最新情報

  • 2019/08/18
    ブログを更新しました。
    2018/04/30
    冷やし中華...じゃなかった、Twitterはじめました。

このサイトに関して



当サイトご利用上の注意

  • 記事へのリンクはご自由になさって結構です。
    但し、画像等、記事内のコンテンツの無断転載、画像への直接リンクによるまとめサイト等他サイトへの転載は固くお断りします。

    2019/04/14現在、コメント欄の認証方法やNGワード設定等、時々変更しています。メールアドレスの入力が求められる場合、とりあえずメールアドレスの形をしていれば(@の前は適当でも)OKです。

    上記に関し、詳しくは下記バナーから「当サイトについて」をお読み下さい。



    このブログの趣旨など。コメント欄はゲストブックとしてご利用下さい。


    記事についてご不明な点などはメールでは回答しかねますので、各記事のコメント欄にお願いします。




特設コーナー

  • Banner_kanan_fund


















外部サイト(その他)

  • 台湾の名前で東京オリンピック参加を!署名活動


    憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会









管理人ポータル

大師小同窓会関連












  • 画像を提供、あるいはオリジナル写真を貸して下さる方は管理人までご連絡ください。


我が町!大師の情報

  • 大師の歴史・町名の由来

各種ノウハウ集



私家版スクラップブック

  • ブログ主の個人的スクラップブック集です。

    100円ショップの木箱やディスプレイケースなどを利用したドールハウスのまとめページです。

    メンテナンス中のため一時アクセスを制限しています。

友達の輪・お薦めSHOP

  • CHITIのボディデザイン
    魅せるボディデザイン/カラダ作りの本質とは!?
    川崎市在住のインストラクターが近隣のスポーツ施設や公園・ご自宅でのパーソナルトレーニング受け付けます。




    かわさき楽大師

    ファッション・雑貨の店 「+R」

    ヘアーサロンE'(イーダッシュ)


« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月の24件の記事

2019/03/31

【書籍】『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』(石平著)

公開: 2019-03-31 12:39:56  最終更新: 2019/03/31 14:08  

以前のエントリー『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか(石平著)』に引き続き、掲題の本を読んでいますが、およそ半分(序章~第2章)を読んだところで、頭の整理をするためにブログにメモしておこうと思います。

下はこの本の各章の見出し。

 

  • 序 章:思想としての「中華」とは何か
  • 第1章:飛鳥・奈良時代――脱中華から始まった日本の思想史
  • 第2章:平安から室町――仏教の日本化と神道思想の確立 ←今ここ
  • 第3章:江戸儒学の台頭と展開――朱子学との戦いの軌跡
  • 第4章:国学の快進撃――日本思想史のコペルニクス的転回
  • 終 章:幕末と明治――儒教の復権と国民道徳の形成

  

第3章以降は未読ですが、『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』の第4章「朱子学を棄て、『論語』に「愛」を求めた日本」に短くまとめられたことが詳しく書かれているかと想像します。

 

 

  

見出しをご覧になって分かるように、この本は日本の思想史(および宗教史)について書かれた本ですが、日本史の授業では、まず、飛鳥時代とか平安時代、鎌倉時代という時代区分毎に学び、その中で、「鎌倉時代の仏教」と言うような形で教科書に出てくるのと、詳しくは学ばないので、どうしても、通史としての思想史というものが分かりません。

例えば、「密教」=「加持祈祷」-「最澄」・「空海」などと、試験に出るキーワードだけを覚えただけで良しとしてしまうことが多いのではないでしょうか。

しかし、この本を読んで、(特定の宗教を信仰しない)一般的な日本人の“ぼんやりとした宗教観”とか倫理観ががどのように形成されたのかを考えるヒントになりました。

 

 

著者ご本人は膨大な資料を読み解いて、それをかみ砕いて分かりやすく説明してくれます。はっきり言って、日本史の副読本の「用語集」や事典の説明なんかより、すっと頭に入る言葉で解説してくれるのです。

 

* * * *

 

脱「中華」、脱「仏教」(神道と仏教の共存)

下はまたまた要点まとめの参考書からの「宗教史」です。

 

religion

 

儒教は前回のエントリーに掲載した「思想史」(画像)で扱われているのでここには載っていないですが、儒教も仏教も5~6世紀頃に大陸から、あるいは大陸を経由して伝来します。

リンク先の画像にも書かれているように、儒教は「律令制の理論的支柱」となり、大化改新や十七条の憲法に影響を与えました。

下の画像は、同じ参考書の本文の部分。(この参考書は「要点まとめ」なので、詳細は省かれています。)

 

religion

 

一般には、このように大陸文化の伝来と片付けてしまうのですが、シナの圧倒的な文化の前に、日本人は尊敬と共に脅威を感じたはずです。

ここから、日本人はどのようにシナの呪縛から逃れたのか?

それは仏教を「国教」として据えたからでした。

「華夷秩序」、即ちシナの外は「えびす」(野蛮人)という中華思想の国に対し、遙か西方(インド)で成立した宗教である仏教を国教として据えることで、同じ仏教国という対等な関係になったのです。

 

『十七条の憲法』には儒教から借用された用語もあり、律令制など、シナの制度に倣ったものも多くありますが、あくまでも官僚が国造りの参考に学んだだけで、科挙も取り入れなかったように、日本では支配的イデオロギーにはなりませんでした。

儒教思想の中核の一つ、「天命思想」(天の命令により為政者が変わる=易姓革命の口実)も受け入れず、天皇を絶対的な為政者とすることで、日本には「柱」ができ、これはたとえ武士が権力を握る時代になっても変わることはありませんでした。

こう考えると、なぜ、グローバリスト達が日本の皇室を攻撃するのかも分かるかと思います。

 

儒教の呪縛に絡め取られなかった日本は、次に、仏教の日本化とでも言うのか、日本の神々との関係、即ち、神道と仏教との関係をどうするかという問題に取り組みます。

この経緯は大変面白いので、是非、読んで頂きたいのですが、ブログ主がキーワードだと思ったものを2つ取り上げます。

まずは、「草木国土悉皆成仏」。

「悉皆」(しっかい)という言葉は普段あまり聞き慣れませんが、漢字から、「悉(ことごと)く皆」=全て、と分かると思います。

これは「本覚思想」(人間には「仏性」が備わっているので、誰でも成仏できるという考え)から進んだもので、本書の言葉(石平氏の説明)を引用すると、「仏性が備わって成仏できるのは何も人間だけに限ったことではない。草木や国土を含めたこの世の森羅万象には皆、仏性が備わっており、悉く成仏できる。」という考えです。

これは、日本人なら、アニミズムとの融合だということが分かると思います。

これを読んで思いだしたのが、上野の不忍池の畔にある数々の供養塔です。魚などの生き物だけでなく「眼鏡」の供養塔を見たときには驚きましたが、日本には「器物が100年を経過するとそこに精霊が宿る」とされる考えがあり、付喪神(つくもがみ)と呼ばれます。

まあ、「ゆるキャラ」の原型みたいなものかもしれません。

 

別のキーワードは「反本地垂迹説」。

仏教が伝来したとき、日本の神々との関係は「本地垂迹説」で説明したことはご存知だと思います。本地とは「仏としての本体」で、垂迹とは「姿を変えて迹(あと)を垂(た)れた=別の姿」という考えで、日本の神々は すべてインドの仏が民衆を救うために現われたものであるという説明です。

これが、室町時代には吉田兼倶(かねとも)の「反本地垂迹説」(神本仏迹説)に行き着きます。簡単に言ってしまうと、実際に民衆を救ってくれるのは神々なので、こちらが「主」だと、日本の神と仏の立場を逆転させてしまったのです。兼倶は、(著者の言葉を引用すると)「日本古来の正直・清浄の倫理観を『本地』とし、仏教の唱える慈悲を『垂迹』と見なす考えを示した」のだそうです。

 

古代から室町までの時間をかけて理論立て、現在に至るまで、アニミズムや神道、仏教が、時には融合したりし、共存できる日本人の宗教観が形成されたことが平易な言葉で説明されているので、よく分かりました。

正直に言って、ブログ主はこの本で「八幡宮」とか「権現」などといった意味も初めて知りました。

 

クリスチャンとか特定の宗教を信仰されている方は別ですが、一般には、「とりあえず仏教徒であり、地元の神社の氏子でもある」ブログ主のような日本人が多いのではないでしょうか。そのような日本人にとっては、宗教は空気のような物かも知れません。

ヨーロッパの大聖堂や京都や奈良にある大伽藍は確かに畏敬の念を抱かせますが、この本は、道ばたのお地蔵様はもちろん、木や石ですら注連縄でも巻いてあれば、自然とそこに仏の心や神性を感じる日本人の宗教観を考える端緒となる本だと思います。

石平氏は日本に帰化されたれっきとした日本人ですが、中国(四川省)で育った知識人だからこそ、書けた本ではないかと思います。

  

  

 


 

 

 

 

 

 

 

 

2019/03/28

【メディア】麻生太郎財務相の「札幌は奥地」発言を巡る報道

3月25日の参院予算委員会での麻生太郎財務相が札幌を「奥地」と表現したことを巡り、国民民主党の徳永エリ議員が差別的表現と反発、与党を攻撃できれば何でもいいメディアがすぐに飛びつきました。

結論から言うと、実際に道南、特に函館の住民の間では昔から言われてたことで、麻生氏はその事実を言及したに過ぎません。北海道新幹線のルートに関する質疑の中での発言でした。

政治的な話は置いておいて、他所を指す言葉を地元民の社会から相対的に言うことはよくあります。これは、日本でよく見られる「ウチ・ソト」の概念と似ているかも知れません。

昔読んだ鈴木孝夫氏の本では「枠」という表現をしていました。

  

  

地元民同士、例えば函館住民で会話している時は、暗黙の了解で「函館」という枠の意識があるということです。

函館は松前藩の時代もそうですが、青函連絡船、青函トンネルと、北海道の中心であり、「玄関口」であった時代が長らく続いていたので、そういう習慣があるのもおかしくはありません。一種のjargon(ジャーゴン)みたいなものでしょう。

ジャーゴン[1]
〔jargon〕
その社会の人間の間でしか通じないことば。特定の職業集団の通語や学術的な専門用語、また、一部の、若者ことば・学生用語などを指す。

新明解国語辞典 第七版 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2013

   

そして、函館だけでなく、道内では道南を中心にある程度定着した表現なのでしょう。

   

話題のついでに鈴木孝夫氏の説をもう少し紹介すると、よく、家族に赤ちゃんが生まれると、その祖母に当たる人が娘(赤ちゃんの母親)のことを「ママ」と呼んだり、娘が母親を「おばあちゃん」と呼ぶことは珍しくありません。これは無意識に家族という「枠」の中での相対的な関係で呼ぶというのです。この呼称でお分かりだと思いますが、構成員を、誰を中心として相対化するかというと、一番年少の者、つまり、孫です。従って、その下にまた赤ちゃんが生まれると、年長の子どものことを「お兄ちゃん」(お姉ちゃん)などと呼びます。時々、その枠外の人の前でも、その呼称を使うこともあり、それはおそらく、親しい間柄故にその人も「枠」の中に入れているのだと思います。

これと似た例かも知れませんが、川崎に住んでいる人が時々、「ちょっと、川崎に行ってくる」ということがあります。これは駅周辺に行くという意味なのですが、たかだかバスやローカル線(京浜急行の支線)で10~15分程度の距離で、既に交通網が発達していた昔も今も時間的には変わらないのですが、昔は駅周辺に“出る”という感じで、ちょっとした「お出かけ」感覚があったので、精神的な距離感があった時代の名残だと思います。

こういう地元民の間で通じる言い方というのはどこの地方にも多少はあるのではないでしょうか。

話を「札幌は奥地」に戻すと、この表現は道民ではないブログ主にはちょっとした発見でした。観光客の立場では、何の疑問も無く、北海道の玄関口は千歳であり、道庁所在地の札幌という意識があったからです。

むしろ、こういう表現を知ることで、北海道の理解にも繋がるのではないでしょうか。

   

以下、関連する記事などをまとめておきます。

麻生氏と徳永氏の発言に関する報道で、どちらも記事内容はあまり変わりませんが、タイトルの付け方で両者のスタンスの違いが出ているかと思います。

   

【産経新聞】
https://www.sankei.com/politics/news/190325/plt1903250016-n1.html
麻生氏、新幹線延伸めぐり「札幌はもう奥地ではない」
2019.3.25 16:53
 麻生太郎副総理兼財務相は25日の参院予算委員会で、北海道新幹線の札幌延伸をめぐる質疑で、札幌を「奥地」と表現した。質問した国民民主党の徳永エリ氏(北海道選挙区)は「北海道の人は『奥地』とは言わない。適切ではない」と批判した。

 麻生氏は札幌延伸に関し「もう奥地の札幌が奥地ではない」と述べた。同時に「函館の人が、札幌の人に『奥地からようこそ』と言っているのを見て、函館はプライドがあるなと聞いていた」とも語った。

   

【朝日新聞】
https://www.asahi.com/articles/ASM3T5W7RM3TUTFK01N.html
麻生氏、札幌を「奥地」と表現 野党「適切ではない」
2019年3月25日20時33分
 麻生太郎副総理兼財務相は25日の参院予算委員会で、札幌市を「奥地」と表現し、質問した北海道選出の徳永エリ氏=国民民主党=から「適切ではない」と指摘される場面があった。
 北海道新幹線の延伸にからみ、麻生氏は「この間函館に行ったが、(札幌の人に)『奥地からようこそ』と言っているのを見て、函館はプライドがあるなと思って聞いていた」と発言。一方で「もう奥地の札幌の方が奥地ではない」とも答弁した。
 こうした発言に対し徳永氏は、「北海道の人は本州の人を内地と言うが、奥地という言葉は使わない。適切ではない」と反論した。

   

参考として、過去の朝日と時事通信の記事。

   

【朝日新聞】 2017年02月03日
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20170203011320001.html
函館市(2)旧戸井線跡

(前略)函館から東の海岸沿いは下(しも)海岸と呼ばれるが、これは近世蝦夷地の中心都市松前が上(かみ)だったからだ。海の幸を求めて中世以前から下北半島の人々も行き来した。目の前につねに本州の陸影が広がるこの土地は、「奥地」の札幌から訪れるとやはりなんとも北海道らしくない。そして汐首岬灯台が近づくと、朽ちかけてはいるがなお美しい八連のアーチ橋が国道から見える。ついに完成しなかった戸井線の痕跡だ。(後略)

   

【時事通信】
https://www.jiji.com/jc/v4?id=201311matsumae0001
再発見!道南の食文化と歴史
P.1 新幹線開通間近で注目
 2016年3月末、これまで新青森までだった新幹線が、いよいよ函館まで乗り入れる。新鮮で安い海産物が手に入る朝市や温泉、幕末から明治にかけて建てられた洋風建築物など、函館には注目スポットが多いが、道南にはさらに歴史的に古い町がある。新幹線の開通で注目される、道南の町と函館を13年10月末から11月初めに巡った。(後略)

P.6 行政の中心「札幌」のライバル函館
(前略)北海道庁の支所があった場所より、函館山寄りに1段高い場所に建てられており、大西さんは「明治の初めに政治の中心は札幌に移ってしまったが、(こちらの方が上という)財界人のプライドと、見栄だったろう」と説明する。北海道出身の人の話では、「函館の人は今でも、札幌を奥地と呼ぶ」そうだ。当時のプライドは、現代でも生きているのかもしれない。(後略)

   

これ以外にも「札幌を奥地と呼ぶ」証拠はいくつもあるのですが、上記記事は、麻生氏と徳永氏のやりとりがweb記事として配信されるとすぐにネット民により発見されました。

確かに、二人のやり取りをそのまま報じることは(記者の意見を加えない)「ストレートニュース」かもしれません。

しかし、事は「札幌を奥地と呼ぶ」事実はあるかないか、ということなのですから、一般人がちょっと調べれば分かるような「事実」くらいは伝えてもいいのではないでしょうか。それに加えて、徳永氏の見識の低さまで批判しろとは言いません。それさえ伝えないのでは、ジャーナリストと言えるのでしょうか?

  

  


  

2019/03/27

【書籍】『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』(石平著)

3月19日にブログシステムの大幅改修があり、改行の不具合などもあって、公開後の記事が見苦しいのですが、覚え書きとして、最近読んだ本について感想などを書き留めておきます。

 

 

上に、もう一冊ご紹介したのは、掲題の本を読んでいる途中で、ブログ主の長年の疑問を解くには先にこちらの本(『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』)を読むべきだったと気付いたからですが、その、長年の疑問とは、

  

  1. 同じ儒教の国と言われるが、なぜ、日本と韓国とでは倫理観が異なるのか?
  2. そもそも、日本は儒教の国だろうか?

