韓国のニュースとその反応の翻訳サイト「カイカイ反応通信」に『日本「150億ウォンを払え」…百済微笑み菩薩、韓国は42億ウォンを提示』という記事があったので、何事かと思ったら、10日の国会の質疑で、2年前に仏像返還の交渉が決裂して以来進展がないということを改めて確認した、というだけのことのようです。
なんのニュース的価値はないのですが、日本人憎悪を呼び起こすために記事にしただけだと思います。
従って、無視してもいい記事ですが、過去の経緯を纏めておくことにしました。
気になるのが、その翻訳記事中に「憲兵が押収した後、日本人の美術収集家が競売で買い付けて日本に渡った」という部分です。
「憲兵」というのは軍事警察のことで、基本的には軍隊内の犯罪捜査を行ったり、脱走兵の逮捕などを行う機能ですが、公安維持等、一種の思想警察のような事も行っていたことが知られています。なので、仏像を押収するとは思えないのですが、韓国の記事によると農民が発見したらしいので、たまたま憲兵に届け出たのかも知れません。気をつけないとならないのが、韓国の場合は伝言ゲームのように徐々に変化し、最終的に「日本が略奪した」等と間違って定着しかねないこと。
そこで、過去の記事を調べてみました。
日本に渡った経緯を韓国の記事“だけ”から簡単に纏めると、1907年に忠清南道扶余郡窺岩面で農民が2体の仏像を発見したものを憲兵が押収し、1体は1950年頃にソウル国立博物館に帰属、もう1体は日本人の手に渡った後、競売によって大邱(テグ)に住んでいた美術収集家の市田次郎氏が1920年代(1922年?こちらのツイートより)に入手、終戦後、日本に持ち帰ったが、現在の所有者は市田氏の子孫ではなく、別の人物のようです。
これが2018年5月に公開されると韓国政府は返還(購入)に向けて動き出しますが、10月、価格が折り合わずに交渉決裂。現在に至る、という訳です。
韓国に残った仏像は1997年1月1日、国宝293号に指定されました。(韓国語Wikipediaより)
幾つかの記事で「憲兵」という言葉が出てくるのですが、憲兵に押収されたとしても、その後の経緯が記事では空白になっているので、そこには興味が無く、「憲兵」と言いたいだけではないかという気がします。競売にかけられた位なので、総督府のような公的な機関は関わっておらず、民間で管理されていたのだと思います。
市田次郎氏については詳しいことは分からなかったのですが、上述のツイートには「医師」とあります。また、終戦後、内地に引き揚げた日本人に対しては財産持ちだしの制限があったので、帰国のタイミングや美術品の持ち出しはどうやったのか等、やや謎が残りますが、この入手経路については韓国側が騒がなかったので、正規の手続きを経てのものでしょう。
ちょっと面白いのが、2019年5月頃、研究のためか、上海博物館にこの仏像が持ち込まれます。これも韓国の報道からですが、このことをハンギョレ新聞の報道で知った所有者が博物館に直接出向いて交渉し、5月16日に日本に持ち帰ったそうです。この間、韓国側では中国に売却されたら返還がより困難になるとやきもきしていました。(中国には強気に出られないからでしょうw)
以下、関連記事等、重要部分を抜き書きして纏めておきます。
◇ ◇ ◇
◆百済金銅観音菩薩立像の評価
雑誌『美術研究』号90/ページ20-21/発行年1939-06-25
URL http://id.nii.ac.jp/1440/00007442/
※リンク先に雑誌のコピー(PDF)あり。
◆2020/10/12 カイカイ反応通信転載記事『日本「150億ウォンを払え」…百済微笑み菩薩、韓国は42億ウォンを提示』
7世紀の百済美術の傑作「百済金銅観音菩薩立像(別名:百済微笑み菩薩)」の返還が日本所蔵者の無理な価格要求によって事実上霧散したという指摘が提起された。
国会文化体育観光委員会所属で共に民主党のイ・ビョンフン議員が11日、文化財庁から提出を受けた資料によると、文化財庁は買取価格の問題で交渉が決裂した2018年以降、百済微笑み菩薩の返還手続きを中断した。
百済微笑み菩薩は1907年に2つの地点で発見された。一点は国宝第293号で、現在、国立扶余博物館に所蔵している。もう一点は、当時の日本憲兵隊によって押収された。以後、日本人コレクター市田次郎が競売で買い付けて日本に持ち出された。
学界では日本に搬出された百済微笑み菩薩が国内に残っている国宝第293号より芸術性が高いと評価している。
国立中央博物館と文化財庁は、日本の百済微笑み菩薩の返還のために鑑識価格を反映して返還額42億ウォンを提示した。しかし、日本の所蔵者側は約150億ウォンを希望したことが分かった。
