韓国統治は併合か植民地というおかしな議論
公開: 2018-11-19 09:43:50 最終更新: 2020/08/22 19:22
ここで言いたいのは、言葉の定義をせずに「併合」とか「植民地」だとかを議論するのは馬鹿馬鹿しいということです。
もう一つ、言葉というのは生き物です。後世に作られた「定義」が、過去のその時点の定義や理解と同じか?ということも考える必要があります。歴史を検証した後で作られた定義でその当時のことを判断するというのは、まるで「後出しジャンケン」みたいなものです。
1.植民地と植民地主義
よく、「韓国を植民地にした」というと「植民地ではない併合だ」ということを言う方がいます。
「植民地」を辞書で引くと、確かに、
【明鏡国語事典】
- ある国からの移住者によって開発・形成された地域
- ある国の経済的・軍事的侵略によって支配され、政治的・経済的に従属させられた地域
と、侵略して搾取するというニュアンスの意味が書かれています。
ブログ主も、このニュアンスがあるために韓国の日本統治について「植民地」という言葉は誤解を与えるので不用意には使いません。また、「植民地ではなく併合だ!」と主張する人も2の意味で言っており、尤もだと思います。ただ、当時、日本人が朝鮮や台湾を「植民地」と呼んでいる資料はいくらでもあるし、第三国が「朝鮮半島を日本の『colony』と見なしている」例もあるので、ご注意下さい。
(普通はそこで、当時と今とで全く同じ意味で使っているのだろうか?、日本語の「植民地」の定義は他言語の「植民地」と違うのではないか?という疑問が湧くはずなのですが...)
但し、このエントリーで書くことは日本人同士の議論の場合であって、韓国人相手に議論する時は、「朝鮮は日本の一部になり、朝鮮人は日本人になった」ということを強調した方がいいと思います。これを理解していないので、例えば、文化財(石窟庵)を当時の最新の技術(コンクリート)で修復したのに、「文化財をダメにした」などと言うです。自国の文化財を毀損するはずがないのですが。植民地近代化論は受け入れられても「朝鮮人は日本人になった」と言うことを理解できる韓国人はほとんどいません。
実際、1の意味は、古代ギリシアの植民市やローマのコロニア(colonia)のような移住地のことで、これが原義。帝国主義の時代を経て、新たに追加された概念が2です。「colony」という英単語が「耕作する人」というのが原義ですから「拓殖地」です。
ただ、「搾取」というニュアンスは、結果として搾取したからという“後付け”の定義だと思っています。
あるいは、「搾取」を目的に「植民地」にする(した)という「植民地主義」を「植民地」の定義にまで持ち込んで、「手段」(植民地)と「目的」(搾取)をごっちゃにしているせいだと思います。(言葉というのは、いつから使われたのかも大事。「植民地主義」の始まりの時点でこの言葉があったというより、後から歴史を検証して「植民地主義(の時代)」と名付けられたのだと思います。)
しょくみんち しゅぎ[6] 【植民地主義】
帝国主義的な先進国が自国の植民地を原料・商品市場として利用すると共に、住民を政治的・軍事的に抑圧・支配し、また他国の植民地や発展途上国を侵略して勢力の拡大を図ろうとする政策や思想新明解国語辞典 第七版 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2013
2.植民地は搾取の対象なのか?-パラオの例
例えば、パラオは大東亜戦争(第二次世界大戦)で日本の「委任統治領」になり、南洋庁がおかれ、多くの日本人が居住、パラオの人達に日本語を教えました。そのため、今でも、現地の言葉に日本語の名残もあります。
上:『日本を愛した植民地』商品画像
そして、当時のパラオをどう呼ぶかというと「植民地」です。(後述しますが、この言葉には「狭義」と「広義」があります。)
但し、日本はヨーロッパの国の植民地のような搾取はしておらず、今でもパラオの人達は日本の統治時代を懐かしがってくれていることはご存知の方も多いでしょう。
下:昭和天皇在位60年を提灯行列で祝うパラオの人々

「植民地」の定義に搾取だの侵略だのというという属性を与えている人は、ここで行き詰まってしまうはずです。
もう一つ、「併合」と「植民地」を対比させるのは国語の問題としておかしい。
「併合」は『動作あるいは行為』、「植民地」は『状態』を表す名詞です。
「○併合する」とは言えますが、「×植民地する」とは言えず、「○植民地化する」のようにいう必要があります。