 

という疑問です。

  

  

 

昨今はあまり言われなくなりましたが、「日本と韓国は“同じ”儒教の国だから似ている」とか「分かり合える」というような言い方をされていた時代がありました。もちろん、それが大間違いというのは、今では説明する必要はないと思います。

「日本は儒教の国」というのは、儒教的な考えが日本人の行動規範になっている、というのはよく言われますが、日本人で『論語』などまともに読んだ人など、そうそういないはずなのに、という疑問でした。

 

これについては、掲題の本で、まず、『論語』と『儒教』は別物だ、ということを知り、ブログ主が誤解をしていたことを知りました。

 

まず、成立年からして300年以上の隔たりがあるのです。『論語』は孔子の言葉を弟子達が書き留めたもので、体系立っているわけでもなく、その時々で矛盾のあることも言っています。しかし、『論語』は、例えば現代のサラリーマンにも通じる、人生の処世訓に満ちあふれていると著者は言います。実際に“生身”の人間なのですから、人間くさいことも当然発言しています。しかし、後の儒学者が、儒教の権威付けに孔子を「聖人」、「至聖」と祭り上げ、儒教の「教組」のような位置づけにしてしまったことに原因がある、というのが冒頭に語られます。

では、「儒教」とは、というと、『四書』、後に『五経』が加わって『四書五経』と呼ばれますが、『論語』は『四書』の中に加えられているだけです。これがそもそも、孔子の威光を借りただけで『論語』とは別物であり、この流れを汲む思想家が、シナのその時々の政治制度や社会的背景に応じて出現し、それを一括りに『儒教』と呼んでいることが誤解の元なのです。

 

この本のサブタイトルになっている『日本と中韓「道徳格差」の核心 』は、正直に言うと、この本だけでは分からず、(だから、もう一冊の『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』の方を先に読むべきだったと思ったのですが、)ブログ主は、以前ご紹介した】『朝鮮戦争で生まれた米軍慰安婦の真実』(崔 吉城著/ハート出版)を読んでいたことで理解できました。

この本をご紹介したエントリー『【在韓米軍慰安婦】韓国人にとっては売春婦は「聖女」である』でも少し触れたのですが、かつて、韓国では女性の地位は大変低く、著者の崔氏の母親が亡くなったときに戸籍を取り寄せたら、母親の名前が無かったのだそうです。また、この本の中に、かつて、夫に先立たれた妻はそれに殉ずることが美徳といわれ、そうした女性の貞操を褒め称える「烈女伝」も書かれたということが書いてあります。中国にもそのような女性を称えるモニュメント(門のようなものだそうです。)があり、観光名所になっていると石平氏の本に書かれていました。日本も女性の地位が高かったとは言い難いのですが、これほどの男性中心の考えはありませんでした。

 

それでは、このような日本と中韓の倫理観の違いは何か?というと、『礼教』です。これは『朱子学』と対になっているもので、女性が夫や息子に忠誠を誓うのはこの『礼教』の教えなのだそうです。石平氏の説明によると、朱子学は「人欲」を圧殺すべきと教え、「人欲」の中でも最も抑制すべきは「性欲」なのだそうです。

 

日本史の教科書の中には儒学者や朱子学者の名前が出てきますが、シナ(朝鮮も)と日本の決定的な違いは、『礼教』を取り入れなかったことでした。

石平氏によると、『朱子学』と『礼教』がシナで猛威を振るったのが、明や清の時代だそうで、この時代のシナと朝鮮の関係を考えれば、日本との違いは分かります。

『礼教』については、ブログ主はこれ以上の知識はないのですが、おそらく、これ以外の形骸化された作法とかしきたりが書かれていることと思います。

下は、受験用の参考書の日本の思想史ですが、「儒教」や「朱子学」という言葉が何度も出てきます。しかし、国学として儒教を受け入れた朝鮮と、『朱子学』を棄てた日本とでは、とても「同じ儒教の国」とは言えないでしょう。このことは石平氏の本の「第4章 朱子学を棄て、『論語』に「愛」を求めた日本」に書かれています。

 

kake_ehime_note

 

 

ここまでで、この本の「ネタバレ」と思われるかも知れませんが、このような結論は実はあっさりと冒頭に書かれており、実はこの本で一番ページ数を割いているのはシナ(中国)の思想史です。

その中には、「性悪説」でお馴染みの荀子や「性善説」の孟子、竹林の七賢など、漢文の教科書で習ったことがある思想家の名前がたくさん出てきます。今にしても思えば、漢文の授業はある意味、シナの思想史を学んでいたことになり、実際に、時代背景なども一緒に習っていたのだと思いますが、漢文を読み下して現代語訳にするのが精一杯で、そうした知識は忘却の彼方となってしまいました。

この本では、名前くらいしか覚えていない思想家(と言っても、名前すら忘れていましたが...w)が、どのような政治体制や社会情勢の中で出現したのかが、非常に平易に書かれています。従って、「中国の思想史入門」としてもお薦めの本です。

ふと、漢文の教科書をもう一度読みたくなりましたが、どうせ買っても読まないと思うのでやめましたw

上でご紹介したもう一冊の本、『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』は、タイトルの通り、日本の思想史がまとめられているようなので、こちらも是非読んでみたいと注文したところです。

 

  

  


  

2019/03/25

小笠原の甘露ハチミツ/甘露ハチミツって何?

古い新聞を整理していたら、『小笠原ハチミツ 正体は「甘露」』という記事がありました。

「甘露」って何?というのは記事に書いてありますが、樹液を吸うアブラムシやカイガラムシが分泌する蜜のことで、花の蜜の代わりにこの蜜を集めるミツバチがいるようです。

更に調べると、「甘露」とは、これらの虫が吸収しきれなかった樹液だそうで、そう言えば、アブラムシがお尻に露のようなものを出しているのを見たことがあります。

人間がアブラムシのおこぼれを貰うというのも、何かおかしな気がしますね。

   

Honeydew01

   

   

記事の中で、このような甘露ハチミツにはドイツやブルガリア産がある、とあるので、調べて見たら、ドイツ語では「Honigtauhonig」(honigは英語のhoney=ハチミツ)で、「tau」(タオ)は「露」のこと。英語で言うと「dew」です。(従って、「甘露」は英語で「honeydew)

そう言えば、「マウンテンデュー」とかいう飲み物がありました。この「デュー」です。

   

具体的に画像を検索したら、こんな商品の画像がありました。(画像は検索一覧からのキャプチャ)

   

Honeydew02

   

ちょっと見た目がメープルシロップぽいですね、と思ったら、やはり、元となる樹液はカエデやエノキ、カシなどが多いそうです。

   

   

  

  


  

2019/03/24

【ココログ新システム】画像の周囲のマージン

※環境: Windows8.1、Firefox

   

HTMLタグをいじるので、やや上級向け

新システムでは画像の周囲にマージン(余白)が開かないようです。

これにより、画像を例えば左寄せにして、テキストを右側に回り込ませた場合、画像との隙間が空かず、やや見た目が悪くなっています。

以前は、下のように画像の右側と下に5pxのマージンが自動的に設定されていました。

   

   

Cocolog_my_photo_05

   

以下で説明することは、あくまでも「どうしてもマージンを入れたい」という方向けで、従来通り、自動的にマージンを付けてくれる方が良いので、そのようにブログ主から依頼を出しておきます。

ただ、「マージンとはどういうものか」ということを知っておくのも悪くないので、そのつもりでご一読ください。

   

画像の周囲にマージンを入れる

下は既にマージンを付け、文字の回り込みの解除をした後ですが、従来通り、画像の右と下に5pxを設定していますが、このようにするには、ソースコード(「<>」ボタンを押す)を開いて、画像のHTMLタグに「style="margin: 0px 5px 5px 0px;"」を追加します。

   

Image_test03ああああ
   

上の画像と「ああああ」の部分は下のようなHTMLタグになっています。

   

<a href="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test03.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 0px 5px 5px 0px;" src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/blog/images/image_test03.jpg" alt="Image_test03" width="150" height="150" align="left" border="0" /></a>ああああ

上の例では、「<img 」の直後に入っていますが、<img~/>の中の要素は順不同なので、自分で挿入する場合は、前後に半角スペースを入れれば、どこでも構いません。

分かりやすいように「border="0"」の後ろにでも入れればいいかと思います。つまり、「border="0" style="margin: 0px 5px 5px 0px;"  />」という感じです。

   

上の例では、上下左右を個別に指定していますが、全て10pxなら、「style="margin: 10px;"」とすればOKです。(下図)

   

Image_test03ああああ
   

画像の上にも10pxのマージンが空いたので、「ああああ」の文字列より10px分下がっているのが分かるかと思います。

   

   

回り込みの解除

回り込みの解除は「ああああ」の後ろ、</div>の前にに「<br clear="left" />(全角スペース3つくらい)」を入れます。

つまり、「<br clear="left" />   」のような感じです。(全角スペースは1つだと無視されるようなので3つ入れているだけで、あまり意味はありません。)

   

<div><a href="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test03.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 10px;" src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/blog/images/image_test03.jpg" alt="Image_test03" width="150" height="150" align="left" border="0" /></a>ああああ<br clear="left" />   </div>

   

なお、画像を入れると<div>~</div>で囲まれるので、ブログ主は画像の上下にスペース行を入れる意味もあり、予め、①スペース3個を打って改行→②改行→③スペース3個 を入力してから、スペースを打っていない行に画像を挿入しています。そうすると、画像の下にテキストを入力する際、<p>タグが維持されるからです。

イメージとしては下のような感じです。

   

■■■[改行キー] (■はスペースのつもり)

[改行キー] (←画像はこの行に挿入。画像は<div>~</div>で囲まれるので。)

■■■[改行キー]

   

実際のHTMLタグ

   

<p>  </p>
<div><a href="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test03.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img style="margin: 10px;" src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/blog/images/image_test03.jpg" alt="Image_test03" width="150" height="150" align="left" border="0" /></a>ああああ<br clear="left" />   </div>
<p>  </p>

   

  

  


 

 

 

 

 

【ココログ新システム】画像の挿入方法/サムネイル画像を巡る諸問題と当面の対応策

公開: 2019-03-24 08:42:38  最終更新: 2019/03/28 21:48  

※環境: Windows8.1、Firefox

2019/03/28 20:42現在、この記事は修正中です。(仕掛かり中)

新システムでは様々な不具合がありますが、画像の挿入に関して不審な動きをするので困っている方が多いようです。

トラブルの一つが、以前は画像を挿入する都度サムネイルサイズ(記事中に表示される縮小画像の横幅)を変更できたのに、新システムでは変更できないことで、どうやら、サムネイルサイズは「基本情報」で一元管理されるので、画像を挿入する都度サイズを変えることは想定していないような設計です。

しかし、同一記事の中に複数サイズのサムネイルを挿入するすることは可能です。

  

例として、予め「基本情報」で「500px」(以下、単に「500」のように表記)と設定してあったとして、1枚目は「400」、2枚目は「300」の幅で挿入したいとします。

   

1. [画像の挿入]ボタンを押してみて、前回の設定が「500」となっているので、と、「サムネイルサイズの設定はこちら」をクリックして「基本情報」を表示し、「400」に設定して保存。

2. 一旦、記事を下書き保存。

3. 再び、[画像の挿入]ボタンを押すと、画像挿入作業エリアの下の方に「現在のサムネイルサイズ : 400px」と表示されている。

4. 画像をアップロード。(この時点で、400サイズのサムネイルも作られる。)

5. 画像を記事内に挿入。

6. 次に300サイズの画像を挿入するには、1と同様の方法で「300」に変更。以下、2~5を行う。

   

   

Cocolog_new07

   

ここで、注意しなくてはならないのは、

   

画像をアップロードした時点で「基本情報」で指定した幅でサムネイルが作られる

   

ということです。

これが、どういう問題かというと、本当は「300」サイズのサムネイルを作りたかったのに、うっかり、「400」と指定した状態で画像をアップロードすると、後から、サムネイルサイズは変更できません。その場合は、①サムネイルサイズを設定し直して再度同じ画像をアップロードするか、②アップロードした画像とサムネイル画像を削除してからアップロードし直します。

①の方法だと同じ名前の画像が既にあるので、後ろに枝番(「_1」のような形式)が自動的につくようです。しかし、無駄な画像がシステムに残ることになるので、②の方法をお薦めします。

この作業方法は次項で解説します。

      

画像の削除方法(記事の作業エリアに貼り付けた画像とオリジナル画像)

まず、編集画面で記事中の画像を削除します。(但し、サムネイル画像の場所を知らない方は、予め、次項の方法で場所を確認しておいて下さい。)

次に、[画像の挿入]ボタンを押して、「画像を削除したい方はこちら」をクリックすると「ブログにアップロードした画像」一覧の画面が表示されるので、そこで該当の画像を削除します。

サムネイル画像は「ファイルマネージャー」で削除します。(次項参照)

   

サムネイル画像の削除方法

サムネイル画像の場所はユーザーによって異なる可能性があるので、まず、それを確認する方法ですが、それには画像のHTMLタグを確認します。

下は画像部分のHTMLタグの例で、「<>」ボタンでソースコードを見ると、このようなHTMLタグを見たり、編集したりできます。

   

<div style="text-align: center;"><a href="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test07.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/blog/images/image_test07.jpg" alt="Image_test07" width="300" height="220" border="0" /></a></div>

   

サムネイル画像のある場所は、「img src="~"」の「~」に書かれたURLです。

当ブログの場合は、「blog」フォルダ→「image」フォルダの直下に「image_test07.jpg」があります。(URLの区切りのような「/」はフォルダの階層を表す。)

コントロールパネルの「ファイルマネージャー」を開き、「blog」(表示は「/blog」) →「images」(/blog/images)という順番で開くと、その中に「image_test07.jpg」というファイルがあるので、それを削除します。

ただ、この記事を書いている間にもシステムの修正が行われているようなので、あくまでも、現時点での対処方法と考えて下さい。

ブログ主から、「サムネイルサイズの幅を都度変更できるよう」、依頼は出しています。

  

  


  

2019/03/22

【ココログ新システム】画像挿入に関する不具合テスト

公開: 2019-03-22 20:53   最終更新: 2019/03/23 10:48  

※環境: Windows8.1、Firefox

   

現在までに判明した不具合(2019/03/23 9:26頃報告済み)

   

1. サムネイルサイズが都度変更できない

同一記事の同一編集作業中に複数の画像を異なったサイズで挿入する場合、以前のように、挿入の都度サムネイルサイズを指定できない。一見、都度変更できるように見えるが、同一編集作業中だと、前回の設定が生きているようである。

例えば、通常のサイズ(幅)を500に設定していた場合で、今回は150で挿入したい場合、①一旦、記事の編集を終了(下書き保存)して、②サムネイルサイズを150に変更し、③再び記事を開いて画像を挿入なくてはならない。

  

2. 過去にアップロードした画像を、今回は異なったサムネイルサイズで記事に掲載しようとしても、前回アップロードしたサムネイルサイズが適用されてしまうようである。

従って、うっかり、意図しないサイズでアップロード or 記事に挿入してしまった場合(サムネイルが作成されるのは後者のタイミングか?)、ファイルマネージャーでサムネイルを消さないと、いつまでも同じサイズのサムネイルが使われてしまう。

   

下は幅300で挿入。

   

Image_test05

   

画像のHTMLタグ

   

<div style="text-align: center;"><a href="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test05.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/blog/images/image_test05.jpg" alt="Image_test05" width="300" height="222" border="0" /></a></div>

   

画像のHTMLタグを以下のように修正して貼り付けてみるテスト。(サムネイルを使わない、サムネイルサイズの幅を500とし、高さは削除)

      

<div style="text-align: center;"><a href="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test05.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test05.jpg" alt="Image_test05" width="500" border="0" /></a></div>

   

   

Image_test05

   

幅500の画像が挿入されたが、これをHTMLタグに不慣れなユーザにやらせるのは酷である。

いっそ、サムネイル画像を別に作成する仕様をやめた方がいいのではないか? オリジナルサイズの画像URLを<img src="~" />にも使い、幅も画像を挿入する都度変更できる以前の仕様に戻すべき。

   

