【竹島】「竹島は日本領」と認める米回答文書がオーストラリアで発見される
ブログ主の覚え書きとして。
今回発見された資料が追加された「平成30年度報告書」へのリンクも貼っておきます。
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/190911/mca1909111321016-n1.htm
「竹島は日本領」アメリカが認識 戦後、オーストラリアに伝える
2019.9.11 13:21内閣官房は10日、終戦から5年後の1950(昭和25)年に、米国政府が島根県・竹島を日本領と認識しているとの見解をオーストラリア政府に伝えた内容が記載されたオーストラリア側の文書が見つかったと発表した。同じやりとりに関する米側の文書は既に公開されている。米豪双方から米国の認識が確認されたことで、日本の立場がより補強された形だ。
宮腰光寛領土問題担当相は10日の記者会見で「従来のわが国の主張を改めて裏付けるものだ」と強調した。
資料は、米政府がサンフランシスコ講和条約の起草段階で、日本の領域に関するオーストラリア政府の質問に答えた文書。竹島について「古くから日本と認識されており、日本によって保持されると考えられる」との見解を示した。
今回見つかった文書を含め、竹島と沖縄県・尖閣諸島が日本の領土である根拠として資料計14点を紹介する報告書を作成し、内閣官房領土・主権対策企画調整室のホームページで公開した。(※リンク先のPDF「平成30年度報告書」P.16~)
以下、P.16を参照に「サンフランシスコ平和条約起草時における関係国協議経緯」を時系列を整理(仕掛かり中)
1945年(昭和20年)8月14日 ポツダム宣言受諾
- 1945年7月26日にポツダム会談で採択された、アメリカ合衆国・連合王国・中華民国から大日本帝国への降伏勧告。1945年8月8日、ソビエト連邦が参加して4か国による宣言となる。日本はこれを1945年(昭和20年)8月14日に受諾。
- 日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国と「吾等の決定する諸小島に局限」されるとされた。
1947年頃~ 米国内及び英連邦諸国においてそれぞれ条約起草に向け作業、意見調整
1950年6月25日 朝鮮戦争勃発(検討内容に影響)
- 1953年7月休戦。(7月27日、板門店にて休戦協定調印)
1950年9月 「対日講和7原則」
- 米国、条約の内容を簡単に7項目にまとめた形で関係国に提示し、非公式協議
1950年10月19日 オーストラリアが米国に質問
1950年10月 米国がオーストラリアに回答 (←今回発見された資料)
1951年3月23日 米国草案作成
1951年4月25日-5月4日 米英事務レベル協議
- 米国、草案を独自に作成していた英国と事務レベル協議、米英共同草案作成(1951年5月3日)
以下、仕掛かり中
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