これに対してイ議員は、文化財庁が鑑定価格42億ウォン以上は執行できないとの立場を明らかにしており、事実上の還収交渉は中断された状態だと語った。イ議員は「忠清南道では百済微笑み菩薩など、国外文化財還収のための支援条例制定を通じて、今年の予算10億ウォンを編成し、来年から3年間、60億ウォンの基金を造成する計画」とし「扶余郡でも、国民寄付などを通じて38億ウォンを募金することにした」と述べた。
それと共に彼は「国外の多くの我々の文化財が故国に戻ってくることができるよう、文化財庁、国立博物館の積極的管理が必要である」とした。
国会素材文化財財団は、2020年4月1日の時点で国外にある韓国文化財は21カ国に19万3136点と発表した。国別では日本が8万1889点(42.40%)、米国5万3141点(27.52%)、中国1万2984点(6.72%)、ドイツ1万2113点(6.27%)などである。
以下は、時系列(古い順)に引用
◆2018/06/05 中央日報:日本で公開された百済金銅観音菩薩立像 「最も美しい微笑み」
https://s.japanese.joins.com/JArticle/242013?sectcode=400&servcode=400
百済7世紀を代表する「最も美しい菩薩像」といわれる金銅観音菩薩立像が100年ぶりに姿を現した。韓国の文化遺産回復財団〔理事長・李相根(イ・サングン)〕はこの観音像を所蔵してきた日本のある企業家が昨年12月、東京を訪問した韓国美術史学会の崔應天(チェ・ウンチョン)東国(トングク)大学教授、チョン・ウヌ東亜(トンア)大学教授に仏像を公開したと4日、明らかにした。
チョン・ウヌ教授が仏像を実見した後に書いた意見書によると、1907年忠清南道扶余郡窺岩面(チュンチョンナムド・プヨグン・キュアムミョン)で農夫によって鉄釜が見つかった。中から仏像2体が見つかり、すぐに日帝憲兵隊によって押収されたという。見つかった金銅菩薩立像1体は1950年ごろソウル国立博物館に帰属し、現在は国宝293号に指定されている。(中略)
このように美しい金銅観音菩薩立像がこれまで世の中に公開されなかったのは、市田次郎の遺言のためだ。
三国時代の金属工芸品、陶磁器、仏像などを収集した大物古美術所蔵者の市田は、韓国戦争(朝鮮戦争)前に多くの文化財を大邱から日本に持ち帰ったという。市田は生前、「所蔵したすべての遺物は出品・売買をしてもよいが、この金銅菩薩立像だけはだめだ」と子孫に遺言を残したと伝えられている。
現在、日本に残されている韓国の仏像約150余体のうち、国籍および出土場所、移転の経緯や所蔵内訳が正確に伝えられている仏像はこの金銅観音菩薩立像が唯一だ。
これをもとに、百済金銅観音菩薩立像の価値は国宝金銅半跏思惟像と百済金銅大香炉の展示保険価額である300億~500億ウォン(約31億~51億円)台に匹敵する価値を持っていると推定される。
チョン教授は「現在、歳月や保管場所および環境による腐食が進行していて、できるだけ早く還収して保存処理をしなければならない」と判断した。(後略)
◆2018/06/05 ハンギョレ:「百済の微笑み」金銅観音菩薩立像、韓国への返還に向けて始動
http://japan.hani.co.kr/arti/politics/30777.html
登録:2018-06-05 08:56 修正:2018-06-05 10:08
韓国彫刻史の最高傑作で、日帝強制占領期(日本の植民地時代)に日本に搬出された百済時代の金銅観音菩薩立像が最近公開された事実が伝えられると、国立中央博物館や文化財庁など関連機関は仏像の所蔵者側との返還協議に乗り出す意向を明らかにした。(中略)
返還手続きや方式については、現在まで確実に方針が決まっているものはない。国宝である半跏思惟像や百済金銅大香炉に匹敵する価値を持つという評価が出ているだけに、今後、返還交渉を行う場合、作品評価額についてさまざまな国際競売資料などを検討し、所蔵者側と「適正価格」を探すのがカギとなるのではないかとペ館長は指摘した。彼は特に、仏像が出土された後、日本に渡った来歴を念頭に置かなければならないと指摘した。
