【孔子廟裁判】琉球新報、うっかり、自爆記事を書いてしまうw
公開: 2018/11/03 18:43 最終更新: 2018/11/04 5:17
孔子廟裁判(久米至聖廟裁判)の差し戻し控訴審第2回口頭弁論が11月1日に行われ、その報告がチャンネル桜『沖縄の声』で放送されました。
この裁判は翁長県知事が那覇市長時代に那覇市の市民公園内に建てた孔子廟(孔子を中心に、歴代儒者の霊を祀った廟)が、久米崇聖会(くめそうせいかい)という特定の私的な団体の宗教施設であり、このための土地を那覇市が無償で貸与しているのは憲法の定める政教分離の原則に違反しているとして、市と当時の翁長市長を相手取って住民が起こした裁判です。
第一義的には、「市はきちんと賃貸料を請求せよ」ということを求めた裁判で、これは那覇市民なら当然の要求です。
今回の番組では、口頭弁論の解説だけでなく、沖縄のみならず日本人の宗教観を考えさせられて非常に興味深かったので、記録としてブログに残しておきます。
【沖縄の声】辺野古埋め立て工事再開へ/孔子廟訴訟~第2回口頭弁論のご報告[桜H30/11/2]
出演:
又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)
金城 テル(沖縄支局担当キャスター)
ゲスト:
徳永 信一(弁護士)
下記サイト(「一般社団法人久米祟聖会訴訟裁判資料」)に原告(※那覇市)の準備書面と被告(金城テルさん)の答弁書がupされていますが、原告の準備書面も面白くて、つい読みふけってしまいました。
これを読むと久米崇聖会(くめそうせいかい)を作る久米三十六姓という人々は何者か、ということがよく分かります。
※地裁に差し戻されて金城テルさんが勝訴しましたが、それに不服で被告側が控訴したので、控訴審では、原告は那覇市側、被告がテルさん側になります。以降、紛らわしいので「金城テルさん側」、「市側」のように表記します。
- 被告の差し戻し控訴審答弁書 (413kb/pdf)
原告(那覇市)の準備書面(ページ数が多いので3分割)
- 差し戻し控訴審準備書面1 (824kb/pdf)
- 差し戻し控訴審準備書面2 (842kb/pdf)
- 差し戻し控訴審準備書面3 (956kb/pdf)
那覇市会議録キーワード検索(「孔子廟」などで検索)
- 平成 30年(2018年) 4月臨時会-04月23日-01号
- 平成 30年(2018年) 4月臨時会-04月27日-02号
また、議事録の直接リンクは上手く貼れませんが、「議案第72号」(訴えの提起について)が議論されたときの議事録は那覇市のサイトで読むことができます。
この議事録は、4月13日に言い渡された判決(那覇市敗訴)を受けて、城間幹子市長によって提出された控訴の議案に関して議論しているものです。
最終的には控訴に反対する自民党など一部の議員が退出したので全会一致で決議されていますが、一部の議員(前泊美紀議員や奥間亮議員)が控訴しても勝てるのかと疑問を呈する質問をしており、なかなか面白いです。
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さて、掲題の琉球新報ですが、当然、沖縄二紙は翁長雄志前市長とその後継者の城間幹子市長、そして、裁判の参加人である久米崇聖会の味方ですが、うっかり、金城テルさん側のアシストになるような記事を書いてしまいました。
孔子廟は宗教施設か否か、という争点で、久米崇聖会は「公共性があるから私的な宗教施設ではない」という反論をしているのですが、そもそも、この会には久米三十六姓という明代に沖縄に来たシナ人の末裔しか入会資格がありません。それだけでも公共性などないのに、琉球新報の記事により、「女性も入会できない」という閉鎖性が暴露されてしまったのです。
(ノ∀`)アチャー
徳永弁護士は「墓穴報道」と仰っていましたが、オウンゴールというか、逆アシストというか...w
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今後のスケジュール
次回は、原告・被告とも1月18日が意見書の提出期限で、結審は1月31日と決まったそうです。
金城テルさん側では、今、儒教の宗教性について大阪大学名誉教授(加地さん?)が意見書を作ってくれているそうで、市側は今頃、憲法学者に意見書を書いて貰っているとのこと。
徳永弁護士の感触では、裁判官は市側の引き延ばしだと言うことを感じてるようで、恐らく、判決はもう決めているとのこと。
もちろん、負けた方は上告をするので、最高裁で争うことになり、その判決は早ければ来年、もしかしたら再来年になるそうです。
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以下は動画を観てのブログ主の覚え書き(出演者の発言-断りがない場合、徳永弁護士の発言、敬称略)やら雑感ですので、動画をご覧になればお読みになる必要はありません。
差し戻し審で「孔子廟は宗教施設である」と判断されて負けた市側(+久米崇聖会)としては、当然、「宗教施設ではない」という申し立てを準備書面で述べています。しかし、素人が読んでも、的外れというかピントがずれているのが分かります。
苦し紛れにも程があり、久米崇聖会のwebページに書いてある内容を金城テルさん側が証拠として提出したらしいのですが、それについて、「何者かが改ざんした」などと言い張っています。
■年に一度行われる「釋奠祭禮」(せきてんさいれい=孔子祭り=その日に降りてくる孔子の霊を供応する儀式)を市側は宗教儀式ではない、沖縄の伝統文化と言い、儒教は宗教ではなく学問だと言うが、儒教に学問の側面があると言って宗教の側面がないとは言えない。
日本に仏教が入ってきたときも新しい学問としての側面はあった。
儒教は道徳だと言うが、キリスト教やイスラム教など西洋の宗教も道徳の要素はある。
■那覇市も久米崇聖会も 「○○(ex. 学問、公共性がある、孔子は実在の人物)だから宗教じゃない」と主張するが、宗教っは何かという定義が抜けている。
孔子は実在の人物だから宗教じゃないと言うなら、菅原道真を祀ってる天満宮はどうなんだ?
