【竹島】「独島は512年から韓国領」の謎が解けた!
先日のエントリー『【竹島】韓国では512年から竹島を領有と学校で教えている!?』に書いたように、島根県の中学に韓国の中学生から届いた葉書に「独島は512年以来の領土」と書いてあったそうですが、その根拠、と言っても、あくまでも、韓国で言われている根拠ですが、が分かりました。
結論から先に書くと、韓国では、
“伽耶(かや=任那)を滅ぼしたと伝えられている新羅の異斯夫(イサプ)将軍が512年に鬱陵島(うつりょうとう/ウルルン・ド)とその周辺の島を領土とした”
と教えられているようです。(リンク先はWikipediaの『異斯夫』の項)
以下、判明した経緯と補足説明です。
たまたま観た動画ですが、そこにこのようなシーンがありました。
Anti-Japan education in Korea (English subb)
2009/02/20 に公開
- https://youtu.be/BZHy2NDU9R8 (2:39辺り~)
この動画は日本のワイドショーかなにかで放映されたものらしいのですが、「竹島問題が話題になった今年の3月から特別に授業が行われている」とあり、この小学校で始まった「独島の授業」の風景というのが出てきます。
いつ(何年の)3月からかはこの動画からは分かりませんが、この中で、子どもの声(吹き替え)が「小泉、月に代わってお仕置きよ」と言うシーンがあることから、調べたら、小泉純一郎首相(在任期間:2001年4月26日 - 2006年9月26日)が、2004年1月頃に下のような発言をして韓国で問題になっていたことが分かりました。韓国で「独島教育」が始まったのはこれが発端のようです。となると、2004年の3月から、ということになります。
http://www.asyura2.com/0401/war46/msg/584.html
投稿者 シジミ 日時 2004 年 1 月 13 日 20:45:28:eWn45SEFYZ1R.
小泉首相の竹島発言「不適切」=田中前外相、韓国で批判(時事通信) -靖国参拝についても批判
【ソウル13日時事】韓国の通信社・聯合ニュースは13日、訪韓中の田中真紀子前外相が同日、延世大学の金雨植総長と会談した席で、小泉純一郎首相が竹島(韓国名・独島)を「日本の領土」と発言したことを「不適切な発言をしたと思う」と語ったと報じた。田中前外相はさらに、日韓両国の友好関係にとって「小泉首相の『竹島発言』と靖国神社参拝は意味がない」と批判した。 (時事通信)
[1月13日19時2分更新]
『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する: 歪曲された対日関係 』(小学館文庫、2001/7/6 )という本によると、この当時の韓国の教科書では下のような記述がなされていたそうです。
独島は鬱陵島に附属する島で、古くから我が国の領土として連綿と伝えられてきた。
朝鮮初期に流民を防ぐため、鬱陵島に住む人々を本土の移住させ、一時的に管理がなおざりになったことがあったが、我が国の漁民達が漁をする拠点として引き続き活用してきた。
(以下略。下線は著者が誤りだとする部分)
地図上では一見近いように見えますが、竹島と鬱陵島は別個の島で、竹島は日本列島の大陸棚にあり、両者の間には水深2千メートル以上の深い海溝がある、と著者は誤りを正しています。
更に、「連綿と伝えられてきた」も大嘘で、朝鮮側文献に「独島」なる名称が現れるのは1906年(明治39年)のこと、と書かれています。
この部分は個人的には自分で確認したいのですが、ひとまず置いて先に進むと、故意かどうかは分かりませんが、勘違いしやすい点はあります。
それは、かつて日本では鬱陵島を竹島と呼んでいたことがあるので、朝鮮の安龍福という人物が勘違いしていました。彼が言ったことは上記本でも外務省のサイトでも論破されているので、ここではこれ以上取り上げませんが、韓国の言い分では、彼は「江戸幕府から鬱陵島(于山島/うざんとう)を朝鮮領と認める書き付けを貰ったが、対馬藩に取り上げられた」ということだそうです。
【参考】外務省: 竹島問題に関するQ&A
取り敢えず、これで512年の謎は解けましたが、最後に異斯夫について調べたときに見つけた中央日報の記事を記録しておきます。
https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=30859
【噴水台】新羅の将軍、異斯夫
2002年08月13日22時08分
新羅(シルラ)の将軍、異斯夫(イサブ)は智将だった。『三国史記』新羅本紀によると、異斯夫は荒ぶる反逆の島、于山国(鬱陵島=ウルルンド)を簡単な計略で征服した。
512年、彼は木で作った獅子を船に積んで島に到着した。獅子の彫刻を海岸側に立てた後、硫黄の火をつけ、あたかも獅子の口から火炎が吹き出るように偽り、太鼓と螺角で轟音を出した。
また「降参しなければ、獅子を島に解き放ってみな踏み倒し、噛み殺してやる」と脅迫し、本当に降服を勝ち取った。鬱陵島の南陽浦(ナムヤンポ)に立っている獅子岩が、その物証だという伝説が今も残っている。
その後、于山国は新羅を経て、高麗(コリョ)と朝鮮(チョソン)の領土になったが、実際は韓民族の流民と倭寇が争い、奪い奪われる血闘が繰り返されてきた。
朝鮮初期、対馬の日本人が鬱陵島に移住したいと申し出たが、太宗(テジョン、注:朝鮮3代王)が許可しなかったという記録を見ると、所有権は厳然と朝鮮王室にあった。
しかし太宗は、倭寇による被害が絶えないと、鬱陵島から朝鮮人をすべて撤収させる空島(注:島を空けること)政策を選んだ。所有権を持つ者が放置した中で、鬱陵島は依然として朝鮮の流民と倭寇が争う紛争の島として残った。
朝鮮王室が所有権を公式に再確認したのは、王朝末期の1882年。鬱陵島内の朝鮮人村が燃えるなどの被害が相次ぐと、高宗(コジョン、注:朝鮮第26代王)は検察使の李奎遠(イ・ギュウォン)を派遣した。
検察使は鬱陵島内の日本人と面談し、彼らが鬱陵島を自らの土地だと信じていることを確認した。彼らの主張の根拠は「大日本国松島」と書かれた標木だった。明治2年(1869年)に立てられたから、何と13年間も鬱陵島が日本の地に変身していたわけだ。
検察使は高さ2メートル、幅30センチの大きさの標識を抜き出して焼いた後、残った灰をかごに入れて石と一緒に深い海に投げてしまった。朝鮮王室の抗議で、翌年日本人らはみな島から出て行った。
青い海にそびえ立つ火山島の鬱陵島は、数多くの迂余曲折の末、韓国の土地として堅く位置付けられた。 貴重な動植物とともに生きていく奇巌絶壁の秘境は、今も変わらない。
環境部が鬱陵島と独島(ドクト、日本名・竹島)を一緒にして海上国立公園に指定することにしたのは、今さら遅すぎる感があり、嘆くべきことだ。にもかかわらず、日本の外務省が独島の領有権を主張し、抗議するという知らせが、大韓海峡を越えてきた。異斯夫将軍があの世で笑っている。
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