補てんする案を3-4月ごろに日本側に提案したが、断られたという。 日本側は1965年の「韓日請求権体制」を覆すことはできないという従来の立場を固守したという。 ある外交消息筋は「政府が韓日関係最悪の状況を仮定した代案を一次的に用意したと聞いている」と述べた。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

下は、野党が政府を追及しているという記事の翻訳と韓国人の反応をまとめたサイト『カイカイ反応通信』の記事。

 

アホやん (´・ω・`)

 

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朝鮮日報はその後も、「朝日が報道した」という前提でこんな記事を書いています。本当に『韓国日報』が初出だと知らないのか、それとも日本メディアが報道した事にしたくてとぼけてるのか...

 

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/11/03/2020110380003.html
「強制徴用裏取引は外交惨事…この政権の竹槍はどこに隠れた?」
2020/11/03 08:08

 大法院の日本強制徴用賠償判決と関連して、韓国政府が日本政府と「裏取引」をしようとしたという日本メディアの報道について、野党・国民の力のキム・ギヒョン議員が「蹴り損ないを通り越えた屈従的外交惨事」と批判した。

 キム・ギヒョン議員は2日、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)「フェイスブック」に「この政権の竹槍はどこに隠れた? 習慣化された選択的な憤怒と偽善」というタイトルの文章を掲載した。同議員は「『日本企業が賠償に応じれば、後に韓国政府が全額を穴埋めする』との案を非公式に打診したが、日本政府に拒否された」という朝日新聞の報道を引用した。そして、「これが事実ならば、蹴り損ない外交を通り越えた、卑怯(ひきょう)で耐え難いほど屈従的な外交惨事」「日本の菅首相の訪韓をイベントにするため、国の品格を損なう裏取引をするならば、これは許し難い親日行為だ」と述べた。(中略)

 青瓦台は朝日新聞の報道について「事実無根」としている。

 

 

  


 

 

 

2020/11/01

【竹島】また性懲りも無く「勅令41号」を証拠として出してきた韓国メディア

韓国メディアの報道を見ていると、ある特徴に気付きます、とっくに論破されている“証拠”を新発見!とばかりに“忘れた頃に”取りあげることです。

“忘れた頃”と書きましたが、日本人なら、「あれ、またこれを出してきたの?」と呆れるだけですが、韓国人は数年経つと忘れてしまうのかも知れません。

今回も再び1900年に出された「勅令41号」(「欝陵島全島と竹島・石島」を欝島郡と定める大韓帝国の勅令)と「石島は竹島(独島)の別名」であるという主張を持ち出して、“1905年に竹島を編入した日本よりも先だ”と書いています。(記事後述)

なお、勅令41号の「竹島」は、後述の【図5】の地図で示されるように、鬱陵島の近くにある島のことです。

反論する必要もないのですが、ある動画をご紹介したかったのでエントリーにします。

 

韓国が“独島はわが国土”と主張する根拠には、主に2つの島が使われます。「于山島」と「石島」です。しかし、これらをいくら「独島」の別名だと言い張っても、現在「竹島」と我々が呼んでいる島の位置や形(双子の岩礁)を把握していた証拠がない(地図が無い)のが致命的なのです。

「于山島」なる島は、朝鮮の古地図では鬱陵島とほぼ並んで大抵左側(西)に、時には南に、時には北に、ピッタリ寄り添うように描かれています。(あたかも古地図を元に作ったかのようなレリーフでは、東に描いて捏造しています)

一方、「石島」はその場所を示す地図すらありません

従って、「勅令41号」で編入したという「石島」と「竹島」のどちらかが島根県の「竹島」だと主張できる根拠がないのです。

 

ここで、何枚かの画像をご紹介します。

まず、竹島の形や位置(特に鬱陵島からの距離)を確認しましょう。

 

20201101_chosun_takeshima002
【図1】竹島は鬱陵島の南東遙か彼方(約90km)に位置する夫婦岩
〔帝国書院「新詳高等地図」より〕

 