従って、「○併合して植民地とする」というのは文法的、論理的には正しいのです。
後ほど例を提示しますが、併合(朝鮮)や割譲(台湾)によって新たに増えた領土を表す「○○地」という良い言葉があればいいのですが、それが無いために「植民地」と呼んだ例はいくらでもあります。「外地」という言葉がありますが、これは「内地」に対する言葉であり、視点が異なります。
また、「併合」という言葉自体は少なくとも日本語ではニュートラル(中立的)な言葉ですが、通常は強国が弱小国を飲み込むわけで、「平和的な併合」もあれば「武力で脅してむりやり併合」することもあり得ます。ただ、「併合」という言葉はそういった特殊な“色”が付いていない『プロセス』を表す言葉として使われているだけだと思います。
3.「colony」と「植民地」
注意しなくてはならないのは、日本語の「植民地」と外国語、例えば英語の「colony」。語感とかニュアンスも含めて1:1で対応するとは限りません。従って、外国語での定義を持ち出して議論するのも的外れ。
調べてはいませんが、そもそも、欧米人にとって、「植民地」という言葉にネガティブな意味があるのかは疑問です。おそらく、彼等はかつての植民地支配に罪悪感など持っていないだろうし、「植民地」もニュートラルな言葉でしょう。
実際、ニュージーランド(※)に旅したときに、イギリス人が入植した当時の建物を「コロニアル様式」と呼んで観光スポットとしているのを知りました。日本人が昔、ハワイやブラジルに移住しましたが、これも「入植」です。つまり、「新天地への移住」程度なのでしょう。(なお、後者の場合の「入植」は英語ではimmigrationの方が適当だと思います。)
※ここは読み飛ばしても構いません。
ニュージーランドへの移民は計画移民です。よく、オーストラリアは流人と言われますが、イメージは少し違います。
確かに最初に送り込まれたのは罪人なのですが、その罪状はというと、ガチョウを何羽盗んだとか、小麦粉を何キロ盗んだとかの微罪の犯罪者です。当時、ロンドンの牢屋がいっぱいになっていたこともあって、オーストラリアに送り込まれた人達で、従って、開拓の先鋒隊のようなものだと思います。(昔ペーパーバックで読んだ英語の本で、タイトルも忘れたのですが、)確か、到着すると船員も罪人も一緒になって乱痴気パーティーをしたという説明がありました。
こんなことを考えたのは、『THE NEW KOREA』という本を読んだからです。
この本の著者を説明する「出版社のコメント」をAmazonの商品ページから引用して紹介しますが、著者は日本の韓国統治も「植民地経営」と見なしています。
著者のアレン・アイルランド(Alleyne Ireland)は、1871年-1951年イギリス生まれの世界の植民地統治研究の専門家、第一人者です。シカゴ大学委員、王立地理学会特別会員であり、アメリカの雑誌などに広く執筆活動を行なっていました。
1901年、米シカゴ大学の招きにより、極東の植民地運営を研究するための委員会の責任者に任命され、3年間極東に派遣され、イギリス、フランス、オランダ、そして日本による植民地経営のシステムを研究しました。6カ月間のフィリピン滞在の後、アメリカに戻り、新しく設立されたシカゴ大学の植民地・商業学部の責任者に就任。日本による朝鮮の合邦政策について研究をまとめ、1926年にニューヨークで「THE NEW KOREA」を出版しました。「THE NEW KOREA」は韓国で翻訳出版された以外はその存在は知られていませんでしたが、87年の年月を経て2013年に弊社で完全対訳本として出版致しました。
アレン・アイルランド氏は、中立の立場、または欧米の立場にいた学者です。彼が実際の朝鮮半島を見た上でまとめた本書は、大変貴重な第一級資料であり、研究論文です。
その研究方法は、様々な客観的データを用いて中立的な立場で現実を把握することに努めており、研究は学術的に高い評価を受けています。当時広く執筆活動を行ない、著書は10冊あります。
本書は、朝鮮史を語る上で欠くことができない書籍です。
この本は、原文(英語)と翻訳(日本)を見開きの左右に並べた、いわゆる「対訳」ですが、例えばこんな文が出てきます。
“It is my purpose to examine Jaanese rule in Korea as a concrete example of colonial administration, ...”
