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2019年6月の13件の記事

2019/06/30

【朝日】慰安婦報道訴訟、植村氏の請求棄却/植村氏の記事は何故悪質なのか

先日、植村隆・元朝日新聞記者が週刊文春と西岡力氏とを相手取って提訴した訴訟に対し、東京地裁が請求棄却としました。(係属部は民事第33部/事件番号は平成27年(ワ)第390号)

「棄却」というのは申し立てについて審理した上で理由がないとして排斥することです。一方、「却下」とは申立てそのものを不適法として門前払いすることです。

既に櫻井よしこ氏の前例があったので当然の事と思い、それほど関心を持たなかったのですが、文春の記事のタイトルを知ったので少し調べて見ました。

 

まず、下は植村隆元記者の請求棄却を報じる記事。

 

https://www.sankei.com/affairs/news/190626/afr1906260008-n1.html
慰安婦報道訴訟、植村氏の請求棄却 東京地裁
2019.6.26 11:59

 「慰安婦記事を捏造(ねつぞう)した」などと指摘する記事や論文で名誉を傷つけられたとして、元朝日新聞記者の植村隆氏(61)が、文芸春秋と麗澤大学の西岡力客員教授(63)に計2750万円の損害賠償と謝罪記事の掲載などを求めた訴訟の判決が26日、東京地裁であった。原克也裁判長(大浜寿美裁判長代読)は「指摘は公益目的で、重要部分は真実」などとして植村氏の請求を棄却した。植村氏側は控訴する方針。

 朝日新聞記者だった植村氏は平成3年8月、韓国人元慰安婦とされる女性の証言を初めて掲載した。西岡氏は記事について「意図的に事実を捏造した」と批判する論文を発表し、26年の雑誌「週刊文春」では「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」との見出しを付けた記事で同趣旨の指摘をした。

 判決では、植村氏は、元慰安婦とされる女性について日本軍に強制連行されたとの認識がなかったのに、「戦場に連行された」との事実と異なる記事を書いたと認定。「強制連行したと報道するのとしないのとでは報道の意味が変わり得ることを十分に認識していた。記事は意識的に言葉を選択して記載したもの」として、西岡氏らの指摘は真実性があるとした。

 植村氏は、文春の記事で平穏な生活が侵害されたとも主張していたが、判決は「植村氏が大学教員を務めることの妥当性について問題提起をする目的があった」とし「公共の利害にも関わることを考慮すると、表現の自由の範囲内」として訴えを退けた。

 判決後に会見した植村氏は「非常に危険な司法判断。言論人として堂々と闘いを続ける」と述べた。
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 文芸春秋法務・広報部は「当然の判決と受け止めています」とのコメントを出した。

 

 

記事にも書かれているように、西岡氏と文春の記事は別々に書かれたもののようですが、検索して記事の一部を画像で見たら記事中に西岡氏のコメントが掲載されていました。(2014年2月6日号記事/画像は雰囲気が分かるようにお借りしたもので、西岡氏のコメントは見切れていて読む事はできません。)

 

20140206_bunsyun_s

 

なお、上記産経記事では文春の1つの記事にしか言及していませんが、もう一つ、2014年8月21日号の『慰安婦火付け役朝日新聞記者はお嬢様女子大クビで北の大地へ』という記事が対象だそうで、上の画像や記事のタイトルからも想像がつくように、また、週刊文春を読んだ事がある方なら分かると思いますが、軽い噂話やゴシップ記事のような扱いだったのだと思います。

 

西岡氏に対しては、画像の記事へのコメントの他、4本の論文や著作に関する請求です。

 

* * * *

植村氏の記事は何故悪質なのか

 

19910811_asahi_uemura

 

植村隆氏は1991年8月11日付でこの記事を書いており、関西先行で、東京本社版では翌12日に一部を削除して掲載したと、2014年の読売新聞の検証記事で読みました。

 

慰安婦報道の発端は吉田清治という人物の虚偽の証言や著書ですが、これは80年代の話で、当然、このような記事が出れば専門家や記者が後追いで取材します。例えば、日本では秦郁彦氏が調査をし、韓国でも、女性記者が済州島で調査をしました。

  

1989年に吉田の著書が韓国で翻訳されると、済州島の済州新聞は1989年8月14日に許栄善記者による記事を掲載、そこで済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」と批判した[7][8]。また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、数年の追跡調査で吉田証言が事実ではないことが判明したとし、吉田の本は「日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物」と批判した[9][3]。 (Wikipedia『朝日新聞の慰安婦報道問題』より)

 

こうした調査により、90年頃には「強制連行」したという吉田証言は眉唾らしいとなっていたのですが、植村氏の書いた記事で、「挺身隊の名の下で」という衝撃的な“証言”が飛び出したのです。

“嫌がる女性を無理矢理連れ去った”という話ではなく、「挺身隊」、即ち、勤労奉仕だと騙して女性を集めたという別のストーリーが出てしまい、下火になりかけていた慰安婦問題に再び火を点けることになりました。

つまり、彼は吉田清治に匹敵する「罪」を犯した事になります。

 

ないものを「ある」とでっち上げられたら、それを「ない」と証明する事がどんなに困難な事か、つい最近も「モリカケ」で経験しましたが、朝日はこれに乗じて、再び慰安婦キャンペーンを開始します。

大人しくしていたら、一連の朝日の慰安婦捏造報道に紛れて一般の人には忘れられていったかも知れないのに、わざわざ訴訟を起こして自分から話題を振りまいているのですから、ただでさえない“名誉”が毀損されても、それは自業自得というものです。

 

【参考】

 

 

  


 

 

 

2019/06/24

【沖縄】沖縄には「戦争マラリア」という不思議な言葉がある

ブログ主がこの「戦争マラリア」という表現を知ったのは、チャンネル桜『沖縄の声』でキャスターを務められている江崎孝氏が説明されているのを聞いたからですが、下の記事(八重山日報)を読むと、変なロジックが組み込まれていることに気付くでしょう。

 

20190624_yaeyama_malaria

 

「日本軍の指示で住民がマラリア有病地帯に強制疎開させられ」とありますが、この表現では、まるで、日本軍がそこにマラリアが蔓延しているのを知りながら、無理矢理移動させて殺したという印象を受けないでしょうか。

「強制疎開」というのも非難が込められていますが、普通に考えたら、疎開させた先で不幸にもマラリアが蔓延して命を落とされた方がいた、と想像します。

江崎氏はこの「戦争マラリア」という言葉をしばしば批判していますが、沖縄では良心的な新聞と言われる八重山日報でもこうなのですから、他の沖縄メディアは推して知るべしです。

 

本州というか、ブログ主の住む首都圏ではメディアの戦争特集はせいぜい8月15日の前後ですが、沖縄では4月(1945年)の米軍上陸から8月までずっと「反戦キャンペーン」が続くのだそうです。

日本中から沖縄を護るためにやってきて戦い、亡くなられた方への敬意を教えられず、こうした報道を幼い時から見せられて「被害者意識」のみを植え付けられる沖縄の子どもは不幸です。

 

 

【沖縄の声】香港長官、逃亡犯条例改正案を事実上廃案に!『沖縄』明日は我が身/『沖縄慰霊の日』を政治ショーにするな[R1/6/14]

出演: 恵 隆之介(ジャーナリスト・沖縄支局担当キャスター)、金城 テル(沖縄支局担当キャスター)

 

この番組では対照的な2人の校長が紹介されます。

自分は早々に疎開して教え子を戦場に送り込み、その消息を尋ねることもしなかった志喜屋孝信(しきや こうしん)校長とひめゆり学徒隊の野田貞雄校長。

 

  

 

20190623_chsakura03

 

なお、惠氏が言及した「島田知事」というのは戦争末期、米軍上陸の直前の沖縄に「俺が行かなんだら、誰かが行かなならんやないか」と言って本土から赴任した島田叡(しまだあきら)県知事のことです。前任者のせいで沖縄県民の疎開が進まなかったと言われていますが、島田知事が派遣されたのも、前任者が口実をつくって県外に逃げてしまったからです。

 

上の動画は途中からのURLを提示しましたが、前半では、沖縄の看護教育に尽力したワーターワース女史やその教え子の話題が語られます。

 

20190623_chsakura02

 

 

  


 

 

 

【沖縄】「慰霊の日」を政治利用する玉城デニー知事。総理のスピーチに野次を飛ばす人達とは...

