【GHQ焚書】No.1 支那事変(日中戦争)/通州事件
チャンネル桜の番組で「GHQ焚書図書開封」という番組があります。
これは、戦後、GHQ(占領軍)により焚書された図書を集め、そこから西尾幹二氏が選んだ本を解説していくと言う番組です。
焚書とは刊行物を焼き捨てること、つまり、発禁のようなものですが、この場合は、昭和8~20年頃に刊行された本の中から日本人に読ませたくない本を選び出し、流通機構や公的機関から消した行為を言います。但し、図書館や家庭に所蔵されている本までは手を付けなかったので、探せば古書店などで見つかることもあり、チャンネル桜で集めたそうです。
この動画が放送されたのは10年ほど前ですが、現在、週に1度くらいのペースで再upされており、ブログ主は時々目に付いたときに視聴したり、過去の動画をランダムに観ています。たまたま今、中国の近代史を調べているため再度視聴したので、覚え書きとして記録しておこうと思います。
第1回:占領直後の日本人の平静さの底にあった不服従に彼らは恐怖を感じていた 出演:西尾幹二 平成19年2月1日 初回放送
- 『米英挑戦の真相』 編者:大東亜戦争調査会(昭和18年) … ABCD包囲網に関する分析の件を紹介
- 【参考図書】『閉ざされた言語空間: 占領軍の検閱と戦後日本』(江藤淳 著) … 戦後、検閲された信書や雑誌などの記事を調査したもの
- 【参考図書】『GHQ検閲官』(甲斐弦 著)…検閲官をされていた方の本
第2回:一兵士の体験した南京陥落 出演:西尾幹二 平成19年2月15日 初回放送
- 【復刻版】征野千里 (呉PASS復刻選書3) 単行本(ソフトカバー) – 2014 谷口勝 (著) … 支那事変に出征した兵士の手記
第1回はイントロダクションですが、焚書とは何かというだけでなく、「焚書によってGHQは何をやろうとしていたのか」、「日本人はその当時、どのようなことを考えていたのか」、「日本人は戦後、何故これほどまでに従順になったのか」といった西尾氏の考察が語られます。
併せて江藤淳氏の本を紹介し、当時の「検閲」についても語られますが、GHQの徹底ぶりには驚かされます。
戦争に関する記述のみならず、GHQやマッカーサーを非難するものも褒めているものもダメ、という規準があり、これを検察官にチェックさせるのです。
検閲官は日本人から募集した者で、当然、日本語と英語ができるインテリが行いました。彼等は割り当てられた手紙や雑誌・新聞記事を読み、ガイドラインに沿ったものを見つけると英訳して報告します。問題なしとしたものも別の検閲官にチェックさせ、そこに検閲すべきものがあったら、最初にチェックした検察官は首にしました。彼等の殆どがその後口をつぐんできましたが、甲斐弦氏がその時の経験を手記にしました。
第2回は支那事変に従軍した一兵士の手記ですが、西尾氏がこれを選んだのは、その観察眼の鋭さ。自分の感情を交えずに見たものをあまねく描写する姿勢のようで、確かに朗読される文章は無駄がなく、様々なものを見ている視野の広さを感じます。
西尾氏が説明しているとおり、この文章を読めば(朗読された部分を聞けば)、“南京大虐殺”などデマだということが分かります。
下は、この作業を通じて出された西尾氏の本で、途中の巻までは文庫版もあるので、ハードカバーと文庫本、それぞれ1巻のみ提示しました。
「支那事変」とは1937年(昭和12)7月7日の盧溝橋事件を契機とする日中間の戦争で、現在の歴史の教科書では「日中戦争」と呼ばれますが、元々は「北支事変」と呼ばれ、戦局が拡大して戦火が上海に飛び火した9月2日に「支那事変」と名称が変わります。(※参考図書2)
上にも書いたように、盧溝橋付近で演習中の日本軍が銃撃を受けたことがきっかけで...と一般には説明されるのですが、実際はそれ以前から日本に対するシナ人による挑発がずっと続けられたことが原因でした。また、後にこの銃撃は劉少奇が自分の工作だと自慢話として語っているので共産党の仕業なのですが、中国の公式見解では「日本軍の攻撃」となっているそうです。(※参考図書2-P.217)
下はブログ主の手元にある『支那事変写真帳』(※参考図書4)からスキャンしたものです。
また、盧溝橋事件の約3週間後の7月29日に起きたのが有名な『通州事件』です。
とても言葉で描写することができないような虐殺が行われた事件で、下はその日の戦局日誌と写真です。のちに、目撃者(佐々木テンさん)が語ったことによると、誤って中国人を襲わないように、日本人の家の前にチョークで印を付けていたそうなので事前に計画を立ててのことでした。(参考動画1/『通州事件 目撃者の証言』藤岡 信勝 著)