3つの画像を連続して記事に掲載するテスト

   

1. まずは、150×150pxの画像を原寸大のままup。

   

Image_test01Image_test02Image_test03

   

タンポポは「配置:左回り込み」、スミレは「指定無し」、チューリップも「指定無し」。

特に問題ないようである。

   

2. 次に、200×200pxの画像を幅150に縮小(サムネイルのサイズ)してupするテスト。

(これを行う前に、予め、サムネイルサイズを150に設定した。)

   

Image_test04Image_test04Image_test04

   

3つとも同じ画像だが、1と同様、配置は「左回り込み」、「指定無し」、「指定無し」で記事に掲載。


とくに問題ないようである。

   

なお、画像を挿入するときは、画面上部の「画像の挿入」ボタンから作業した。設定画面は以下の通り。

   

Cocolog_new07

   

3. 画像の文字回り込みテスト(回り込み解除、マージン)

   

Image_test03ああああ
 

上のように回り込み解除をして画像の右にマージンを空けるには、下記のように行う。

   

Cocolog_new08

   

   

画像の周囲にマージンを入れるテスト

   

1の3枚の画像を例にすると、下のようなHTMLタグである。分かりやすいように色わけ(左:水色、中:ピンク、右:黄色)

   

<p><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test01.jpg" alt="Image_test01" width="150" height="150" align="left" border="0" /><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test02.jpg" alt="Image_test02" width="150" height="150" border="0" /><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test03.jpg" alt="Image_test03" width="150" height="150" border="0" /></p>

   

ここに、「style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;"」、「style="margin: 0px 5px 5px 0px;"」を挿入する。

   

Image_test01Image_test02Image_test03

   

HTMLタグは以下の通り。左端の画像のみ「style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;"」、中と右は「style="margin: 0px 5px 5px 0px;"」を挿入する。

   

<p><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test01.jpg" alt="Image_test01" width="150" height="150" align="left" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" /><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test02.jpg" alt="Image_test02" width="150" height="150" border="0" style="margin: 0px 5px 5px 0px;" /><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/image_test03.jpg" alt="Image_test03" width="150" height="150" border="0" style="margin: 0px 5px 5px 0px;" /></p>

   

マージンの意味。

   

Cocolog_my_photo_05

   

💕

  






  




【ココログ新システム】背景透過画像のテスト

公開: 2019-03-22 17:18:14  最終更新: 2019/03/25 12:13  

助け合い掲示板の『ココログに画像がアップロド出来ない』にて、「新規作成画面からのアップでは、透過GIFがムチャクチャなことにされてしまいます。どうすれば解決できるでしょうか。」という相談があったのでテスト。(環境:Win8.1、Firefox)

   

透過gif

   

Touka_gif

   

透過png

   

Touka_png

   

Win8.1/Firefoxでは問題ないようであるが、他の環境は不明。

   

ただ、確かに「ファイルマネージャー」を使った画像upはできないようである。これって、アナウンスされていたかな?

  






  





【歴史戦】読売新聞「ドイツ製の古地図に『日本海』」、ドイツでの報道は?

今朝(2019/03/22)の読売朝刊に掲題(ドイツ製の古地図に『日本海』)の記事がありました。

近々ドイツに複製を返還するという古地図ですが、1856年にドイツで作られ、ドイツ語で「日本海」と表記された地図なので、「日本海」という呼称が世界で認められていた、という有力な証拠だというものです。

ちなみに、ドイツ語で「Japanisches M」のように表記されているとのことで、「Japanisches」は「日本の」、「M」は「Meer」(海)の略語ですが、この単語は大陸などに囲まれた「海」を意味します。従って、「地中海」もドイツ語では「Mittelmeer」です。

要するに世界は、日本海を「大陸と日本に挟まれた『海』」と見なしていたわけで、「朝鮮半島に東にある海」などとは思ってもいなかったということでしょう。(あったりめえだ!w)

 

 

 

 

おそらく、現在、日本が韓国との間で「日本海/東海」の呼称を巡っての議論 -本来、議論にもならないはずなのですが、- になっているので、読売もこのような伝え方をしたのでしょうが、ふと、ドイツではどのように報道されているのだろうか、と思って調べてみたら、案の定、「日本海」表記云々ではなく、歴史的な示唆に富む地図だという関心を持っているようです。(後述)

ただ、何故今の時期にドイツに地図を返すのだろうと考えると、日本側としては、「日本海表記」をアピールする目的なのかも?とも思います。

なお、寄贈式は25日にハンブルクで行われる予定とのことです。

 

以下、覚え書きとして、各種記事を引用しておきます。

   

https://www.yomiuri.co.jp/national/20190322-OYT1T50109/
ドイツ製の古地図「日本海」 1856年作 母国に複製寄贈へ…政府主張の「証左」

 日本政府が、1856年にドイツで作られ、海上保安庁が保管していた世界地図の複製をドイツ政府に寄贈することになった。世界地図にはドイツ語で「日本海」と表記され、古くから世界的に日本海の呼称が使われていたとする日本の主張を裏付けている。

   

20190322_yomiuri_karte01

   

 日本海の呼称をめぐっては、韓国政府が近年、韓国で使われている「東海」の使用について、国際機関などへの働きかけを続けている。これに対し、日本政府は、日本海の呼称は19世紀に広く使われ始め、韓国の主張は根拠がないとの立場だ。

 地図には銅版印刷の技術が使われ、1938年にドイツ政府から日本の海軍水路部(現在の海上保安庁海洋情報部)に贈られた記録がある。入手の経緯は不明で、海上保安庁が現物を保管していた。ドイツ側が「貴重な歴史資料」として複製の提供を求め、日本側が応じることにした。(以下略)

   

この記事には地図の画像もありますが、拡大してみると航路らしき線も見え、ブログ主としては尖閣諸島などがどのように表記されているのかも気になります。

既にあるかどうかは分かりませんが、こうした史料はデジタル化してネットで細部が見られるとより良いと思います。

   

この地図の返還のことをドイツではどのように報道されているのだろうかと思って見つけたのが下の記事です。記事は有料で全文は読めないので、見出し部分をキャプチャしました。

   

20190322_yomiuri_karte02

   

日本人は、このような太平洋が真ん中にある地図を見慣れているので気付かないと思うのですが、ヨーロッパで作成された地図としては、日本(東アジア)が中心となっているものは希です。

1856年と言えば、例えば、ペリーが浦賀に来航したのは1853年で、列強が東アジアを狙い始めた頃です。(ブログ主はいまだに「いやあ、御座んなれ、ペリー殿」とかなんとかの語呂合わせを覚えていますw) 

つまり、東アジアが関心の的だったのです。

   

少し脱線すると、我々はペリーについて、下の広辞苑の説明のように習います。しかし、実はこれは厳密には間違いで、ある意図を感じます。

   

ペリー【Matthew Calbraith Perry】
アメリカの海軍軍人。1853年7月(嘉永6年6月)日本を開港させるため東インド艦隊を率いて浦賀に来航、大統領の親書を幕府に提出。翌年江戸湾に再航、横浜で日米和親条約を結ぶ。後に下田・箱館に回航。帰国後「日本遠征記」3巻を刊行。ペルリ。漢字名、彼理。(1794~1858)

広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店

   

下は、那覇港湾 空港整備事務所の「港の歴史 那覇港の歴史」のサイトにある図ですが、1853年7月8日(嘉永6年6月3日)に浦賀に入港する前、ペリーは沖縄(琉球)に来ているのです。そして、那覇を拠点に江戸にやってきました。

   

20190322_yomiuri_karte03_perry

   

そして、それよりも前の1844年にフランス軍艦「アルクメーヌ号」が琉球に来港しています。

こういったことを日本史から省くのはなぜでしょうか?

琉球は日本ではないと言うかの如くですが、実は、このフランス軍艦の来港は琉球を実質支配していた薩摩藩から江戸に伝えられ、江戸からも対処についての指示が届けられています。

ペリーが浦賀に来る前に、実は列強の脅威にさらされていたのは琉球でした。そして、琉球は既に日本だったのです。

   

この辺りの話は、『沖縄はいつから日本なのか』(仲村 覚著/ハート出版)や、『そうだったのか 沖縄!』(仲村 覚著/仲村俊子、石井望、江崎孝 共著/示現舎)に詳しく書かれています。

   

閑話休題。

   

下はドイツ語の別の記事ですが、見出しと冒頭部分だけ簡単に訳しました。

   

歴史的な世界地図 なぜヒトラーの贈り物が今ハンブルグに戻るのか

紙は黄ばみ、しわくちゃ。何カ所かは色も落ちている。それでも、この古い布は信じられないほど価値がある。それは1856年まで遡る世界地図だ。ヒトラーはそれをかつてナチス・ドイツと同盟していた日本人に贈った。 今、贈り物は戻って来る - 複製として。

月曜日、加藤喜久子ハンブルク総領事は貴重な文書の忠実な写しを連邦海上水路庁(BSH)に引き渡す。 当局がそれを所望していが、この地図は様々な観点から非常に興味を喚起するからだ。 これは19世紀の歴史的観点に洞察を与える。

   

下は元記事。

   

https://www.mopo.de/hamburg/historische-weltkarte-warum-das-hitler-geschenk-jetzt-nach-hamburg-zurueckkehrt-32247858
Historische Weltkarte Warum das Hitler-Geschenk jetzt nach Hamburg zurückkehrt
Nina Gessner 20.03.19, 12:05 Uhr

Das Papier ist vergilbt und zerknittert, an einigen Stellen blättert die Farbe ab. Und doch ist dieser olle Lappen unglaublich wertvoll: Es ist eine Weltkarte aus dem Jahr 1856. Hitler schenkte sie einst den mit Nazi-Deutschland verbündeten Japanern. Jetzt kehrt das Geschenk zurück – als Reproduktion.

Am Montag übergibt Japans Generalkonsulin in Hamburg Kikuko Kato eine originalgetreue Kopie des wertvollen Dokuments an das Bundesamt für Seeschifffahrt und Hydrographie (BSH). Die Behörde hatte darum gebeten. Denn die Karte ist in mehrfacher Hinsicht höchst interessant. Sie gibt Einblicke in historische Sichtweisen des 19. Jahrhunderts.

So befindet sich zum Beispiel Japan im Mittelpunkt der Karte, obwohl es sich um eine europäische Anfertigung handelt. Durch die Verwendung von Kupferstichdruck war laut BSH eine sehr präzise Darstellung möglich. Meeresströmungen wurden mit blauer Farbe veranschaulicht. Grundlage für die Längengrade bildeten Paris und die Färöer Inseln sowie Greenwich, das offiziell erst 1884 als Meridian festgelegt wurde.

Was Hitler dazu bewegte, die Karte 1938 an Japan zu verschenken, ist nicht überliefert. Dass es die Japan-zentrierte Darstellungsweise war, ist naheliegend.

 

 

 

 


 

 

【ココログ新システム】改行しても行間が空かない!-改行タグをを<div>から<p>に変更する方法-(3月19日以降)

公開: 2019-03-22 13:01:12  最終更新: 2019/03/22 18:06  

   

※環境: Winidows8.1/Firefox

2019/03/25 17:29 ・・・ 改行するとデフォルトで<p>タグが入るよう修正されたが、なぜか、「<p>~</p><br />」のように、後ろに勝手に改行タグ(<br />)が付いてる...orz

2019/03/28 午前 ・・・ 上記トラブル解消。

   

以下、オリジナル記事。

 

19日にココログの大規模改修があり、色々と不具合があるようです。

その中でも一番困っているのは「改行」の不具合かと思います。

分かりやすく「改行」と書きましたが、本来は「改段落」と呼ぶべきで、「<p>~</p>」(~の部分は文字列)で囲まれた部分を「段落と言います。そして、以前は「改段落」をすると、0.5行分くらいの行間が空いた(※)のですが、現在はEnterキー(Returnキー)などで改行すると、「<p>~</p>」タグではなく、「<div>~</div>」で囲まれてしまうのが原因で行間が空かなくなってしまいます。

ちなみに、お使いのブラウザによってキーは異なるのですが、Firefoxだと、Shiftキーを押しながらEnterキーを押すと行間が空かずに改行できます。この時に挿入されるタグは「<br />」というタグで、HTMLタグを見ると、「<p>ああああ<br />いいいい</p>」のように表示されます。これが本来の「改行」タグです。

では、「<div>~</div>」はというと、複数の要素、例えば複数の「段落」などをひとまとめにするためのタグで、「~」の部分に複数の「<p>~</p>」タグ(だけではありませんが)が含まれるというのが通常で、<div>単位にスタイルなどをまとめて指定するためのものです。

divとは恐らく「division」、即ち、「部分, 区分」ということでしょう。

   

 

※もう少し厳密に書くと、<p>~</p>タグはあくまでも「段落」を定義するものでしかありません。

<p>~</p>タグの上下に0.5行くらいの余白ができるのは、ブラウザがそのように表示するというルールになっているからです。

余白の大きさは「スタイルシート」(ココログで言うと各ブログの「デザイン」)によって設定でき、スタイルシートで変更することも可能です。

 

 

 

 

  

改段落(改行)方法:当面は手打ちでdiv→pに打ち替える

前置きが長くなりましたが、今後、何らかの対応がなされる前に、取り敢えずの対処法を書いておきます。

1. まず、適当な文字、ここでは「ああああ」と入力して、「ソースコード」ボタンを押します(①)。すると、「<div>ああああ</div>」となっているので、「div」を「p」に打ち替えます(②)。

   

Cocolog_new06

   

2. 「ソースコード」ウィンドウの右下にある「OK」ボタンを押して保存(③)します。

この時、多少楽をするなら、先頭の「<div>」だけ「<p>」に変え、後ろの「</div>」は削除して、「<p>ああああ」の形で保存しても、システムが自動的に「</p>」を補ってくれます。

   

これで、これ以降は「<p>~</p>」が維持されます。

なお、これは以前からもあったのですが、時々何かの拍子に、「<div>~</div>」が挿入されてしまうことがあります。

改行してみて変だな?と思ったら、上の要領で「ソースコード」を確認してみて下さい。

また、記事編集画面の下部(Powered by tinymceと表示されている行)に現在適用されているタグが表示されているので、これも目安になります。下の例では「div」と表示されていますが、<p>タグが維持されている場合は、ここに「P」と表示されます。

   

Cocolog_new03

  

   

スペース行を何行か入れる方法

以前は、行間を何行分か空けたいときに、「Enterキーで改行して→スペースを一つ入れ、再びEnterキーを押す」でスペース行が維持されたのですが、新システムではこれだとこのタグ(「<p>全角1つ分のスペース</p>」)が消えてしまいます。

しかし、スペースを3つくらい入力すると消えないようです。つまり、「<p>全角3つ分のスペース</p>」です。見た目は、「<p>   </p>」のような感じです。

   

「ソースコード」ウィンドウは意外に便利で、時々これを見て、行間を増やしたいときに「<p>   </p>」をコピペしてもいいので、ブログ主のように、以前から頻繁にHTMLタグをいじってたユーザには便利な機能です。

もちろん、「ソースコード」ウィンドウの代わりに「通常エディタ」(以前のココログなら「HTMLタグの編集」タブ)に切り替えてもいいのですが、「ソースコード」ウィンドウの方がソース、即ち、HTMLタグがきれいに表示されるのでお薦めです。

  

 

 

 

 


 

 

2019/03/21

【歴史戦】韓国が主張する「東海」表記だが、韓国の海図に「日本海」と表記されていたことが判明

先日の読売新聞に、韓国が国連で「『東海』は2000年前から使われていた」などと主張し始めた1992年の翌年(1993年)に「日本海」と記載した海図を作っていたことが判明したいう記事がありました。

これに先立つ2月に、韓国が国際水路機関(IHO)に日本との非公式協議を求め、日本が一部の韓国の主張を除き協議受諾という記事(後述)があり、それによると、今春にも協議が行われることになっているので、韓国は墓穴を掘っていたということになります。

   

 

 

 

   

問題の海図。

   

20190319_yomiuri_osaka_metro

   

これを報じる読売の記事。

   

https://www.yomiuri.co.jp/national/20190318-OYT1T50045/
一貫性ない韓国、海図に「日本海」矛盾示す証拠
2019/03/18 08:31

 韓国が日本海の呼称に「東海」の併記を求めている問題で、韓国政府が国際社会で東海を主張し始めた翌年に刊行した海図に日本海の呼称を使っていたことが専門家の調査でわかった。韓国の主張の矛盾を示す証拠となりそうだ。

 海上保安庁は情報交換のため各国と相互に海図を提供し合っている。韓国政府の国立海洋調査院とも行っており、韓国製の海図など約200点を保管。それらを調査している島根大の舩杉力修准教授(歴史地理学)が今回の記載を発見した。

 韓国は1992年に国連の会議で日本海呼称の批判を始め、「『東海』は2000年前から使われていた」などと訴えている。ところが、93年に韓国政府が刊行した海図「韓国東岸南部」では、韓国領の鬱陵島周辺の海域に「東海」と表記する一方、隠岐諸島(島根県)の東側は日本海の韓国語訳に加え、英訳の「JAPAN SEA」と記していた。

 また、77年刊行の海図「東海及黄海」第4版では、日本海の海域に「東海」と記しているが、括弧書きで「SEA OF JAPAN」と書かれていた。舩杉准教授は「これらの海図は韓国の主張に正当性がなく、矛盾していることを裏付けている」と指摘。ある政府関係者も「韓国の立場に一貫性がないことを示す証拠といえる」と話す。

 呼称問題では、日本海を単独表記している国際水路機関(IHO)の指針改訂を韓国が求め、その是非を議論するため、IHOが日本や韓国などに非公式協議の開催を要求。関係国で調整が続いている。

   

   

今年2月6日の読売の記事

   

20190206_toukai

 

  

  

 

 

 


 

 

 

 

 

 

2019/03/20

【ココログ新システム】システム改修に伴う不具合報告/FAQの覚え書き

公開: 2019-03-20 15:31:04  最終更新: 2019/03/25 17:06  

   

3月19日システム改修内容(仕様変更点)

「ココログ」全面リニューアルのお知らせ(2019/3/19)

◆主な新機能
4月提供予定
 ・スマートフォン版管理画面
  ※スマートフォン画面に最適化した管理画面を提供します。
 ・記事への写真以外のファイルのアップロード
5月以降の提供
 ・https対応(選択式) ・記事作成画面を定期的に自動バックアップ
 ・画像以外のファイルアップロード
 ・画像の回転、Exif情報削除
 ・Instagram連携
 ・記事作成画面でよく使うタグ(定型文)登録
 ・AMP対応(有償プランのみ)
 ・ファビコンの設定可能に

  

トラブル報告窓口

運営さんへの不具合報告はこちらから: 既知の不具合とはなんですか?