23日は沖縄県では「慰霊の日」とされ、総理を始めとした閣僚も出席しての一大イベントになりますが、近年は「政治ショー」や「プロパガンダの場」に堕ちています。

翁長知事の時代から、「追悼」とはほど遠い政治アピールの演説となり、その合間には拍手や指笛がいちいち起こり、安倍総理のスピーチでは野次や怒号が飛び交うというのが恒例になってしまいました。

ただ、それが「一般的な沖縄県民」なのか?というとそうではありません。これを見て、「沖縄県民の民度が低い」と県外の人間に思わせることは、分断を図る輩の「思う壺」でもあるのです。

 

指笛というのは、本土の人には理解しにくいのですが、「ひやかし」や「嘲笑」ではなく、「声援」や「(味方への)鼓舞」の意味があるようです。これを知ったのはスポーツの試合で、そういうシーンで使われるからです。(ただ、これは沖縄の方も、県外人には前者のようにとられるということは知っておいた方がいいかも知れません。対戦相手のファンは「侮蔑」と勘違いすることが多いので。ネットを見ない方には伝わらないと思います。)

 

ブログ主はネット中継(ニコ生)とNHKの中継を同時に見ていたのですが、ネットは淡々と映像を流すだけに比べ、NHKは男性アナウンサーのポエムのようなナレーション。今年は、何故か、前回の翁長知事の映像に始まり、「その遺志を受け継ぐ玉城デニー知事」云々、そして、その映像は辺野古の埋立地に土砂を投入する映像と、「追悼」そっちのけでプロパガンダを垂れ流していました。

追悼式典に出席された自民党・和田政宗参議院議員がツイッターで現場から情報を流していましたが、首相に対して野次が飛ぶと、近くの席の男性が「沖縄の恥だ」と呟いていらしたそうです。

そんな現地の声を産経新聞が取材していました。

 

https://www.sankei.com/politics/news/190623/plt1906230029-n1.html
沖縄「慰霊の日」続く政治利用 「祈りの場なのに…」
2019.6.23 19:57

 23日に沖縄県糸満市で開かれた沖縄全戦没者追悼式は、さながら政治集会の様相を呈した。玉城デニー知事が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に関し「県民の圧倒的民意に寄り添い、辺野古が唯一との固定観念にとらわれず県との対話による解決を強く要望する」と述べると、会場には拍手と指笛とともに「そうだ」「よーし」との声が飛び交った。

 安倍晋三首相も出席した式典で知事が政治的要求を突き付ける「平和宣言」は、翁長雄志(おなが・たけし)前知事の在任時から繰り返されてきた。今回は玉城氏が知事に就任して初の式典だったが、「慰霊の日」を政治利用する悪弊は断ち切れなかった。

 玉城氏による「県民の圧倒的民意」の誇示も政治的思惑が垣間見える。2月の県民投票では辺野古移設への反対が投票者数の7割以上を占めたが、投票率は52%だった。有権者の6割以上は反対しておらず、評価は必ずしも定まっていない。

 会場の一部では、式典が始まる前から異様な怒声が飛び交っていた。
 「安倍は帰れ! 辺野古新基地建設は許さん! 憲法改悪許さんぞ!」
 「お前らが帰れ!」

 公園入り口には首相の到着を待ち構えるようにマスクやサングラスで顔を隠した「市民」ら数十人が陣取った(※)。それに反発する団体との間でやじの応酬が続いたが、首相は既に別の入り口から会場入りを済ませていた。

※ブログ主註: 式典に訪れた自民党・和田政宗参議院議員がツイッターに画像をupしていましたが、このような人達だそうです。

 

 

 式典会場では、県職員らがプラカード掲示などの示威行為の禁止を呼びかけ、目を光らせたためか、中盤まで静かに進行した。ただ、首相があいさつを始めると、「帰れ!」「恥知らず!」「辺野古を止めてから言え!」などのやじが相次いだ。

 これも翁長時代からの光景だ。浦添市の無職男性(80)は取材に対し「首相は沖縄の米軍基地を縮小するといいながら、やっていることが違う。首相に県民の思いを直接伝えられるのは式典しかないから、やじも仕方がない」と一定の理解を示した。

 しかし、厳粛な式典を妨害する行為だととらえる出席者は少なくない。

 糸満市の遺族会幹部(81)は「みんな慰霊のために来ているのに邪魔している」と眉をひそめた。同市の高校1年の女子生徒(15)は「やじを飛ばすと、会場の人がやじに耳を傾けてしまう。亡くなられた方々に祈りをささげる場所なので、おかしい」とあきれ顔だった。

 休暇を利用して式典に初めて参加した三重県菰野町の男性(36)は「隣の人が大声を上げたせいで、首相の言葉が頭に入ってこなかった。式典に参加した子供たちに見せられない光景だった」と苦笑した。公園にいた派遣社員の男性(25)は「やじを飛ばすのは一部の基地反対の活動家に過ぎないですよ」と冷ややかだった。

 県がこうした行為を黙認しているわけではない。式典会場には「大声等をあげる場合は退席してもらいます」と書かれた看板も置かれた。実際にやじを飛ばした出席者には、関係者が退去を促した。

 だが、肝心の玉城氏の態度は、はっきりしない。玉城氏は式典後、記者団に「戦没者の御霊(みたま)に哀悼の誠をささげる式典なので、静謐な中で式典が行われる方が望ましい」と述べつつ、こう付け加えた。

 「参加されている方々にはそれぞれの思いがある。そういう思いを持っていらっしゃるのかなと感じた」
(杉本康士、奥原慎平)

 

 

なお、メディアが沖縄戦を語るときによく使う「20万人の犠牲者」とか「県民の1/4が犠牲に」という紋切り型の表現は、よく沖縄の保守の方が否定をしています。ブログ主は具体的なソースを示せないので、チャンネル桜の『沖縄の声』などで聞いた話と断りますが、交通事故死者などをかき集めて数字を作ったそうです。

これは想像ですが、「20万人」というのが意味のある数字なのではないかと思います。

ホロコーストの犠牲者数は一般に「20万人」と言われますが、”南京大虐殺”の犠牲者も20万人、”従軍慰安婦”の犠牲者も20万人(と主張)です。

 

下は、糸満市摩文仁にある「平和の礎」の刻銘に関する一つの証言ですが、刻銘者は今でも毎年増えています。

メディアは統一教会系なのですが、発言機会が少ない沖縄の保守の方の寄稿文がよく掲載されるので、ブログ主はチェックしています。

 

https://vpoint.jp/okinawa/138790.html
「平和の礎」刻銘戦没者は水増し、発案者の上原正稔氏が指摘
2019/6/22(土)

あす沖縄「慰霊の日」

 23日は組織的な沖縄戦が終結した日。沖縄県は、沖縄戦全戦没者追悼式典を正午、糸満市摩文仁の沖縄県平和祈念公園で開く。戦没者名を刻んだ糸満市摩文仁の「平和の礎」に、2019年度は新たに42人が追加刻銘され、刻銘者総数は24万1566人となった。そのうち、沖縄県出身者は約15万人に上る。

