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2020/05/19

【慰安婦問題】アジア女性基金等、韓国人元慰安婦支援金支給の経緯

公開:2020-05-19 13:54:29  最終更新:2020/05/24 21:14

ブログ主の覚え書きとインデックスを兼ねて、『慰安婦と戦場の性』(秦郁彦著/1999年6月)等の資料より経緯を記しておきます。(Wikipedia『慰安婦の年表』に詳細あり)

 

まずは日本のNGO団体やマスコミが慰安婦問題の火を点ける。(cf. 当ブログ「朝日新聞慰安婦報道の経緯」参照)

そもそもの発端は、1972年の沖縄返還に際して、沖縄で暮らしていたペ・ポンギが在留許可を得るために慰安婦であったことを告白せざるを得なかったからである。金学順のカミングアウトより18年程前に韓国人慰安婦第1号が日本で発見されていた。(『赤瓦の家―朝鮮から来た従軍慰安婦』川田文子著)

  

1987年6月29日 韓国、「民主化宣言」(盧泰愚・大統領候補)

  • これまでの「軍政」(=対北強硬派)が終わり「民政」化することにより、今まで地下に潜っていた左派(親北派)が活動しやすくなる。これにより、日本社会党女性部が仲介をして韓国の左派活動家と朝鮮総連(北朝鮮の統一戦線部傘下の組織)が出会い、挺対協が成立する。つまり、元々、挺対協とは「反大韓民国・日韓分断」を目的とした組織。換言すれば北朝鮮の統一工作組織。これに歯向かうと政治的に抹殺される。金大中当選の原動力にもなった巨大政治勢力。
  • 詳細は、挺対協成立の経緯参照のこと。

1989年 【韓国】吉田清治の本が韓国語訳される

  • 8月14日付『済州新聞』の許栄善記者が書評を兼ねた記事で「済州島での奴隷狩り」のような事実はないと書く。(しかし、地方紙故、影響力は無かった)

1990年(平成2年)11月16日 【挺対協】尹貞玉(ユン・ジョンオク)、李効再(イ・ヒヂェ)等、挺身隊問題対策協議会結成

  • 尹美香は1992年より幹事として参加

1991年(平成3年)8月14日 金学順、ソウルで記者会見

  • 翌日付のハンギョレ新聞は彼女がキーセンに売られたことを報じた/これに先立つ8月11日付朝日新聞(大阪版)に植村隆記者がキーセンに売られたことを隠して「挺身隊の名の下に...」という捏造記事を発表。(植村は挺身隊と慰安婦の違いを知っていたはずなのに嘘をついた)植村の義理の母親・梁順任が遺族会の幹部だったことからと思われる。→後にこの記事を捏造と批判した櫻井よしこ氏や西岡力氏を名誉毀損で訴えるが現時点で2審まで敗訴。
  • 挺対協はこの後、放送を通じて「挺身隊()のおばあさん達は世の中に出て下さい。日本政府に対して公式謝罪と賠償を要求しましょう」と呼びかける。※韓国では長い間、挺身隊と慰安婦を混同していた。
  • 2017年11月、韓国国会は、8月14日を「日本軍慰安婦被害者をたたえる日」として国定記念日に制定。

1991年(平成3年)12月2日 文玉珠 金学順のテレビ出演を見て名乗り出る

1991年(平成3年)12月6日 【遺族会(太平洋犠牲者遺族会)】『アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件