(日本の朝鮮統治を植民地統治の具体例として検証するのが本書の目的であり...)
“The annexation of weak country by strong countries is a phenomenon which has persisted since the beginning of recorded time; practically every strong nation has practiced the habit.”
(強国による弱小国の併合は有史以来存続している歴史的事実であり、実際、全ての強国が繰り返し行ってきたことである。)
著者は韓国は日本に「併合」されて国と理解しつつ、そこでの統治を「植民地統治」と呼んでいます。
4.「植民地」-広義と狭義
下はマイペディア(平凡社)の説明の冒頭。
本国の政治的・経済的支配下に置かれた地域をいい、完全に本国の主権下にある領土(狭義の植民地)のほか、自治領、保護領、租借地、信託統治、委任統治領なども含まれる。
(中略-古代ギリシアやローマの移住地の例)
現在では一般に15世紀の「大航海時代」以降、西欧諸国がアジア、アフリカ、アメリカに進出して割取した地域をいう。これは単なる移住地ではなく、本国の政治的支配下に置かれた略奪貿易の対象であり、資本主義の生成期における資本の原始的蓄積の要因であり、更に進んで本国の原料供給地および過剰資本・資本の投下・販売地となった。始めはスペイン、ポルトガル...(以下略)
パラオはここでいう広義の「植民地」に当たるわけです。
国語の問題になってきますが、中略の前が定義、後ろは「植民地」の名の下で行われた行為や事象を説明しています。ブログ主には後半までを含めて定義とするのは抵抗があります。
このマイペディアの説明に則るとすると、「植民地」という言葉は“ざっくり”とした言葉です。「国際法」上云々いう場合は、狭義の厳密な区分けで語るべきでしょう。
日本の韓国統治に関し、文書上などで「植(殖)民地」という言葉を使っていることがありますが、これで、やっぱり「植民地だ」と鬼の首を取ったように言うのは「植民地」の概念が幅広いのですから愚かなことです。
ブログ主には「韓国は植民地ではない!」という主張も分かります。当時は軽い気持ち(かどうかは分かりませんが、「拓殖地」程度の意味で)で使っていた「植民地」という言葉に対して、戦後、「侵略」だの「搾取」だのと言った属性がつけられたら、「それとは違う」と言いたくなります。実際、アイルランド(1801年、イギリスが併合)は「植民地」と呼ばれないのですから不思議です。
詰まるところ、「植民地」か「併合」という言葉を巡る論争は、「朝鮮人を搾取したか否か」という議論の代理戦争をさせられているのだと思います。
前述のように『日本を愛した植民地』という本があっても、誰もパラオのことなど口に出さないことからも、むしろ、「植民地=搾取」論者には都合が悪い事例であり、朝鮮半島だけに持ち出されるからです。
* * * *
ここで、朝鮮について、併合に至った経緯を見てみましょう。
1876年(明治9年)の日朝修好条規(江華島条約)では朝鮮を独立国として各国が承認します。これに先立つ江華島事件は日本で言えば、黒船に象徴される列強の威嚇で、日本はこの黒船の立場。〔正確には、朝鮮は清の顔色を窺って、独立国とは自称しないのですが、とにかく「国」として他国と条約を結ぶ事で、朝鮮と清の切り離しの第一歩になります。〕
尤も、日本の目的は中国の属領として不安定な朝鮮が自主自立してくれれば良かったので、これで朝鮮が実際に独立国としてしっかりしてくれればこれだけで良かったのですが、清との宗属関係は依然として残り、国内に動乱が起こるとすぐに清に頼る李王朝の事大主義のせいで日清戦争。1895年に結ばれた下関条約(日清講和条約)第1条で朝鮮を完全に独立した国と清に認めさせ、大韓帝国成立。(この時建てたのが「独立門」)
