【メディア】麻生太郎財務相の「札幌は奥地」発言を巡る報道
3月25日の参院予算委員会での麻生太郎財務相が札幌を「奥地」と表現したことを巡り、国民民主党の徳永エリ議員が差別的表現と反発、与党を攻撃できれば何でもいいメディアがすぐに飛びつきました。
結論から言うと、実際に道南、特に函館の住民の間では昔から言われてたことで、麻生氏はその事実を言及したに過ぎません。北海道新幹線のルートに関する質疑の中での発言でした。
政治的な話は置いておいて、他所を指す言葉を地元民の社会から相対的に言うことはよくあります。これは、日本でよく見られる「ウチ・ソト」の概念と似ているかも知れません。
昔読んだ鈴木孝夫氏の本では「枠」という表現をしていました。
地元民同士、例えば函館住民で会話している時は、暗黙の了解で「函館」という枠の意識があるということです。
函館は松前藩の時代もそうですが、青函連絡船、青函トンネルと、北海道の中心であり、「玄関口」であった時代が長らく続いていたので、そういう習慣があるのもおかしくはありません。一種のjargon(ジャーゴン)みたいなものでしょう。
ジャーゴン[1]
〔jargon〕
その社会の人間の間でしか通じないことば。特定の職業集団の通語や学術的な専門用語、また、一部の、若者ことば・学生用語などを指す。新明解国語辞典 第七版 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2013
そして、函館だけでなく、道内では道南を中心にある程度定着した表現なのでしょう。
話題のついでに鈴木孝夫氏の説をもう少し紹介すると、よく、家族に赤ちゃんが生まれると、その祖母に当たる人が娘(赤ちゃんの母親)のことを「ママ」と呼んだり、娘が母親を「おばあちゃん」と呼ぶことは珍しくありません。これは無意識に家族という「枠」の中での相対的な関係で呼ぶというのです。この呼称でお分かりだと思いますが、構成員を、誰を中心として相対化するかというと、一番年少の者、つまり、孫です。従って、その下にまた赤ちゃんが生まれると、年長の子どものことを「お兄ちゃん」(お姉ちゃん)などと呼びます。時々、その枠外の人の前でも、その呼称を使うこともあり、それはおそらく、親しい間柄故にその人も「枠」の中に入れているのだと思います。
これと似た例かも知れませんが、川崎に住んでいる人が時々、「ちょっと、川崎に行ってくる」ということがあります。これは駅周辺に行くという意味なのですが、たかだかバスやローカル線(京浜急行の支線)で10~15分程度の距離で、既に交通網が発達していた昔も今も時間的には変わらないのですが、昔は駅周辺に“出る”という感じで、ちょっとした「お出かけ」感覚があったので、精神的な距離感があった時代の名残だと思います。
こういう地元民の間で通じる言い方というのはどこの地方にも多少はあるのではないでしょうか。
話を「札幌は奥地」に戻すと、この表現は道民ではないブログ主にはちょっとした発見でした。観光客の立場では、何の疑問も無く、北海道の玄関口は千歳であり、道庁所在地の札幌という意識があったからです。
むしろ、こういう表現を知ることで、北海道の理解にも繋がるのではないでしょうか。
以下、関連する記事などをまとめておきます。
麻生氏と徳永氏の発言に関する報道で、どちらも記事内容はあまり変わりませんが、タイトルの付け方で両者のスタンスの違いが出ているかと思います。
【産経新聞】
https://www.sankei.com/politics/news/190325/plt1903250016-n1.html
麻生氏、新幹線延伸めぐり「札幌はもう奥地ではない」
2019.3.25 16:53
麻生太郎副総理兼財務相は25日の参院予算委員会で、北海道新幹線の札幌延伸をめぐる質疑で、札幌を「奥地」と表現した。質問した国民民主党の徳永エリ氏(北海道選挙区)は「北海道の人は『奥地』とは言わない。適切ではない」と批判した。麻生氏は札幌延伸に関し「もう奥地の札幌が奥地ではない」と述べた。同時に「函館の人が、札幌の人に『奥地からようこそ』と言っているのを見て、函館はプライドがあるなと聞いていた」とも語った。
【朝日新聞】
https://www.asahi.com/articles/ASM3T5W7RM3TUTFK01N.html
麻生氏、札幌を「奥地」と表現 野党「適切ではない」
2019年3月25日20時33分
麻生太郎副総理兼財務相は25日の参院予算委員会で、札幌市を「奥地」と表現し、質問した北海道選出の徳永エリ氏=国民民主党=から「適切ではない」と指摘される場面があった。
北海道新幹線の延伸にからみ、麻生氏は「この間函館に行ったが、(札幌の人に)『奥地からようこそ』と言っているのを見て、函館はプライドがあるなと思って聞いていた」と発言。一方で「もう奥地の札幌の方が奥地ではない」とも答弁した。
こうした発言に対し徳永氏は、「北海道の人は本州の人を内地と言うが、奥地という言葉は使わない。適切ではない」と反論した。
参考として、過去の朝日と時事通信の記事。
【朝日新聞】 2017年02月03日
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170203011320001.html
函館市(2)旧戸井線跡(前略)函館から東の海岸沿いは下(しも)海岸と呼ばれるが、これは近世蝦夷地の中心都市松前が上(かみ)だったからだ。海の幸を求めて中世以前から下北半島の人々も行き来した。目の前につねに本州の陸影が広がるこの土地は、「奥地」の札幌から訪れるとやはりなんとも北海道らしくない。そして汐首岬灯台が近づくと、朽ちかけてはいるがなお美しい八連のアーチ橋が国道から見える。ついに完成しなかった戸井線の痕跡だ。(後略)
【時事通信】
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201311matsumae0001
再発見!道南の食文化と歴史
P.1 新幹線開通間近で注目
2016年3月末、これまで新青森までだった新幹線が、いよいよ函館まで乗り入れる。新鮮で安い海産物が手に入る朝市や温泉、幕末から明治にかけて建てられた洋風建築物など、函館には注目スポットが多いが、道南にはさらに歴史的に古い町がある。新幹線の開通で注目される、道南の町と函館を13年10月末から11月初めに巡った。(後略)P.6 行政の中心「札幌」のライバル函館
(前略)北海道庁の支所があった場所より、函館山寄りに1段高い場所に建てられており、大西さんは「明治の初めに政治の中心は札幌に移ってしまったが、(こちらの方が上という)財界人のプライドと、見栄だったろう」と説明する。北海道出身の人の話では、「函館の人は今でも、札幌を奥地と呼ぶ」そうだ。当時のプライドは、現代でも生きているのかもしれない。(後略)
これ以外にも「札幌を奥地と呼ぶ」証拠はいくつもあるのですが、上記記事は、麻生氏と徳永氏のやりとりがweb記事として配信されるとすぐにネット民により発見されました。
確かに、二人のやり取りをそのまま報じることは(記者の意見を加えない)「ストレートニュース」かもしれません。
しかし、事は「札幌を奥地と呼ぶ」事実はあるかないか、ということなのですから、一般人がちょっと調べれば分かるような「事実」くらいは伝えてもいいのではないでしょうか。それに加えて、徳永氏の見識の低さまで批判しろとは言いません。それさえ伝えないのでは、ジャーナリストと言えるのでしょうか?
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