【台風19号】多摩川の被害とその原因(二子玉川、高津、小杉、幸区戸手)
公開:2019-10-15 14:17:05 最終更新: 2020/10/19 10:54(「旧河道」追加)
今回の台風19号は日本各地に多大な被害を与えました。
ブログ主は土曜日(12日)の昼間に洪水と高潮の2つの警報が発令されたため、外を歩けるような状態の内に近所の避難所に退避し、一晩を明かしました。避難所の小学校に着いたときには担当の方(避難所運営会議:市職員や地域団体)がおり、毛布を支給してもらって、文字通り、嵐が通り過ぎるのをやり過ごしました。まずは、円滑に運営して下さったスタッフの皆様にお礼を申し上げます。
避難者はテレビを観ることができなかったので各地の被害の様子は分からなかったのですが、一夜明けて家でテレビをつけると、多摩川でも数カ所が洪水や冠水の被害に遭っていることが分かりました。
たまたま報道ステーションで特集を組んだらしく、動画(『【報ステ】多摩川周辺で冠水 それぞれの原因とは・・・(19/10/14)』)があったので、その原因などを記録としてメモしておくことにします。
以下、基本的には番組で説明された内容をそのまま書き留めます。
【2019/12/27追記】大田区の洪水原因について、こちらのエントリーに追記しました。
【被害のあった箇所】
画像は川の右側が東京(世田谷区、大田区)、左側が川崎市(高津区、中原区)です。
これらの被害の原因はそれぞれ異なる、と番組では説明しています。
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まずは、二子玉川(ふたこたまがわ)駅付近。この辺りは堤防がなく、水が溢れました。
番組では大正時代の料亭などが景観を損ねると反対した為、という説明がなされていましたが、10年ほど前に「二子玉の環境と安全を考える会」なる団体(東京都世田谷区)が反対していたためです。(後述)
ナレーション「河川事務所によると、近年も堤防の整備を進めるための説明会を度々行ってきたそうです。ただ、『景観を大切にして欲しい』といった声もあり、住民の合意には至っていなかったと言います。」
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二子玉川から1キロほど下流の東京側エリア(大田区)も冠水しましたが、ここは「内水氾濫」(排水溝などから水が溢れる)ではないかと専門家は言います。
通常は川に雨水を流す排水門が、川の水位が上昇したために閉めざるを得なくなり、大量の雨水が処理しきれなくて住宅街に溢れた、ということです。
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川崎市高津区の場合は、多摩川の支流・平瀬川付近で冠水しましたが、多摩川の方が水位が高くなったことにより起こる「バックウォーター現象」による可能性。水位の上がった多摩川の水が壁のようになり、支流の水が押し戻されるという現象だそうです。
1階が浸水して男性がお亡くなりになったのはこの合流地点の近くのマンションです。
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【武蔵小杉の場合は】
以上が報道ステーション(動画)の説明ですが、現時点では更に下流の武蔵小杉駅周辺の冠水の理由は不明です。(判明したら追記します。)
26日付産経新聞(24日付東京新聞にも)に詳しい記事があったので、以下、書き換えます。
直接の原因は多摩川の水が配水管を逆流した「内水氾濫」とのことです。
記事によると、12日午後3時45分頃に区内のマンホールから水が溢れ始めた(具体的な場所は不明)のを確認。しかし、雨が降り続いていたため、ゲートを閉め始めたのは雨が落ちついて来た10時52分で、通常なら1分ほどで閉鎖するはずの水門が完全に閉まったのは翌13日の午前10時50分でした。
結果として、下記のエリアで冠水しました。(東京新聞より)
しかし、そうなると、冠水した2つのエリアとその間の無事だったエリア(JR南武線と横須賀線の間)との違いが気になります。
今回、タワマンで停電や断水したのは地下の電源室が浸水したためで、二次被害。問題は、なぜ川により近いエリアが無事で、川から離れたこのエリアで内水氾濫が起きたかでしょう。恐らく、下水道の構造などに問題があるか、それに影響を与えたものがあると思われます。
追記→NHKのニュース動画に示された地図にヒントがありました。水門に直結する下水管が示されています。これに枝管がどのように繋がっているのかが冠水したエリアとしなかったエリアを分けたのかも知れません。
大田区の項で書いたように、水門が開いていれば川からの水が逆流する恐れ、閉じていれば雨水等が行き場を失って逆流する可能性もあり、どのタイミングで閉めるのかは判断が難しいそうです。
