【慰安婦問題】挺対協の正体【朴斗鎮TV】
盧武鉉政権(2003年2月25日 - 2008年2月24日)、李明博政権(2008年2月25日 - 2013年2月25日 )で 要職を務めた千英宇(チョン・ヨンウ)元青瓦台(韓国大統領府)外交安保首席が(尹美香氏や挺対協の正体は)「知る立場の人間は皆知っている秘密」だとYouTubeで曝露したそうで、それを朝鮮日報が記事にしています。(記事後述)
千(チョン)氏が語ったのは、2012年、と言うことですから、「日韓慰安婦合意」(2015年)の前の話で、日本側が、妥協案として「(拉致や性奴隷を認めて賠償するのではなく)和解・癒やし」という形で国家賠償をすることを尹美香氏に伝えたら“困惑していた”という話で、その時に、「挺対協と元慰安婦の利害関係は異なる」のかも知れないと気付いたという事です。
当然です。挺対協はそもそも日韓分断を目的として生まれた団体なのですから。
韓国社会では幾つかの『聖域』(触れたら痛い目に遭う)があり、その一つが「慰安婦問題」ですが、今回の李容洙氏の“反乱”以前は挺対協と元慰安婦は一体でした。しかし、李容洙氏が異議を唱えたために切り離されました。
挺対協に対しては言いたい事、知っている事を曝露できる状況になったのです。
そんな中、朴斗鎮(パク・トゥジン)先生、この方は元朝鮮大学校教授の方ですが、挺対協の成立過程をYouTubeで解説して下さっています。
韓国には慰安婦(だけでなく、旧軍人・軍属)への補償を求める団体は他にもありましたが、「挺対協」に関しては、元々、日韓の左派と朝鮮総連が結託して生まれた団体でした。そして、その日本側の「左派」とは社会党でした。
北に近い左派というと共産党を思い浮かべる方も多いかと思いますが、当時、日本側の北とのパイプは日本社会党が一手に引き受けていたのです。このことは、『日本社会党興亡史』(上杉充弘著)を読むとよく分かります。
別の見方をすれば、共産党に見捨てられた朝鮮総連は社会党が頼みの綱でした。当時の韓国は自由主義陣営に残るため、国内外の共産主義と必死に戦っていました。共産主義に最も強く対峙できていたのは「軍事政権」下の時でした。
一方、強権的な軍事政権に敵対する勢力は「民主主義」という錦の御旗を掲げ、この時代を全て「悪」というレッテルを貼りました。
だから、例えば、5.18(光州事件/1980年)もまた韓国社会の『聖域』の一つで、これを民主化運動と崇めずに共産主義者の暴動と言うと、その途端に言論界から抹殺されるのです。
実際には、5.18は事前に朝鮮総連も情報を掴んでおり、仲間にその様子をビデオに収めさせ、日本国内で「反韓国」の工作の一貫として上映会&講演会を行ってプロパガンダをしていました。(『我が朝鮮総連の罪と罰』より)
* * * *
朴斗鎮先生の解説は1987年辺りから始まります。この頃は全斗煥(81~88年)から盧泰愚(88~93年)へと“民主化”へと進む時代で、北から見たら「対南工作・日韓分断工作」がやりやすくなった時代です。この辺りの時系列は、(拉致問題と在日朝鮮人の対南工作を中心とした年表ですが)『【学園浸透スパイ事件とその時代】 もう一つの日本・朝鮮半島史【北朝鮮による拉致問題】』を参照して下さい。
以下、朴先生の動画の説明欄に書かれているクロニクル(年表)を書き写しておきます。(後ほど追記の可能性あり)
- 「慰安婦問題」での「挺対協」と北朝鮮の連携年表 -
1987年6月29日 韓国、「民主化宣言」
- これまでの「軍政」(=対北強硬派)が終わり「民政」化することにより、今まで地下に潜っていた左派(親北派)が活動しやすくなる。
1987年8月 広島・長崎の「原水爆禁止世界大会」で、李愚貞(イ・ウジョン)氏が当時の社会党・清水澄子氏を紹介され、長崎湾船上で北朝鮮と連携することについての秘密会談。
- 李愚貞(イ・ウジョン)1923~2002:72年からキーセン観光反対運動を推進。 朴正熙、全斗煥 政権時代に反独裁·民主化運動とキリスト教フェミニズム運動を主導した。韓国女性運動の大母。