 「平和の礎」発案者で戦争ノンフィクション作家の上原正稔氏はこのほど、県庁で記者会見を開き、「平和の礎に刻まれている刻銘者の過半数は沖縄戦と関係のない人々で、沖縄戦で亡くなった県出身者は5万5千人程度。意味もなく、県民の犠牲者を増やす嘘はやめてもらいたい」と訴えた。

 平和の礎は、「世界の恒久平和を願い、国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑『平和の礎』を太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して建設する」という趣旨で1995年に建設された。

 県出身者の刻銘対象は、①満州事変に始まる15年戦争の期間中に、県内外において戦争が原因で死亡した者②45年9月7日以後、県内外で戦争が原因で1年以内に死亡した者――と規定されている

 沖縄県生活福祉部は96年、沖縄戦犠牲者は20万656人と発表。総務省もこの数字を採用している。

 戦後、国は、軍人・軍属の遺族を支援するための「戦傷病者戦没者遺族等援護法」で、民間人までも「戦闘参加者」と位置付け、約5万6千人の沖縄県民が援護の対象となった(※)。上原氏は、この数字をもとに、「嘘の申請をした人を差し引けば、県民の犠牲者は5万5千人を上回ることはない」と断言した。

※ブログ主註:大田実中将「沖縄県民かく戦えり」

 また、戦前の昭和19年の人口と戦後の昭和21年の人口を勘案して、一般県民の約9万4000人が犠牲になったと推計されていることについて、上原氏は「戦前に本土や台湾に疎開してしばらく帰らなかった人が多いことが一切考慮されていない乱暴な数字だ」と批判。離島の粟国村を例に、「満州事変から戦後までの粟国村出身者を刻銘した結果、沖縄戦における20人弱の戦没者が601人に膨れ上がっている」と指摘した。

 上原氏は今年3月、県議会に正しい戦没者数を把握するよう意見書を提出。5月には、政府宛てにも同様の意見書を提出した。

 (沖縄支局 豊田 剛)

 

 

  


 

 

 

2019/06/21

【沖縄】遺族の願いも無視して米兵絡みの事件を政治利用する反基地活動家

今年4月に、沖縄で米兵が日本女性を殺害した後自殺するという不幸な事件がありました。

殺人事件は許されるものではありませんが、所謂「男女の無理心中」事件で、ご遺族は事件直後から「政治に利用して欲しくない」と語っていました。

しかし、その願いも空しく、今月初めに、「米海軍兵による女性殺害緊急追悼・抗議集会」が開催され、そして、20日には、頼まれても以内のに「抗議実行委員会」(亀谷長久共同代表)が日米両政府に抗議する決議文を玉城デニー県知事に手交、日米両政府に抗議をするそうです。

口を開けば「人権、人権」と騒ぐ彼等ですが、自分達のイデオロギーのためなら、他人の人権など全く顧みることはありません。

 

https://www.yaeyama-nippo.co.jp/archives/7618
「県民の人権蹂躙されている」 米兵の女性殺害で決議文
2019/6/21

4月に北谷町で発生した米海軍兵による女性殺害事件を受け、抗議実行委員会の亀谷長久共同代表(北谷町議会議長)らが20日、県庁に玉城デニー知事を訪ね「県民の人権は蹂躙(じゅうりん)され続けている」として、日米両政府に抗議する決議文を手渡した。在沖米軍の撤収も求めた。

 決議文は賛同する53団体の連名。共同代表には糸数慶子参院議員らが名を連ねた。日米両政府には、被害者遺族への謝罪と補償、継続的なケア、事件全容の公表と再発防止策、県には被害者支援窓口の強化を要求した。

 玉城知事は「国際法に明るい人や国際結婚に詳しいNPOに間に入ってもらうなど、ケアできる所に光を当てていく」と述べ、県として対策を講じることを強調した。

 参加者は「米兵による事件や事故の被害者の多くが泣き寝入りしている」「裁判になった場合、米軍関係者が出廷しないことが多い」などと訴える声が上がった。

 亀谷共同代表は「実効性のある回答が得られない。知事の力を借りたい」と述べた。

 

【関連記事】

 

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/411201
娘の死を、政治の道具にしてほしくない… 遺骨を抱えホテルを転々 父の悲痛な叫び
2019年4月20日 19:34

 沖縄県北谷町のアパートで米海軍兵の3等兵曹(32)が住人の日本人女性(44)を殺害後に自殺したとみられる事件から20日で1週間。被害女性の父親(74)は「遺族がどれほどの悲しみの中にいるか、話さなければ伝わらない。この痛みに触れてほしい」と、本紙に思いを寄せた。(社会部・篠原知恵、中部報道部・勝浦大輔)

◆5時間以上かけて沖縄へ

 被害女性は、もともと東北地方の出身。13日明け方に事件に巻き込まれた。

 実家の父親が一報を受けたのは、その日の午後9時すぎ。翌日、5時間以上かけて一人で来県し、そのまま16日に火葬に臨んだ。友人たちの計らいで、娘はいつもの彼女らしい洋服に、普段通りのメーク。娘の子どもたちと、静かに見送った。

 「本当はすぐにでも遺骨と一緒に古里に帰りたい」。でも、県内の親族の下にいる娘の子どもたちが気掛かりで、今も遺骨を抱えて県内のホテルを転々とする。

◆この悲しみ知ってほしい

 告別式はしなかった。事件現場となった女性宅の鍵は警察から渡されたものの、足を踏み入れられない。

 娘の死を、政治の道具にしてほしくはない。国の問題でなく、人と人の問題だと思うから。「これから孫たちの心のケアをどうすればいいのか。遺された私たちが悲しみに打ちひしがれているこの現実を、ただ知ってほしい」

 

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-920864.html
黒いシャツ・リボンで参加を 北谷米兵女性殺害で抗議集会 6月2日に北谷町で 500人規模
2019年5月19日 10:14

 【北谷】北谷町で4月に発生した在沖米海兵隊所属の海軍兵による女性殺害事件を受け、「米海軍兵による女性殺害緊急追悼・抗議集会」が6月2日午後3時から同町桑江のちゃたんニライセンターカナイホールで開かれる。同センターで18日にあった準備会で開催を決定した。事件への抗議と再発防止などを日米両政府などに求める決議文を採択する方針。

 500人規模の集会を目指す。テーマカラーは黒で、衣服などに黒いリボンを着けたり、黒いシャツを着用したりするよう呼び掛ける。町内外の各団体で集会の実行委員会を組織し、参加団体も募る。野国昌春北谷町長や玉城デニー県知事らにも出席を求める。参加者らのリレートークも開催する予定。

 開催を呼び掛けた「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代さんは「責任追及や原因究明、被害に遭っている子どもたちのサポートがしっかりされる社会になっていくため、しっかり声を上げていく」と強調した。

 

 

  


 

 

 

2019/06/14

【韓国】文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の謝罪は謝罪ではない メディアはそれを伝えよ

昨日(6月13日)、日本の天皇陛下を侮辱した韓国の国会議長が謝罪したというニュースが流れました。

しかし、鳩山由紀夫元首相との私的な会談での発言で、しかも、韓国国会が発表した伝聞で、実際に発言はどのようなものであるのかは不明です。

(それにしても、いい加減、鳩山由紀夫のパスポートを取り上げることはできないのだろうか...)