 

 

 

 

FAQメモ

【画像投稿】記事投稿で画像を追加するやり方を教えてください(2019/3/19以降)

【画像投稿】記事投稿で追加する画像(サムネイル画像)のサイズ変更の方法を教えてください(2019/3/19以降)

【改行】http://cocolog.kaiketsu.nifty.com/questions/96408 →別のエントリー『【ココログ新システム】改行しても行間が空かない!-改行タグをを<div>から<p>に変更する方法-(3月19日以降)』にて説明

  

不具合せメモ

ブログ主が運営に報告した内容と不具合解消の覚え書き。

※環境: Win8.1/Firefox

   

2019/03/20 15:24頃

①記事一覧または記事編集画面で記事を削除しようとするとInternal Server Errorが発生。(真っ白い画面で左上に左記メッセージが表示される。)→2019/03/20 15:58 解消確認

②記事編集中に「PCプレビュー」ボタンを押しても何も変化がない。但し、これは下書きの記事を開いて再編集の時で、新規記事を編集中(保存はしていない)時は別タグが開いて、プレビューができる。→2019/03/29 12:47 再編集時でもプレビュー可能なことを確認

③改行すると<p>タグではなく<div>タグが挿入される。現状はタグを打ち替えて対応しているが、デフォルトで<p>タグが挿入されるようにならないか?→とりあえずは、「通常エディタ」に切り替えて「<div>~</div>」を「<p>~</p>」に打ち替えるか、「ソースコード」ボタン(下図参照)から左記のように修正するかで対処できる。一度変更した後は改行キーで改行しても「<p>~</p>」は維持される。→2019/03/29 解消済み

   

2019/03/20 15:42頃

記事内に適当なスペース行を入れたく、改行して全角スペースを1つ入れて更に改行すると、以前は、「<p> </p>」または「<p>(&で始まる半角スペースのコード)</p>」タグが自動生成されていたが、改修後は、一度「リッチテキスト」にして再び「通常エディタ」に戻るとそれが生成されていない。→改行した後に3つくらい全角スペースを入力ると消えないようである。→2019/03/29 スペース1つだけでもOK

   

2019/03/21 7:09頃

①記事を保存(公開)したあと、画面に「閉じる」ボタン(「Twitterで共有する」ボタンの下)が表示されているが、クリックしても反応しない。→2019/03/29 解消。どうやら、「Twitterで共有する」ボタンを閉じるという意味らしい。編集画面はそのまま表示されているので、続けて編集が可能。これは以前の形式に戻った

②記事の閲覧時に not found になるときがある。リロードすると表示されるが、これは早急に解消すべき。→2019/03/29 解消済み。但し、記事を保存して、間髪を空けずに記事を閲覧しようとすると「見つかりません」エラーになる。タイムラグがあるらしい

③【要望】記事を公開保存した時に「再編集」ボタンが欲しい。現在は一度「記事一覧」に戻り、再びその記事を開かなくてはならないので不便。特に古い記事を修正した場合、記事一覧からまた探さなくてはならない。→2019/03/29 解消済み。

④【要望】「通常エディタ」での改行を維持して欲しい。現在は全く改行されていないので、HTMLタグが大変見にくい。→2019/03/29 解消済み

⑤【要望】変種画面下方に「改行HTMLタグ変換」とあり、変換する、変換しない、Markdownが選択できるが、これは何? FAQを作成して欲しい。

⑥【疑問】記事を保存(公開)したあと、上記①の状態で、画面の下に記事内容がHTMLタグの形式で表示されているが、そこで編集できるわけでは無い。これは無意味では?本来はここで再編集できる仕様なのか? →この状態で修正できるようである。但し、「リッチテキスト」モードで編集はできない。→2019/03/29 解消済み

   

2019/03/21 7:22(未報告)→13:14頃報告済み

①記事を保存(公開済みの記事を編集後保存)しようと「保存する」ボタンを押したところ、Internal Server Error。(但し、戻るボタンで戻って再度「保存する」ボタンを押したところ保存できたので、busy状態だったか?→2019/03/29 13:05 頻度は減ったが時々起こる。ファイルマネージャーでサムネイル画像を削除しようとしたときに発生した。

②「再構築」ができない。 以前は、マイリスト、デザイン、カテゴリの各ページにあった「再構築」を行うボタンが新システムではない。

③新規作成したリストをサイドバーに設定し、保存したがブログに反映しなかった。→数秒後にリロードしたら表示された。(タイムラグ?)

④カテゴリの並び順が昇順でない。カテゴリ作成画面やブログ記事編集画面でカテゴリ設定の際に表示されるリストが意味不明の順番で並んでいる?。→新たにカテゴリを追加してみたところ、一番下に追加された。登録順か?なお、ブログ上に表示されるカテゴリは昇順である。→2019/03/29 解消済み公式FAQ

⑤ココログSNSのマイページに最新の記事が表示されない。

   

2019/03/21 13:59(未報告)

①記事を閲覧したときに、ココログのいいねボタンとツイッターアイコンが無くなっている。いいねボタンはココログユーザしか使えないのでどうでもいいが、ツイッターアイコンはあった方がいい。(尤も、ツイートしたければURLを貼り付けたらいい話ではあるが。)→と、思ったら、他のココログブログのいいねボタンがあるのに気付いた。設定を要チェック。→2019/03/29 サイドバーからアバターが消えていた。デザイン→表示項目を選択の「写真/アバター」の欄で「プロフィールで登録した写真やアバターを表示します。」にチェックを入れて保存したが、サイドバーにアバターが表示されない。→引き続き調査。

②メモ帳からコピペすると、改行が<div>になる。→2019/03/22 9:50確認。一部<div>タグが残るが、<br/>タグで改行されるようになっている。→新たな問題として報告の必要あり。→2019/03/29 解消済み

【要望】画像挿入のオプション、例えば「配置」を「中央揃え」などに設定したら、それを保存できるようにしたい。

   

2019/03/22 11:47(未報告)→13:27報告済み

①画像を挿入するときに、サムネイルのサイズを自由に変更できない。一度、例えば「500px」に設定すると、「サムネイルサイズの設定はこちら」で「450」などと変更しても、常に「500」となる。画像をアップロードしたあとではダメなのかと、「450」で保存した後で「画像の挿入」を行おうとしても「500」のままである。→その記事を一旦保存して終わらせ、次に記事を編集するときには「450」になっているようである。

②記事タイトルに半角記号を使うと文字化けする。文字化けというかコードに変換されてしまう。ex. 「<」→「&lt;」。これはHTMLタグに不慣れなユーザには不親切。→2019/03/29 解消済み

   

2019/03/22(未報告)

①ファイルマネージャーを使った画像のアップロードができない。(アップロードを指定する欄がない。)

②今すぐ公開で保存したのにトップに表示されない。但し、記事編集画面を開き、右上の「記事を見る」をクリックするとこの記事が別タブで表示される。しかし、トップに戻ると一つ前の記事までしかない。 20:56頃発生 →3分~10分後くらいにリロードしたらようやくトップに表示された。タイムラグがあるらしい。→2019/03/29 解消済み

③予めサムネイルサイズを500と指定したが、画像を挿入すると、一つ前に設定した150が適用された。同記事には150の幅で画像を掲載している。もしかしたら、同一記事には同じサムネイルサイズしか使えない?

   

2019/03/23 9:26頃(報告済み)

①右記ブログエントリーの内容→【ココログ新システム】画像挿入に関する不具合テスト

   

2019/03/23 19:03(報告済み)

①記事やサムネイル、クリックして表示される画像の「ページが見つかりません。」エラーが頻発。→10分後位にリロードすると表示されたが。→公式FAQ:最近公開した記事の画像が表示されない(対応完了) だそうです。

   

2019/03/24 10:46(未報告)

①pingの送信が行われていないようである。ココログのSNS(ブログ広場)や「マイページ」に新着ブログ記事が表示されないのもそのせいかもしれない。ブログ村に掲載されないといった報告が「助け合い掲示板」にあった。pingの送信とは、新規ブログ記事の公開をサーバーに通知するといった仕組みなので、Googleなどのサーチエンジンでの検索結果に影響あると思われる。

②背景透過画像の背景が黒くなる現象があるらしい。→公式FAQ: 透過PNG、透過GIFをアップロードすると黒くなる(一部復旧) だそうです

④http://daishi100.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-5290.html
上記記事内に挿入した Image_test07 というサムネイル画像が消えている。ファイルマネージャーで確認したところ、リストにはあるが、クリックすると「ファイルが見つかりません。」エラーとなる。(2019/03/24 14:39頃 報告済み) →2019/03/29 画像が消える現象は解決しているらしいので、解消済みということにする

   

2019/03/25 11:19 (報告済み)

①サムネイルサイズは同一編集作業中でも画像を挿入する都度変えられるようにして欲しい。現在は一旦編集を保存して終了させ、サイズを「設定」で変えてからもう一度編集しないとならないので大変不便。

②不具合と言うわけではないが、画像の周囲に従来通りの余白「style="margin: 0px 5px 5px 0px;" 」をつけて欲しい。テキストの回り込みの際、画像とテキストがくっついてしまい、見苦しい。

   

2019/03/25 17:04

①アクセス解析の推移グラフが表示されない。但し、リアルタイム足跡は更新されるので、グラフの表示だけの問題かと思われる。2019/03/25 16:35報告済み→2019/03/29 解消済み

カテゴリーのタイトル表示が100上限にになった?(助け合い掲示板より)

 

2019/03/29 13:43(報告済み)

①AdSenseが一つしか表示されない。

   

その他、気付いた点

   

1. 画像のHTMLタグが変わった。

  • divタグで囲まれる。
  • 拡大画像のURL形式が変わった。
  • サムネイル画像(水色)のURLを見ると、「image」ディレクトリ(フォルダ)の直下に入る。以前は、「image」ディレクトリの下に「yyyy/mm/dd」というディレクトリ構造になっていた。
    ここで気になるのは過去にアップロードした画像と同じファイル名の画像をupした場合だが、試してみたところ、でサムネイル画像の方はファイル名の末尾に「_1」のように枝番が付くので上書きはされない。ファイルを削除するとき、「マイフォト」の原寸大画像と「ファイルマネージャー」のサムネイル画像はそれぞれ削除しなくてはならないのは従来通り。

   

<div style="text-align: center;"><a href="http://daishi100.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/20190319_yomiuri_osaka_metro.jpg" target="_blank" rel="noopener"><img src="http://daishi100.cocolog-nifty.com/blog/images/20190319_yomiuri_osaka_metro.jpg" alt="20190319_yomiuri_osaka_metro" width="500" height="238" border="0" /></a></div>

   

従って、黄色のURLを水色の部分にコピペして記事を保存した後なら、サムネイル画像を削除してもOK。

   

サムネイル画像の保存場所: コントロールパネル

   

Cocolog_new01

  

2. 記事編集画面の下部(Powered by tinymceと表示されている行)に現在適用されているタグが表示されている。

   

Cocolog_new03

  

3. 文字色のパレットの色数が少なくなった。ただし、HTMLタグで「<span style="color: #808000;">」の色コード(水色背景部分)を変更すれば良いので、まあ問題なし。)

4. 自動バックアップ機能はOK。記事作成中にブラウザがクラッシュしたが、記事一覧に下書き状態で完全な状態で残っていた。(どの時点で自動バックアップを取っているのか不明なので、場合によっては途中までしか復活しないかもしれない。)

 

 

 

 


 

 

面白ニュースと思いきや...大阪メトロのサイト誤訳「堺筋→Sakai muscle」

昨日(2019/03/19)、大阪メトロのサイトで「堺筋→Sakai muscle」等の誤訳が面白ニュース的に報道されていました。

既に日中、SNSなどでも話題になったので真剣にはニュースを見ていなかったのですが、昨日の読売夕刊でこのニュースを見たら、別の部分に興味を持ちました。(画像赤枠部分)

   

 

20190319_yomiuri_osaka_metro

 

   

「利用者がページにアクセスする度に自動翻訳される」とあります。

ブログ主はてっきり、マイクロソフトの自動翻訳を使って翻訳した結果をコピペしていたのかと思っていたのですが、ダイナミック(動的)に翻訳しているのですね。

そして、「訳語が毎回異なる可能性」とは、恐らく、AIで学習して(本来は、)より適切な訳に変わっていく(はず)なのでしょうが...さて。

 

現在は閲覧できないそうなので、「Microsoftによる自動翻訳」とかなんとか表示されていたのかどうか、確かめることができませんが、文責は大阪メトロにあるのですから、どのような誤訳が表示されるのか、アクセスするタイミングによって異なるのですから、お手軽ですが、チェックしきれないので危険ですね。

しかも、英語はともかく、タイ語とかチェックできる人いるの?って思います。

 

 

 

 


 

 

2019/03/15

【書籍】『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカイ・モーゼ著)

公開: 2019-03-15 22:24:56  最終更新: 2019/05/27 10:49  

掲題は最近入手した本のタイトルですが、ある意味衝撃を受けたので、ご紹介します。

まずはその中の一節を。

 

日本人の知らない「ロシア革命」の実像

日本ではほとんど知られていないが、当時欧米の新聞論調はロシア革命とはいわず、「ロシア・クーデター」と呼んでいるのである。つまり、クーデターは革命とちがって首がすげ替えられただけのものである。ユダヤ権力がツァー権力にとってかえられただけのものである。それはフランス革命に次ぐユダヤ人の反撃プログラムの第二弾だったのだ

 

 

 

 

もし、馬渕睦夫元駐ウクライナ大使の著書の読者だったり、ネット番組の視聴者だったりする方だったら、馬渕大使がよく仰っていることと同じだと気づかれたかと思います。

 

この本はあるユダヤ人(後述)が書いた本なのですが、前書きに書かれた日付を見て驚きました。

1979年11月3日なのです。

 

以下、目次の一部もご紹介します。

 

Jew01

 

Jew02

Jew03

 

5章の最初の方なんて、かなり興味を引かれませんか?

