【沖縄の歴史】沖縄ではいつから日の丸がタブーとなったのか
前回のエントリーで沖縄において「国旗掲揚」を求める運動を進めていた沖縄教職員組合が左翼思想に染まり、解散に追い込まれて「沖教祖」が結成されたのが1971年(昭和46年)と書きました。
今回は、この「国旗掲揚」について、もう少し詳しく見てみることにします。
国旗を巡る問題は「祖国復帰運動」を象徴するものであり、前回、祖国復帰運動は形を変えた安保闘争と書きましたが、日付(「年」)に注目して見てみると、それがよく分かるかと思います。
敗戦後、日本は国旗掲揚は禁じられていましたが、本土では1949年1月にGHQから国旗の掲揚が認められました。(参考:Wikipedia『連合国軍占領下の日本』)
しかし、米軍統治下の沖縄ではそれが認められず、1952年(昭和27年)には、当時の沖縄教職員組合の屋良朝苗(やら ちょうびょう)会長の名前で琉球政府行政主席(現在の県知事に該当)に「国旗掲揚に就いての請願書」を提出しています。
既に、家庭など、政治的な目的を持たない場で国旗を揚げることは許可されていましたが、教育現場においても認めて欲しいという思いを綴ったもので、沖縄返還協定批准貫徹実行委員会の仲村俊子さんが、後に、初めて日の丸が届いた時の喜びを述懐しています。
しかし、喜屋武真栄(きゃん しんえい)氏が組合長になった後、「日の丸に賛成か反対か」というアンケートが届き、仲村さんの学校では賛成が多かったところ、やり直しを命じられた辺りからおかしいと感じたそうです。
Wikipediaで喜屋武氏の経歴を見ると、1968年(昭和43年)に組合長に就任されているので、やはり70年安保闘争と呼応していることが分かります。
時々、チャンネル桜の『沖縄の声』でキャスターのお一人、ボギー・テドコンさんが仰ることがあります。
それは、沖縄では、「日の丸の白は白骨の白、赤は血染めの赤」と教えられている、ということです。
また、沖縄では教科書の『君が代』の上にこれを貼って隠しなさいとプリントを配られることが少なくないようです。
ブログ主が時々Twitterでやり取りをする沖縄の高校生がいるのですが、彼(彼女?)は、テレビで何かのスポーツ大会を観ている時に流れてきた『君が代』を聴き、親御さんに「これ何?」と質問したと言っていました。
前のエントリーにも書いたように、反基地活動に代表される現在の沖縄のイデオロギー闘争は70年安保闘争に根があります。
言い換えれば、彼等の頭の中は昭和40年代半ばで止まっているのです。
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ところで、NHK BS1では時々、前回(1964年)の東京オリンピックの聖火リレーの映像を流すミニ番組を見かけました。
「聖火リレー1964再現プロジェクト」と題しているようで、サイトもあり、そこで県別に作成された番組を観ることができるのですが、第1回、つまり、聖火リレーのスタート地は沖縄でした。
せいぜい2分足らずの動画なので是非ご覧下さい。沖縄が日の丸で溢れています。(動画のキャプチャとともにテキスト化したものをエントリー末に掲載しました。)
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下は『沖縄の声』キャスター、江崎孝氏のブログ『狼魔人日記』です。
- 25年前の日の丸・君が代強制?(2011-06-06)
1986年頃の「日の丸」・「君が代」にまつわる“事件”が紹介されていますが、この頃はすっかり、生徒が洗脳されていることが分かります。
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下は、今年、沖縄に天皇皇后両陛下が行幸された際の奉迎パレードの映像です。
【特番】祝!3.27 天皇皇后両陛下奉迎提灯大パレード ~主催「天皇皇后両陛下奉迎沖縄県実行委員会」~ [桜H30/3/31]
4000人以上の参加者が提灯と日章旗を手にしています。
参考図書
- 『そうだったのか「沖縄!」 』: 仲村覚 (著, 監修, 編集, その他), 仲村俊子 (著), 石井望 (著), 江崎孝 (著) /示現舎 (2015/5/9)
- 『沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史』: 仲村 覚 (著) /ハート出版 (2018/4/18)
このの2冊は内容は被っているところはありますが、同じテーマでも、どちらかにしかない情報もあり、甲乙付けがたいものがあります。
敢えて特色を挙げれば、『そうだったのか「沖縄!」 』の方は石井望・長崎純心大学人文学部准教授の執筆部分(シナから渡来した久米村の住人に関する考察や尖閣諸島)、『沖縄はいつから日本なのか』は幕末の沖縄史が詳しいことでしょうか。
1964年の聖火リレー in 沖縄
下は、(NHKのサイトが消されたときのために)ナレーションを書き取ったものですが、この中で、「日の丸の掲揚が特別に許可され」というナレーションが出てきます。
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1964年9月7日正午、聖火は、台風のため1日遅れて翁穴は空港に到着しました。聖火リレーは拍手と歓声に包まれて、12時40分スタート。
当時の実況:「聖火は沖縄本島を横断し、沿道はどこも熱狂的な歓迎風景を見せ、聖火はこの中を奥武山(おおのやま)競技場に着くことになっております。」
初日、聖火は奥武山公園の競技場で一夜を明かします。
4万人の観衆が見守る中、聖火台に点火されました
翌日、聖火は沖縄本島南部を経由し、島の東側を北上して名護市に向かいました。
名護市嘉陽地区に作られた聖火台。
住民手作りの聖火台は今も記念碑とともに残されています。
日の丸の掲揚が特別に許可され、県民が振る小旗が沿道を埋め尽くしました。
9日、聖火は沖縄本島の西側を南下し、那覇市に向かいました。
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