佐々木さんという方は当時中国人と結婚して通州に住んでいたそうで、中国人のふりをしていたので殺されずに済んだそうです。
【キャプション】(現代の漢字に直しています)
七月二十九日、北平(北京)東郊の冀東自治政府の所在地通州の場外に二十九軍の敗残兵が現れ、砲撃を開始すると共に冀東政府に属する保安隊二大隊か之に合流して我が守備隊に迫り、城内に侵入した。之等(これら)の不逞兵士は暴行の限りを尽くし在留邦人三百数十名中二百余名を虐殺した。この惨劇は第二の尼港事件(※)とも称すべきもので、鬼畜にも等しき彼等の暴虐は痛憤に耐えぬ。写真は反乱部隊に射撃された冀東政府警団幹部教習所の弾痕。(東京日日新聞撮影)
※にこう‐じけん【尼港事件】 ‥カウ‥
シベリア出兵中の1920年(大正9)3~5月、ロシアのパルチザン(遊撃隊)によってニコライエフスク港にあった日本守備隊および居留民約700名が殺された事件。これを理由に日本は北樺太の保障占領を敢行。広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店
この後、12月13日に南京を攻略し、城内に入場するのですが、これが例の“南京大虐殺”というデマの「南京」です。
念のために書いておくと、中国の「城」というのは城壁に囲まれた街です。
20万人しか人口がないのに30万人殺した、とか、真冬なのに中国や本多勝一などが証拠写真と出した写真が夏服であるとか、デマだということは既に様々な証拠がありますが、『支那事変写真帳』で日誌を読むと、12月7日付で「この日から南京への直接攻撃が回され、郊外紫金山付近に激戦が展開されている」という記述、9日付で「場外の敵は殆ど掃討された」と書かれています。この4日後に場内に入城し、14日に入城式が行われ、23日には移動して杭州を占領しているので、シナ人が通州事件でやったような猟奇的な殺戮を行っている暇などないはずです。
上の動画で紹介された『征野千里』でも、無数のシナ人捕虜を前にどう対処すべきかと持て余している様子が記述されていますが、仮に殺害したとしてもその遺体の処理には相当手間取るはずなのに、ろくに遺骨も出てこないのですから。
また、『世界記憶遺産』(現在の日本語の名称は『世界の記憶』※)に“南京大虐殺”の資料が11点あるそうですが、中国はこれを公開していません。
※『世界の記憶』
英語では『Memory of the World』、従って「遺産」という文字は入っておらず、現在では日本語もそれに倣っています。
本来の目的は資料を登録して誰でもアクセスできる環境にすることで、また、日本が強く働きかけて、“南京大虐殺”や“慰安婦強制連行”のような別の当事者国(この場合は日本)がある場合、相手方の意見も聞くというシステムが採択されたので、一方的な主張だけでは登録されないようになりました。
なお、ユネスコの審査ではそもそも歴史家は入っておらず、歴史的に正しいかどうかという検証はなされません。
参考図書・関連動画
- アメリカの社会主義者が日米戦争を仕組んだ 「日米近現代史」から戦争と革命の20世紀を総括する(馬渕睦夫著)
- 今こそ中国人に突きつける 日中戦争真実の歴史(黄文雄著)
- 世界の歴史〈20〉中国の近代 (河出文庫/市古 宙三 著) … 元々手元にあったもので1990年の古い本だが、社会的背景などの説明が詳しく分かりやすい。但し、日本に対しては「侵略」史観。
- 支那事変写真帳(東光社 編)… 同じものは国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧可能。
- 【日いづる国より】藤岡信勝、封印されてきた「通州事件」の真実[桜H29/4/21]
https://youtu.be/XVFyHga9NNg
司会:中山恭子(参議院議員・日本のこころ代表)
ゲスト:藤岡信勝(拓殖大学客員教授)
- 1/3【討論!】『南京大虐殺』記憶遺産11文書を検証する[桜H27/11/7] (続きは 2/3、3/3 に)
https://youtu.be/P4-pV7Iy6AM
パネリスト:
阿羅健一(近現代史研究家)
江崎道朗(評論家)
藤岡信勝(拓殖大学客員教授)
水間政憲(ジャーナリスト)
司会:水島総
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