- 在日のある女性が清水澄子氏を李氏に紹介。韓国教会女性連合会(後の挺対協)と社会党婦人部、北朝鮮の統一戦線部傘下の祖国統一民主主義戦線の三者の連帯をどう実現するかについて謀議を図った。その時の様子を清水氏は朝鮮総連機関紙『朝鮮新報』2002年6月6日付記事「李愚貞さんを悼む」で、“私と李愚貞さんとの直接の出会いは、韓国の軍政が民政に転換し始めた1987年8月、韓国から初めて彼女が原水禁世界大会に参加した時である。2人はKCIAの目を警戒して長崎湾の船上で話し合った。彼女は「金日成主席のこと、北の同胞のことを聞かせて!」「日本で北の同胞、呂鷰九(リョ・ヨング)さんと会える場を作って。あなたならできる」と私の手を握った。私は、民族の熱い思いに揺り動かされた。そして、2人で知恵を絞ったのが「アジアの平和と女性の役割」実行委員会であった。”と書いている。名称は李愚貞氏が提案。
1990年9月 海部内閣で金丸訪朝団派遣。26日に自民党、社会党と朝鮮労働党の間で「日朝3党共同宣言」を発表。
- 1980年代まで韓国では「慰安婦問題」はほとんど問題視されておらず、日本で様々に提起されていた。1972年の沖縄返還に際して、沖縄で暮らしていたペ・ポンギ氏が在留許可を得るために慰安婦であったことを告白せざるを得なかったからである。(ハンギョレ『[ルポ]韓国社会が忘れた最初の慰安婦証言者…その名はペ・ポンギ』/『赤瓦の家―朝鮮から来た従軍慰安婦』川田文子著)
- したがって、挺対協が最初に慰安婦問題を提起したというのは正しくない。それは、1991年の結成以降で、日朝国交正常化の政治的動きと密接に関わっている。海部内閣発足(1989)後の1990年9月に北朝鮮に拘束された第18富士山丸ノリ区民2人の釈放を求めるため、自民党と社会党で構成された金丸訪朝団派遣で、当初予定に無かった北朝鮮との国交回復と賠償金について迄協議し、1990年9月26日に朝鮮労働党と自民党、社会党との日朝三党共同宣言まで発表した。
1990年11月16日 韓国で挺身隊問題対策協議会(挺対協)結成。
1991年1月30日 日朝国交正常化予備交渉開始
- 三党合意に基づき、平壌で日朝国交正常化予備交渉が始まり、この過程で北朝鮮は賠償金と日韓分断のために慰安婦問題に目を付けた。
1991年5月25日 北朝鮮女性代表団(団長=呂鷰九(リョ・ヨング・祖国平和統一民主主義戦線議長)日本訪問。
呂鷰九(リョ・ヨング)1927~1996:呂運亨の二女。1946年7月 脱南 北朝鮮ヘ。1987年 金日成勲章
1991年5月27日 社会党傘下の「日本婦人会議」が「アジアの平和と女性の役割シンポジュウム」を東京・日暮里のホテルで開催。北朝鮮と挺対協代表を日本に呼ぶ。北朝鮮から3名、韓国から3名の代表が参加。北朝鮮代表団長の呂鷰九祖国統一民主主義戦線議長と韓国代表団長の尹貞玉(ユン・ジョンオク)「挺対協」共同代表が南北共闘で合意。
1991年8月 金学順(キム・ハクスン)さんが元慰安婦であったとする記者会見を行う。「挺対協」の慰安婦問題に対する本格的関与始まる。
1991年11月25日 ソウルで第2回「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」開催。呂鷰九(リョ・ヨング)韓国訪問。「挺対協」と連携強化を確認。
1991年12月6日 元従軍慰安婦金学順さんが賠償訴訟。
1992年1月 尹美香、韓国挺身隊問題対策協議会幹事として参加。〔Wikipedia『尹美香』韓国語版より〕
1992年8月 北朝鮮で「朝鮮日本軍性的奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会(朝対委)」発足。
1992年9月4日 平壌で第3回「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」開催。
1992年9月5日 北朝鮮在住元慰安婦とシンポジウム参加者が座談会。
1992年9月6日 金日成と韓国代表団(団長 李愚貞)が会見。
1992年12月 『従軍慰安婦』等国際公聴会で、北朝鮮の「朝鮮日本軍性的奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会」と合流〔Wikipedia『日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯#略歴』より〕
1993年7月 第4回「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」、日本で再び開催。
2016年6月9日 韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が中心となり日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶財団を設立/尹美香は常任理事→2018年から理事長〔Wikipedia『尹美香』韓国語版より〕