 

 

また、目次の「ユダヤ人」を「共産主義者」と置き換えたら、最近よく聞く話だというのが分かるかと思います。これを「ユダヤ人」(=ナショナリストではなくグローバリストのユダヤ人)とはっきり言っている方は少ないのですが。

「グローバリズム」や「ディープステート」という言葉は直接には出てきませんが、そういったことが書かれているのが分かるかと思います。

 

それが40年も前に、しかも、ユダヤ人自身の手によって書かれていたとは驚きです。

ブログ主など、前書きを読まずに目次だけ眺めたときに、最近のブームに乗って、山本七平(イザヤ・ベンダサン)のようにユダヤ人のフリをした日本人が書いたのかと思ったほどです。

 

ところで、このエントリーを書くために検索したところ、Amazonのマケプレで古書が売られていることを知りましたが、価格を見てビックリ。絶版で、元々それほど出回らなかったのかも知れませんが。

【2019/05/27追記】この本に付いての補足記事を書きました。→ブログエントリー:【書籍】『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカイ・モーゼ著)/ワイマール共和国に関する補足

 

 

 

【2019/05/26追記】林原チャンネルがAmazonを通じて販売することになったそうです。(右側の商品リンク/新書サイズ) 但し、最初の50冊は即完売とのことで、その後も、入荷しては瞬殺だそうですので、ツイッターをされている方は林原チャンネルのアカウントをフォローしてチェックして下さい。

 

著者はモルデカイ・モーゼというユダヤ人で、訳者は久保田政男、元々の出版元は日新報道というところですが、ブログ主が入手した本は沢口企画となっています。

聞き慣れない出版社と思われるかも知れませんが、自費出版なのだそうです。

これは本の袖に書いてあって知ったのですが、著者も翻訳者も既に鬼籍に入り、日新報道も2017年に倒産し絶版になったのを、このまま眠らせておくのはもったいないと思ったから、ということだそうです。(下の画像の下半分の黒い部分は帯です。)

 

Jew04_frontcover

 

2019/05/26追記:前述のように、今後はAmazonで入手でき、上にAmazonの商品リンクを貼りましたが、以下の文章も残しておきます。

この本を入手する方法は後でネットで調べれば分かるだろうと高をくくっていたので、購入したときに確認しなかったのですが、もう少し調べて、分かったら追記します。

【追記】復刻版はISBN番号をとっていないそうで、通常の販売ルートには載っていないようです。

 

Jew05_mail02

 

以下は本の裏表紙に書かれている説明文ですが、初版の帯に書かれていたものだそうです。

 

ユダヤの長老が明かす戦後病理の現像

「ユダヤ人は信じられないほど頭が悪かったのだ」とモーゼ翁は告白する。東京裁判、日本国憲法、その他戦後日本に持ち込んだ改革の全てはユダヤ的思考と民族的悲願の所産だった。マルクス主義もユダヤ民族解放事業のための虚構論理だったのだ....ユダヤ民族の真の理想は戦前の君民共治の中にこそ体現されていたという、日本人の蘇生を心から願うユダヤの一長老の懺悔を聞こう。

 

 

* * * *

 

最後に、ご参考までに林原チャンネルの馬渕睦夫大使の動画一覧(再生リスト)のURLを貼っておきます。田中秀道先生の再生リストも挙げたのは、この本の著者が書いたことと田中先生の仰ることとが相通じるところがあるからです。

 

 

 

 

 


 

2019/03/13

【アイヌ】関東のアイヌ語の地名!?のトンデモ説はどこからきたのか?

北海道から遠く離れた場所なのに、○○(地名)はアイヌ語由来とかアイヌの聖地とか、まことしやかに言われる場所があります。

アイヌが住んでいたわけでもないのに、そんなことあり得ない、と思って無視していましたが、そういう説をいまだに唱える人がいることのヒントになる文章が『金田一京助全集 第12巻』(三省堂)に収録されている『アイヌ文化と日本文化の交渉』(昭和33年2月発表)にあり、興味深いことが書いてあるのでご紹介します。

さすがに、昭和33年ともなると金田一博士も「アイヌ原住民説」は否定されていて、論文の冒頭に、本論に入る前の“前振り”のような形でそのことを書いてあるのですが、ご紹介するのは、その冒頭部分です。

 

 

 

 

Kindaich_ainu_s33

 

 

「灰色な模様付き土器」(おそらく縄文土器)を「アイヌ式土器」と呼ばれた時期があったというのは驚きです。

モースの名前を間違えているくらいなので、考古学の世界はそれほど詳しくなかったとは思われますが、それでも「アイヌ式土器」という言葉を耳にされたことがなければ、このように書くとは思えません。

そして、土器を根拠にアイヌが日本全土に住んでいたと考え始め、各地の地名をアイヌ語で解釈するということが流行ったようです。

特に、白野夏雲(しらの かうん)というアイヌ語研究者が明治16年に、、チェンバリン(現在はチェンバレンと表記が普通※)が明治20年に、アイヌ語で地名を解釈する本を出しました。その後、“アイヌ=日本の原住民説”が否定された今日(=明治33年当時)でも、時々、これを試みる郷土史家がいる、とのことです。

 

※チェンバレン【Basil Hall Chamberlain】
イギリスの言語学者。王堂と号す。1873年(明治6)来日、86~90年東大で講じ、近代国語学の樹立に貢献、また東洋比較言語学を開拓。著「アイノ研究より見たる日本の言語神話及地名」「日本国語提要」「琉球語文典及び字彙」など。(1850~1935)

 

* * * *

 

弥生土器が東京の本郷弥生町の貝塚で発見されたのは1884年(明治17)で、大森貝塚がE.S.モースによって発見されたのは1877年(明治10)なので、明治16年や20年では土器の時代区分はおろか、発掘物の研究はまだ進んでいなかったのでしょう。

 

なお、弥生土器は最初「弥生式土器」と出土場所にちなんで呼ばれましたが、その後、同形式の土器が日本各地で出土するに従い、縄文土器と同様に総括的に「弥生土器」と呼ぶようになったのだそうです。(ブリタニカ国際大百科事典)

 

Yayoidoki

 

また、大森貝塚から出土した土器(下図・上)は後期の縄文土器なので、縄文土器といって誰もが思い浮かべる火焔土器(下図・下)とは異なり、もう少しシンプルです。

 

Oomori_jyomondoki

 

Kaendoki

 

* * * *

 

ここで重要なのは、遅くとも昭和33年には、日本各地の地名=アイヌ語源説は否定されていた、ということです。

 

 

 

 

 


 

2019/03/12

【アイヌ新法】北海道庁でもアイヌは先住民でないと認めていた(平成26年決算特別委員会第での小野寺まさる氏の質疑動画)

ツイッターで教えて戴いたブログですが、そこに元北海道議の小野寺まさる氏の動画を含め、何本かの動画が掲載されているのでご紹介します。

このエントリーでは小野寺氏の動画だけ取り上げるので、リンクはそこだけ貼っていますが、たの動画はリンク先ブログ記事からご試聴下さい。

 

アイヌ民族は北海道先住民族ではない

【動画】(登壇者/敬称略)

  • 的場光昭 「アイヌ先住民族 その真実」著者
  • 川田ただひさ 札幌市議会議員
  • 小野寺まさる 北海道議会議員
  • 武谷洋三 日本会議北海道本部 専務理事

 

 

 

 

小野寺氏の動画は平成26年11月11日の決算特別委員会での氏の質疑の様子を撮影した動画が大部分を占め、この質疑により、「アイヌが北海道の先住民とは言い難いこと」やアイヌ協会により「北海道の歴史が、和人がアイヌを迫害した歴史に塗り替えられていること」を次々に追及し、役人も認めざるを得ない、というシーンが繰り広げられます。

全体では33分ほどの動画ですが、この時の道議会の議事録「平成26年決算特別委員会第1分科会-11月11日-04号」を見つけたので、時間が無い方はこれをお読み下さい。このエントリーにも小野寺氏の質疑部分を転載しておきます。

 

小野寺氏の質疑は、以下の項目からなります。

 

1 アイヌ政策について

  • アイヌ民族と縄文人等の関係及びアイヌ民族の先住性並びに北海道が日本の領土になった時期に係る認識
  • 明治初頭における北海道の人口構成
  • コシャマインの戦いに係る認識
  • アイヌ総合センターの運営主体
  • 啓発冊子の全面改訂に係る見解
  • シャクシャインの戦いに対する認識
  • 正しい歴史認識の確保に向けた取り組み
  • 共有財産の返還に係る裁判の概要(→詳細は『アイヌ民族共有財産裁判』Wikipedia)
  • アイヌ政策適正化に向けた今後の取り組み

等について

 

 

平成26年決算特別委員会第1分科会-11月11日-04号/小野寺氏の質疑のみ抜粋

◆(小野寺秀委員) それでは、通告に従いまして、順次、アイヌ政策について質問をしてまいります。
 私は、今まで、アイヌ政策について、いろいろ問題点を議会で指摘してきましたが、ここで一回リセットして、本当のアイヌの歴史はどうなのかということを若干質問したいと思っております。

 まず、アイヌ民族の先住性についてお伺いをしますが、アイヌ民族と縄文人、蝦夷(えみし)との関係について、道はどのように考えているのか、お教えください。

○(花崎勝委員長) アイヌ政策推進室参事井之口淳治君。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) アイヌの人たちと縄文人等との関係についてでありますが、国の有識者懇談会の報告書によりますと、北海道に人類が住み始めたのは、今から2万数千年前と言われておりますが、どのような特徴を持った人々が住んでいたのかは明らかになっていないところです。

 縄文文化は、一般的には、1万5000年前から3000年前に日本列島に展開したとされており、一方、アイヌ文化は、13世紀から14世紀ごろに、日本列島北部周辺、とりわけ北海道を中心に成立した文化と言われ、当時の人は、本州と北海道の間を交易のために盛んに往来していたと言われています。

 また、蝦夷(えみし)については、古くは、アイヌの人たちを指すと考えられていたこともありましたが、現代の歴史学では、特定の民族を指す言葉ではなく、中央政府に敵対、反抗する者の意味で用いられたとするのが一般的であり、この中にアイヌの人たちが含まれていたかどうかは議論のあるところです。

 なお、人類学的な研究によって、アイヌの持つ形質や遺伝的な特徴の中には、縄文時代までさかのぼるものがあることが明らかにされているところではありますが、最近の科学的知見によりますと、アイヌの人たちは、縄文の人たちの単純な子孫ではないとする学説が有力であり、大陸から北海道に移住してきた北方民族に特徴的な遺伝子なども多く受け継いでいることが判明しているところでございます。
 以上です。

◆(小野寺秀委員) まず、その答弁によると、アイヌの祖先は縄文人ではないというのが一般的な最近の学説だと押さえておきますし、蝦夷(えみし)についても、かなり漠然とした概念だというお答えをいただきましたが、その中で、アイヌ民族の先住性についてお答えがいただけなかったので、もう一度お伺いします。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) アイヌ民族の先住性についてでありますが、アイヌの人たちの祖先がいつごろから北海道に住むようになったかは、いまだ断定されていないと認識しておりますが、後のアイヌ文化の原型が形成されたのは、鎌倉・室町時代の13世紀から14世紀ころと考えられているところです。

 一方、この時期は、北海道の南部に本州から進出した、いわゆる和人の社会が形成された時期でもあったところです。

 しかしながら、和人側から見てみると、7世紀ごろから、北海道に居住する人たちとの間に接触、交流があったことがうかがわれるものの、文献資料が限られていることもありまして、アイヌ文化の形成期における人々の様子は明らかになっていないことが多いところでありますが、アイヌの人々は、当時の和人との関係において、日本列島北部周辺、とりわけ、我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できないとされているところです。

 なお、アイヌ民族の歴史については、いまだ不明な部分もあることから、道としては、来年の春、新たに開設する北海道博物館や他の研究機関との連携により、その解明に努めていく考えです。

◆(小野寺秀委員) その答弁では、14世紀ころにアイヌ文化が形成された、そのころに和人も北海道に進出をしたかのような答弁ですけれども、1万年以上前から、和人と言われる、アイヌじゃない方たちが北海道と本州を行き来していたというのは事実であると思いますが、なぜ、そのような答弁になったのか、私は理解をしかねております。

 それで、もう一度お伺いしますけれども、そもそも、北海道が日本の領土になったのはいつとお考えになっているのか、お聞かせください。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) 北海道の日本への帰属などについてでありますが、平成4年1月の参議院議員からの質問主意書に対する政府答弁書によりますと、「いわゆる北海道本島は、我が国の固有の領土であって、これが具体的にいつ我が国の領土となったかは明らかではないが、江戸時代末から明治時代初めにかけて、我が国とロシアとの間で国境の確定が行われた際、いわゆる北海道本島については全く問題とならず、これが我が国の領土であることは当然の前提であった。」「いわゆる北海道本島は我が国の固有の領土であり、アイヌの人々は本来日本国民である。」「いわゆる北海道本島において、アイヌの人々が古くから住んでいたということは、文献等からみて通説になっていると承知している。」と記されており、そうした歴史的経緯を踏まえ、今日に至っているものと理解をしております。
 以上です。

◆(小野寺秀委員) つまり、アイヌの先住民決議というものが国会でなされましたが、その雰囲気ですとか、多くの方々が思っているのは、明治になって、北海道――蝦夷という、アイヌが統治していた場所を和人が一方的に奪い取った、それで多くの権利をとったのだというような話になっているやに私は感じておりますが、実際には、北海道はもともと日本の固有の領土だった、そこに住んでいたアイヌの人たちはもともと日本人なのだというのが前提に、国の認識としてあるということをここで確認しました。

 そこで、もう一つお聞きをしたいのですけれども、アイヌの先住民決議の中では、日本が近代化をするに当たって、アイヌの方たちの権利が奪われたというような話になっておりますが、そもそも、明治の初頭の人口構成はどうなっていたのか、お聞かせください。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) アイヌの人数と北海道の人口についてでありますが、江戸時代以前のアイヌの人数と北海道の人口は定かではありませんが、明治5年当時のアイヌの人数につきましては、北海道が編さんした北海道旧土人保護沿革史によりますと、1万5000人強の人たちが北海道に住んでおり、一方、同時期の北海道全体の人口は、北海道統計書によりますと、11万1000人強の人が住んでいたところでございます。

◆(小野寺秀委員) 便宜上、和人というふうに言いますが、つまり、その時期で既に、アイヌの方たちよりも圧倒的に和人の人数が多かったというのはどういうことなのだろうかなと。多分、それ以前も多かったのだろうと私は推測するわけであります。

 それ以前の話についても、和人対アイヌみたいな話になっておりますが、そもそも、蝦夷(えみし)というものが漠然とした概念だとしたら、それ以前の話は漠然とした話ということで話をしなければならないのですが、コシャマインの戦いというものがあります。

 このコシャマインの戦いは、なぜか、アイヌの少年がだまされて、ばかにされて、親子ともども和人に殺されたような話になっておりますが、道立アイヌ総合センターでつくられている本にも同じような記述があります。
 ただ、私は、この記述には間違いがあると。本当に少年がこの問題の発端だったのかということで、いろいろ問題が起こっている記述もここに書かれておりますが、それについてはどうお考えか、お教えください。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) 道が作成している小冊子の記載方法についてでありますが、道では、アイヌの人たちの歴史や文化などの理解の促進を図るため、平成2年に、関係団体や有識者の意見も伺いながら、啓発冊子「アイヌ民族を理解するために」を作成し、広く普及啓発に活用してきたところです。

 アイヌの人たちの民族としての誇りが尊重される社会の実現を図るためには、多くの国民が、正しい知識のもとで、アイヌの人たちの歴史や文化への理解を深めていただくことが重要であると考えております。

 なお、この冊子のコシャマインの戦いの部分において、殺されたのは少年と記載しておりますが、御指摘のとおり、青年であるとの解釈もあるところであり、こうした歴史等については、さまざまな解釈もあり得ることから、道の啓発冊子の作成に当たりましては、公平中立な内容となるよう、適切に対応してまいります。

◆(小野寺秀委員) きょうのポイントの一つなのですけれども、この本を全面改訂するか、全面的に書きかえるかという話です。

 今の答弁では、コシャマインの戦いについては、少年と記載されているが、青年との解釈もあるというふうに答えられましたが、実際には、もともと青年だったのが、知らない間に少年という説が出てきて、結局は少年になったということでございます。

