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2018/11/01

【徴用工裁判】裁判を起こす韓国人、一方、台湾人は...? 比較するのも失礼w【台湾高座会】

公開: 2018/11/01 10:02  最終更新: 2018/11/02 10:18  

たまたま目に留まったニュース。

週刊実話の記事ですが、数ヶ月前に読売新聞でも報じられた「台湾高座会」について書いたものです。(『徴用工問題』日本に対する「韓国人と台湾人」“雲泥”の違い 2018年11月01日 01時20分)

「台湾高座会」というのは第二次世界大戦中に台湾からやって来て日本の軍需工場で働いていた元・少年工が作る会で、「高座」とは彼等が働いていた「高座海軍工廠」から。

ブログ主が読んだ読売新聞の記事はこの来日に備えて当時の写真などを募集しているというものでした。

 

 

下は記念式典を報じる東京新聞の記事です。

 

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokyo/region/tokyo-CK2018102102000132
台湾少年工 来日75周年で歓迎大会 大和で600人交流、顕彰碑も除幕

東京新聞2018年10月21日08時10分

 第2次世界大戦末期に「高座海軍工廠(こうしょう)」(座間市、海老名市)で戦闘機などの製造に当たった台湾の少年工が来日して今年で75年となる。節目を記念し、元少年工でつくる「台湾高座会」の歓迎大会が20日、かつて寄宿舎のあった大和市であり、関係者600人が旧交を温めた。 (曽田晋太郎)

 一九四三年当時、日本の労働力不足を埋めるため、台湾から十代の少年工八千四百人が来日した。高座海軍工廠をはじめ軍需工場で働き、終戦後に台湾へ戻った。八八年に発足した高座会は日本と交流を続け、来日五十周年時は大和市にあずまやを寄贈するなどしてきた

 歓迎大会は、台湾にゆかりのある県内関係者らでつくる実行委員会が主催し、文化複合施設シリウスで開催。元少年工の二十二人が出席し、高座会の李雪峰会長(92)は「日本を第二の故郷と思っている。今後も途切れることなく交流したい」とあいさつした。父が寄宿舎の舎監だった石川公弘実行委員長(84)は「少年工の人たちは本当に心優しかった。みなさんの存在を後世に伝えたい」と話した。

 大会に先立ち、実行委が七十五周年に合わせて座間市で建てた顕彰碑も除幕された。長年にわたり県と台湾の交流促進に尽くしたとして、黒岩祐治知事は十九日、李会長に感謝状を贈っている。

 李会長は「日本とは切れない仲。高座会の会員は高齢化しているが、会の趣旨に賛同してくれる青年たちに活動をつないでいきたい」と語った。

 

下はこれを報じる『日本李登輝友の会』の記事で、ブログ主と同様、読売新聞の記事を読んでのもののようです。

 

台湾少年工来日75年を期し10月20日に「台湾高座会留日75周年大会」

投稿日 : 2018年8月17日  | 最終更新日時 : 2018年8月22日

http://www.ritouki.jp/index.php/info/20180817/

 

思わず、韓国人と比べてしまいたくなりますが、そもそも、比べること自体失礼...かも。

 

【追記】

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000016-ykf-int
韓国国民が知らない「徴用工」の真実 「強制連行」ではなく「破格の高給」 専門家が緊急寄稿

夕刊フジ 11/1(木) 16:56配信 (松木國俊氏寄稿)

 韓国最高裁は30日、元徴用工4人が植民地時代に強制労働させられたとして、新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償の支払いを命じた。国際法を無視した「異常判決」「デタラメ判決」といえる。韓国国民が知らない「徴用工の真実」について、朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊氏が緊急寄稿した。

 まず、徴用は、戦時下の労働力不足に対処するため、1939(昭和14)年に制定された「国民徴用令」に基づき、日本国民すべてを対象とした義務だった。

 当時、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは国際法に照らしても、問題はない。むしろ、朝鮮半島で「徴用」が発動されたのは44(同19)年9月と遅かった。

 気配りもあった。徴用先は労務管理の整備された事業所に限定され、給与も法律で決められていた。留守家族には収入減の補償まであった。

 44年11月に徴用され、東洋工業(現マツダ)で働いた鄭忠海(チョン・チュンへ)氏が著した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)には、手厚い待遇の様子が描かれている。

 徴用工は清潔な寮で、絹のような布団で寝起きし、食事も十分だった。当時では破格の月収140円という給料をもらい、終戦後には日本人と別れを惜しんだという。

 危険が伴う職場では、さらに待遇は良かった。九州の炭鉱では月収で150~180円、勤務成績の良い徴用工には200~300円が支払われた。屈強な朝鮮人の給与が、体力に劣る日本人を上回ったとされる。

 高賃金にあこがれ、多くの朝鮮人青壮年が、内地に密航したことも分かっている。徴用工が「強制連行」でないことは、数々の資料や証言から判明している「歴史的事実」といえるのだ。

 

 

 

 

 


 

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