【朝日新聞慰安婦報道】櫻井よしこ氏側勝利判断は妥当である/附:慰安婦報道訂正記事
公開: 2018/11/10 14:27 最終更新: 2018/11/10 15:35
このエントリーはこの件に関し関係資料をまとめることを目的としています。
昨日(11月9日)、元・朝日新聞記者の植村隆氏(現・『週刊金曜日』社長)が、櫻井よしこ氏と氏の論文を掲載した雑誌社を相手取って名誉毀損の訴えを起こした裁判の判決が下され、原告(植村氏)の訴えは棄却されました。
ブログ主は判決文要旨(後述)を読んでみましたが、札幌地裁は至極まともな判断だと評価します。
https://www.sankei.com/affairs/news/181109/afr1811090014-n1.html
元朝日新聞記者、植村隆氏の請求棄却 札幌地裁
2018.11.9 16:13元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった植村隆氏が、記事を「捏造」と断定され名誉を傷つけられたとしてジャーナリストの櫻井よしこ氏や出版社3社に損害賠償や謝罪広告の掲載などを求めた訴訟の判決で、札幌地裁は9日、植村氏の請求を棄却した。
※ブログ主註:出版社3社とは雑誌『WiLL』のワック社、「週刊新潮」の新潮社,「週刊ダイヤモンド」のダイヤモンド社のこと
植村氏は櫻井氏のウェブサイトに転載して掲載している論文の削除を求めたほか、謝罪広告の掲載や慰謝料等(各被告ごとに550万円)の支払を求めていました。
ご存知のように、名誉毀損とは、論文の内容が真実であっても、それにより原告の社会的評価を低下させるものであれば成立しますが、公益性があればその過失は認められません。
札幌地裁の判断は、植村氏の記事に対し疑義が生じるのは尤もで、櫻井氏が参照した他の資料からも、「櫻井氏がそう(捏造だと)判断するのは妥当」とし、その目的は公益性があるために過失とはしない、というものです。
植村隆元朝日新聞記者の記事とは
まず、櫻井よしこ氏が批判した、植村隆氏が書いた記事がこちらです。(月刊HANADAセレクション『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞 誤報・虚報全史』に掲載されていた記事画像を雰囲気が分かる程度に縮小したもの。)
この月刊HANADAには他にも当時の朝日新聞が掲載した慰安婦関連の誤報・虚報が解像度の高い画像で掲載されているので、(老眼鏡か虫眼鏡を使えば)テキストも読めます。
櫻井よしこ氏の論文
櫻井氏の公式サイトはこちら(下)で、検索ワードで検索も可能ですが、「植村隆」で検索した結果のURLも掲載しておきます。雑誌記事が転載されたエントリーが含まれています。
- 櫻井氏公式サイト: https://yoshiko-sakurai.jp/ (検索結果)
【追記】櫻井よしこ氏の2016.4.22付産経新聞寄稿文
札幌地裁の判断
これは植村氏を支援する団体のサイト(http://sasaerukai.blogspot.com/)に掲載されていたものをコピペして誤字などを訂正し、体裁を整えたものです。(文字色、下線はブログ主が読みながら付したもの。特に青字は事実認定の部分に使っています。)
11月16日(金)の言論テレビでこの問題を櫻井氏が解説
11月16日(金)の言論テレビでは、2時間に渡ってこの問題を取り上げる特別番組が放送されます。
金曜夜9時からの本放送では会員でなくても無料で視聴が可能です。
11月16日金曜夜9時『櫻LIVE 君の一歩が朝(あした)を変える!』第317回放送は、櫻井よしこキャスターを中心に、同じ植村氏からの慰安婦記事名誉棄損裁判を闘っている麗澤大学客員教授の西岡力さん、今回の裁判で櫻井側主任弁護士を務めた林いづみさん、慰安婦問題も言論の自由にも関心が高いジャーナリストの有本香さん、小川榮太郎氏の著作に対する損害賠償訴訟で朝日新聞と闘う月刊『Hanada』編集長の花田紀凱さんが勢揃いし、言論の自由をテーマに熱い議論を繰り広げます。(HPより番組紹介文を一部転載)
朝日新聞の慰安婦報道の捏造訂正記事一覧
ブログ主が保存しておいた当時の新聞記事です。訂正記事と書きましたが、言い訳を書き連ねているだけのものをここに再掲します。
■『慰安婦問題の本質 直視を』(2014/08/05)
下は朝日の訂正記事が掲載された頃に書いたエントリー(2014/09/14付)に掲載した画像です。訂正記事が掲載された8月5日に編集担当の杉浦信之記者が書いた記事の一部ですが、朝日新聞の姿勢をある種象徴する文章なので、あらためて転載します。
日本で公娼制度が廃止されたのは、連合軍総司令部(GHQ)により1946年、その後も黙認されていた赤線・青線が廃止されたのは1958年売春防止法です。それを、この文では、ボスニア紛争での強姦事件という90年代のモラルを持ち出して、問題をすり替えています。
朝日の姿勢は、吉田証言により騙されて誤報を掲載したという被害者意識が滲み出ており、都合のいい情報を得たことでこれに乗じて散々日本叩きをやったことには何ら反省していません。
下はこの記事の全文です。
■過去の記事の検証結果(2014/08/05)