2019/10/28追記: 2019/10/26付産経新聞『水害 タワマンに弱点』という記事で、直接今回の被害の原因について書かれたわけではないものの、「通風口」の存在が指摘されていました。
それは、電気機器などを置く地下室には喚起のための通風口が義務づけられており、そこから浸水する危険性があるというものです。
確かに、新宿駅とか東京駅とか、駅前ロータリーに巨大な筒型の通風口がありますが、あれほどの「立ち上がり」は不必要としても、ある程度の高さの壁がないと、そこから雨水が浸入する危険性は想像できます。武蔵小杉のタワマン群は街中(まちなか)にあると言っていいのですが、日照権などの問題でタワマンが建設されるのは周囲に民家がない川べりに建設されることが多く、高層だからと言って安心していても、通風口が落とし穴になると感じました。
2020/10/19追記: NHKが「旧河道」に注目したwebニュースを本日付で配信していました。多摩川沿いで洪水被害のあった15箇所の内13箇所が旧河道だったというものですが、以前川があった場所で、周囲よりも低地になっており、泥土が堆積しているため、水害や地震に弱いとのことです。水の流れにより上流から運搬されてきた砂などが河道の岸に沿って堆積して形成された微高地は「自然堤防」と呼ぶそうです。
下の図はNHKの画像(元は国土地理院の治水地形分類図)に南武線(東横線)と横須賀線の武蔵小杉駅を書き込んだものですが、濃い青の部分が旧河道です。
参考:【NHK】去年の台風19号 多摩川沿いの浸水 “旧河道”を含んだ地域も/2020年10月19日 9時40分
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【幸区戸手の場合は】
なお、川崎市幸区戸手(4丁目12番地)の「住宅」が浸水というNHKの報道がありましたが、ここは土手の内側を不法占拠している場所で、河川敷なので増水したら水没するのは当然の場所です。この場所について詳しくは、「東京Deep案内」サイトさんのこの記事をお読み下さい。
追記:示現舎さんが洪水後のこのエリアを探訪していました。→YouTube動画『川崎市幸区戸手4丁目 多摩川河川敷の部落』
更にこのエリアの歴史的な経緯に詳しい方のツイートがあったので貼っておきます。このツイートから始まるスレッドをお読み下さい。
以下、追記の予定ですが、一旦ここまでで公開します。
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【2019/10/16追記】二子玉川の堤防の問題について追記します。
大正時代に料亭などの反対で堤防が築かれなかったというのは、NHKの『ブラタモリ』でも取り扱われています。(個人の方のブログなので直リンは貼りませんが、非常に詳しく番組を再現されていらっしゃるのでご興味があればご参照下さい。:https://hiroshige-kitarou.blog.ss-blog.jp/2018-07-06)
これによると、反対派の意向を汲んで、料亭などがあった一角の外側に堤防が作られています。
しかし、現在も川沿いに堤防が築かれていないことを、大正時代の経緯を根拠にするには無理があると思います。実際に、国交省は正式な堤防の整備を計画し、長年地元住民との間で話し合いが行われてきたからで、それは国交省関東地方整備局「京浜河川事務所」のサイトの「無堤部解消プロジェクト」のページに提示された記録を見たらよく分かります。
既に報道されているように、ここ10年ほど、地元の一部住民による反対活動で築堤が計画通りに行かなかったのは事実でしょう。反対していただけでなく、「賛成派」との軋轢もあったようで、これは2009/08/23に放送された『噂の東京マガジン(8/23)「噂の現場」~二子玉川の新堤防で論争~』で扱われています。(リンク先が「魚拓」なのはこれを記録したブログが、この問題がクローズアップされた後このエントリーを削除したため。)
なお、最近、週刊文春がこの反対派と京浜河川事務所とを取材しています。『二子玉川地区の河川氾濫は人災か? 堤防建設問題の真相を国交省に直撃《台風19号水害》』
このルポの内容を簡単に書くと、反対活動家が反対していたのは、現在「暫定堤」がある部分で、決壊箇所の部分は関与していないと主張。河川事務所もそれを認めていて「人災はデマ」と記事は結論づけています。
駅を挟んで右側(下流側)の堤防は実際には「暫定堤」です。
これについて文字通りに受け取っていいのかは、先の「無堤部解消プロジェクト」のページを見て個人的には疑問視しています。
国交省としては堤防を造るいい機会だと、反対派をむやみに刺激する発言を避けたのではないかと個人的には想像しています。
もし、文春が事実を追及したいのなら、反対派と河川事務所だけでなく、周囲の一般の住民や堤防推進派の方達にも取材した方が良かったのではないでしょうか?