20201101_chosun_takeshima01
【図2】于山島が鬱陵島の北に描かれた1673年の朝鮮の地図

 

20201101_chosun_takeshima02
【図3】竹島(当時は松島)が描かれた日本の古地図(1696年)
竹島は2つの島として描かれている

 

日本には、上図のように、鬱陵島と竹島、隠岐(そして日本本土や朝鮮半島)の位置関係がしっかりと分かる地図はたくさんあります。

 

20201101_chosun_takeshima03
【図4】于山島が小さく鬱陵島の右側に描かれた朝鮮の古地図

 

上の地図の于山島はどう考えても現在の韓国の竹島(下図)です。

20201101_chosun_takeshima04
【図5】朝鮮総督府が作成した地図(1916年)
図4の「于山島」の位置に「竹島」がある
〔『反日種族主義との闘争』より〕

 

この「竹島」は「竹嶼島」という名を経て、現在は日本語で「竹嶼」、韓国語では竹島、チュクト、죽도と呼ばれているそうですが、『反日種族主義』の続編である『反日種族主義との闘争』では、李栄薫博士は「石島」とは「観音島」の事ではないかと書いています。

更に詳しくは、島根県のサイト、「竹島の「真実」と独島の《虚偽》」の『第4回「1905年、日本の独島編入は無効」説の捏造』や外務省の「竹島の島根県編入」などをお読み下さい。内閣官房室の「領土・主権企画調整室」にも各種リンクがあります。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

上で使用した地図で出典がないものは、raito hainaというチャンネルの「竹島問題 日本と韓国の古地図を比較する」という動画のキャプチャです。

この動画は、竹島の日本と朝鮮の古地図にのみ注目して分かりやすく比較しており、冒頭に書いたように、朝鮮は竹島の位置も形も全く把握していなかったことがよく分かります。

 

◇ ◇ ◇ ◇

 

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/10/30/2020103080107.html
「石島は明らかに独島」 新たな証拠が出てきた
2020/11/01 05:30

勅令41号の内容、1968年に公開…
それ以前も研究者らは石島と呼んでいた

 10月25日は「独島の日120周年」に当たる日だった。この日は、1900年10月25日に制定された大韓帝国の「勅令第41号」が石島を鬱島郡(鬱陵島)の管轄区域内に置くと明示したことを記念する日だ。韓国側は「石島」が独島の別表記だという立場だが、日本側はそうではないと主張している。

 「石島は明らかに独島」であることを立証する新たな根拠が提示された。ハンア文化研究所の所長で独島研究家のユ・ミリム氏は24日、独立記念館が開催した学術会議の発表文で「1968年以前は勅令第41号の内容は知られていなかったが、多くの学者が石島を独島の別名と認識していた」と明かした。

 1950年代に日本が独島の領有権を主張した時点でも、韓国外務部(省に相当)は独島が鬱陵島の行政区域に編入されたという公的な記録を入手することに失敗した。しかし68年に法学者の李漢基(イ・ハンギ)ソウル大学教授が、大韓帝国議政府総務局の刊行した『法規類編 続弍』で当該部分を見つけ出したことで、勅令第41号の内容が初めて知られるようになった。

 そのときまで、勅令第41号で「石島は鬱島郡の管轄」だとしたことを誰も知ることはできなかったのだ。ところが68年以前の時点でも、方鍾鉉(パン・ジョンヒョク)、李崇寧(イ・スンニョン)、洪以燮(ホン・イソプ)、朴観淑(パク・グァンスク)、黄相基(ファン・サンギ)、柳洪烈(ユ・ホンリョル)、朴大錬(パク・テリョン)など多くの学者が「石島」を独島の別名だと紹介していた。勅令第41号を見て「石島」を独島だと主張したわけではなく、もともと独島の別名が石島だったことになる。19世紀末、湖南(全羅道地方)出身の住民らが「石の島(トルソム)」という意味でこの島を「トクソム」と呼び、この意味を取って表記したのが「石島」、音を取って記したのが「独島」だった。

 

 

  


 

 

 

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