上に「アジアの平和と女性の役割シンポジウム」というのが出てきますが、これは社会党の女性部が南北(北と南の従北派)の橋渡しをするために開催したものです。
1993年4月のシンポジウムは「土井たか子衆議院議員を始めとする社会党の女性議員の呼びかけで開かれたものです。ここで“従軍慰安婦”の補償が主な議題となり、朝日などの新聞各紙が報じました。」と、『徐勝-「英雄」にされた北朝鮮のスパイ 金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち-』’(張 明秀著)に書かれており、当時の韓国政府は慰安婦の件で日本に請求していなかったのですが、この後、韓国政府の対日政策において「慰安婦」がカードの一枚になる陰に社会党の存在があったことを見落としてはいけません。
詳細は『『学園浸透スパイ事件』とその時代 No.3 北朝鮮と社会党の癒着』というエントリーに書きましたが、このエントリーから、2012年9月23日の産経の記事で、日本大使館前で行われた挺対協の集会の様子を報じたものを転記します。記事を書いたのは、後に朴槿恵大統領のスキャンダルを報じた韓国記事を日本語に訳して報道し、韓国で拘束された加藤記者です。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120923/kor12092318010001-n1.htm
慰安婦問題 日韓歩み寄りを妨害する韓国の親北勢力と北朝鮮
2012.9.23 18:00韓国の李(イ)明(ミョン)博(バク)大統領が8月の竹島上陸の理由として掲げた「慰安婦」問題が、実は韓国の親北朝鮮勢力と北朝鮮による日韓接近への妨害工作だったとの見方が出ている。元慰安婦を支援するとして組織された韓国の団体が、北朝鮮工作機関の傘下団体と協力関係にあり、問題解決に 向けた日韓両政府の歩み寄りをたびたび妨害してきたことが分かってきた。(ソウル 加藤達也)
8月15日。日本統治からの解放を祝う「光復節」を迎えたソウルの日本大使館前では、激しい雨の中、ある集会が開かれていた。
警察の非公式集計で約1300人が参加したこの集会を主催したのは、元慰安婦の女性を支援するとして組織された反日団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」だった。
正午から約2時間の集会で参加者らは、仮設舞台に次々に上がっては大声で元慰安婦を激励したり、 日本政府を糾弾したりした。登壇者の中に声明を読み上げた2人の女性がいた。
挺対協の代表と北朝鮮側の「朝鮮日本軍性的奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会(朝対委)」の代理人で、南北慰安婦支援団体の共同声明という形を取っていた。
「日本は日本軍性奴隷犯罪をはじめ強制徴用と徴兵、朝鮮人集団虐殺、文化財略奪など私たちの民族へのあらゆる犯罪行為に対し、また人的物的被害と略奪行為に対して公式に謝罪し賠償しなければ ならない」
声明では日本政府に慰安婦問題などの解決を要求する一方で、日韓の軍事協力を「徹底的に阻止する」 と宣言。それは、日米韓の軍事的結びつきを嫌う北朝鮮の主張と一致していた。
挺対協は1990年11月、韓国女性団体連合会など16の団体の連合運動体として結成された。反日団体であると同時に親北朝鮮団体でもある。昨年12月の金(キム)正(ジョン)日(イル)総書記の死去にあたって、幹部が弔電を打つほどの関係だ。
反日世論を味方につけたい韓国政界に巧みに取り入り、一定の発言力をもつ。日本大使館前での毎週 水曜日の集会を主催し、昨年12月には大使館前の公道に慰安婦を象徴するとされる少女像を違法設置した。
挺対協について韓国治安機関関係者は「北朝鮮工作機関と連携し、反日活動や、北朝鮮の利益を代弁する主張を展開している」と指摘する。
挺対協の尹(ユン)美(ミ)香(ヒャン)常任代表の夫とその妹は93年、スパイ事件に関与したとして摘発され有罪判決を受けていた。当局は「尹代表の近親者に北のスパイがいる事実と、挺対協の活動との関連は注目に値する」として現在も動静を注視しているという。
一方、挺対協の北朝鮮側カウンターパートである朝対委との関係も濃密だ。韓国治安機関は朝対委について「朝鮮労働党の工作機関である統一戦線部のカバー(偽装)部署だ」と断定している。