■新聞販売店宛に出したレター(2014/08/18)
読者からの苦情を受けた(?)販売店宛に出したと思われるレターで、「朝日新聞の過去の報道に対して、言われなき批判」と開き直り、「他のメディアもやってたのになんでウチだけ」と怒り、最後はお決まりの「人間の尊厳を軽視するような論調こそが、むしろ国際社会の中で日本が異端視され、孤立することにつながります」と問題のすり替えをやっています。
■池上彰氏のコラム『新聞ななめ読み』(2014/09/14)
本来は訂正記事を出した直後に掲載されるはずであった池上彰氏が執筆するコラム(『新聞ななめ読み』)を朝日が掲載拒否したことを池上氏本人が暴露したことから、再度非難され、1ヵ月以上遅れて掲載したもの。しかも、他の識者が安倍首相を批判するコラムとともに『オピニオン』のページに掲載された。
「池上彰コラム掲載拒否事件」は他からの意見には耳を貸さない朝日の体質を現している。
■2014/08/05の訂正記事を訂正する記事(2014/09/29)
ブログ主がメモ帳にコピペして保存していたもの。訂正記事でも虚偽を掲載していた。
【29日朝刊の社会面】と【朝日新聞デジタル】 2014年9月29日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S11375306.html(既にリンク切れ)
『慰安婦特集記事の一部を訂正します 朝日新聞社』
8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える(上)」で、朝日新聞社は、韓国・済州島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽だと判断し、吉田氏に関する記事を取り消しました。初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、「執筆した大阪社会部の記者(66)は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』と話す」と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました。おわびして訂正します。
元記者は社内の取材班の調査に対し、当該記事を含めて吉田氏に関する記事を数本書いたと認めていました。しかし、元記者がその後、海外への渡航記録を調べたところ、大阪市内で講演のあった82年9月1日時点で国内にいなかったことが判明し、記憶違いであることが確認されました。その後の吉田氏に関する記事は実際に書いていました。
特集記事の掲載後、当時の大阪社会部にいた別の元記者が「吉田氏の記事を書いたことが1度だけある。初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出ています。
初報が掲載された経緯については近く設置する第三者委員会の調査結果を踏まえて紙面でご説明します。
朝日の慰安捏造報道の経緯
以下のブログエントリーは朝日の虚報が発覚したときにブログ主が慰安婦報道の経緯を時系列にまとめたものです。
【追記】朝日新聞前社長が初めて綴った 「W吉田誤報」の内幕(文藝春秋 2018年2月号/文春オンライン)
以下の寄稿文を読むと、何らかの反省から検証したものではない、ということが分かります。
朝日新聞前社長が初めて綴った 「W吉田誤報」の内幕
文藝春秋 2018年2月号
http://bunshun.jp/articles/-/6111平成26年8月、朝日新聞は過去の慰安婦報道を検証し「吉田清治証言」を取り消した。だが謝罪がないことが批判を呼び、また翌月には元福島第一原発所長・吉田昌郎氏の「吉田調書」についても誤報が判明。責任を取って社長を辞した木村伊量氏(64)が当時を振り返って綴る。
◆ ◆ ◆
朝日新聞社の社長を平成26年末に辞して以来、わたしは沈黙を守ってきました。未曾有の混乱を招いた最終責任を取って社を去った者が、何を語ろうと弁解がましくなるのがおちで、胸の奥にすべて封印しようと考えたからです。一方で、当時の経緯やトップとしての判断を、できるだけ正確に書き残すことは、やや大げさなもの言いをするなら、歴史に対する責任ではないか、という思いが去来してもおりました。社を退いて3年。それなりの時間が経過したこともあり、今回、編集部の求めに応じたしだいです。
慰安婦報道をめぐる経緯はおおむね、平成26年12月に出された「第三者委員会」の報告書にある通りです。社内では平成9年に一度、慰安婦報道を検証したのですが、いわゆる「吉田清治証言」の信ぴょう性には各方面から疑問が相次いでいたにもかかわらず、訂正や取り消しはせず、中途半端な対応にとどまった印象でした。
平成24年6月に社長に就任してまもなくのことです。編集担当の役員から、前年に韓国の日本大使館前に慰安婦像が設置されるなど、慰安婦問題はさらに深刻化すると見られ、朝日としても内々に再調査する意向が伝えられ、同意しました。社のOBから「慰安婦問題を歴代の朝日トップはほおかむりしてきた。君の時代に決着させろ」という私信が届き、販売店ASAや若い記者諸君からも会合などで「いつまで誤報を放置するのですか」とたびたび詰問されるようにもなりました。