 

下は、崔碩栄氏が報道からニュアンスを説明してくれているツイートですが、崔氏の説明からなんとなく理解できるのは、日本の政治家が批判にも謝罪にもよく使う「遺憾の意」に近いのでしょう。

 

 

 

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ブログ主が使用している日本語変換ソフトでは「遺憾」と入力すると、ご丁寧に上のような説明が表示されます。

 

下は産経の記事。

 

https://www.sankei.com/world/news/190613/wor1906130028-n1.html
韓国議長が天皇発言を謝罪 訪韓中の鳩山氏に
2019.6.13 19:56

 韓国の文喜相国会議長は13日、訪韓中の鳩山由紀夫元首相とソウルで会談し、天皇陛下(現上皇さま)の謝罪で慰安婦問題が解決するとした文氏の発言は失礼に当たるとの指摘を鳩山氏から受け、「心を痛めた方たちに申し訳ないと伝える」と述べた。発言を巡り文氏が謝罪するのは初めて。韓国国会が両氏のやりとりを明らかにした。

 文氏はこれまで、日本政府からの謝罪と発言撤回要求に反発し拒んできたが、立場を変えた。

 韓国国会の発表によると、鳩山氏は、文氏の発言は韓国人の立場では納得できるかもしれないが、日本人にとっては天皇にまで言及することは失礼だと考え得ると指摘した。これに文氏は「全く同感だ」と述べ、謝罪の意を示した。

 聯合ニュースによると、文氏側は13日の発言について「韓日にはおのおのの立場があるということに同意し、(聞いた人が)心を痛めたのなら申し訳ないとの趣旨での発言だ」と説明した。

 

韓国語のニュアンスが分からなくても、「心を痛めた方たちに申し訳ない」というのは、暗に、「意見は変えないが」というのが含まれているのが読み取れると思います。

当然、前言は撤回していません。

 

と、ここまで書いて、ツイッターのTL(タイムライン)に流れてきた自民党の山田宏参議院議員のツイート。

 

 

 

まさしくこの通りです。

 

 

  


 

 

 

2019/06/09

バードフィーダー(13)スズメ/バードフィーダーを置いたのになかなか鳥がやってこない、そんな時は...

春になって、もう、庭にメジロやヒヨドリは来なくなりましたが、最近、スズメが来るようになりました。

バードフィーダー自体は以前の記事『バードフィーダー(10) 100均木材を使った壁掛け式バードフィーダー』でご紹介したもので、作り方もご紹介していますが、100均の板材の余りで作ったものです。(「梁」にあたる部分だけはホームセンターで買った角材)

 

画像は例によって室内から窓越しに撮ったものです。

 

Bird_feeder38

 

いつも2羽でいるので、つがいでしょうか?

 

ところで、当ブログの「バードフィーダー」シリーズの記事は比較的アクセスが多く、記事のリンクを貼ってブログ等で紹介して下さる方もいらっしゃるのですが、時々見かけるのは「バードフィーダーを置いたのに鳥が来ない...」という声。ブログ主のように都会の住宅地にお住まいの方のようです。

日頃から鳥がよく来ている庭なら別ですが、最初は、よく目立つところに餌を置いて、おびき寄せたらいいかと思います。

ブログ主の家の庭にはサザンカとか千両のような餌になる実を付ける植物があるので、メジロやヒヨドリは以前から来ていたのと、ミカンのような大きな餌なのですぐに見つけましたが、よくある「小鳥の餌」を屋根のあるバードフィーダーに入れても、鳥はなかなか見つけられません。

始めは小皿のようなものに餌を入れて目立つところに置き、放置していたら、ようやくスズメがやって来ました。

だから、ミカンでも、始めは以前ご紹介したようなワイヤー籠のようなよく見えるものに入れた方がいいかと思います。

 

画像のバードフィーダーも、よく見える餌入れを近くに置いていたら、ようやくここにも餌が入っているののに気付いたようで、餌を食べてくれるようになりました。

 

 

  


 

 

 

【天安門事件】天安門事件後の1ヵ月、日本や世界はどう動いたか

6月5日付産経のコラム『矢板明夫の中国点描』で、当時の学生リーダーの一人、王丹氏の発言が取り上げられています。

記事は無料で読める部分だけ引用しましたが、天安門事件後、世界が中国に対して経済制裁をする中、日本が真っ先に経済制裁をやめ、天皇陛下の訪中も実現させたことで、中国を事実上許して、国際社会に受け入れたことを批判するものです。天皇訪中までして中国の“手助け”をしたのに、江沢民は反日キャンペーンを行います。「鶴の恩返しはない」とはそういう意味です。

 

北京に「鶴の恩返し」はない
2019.6.5

「海部俊樹さんに会う機会があれば、直接聞きたい。なぜあのとき、中国への経済制裁をやめたのか」

 5月下旬、東京都大田区の小さな居酒屋で、中国の民主化運動家の元学生リーダーである王丹氏はビールを一口大きくあおり、語気を強めた。

 1989年6月に起きた民主化運動が弾圧された天安門事件後、中国当局の指名手配名簿の1位だった王氏は、海外逃亡のチャンスを放棄して、刑務所に入ることを選んだ。

 「獄中で戦い続けることは、亡くなった仲間たちへの供養だ」という王氏。「戦車を出動させて学生を虐殺する政権を、国際社会が認めるわけがない。民主主義国家は、必ず自分たちの戦いを応援してくれる」とも考えていたという。

 

王丹氏とは前述のように天安門事件のリーダーのお一人で、その後、政府から指名手配されました。

 

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当然、世界から日本は非難され、こうしたことが積み重なって、中国は日本をすっかり“舐めきる”ようになります。完全な外交上の失敗です。

 

* * * *

 

以下に書くことは、上記批判を前提にして、しかし、「日本が勝手にホイホイと制裁解除をして中国をつけあがらせた」という単純な話ではなかったという内容です。

 

6月3日のNHK‐BS国際報道では、天安門事件直後に交わされたブッシュ米大統領とサッチャー英首相との電話記録を公開していましたが、それによると、米大統領は「米国は中国との関係をこのまま維持できるよう望む」と語り、英首相も「同意します。中国との関係維持は必要です」と答えていました。

 

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イギリスは中国との対応に苦慮していた国の一つで、番組では当時北京の英大使館で情報収集にあたっていたイギリス大使館二等書記官のショーン・リオーダン氏がインタビューに答えていました。それは、「8年後に控えた香港返還のため、不安定な状況をもたらすような劇的な変化は望んでいなかった。」という内容です。

また 元イギリス外務省極東局員の、アンソニー・ウィルミントン氏によると、「過度に北京政府を刺激しないよう、バランスを取っており、サッチャー首相とブッシュ大統領は長期的に中国を懲らしめ続けたり、非難し続けたり制裁処置を科すことは生産的ではないと考えていた。」そうです。

一方、アメリカが重視してたのは中国から得られる経済利益で、中国がとる改革開放路線の維持を望んでいました。そのために、孤立させない方が良いと考えたわけです。

天安門事件から1ヵ月後にフランスで開かれたアルシュサミットでは、 「中国に対し武器の取引禁止などの制裁を科す宣言」がなされましたが、サミットの5日後にブッシュ大統領は鄧小平に書簡を送っています。

それは、「親愛なる友、鄧小平殿」で始まり、「サミットの共同宣言の草案に中国を過度に非難する文言がありましたが、アメリカと日本が取り除きました。今は厳しい時期かも知れませんが、米中の明るい未来に向け、共に前進しましょう」というメッセージが綴られています。

 

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下は手紙の一部をトリミングしたもの。第3パラグラフ(Firstで始まる段落)では、スコークロフトという特別補佐官の名前も見え、事前にアメリカが中国に送った特使を受け入れてくれたことに対する礼も言っています。

 

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日本とアメリとで厳しい文言を取り除いたという部分は下。

 

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このあたりの話は、チャンネル桜の『【Front Japan 桜】天安門事件から三十年 / 天安門事件後、党中央では何が話し合われたか[桜R1/6/4]』で、当時、産経新聞の記者として取材をしていた福島香織氏が簡潔な言葉で説明しています。(30:15あたり~。リンクはその少し前に開始位置を設定しています。)