北朝鮮は92年2月に平壌で開かれた南北首相級会談で、韓国側で始まっていた「慰安婦」問題の対日追及運動を南北共闘でできないかと打診。韓国側が受け入れ、8月には北朝鮮で朝対委が組織された。
これら2つの反日団体はこの年の12月、東京で開かれた「『従軍慰安婦』等国際公聴会」で初めて合流すると、「慰安婦」を「性奴隷」と位置づける政治宣伝工作に着手。活動を世界規模で展開し始めた。
このころ、北朝鮮は日本においても、当時の社会党を取り込む工作を活発化。93年4月に東京で開かれた「アジアの平和と女性の役割」に関する第4回討論会では、北朝鮮から最高人民会議(国会に相当)副議長らが訪日した。5月には討論会参加者の土井たか子社会党元委員長らが金正日氏に「感謝の書簡」を送付。慰安婦問題を利用した世界的な反日活動に日本政界からも支援者が現れた。
慰安婦の強制連行を認めた、宮沢内閣時の河野洋平官房長官による「河野談話」が出された93年は、 「北朝鮮と日本、韓国の北朝鮮追従勢力が連携して対日攻勢を仕掛ける作業の真っただ中だった」。
韓国情報機関元幹部はこう指摘した。
挺対協については、実は韓国の有識者も強い疑問を呈してきた。
ソウル大の安(アン)秉(ビョン)直(ジク)名誉教授は2006年12月、韓国MBCテレビでこう発言した。 「私もはじめは(日本軍による)強制動員があったと考えて挺対協と合同で調査をしたが、3年でやめた。挺対協の目的が慰安婦問題でなく、日本と争うことにあると悟ったからだ」
挺対協は1993年、物的証拠がないのに慰安婦募集時の強制性を認めるという、日本側の大幅譲歩である河野談話による日韓両政府の妥協に強く反対した。
また、民間募金による元慰安婦らへの「償い金」と首相の手紙を届けるという日本政府の提案に対し、挺対協は、償い金を受け取った元慰安婦を「自分の意思で公娼になった」と恫(どう)喝(かつ)。受け取りを拒否させようと圧力をかけた。
「挺対協は政府公式謝罪という、日本が絶対に飲めない条件を提示して韓国政府に対日交渉を要求している」(日韓外交筋)。
李大統領に近い政府高官は慰安婦問題に触れ、「日本が国家として責任はないと言えば、元慰安婦にいくら温かい言葉をかけても駄目だ。法的責任はないと強調すれば彼女らの心のしこりは解消されない」と述べた。保守の李政権高官からして、「日本政府の責任認定と謝罪」を求める挺対協の言い分を なぞっている。
問題の根は深い。
■慰安婦問題と韓国政府の対応
韓国政府はもともと、慰安婦について貧困などによる人身売買被害者との認識だった。1965年の日韓請求権協定締結に向けた議論の中でも韓国側は問題提起せず、以後、賠償請求が起きた際には他の戦時徴用者らと同様、韓国政府が補償に当たってきた。
韓国歴代政権は慰安婦への賠償請求を対日外交問題としてこなかったが、親北朝鮮の左派、盧(ノ)武(ム)鉉(ヒョン)政権は方針を転換し、「日本軍慰安婦など反人道的行為に対して日本政府の責任を追及する」と決定した。挺対協も2006年、韓国政府が慰安婦の賠償を日本側に求めないのは違法だとして提訴。昨年8月には韓国憲法裁判所が、韓国政府が慰安婦への賠償問題を放置していることを「違憲」と判断した。
韓国政府は挺対協などによって形成された世論と憲法裁の判断に押される形で、日本に慰安婦問題の解決を迫るようになった。
* * * *
朝鮮日報の記事
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/05/21/2020052180003.html
元韓国外交安保首席「尹美香、日本の補償案に困惑の表情…被害者と利害関係が違っていた」
2020/05/21
- 千英宇・元青瓦台外交安保首席
- 2012年に日本が「国家予算で被害者支援」を提案
- 尹美香に説明すると困惑の表情
- 「元慰安婦と挺対協、利害関係が異なる」と気付く
- 「尹美香疑惑、知る立場の人間は皆知っている…聖域の一つが崩れた」
韓国の与党「共に民主党」の尹美香(ユン・ミヒャン)当選人(元・正義記憶連帯〈正義連〉理事長)の「日本軍慰安婦募金流用疑惑」などについて、千英宇(チョン・ヨンウ)元青瓦台(韓国大統領府)外交安保首席が「知る立場の人間は皆知っている秘密」と語った。尹当選人の疑惑を提起した慰安婦被害者の李容洙(イ・ヨンス)さんについては「韓国社会の聖域の一つを崩した」と評価した。千・元首席は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で北朝鮮の核問題を話し合う6カ国協議の韓国側首席代表、外交通商部(省に相当)韓半島平和交渉本部長を務め、李明博(イ・ミョンバク)政権では外交通商部第2次官や青瓦台外交安保首席を歴任した。