 なぜ、こんなことが起こったのかということで、ちょっと聞きたいのですけれども、アイヌ総合センターを委託で実際に運営しているところはどこなのか、お教えください。

○(花崎勝委員長) アイヌ政策推進室長大川徳幸君。

◎(大川アイヌ政策推進室長) お答えいたします。
 公益社団法人の北海道アイヌ協会でございます。

◆(小野寺秀委員) アイヌ協会が指定管理者として運営していると思うのですけれども、その再委託の要件の中に、正しい歴史認識を持った運営をしていくような採点基準がありますが、実際にはそれは間違えている。間違えているような本を出してしまう仕組みというのも非常に問題だと思いますし、今の答弁でも、間違えた答弁があるというのも私は大問題であると思いますので、これはしっかりと認識していただきたいということで、この本の全面改訂をしていただけるのかどうなのか、お教えください。

◎(大川アイヌ政策推進室長) 道が作成しております啓発冊子についてでございますが、啓発冊子「アイヌ民族を理解するために」は、今年度中に改訂を予定しているところでございます。

 歴史等につきましては、先ほどもお答えいたしましたとおり、さまざまな解釈もあり得ますことから、この改訂に当たりましては、公平中立な内容となりますよう、適切に対応してまいります。
 以上でございます。

◆(小野寺秀委員) ただ、公平中立というのは、二つの説があるから二つを書くことが公平中立ではなくて、片方のほうが論理的で整合性のある説だとしたら、そちらだけを書くのも公平中立だということを御理解いただきたいと思います。

 少年という、問題のある表記もあったということでございまして、そういう小冊子を北海道が税金を使って印刷をしていたというのは、間違えた知識を道民に植えつけたということですから、十分に反省をしていただきたいと思っております。

 もう一つですけれども、シャクシャインの戦いについて、ここではお伺いをしたいというふうに思います。

 シャクシャインの戦いについても、なぜか、非常に弾圧をされて、いじめられたシャクシャインとアイヌの人たちが一致団結して、和人と戦って、最終的には和睦の席で毒殺をされてしまったというような、さもシャクシャインが英雄視をされたような話になっておりますが、そもそも、この戦いはどういうふうにして起こって、本当に和人とアイヌの戦いだったのか、お教えください。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) シャクシャインの戦いについてでありますが、シャクシャインの戦いの発端は、イオル――猟場や漁労圏のことですが、このイオルをめぐる、静内地方に住むアイヌと門別地方に住むアイヌの対立がもとであったと言われているところです。

 両者の間には、さまざまないざこざが発生し、門別地方に住むアイヌが松前藩に救済を求めたが、その使者が帰り道で天然痘のため急死し、それが松前藩による毒殺だったとアイヌの人たちに広まったことから、それまでの松前藩による、干したサケと米との交換比率の変更や、自由な交易活動が制限されたことなどに対して、アイヌの人たちの不満が爆発し、シャクシャインの指導のもとに、団結した戦いへと発展していったとされているところです。

◆(小野寺秀委員) 一番最初に確認をしましたが、蝦夷(えみし)については、アイヌでもなければ和人でもないような漠然とした概念だということで、当時の蝦夷(えみし)という社会の中において、この争い、紛争はあったと考えておりまして、実際に和人対アイヌではなかった、蝦夷(えみし)の中の戦いであったと私は考えておりますが、どうお考えか、お教えください。

 答えづらいでしょうから、ここでやめておきますけれども、和人とアイヌの戦いで英雄視されたシャクシャインというような物語になっていることを私は非常に危惧しているところでございます。

 北海道新聞とやらにも、シャクシャインの法要祭のときには同じような記述が毎回毎回出ておりまして、本当に史実に基づいた記事だといいのですが、これは本当にどうなのかなというものも報道で多々見受けられるということも、北海道は十分に注視をして、本当の歴史をしっかりと認識させるべく努力していく必要があると思いますので、これは強く指摘をしておきます。
 それで、時間がなくなったので、これ以上多くの質問はできないのですけれども、北海道として、正しいアイヌの歴史について、どのようにしてしっかりと広めていこうと考えているのか、お教えください。

◎(大川アイヌ政策推進室長) 正しい歴史認識の確保についてでございますが、道では、これまで、道立アイヌ民族文化研究センターや北海道開拓記念館におきまして、アイヌの人たちの歴史、言語、芸能、生活技術などに関する調査研究を行ってきたところでございます。

 来春には、両機関を統合いたしまして、新たな北海道博物館としてオープンするところでございますが、それを契機に、アイヌの人たちの歴史や文化につきまして、アイヌ関係者やアイヌ文化研究者から御意見も伺いながら、調査研究を一層充実することとしているところでございまして、今後は、北海道博物館の研究成果等を活用しながら、道教委とも連携して、幅広く専門家の意見を伺うなど、必要な対応を検討し、道の啓発冊子を初め、市町村の副読本を活用するなど、アイヌの人たちの歴史や文化の情報発信に取り組んでまいる考えでございます。
 以上でございます。

◆(小野寺秀委員) 道立アイヌ民族文化研究センターと北海道開拓記念館において、今まで調査研究を行ってきたということですけれども、この小冊子一つをとっても、意見交換で言いましたが、かなり問題のある記述がたくさんあります。

 これは間違えているだろうというようなものを勝手につくっているのは、そもそも、今までの研究が何だったのだと私は思いますし、間違えた情報がどんどんどんどん流れている中で、それをただ傍観していた道のアイヌ政策も間違いだったと私は思いますが、これを契機に、研究をさらに進めていくような話になっておりますので、しっかりと研究はしていただきたい。そして、間違いは間違いだとしっかりと道として話をしていただきたいというふうに思います。

 あと、和人がアイヌから一方的に財産をとった、権利をとったというふうになっておりますが、本当にどうなのか。共有財産の裁判が北海道とアイヌの方々でありましたが、その裁判の経緯と結果についてお教えください。

◎(井之口アイヌ政策推進室参事) 裁判の概要についてでありますが、この裁判は、旧土人保護法に基づき道が管理してきた共有財産――それは現金でありますが、これにつきまして、平成9年のアイヌ文化振興法の制定により、旧土人保護法が廃止になったため、共有者のアイヌの人たちに返還手続を行ったところ、共有者の大部分が受領を拒否し、その中の一部の共有者が返還手続の無効確認を求め、提訴されたものでありますが、この裁判につきましては、平成18年の最高裁で結審し、道の勝訴が確定しているところでございます。

◆(小野寺秀委員) つまり、この裁判においても北海道は勝っているということです。なので、我々は北海道に住んでいますが、我々の祖先――私は、アイヌ民族ではないというふうに自覚をしておりますが、その私たちの祖先が、そういうような無謀な、むちゃなことをアイヌの人たちにやってきてはいないのだなというふうに確認をしたいと思いますし、そういう自虐的な歴史を北海道で植えつけるのはいかがなものかと考えておりますので、そこら辺もしっかり認識をしていただきたいと思います。

 最後の質問ですけれども、アイヌ政策の適正化についてでございますが、私は、今回、アイヌ政策の問題についてはあえて追及をしませんが、これまで、私は、幾多のアイヌの問題の追及をしてきました。

 積み重ねると、新聞紙で2センチ以上の厚さになったぐらい、問題が発生しておりますが、今でもまだ問題はあると考えておりますが、道として、どのようにチェックをして、今後、どのようにその政策を適正化するのか、お教えください。

○(花崎勝委員長) 環境生活部長川城邦彦君。

◎(川城環境生活部長) 今後の対応についてでございますけれども、過去に、アイヌ文化財団や北海道アイヌ協会で行った事業に関しまして、これら団体において、透明性の確保やチェック体制が不十分であり、また、団体に対する道の指導も十分でなかったことから、不適切な事案が発生したところでございます。

 このため、再発防止に向けまして、アイヌ文化財団では、助成団体への指導の徹底を図りますとともに、現地調査などを行い、また、アイヌ協会では、役員による各地域の協会への指導の徹底と、再発防止の仕組みづくりに取り組むなど、組織を挙げて再発防止策を講じてきたところでございます。
 道といたしましては、補助金等の執行に当たり、不適切な事案が発生することがないよう、今後とも、これらの団体に対し、必要な指導に努めてまいります。

 なお、特に悪質な事案につきましては、厳正に対応してまいる考えでございます。
 以上でございます。

◆(小野寺秀委員) 最後に、指摘をさせていただきますけれども、国と道で運営をしているアイヌ文化振興財団については、アイヌ文化の研究ということで事業が行われております。

 これが一つの成果品の本でございますけれども、アイヌ文化の研究ということで、230ページにわたる本ですけれども、そのうち、162ページがほかの本に寄稿した文である。そして、実際に書いているのは68ページで、さらに、その68ページのうちの40ページが自己紹介に費やされている。この方は、アイヌと全く関係なく、アイヌじゃないのですけれども、そういうような本が、アイヌ文化の振興だとか伝承ということで使われているのは大問題だと思いますし、こういう本を税金でどんどんどんどんつくっているのはいかがなものかと思います。

 先ほども指摘をしましたが、アイヌは先住民族かどうかというのは非常に疑念がある、その中で多くの政策をやっているのは問題があると私は思いますが、特に、国連の先住民族の権利の宣言に日本は賛成票を投じてしまいましたが、先住民族に該当すると、かなりの権利をアイヌ民族の方たちに与えるというような話になりかねないということで、本当に先住民族かどうなのかは非常に重要な議論でございまして、これがグレーのまま、政策が進んでいるというのは、私は非常に危機感を持っておるところでございます。

 また、最近の話でございますが、北海道アイヌ協会とアイヌ協会釧路支部との間において裁判があった。アイヌ協会の本部は、釧路支部の人と、もう一人、元支部長の2人を訴えたわけでございます。元支部長にお金を返せということで裁判を起こしたのですが、元支部長はお金を返せない、破産をしたという形で、実際には、釧路支部が、ある事業の不正のお金を返すような話になってしまっております

 しかし、北海道アイヌ協会が行った事業に不正があって、そこで多くの返還命令が道から出て、本当に釧路支部の会員がそれを払わなければいけないのかということには、私は非常に疑義を持っておりますし、何で、そういうような話が道の知らないところで進んでいるのかというのも非常に問題だと思いますので、そこら辺も、これからもしっかり追及をしていきますが、議論していきながら、アイヌ政策を注視していただきたいと思います。
 以上でございます。

 

【メモ】 https://twitter.com/Daishi_hundred/status/1105343585354829824

 

 

 

 

 


 

2019/03/10

【アイヌ】『歌の審判-アイヌのチャランケの話-』(金田一京助/昭和11年3月)

このところ、『金田一京助全集』を拾い読みしているのですが、金田一先生は1882(明治15)年~1971(昭和46)年の方で、作品一覧を見ると、アイヌに関する論文や随筆などは大正から昭和初期のものが多いようです。

従って、書かれていることの中には既に否定された説、例えば「アイヌ白人説」などもありますが、それはそれで当時の認識が分かり、別な意味で参考になることが多々あります。(「アイヌ白人説」は諸説ある中の一つとして、『アイヌの系統』(大正12年4月)に書かれていて、当時はまだ科学的な研究が進んでいなかったようです。)

このような点は1993年(平成5年)出版のこの全集の解説にて指摘されています。

 

 

 

 

しかし、金田一氏が研究されていた時代はまだ観光客向けではないアイヌ文化が辛うじて残っており、何よりも「アイヌ協会」の横やりが入っていないところが貴重な証言と言えます。

辛うじて、というのは、既に大正14年2月の『アイヌ研究の問題及び方法』では、「アイヌ種族がここ僅々一二代の内に全く地上に其(その)影を収めて了おうとしている事は、皆人の熟知する通りである。」、「今日どんな山中へはいっても、日本語の皆目通じないアイヌは殆ど一人してないようになって居るのである。」と、既にほぼ同化していると分かるからです。

また、「大和民族が此の大八州(註:おおやしま、日本国の美称)の地へ国を建てる以前此島に土着をして居た種族と考えられる」と書いているので、この当時は先住民のように捉えていたことも分かります。

 

* * * *

 

このような時代に金田一氏が記したアイヌの風習に「チャランケ」というものがあります。

下は、ネットのコトバンクから引用したものですが、

 

チャランケ 〔アイヌ語。談判、論議の意〕

アイヌ社会における秩序維持の方法で、集落相互間または集落内の個人間に、古来の社会秩序に反する行為があった場合、その行為の発見者が違反者に対して行うもの。違反が確定すれば償いなどを行なって、失われた秩序・状態の回復をはかった。

三省堂//大辞林 第三版

 

と、説明されています。

 

このような説明をもって、"アイヌはもめ事を話し合いで解決する。アイヌは争いを好まない平和な民族だった”という言い方をするのですが、金田一氏が昭和11年3月に発表した『歌の審判-アイヌのチャランケの話-』という論文を読むと、どうもそうではないようです。

 

金田一氏は村の古老に頼んで再現してもらったそうで、それは議論と呼べるものでは無く、神話の類いの話を「謡曲などのような太い重々しい声調で、独特の美音を張って吟詠していくもの」だそうで、喩えて言うなら、歌合戦で決着をつけるとか、知識の豊富さで決着をつける、というもので、「相手の口をふさがらしたときに勝ち」となるのだそうです。

 

確かに、暴力は振るわず、むしろ、手を出した方が負けというものだそうですが、決着がついた結果どうなるかというと、負けた方が賠償として宝物を差し出し、けりを付るのだそうです。

賠償はアイヌの言葉で「アシンベ(出すもの)」と言い、太刀、脇差し、鍬先などの道具、女性は装飾品(飾玉)などで、和人がチャランケを掛けられて酒を一斗買わされた話や、またアイヌが和人を騙そうとして和人から談判されるということも伝わっており、宝物を奪うために言いがかりをつけて行われるようにもなりました。

肉体的な罰がないかというとそうではなく、十分な賠償を払えない場合は体刑(身体刑)を加え、棍棒で叩く、足の筋を切る、特に姦淫は重罪で、鼻を削って放逐されたりしたそうで、とても、現在、まことしやかに言われる平和的な解決方法とはほど遠いものだったことが分かります。(画像は最終ページ)

 

Ainu_charanke003s

 

これを読むと、世紀末には古いことを掘り起こしてはチャランケを持ちかけて償を取っていたとあり、現在、いわゆる「アイヌ」が日本政府にやっていることと重なります。

 

明治になり、日本の民法・刑法に従うようになったとあるので、このようなチャランケがまかり通っていたのはそれ以前の話で、和人の社会だってその当時は残酷な刑罰や私刑の類いもあったでしょうし、それはヨーロッパ社会もまた然り。

「アイヌ(協会)」が「民族の誇り」と「誇り」を強調するのは劣等感の裏返しだという指摘がありますが、劣等感を克服するために「美化」によって歴史や事実を塗り替える行為こそが惨めではないでしょうか。

 

 

 

 

 


 

2019/03/08

【書籍】『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実』/川崎の捕虜収容所

最近入手した書籍『英国人捕虜が見た大東亜戦争下の日本人―知られざる日本軍捕虜収容所の真実』〔 デリク・クラーク (著), 和中 光次 (翻訳) 〕の覚え書きです。

たまたまSNSで見かけて興味を持ったので注文し、つい先日、手元に届きました。

タイトルを見て、会田雄次の名著『アーロン収容所』を思い出すのはブログ主だけではないと思いますが、ブログ主が興味を持ったのは、著者が川崎の収容所に(も)いた、という事も大きな理由です。

 

 

 

 

 

 

会田氏は捕虜収容所でとったメモを持ち帰ったと記憶していますが、この本の著者は戦後、記憶を辿ってこの原稿を書いたようで、また、当時の様子を表す挿絵も多数描いています。

『アーロン収容所』にも会田氏自身で描いたイラストが挿入されていて、なかなか上手なのですが、クラーク氏は更に見事な絵で、また、日本での出版に当たり、写真や地図、訳者による註も丁寧で、史料としても役立つ工夫がなされています。

 

まだ一部しか読んでいませんが、会田氏同様、親日的(会田氏の場合は「親英的」)であるわけではありません。しかし、当時の様子の生き生きとした描写は大変興味深く、読み物として面白いものです。(会田氏の『アーロン収容所』の場合は更に深い人間観察力や洞察力が加わります。)

 

しかし、アーロンは敵から攻撃される心配の無い場所だったのに比べ、東京(主に芝浦)では空襲を受けており、第二分所と呼ばれた川崎では大規模な空襲に遭遇し、そのことは「地獄の川崎」という章に表れています。

寡聞にして、ブログ主は川崎に捕虜収容所があったことを知らなかったのですが、そこで、その章を真っ先に読み、少し調べたものを個人的メモとして後述しますが、それ以外に、この本が届いてパラパラとページを捲ってみたときに、捕虜達が収容所内で劇を楽しんでいる写真に目が留まりました。

