【天安門事件】天安門事件後の1ヵ月、日本や世界はどう動いたか
6月5日付産経のコラム『矢板明夫の中国点描』で、当時の学生リーダーの一人、王丹氏の発言が取り上げられています。
記事は無料で読める部分だけ引用しましたが、天安門事件後、世界が中国に対して経済制裁をする中、日本が真っ先に経済制裁をやめ、天皇陛下の訪中も実現させたことで、中国を事実上許して、国際社会に受け入れたことを批判するものです。天皇訪中までして中国の“手助け”をしたのに、江沢民は反日キャンペーンを行います。「鶴の恩返しはない」とはそういう意味です。
北京に「鶴の恩返し」はない
2019.6.5「海部俊樹さんに会う機会があれば、直接聞きたい。なぜあのとき、中国への経済制裁をやめたのか」
5月下旬、東京都大田区の小さな居酒屋で、中国の民主化運動家の元学生リーダーである王丹氏はビールを一口大きくあおり、語気を強めた。
1989年6月に起きた民主化運動が弾圧された天安門事件後、中国当局の指名手配名簿の1位だった王氏は、海外逃亡のチャンスを放棄して、刑務所に入ることを選んだ。
「獄中で戦い続けることは、亡くなった仲間たちへの供養だ」という王氏。「戦車を出動させて学生を虐殺する政権を、国際社会が認めるわけがない。民主主義国家は、必ず自分たちの戦いを応援してくれる」とも考えていたという。
王丹氏とは前述のように天安門事件のリーダーのお一人で、その後、政府から指名手配されました。
当然、世界から日本は非難され、こうしたことが積み重なって、中国は日本をすっかり“舐めきる”ようになります。完全な外交上の失敗です。
* * * *
以下に書くことは、上記批判を前提にして、しかし、「日本が勝手にホイホイと制裁解除をして中国をつけあがらせた」という単純な話ではなかったという内容です。
6月3日のNHK‐BS国際報道では、天安門事件直後に交わされたブッシュ米大統領とサッチャー英首相との電話記録を公開していましたが、それによると、米大統領は「米国は中国との関係をこのまま維持できるよう望む」と語り、英首相も「同意します。中国との関係維持は必要です」と答えていました。

イギリスは中国との対応に苦慮していた国の一つで、番組では当時北京の英大使館で情報収集にあたっていたイギリス大使館二等書記官のショーン・リオーダン氏がインタビューに答えていました。それは、「8年後に控えた香港返還のため、不安定な状況をもたらすような劇的な変化は望んでいなかった。」という内容です。
また 元イギリス外務省極東局員の、アンソニー・ウィルミントン氏によると、「過度に北京政府を刺激しないよう、バランスを取っており、サッチャー首相とブッシュ大統領は長期的に中国を懲らしめ続けたり、非難し続けたり制裁処置を科すことは生産的ではないと考えていた。」そうです。
一方、アメリカが重視してたのは中国から得られる経済利益で、中国がとる改革開放路線の維持を望んでいました。そのために、孤立させない方が良いと考えたわけです。
天安門事件から1ヵ月後にフランスで開かれたアルシュサミットでは、 「中国に対し武器の取引禁止などの制裁を科す宣言」がなされましたが、サミットの5日後にブッシュ大統領は鄧小平に書簡を送っています。
それは、「親愛なる友、鄧小平殿」で始まり、「サミットの共同宣言の草案に中国を過度に非難する文言がありましたが、アメリカと日本が取り除きました。今は厳しい時期かも知れませんが、米中の明るい未来に向け、共に前進しましょう」というメッセージが綴られています。

下は手紙の一部をトリミングしたもの。第3パラグラフ(Firstで始まる段落)では、スコークロフトという特別補佐官の名前も見え、事前にアメリカが中国に送った特使を受け入れてくれたことに対する礼も言っています。
日本とアメリとで厳しい文言を取り除いたという部分は下。
このあたりの話は、チャンネル桜の『【Front Japan 桜】天安門事件から三十年 / 天安門事件後、党中央では何が話し合われたか[桜R1/6/4]』で、当時、産経新聞の記者として取材をしていた福島香織氏が簡潔な言葉で説明しています。(30:15あたり~。リンクはその少し前に開始位置を設定しています。)
福島氏の発言の趣旨は、「経済制裁を解いて欲しいと言ってきたのは米国。米国は人権の国として率先してはできない。当時、丁度、方励之(ほう・れいし)氏がアメリカの大使館に逃げ込んでいて、どうやって米国に送るかが問題になっていた。中国側も解放の条件として経済制裁解除を求めていた。そこで、水面下で日本に経済解除をすることを要請。日本もそれに同意。そこで方氏は米国に行けた。しかし、事情を知らない彼は日本に激怒。」
NHKの番組には元中国大使で外務省時代にアルシュサミットを担当していた宮本雄二氏が出演されていましたが、キャスターに「実は日本とアメリカが制裁の手を緩めたとVTRにあったが...」と言われて、少し、ニュアンスが違うことを言っていました。
「日本は中国に甘すぎると批判があった。日本が最後まで中国を守ると言う姿勢があって、それにアメリカが乗ってきた、というところ。スコークロフトという特別補佐官をサミットの前にコッソリ中国にやっている。表では中国にきつい態度を見せながら、裏ではそういう事をやっていた。各国から批判されても、日本は何故そういう姿勢だったか...その前に文化大革命があった。改革開放がここで失敗をすれば、中国は再び文化大革命(1966年)以後約10年間続いた権力闘争の時のような閉鎖的で外に敵対的な国に戻る危険性があると考えていた。また、72年に日中国交正常化をして、文革が終わり、78年に開放政策が始まり、やっと日中関係がここまで来た。それを壊すのが惜しい、(そういう気持ちがあった。)経済的な利益よりも中国の安定化を願ってた。」
上記のようなことを語っていました。
ブログ主は、これを肯定するつもりはないのですが、日中国交正常化以降の日中友好ムードを覚えているので、気持ちは理解できる部分はあります。
文化大革命のことはリアルタイムでは子どもだったので覚えていませんが、文革で権力を振るった江青女史ら「四人組」の裁判が80~81年頃あり、ブログ主はこれで文革を知ったので、裁判の2年ほど前から始まった鄧小平の改革開放路線で、中国もまともな国になりつつあるのだなと思い、その後、スポーツなどの親善大会といった交流が深まり、NHKでは『シルクロード』という番組で中国旅行ブームあり...と、外交に関わった人達からしてみれば、天安門事件で、「なんてことをやってくれたんだ」という気持ちにはなったことでしょう。
理解できる、というのは、この「気持ち」の部分です。
また、宮本氏の前にVTRでインタビューに答えていた当時の英米の外交官は、中国が経済的に発展すれば民主化に繋がると考えていた、と言っていました。
ウィンストン・ロード氏(元在中国アメリカ大使): 「通常、国がある程度経済的に発展すれば中産階級が生まれ、彼等が政治的自由を要求し民主主義が導入される。私たちも中国がそうなることを期待したのだが...」
元イギリス外務省極東局員 アンソニー・ウィルミントン氏: 「中国が最終的にどこに行くのか、これから新たなひずみが生まれ、政治改革に繋がるのか、判断が非常に難しい...」
この番組を観て言えるのは、日本が中国の国際復帰に前のめりになっていたことは確かですが、その他の大国も、本心ではそれほど強固に制裁を続けるつもりはなかったということです。
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