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2018年11月の31件の記事

2018/11/30

【徴用工・慰安婦】英字紙ジャパンタイムズが英語表記の「強制性」を除いた表現に変更

公開: 2018/11/30 13:51  最終更新: 2018/12/01 10:18  

Twitterで見つけた情報です。

ブログでは文字数に余裕があるので、もう少し説明を加えます。

 

 

読みやすいように、上のツイートに埋め込まれている画像を下に転載させて頂きました。本日(11月30日)付の“The Japan Times”の編集者からのお知らせです。

 

20181130_japantimes

 

 

これによると、

「(いわゆる)徴用工」は、“forced laborer”(強制された労働者)から“war-time laborers”(戦時労働者)に変更。

“forced laborer”はミスリーディングさせる可能性があり、事実は様々な労働形態があったことからという理由です。

また、「慰安婦」は英語で“comfort women”(「慰安婦」の直訳)に付随して“women who were forced to provide sex for Japanese troops before and during World War II”(第二次世界大戦中および前に日本軍に性奉仕を強要された女性)と説明を加えていたのを、“women who worked in wartime brothel, including those who did so against their will, to provide sex to Japanese soldiers”(戦時売春宿で働いていた女性、中には意思に反しての者も含み、日本軍に性奉仕をするために働いていた女性)のようにに変更とのことです。

どちらも“forced”(強要・強制された)という単語を外しています。

 

【2018/12/01追記】 “women who worked in wartime brothel, including those who did so against their will, to provide sex to Japanese soldiers” という表現について、もう少し考えてみました。

この中で、“including those who did so against their willは挿入句の形を取っています。これを取れば“women who worked in wartime brothel to provide sex to Japanese soldiers” となり、「日本軍に性奉仕をするために戦時売春宿で働いていた女性」となります。

日本語に訳すとこういう語順になりますが、まず、“women who worked in wartime brothel” と、「戦時売春宿で働いていた女性」と言い切っていて、その後に説明が続くわけです。

何のために働いていたかというと、“to provide sex to Japanese soldiers” (日本軍に性奉仕をするため)。

本来はこれで十分なのですが、「意思に反して」(“against their will)を入れたくて挿入句にしたのでしょう。

しかし、“including” (~を含んで)という表現のために、中には「自ら進んで」(voluntarily)慰安婦になった女性がいるということが言外に含まれてしい、逆効果なのでは?と思います。

 

* * * *

 

この件に関し、櫻井よしこ氏を理事長とする国家基本問題研究所が記事を書いています。

 

 

2018.11.30 (金) 徴用工の正しい表記

 

 

 

 

 


 

【北海道】IR利権がアイヌの手に?-アメリカ先住民族カジノとの連携-

Twitterで見かけた気になる報道をブログ主の覚え書きとしてメモしておきます。

まずはそのtweetです。

 

 

 

 

 

話題となっている北海道新聞の報道。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181127-00010001-doshin-hok

苫小牧市IR誘致 海外の運営企業、アイヌ民族との協業構想も
11/27(火) 13:58配信

ハードロックなど6社がPRに熱

 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)を誘致している苫小牧市で、海外IR運営企業の売り込みが活発になってきた。開発構想を公表した6社の中には「アイヌ民族との協働」を掲げる社もあり、PRは熱を帯びる。一方、苫小牧市は市民に対し、海外企業の計画内容の詳細を説明していない。市民理解が進まず、知事の誘致判断の時期も見通せないにもかかわらず、先行する海外企業の動きが際立っている。

米の先住民族がシャクシャイン法要祭に

 9月下旬の日高管内新ひだか町。アイヌ民族の英雄、シャクシャイン法要祭の会場に米フロリダ州の先住民セミノール族が初めて参加し、アイヌ民族の団体幹部に文化や歴史について質問をした。懇談はわずか10分。アイヌ民族関係者は「単なる文化交流」と思っていた。

 だが、3週間後の10月15日、苫小牧市で開かれた海外IR企業の構想発表で、米娯楽企業の日本法人ハードロック・ジャパン社の担当者は「弊社の親会社に関係するセミノール族の首長が先月、アイヌ民族の方と文化交流し仲良くなった」と地元企業関係者ら約150人を前にアピールした。

 米娯楽企業大手ハードロック・インターナショナルの親会社は、セミノール族がルーツのリゾート運営会社「ザ・セミノール・トライブ・オブ・フロリダ」。この日の構想発表に参加した米4社のうち、ハードロック社を含む3社はいずれも先住民が経営に携わる「インディアンカジノ」だ。
「インディアンカジノ」、全米で500カ所