福島氏の発言の趣旨は、「経済制裁を解いて欲しいと言ってきたのは米国。米国は人権の国として率先してはできない。当時、丁度、方励之(ほう・れいし)氏がアメリカの大使館に逃げ込んでいて、どうやって米国に送るかが問題になっていた。中国側も解放の条件として経済制裁解除を求めていた。そこで、水面下で日本に経済解除をすることを要請。日本もそれに同意。そこで方氏は米国に行けた。しかし、事情を知らない彼は日本に激怒。」

 

NHKの番組には元中国大使で外務省時代にアルシュサミットを担当していた宮本雄二氏が出演されていましたが、キャスターに「実は日本とアメリカが制裁の手を緩めたとVTRにあったが...」と言われて、少し、ニュアンスが違うことを言っていました。

「日本は中国に甘すぎると批判があった。日本が最後まで中国を守ると言う姿勢があって、それにアメリカが乗ってきた、というところ。スコークロフトという特別補佐官をサミットの前にコッソリ中国にやっている。表では中国にきつい態度を見せながら、裏ではそういう事をやっていた。各国から批判されても、日本は何故そういう姿勢だったか...その前に文化大革命があった。改革開放がここで失敗をすれば、中国は再び文化大革命(1966年)以後約10年間続いた権力闘争の時のような閉鎖的で外に敵対的な国に戻る危険性があると考えていた。また、72年に日中国交正常化をして、文革が終わり、78年に開放政策が始まり、やっと日中関係がここまで来た。それを壊すのが惜しい、(そういう気持ちがあった。)経済的な利益よりも中国の安定化を願ってた。」

上記のようなことを語っていました。

ブログ主は、これを肯定するつもりはないのですが、日中国交正常化以降の日中友好ムードを覚えているので、気持ちは理解できる部分はあります。

文化大革命のことはリアルタイムでは子どもだったので覚えていませんが、文革で権力を振るった江青女史ら「四人組」の裁判が80~81年頃あり、ブログ主はこれで文革を知ったので、裁判の2年ほど前から始まった鄧小平の改革開放路線で、中国もまともな国になりつつあるのだなと思い、その後、スポーツなどの親善大会といった交流が深まり、NHKでは『シルクロード』という番組で中国旅行ブームあり...と、外交に関わった人達からしてみれば、天安門事件で、「なんてことをやってくれたんだ」という気持ちにはなったことでしょう。

理解できる、というのは、この「気持ち」の部分です。

 

また、宮本氏の前にVTRでインタビューに答えていた当時の英米の外交官は、中国が経済的に発展すれば民主化に繋がると考えていた、と言っていました。

ウィンストン・ロード氏(元在中国アメリカ大使): 「通常、国がある程度経済的に発展すれば中産階級が生まれ、彼等が政治的自由を要求し民主主義が導入される。私たちも中国がそうなることを期待したのだが...」

元イギリス外務省極東局員 アンソニー・ウィルミントン氏: 「中国が最終的にどこに行くのか、これから新たなひずみが生まれ、政治改革に繋がるのか、判断が非常に難しい...」

 

この番組を観て言えるのは、日本が中国の国際復帰に前のめりになっていたことは確かですが、その他の大国も、本心ではそれほど強固に制裁を続けるつもりはなかったということです。

 

 

  


 

 

 

2019/06/08

【沖縄】クラウドファンディング『カナン基金』を応援します!【依田啓示さん支援】

ニュース女子で沖縄の反基地活動を告発した依田啓示氏は、農家であり民宿を経営する一般の方ですが、左翼による営業妨害で事業の経営が困難となりました。 そんな依田氏を支援する『カナン基金』が立ち上がりました。

  

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上のバナーにリンクされている「カナン基金」のトップページをお読みになれば状況はより詳しくご理解頂けると思いますが、高江のヘリパット建設現場付近で活動家が『私的検問』を行っている頃、民宿のお客さん(たまたま白人の4人家族)を観光案内していて、検問を受け、通さないと言われました。そこでの押し合いにより活動家に「全治3日」の怪我を負わせてしまい、訴えられました。

これで屈してしまえば、その後は何もなかったかも知れませんが、依田氏はネット番組『沖縄の声』などに出演され、沖縄で横行している反基地活動家の実態を告発してきたため、農産物や経営する民宿への誹謗中傷を受け、風評被害を受けました。

そのため、経営状況が悪化して、民宿や農園「カナンスローファーム」を手放さなければならない危機に瀕しています。

 

「正しいことを言えば潰される」というのは、依田さんだけではなく、沖縄では多くの方が被害に遭っています。

このような理不尽を断ち切るためにも、「カナン基金」を応援します。

 

支援は、返礼品付き/なしの支援、商品の購入による支援等、様々な方法があります。詳しくは、「カナン基金」サイトをご覧下さい。(賛同者数や合計金額は定期的に更新されるようで、入金処理をしても即時更新はされないようです。)

 

 

【Front Japan 桜】 国守衆と国民保守党の未来 / 反皇室謀略報道の進行 / 沖縄左翼の脅迫と生活圧迫~依田啓示 他[桜R1/6/6]

スカイプでの依田氏出演部分は59:48あたり

 

 

  


 

 

 

2019/06/05

NHKのETV特集「北朝鮮 “帰国事業” 60年後の証言」に朝鮮総連が歪曲だと抗議

公開: 2019-06-05 19:07:08   最終更新: 2019/06/18 17:41  

ブログ主はETV特集は観る習慣がなく、既に再放送も終わってしまったので内容は詳しくは知りませんが、番組HPによると以下のような内容のようです。

 

ETV特集「北朝鮮 “帰国事業” 60年後の証言」

いま、日韓で「帰国事業」の真相に迫る聞き取り調査が始まっている。これまで「つらい状況にあった」と一様に語られてきた北朝鮮での生活だが、時の政策や国際情勢によってう余曲折を経てきたことがわかってきた。日朝はもとより、冷戦下の米ソ、韓国など、東アジアの激動に帰国者は翻弄され続けてきたのだ。番組では決死の思いで北朝鮮を脱出した在日コリアンと日本人妻を取材。知られざる苦難の60年を新たな証言で描く。

 

朝鮮総連がNHKに抗議したのを知ったのは加藤氏のツイート。

 

 

 

引用されている記事(朝鮮日報:朝鮮総連傘下の新聞)は読めないのでGoogle翻訳に掛けてみたところ、このような内容のようです。(会員向けで途中までしか読めませんが)

 

20190531_chosen01

 

番組を観ていないので、どんなことに対して抗議したのかは、加藤氏のツイートから想像するしかありませんが、帰国者を騙したのは朝鮮総連だけではないことは事実です。

それを、以前のエントリーから該当部分を抜き出して説明します。

 

在日朝鮮人はそもそも38度線より南出身者が多かったので元々北に対する郷愁はない。 そのため、帰国事業を推進する国際赤十字委員会は本当に帰国の意思があるかどうか確認しようとした。しかし北朝鮮政府が反対。北の主張に加担したのは雑誌『世界』(岩波書店)で、59年6月号では 朝鮮労働党機関誌『労働新聞』59年3月17日の社説まで転載して北の立場を支援した。結局は本人への意思確認が必要と言うことになったが、北と総連は「共和国は地上の楽園」キャンペーンを行う。それを支援したのも『世界』(P.211)で、60年6月号では帰国協力会の代表委員だった自民党の岩本信行代議士が、それまでの帰国者1万6千人の北での暮らしぶりを訪ねた報告を掲載する。60年は他のマスコミ各社も北朝鮮の現地取材をしたが、どれも同じように北の豊かさを喧伝するものだった (P.212)

岩本が北は極楽と嘘を言ったのは在日同胞を帰国させることが日本政府の意思だったためで、貧困・犯罪の温床である在日朝鮮人を厄介払いしたかった。(P.213)

 

上にはメディアとしては岩波書店の『世界』しか出てきませんが、新聞もこぞって「地上の楽園」キャンペーンに参加していました。尤も、途中でおかしいと気付いてやめ始めるのですが、最後まで北野繁栄ぶりを宣伝していたのは朝日新聞でした。

なお、当時、共産党と北朝鮮は仲違いしており、赤旗の記者は北朝鮮に行って実際に目にしたものが「地上の楽園」などではないことを書いています。

 

下は、NHKのETV特集HPからのキャプチャ。

 

20190531_nhk01

 

NHKの番組を観た方は良い番組だったとTwitterに書いていらっしゃいました。

まあ、内容も総連が言うような捏造とは思いませんが、観ていないので、一応、その判断は保留します。

 

それはともかく、なんでこれ(朝鮮総連の抗議)、報道しないんでしょうね?