川崎市側の多摩川流域の住民としては、多摩川は暴れ川で、流域は江戸時代から水害に悩まされてきたことを郷土史で知っているからです。歴史的には、むしろ、積極的に治水工事を望んでいて、例えば、二子玉川で築堤に反対した大正時代、川崎側(二子玉川よりやや下流)では堤防を求めて県庁に押しかけるという「アミガサ事件」というのも起きています。だから、堤防を造る側が「説得」しないとならず、それに10年以上かかっている状態というのが異常に思えます。
ドラマ「岸辺のアルバム」のヒントになった多摩川水害は二子玉川よりやや上流の東京都狛江市(対岸は川崎市多摩区)で1974年(昭和49年)に起きています。
更に追記。
反対派の立場に立ったブログ(https://hayariki.jakou.com/futako/tama.html)ですが、これを読むと、暫定堤だけでなく、土嚢の積み上げにも反対していた様子がわかりますね。筆者はノンフィクション作家だそうです。(以下、反対の理由部分のみ引用)
反対運動では暫定堤防を不要とするだけでなく、積極的に有害であると主張される。その理由として以下の4点がある。
第1に鳥獣保護区・風致地区の貴重な自然環境の破壊である。暫定堤防建設のため伐採される樹木には映画に登場するなど、文化的にも由緒があるものも少なくない(林田力「多摩川暫定堤防の見直しを求めるお花見交流会開催=東京・世田谷」PJニュース2010年4月5日)。
第2に眺望の破壊である。家の前に高い堤防ができると、川べりの素晴らしい眺めが遮られる。その眺望をセールスポイントとする飲食店も立地しており、営業上の死活問題にもなる。もともと二子玉川南地区は景観を売り物にする料亭があり、堤防建設に反対したという歴史がある。
第3に治安の悪化である。高い堤防ができると、堤防の内側は人目がつきにくくなる。現に堤防建設済みの対岸の川崎市側では花火などで深夜まで騒々しい状態である。
これら3点の反対理由は直感的に理解しやすいが、マックス・ウェーバー流に言うならば堤防推進派との間に異なる価値観による「神々の争い」を引き起こすことになる。自然環境も眺望・治安も価値があることは誰も否定できないものである。一方で堤防推進派は洪水被害から生命・財産を守るという大義名分がある。
こうなると堤防建設の賛否は自然や眺望・治安を優先するか、水害防止を優先するかという問題と位置付けられてしまう。実際、このような二派の対立という形で紹介したテレビ番組があった(TBS「噂の東京マガジン」2009年8月23日放送)。
もし平時の快適な生活と災害時の安全のどちらを優先するかという形で一面的な整理をされると、反対運動の分が悪くなる。それ故に反対運動では根本的な反対理由として、そもそも暫定堤防は不要と主張する。
第4に内水氾濫の危険である。二子玉川南地区は堤防(旧堤防)よりも川寄りの地域である。暫定堤防ができると、二つの堤防に挟まれる。まるでタライの底のような状態で、降雨が滞留し、内水氾濫となる懸念がある。
この点については国土交通省にも配慮が見られる(国土交通省・前掲資料)。二子玉川南地区では雨水は下水道に取り込まれて排水されるが、下水道は北側に延び、南地区の外に出る。これで排水されるというのが国土交通省の説明である。既に2009年10月に下水道工事が行われた。
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通りすがりさん
ご指摘ありがとうございました。
なんで綾瀬市って書いたんだろう ^^;
訂正しておきました。
投稿: 大師小ブログ管理者 | 2019/10/16 23:17
いつも参考となる内容、ありがとうございます。
重箱の隅ですが
>東京都綾瀬市(対岸は川崎市多摩区)
74年の水害で、多摩区の対岸は東京都狛江市では?
綾瀬市は神奈川県にありますが、多摩川沿いではありませんしね。
投稿: 通りすがり | 2019/10/16 19:54