日清戦争で日本が勝利しても、三国干渉を受ける日本を見て馬鹿にし、今度はロシアにすり寄り、依然として一族の中で覇権争い。反閔派(反閔妃)派により閔妃が暗殺されると、高宗はロシア公使館に引きこもり。そのため、日本は日露戦争(1904~05年)でロシアと戦う羽目に。
〔1904年8月8月19日~ 旅順攻囲戦(日露戦争)・・・これ以降、**日露戦争中の出来事**〕
1904年8月22日に結んだ第1次日韓協約では、日本は外交・財政権を剥奪。
1905年7月29日 桂タフト協定・・・日米はアメリカのフィリピン統治と日本の韓国に対する優越支配とを相互に承認
〔1905年9月5日 ルーズベルトの斡旋で**日露戦争終結**(ポーツマス条約)〕
1905年11月17日の日韓保護条約(第2次日韓協約)で保護国化。
1907年の第三次日韓協約で内政監督権を取得。国内の愛国者等が結成した一進会(李容九)は対等な合併を望むも、1910年併合。
大雑把ですが、こんなプロセスを経ての併合です。
これを、先の『マイペディア』の定義に則って見れば、「独立」→「保護領」→「併合」という状態の変化は、徐々に植民地化の度合いを深め、最後は併合に至ったとなります。もう一度書きますが、ここに「搾取を目的とした」という『色』をつけてしまうことが話をややこしくしているのです。
ブログ主は、「併合」と「植民地」を分けたがる人こそ、むしろ1904~1910年の6年間は「植民地」だと認めないとフェアではないと思います。
また、併合された側は曲がりなりにも「李氏朝鮮→大韓帝国」という「国家」であったわけで、これが徐々に主権を奪われていくのですから、この感情を慮(おもんぱか)ることなく、「近代化してやった」部分だけを主張するのも傲慢ではないかと感じます。もちろん、韓国国内や日本の反日活動家が流布している慰安婦や徴用工などといった歴史の歪曲については糺していかなくてはなりませんが。
* * * *
以下は雑談。
仮に韓国国民が正しい歴史を知ったとしたら、それはそれで、劣等感を持ったり屈辱を感じたりするでしょう。
そして、その屈辱を味合わせた日本を恨むのも感情の問題だからとやかくは言いません。(感情を「正しい」、「間違っている」とジャッジはできないことですからね。)
しかし、これって、例えば、日本が開国前に散々列強にやられたことで、我が国はいくつもの不平等条約を結ばされました。
先月、フランスで、日仏交流160周年の記念式典が行われ、日本の自衛隊が堂々とシャンゼリゼをパレードをしましたが、その時、ふと、160年前に何があったっけ?と思って、調べたら、「安政五箇国条約」(米、英、仏、蘭、露)と知り、思いっきり不平等条約やないかい! と思ったことがありました。
日本はこうした不平等条約を独力で改定してきたので、フランスやオランダなどを一千年恨むなどということはありません。
臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは、日清戦争後に三国干渉を受けた日本人の合い言葉になりましたが、この復讐心も克服しました。
Tシャツだのミュージックビデオだので溜飲を下げるようなみみっちいことをやっていて恥ずかしくないのかと。
いや、恥ずかしくないのだろうなあ。
韓国の歴史には独力で打開したという事実が殆どないのです。「解放」すら、日本の敗戦によるものですから。(だから、抗日パルチザン〔笑〕で独立を勝ち得た金一族を首領に戴く北朝鮮を「正統」と見なす人が韓国人にもいるのです。)
日本は大東亜戦争こそ負けましたが、日清、日露の戦争ではカタルシスを感じることができます。彼等にはこれがないから、コンプレックスになっている。だから、彼等は何かというと秀吉の朝鮮出兵(李舜臣の局所的勝利/経過はどうあれ秀吉軍は撤退)を持ち出すのでしょう。“日本の悪行”を言い立てることができるのは、実はこれが彼等にとってカタルシスだからなのだと思います。彼等が日本に対して優位に立てるのはこれか、更に遡って「白村江の戦い」くらいですからね。