総連は、試しにBPOにでも訴えてみたらいいのに。

 

追記(2019/06/18)

BS1で再放送された番組を観て、内容をまとめました。

以下のツイートから続くスレッドにて。

 

  

 

  


 

 

 

2019/06/04

【皇室】左翼役人が皇室を包囲している/秋篠宮の「大嘗祭を皇室の私的活動費で賄うべき」発言の背景

ネット動画のチャンネル桜で小堀桂一郎氏などがよく言われるのは、本来、皇室をお守りすべき宮内庁がその役目を果たしていないということです。

宮内庁は他の省庁、特に最近は皇室が「外交」の役割を果たすことが多いために外務省から来る事が多く、要するに、彼等は皇室の伝統や祭祀といったことを熟知しているわけではないのです。

以下の動画では江崎道朗氏が、昭和50年代以降の官僚の「左傾化」を指摘しています。

 

文化人放送局: 【怒れるスリーメン】Part20-③  江崎道朗氏登場回(評論家)

 

この頃から、内閣法制局や宮内庁などが、宮中祭祀についてあれこれ口出しをするようになったとのこと。

そして、秋篠宮が大嘗祭を皇室の私的活動費で賄うべきと発言した背景はまさしくこれで、憲法解釈を持ち出して祭祀に口を挟まれるくらいなら、指摘で行った方が良いとのお考えから、というのが江崎氏が説明する、発言の背景です。つまり、宮中祭祀を守るためだったのです。

 

https://www.sankei.com/life/news/181130/lif1811300006-n1.html
秋篠宮さま53歳 大嘗祭「身の丈にあった儀式に」代替わり行事でご見解 眞子さまご結婚延期にご言及
2018.11.30

 秋篠宮さまは30日、53歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち、東京・元赤坂の宮邸で秋篠宮妃紀子さまとともに記者会見に臨み、代替わりに伴う大嘗祭(だいじょうさい)について、国費ではなく、天皇ご一家の私的活動費「内廷会計(内廷費)」でまかなうべきだとし「身の丈にあった儀式」とすることが「本来の姿」との認識を示された。政府決定と異なる見解を皇族方が明らかにされるのは異例。

 長女の眞子さまのご結婚延期に関しては、婚約内定相手の小室圭さん(27)側に対し、母親の金銭トラブルなどを指摘する報道を念頭に「相応の対応をするべきだ」とし、多くの人が納得する状況にならなければ、婚約にあたる納采(のうさい)の儀を行えないと述べられた。眞子さまのご結婚延期について、秋篠宮さまが公の場で発言されるのは初めて。

 

上は秋篠宮の発言を報じる産経の記事ですが、産経なのでこのようなタイトルになっていますが、他の新聞はと言うと、『秋篠宮さま、大嘗祭支出に疑義「宮内庁、聞く耳持たず」』(朝日新聞デジタル)、『皇室:大嘗祭に公費、違和感 秋篠宮さま「宗教色強い」 誕生日会見 』(毎日)、のような感じで「憲法違反」を臭わせる見出しが多いようです。

平たく言うと、殿下の発言に乗じて、「そうだ、そうだ」と言っている感じがします。

 

こうなってくると、最近とみにひどくなった「秋篠宮家バッシング」もよく分かります。

皇室を潰したい左翼マスコミにとって、皇室の伝統を守ろうとする秋篠宮は敵なのでしょう。

江崎氏は昭和50年代以降からひどくなったと仰っていますが、小堀桂一郎氏は戦後から脈々と続くものだと仰っています。

それは、戦後の「敗戦利権」を獲得したのは共和主義的な考えの持ち主で、その延長に「皇室廃止」があるということです。当然、その「敗戦利得者」の中にはマスメディアが挙げられます。

 

動画の中で、高橋洋一氏が面白いことを仰っています。朝日新聞辺りが「内閣法制局」を「法の番人」などと持ち上げるが、それはおかしいということです。

確かに法制局とは、法令の立案・審査や法制調査を行う機関なので、高橋氏や加藤清隆氏が言うように、「せいぜいアドバイザーかコンサルタント」というのが的確です。おそらく、番組で言われるように、朝日的メディアと法制局は「反皇室」の同士なのでしょう。

最近の愛子内親王の「女性天皇」(愛子様は「男系女子」)推しも異常なものがあります。

過去に男系の女性天皇の存在はありますが、「つなぎ」として即位されたものです。仮に愛子様の即位が容認されたとしても、それは、今上天皇や秋篠宮殿下の身に万が一のことがあって、悠仁(ひさひと)様が即位されるには若すぎるというレアな場合だからです。

仮に、そのようなことがあっても、先例では女性天皇は独身です。それを愛子様に強いるのでしょうか。

その先例すら破り、愛子様がご結婚されたら、そのお子様は既に男系が途切れ、ご結婚相手の血筋に変わってしまうのです。

とにかく、皇室を破壊するため方策をあれやこれやと考えているとしか思えません。

 

ところで、動画で紹介されるのは江崎道朗氏の近著です。来週火曜日(6月11日)に虎ノ門ニュースに出演されるそうなので、その時に、上記のような話をされるのではないかと思われます。

 

 

参考動画

チャンネル桜: 【緊急特番】皇位継承の危機?渡部昇一、小堀桂一郎、加瀬英明[桜H28/9/1]

 

 

【産経・書評】天皇家 百五十年の戦い[1868-2019]

https://www.sankei.com/life/news/190526/lif1905260022-n1.html
【書評】『天皇家百五十年の戦い[1868-2019]』
2019.5.26 11:20|

□『天皇家百五十年の戦い[1868-2019] 日本分裂を防いだ「象徴」の力』

■国家の根底 支えるために

 明治維新から150年、日本を根底から支えるために歴代天皇がいかなる戦いを繰り広げてきたかを追う本書。近代化に直面した皇室が古代からのありようと変わらず、どのように日本の運命とともに存在したのか、同時に現在の危機的状況も明らかにする。

 維新後の明治政府や中江兆民、金子堅太郎という知識人たち、そして何よりも明治天皇ご自身も、西欧化=近代化せざるを得なかった日本が、その宿命を受け入れ、その時代時代の空気、流行といった表層と戦いながら、皇室の歴史と伝統をいかに知恵を絞って守ったか-。

 明治の岩倉視察団に随行した佐佐木高行が、維新の立役者だった元武士たちが西欧の制度や思想に触れ、日本も共和制にしなければ生き残れないと思い始めていた回顧談を書いていた。著者はこの核心を神道思想家、葦津珍彦(うずひこ)の『明治民権家の天皇制理論』からの引用で明らかにする。一方、帝国憲法起草にかかわる金子はバークの『フランス革命の省察』を『政治論略』に訳出、慣習に基づく社会秩序の尊重(皇室の必要性)など、明治政府高官に影響を与えた。ルソーの翻訳で有名な中江も、逆に君主制がいかに大切かを書いていた。

 こうした日本人の西欧思想受容の仕方は、福沢諭吉の『帝室論』に見られるように、西欧民主主義を見事に日本社会に適合させた。

 「五箇条の御誓文」で民主主義の理念を表明した明治天皇は、帝国憲法制定でアジア初の立憲国家君主として国のために一生を捧(ささ)げた。そのおぼしめしを継承した昭和天皇は戦争が終わった後も、静かな戦いを続けた。その姿を間近にした上皇陛下は、戦争がなかった平成の御代にも、画一的な歴史観で戦前を全否定する時代の〈流行〉と戦い、国民の幸福と国家の安寧を祈る皇室の伝統を守った。

 令和を迎えてなお、悠仁さま事件や、皇統継承に関し、女性と女系の違いを意図的に混同させる世論調査などもあり、天皇家の戦いは続くことになるだろう。本書は、その戦いを支える国民の理解、自覚を願う書である。(江崎道朗著/ビジネス社・1700円+税)

評・西村幸祐(批評家、関東学院大学講師)

 

 

  


 

 

 

災害時、避難所で使われる「段ボールベッド」はどうやって届く?