■憲法でいう宗教とは『超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為』をいう、というのが、「津地鎮祭訴訟」で名古屋高裁が出した見解で、これが定着している。
「釋奠祭禮」はまさしく孔子の霊を呼び寄せる儀式。
→〔又吉〕1年に1回の祭礼のとき大きな門が開くが、これを通っていいのは孔子の霊ということになっている。
→そのような門がある施設は宗教施設以外の何者でもない。
■公共性というなら不特定多数の人が利用できるものでなければならない。しかし、久米三十六姓の末裔でしかも男性しか入会できない会の施設に公共性などない。
■これは、中国の 宗族(そうぞく/男系の血縁)という考え方。日本と違って、中国や韓国は血縁が強い。日本は血縁から地縁へと移行した。だいたい鎌倉時代には農耕を中心とする地縁社会へ。だから、共同体毎に祭がある。
■孔子廟や「釋奠祭禮」が沖縄の伝統文化として根付いているとは言えない。
→〔又吉〕「釋奠祭禮」なんて沖縄の人はまず知らないし、孔子廟も近所の人くらいしか知らないだろう。
■日本の仏教は儒教を取り込んでいる。インド(の仏教が正しいとは限らないが)では元々、死んだら来世は象になったり虫になったり、と輪廻転生という考え方。(それから解放されるのが「解脱」)だから、基本的に位牌やお墓はない。 しかし、日本の仏教は、「先祖供養」である。これは儒教の「孝」の考え方。
→〔又吉〕沖縄ではお盆などのご先祖を供養する際に紙のお金を供える。(方言で「ウチカビ」というらしい。)これは、先祖があの世でもお金に困らないようにするもの。
→日本(沖縄)で仏教の行事として先祖崇拝とか先祖を金銭的に援助するという行為は本来の仏教とは異なる。これが「孝」。
■先祖に対する「拝み」は儒教の宗教性だ、ということを学んだ。儒教の考え方は、「人は『魂魄』(こんぱく)から成る。
どちらも「たましい(魂)」だが、「魂」は死後、天に上り、「魄」は地にとどまる(地下に潜る)。これが分かれること=死。
これを蘇らせるためには天上に昇っていった「魂」をお香の香りで呼び寄せ、地下に潜っていった「魄」をお酒を撒いて呼び寄せる。「魂魄」は先祖の身体を受け継いだ子孫の身体を「依り代(よりしろ)」として復活する。
この儀式を子孫代々やらないといけないというのが儒教の根本教義である「孝」。単なる「親孝行」ではない。
■この裁判を通じて学んだのは 久米三十六姓が沖縄の中でどういう役割を果たしてきたのかということ。
16世紀の明の時代、冊封体制のもとでシナと貿易をするのに、文書などを書く必要があるので、それを行う技術集団として一族がやってきた。それが久米村に住みついて、久米三十六姓となっていく。
■「久米崇聖会」や「釋奠祭禮」は彼等のアイデンティティ(自分達は文明国からきたという選民意識)を確認するための組織であり宗教儀式。
彼等が文化をもたらしたことは否定しないが、「釋奠祭禮」や孔子廟が果たして沖縄の文化として根付いていたか? 彼等は沖縄の伝統文化になっていると言うが、それは無いと思う。
→〔金城〕彼等はずっと支配階級で琉球の人は下に置かれていた。
〔ブログ主〕廃藩置県=沖縄ではこれを被害者意識を持って「琉球処分」と呼びますが、久米三十六姓はこの時、清に行って兵を出してくれと頼んだそうです。また、彼等は日清戦争の時に清の勝利を祈っていました。
■かつて久米三十六姓と呼ばれる人達の役割があったとしても、それは明治維新で無くなった。
それが、孔子廟で中国との繋がりを強調し始めたあたり、政治的な臭いがする。
「孔子の名前を使って世界を侵略しようとする中国の政治的思惑に利用されているという感じがする。孔子学院は工作機関と海外では認定されている。
→〔金城〕明倫堂ではそういう集会をやっていると見ている。彼等の出している冊子で読んだ。
■今回知ったが、孔子廟を以前あったところから公園に移動するとき「拝み」をやっている。これをやっているのがユタと呼ばれる女性と言ったら、あれはユタじゃなくてカミンチュだと言ってきた。しかし、どっちも宗教の人じゃないのか。「カミンチュ」は「神の人」と書く。
→〔又吉〕ノロというのもある。これは公的な拝み屋(神官)。ユタは民間の拝み屋さん。
〔ブログ主〕ノロのまじないは独特なリズムがあるそうで、これが沖縄音楽のメロディーに使われているという。
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久米崇聖会の記事、とても分かりやすいです
面白いので又来ます
投稿: | 2020/07/30 08:14