今回日本で公開された百済金銅観音像は、窺岩里で他の金銅観音像と一緒に出土され、日本の憲兵隊が保管していたが競売で日本人に売られ、その後収集家の市田次郎氏に渡り、解放以後、日本に搬出された。ペ館長は「解放後にこの地に残って扶余博物館に入った他の金銅観音菩薩立像と一緒に最初は後代の世に出たが、縁が分かれて離別しなければならなかった」とし、「このような悲しい歴史を所蔵者と一緒に分かち合って議論するなら、大乗的レベルで相互にウィンウィンの結果を産むことができるだろう」と期待した。彼は「苦心の末に名品を公開した所蔵家の真摯さと名誉を最大限尊重し、博物館が中心となって国内への返還を推進する名分と条件をつくることが重要だ」と付け加えた。(後略)
◆2018/10/10 ハンギョレ: “百済の微笑”金銅観音像、日本の所蔵者との還収交渉が不調に終わる
http://japan.hani.co.kr/arti/culture/31825.html
登録:2018-10-10 22:30 修正:2018-10-11 09:55
7世紀初めの百済の傑作仏像で、1920年代に日本人が買い入れ搬出した後、約90年ぶりに日本で所在が確認された金銅観音菩薩立像をめぐる政府と所蔵者の間での還収交渉が決裂した。
文化財庁側は「仏像所蔵者側が最近、韓国政府との交渉進行をこれ以上望まないと代理人を通じて通知してきた」と9日、明らかにした。これに先立って文化財庁は、先月初め国立中央博物館と3回にわたり専門家最終評価会議を開き、仏像の公式購買価格を「40億ウォン(約4億円)+α」と確定し、その後こうした方針を所蔵者側に伝え、購買交渉を打診してきた。協議に当たった文化財庁のキム・ドンヨン国際交流協力課長は「100億ウォン(約10億円)台を超えると言われる所蔵者の要求金額と、政府側公式購買価格の格差があまりに大きく、所蔵者側が最近交渉がはかどらないという理由ですべての連絡を絶ち、現時点ではこれ以上協議できない状況になった」と説明した。
これに対して所蔵者の韓国国内の代理人側は、ハンギョレとの通話で「所蔵者が7月に仏像を国立中央博物館・文化財庁合同実態調査団はもちろん、忠清南道地方自治体、政界の国会議員などにも公開する誠意を見せたが、政府の最終評価結果をまだ正式に通報されておらず、具体的な価格交渉もはかどらないため失望感を表わした」としながら「所蔵者が来年上半期に香港などの外国の有力オークションに仏像を出品する意向も伝えてきた」と付け加えた。(後略)
◆2019/05/29 レコードチャイナ: 中国に搬出された百済仏像が日本に戻る、韓国は一安心?=韓国ネット「韓国のなのに」「返還して」
https://www.recordchina.co.jp/b715749-s0-c30-d0127.html
配信日時:2019年5月29日(水) 17時10分
2019年5月28日、韓国・ハンギョレ新聞によると、中国に搬出されて物議を醸していた百済時代の仏像が日本に戻ったことが分かった。
同像は7世紀・百済で作られたといわれる金銅観音菩薩立像。記事は「1907年に忠清南道である農夫により発見され、日本植民地時代に日本人が搬出した後に行方が分からなくなっていたが、約2年前に発見された」と説明している。
記事によると、同像は昨年、韓国政府が日本の所有者との返還交渉を推進するも決裂していた。今月初めには中国の上海博物館へ展示・研究用に持ち出され、「中国が高額で購入した場合、韓国への還収交渉が困難になり得る」と憂慮されていた。それが再び日本に戻ったという。
日本人所蔵者の韓国国内代理人側は最近、電話インタビューで「搬出された事実が報道された後、韓国の国外素材文化財財団と文化財庁、駐上海総領事館などが上海博物館側に連絡して真相把握に乗り出した。博物館側は展示しないという立場を明らかにし、所蔵者側が仏像の貸与を取り消した」と話したという。
これについて文化財庁は「上海博物館側は所蔵者と接触したり連絡業務を委任したりしなかった」とし、「『仏像を収集したり買収したりせず、展示することもない』という公式の立場を伝えてきた」と明らかにしたという。
これを受け、韓国のネット上では「韓国の文化財なのに、なんで日中が勝手にやり取りしてるの?」「『搬出』じゃなくて『略奪』でしょ。国際法で文化財の正式な売買確認が取れなければもともとの所属国に返還するようにして」「いやいや、盗んだ文化財返してもらっても、結局泥棒に変わりないから」など「金銅観音菩薩立像は韓国の文化財」と主張するコメントが続出している。
その他にも「きれいな仏像なのに守りきれなくて恥ずかしい」「純粋な韓国人のみなさん、高句麗や百済、朝鮮の文化財が韓国より日米中露に多いこと知らないの?」など、さまざまなコメントが寄せられている。

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