6月3日付読売新聞夕刊に『段ボールベッド 避難所快適に/供給協定の自治体急増」という記事がありました。

最近は災害時に避難所でこのような段ボールベッドを見かけることが多くなりました。

 

Cardboard_bed

 

このベッドの開発エピソードと供給システムの話題の記事ですが、興味深かったので覚え書きとしてエントリーします。

 

この段ボールベッド、現在使われているものは、縦190cm、横90cm、高さ35cmと、大人が一人で横になれるサイズです。6トンの重さまで耐えられ、組み立ての際にはガムテープなどは不要で、わずか3分で組み立てられるそうです。

これを考案されたのは、大阪府八尾市の段ボール製造会社「Jパックス」だそうで、東日本大震災で床に雑魚寝している被災者の姿を見たのがきっかけだそうです。普及のために情報は惜しみなく公開。設計図は業界団体を通じて配布したとのこと。

 

段ボールベッドは通販などでも買えるとのことですが、災害時に迅速に届くために、まずは、①都道府県が管轄の段ボール業界団体と提携を契約します。

神奈川県を例にすると、平成29年(2017年)に東日本段ボール工業組合と提携を結びました。この組合は静岡以北の18県を管轄しています。

②市町村、例えば、ブログ主の住む川崎市が被災した場合、自治体から県(神奈川県)にベッドを要請。すると、

③神奈川県は上記組合に発注。

④組合は段ボール業者に製造を発注。

⑤業者から被災地に直接搬入、組み立てを指導。

というシステムになっているそうです。

 

おそらく、④は被災しておらず、川崎市に比較的近くの業者に製造を依頼するのでしょう。段ボールなので、発注を受けてから製造しても、時間もあまり掛からないのだと思います。

ちなみに、「神奈川県 段ボールベッド 提携」とかそんなキーワードで検索したら、下のプレスリリースが見つかりました。

 

平成29年12月20日

東日本段ボール工業組合と「災害時における段ボール製品の調達に関する協定」を締結しますー東日本段ボール工業組合が災害時に避難所等に段ボール製品を提供ー

 

 

  


 

 

 

2019/06/01

【韓国】韓国議員団の訪日に渡邉美樹議員(和民創業者)一人で対応→韓国「非礼だ!」、しかしその真相は?

先日、韓国からの議員団が2度来日しました。

1度目は5月21日で、その時は石原伸晃議員が「なんのためにいらっしゃったんですか?」と冷たく対応、2度目は韓国のベテラン議員が5人で来たのに、日本側は渡邉美樹議員一人で対応したことで、韓国側が「こちらはベテラン議員が行ったのに、日本は当選1回の議員一人。非礼だ!」という反応をしたという報道がありました。こちらは29日の事だそうです。

29日の件は、韓国側のメディアの反応を日本のメディアが報道したものです。

ブログ主は、韓国の報道の仕方はともかく、韓国メディアが言うように冷遇したのかと思っていたのですが、失礼なのは韓国の方だということを、自民党の宇都隆史参議院議員がビデオレターで説明していました。

 

【宇都隆史】筋を通さない韓国、訪日議員団ですら嘘で恨み節[桜R1/5/31]

 

宇都議員の説明によると、韓国の議員団は日本で言う「外交防衛委員会」に所属している議員で、日本の委員会との「委員会外交」をしたかったのだそうです。

韓国は一院制なので一つですが、日本は衆参それぞれに委員会があります。ということで、それぞれの委員会にアポイントを取って日程を調整することになりますが、そのような外交をする場合は、両院それぞれの「国際部」を通してやるのが筋なのだそうです。

それを、韓国側は何故か日本にある「韓国大使館」に連絡を取り、韓国大使館は国際部ではなく、衆参の「外交防衛委員会」の委員長の「事務所」に直接連絡をとってきたそうです。参議院の外交防衛委員会の委員長は渡邉氏なので、個人的に申し込まれたわけです。

渡邉氏が宇都議員に相談したので、宇都氏は前述のように「国際部を通すのが筋だ」と言ったので、渡邉氏はその旨を韓国大使館に伝えたようですが、結局、韓国大使館は国際部には連絡をしてこなかったのです。

従って、日本側は「委員会」として訪問を受けることはできず、渡邉氏が個人で会った、というのが真相です。

「こっちはベテラン議員(当選4~5回)なのに、1年生議員の渡邉氏一人しか出てこなかった!」と韓国メディアは日本の非礼さを批判していたようですが、ルールを無視したのは韓国なのです。

以上の話は7:50辺りから説明されますが、宇都さん。激おこなので、是非、全編をご覧下さい。

 

以下、関連記事。

下は、大統領側にも厳しい論調をすることが多い朝鮮日報ですが、大統領寄りの中央日報は『「合わせて20選」韓国議員5人を日本は初当選議員1人が相手 「このような冷遇初めて」』というタイトルになっていました。

 

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/05/30/2019053080007.html
記事入力 : 2019/05/30 09:11
日本は韓国議員団との面談拒否、水面下の交渉も行き詰まる韓日関係


訪日の与野党ベテラン議員5人、衆議院外務委員長と会えず

韓日外交フォーラムは日程未定


 韓国国会外交統一委員会所属の議員たちが29日、行き詰まっている韓日関係を何とかしようと日本を訪れたが、当初考えていた日本の衆議院外務委員長との面談を拒否されるという事態が起こった。かろうじて面談できたのは参議院当選1回の比例代表選出議員で、たった1人で韓国議員団に会った。韓日外交当局が強制徴用被害者賠償判決をめぐり激しく対立する中、これまで最後の意思疎通の窓口として役割を果たしてきた議員外交まで行き詰まってしまった形だ。このため、韓日関係は過去最悪の状況に向かっていると懸念する声が上がっている。


 最大野党・自由韓国党所属の尹相現(ユン・サンヒョン)外交統一委員会委員長と、同委員会所属の兪奇濬(ユ・ギジュン)議員、鄭鎮碩(チョン・ジンソク)議員=以上、自由韓国党=、千正培(チョン・ジョンベ)議員=民主平和党=、李貞鉉(イ・ジョンヒョン)議員=無所属=の5人は28日から1泊2日の日程で議員外交のため東京を訪れた。5人は訪日1週間前から駐日韓国大使館などを通じて衆議院外務委員長との面談を申し入れていたが断られ、参議院の渡辺美樹外交防衛委員長だけ会った。尹相現委員長は本紙の電話取材に「韓国側からベテラン議員5人が行ったのにもかかわらず、比例代表当選1回の参議院議員1人で出てきたのは深刻な外交的欠礼であり冷遇だ。韓日関係は考えていた以上に冷え込んでおり、深刻だ」と語った。


 渡辺委員長は面談で、「韓国が(強制徴用賠償判決に関する)仲裁委員会構成要求を拒否すれば、来月大阪で行われる主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)で、文在寅(ムン・ジェイン)大統領と安倍晋三首相の間での協議はないだろう」と述べたという。この日、日本の自民党からは「G20サミット時の日韓首脳会談開催に反対する」という話まで飛び出した。

東京=李河遠(イ・ハウォン)特派員 , イ・スルビ記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

 

 

  


 

 

 

【動画】林千勝~日米戦争を策謀したのは誰だ!歴史の真実を暴く/戦争の黒幕「国際金融資本」とは?

