【沖縄県民投票】衆愚政治に陥る「直接民主主義」礼賛
公開: 2019/01/12 22:29 最終更新: 2019/01/13 10:40
1996年9月8日、沖縄で県民投票が行われました。
なぜ、このようなことを今更言うのかというと、手元にある『「悪魔祓い」の現在史―マスメディアの歪みと呪縛』(稲垣武著/1997年11月)に、この時、リアルタイムで著者が見たマスメディアの姿勢や著者の感想などが書かれていて、今回の県民投票にも通じるものがあるので、是非ご紹介をしたかったからです。
このブログエントリーのタイトル、『衆愚政治に陥る「直接民主主義」礼賛』とはこの沖縄県民投票について書かれている章のタイトルです。
1996年の県民投票は1995年、つまり、県民投票の1年前の9月に発生した米兵による女子小学生暴行事件がきっかけとなりました。(Wikipedia『1996年沖縄県民投票』)
県民投票の設問は「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定見直しの賛否」というもの。
当時、ブログ主は沖縄の状況は詳しくは分かりませんでしたが、この時は、日本全体で「日米地位協定」が問題視され、新聞やテレビでもしばしば取り上げられていたことは覚えています。
在京メディアでさえそうなのですから、沖縄メディアのことですから、相当扇情的に報道されていたことは想像に難くありません。
しかし、投票率はどうだったか?
実は、この時の投票率はメディアの事前の予想を裏切り、59.53%しかありませんでした。直前の県議選は66%だったにも関わらず、です。
4割強の沖縄県民は棄権したのです。
それは、設問が不適切、というか、あまりにも、“言わずもがな”なものだかったからです。
賛否の内訳は、支持:91.26%、反対:8.74% でした。(無効:2.38%)
これを受け、朝日新聞はトップで「有権者の過半数『賛成』」という見出し、毎日新聞も「『基地縮小』賛成9割を超す」、NHKのニュースでもこのニュースを伝えるアナウンサーが「圧倒的多数が賛成した」と言っていたそうです。
59.53%の9割賛成なので、過半数はともかく、毎日の見出しはひどいですね。
社会面では、朝日が「『基地は嫌』ほとばしる沖縄からの重い問い」と絶叫調。読売は大見出しこそ「『基地縮小を』重い民意」と朝日と似た調子ですが、「棄権にも重みがある/現実感覚示した投票率/識者の見方」という見出しと内容で冷静な分析をしていました。産経は第二社会面で「伸び悩んだ投票率/設問への批判も」と、朝日とは正反対でした。
この時のTBS「ニュース23」(筑紫哲也キャスター)の報道ぶりも面白いのですが、長くなるので割愛します。
県民投票に関する著者の分析を要約してご紹介すると、以下のような内容になります。
- 地位協定に関しては、暴行事件を契機に専門委で見直しを協議し、凶悪犯については起訴前の日本側引き渡しに合意、それに基づいて、96年7月に佐世保で起きた強盗殺人未遂事件に適用されている。
- その後、県民投票を経て、沖縄県が見直し要求案をまとめて政府に提出、9月22日に新進党が米政府に協議の申し入れ、11月2日には与党三党が具体的解決策を提言しているので、県民投票は、見直しの具体案の選択肢を列挙して○をつけさせるようなものならまだしも、見直し自体の賛否を問うのはナンセンス。
- また、米軍基地の整理・縮小も、聞かれたら「賛成」なのは分かっていること。
- とは言え、沖縄の地理的位置や移転先の利害(エゴイズム)もあり、「願望」が簡単に叶うものでもない。そういいった問題を一つ一つ解決しながら沖縄の方の要望に応えるのが政治の役割である。
- この設問(米軍基地の整理・縮小と日米地位協定見直しの賛否)は単に「願望の有無」を聞くだけで、「ワン・イッシュー(ひとつの争点)」どころか「イッシュー」にもなっていない。
また、別の箇所では以下のように書いています。
- 大田沖縄県知事は「基地のない沖縄」をスローガンに選挙を戦ったと言うが、それなら、むしろ「沖縄独立」を掲げた方が筋が通っている。
これは、今回、玉城デニー県知事が行おうとしている県民投票も同様ですが、突き詰めれば、日本の安全保障や日米の安保協力に関わることであり、本来、一つの県で投票をしても意味がないことなのです。
例えば、町村の合併とか、それに伴う町名の決定とかなら住民で議論する意味も、決定する権利もあります。また、最近、ブログ主の住む神奈川県にある鎌倉市で市役所の移転(駅前から少し離れたところ)に関して反対派が住民投票を求めるための有効数の署名を集めましたが、住民投票は議会で否決されました。
沖縄県が行おうとしている県民投票はこれらとは異なるのは明らかでしょう。
地元(辺野古)のコンセンサスを得た上で日米国家間で合意したことを一地方自治体の「民意」とやらが、あるいは首長がひっくり返そうとするなら、玉城知事は「沖縄独立」を掲げて県民の真意を問うたらいいのです。
最後に、本の中の一節をご紹介します。
「賛成投票せざる者は県民にあらず」といった一種の踏み絵のような設問を振りかざし、78%が国庫補助という破綻寸前の県財政から4億8千万もの県費を投じ、県庁から市町村職員まで総掛かりで住民投票のPRと投票への動員に狂奔する一方、基地縮小後の沖縄経済振興や跡地利用、軍用地を返還された後の地主達の生活の方途などに対しては何らの具体策も示さない県の行政に対する不満と反感が大量棄権に走らせたのではないか。
さらに日米安保反対という政治的意図を隠しながら、法的拘束力もない住民投票に訴えて、最高裁で敗訴した公告縦覧拒否という自らの政治的立場を強化しようとする大田知事の不信も強まっているのかも知れない。
名前や数字などを少し入れ替えたら、今回の県民投票批判や翁長(玉城)県政批判にそのまま使えそうです。
さて、2月の県民投票は、既に4市が不参加を表明し、うるま市がこれに加われば3割以上の有権者数となります。
投票に参加する有権者にも、このことは影響するでしょうから、投票率も気になるところです。
1996年の時と異なり、今回は積極的に投票に行くからといって「(埋め立てに)反対」が圧倒的とも思えません。
マスコミの反応も含め、色々と興味の尽きない県ですね。沖縄県は。
* * * *
少し本について追記を。
この本の著者、稲垣武氏は元朝日新聞記者で、「悪魔祓い」という言葉は、後の著書、『「悪魔祓い」の戦後史』(2015/1/21)にも使われていますが、「悪魔」というのはいわゆる「進歩的文化人」、つまり、朝日や岩波的な文化人、言論界のことと言ってもいいと思います。
「悪魔祓い」は、こうした、戦後から言論界に跳梁跋扈した悪魔の呪縛から脱することを意味します。
本のタイトルにも注意。
「現代史」ではなく「現在史」です。著者が現在(当時)起こっていることを現在進行形で書き綴った文だと思います。
実はブログ主はこの2冊とも昨年末に入手し、気になる章を拾い読みしているだけで、通読はできていなため詳しい書評は書けませんが、どちらも面白い本です。
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