  • 日本政府を相手に慰安婦や軍人・軍属を原告とする初めての裁判
  • 背景: 朴正煕政権は日本からの供与資金を主として経済事業に投じたが、一部を戦争被害者への補償にも充てている。71年1月の「対日民間請求権申告に関する法律」で軍人・軍属や徴用者の遺族へ約58億円(3億ドルの5.4%)を支払ったが、生存者(含、在日朝鮮人、原爆被害者、サハリン残留者、BC級戦犯、元慰安婦)は対象外。これに不満な人々が「太平洋犠牲者遺族会」を結成。在日韓国人や日本人も共鳴。挺対協の運動と合流して、「第一次慰安婦訴訟」(91年12月)へ。西岡力氏によると、起点は「朝日ジャーナル」の89年5月19日号から15回に渡り掲載された「朝鮮と朝鮮人に公式陳謝を百人委員会」(リーダーは在日韓国人の宋斗会、事務局は青柳敦子)の意見広告だという。
  • 89年11月、青柳は韓国へ行き、毎日新聞ソウル支局に依頼して原告となってくれる被害者を探そうとする。この時は不発に終わったが、帰国後に遺族会から協力の申し入れ。→90年3月、ソウルで遺族会主催の大集会→10月、内紛が起こり、遺族会は宋・青柳と絶縁。高木健一弁護士等「日本の戦後責任をハッキリさせる会」に乗り換える。→第二次訴訟(91年12月6日)で初めて元慰安婦3人が原告となる。→92年4月に文玉珠ら6人が追加され、匿名を含む元慰安婦の原告は計9人となる。
  • 弁護士:福島瑞穂高木健一等。元慰安婦の原告(9名):A(金欄伊)、B(のちに離脱)、C(金福善)、金学順(91年8月に挺対協の呼びかけに応じて名乗りを上げた/裁判中に死去97.12)、文玉珠(裁判中に死去96.10)、李貴分、廬清子、金田きみ子(朴福順〔パク・ポクスン or パク・ボクスン〕)、沈美子

1992年(平成4年)1月8日 【挺対協】在韓日本大使館前で「水曜集会」を開始

1992年(平成4年)12月 【挺対協】東京で開かれた「『従軍慰安婦』等国際公聴会」で、北朝鮮の朝鮮日本軍性的奴隷及び強制連行被害者補償対策委員会と合流

1992年(平成4年)12月25日 【遺族会?】『関釜裁判』提訴

  • 韓国釜山市などの元日本軍慰安婦3人、元女子勤労挺身隊7名ら合計10人が、日本国の公式謝罪と賠償を求めた裁判
  • 世話人:松岡澄子花房俊夫
  • 原告の元慰安婦はは、河順女(ハ・スンニョ)朴頭理(パク・トゥリ)李順徳(イ・スンドク)
  • 98年4月27日、山口地裁下関支部では原告の訴えを一部認めるも、二審(2001)、三審(2003)では原告の訴えを棄却し、原告敗訴で終わる
  • 98年には10月9日に『フィリピン人元慰安婦訴訟』が東京地裁で棄却されている
  • 河順女の訃報に寄せたあるブログ記事に「太平洋戦争犠牲者遺族会を通じて(元慰安婦であることを)申告」とあるが、支援する会のHPには尹貞玉(挺対協)との連携も見られる。

1993年(平成5年)2月1日 【挺対協】元慰安婦19名の証言集を刊行

1993年(平成5年)2月25日 金泳三大統領就任

  • 「日本に物質的補償は求めない...韓国の予算で生活保護支援を行う」と発言→元慰安婦の認定作業へ
  • 93年に来日した盧泰愚前大統領は、日本の言論機関が提起したこの問題で韓国内の反日感情を焚きつけたと迷惑がっていた。(浅利慶太氏との対談/文藝春秋1993年3月号:日韓摩擦・韓国の責任 / 浅利 慶太 ; 盧 泰愚/p318~331)93年2月に就任した金泳三大統領も(既に裁判が始まっていたため)「被害者の個人的要求は否定しないが、政府レベルでは(補償を)求めない」と発言。
  • 韓国マスコミも朝鮮日報は「我々が補償し、もうこの恥ずかしい過去の幕を下ろそう」(93年8月5日付)
  • しかし、朝日新聞は「日本の道議が試されている」との社説(93年3月20日)で煽る。