その写真の脚注を読んでみると、大映の協力で衣装を調達したとあります。『アーロン収容所』では捕虜達が物資をくすねて衣装などの材料を調達するのと大違いです。

 

下はブログ主が以前観た『日本におけるドイツ人捕虜 1914-1920』展のカタログから、つまり、第一次世界大戦の捕虜の様子ですが、ここでも制約の多い生活ながら、捕虜達は様々なリクリエーションを楽しんでいたようです。

 

ww1

 

ww1

 

 

ブログ主覚書

川崎にあった第二分所とは扇島(おおぎじま)にあり、これで大凡の場所は分かったのですが、本に掲載されていた地図と『今昔マップ』で位置を確認しました。(→URL

 

下は、総務省の「川崎市における戦災の状況(神奈川県)」に掲載されていた地図を加工したもの。

 

Ww2_01map

 

工場が多い臨海部は空襲の被害も甚大で、③の大師公園とは川崎大師に隣接する公園で、ブログ主の家もこの近くにあります。

子どもの頃、祖母から空襲の話を聞いたことがあっても、あまり生々しい話ではなく、その恐ろしさは分からなかったのですが、下に提示する画像を見ると、ほぼ焼き尽くされました。

 

下の画像は以前のエントリーに掲載したものですが、市役所の時計台が壊されることが決まったときのテレビニュースのキャプチャで、上の地図の①の辺りです。(他の画像はリンク先を参照)

 

Kawasaki_city_hall04

 

なお、『英国人捕虜~』の訳注でも言及されている『川崎空襲・戦災の記録』(上、中、下/ダイジェスト版)は市役所で入手可能とのこと。郵送でも入手可能のようです。(URL:http://www.city.kawasaki.jp/170/page/0000009073.html 川崎市のサイトはよくURLが変わるので注意)

 

川崎を含めた捕虜収容所でお亡くなりになった方のリストはこちらのPOW研究所というサイトにあります。

 

 

 

 

 


 

【国民の敵】小西洋行議員、国会を侮辱しているのはあなたです【小西ひろゆき】

公開: 2019/03/08 09:04  最終更新: 2019/03/08 15:09  

6日の参議院予算委員会は元民主党の小西ひろゆき議員が質疑。リアルタイムでは見ていませんでしたが、SNSで話題になっていたので録画した国会中継を観てみました。(参議院公式サイトの小西洋行議員の質疑はこちら

相変わらず、自己満足のためだけの質疑で、他人を侮辱し、聴くに堪えないものでしたが、今朝(8日)のNHK BS1のニュースで答弁した横畠長官の「失言」が問題になっていると知り、驚きました。

そこで、NHKのweb記事を探してみると...

 

 

 

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011839711000.html
“野党議員をやゆ” 内閣法制局長官を注意へ
2019年3月8日 4時08分

内閣法制局長官が、野党議員の姿勢をやゆしたと受け止められる国会答弁を行ったことに与野党双方から批判が相次ぎ、参議院予算委員会の金子委員長は、長官を注意する方向で調整しています。

内閣法制局の横畠長官は、6日の参議院予算委員会で、野党議員から国会議員の質問が内閣に対する監督機能を持つかどうか尋ねられ、「声を荒げて発言するようなことまで含むとは考えていない」と、野党議員の姿勢をやゆしたと受け止められる答弁を行い、野党側から抗議を受け、答弁を撤回し、陳謝しました。

これについて、7日、自民党の伊吹元衆議院議長は「ありえないことで、少し思い上がっているのではないか」と横畠長官を批判しました。

野党側も、国民民主党の原口国会対策委員長が「長期政権のおごりで、立法府として厳しい処分を議論すべきだ」と指摘しました。

共産党の志位委員長も「政治的発言をする権限はなく、全くの越権行為だ」として罷免を求めるなど、批判を強めました。

このため、参議院予算委員会では事態を重く受け止め、速やかに対応する必要があるとして、8日、金子委員長が、横畠長官を委員会に呼び、注意する方向で調整しています。

 

「野党議員」とあるだけで、「小西洋行」の「こ」の字もありません。

国会中継を観ている方ならお分かりでしょうが、彼はさんざん総理などを馬鹿にするような発言をし、無意味な「憲法クイズ」を連発しては横畠長官にコテンパンにやられるというのがお決まりのパターン。

小西議員の「天敵」なのです。

関西の方なら、池乃めだかの「よっしゃ、今日はこれぐらいにしといたるわ」みたいな"様式美” の世界と言ったら分かりやすいでしょうか。

 

この日も通告なしの質問に余裕の表情であしらった横畠長官でしたが、ちょっとした言葉尻を捉えられた、というのが実態です。

今回、問題視された長官の発言とは「このような場で声を荒げて発言」という部分ですが、こんな表現、小西議員の国会の品位を貶め、尊大で他人を侮辱した態度を表すには生ぬるいくらいです。

実際、この日、小西議員は、議長に「落ちついてゆっくり話なさい」と、子どもを諭すような口調でたしなめられています。

 

 

ブログ主は小西議員の質疑を観ると、小学校の同級生の太郎ちゃん(仮名)をいつも思い出します。

太郎ちゃんは、今なら、発達障害とか尤もらしい病名で呼ばれるのでしょうが、小学生の知識では「知恵遅れのかわいそうな子」であり「ちょっと困った子」でした。

しょっちゅう授業中に教室を勝手に出て行き、時々、ウチのクラスにも来たのですが、よほど授業を邪魔しない限りは、皆、「ああ、また太郎ちゃんが来た」と生暖かい目で見守り、その内に担任の先生が引き取りにいらして彼は意気揚々と戻っていくのでした。

子供心に学校の先生って大変だなあと思った記憶があります。

 

小西議員が質疑に立つとき、この"空気”が与野党共に漂うのです。

国会では「担任の先生」は残念ながらいませんから、さんざん醜態を晒して、しかし、最後には勝ち誇ったように質疑を終えます。

 

【3月8日付読売新聞記事】

20190308_yomiuri_konishi

 

 

【おまけ】「小西ひろゆき」Google検索結果

ふと、彼は今どこの党に所属してたっけ?と検索してみたら、下のような検索結果でした。

自分の名前を検索して、こんなのが出てきたら、泣きたくなるわw

 

20190308_google_konishi

 

【追記】

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011840141000.html
内閣法制局 横畠長官「答弁は誤りで越権だった」改めて陳謝
2019年3月8日 12時28分

内閣法制局の横畠長官は衆議院内閣委員会で、先に野党議員の姿勢をやゆしたと受け止められる国会答弁を行ったことについて、「誤りで越権だった」と述べ、改めて陳謝しました。

内閣法制局の横畠長官は6日の参議院予算委員会で、野党議員から、国会議員の質問が内閣に対する監督機能を持つかどうか尋ねられ、「声を荒げて発言するようなことまで含むとは考えていない」と、野党議員の姿勢をやゆしたと受け止められる答弁を行い、野党側から抗議を受け、答弁を撤回し陳謝しました。

これについて、横畠長官は8日の衆議院内閣委員会で、「国会での審議の場における国会議員の発言に関して、『声を荒げて発言するようなこと』と評価的なことを申し上げたもので、行政府にある者の発言として誠に不適切なものであり、委員会の場でおわびをして撤回させていただいた」と述べました。

そのうえで、横畠長官は、「質問を受ける政府の側として何か申し上げ、評価する事柄ではなく、質問権の行使のしかたや質問の在り方について申し上げてしまったことは誤りで越権だった」と述べ、改めて陳謝しました。

立民 福山幹事長「横畠長官はお引き取りを」

立憲民主党の福山幹事長は会派の参議院議員総会で、「横畠氏が内閣法制局長官に就任してから5年になろうとしているが、残念ながら長官としての職務より安倍官邸の意向をいかにそんたくし、法案を出すかに注力してきたと言わざるをえない。横畠氏の発言は安倍内閣のおごりをそのまま表しており、任に足りる方ではないので、そろそろ自身の判断でお引き取りいただきたい」と述べました。

公明 斉藤幹事長「謹んでいただきたい」

公明党の斉藤幹事長は記者会見で、「撤回せざるをえないような発言をしたのは大変残念で、慎んでいただきたい。発言を撤回しているので辞職の必要性はないと思うが、政府には丁寧な答弁をお願いしたい」と述べました。

 

 

 

 

 


 

2019/03/05

「日本人とは何か?」2 グレートジャーニー

昔、『グレートジャーニー』というドキュメンタリー番組がありました。

下はWikipediaからの引用ですが、医師であり探検家の関野吉晴氏が人類の起源を遡って旅をするというもので、ブログ主も観ていました。

 

人類の足跡である南アメリカ・チリナバリーノ島からタンザニアまで(北ルート)のおよそ5万キロを逆ルートから遡って行く旅の行程(1993年12月 - 2002年2月)を、探検家・関野吉晴が人力で挑み、その姿を追った作品(全8回)。

Wikipedia『グレートジャーニー』より

 

これを思い出したのは、最近、チャンネル桜の『チャンネル北海道』で『日本人の定義とは?「我ら兄弟!日本列島民族」』という回を観たからです。

 

 

 

 

ブログ主がこのところ拘っている「アイヌ」問題とも関係はあるのですが、単純に壮大なロマンとして楽しみました。

ブログ主の遺伝学の知識は中学生あたりで止まっているので咀嚼しかねる部分もありますが、この番組を観つつ調べたサイトなどのURLも貼っておくことにします。

 

【ch北海道】日本人の定義とは?「我ら兄弟!日本列島民族」[H31/2/26]

キャスター:門間ユウジ(キャスター)
若狭 亮子(キャスター)

 

結論から書いてしまうと、下の絵になります。

 

20190226_ch_hokkaido01

 

東へ、東へと向かうグレートジャーニーの途中で、北ルートと南ルートの二手に分かれた我々の祖先が東の果ての日本に辿り着くという話です。

 

ミトコンドリアDNAのハブログループ系統図によると、(ここでいきなり脱落しかけた )日本人は大きく分けた分類のD系統に属し、人類の起源のかなり早い段階でこの系統は枝分かれした、ということが下の図で分かります。

【追記】ご指摘を戴きました。「ミトコンドリアDNAハプログループ」のところは正しくは「Y染色体DNAハプログループ」が正しいのだそうです。

 

20190226_ch_hokkaido02

 

20190226_ch_hokkaido05

 

そして、我々日本人に特徴的な「ハプログループD1b」(D2系DNAとも言われる)は約7万年前に東アフリカのトゥルカナ湖東北部に住んでいた男性に由来します。(リンク先はWikipedia)

ここで、約7万年前に突然変異(YAPという痕跡)が起こりますが、これを持つ男性が東に移動するのが日本に辿り着くグレートジャーニーの始まりです。

 

20190226_ch_hokkaido03

 

20190226_ch_hokkaido04

 

南ルート(海経由)は約4万年前、北ルート(山ルート)はそれに遅れて約2万年前に日本に辿り着きます。

 

この旅のルート上の所々にD2系DNAの痕跡がある人々がいるそうですが、アジアに限れば、日本人だけが持つ特徴なのだ、というのが下のグラフです。

 

20190226_ch_hokkaido06

 

 

20190226_ch_hokkaido07

 

 

このように書くと、「アイヌかどうか判定するのにDNA検査しろ」という短絡的な意見が出るのですが、それが意味がないことを示す、先日、小野寺まさる氏がツイッターに上げて下さった画像とコメントをご紹介します。(ありゃ、タイトルの日本語が変だ...まあ、意味は分かるかと。  正しくは「昭和26年に平取町二風谷(北海道最大のアイヌ集落)で行った血統調査の結果」です。)

 

 

20190226_ch_hokkaido08_onodera

 

明治時代、北海道最大のアイヌ集落は平取の二風谷だ。ここで昭和26年に血統調査が行われたが、結果は衝撃的。純血が1割以下…それも科学的根拠の無い自己申告数でだ。更に4割弱が和人。中には朝鮮人もおり、多分アイヌや不明なども多数。更に70年が経過し「血でアイヌを定義」など無理な話なのだ。

 

DNA分析の話をするのは、日本人の起源やアイヌの起源(=いつ頃アイヌが成立したのか)の話、即ち「アイヌ先住民説を否定」をしている訳で、「アイヌ判定」とは次元が違う話です。

また、「アイヌ」の定義を政府もアイヌ協会もきちんと答えられない以上、判定のしようもなく、現在いらっしゃる「アイヌ系の日本人」ですら、(明治初期くらいを規準としても)既に何分の一かしかアイヌ系と言えない現在、上の表よりも更に混血が進んでいるわけです。

 

また、「アイヌかどうか」という議論は、アイヌ協会や北海道が独自に行っている様々なアイヌ利権を前提としたものです。

アイヌ文化の継承ということなら、本来、「アイヌ」、あるいはアイヌ系の方々だけでなくても良いわけで、例えば、日本の伝統文化を"青い目の人”(←喩えです)が学んだり、継承していても何ら問題がないのと同じことです。

アイヌ協会が「アイヌ文化継承」を「事業」として、いわゆる「アイヌ」だけにしか認めない、というおかしな事をやっているから話がややこしくなっていますが、そもそも、「文化の継承」と「アイヌ利権」は別なものであり、「アイヌ利権」があるのがおかしい、というスタンスで議論すべきなのです。

 

ブログ主がこの「アイヌ利権」のことを知ったのは何年か前でしたが、それは北海道内の問題、北海道が解決すべき問題だと考えていました。

しかし、政府が成立を急ぐ「アイヌ新法」は、「アイヌとは」という定義もせずに、全国展開しようとする悪法です。また、「先住民族と法律に明記」という恐ろしいことまで目論んでいます。

この愚かな行為をなんとしても阻止しなくてはなりません。

 

参考資料

前述のWikipedia『ハプログループD1b (Y染色体)』の項にある「概略」に書かれている下記の説明から見つけた論文をメモしておきます。

 

ハプログループD1b(D-M64.1)は、日本列島で観察される。日本人の約32%[4]~39%[5]にみられ、沖縄や奄美大島では過半数を占める。アイヌの80%以上[6]もこれに属する。ハプログループD1bは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている[7]。

 

ここに出てくる田嶋敦先生の名前で検索したところ、当ブログの以前のエントリー『日本人とは何か? 最新のDNA解析から見た「アイヌ、琉球人、本土日本人」とは』で参照した論文に行き着きました。日本語の表題は「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」というもので、発表は平成24年(2012年)なので、更に上記の研究を発展させたものだと思われます。

 

以下は、その記者会見を広報する東京大学のwebサイトです。

 

 

 

 

 


 

【アイヌ新法】アイヌ関係者が自治権などを求めて札幌市内でデモ(2019/03/03)

3月3日、札幌市内で「アイヌ」(小野寺まさる氏によると紋別アイヌ協会の方が中心とのこと)やその支持者がデモを行いました。

このエントリーはそのことを記録するものです。(元記事のサイトに掲載されている動画と同じ動画はYouTubeにもあり。)

 

https://www.htb.co.jp/news/archives_3751.html
アイヌ新法案に異議 札幌でデモ行進
2019/03/03(日) 21:00 掲載

 アイヌ新法案に先住民族として認められるべき権利が盛り込まれていないとして、アイヌの人らが3日、札幌でデモ行進を行いました。

 大通公園周辺で行われたデモ行進には、アイヌの人らで作る市民団体から30人以上が参加しました。政府がアイヌ民族を「先住民族」として初めて位置づけたアイヌ新法案について、参加者は「欧米などの先進諸国が先住民族に対して認めている土地などの権利が盛り込まれていない」と訴えました。ウコチャランケの会の石井ポンぺ会長は「私たちに謝罪をし、私たちの求める自決権を確立してもらいたいと思っています」と話しました。政府は先月、アイヌ新法案を閣議決定していて、今国会中の成立を目指しています。

 

 

 

 

前回のエントリーで、「アイヌ」やその弁護士等が日本外国特派員協会で記者会見を行ったということを書きました。

アイヌ新法の法案では、アイヌを先住民族として法律に明記することとなっており、それだけでも歴史の捏造であり、認められないのですが、その会見でも3日のデモでも、「先住民族として認められるべき権利」がないという不満を述べています。

つまり、「土地や資源を返せ、自治権を与えろ」ということです。

 

先住民と認めたら、次はこういう要求をしてくるのは目に見えていました。

どうせ、これでまた国連人権委員会で「権利を蔑ろにしている」などと、お仲間のNPOと一緒に演説し、国連から日本政府に「勧告」が出されるというお決まりのパターンが待っています。

 

 

以下、動画のキャプチャを何枚か。

 

20190303_htb

 

 

20190303_htb

 

ちなみにこの方は、以前のHTBの特集に、室蘭工業大学の名誉教授として出演されていた方のようです。↓

 

20190115_htb22_2

 

「アイヌの文化は売り物じゃない」などというプラカードを掲げていますが、「アイヌ文化のブランド化推進」を要求しているのは当の「アイヌ」なんですが... ↓(内閣府のアイヌ政策推進会議の資料より)

 

20190303_htb

 

キャプチャ続き。

 

20190303_htb

 

20190303_htb

 

 

再度、アイヌ新法の概略をまとめた記事を提示しますが、新たに付与される特別措置や鮭捕獲の配慮などでは足りないと言うわけです。

 

20180720_hokkaido06

 

 

しかし、向こうから「撤回しろ」って言い出してくれたんだから、撤回しちゃえば?