以下は追記です。
5.【追記】言葉の意味は時代と共に変遷する
【2019/09/02追記】SNSで面白い画像を見つけたので追記します。
「植民地」とか「併合」とか、国際法上の厳密な表記をする必要がある場合と、慣用的に社会で使われる言葉はギャップがあるものです。
この画像を誇らしげにupしている人の意図は説明するまでもありませんが、ブログ主など、この画像を見ると、むしろ当時は「殖民地」という言葉にネガティブな意味がなかった証拠に思えます。
『拓殖博覧会』という見出しに『殖民地の縮図』というサブタイトルが付いており、朝鮮、関東州(ポーツマス条約に得た租借地)、樺太、北海道を指しているのが分かりますが、どうやら、「殖民地」を「拓殖地」という意味で使っているらしいことが分かります。そもそも、
北海道は日本固有の領土であることは言うまでもありません。
これはポスターのようですが、これとよく似た表紙の本を国会図書館のデジタルアーカイブで見つけました。
『拓殖博覧会記念写真帖』(大正1)という本で、中を見れば分かりますが、現地の建物や風物(虎の剥製など)といった当時珍しいものの写真集に過ぎません。
ところで、「拓殖」という言葉ですが、例えば岩波国語辞典を引くと「(人の住んでいなかった)土地を切り開いて人が住みつくこと。開拓し殖民すること」とあります。広辞苑なら「開拓と植民。未開の地に移住し開拓すること」です。(現在の意味ですが、これ自体にネガティブなニュアンスはありません。)
なお、拓殖大学という大学がありますが、1900年(明治33)アジアで働く人材の養成を目的として創立された台湾協会学校が前身で、台湾以外にも「外地」が増えたことで、東洋協会専門学校などを経て18年(大正7)拓殖大学と改称され、現在に至ったものです。
上の画像をupしてツイートされた方は「北海道を含めて殖民地です」と書いています。
大正14年(1925年)に沖縄県出身の代議士が帝国議会に沖縄救済の建議書を提出しているのですが、その中で「植民地のごとく、特別会計に改めて貰いたい」と訴えています。この経緯を説明すると長くなるの省略しますが、要するに、他県と同様では経済が成り立たないので特別の補助・援助をして欲しいという請願です。「『植民地』扱い」にはそういうニュアンスもあったのです。
言葉には使うシーンによって異なる多面性があるという良い例でしょう。
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コメント
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>隠居様
こんにちは。
>朝鮮は「朝貢が少ない(鮮)地」というのが中華が代々使っていた属国名
それは初めて知りました。
確かに「鮮」という字を辞書で調べると「少ない」という意味があるのですね。
ポジティブな意味では「スッキリとした」(→鮮やか)になるようですが、
「魚と羊で『生肉』の意。生の、切りたての切り目がはっきりした」という意味の会意文字だそうです。
歴史上の出来事というのは「因果関係」があり、様々な人(国)の思惑もあり、それらを多角的に見る必要があります。
しかし、「日帝支配」=悪とする歴史観、「蔑日路線」(あるいは「侮日」)から、全てをそれに合わせて歪めないとアイデンティティが成り立たないのでしょう。
尤も、「蔑日」自体がシナを中心とする「中華思想」から来るのですから、彼等はいまだに「属国意識」が抜けていないわけですね。
日本の天皇陛下を「日王」などと呼ぶのも、天子様はシナの皇帝しかしないという意味ですから。
投稿: 大師小ブログ管理者 | 2019/10/11 10:54
こんばんは・・・
朝鮮併合が植民地支配か否か?・・・秀吉の朝鮮出兵が領地を求めての侵攻なのか?