1993年(平成5年)7月26~30日 【日本政府/遺族会】韓国で元慰安婦16人聞き取り調査

  • 2014年9月、非公開が前提のこの調査の映像の一部を遺族会(会長:梁順任=ヤン・スニム)公開。オブザーバーとした参加した福島瑞穂弁護士(当時)が元慰安婦に寄り添うように映っている。

1993年(平成5年)8月4日 【日本政府】河野談話(韓国は金泳三政権)

1993年(平成5年)8月 【韓国政府】認定された慰安婦に一時金500万ウォン支給

65年の日韓請求権協定で受け取った支援金から軍属などの死亡者の遺族に補償金を支払っていたが、慰安婦は名乗り出なかったこともあり、対象とはなっていなかったが、韓国政府より元慰安婦に一時金と毎月の生活支援金や公営アパートの提供などを行った。

1994年(平成6年)5月 沈美子、挺対協と決別

1994年(平成6年)8月 【日本政府】村山談話

1995年(平成7年)7月19日 アジア女性基金 設立(戦後50年)

  • 正式名称:女性のためのアジア平和国民基金(HP:慰安婦問題アジア女性基金デジタル記念館
  • 与党三党(自社さ)の戦後50年プロジェクトで、94年夏頃、慰安婦救済のための民間基金構想が浮かぶ。最終的に、「個人補償はせず、法的整合性を取るために民間からの募金による『民間基金』という形」で決着。94年12月7日「三党合意書」。当初、政府の協力は事務経費の支出だったが、少し遅れて「医療・福祉援助」の上積みを決定。→最終的に額は償い金(200万円)+医療・福祉援助(228万円)。
  • 内外の慰安婦支持団体は、あくまでも国家補償を求める反基金派や基金支持派に分かれる。韓国では、前者の代表が「挺対協」(現・正義連)、後者は「太平洋犠牲者遺族会」(植村隆元朝日新聞記者の義母の梁順任氏はこの幹部)
  • 慰安婦の認定は所属する国か、国が委託した機関に委ねる。

1996年(平成8年)8月15日 アジア女性基金、支給開始

台湾・韓国は難航。両国共に協議に応じない団体がおり、韓国は挺対協などが対話を拒む。

1996年(平成8年)10月 【挺対協】 基金に対抗して独自の募金を始める

1996年(平成8年)秋 【挺対協】元慰安婦を一堂に集め、基金からの受け取りを拒否するように迫る(産経)

1996年(平成8年)12月 【アジア女性基金】 金田きみ子(朴福順)、受給を申し入れ(第1号)

1997年(平成9年)1月 【アジア女性基金】金田等7名の元慰安婦に428万円を交付

  • 韓国政府は支給を待って欲しいという態度であり、挺対協の妨害が予想されたため、韓国政府との事前協議無しでソウルのホテルでひそかに実施したため、団体や韓国マスコミから「買収行為」などと非難を受け。挺対協は7名の氏名を暴き、様々な嫌がらせ。尹貞玉「償い金を貰ったら被害者は公娼となる」と脅す。(産経)→慰安婦支援団体の対立が激化し、デモなどで非難合戦。(秦郁彦氏の見解は、女性基金を巡る金の争奪戦。)
  • 韓国での活動は2002年9月終了。最終的に韓国人元慰安婦へのアジア女性基金実施数は61人/韓国政府が認定した元慰安婦207人(産経)
  • 活動終了後も日本政府は「アジア女性基金フォローアップ事業」を継続。元慰安婦を支援してきた臼杵敬子も協力、年4,5回、元慰安婦達を訪問。→2004年、金田きみ子(朴福順)死去〔カイカイ反応通信『韓国人「慰安婦を助けていたのは、むしろ日本人だった…韓国人は何もしていなかった!」

1998年(平成10年)4月 「第5回 日本軍慰安婦問題アジア連隊会議」(於ソウル/反基金派)