 

 

 

 

 


 

2019/03/04

【また朝日か】『五輪開会式でアイヌの踊りを』/日本外国特派員協会でのアイヌ関係者の会見

ネットの反アイヌ新法 の動きを察してか、朝日新聞が挑発的な記事を出してきたので、まずはそれを記録しておきます。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190303-00000001-asahi-soci
五輪開会式でアイヌの踊りを 「オリパラ精神にかなう」
3/3(日) 0:35配信

 2020年東京五輪の開会式で、アイヌ民族の文化を披露しようという動きが進んでいる。長年、差別や迫害に苦しんできたアイヌ民族だが「五輪で文化や伝統を世界にアピールしたい」と関係者は期待する。

 2日、北海道白老町の公民館で、約30人のアイヌ民族が伝統衣装をまとい、踊った。「剣の舞」や「黒髪の舞」など七つの踊りを約30分間で表現した。

 北海道アイヌ協会が主体となって3年ほど前から、東京五輪でアイヌ文化を発信しようと議論を始めた。アイヌの踊りは地域で異なり、民族を一堂に集めるのも難しい。各地で踊りを指導するサブリーダーを30人ほど決め、月に一度、練習を重ねてきた。

 リオデジャネイロやシドニー、バンクーバーなど過去の五輪では先住民が開会式に登場した。「アイヌの精神は世界に平和を訴えること。『オリパラ』の精神にかなっている」と、演出を担当するアイヌ民族の秋辺日出男さん(57)は言う。五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を総合統括する野村萬斎さんにも手紙を送り、採用を依頼したという。「アイヌの人たちに、『前に出て』と呼びかけたい」
.
朝日新聞社

 

 

 

 

この記事を読めば明白ですが、公式な発表があったわけではなく、単にアイヌ協会が東京五輪開会式で踊りを披露したい(と言っても、内閣府やオリンピック実行委員会と話は詰めていると思いますが)という願望と朝日新聞がそれを後押ししている記事です。

 

 

Kitarou

 

 

公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会

  • お問い合わせページ: https://tokyo2020.org/jp/enquiry/
  • 電話番号:0570-09-2020(有料) 受付時間:9:00~17:00 ※土日祝日、年末年始を除く

 

 

日本外国特派員協会でのアイヌ関係者の会見(2019/03/01)

現在政府が今国会で成立を目指すいわゆる「アイヌ新法」ですが、3月1日、アイヌ協会が日本外国特派員協会にて会見を開き、これに対する不満を述べました。

ご存知のように、日本外国特派員協会はアンチ日本の外国人記者の巣窟で、恐らく、この後、海外に日本政府批判の記事が配信されたかと思います。

とりあえず、その会見の様子を短く伝えるHTB(北海道テレビ)のニュース動画を見つけたので、それを記録しておきます。

また、実際の会見動画のURLも貼っておきます。

 

HTB北海道テレビ(URLはYahooニュース)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190301-00000009-htbv-hok
<北海道>アイヌ民族が東京で海外メディアに権利回復を訴え
3/1(金) 18:05配信

 アイヌの人々らが1日、東京で海外メディアに向けて会見を開きました。アイヌ新法案はアイヌのためになっていないと訴えました。
 日本外国特派員協会で会見を開いたのは、紋別アイヌ協会の会長や東京在住のアイヌ民族、先住民族の権利に詳しい弁護士らです。

 

20190302_htb01  

先月、日本政府が閣議決定したアイヌ新法案に、欧米などの先進諸国が先住民族に認めている土地や漁業権などの権利回復が盛り込まれていないなどと訴えました。

 

20190302_htb02 20190302_htb03 20190302_htb04

 

紋別アイヌ協会の畠山敏会長は「(権利を奪ったことへの)謝罪や、自決権が、今回の新法には何も謳われていない」と声明文を読み上げました。またコタンの会の清水裕二会長は「(新法で)先住民族として認めるのであれば、それを裏付ける法案、条文でなければおかしい」と訴えました。

 

20190302_htb05 20190302_htb06

 

日本のアイヌ政策に対して国連は去年8月、アイヌの人々の土地と天然資源に関する保護が十分でないと勧告を出しましたが、会見では「日本政府が国連の勧告を無視している」とも訴えました。政府はアイヌ新法について今国会中の成立を目指しています。

 

20190302_htb07 20190302_htb08 20190302_htb09

 

この日本外国特派員協会での会見は協会の公式YouTubeチャンネルに掲載されています。

 

Shimizu, Hatakeyama, Maruyama & Ichikawa:"Recognition at last for Japan’s Ainu Community?"

2019/03/01 に公開
Yuji Shimizu: Chairperson, Ainu Kotan no Kai / Satoshi Hatakeyama: Chairperson, the Monbetsu Ainu Association / Hiroshi Maruyama: Chairperson, the Citizens' Alliance for the Examination of Ainu Policy and Emeritus Professor, Muroran Institute of Technology / Morihiro Ichikawa: Lawyer

 

 

 

 

 


 

2019/03/02

『あいぬ物語』(樺太アイヌである山辺安之助の半生記)

ツイッターで以下のようなコメントを読んで『あいぬ物語』を知ったので、興味を持ち、図書館で借りてみました。(『金田一京助全集 第6巻』に金田一の前書きと共に収録)

 

露の文豪チェーホフ『ギリヤーク人がアイヌ女を奴隷として〜』として記載、樺太アイヌで露に帰属した方は過酷だった事は容易に想像出来ますが、樺太アイヌで日本に帰属した山辺安之助の自伝『あいぬ物語』を読めば日本国が如何に手厚く保護していたかが理解出来ます。が現状制度は是正されるべきですね

 

 

 

 

山辺安之助(やまべやすのすけ)がどのような人物かは、リンク先のWikipediaを読めば大凡分かり、その生涯も説明されているので、この本に書かれている内容も想像がつくかと思いますが、この本は、樺太アイヌである山辺安之助の口述をアイヌ語研究者の金田一京助が筆記したものです。

彼は日本語は話せましたが、金田一が「アイヌ自身の文学」である証拠に、敢えてアイヌ語で語ってもらい、アルファベットで書きとりました。この本では読者が読みやすいようにアイヌ語をカタカナでルビのように記述しています。

実際、彼はアイヌ語で語る方が不自由だと金田一は書いており、また、本来語彙が豊富なのにアイヌ語そのものの表現力の乏しさで、「普通のアイヌの話」になってしまった、と金田一は書いています。

 

1867年(慶応3年) 生まれで、幼くして両親を亡くし、樺太千島交換条約(明治8)で北海道に移住、その後再び樺太に戻りますが、対雁(ついしかり)村(現江別市)の土人学校の様子、漁師としての生活、日露戦争、白瀬矗(しらせ のぶ)の南極探検隊に加わった話など、アイヌ自身が語るものとして一級の資料と言えます。

 

例えば、下は、西郷従道(さいごう つぐみち-西郷隆盛の弟)に会ったときのエピソードで、西郷従道侯爵がアイヌと酒を飲み踊っているのを永山武四郎大佐が「侯爵とあろう方が、アイヌ風情と踊って」と諌めたところ、西郷が言った言葉です。

 

ainu_monogatari

 

調べたところ、西郷は明治15年1月11日に開拓使長官の職に就いているので、この頃の話だと思います。

時代は前後しますが、明治11年、山辺は初めて対雁(ついしかり)村にできた土人学校に通います。この当時は、明治維新で政府はやらねばならないことが山ほどあっただろうに、よくここまで手が回ったと感心します。

とは言え、全て初めての試みですから、教師と言っても医者が兼ねていたり、読み書きそろばんではなく、撃剣(剣術?)ばかり教える教師もいたり、始めはなかなか学校らしくならなかったようですが、教師に連れられて札幌の祭に行ったことは「何もかも皆楽しかった」と書いています。

彼はまもなく働く年齢になり学校を去りましたが、もう少し勉強したらもっと読み書きができたのにと述懐しています。

 

日露戦争は樺太に戻ったあとで経験します。村人総出で貢献したので、平尾中隊長がいかほどの報償が欲しいかと尋ねますが、それに対して山辺は下のように答えます。

 

 

ainu_monogatari

 

 

南極探検に関しては、国家事業ではないとして参加取りやめを勧められますが、「昨日承諾し、今日違約したら『やっぱりアイヌだなぁ』とさげすまれる。それは我慢できない。」と参加しています。

 

この本は「終わりに臨んで」という章で締めくくられていますが、最後にその章をご紹介します。

 

20190206_asahi_e

 

 

この章の前は南極から戻る話なので、彼の半世紀としてはそこで終わりますが、金田一の前書きによると「アイヌを救うものは、決してなまやさしい慈善などではない。宗教でもない。善政でもない。ただ教育だ。」と言って、土人学校を設立します。

 

ところで、3月1日にアイヌ協会が日本外国特派員協会で会見し、「アイヌ新法」への不満を述べました。これは別途ご紹介しますが、(アイヌの権利を奪ったことへの) 「謝罪や、自決権が、今回の新法には何も謳われていない」というものです。

山辺の崇高な人柄を知った後でこのニュースを聞き、その落差に愕然とさせられました。

 

 

 

 

 


 

2019/03/01

【また朝日か】アイヌ新法を報じる英文記事でまた反日記事

やや旧聞に属する話ですが、アイヌ新法が閣議決定されてマスコミ各社がこれを報じました。

朝日新聞は2月6日付でこの記事をwebサイトに配信しましたが、同日に英語で配信した記事は中身を変えています。

朝日史観とでも呼ぶべきか、日本人が読まないと思って、その内容は反日的なものになっています。

 

まず、日本語の記事のキャプチャ。

 

20190206_asahi_j

 

2人の記者の署名記事となっています。

 

 

 

 

次に、英文記事のキャプチャです。記事の最後に、「This article was compiled from reports by Naoki Matsuyama and Fumiko Yoshigaki.」(この記事は松山尚幹と芳垣文子のリポートを編集したものである)とあるので、前掲の日本語記事が元になっていることがあきらかです。

 

20190206_asahi_e

 

英文記事は日本語話者ではない人達、非日本人向けなので、背景などの説明を付け加えることは、まあ、分かりますが、これはひどい。

 

After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally...

1世紀以上もの強制的同化や差別によってアイヌの文化をほぼ破壊した後、ようやく(先住民として認定されることとなった)

 

非公式ながら、2020年東京五輪では開会式に1,800人の「アイヌ」が踊ることが決まっているそうです。(小野寺まさる氏談)

この時、海外の中継で、実況がこのような偽りの歴史を語ることは想像に難くないのではないでしょうか。

 

以下、記事を引用しておきます。

 

https://www.asahi.com/articles/ASM254H84M25UTFK00L.html
アイヌ新法「先住民族」を明記、国会提出へ 観光振興も
松山尚幹 芳垣文子 2019年2月6日05時00分

 政府は、アイヌ民族を「先住民族」と初めて明記したアイヌ新法案を今国会に提出する。自民党の国土交通部会などの合同会議が5日、法案を了承した。法案は差別の禁止や、観光振興を支援する交付金の創設からなる。政府には、アイヌ文化を観光資源とし、訪日外国人客数の目標達成の一助にする狙いもある。近く閣議決定し、今国会での成立をめざす。

 法案は、アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現を目的に掲げる。伝統的な漁法への規制の緩和なども盛り込んだ。新たな交付金は2019年度予算案で10億円を計上。アイヌ文化のブランド化推進やコミュニティー活動のためのバス運営への支援を想定する。

 政府は新法により、生活向上のための福祉や文化振興を中心にしたこれまでの施策から、地域や産業の振興、国際交流を見据えた総合的なアイヌ政策へ転換を図るとしている。

 法案の背景には、アイヌ民族をめぐる過去の経緯や、先住民族への配慮を求める国際的な要請の高まりがある。加えて政府が狙うのは、東京五輪・パラリンピックが開催される2020年に4千万人達成の目標を掲げる、訪日外国人客へのアピールだ。

 20年4月には、国立アイヌ民…

 

 

http://www.asahi.com/ajw/articles/AJ201902060037.html
Bill finally recognizes Ainu as indigenous people of Japan

THE ASAHI SHIMBUN
February 6, 2019 at 14:45 JST

After more than a century of forced assimilation and discrimination that nearly blotted out their culture, the Ainu are finally to be recognized as indigenous under legislation to be submitted to the ordinary Diet session.

A draft bill was approved on Feb. 5 by a joint meeting of entities within the ruling Liberal Democratic Party, including its Land, Infrastructure, Transport and Tourism Division.

While banning discrimination against the Ainu people, the bill also has provisions to establish new subsidies to promote tourism to the northernmost main island of Hokkaido where Ainu are from.

The government expects the legislation to be enacted during the current session.

The inclusion of wording recognizing the Ainu as indigenous was described as a "step forward" by Shiro Kayano, whose late father, Shigeru, was the first Ainu to serve as Diet member in 1994.

The draft bill states its objective as realizing a society that will respect the pride of the Ainu as an ethnic group. Legal restrictions will be relaxed to allow the Ainu to engage in traditional fishing practices.

A subsidy of 1 billion yen ($9 million) will be proposed in the fiscal 2019 budget to promote the development of Ainu culture as a tourism resource as well as provide support for bus operations to help support Ainu communities.

The present law to promote Ainu culture is focused on culture promotion and welfare measures to improve the daily lives of the Ainu people. The new bill will be an effort to implement a more comprehensive package of measures to promote local communities and industries with a view to also expanding international exchanges.

Factors that prompted the move include Japan's historical treatment of the Ainu and growing demands from the international community to provide adequate recognition of the Ainu as an indigenous people.

It also is intended to help the government achieve its target of foreign tourist numbers to 40 million by 2020 when Tokyo will host the Summer Olympics and Paralympics.

Other governmental promotional efforts include plans to open the National Ainu Museum and Park in Shiraoi, Hokkaido, in April 2020, with a goal of attracting 1 million visitors annually.

When Chief Cabinet Secretary Yoshihide Suga visited Hokkaido in August 2018, he told reporters, "Having the world understand the splendid aspects of Ainu culture will contribute to international goodwill and lead to promotion of tourism."

But for the Ainu people, the bill comes after more than century of discrimination, poverty and fears that their cultural traditions were being erased.

Their native Hokkaido was effectively taken over after the Meiji Restoration of 1868. Not only has the government never recognized the Ainu as indigenous, but a law passed in 1899 rejected Ainu culture and called for steps to assimilate the Ainu into the mainstream population.

It was not until 1997 that the law was abolished and replaced with the current law to promote Ainu culture.

But various surveys show that descendants of Ainu still have it tougher than most.

In 2017, the Hokkaido government conducted a study of 63 municipalities where Ainu were confirmed to be living. One finding was that only 33.3 percent of Ainu went on to university, compared to the overall rate of 45.8 percent for those 63 municipalities. Of the 671 people interviewed for the study, 23.2 percent said they had been discriminated against for being Ainu.

With many choosing to not disclose their Ainu roots, it is not even clear how many have ethnic ties to the Ainu.

(This article was compiled from reports by Naoki Matsuyama and Fumiko Yoshigaki.)

 

 

 

 

 


 

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

最近のコメント

counter since 2018/12/25

  • Flag Counter

    FLAG Counterのロゴをクリックすると、更に詳しい分析結果が表示されます。
    ココログのアクセス解析よりは少ない数字になるようです。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

sponsored link


ドールハウス工作おすすめ参考図書

ドールハウス工作おすすめアイテム(材料・工具)

カテゴリー

無料ブログはココログ