【書籍】『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史』(石平著)
公開: 2019-03-31 12:39:56 最終更新: 2019/03/31 14:08
以前のエントリー『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか(石平著)』に引き続き、掲題の本を読んでいますが、およそ半分(序章~第2章)を読んだところで、頭の整理をするためにブログにメモしておこうと思います。
下はこの本の各章の見出し。
- 序 章:思想としての「中華」とは何か
- 第1章:飛鳥・奈良時代――脱中華から始まった日本の思想史
- 第2章:平安から室町――仏教の日本化と神道思想の確立 ←今ここ
- 第3章:江戸儒学の台頭と展開――朱子学との戦いの軌跡
- 第4章:国学の快進撃――日本思想史のコペルニクス的転回
- 終 章:幕末と明治――儒教の復権と国民道徳の形成
第3章以降は未読ですが、『なぜ論語は「善」なのに、儒教は「悪」なのか』の第4章「朱子学を棄て、『論語』に「愛」を求めた日本」に短くまとめられたことが詳しく書かれているかと想像します。
見出しをご覧になって分かるように、この本は日本の思想史(および宗教史)について書かれた本ですが、日本史の授業では、まず、飛鳥時代とか平安時代、鎌倉時代という時代区分毎に学び、その中で、「鎌倉時代の仏教」と言うような形で教科書に出てくるのと、詳しくは学ばないので、どうしても、通史としての思想史というものが分かりません。
例えば、「密教」=「加持祈祷」-「最澄」・「空海」などと、試験に出るキーワードだけを覚えただけで良しとしてしまうことが多いのではないでしょうか。
しかし、この本を読んで、(特定の宗教を信仰しない)一般的な日本人の“ぼんやりとした宗教観”とか倫理観ががどのように形成されたのかを考えるヒントになりました。
著者ご本人は膨大な資料を読み解いて、それをかみ砕いて分かりやすく説明してくれます。はっきり言って、日本史の副読本の「用語集」や事典の説明なんかより、すっと頭に入る言葉で解説してくれるのです。
* * * *
脱「中華」、脱「仏教」(神道と仏教の共存)
下はまたまた要点まとめの参考書からの「宗教史」です。
儒教は前回のエントリーに掲載した「思想史」(画像)で扱われているのでここには載っていないですが、儒教も仏教も5~6世紀頃に大陸から、あるいは大陸を経由して伝来します。
リンク先の画像にも書かれているように、儒教は「律令制の理論的支柱」となり、大化改新や十七条の憲法に影響を与えました。
下の画像は、同じ参考書の本文の部分。(この参考書は「要点まとめ」なので、詳細は省かれています。)
一般には、このように大陸文化の伝来と片付けてしまうのですが、シナの圧倒的な文化の前に、日本人は尊敬と共に脅威を感じたはずです。
ここから、日本人はどのようにシナの呪縛から逃れたのか?
それは仏教を「国教」として据えたからでした。
「華夷秩序」、即ちシナの外は「えびす」(野蛮人)という中華思想の国に対し、遙か西方(インド)で成立した宗教である仏教を国教として据えることで、同じ仏教国という対等な関係になったのです。
『十七条の憲法』には儒教から借用された用語もあり、律令制など、シナの制度に倣ったものも多くありますが、あくまでも官僚が国造りの参考に学んだだけで、科挙も取り入れなかったように、日本では支配的イデオロギーにはなりませんでした。
儒教思想の中核の一つ、「天命思想」(天の命令により為政者が変わる=易姓革命の口実)も受け入れず、天皇を絶対的な為政者とすることで、日本には「柱」ができ、これはたとえ武士が権力を握る時代になっても変わることはありませんでした。
こう考えると、なぜ、グローバリスト達が日本の皇室を攻撃するのかも分かるかと思います。
儒教の呪縛に絡め取られなかった日本は、次に、仏教の日本化とでも言うのか、日本の神々との関係、即ち、神道と仏教との関係をどうするかという問題に取り組みます。
この経緯は大変面白いので、是非、読んで頂きたいのですが、ブログ主がキーワードだと思ったものを2つ取り上げます。
まずは、「草木国土悉皆成仏」。
「悉皆」(しっかい)という言葉は普段あまり聞き慣れませんが、漢字から、「悉(ことごと)く皆」=全て、と分かると思います。
これは「本覚思想」(人間には「仏性」が備わっているので、誰でも成仏できるという考え)から進んだもので、本書の言葉(石平氏の説明)を引用すると、「仏性が備わって成仏できるのは何も人間だけに限ったことではない。草木や国土を含めたこの世の森羅万象には皆、仏性が備わっており、悉く成仏できる。」という考えです。
これは、日本人なら、アニミズムとの融合だということが分かると思います。
これを読んで思いだしたのが、上野の不忍池の畔にある数々の供養塔です。魚などの生き物だけでなく「眼鏡」の供養塔を見たときには驚きましたが、日本には「器物が100年を経過するとそこに精霊が宿る」とされる考えがあり、付喪神(つくもがみ)と呼ばれます。
まあ、「ゆるキャラ」の原型みたいなものかもしれません。
別のキーワードは「反本地垂迹説」。
仏教が伝来したとき、日本の神々との関係は「本地垂迹説」で説明したことはご存知だと思います。本地とは「仏としての本体」で、垂迹とは「姿を変えて迹(あと)を垂(た)れた=別の姿」という考えで、日本の神々は すべてインドの仏が民衆を救うために現われたものであるという説明です。
これが、室町時代には吉田兼倶(かねとも)の「反本地垂迹説」(神本仏迹説)に行き着きます。簡単に言ってしまうと、実際に民衆を救ってくれるのは神々なので、こちらが「主」だと、日本の神と仏の立場を逆転させてしまったのです。兼倶は、(著者の言葉を引用すると)「日本古来の正直・清浄の倫理観を『本地』とし、仏教の唱える慈悲を『垂迹』と見なす考えを示した」のだそうです。
古代から室町までの時間をかけて理論立て、現在に至るまで、アニミズムや神道、仏教が、時には融合したりし、共存できる日本人の宗教観が形成されたことが平易な言葉で説明されているので、よく分かりました。
正直に言って、ブログ主はこの本で「八幡宮」とか「権現」などといった意味も初めて知りました。
クリスチャンとか特定の宗教を信仰されている方は別ですが、一般には、「とりあえず仏教徒であり、地元の神社の氏子でもある」ブログ主のような日本人が多いのではないでしょうか。そのような日本人にとっては、宗教は空気のような物かも知れません。
ヨーロッパの大聖堂や京都や奈良にある大伽藍は確かに畏敬の念を抱かせますが、この本は、道ばたのお地蔵様はもちろん、木や石ですら注連縄でも巻いてあれば、自然とそこに仏の心や神性を感じる日本人の宗教観を考える端緒となる本だと思います。
石平氏は日本に帰化されたれっきとした日本人ですが、中国(四川省)で育った知識人だからこそ、書けた本ではないかと思います。
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