この時、「日本軍性奴隷に関する女性国際戦犯法廷」の開廷を決議。→2000年東京で開廷/尹貞玉(挺対協)、松井やより朴元淳 (検事役/現ソウル特別市長、等

1998年(平成10年)4月 【挺対協】金大中政権(2月成立)に募金の不足分の政府負担を要請

アジア女性基金の償い金を受け取った疑いのある二十数人には支給を保留し、残りには受け取らないという誓約書と引き換えに136人(→186名/李承晩TV)の元慰安婦に約350万円の一時金を支給。(民間からの募金+韓国政府)

この結果、①韓国人元慰安婦の約9割は「民間からの募金+韓国政府」の支援金を受け取り、②その内十数名は女性基金の金も受け取り、密かに基金を申請済みか打診中が三十数人。③女性基金から償い金を受け取った金田きみ子ら7名。④名乗り出ず、給付も受けていない人(数百名?)に分かれた。

2004年(平成16年) 【ムクゲ会】沈美子ら13人の元慰安婦が挺対協と「ナヌムの家」を相手取り「募金活動およびデモ動員禁止仮処分」申請

  • 地裁は棄却
  • 同年、「33人の慰安婦ハルモニ達の名で告げる」という正義連に対する告発。挺対協が1990年から開催してきた水曜集会も、実際の慰安婦被害者たちではなく、中国から来た人々が混ざっていて、韓日問題解決の助けにならないとして、中止するよう主張。

2005年(平成17年)4月 池萬元氏、自身のHPに「慰安婦問題を解剖する」という論文を発表

Wikipediaより:日本大使館前で毎週水曜に行われている抗議集会に参加する元挺身隊の女性たちは偽者である。日本の最高裁判所が確実に日本軍慰安婦だったと認めたシム・ミジャ(沈美子)さんが認める日本軍慰安婦だった女性は33人で、このうち現在デモをしている女性は1人もいなかった。テレビでよく見かける女性の場合は日本の関連団体が偽者とし保証金の支給さえ拒絶している[3]。

2015年(平成27年)12月28日 慰安婦合意(安倍首相・朴槿恵大統領)

  • 日本政府は「和解・癒やし財団」に10億円拠出。韓国側が運営する形の「和解・癒やし財団」を設立。元慰安婦には1億ウォン(約1千万円)、遺族には2千万ウォン(約200万円)が支給されることになった。
  • この事前調整を行った千英宇(チョン・ヨンウ)元青瓦台(韓国大統領府)外交安保首席は、挺対協にこのことを尹美香氏に話すと当惑の表情を浮かべたと後に語っている。つまり、元慰安婦と目的(補償と問題解決/問題の維持)が異なっていたことに気付いたと朝鮮日報に語る。(記事はこちらのエントリー『【慰安婦問題】挺対協の正体』参照)
  • 合意当時は46人中36人の約78%が合意に賛成して見舞金1億ウォンを受けとっていた

2016年(平成28年)8月29日 【挺対協】韓国・南山(ナムサン)に慰安婦の名を刻んだ『記憶の場』除幕式

  • 247名の名前〔沈美子金田きみ子(※朴福順/パク・ポクスン)等、挺対協に楯突いた元慰安婦の名前は無い〕
  • 元慰安婦の中には勝手に名前を刻まれて、夜中に名前を削った者もいた。

※寄付金流用疑惑よりもさらに悪いのは、自分たちの考えに従わないおばあさんは苛酷に排除したという点だ。シム・ミジャさんはもちろん、シムさんとともに尹美香氏の挺対協に反旗を翻したパク・ボクスンさんの名前は、挺対協が日帝蛮行を忘却せずに記憶しようと言いながら作成した「記憶の場」の造形物にはない。わざと2人のおばあさんを排除して記憶から消したのだ。(中央日報:【コラム】尹美香の貪欲がありがたい=韓国/2020.05.22)

 

(必要に応じて加筆修正します。)

【参考記事】

  

  


 

 

 

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