【アイヌ】『歌の審判-アイヌのチャランケの話-』(金田一京助/昭和11年3月)
このところ、『金田一京助全集』を拾い読みしているのですが、金田一先生は1882(明治15)年~1971(昭和46)年の方で、作品一覧を見ると、アイヌに関する論文や随筆などは大正から昭和初期のものが多いようです。
従って、書かれていることの中には既に否定された説、例えば「アイヌ白人説」などもありますが、それはそれで当時の認識が分かり、別な意味で参考になることが多々あります。(「アイヌ白人説」は諸説ある中の一つとして、『アイヌの系統』(大正12年4月)に書かれていて、当時はまだ科学的な研究が進んでいなかったようです。)
このような点は1993年(平成5年)出版のこの全集の解説にて指摘されています。
しかし、金田一氏が研究されていた時代はまだ観光客向けではないアイヌ文化が辛うじて残っており、何よりも「アイヌ協会」の横やりが入っていないところが貴重な証言と言えます。
辛うじて、というのは、既に大正14年2月の『アイヌ研究の問題及び方法』では、「アイヌ種族がここ僅々一二代の内に全く地上に其(その)影を収めて了おうとしている事は、皆人の熟知する通りである。」、「今日どんな山中へはいっても、日本語の皆目通じないアイヌは殆ど一人してないようになって居るのである。」と、既にほぼ同化していると分かるからです。
また、「大和民族が此の大八州(註:おおやしま、日本国の美称)の地へ国を建てる以前此島に土着をして居た種族と考えられる」と書いているので、この当時は先住民のように捉えていたことも分かります。
* * * *
このような時代に金田一氏が記したアイヌの風習に「チャランケ」というものがあります。
下は、ネットのコトバンクから引用したものですが、
チャランケ 〔アイヌ語。談判、論議の意〕
アイヌ社会における秩序維持の方法で、集落相互間または集落内の個人間に、古来の社会秩序に反する行為があった場合、その行為の発見者が違反者に対して行うもの。違反が確定すれば償いなどを行なって、失われた秩序・状態の回復をはかった。
三省堂//大辞林 第三版
と、説明されています。
このような説明をもって、"アイヌはもめ事を話し合いで解決する。アイヌは争いを好まない平和な民族だった”という言い方をするのですが、金田一氏が昭和11年3月に発表した『歌の審判-アイヌのチャランケの話-』という論文を読むと、どうもそうではないようです。
金田一氏は村の古老に頼んで再現してもらったそうで、それは議論と呼べるものでは無く、神話の類いの話を「謡曲などのような太い重々しい声調で、独特の美音を張って吟詠していくもの」だそうで、喩えて言うなら、歌合戦で決着をつけるとか、知識の豊富さで決着をつける、というもので、「相手の口をふさがらしたときに勝ち」となるのだそうです。
確かに、暴力は振るわず、むしろ、手を出した方が負けというものだそうですが、決着がついた結果どうなるかというと、負けた方が賠償として宝物を差し出し、けりを付るのだそうです。
賠償はアイヌの言葉で「アシンベ(出すもの)」と言い、太刀、脇差し、鍬先などの道具、女性は装飾品(飾玉)などで、和人がチャランケを掛けられて酒を一斗買わされた話や、またアイヌが和人を騙そうとして和人から談判されるということも伝わっており、宝物を奪うために言いがかりをつけて行われるようにもなりました。
肉体的な罰がないかというとそうではなく、十分な賠償を払えない場合は体刑(身体刑)を加え、棍棒で叩く、足の筋を切る、特に姦淫は重罪で、鼻を削って放逐されたりしたそうで、とても、現在、まことしやかに言われる平和的な解決方法とはほど遠いものだったことが分かります。(画像は最終ページ)
これを読むと、世紀末には古いことを掘り起こしてはチャランケを持ちかけて償を取っていたとあり、現在、いわゆる「アイヌ」が日本政府にやっていることと重なります。
明治になり、日本の民法・刑法に従うようになったとあるので、このようなチャランケがまかり通っていたのはそれ以前の話で、和人の社会だってその当時は残酷な刑罰や私刑の類いもあったでしょうし、それはヨーロッパ社会もまた然り。
「アイヌ(協会)」が「民族の誇り」と「誇り」を強調するのは劣等感の裏返しだという指摘がありますが、劣等感を克服するために「美化」によって歴史や事実を塗り替える行為こそが惨めではないでしょうか。
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