【アイヌ】神社の神主がお祓いで振るのは「大幣(オオヌサ)」、アイヌの祭壇の名称は「ヌサ」
先日(2月1日)、TBSの『報道特集』というニュース番組を観ながらメモ帳(Windows付属のアプリ)にメモをとっていたところ、「ぬさ」と入力して「幣」と変換されたので驚きました。
アイヌ語で「ヌサ」とは祭壇の意味だそうですが、実は「幣」だったのです。
と言ってもピンと来ないかも知れませんが、「御幣(ごへい)」と言ったらお分かりでしょうか? 「幣」に「御」を付けた言葉で、こういう(⤵)物です。神棚などに飾ります。
ブログ主が驚いたと書いたのは、「御幣」という言葉は知っていても、「幣」の訓読みが「ぬさ」だとは知らなかったからです。
ちなみに1枚目の画像で祭壇に飾っている「御幣」のようなものは「イナオ」と呼ぶそうで、明治初期に北海道のアイヌ部落を訪れたイザベラ・バードはその名前と共に「祭祀具」あるいは「守り神」と表現しています。
神主がお祓いの時に振る大型の幣は「大幣(おおぬさ)」(または「大麻」と書いて「おおぬさ」または「たいま」)と呼びます。(『広辞苑』⤵)
おお‐ぬさ【大幣】 オホ‥
(1)大きな串につけたぬさ。祓(はらえ)に用いる。大麻(たいま)。古今和歌集(恋)「―の引く手あまたになりぬれば思へどえこそ頼まざりけれ」
これは想像、と言っても、正しいと思いますが、アイヌが祭壇に飾る「木を削った物」の原型は神道の「幣(ヌサ)」でしょう。この言葉はアイヌが日本にやってくる12~13世紀よりもずっと古く、万葉集(8世紀頃編纂)に出てくる言葉です。(下図は『明解古語辞典』金田一京助・春彦監修)
恐らく、祭壇で目立つ「幣」がアイヌ文化に取り込まれる際に「祭壇」そのものを指すようになったと思われます。
「幣」という漢字は「貨幣、紙幣」ということからも分かるように、①上記の「ぬさ」以外に、②天子や客に差し出す贈り物、③宝、大切なもの、④銭(ぜに)、昔、通貨の役をした布(以上、『漢字源』)という意味があります。
『神道・神社』のサイトの「御幣」の説明には「依り代」であると書かれています。
神が依りついて宿るものは一般に「依代(よりしろ)」と呼ばれいますが、神社では、「御幣(ごへい)」と「鏡」という形で祭られることが多くあります。
つまり、神道では、御幣や鏡はあくまでも神が降りて留まる目標物ということになります。
上の方に挙げた「御幣」の画像ですが、木の棒にジグザグに折った紙を付けたものは、それ全体を「御幣」を呼びますが、紙などで作ったジグザグのものは「しで(垂、四手)」と言います。
では、「四手」は何を意味するかと言うと、前述の『神道・神社』の説明によると、雷光(稲妻)なのだそうです。
「御幣」は、通常は木の軸の頂部に「紙垂(しで)」と呼ばれる切り紙を取り付けた形式になっています。御幣で重要なのは、木の軸ではなく「紙垂」の方になります。「紙垂(しで)」の形は、多くの場合、紙を四角形に何度か折り返した形となっています。それは、神霊が地上に降りて来る形である雷光(稲光)をかたどっていると考えられています。つまり「紙垂」は、神出現の一つの表現なのです。
『明解古語辞典』を調べて見ると、「神」の原義は「雷」だそうです。
古代の日本人は、稲妻が「神が天から降りてくる姿」と見たのでしょう。
上述のことは、実は既にアイヌ系の砂澤陣氏がブログにも書き、Twitterでも簡潔にお書きになっています。
https://twitter.com/SunazawaJin/status/1069924768369991680
アイヌの祭事は神道の真似、カムイは神道の神の訛り、幣や祝詞も同じね。これを書いたらアイヌ協会のある御仁から、カムイの由来を言われたら身も蓋もない!だが他に何が神道のものなのか教えてくれと、酒を飲めばカムイが喜ぶと言って散々飲まされた事がある。←これも神道ね。
午後9:01 2018年12月4日
もちろん、アイヌが神道の真似事をすることは問題ではありません。
さて、それでは、明治期に日本を旅したイザベラ・バードが見たアイヌの宗教はどのようなものだったでしょうか。(講談社学術文庫『イザベラ・バードの日本紀行(下)』2008年2月13日第20刷より)
彼女は1878年(明治11年)6月から9月にかけて東京を起点に日光から新潟県へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した(Wikipediaより)のですが、8月23日の第41信から平取(びらとり)のアイヌ部落で滞在した様子が綴られます。
アイヌの病人に薬を分け与えたところ、親切にしてくれたお礼にと、彼等の信仰する「義経神社」に彼女を連れて行ってくれた時の様子が記述されています。
この次(P.100)に書かれているますが、アイヌが義経を信仰するのは、「義経が自分達に優しかったと先祖代々伝えられている」からだからで、神社を礼拝するときには、「三度鈴を鳴らし、三度お辞儀をして六度酒を捧げ」るのをイザベラ・バードは目撃しています。
第42信では、アイヌの宗教について語っていますが、イナオについても描写しています。
アイヌの宗教に関する概念ほど曖昧模糊としてまとまりのないものはありそうにありません。山にある義経を祀った日本式建築の社は別にして、彼等は寺社も持たず、司祭も捧げ物も礼拝もないのです。(中略)樹木、川、岩、山を漠然と神聖視し、海、森、火、太陽、月に漠然とした善、または悪の力の観念を結びつけています。(中略)彼等は生物・無生物を問わず自然を賛美しますが、その唯一の例外が義経への崇敬と思われます。義経に対してはたいへん恩義を受けていると信じており、いまだに自分達の味方をしに現れてくれると考えている人々もいるのです。
彼等の神々、すなわち宗教の見かけ上の象徴は、神道の御幣と非常に似通っており、杖と皮を剥いだ木の棒で、棒はてっぺん近くまで表面を薄く削っており、その削りかけの白い薄片がくるくると垂れ下がっています。
こうした、イギリス人であるイザベラ・バードにとって恐らく未開に見える宗教心、自然に対する畏敬や畏怖は、何もアイヌだけではなく一般の日本人も持ち合わせています。
最後に、イザベラ・バード自身が義経について記した註(原註)に面白いことが書いてあったのでご紹介します。
一般的な源義経の説明に続いて、以下のように書かれています。
義経が蝦夷に逃げ延び、アイヌと共に長く暮らした後一二世紀末にそこで死んだと信じる人は多い。アイヌはこの説を誰より強く信じ、義経は自分達の先祖に文字や数とともに文明的な技法の数々を教え、公正な法を与えたと主張している。法の師を意味する名前で義経を崇めるアイヌは多い。
私は平取、有珠、礼文華の老人達から、技法を書いた本はのちに蝦夷を征服した日本人が持ち去ってしまった。義経の生きていた時代は遠くなり、技法そのものも廃れてしまったので、アイヌは今のような状態に落ちぶれてしまった(!)と聞いている。
なぜアイヌはナイフや槍と同じように鉄製や粘土製の船を作らないのかと尋ねると、返ってくる答えは決まって「日本人が本を持っていってしまったから」である。
源義経という人は、蝦夷でアイヌに技法を教えたり、成吉思汗(ジンギスカン)になったり、忙しい人ですね。
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