最近観た動画のブログ主覚書です。

二回に渡って林千勝(はやし ちかつ)先生がご出演なさって御著書の説明をされるのですが、それは即ち、昭和史のベールを剥がすという内容になっています。

 

 

20190524_chsakura01

 

 

1本目の動画は3冊の本の紹介、2本目の動画はもう少しフリーに、国際金融資本、特にロックフェラーやロスチャイルド家の話になっています。

林氏の著作と出演動画は過去のブログエントリー(下記)でもご紹介していますが、上の2本の動画は合計正味2時間くらいなので濃縮された内容になっています。上の動画で物足りない方は下の記事でご紹介している動画をご視聴下さい。

 

 

動画の中で仰っているように、一次資料を読み解いて書かれた本で、その一次資料の一つが下の『英米合作経済抗戦力調査』で、通称、秋丸機関がまとめた報告書です。

 

20190524_chsakura02

 

これは別に新発見というわけではなく、以前からネットで公開されているもので、日経新聞や東京新聞が時々言及しているそうです。

しかし、「このような計画があったのにも関わらず、陸軍が暴走して...」云々という、お決まりの「陸軍悪玉論」に曲解して利用しているとのこと。しかし、実際は、戦争を避けるべく和平の道を模索しつつ、開戦やむ無しとなった場合の戦略を立てていた。もし、この戦略通りに戦っていれば勝機はあったかも知れないが、それを壊したのは...ということが動画では語られます。

 

下に1本目の動画を観たときのメモ(林氏の説明)を転記します。

 

学校で習うのは自虐史観。

日本は悪かった、負ける戦争を仕掛けた、といった東京裁判史観。

しかし、ここで気付く。「日本は正しかった、戦略もあった、自存自衛のためだった。しかも、アジアの国々の独立に貢献した」。

これは多くの人が努力して広めている。

次の段階は、「その戦争自体が仕掛けられた物ではないのか?」と気付く。

フランクリン・ルーズベルトは国際共産主義者に取り囲まれており、近衛文麿も同様だった。シナとの戦争では共産党により泥沼に嵌まっていった。日本は蒋介石と全面戦争をするつもりもなかったし、アメリカとも戦争するつもりがなかった。

そこで、3つめの気付き。

「共産党やコミンテルンが活動しても、ソ連はそこまで資金供給ができるはずもないし、スターリンがそこまでの戦略を組み立てることができたのか?」。

共産党やコミンテルンは国際金融資本の実働部隊であり、彼等がアメリカや日本を嵌め、戦後の冷戦構造を作った。大陸も中国共産党に占拠させた。

日本は知識層が「東京裁判史観」を広めたが、世界も同様。オックスフォードやケンブリッジ、アメリカのアカデミズム。イギリスやヨーロッパ、アメリカのエスタブリッシュメントが働きかけたからで、その大元(元凶)はロスチャイルド一族とロックフェラー一族だ。

ここまで理解していないと現代を理解できない。

 

下は『英米合作経済抗戦力調査』の内容をメモしたもの。

 

アメリカと戦争しない、南に行ってインドネシアの石油を取るべし。

当時アジアの権益を多く握っていたイギリスに対抗するためには、インド洋でイギリスの補給線を断ち、イギリスの体力を消耗させる。

当時のイギリスは大英帝国で強大だったが、資源や食糧はオーストラリアやニュージーランド、東南アジア、ビルマ、インド、中東に頼っており、インド洋やケープタウンを回って補給したいたのでそれを遮断する。

そして、インドの独立をバックアップ。中近東で南下してきたドイツ軍と合流。

アメリカは国民に厭戦感もあり、積極的に戦争する名目もないので、なるべく刺激をしない。フィリピンは取るが、太平洋には出て行かない

 

以下もメモからです。

 

と、ここまでは陸軍と海軍は共有していた。このような計画があったので東条英機も決断した。

しかし、海軍がおかしかった。

  永野修身 軍令部総長 
  米内光政 海軍大将
  山本五十六(連合艦隊司令長官)

彼等はこれ(計画)を知ってて真珠湾を攻撃した(攻撃を許可した)。

なぜ山本五十六の暴走を決裁したか? 永野は「(山本が)自分にハワイを攻撃させてくれなかったら辞職する」と言ったからだと述べたことが尋問調書に残っている。しかし、それでは腑に落ちない。

永野は留置場の裁判前に死んでいる。窓ガラスが割れていて、それを自分で新聞で塞ぐも取り除かれて、元々肺が弱かったので死んだ。だから、それ(尋問調書で述べたこと)は理由ではなかったし、本当の理由を裁判で話されるのは都合が悪い。従って、口封じで殺されたと考えるのは自然。死後、永野の妻が引き取った荷物も帰りの列車の中で何者かによって盗まれ、新聞広告を出しても出てこなかった。妻は、それを気に病んでか、間もなく亡くなっている。

 

(メモの引用終わり)

 

* * * *

 

ブログ主はたまたま3作目の『日米戦争を策謀したのは誰だ!』から読み始めましたが、これが日米双方の動きを網羅しています。全体を知るにはこの本で、更に上に書いた秋丸機関の戦略の詳細を知りたければ『日米開戦 陸軍の勝算』を。(ブログ主は購入済みですが未読) 更に、近衛文麿やその周辺の人物の詳細を知りたければ『近衛文麿 野望と挫折』を。ブログ主は今この本を読んでいますが、日中戦争(支那事変)が泥沼化したのには、やはり、近衛が関わっていました。

この本を1/3程読んで知り、驚いたことを2つ。

市丸さん(芸者で歌手)は近衛の愛人だった。

これは、きっと有名な話なのでしょうが、ブログ主が子どもの頃に家族と一緒に「懐メロ」番組を観ていると必ず出て、当時はもうおばあさんだったはずですが、艶っぽくて、子どもながらに、売れっ子芸者ってのはこういう人なんだな、と思った記憶があります。

もう一つは、貞明皇后(大正天皇の皇后)がクェーカー(※)教徒だったということ。

まあ、神道はどんな異宗教でも飲み込めるからいいんですが、どうも、皇室にはクェーカーの影がちらつきますね。

 

※ 📖 広辞苑 クエーカー【Quaker】
キリスト教プロテスタントの一派。フレンド派の通称。17世紀中頃にイギリスに起こり、フォックス(George Fox1624~1691)を祖とする。人は教会によらずその内心に神から直接の啓示「内なる光」を受け得るものと説いた。ペン(William Penn1644~1718)の渡米によってアメリカで盛行。絶対平和主義の立場をとる。基督友会。

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

 

2本目の動画では、憲法起草に関わったニューディーラー達が戦後だいぶ経って「いまだにあの憲法を使っているのか」と驚いたという話について、ブログ主と同じ見解だったことが嬉しくなりました。林氏が仰るように、彼等は自分達のやったことが未だに効いていることに内心ほくそ笑んでたはずです。

 

動画は、我那覇さんが完全に「生徒」になってしまい、「はぁ~」とか「ほぉ~」とか言うのが可愛らしいです。この動画を初見の方は、ディスプレイの前で、我那覇さんのように「はぁ~」とか「ほぉ~」とか言うしかないと思います。

 

  


 

 

 

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