平成26年になると、安倍政権が慰安婦をめぐる「河野官房長官談話」の検証に踏み出すという話も伝わってきました。そうした動きもにらみつつ、3月、後任の編集担当のもとに検証チームを立ち上げました。わたしは社内のある席でこう訴えました。「日本だけでなく、アメリカもドイツも中国も韓国も、触れられたくない『負の歴史』を背負っている。逃げずに過去を直視してこそ品格ある道義国家だ。来年2015年は日韓基本条約締結から50年。未来志向の日韓関係を訴えていくためにも、誤報はただし、後世の評価にたえる検証にしよう」
社長室の机の片隅に「The buck stops here.(最終責任は自分が取る)」と書いた紙片を貼りつけていました。たとえ火の粉を浴びようとも不退転で臨む覚悟でした。
その年の8月の検証記事掲載にあたっては危機管理の観点から、編集幹部もまじえた役員の会合で何度も議論しました。当初の紙面案には「おわび」がありましたが、それまでの朝日の慰安婦報道への全面的な謝罪だと読者に受け取られかねない、という意見が数人から表明され、ある役員は「謝り過ぎだ。これでは店(販売店)がもたない」と強く異論を唱えました。最終的にそのトーンで紙面化することが固まりましたが、社長のわたしが一貫して議論を主導したことは間違いありません。
ただ、いまもって「安倍首相と何度も会い、彼の軍門にくだって、慰安婦報道を取り消したそうじゃないか」などと、いわれのない批判を受けるのには暗然とします。首相や政権の要路と慰安婦問題で話をかわしたことは一度たりともありません。(各社政治部長OBの会合を除くと)わたしが社長として首相に会ったのは平成25年2月7日、朝日の編集幹部2人とともに、ホテルの中華料理店にお招きした折だけです。
池上彰さんとはいまも面識がありません。人気コラムの「新聞ななめ読み」は柔らかな筆ながら、こちらの痛いところをズバリと突く硬派ぶりに、「やられたなあ」と苦笑したものでした。このコラムに限らず、社長が外部筆者の原稿に紙面化の前に目を通すのはありえないことです。ただ、このときはどんな経緯だったのか、慰安婦検証を取り上げた池上コラムのゲラが、わたしのもとに持ち込まれました。一読して「役員全員で検証記事のトーンを決めたのに、『おわびがない』という一点をもって検証記事の意味はなかったと言われ、読者の不信を買うようなら、ぼくは責任をとって社長を辞めることになるよ」と、かなり厳しい調子でコメントしたと記憶しています。
掲載までまだ時間はあるし、修正をお願いしようという話になりました。詳細は承知していませんが池上さんとの交渉は難航したようで、今回は掲載を見合わせてなお交渉を続けるとの報告を受けました。「コラム打ち切り」を指示した事実はありません。それがほどなく、途中経過が週刊誌にスキャンダルとして報じられ、わたしは新聞社にあるまじき「言論封殺」に手を染めたとして断罪されることになったのです。
のちに第三者委員会による聴取で「あなたの発言を下の人が『社長の意向』だと忖度したことに責任は感じないか」と問われました(そう、昨今話題になることが多いあの「忖度」です)。「そう思われたというのなら、あえて反論はいたしませんが」と答えたように思います。
だれにでも臆せずにものが言える自由な社風の中で育ち、部下に理不尽な権力をふるった覚えもありませんが、危機管理意識が過剰だったのか、そこは大きな反省点です。「経営と編集の分離」も改めて問われました。「編集内容に対する最終責任は経営、編集管理者に帰せられる」と戦後間もない昭和23年から継承される日本新聞協会編集権声明にありますが、ふだん、社長が社説や記事に干渉することなどありません。新聞社のトップがまず心すべき編集権の擁護とは、ときの政治権力や資本(大株主の創業家など)の介入を防ぐことです(詳しくは申せませんが、この点では社長時代に思いきった環境整備をはかりました)。
暗転した「吉田調書」報道
追い打ちをかけたのが、東電福島第一原発をめぐる「吉田調書」報道でした。平成26年5月20日の朝刊トップ記事を見て、「超ド級のスクープだ」と小躍りしたものです。ところが、日がたつにつれて、「吉田所長の命令に違反」という記事の根幹部分を疑問視する声が社外から相次ぎ、事態は暗転。わたしの記者会見当日の未明になって「編集としては記事の全文取り消しもやむをえません」とのメモが入りました。「それは編集局の総意なの?」。仰天したわたしは編集幹部に問いただしました。ならば、何をか言わん。ジャーナリズムの信用を失墜させた責めは免れません。信頼回復への一定の道筋をつけたうえで社長を辞任するハラをひそかに固めました。
調査報道に実績があり、優秀で信頼していた記者たちによる過ちだけに、いまも悔やまれてなりません。しかし、調査報道こそはジャーナリズムの明日を切り拓く「道標」です。現役記者の皆さんは手痛い躓きに教訓を学んでも、けっして萎縮することなかれ。正確で重心の低い調査報道に、勇気をもってチャレンジし続けてもらいたいと願っています。
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