こんなことは当時の情勢をキチンと知れば「正解」を誰でもが理解できるこんにちですよね?
・秀吉の朝鮮出兵は「キリシタン宣教師から得たフィリピンをたった数隻の軍艦で植民地化した当時最強のスペインが次に狙っていた中華民国とその属国朝鮮をモノにして日本に攻め込んでくるという情報に先手を打った・・・「明を攻め取って日本を護る」という秀吉(実は信長の着想?)らしいですよ。
・朝鮮は「朝貢が少ない(鮮)地」というのが中華が代々使っていた属国名ですから、その地には魅力ある益はなくて飽くまでも明征服の通路でしかない。当の中華でも領地にする価値さえ認めず、朝貢属国に下げていたのだから・・・・。
・清の時代には匈奴と蔑んでいた満州族が中華王朝を建てて、真の中華文明後継者は自分たちだという小中華思想で古色蒼然とした王朝統治(日本の桃山時代級?)を続けて両班横暴の絶貧社会に沈み込んでいたのだから・・
この数百年の遅れを一挙に莫大な国家投資(本来の東北・北海道開発資金を朝鮮に廻した?)で併合に費やして教育体制や治安や重工業インフラ投資に向けての社会の土台を築いた実績。
先に併合した台湾(50年)での開発投資経験も大いにあったのでしょう。
それを・・・なんでしょうねぇ??戦後の莫大な経済支援の「恩?」も置いといて蔑日路線(反日ではない)一方の韓国人には全く愛想が尽きますねぇ
*秀吉が侵攻して「唐辛子」を持ち込んだからキムチが出来たんだ!!歴史を知らんのかと・・・と喚く在日韓国人
*繁華街の飲み屋にひしめく違法滞在韓国人の群れとコリアテリトリーを仕切る在日暴力団の実態や大規模パチ屋
既に文なにがしは在外同胞の居住権を保護する権限を各国領事館に付与したと・・・なんちゃらいってるよ!!
投稿: 隠居 | 2019/10/10 23:42
>閑人様
わざわざコメントをありがとうございました。
ブログタイトルは最初に同窓会の連絡用に立ち上げたのでこんなタイトルになっていますが、ブログ管理人の気ままな個人ブログです。
「植民地」に変な"色”をつけて「植民地ではない!」と言ったところで、言葉の定義など変わっていくもの(あるいは、意図的に変えられるもの)であるので、表面的な言い争いをしても無意味なんですよね。
現に北海道ではアイヌ(協会)によって「開拓」は「侵略」とほぼ同義にされてしまい、使うことをタブーとされています。(日本ハムファイターズが「開拓」の文字を入れたバナーを空港にかけたら抗議され、謝罪する羽目になった。)
むしろ、「植民地ではない!」と拘ることによって、自分の首を絞めているという一面も。
「何をしたか」を議論すべきでしょう。
投稿: 大師小ブログ管理者 | 2019/08/17 09:29
植民地と併合。
そんなに違いがあるのかと検索してたら辿り着きました。
とても参考になります。
言葉をどう使っていくか、悩みどころです。
ハイチなんかでも、同じ事をしてたって韓国人は別の受け取りかたしますからね
虐げられてきたので、被害を受けた事への自負とそれを盾に取る臆面の無さが半端ない
彼らの主張は、自分たちが弱くて主体性がない、事でしかないハズなんですが
新井白石が
「それ朝鮮は狡猾にして偽り多し。利のある所、信義を顧みず」(国書復号記事)
と評してるようなので、文化なんですかね。
お天道様に恥ずかしくない様に、という感覚もないんだろうなぁ
「同窓会」のタイトルに書き込みをどうするか戸惑いましたが、すごく参考になりましたので書き込ませて頂きました。
投稿: 閑人 | 2019/08/17 09:08