千・元首席は今月16日、動画サイト「ユーチューブ」に開設しているチャンネル「千英宇TV」に、「正義連と尹美香の素顔、慰安婦合意秘話」というタイトルの動画を載せた。この動画で千・元首席は「2012年に日本と慰安婦問題の解決策を協議した際、元慰安婦と直接お会いしたことがあり、当時挺対協(韓国挺身〈ていしん〉隊問題対策協議会。正義連の前身)代表だった尹美香氏にもお会いしたことがあって、個人的に少し知っている」としつつ、過去にあったことを明かした。
千・元首席は「李容洙さんが正義連と尹美香に向けて言ったことは、知る立場の人間は皆知っている大変な秘密だが、メディアや政府当局者は皆、知っていても報道したり言及したりすること自体がタブー視されてきた聖域だった」とし、その上で「禁忌や聖域が多いほど、病んだ社会になる。誰もあえてやることができない大きなことを、李容洙さんがおやりになった」と語った。
李さんは今月7日、大邱で記者会見を開き「30年間だまされるだけだまされ、利用されるだけ利用されてきた」と、正義連と尹当選人を強く批判した。千・元首席は「慰安婦被害者マーケティングでこれまで政治的興行を享受し、また法の上に君臨するこうした人々に間違って手を出し、『土着倭寇(わこう)』として追われたら、その後患には誰も耐えられない」として「親日の枠組みに引っ掛かったら韓国社会で生き残るのは難しいので、こういう不都合な真実は被害当事者である元慰安婦しか口外できない」と語った。
千・元首席は、2012年春に日本側から慰安婦問題解決のため特派された斎藤勁・内閣官房副長官と会ったことを紹介した。千・元首席は「斎藤官房副長官は、日本が構想している解決策を持って私を訪ねてきた」として「解決策の中心は、日本が国家予算で慰安婦被害者を支援するというもの」と語った。駐韓日本大使が慰安婦被害者一人一人と会い、日本の首相の謝罪親書と日本政府の補償金を直接渡すというものだった。韓国メディアで「佐々江案」と呼ばれている解決策だ。当時、日本の首相は民主党所属の野田佳彦だった。
千・元首席は当時、斎藤副長官に「日本が国家予算で補償金を支払うという事実を、韓国政府は『日本が国家責任を認めた』と解釈して国民に説明したい」とし「これを巡り、後で日本が『国家責任を認めたわけではない』という声を上げたら、この問題はまた原点に戻る」と指摘した。すると斎藤副長官は非常に困り、その場ではっきり回答できなかった-というのが千・元首席の説明だ。
その後、千・元首席は佐々江案を説明して意向を尋ねるため、慰安婦被害者と尹当選人に会った。千・元首席は「あの方々(慰安婦被害者)の意は、一言で表現すると、早く日本と合意してこの問題を解決してほしいというものだった」とし「生きている間に日本の謝罪と補償を全て受ければ最善だが、それが駄目なら補償だけでもきちんと受けたく思っているという印象だった」と伝えた。
しかし、尹当選人が見せた反応はこれと違っていたという。千・元首席は、当時尹美香代表にこの案を説明して「もしそういう方向で妥協が行われたら、挺対協は歓迎・支持はできなくとも反対はしないでほしいと頼んだ」「そして、慰安婦のおばあさんが生きておられる間にこれよりましな解決を期待するのは現実的に難しそうだ、という話をした」と伝えた。
すると、尹当選人は困惑の表情を浮かべたという。千・元首席は「私はあまりにも純真だった」として「尹美香代表の表情を見て初めて、『挺対協とおばあさんたちの利害関係が異なることもあり得る』と気付いた」と語った。また、「挺対協としては『もうあなた方の仕事はなくなったので、のれんを下ろす準備をしろ』という意味で受け取るかもしれない-ということに事前に思い至らなかった」「挺対協に死刑宣告を伝えたに等しいのに、尹美香代表は喜ぶだろうと勘違いしていた」と述懐した。
ただし、当時韓日間で慰安婦問題合意が実現しなかった理由については「挺対協や外交部のせいではなく、日本側が『国家責任を否定する言及をしないと約束はできない』と言ってきたから」と語った。
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