 国内外のIR事情に詳しい大阪商業大の美原融教授は「米国では先住民が自治区を持つ居留地で、賭博行為を合法化し先住民がカジノを運営する事例が多い」と話す。インディアンカジノは全米で大小合わせ500カ所あり、一般的な商業カジノとほぼ同数に上る。

 構想発表は8月も開かれ、10月と合わせ6社が参加した。このうちインディアンカジノ系の3社はいずれもアイヌ民族との協働を口にした。出席した地元企業関係者は「IRとは関係ないアイヌ民族を持ち出すとは。売り込みに貪欲だ」と驚いた。

 各社は苫小牧での事務所開設も進める。カナダのIR投資会社クレアベスト社が今年1月に事務所を開設。ハードロック社は来年1月の開設を目指す。他2社も事務所を設ける予定だ。

ギャンブル依存症対策は? IRへの疑問が相次ぐ

 一方、市民の多くはIRへの関心が薄く、慎重な意見も根強い。

 「IRはカジノさえなければ誘致してもよい」「苫小牧の街中に人が来てくれるのか」「ギャンブル依存症対策はどうなっている」。誘致を目指す苫小牧市が市民の理解を得るため、10月下旬に開いた市民説明会では、IRへの疑問が相次いだ。

 市は説明会を市内17カ所で順次開き、6月に公表した「苫小牧国際リゾート構想」を提示した。新千歳空港に近い植苗地区を候補地とする構想は、苫小牧にふさわしい整備内容をまとめ、IR企業に実現を求めるのが狙い。ただ、市国際リゾート戦略室は「まずはIRそのものを理解してもらうのが説明会の目的」と言い、IR企業の動向や事業計画には積極的に触れていない。

 過熱気味の海外企業の動向が市民に十分伝わらない現状に、「カジノ(賭博場)誘致に反対する苫小牧市民の会」の篠原昌彦共同代表は「利益の多くが海外企業に持っていかれ、苫小牧経済には残らないのではないか。市は海外企業の動きをすべて市民に説明する責任がある」と指摘した。(山田一輝、田鍋里奈)

 

アメリカのカジノがアメリカ先住民の利権になっているとは知りませんでしたが、それ自体はどうでもいいことです。

問題は、『先住民』ネットワークを駆使して国内に新たな利権が生み出されようとしていること。

 

北海道のIRの件がどうなるかは分かりませんが、「アイヌとは」という定義も曖昧なままに「先住民族」と認めてしまった政府、道内だけの利権を日本全国に展開しようという動き(アイヌ新法)等々、菅義偉官房長官肝いりの「アイヌ政策推進会議」の議事録を読めば読むほど、アイヌ問題はもう手遅れなのではないかと危惧されます。

 

 

 

 


 

2018/11/29

【沖縄】シナとの冊封体制と渡来人「久米三十六姓」

このブログでは時々「孔子廟裁判」のことを取り上げてきました。

この裁判は久米三十六姓と呼ばれる人達の孔子廟の土地を那覇市(当時、翁長雄志市長)が無償で貸していることに対して、賃借料を請求することを求めたもので、被告は那覇市ですが、久米崇聖会(くめそうせいかい:シナから渡ってきた三十六姓の子孫のための団体)は補助参加人となっています。(裁判について詳しくはこちら

この久米崇聖会に代表されるシナからの渡来人の存在は、沖縄のシナ化や、中国や一部の人間が目論む沖縄独立運動に関わるので、ここでまとめておこうと思います。

 

 

 

 

沖縄(琉球)とシナ(明)との交流が書物に現れるのは1372年だそうです。

この時代は、室町幕府第3代将軍足利義満(在職1368~1394)の時代。シナでは明(1368~1644)が興ってさほど経っていない頃で、琉球の察渡王(さつとおう)が明の光武帝に入貢した記録が残っているそうです。

琉球が薩摩の支配下に置かれたのが1609年なので、シナとの冊封関係は既に2百年以上続いていますが、朝貢貿易の関係にあったからとは言え、と言うか、だからこそ、シナの領土の根拠とはなりません。

 

明は建国以来、鎖国政策を採っており、冊封国にシナ人を在留させて貿易の政務を担当させていますが、琉球では久米という地がその在留地となっていました。

更に、明が滅んで清(1616~1912)が興った時に満州人(女真族)の支配を嫌ってシナから琉球に渡ってきた三十六姓の部族が現在も久米三十六姓と呼ばれる人達の祖先(【※1】)だそうで、この一族の子孫には仲井真弘多(なかいまひろかず)、稲嶺恵一(いなみねけいいち)元沖縄県知事がいます。

 

従って、長らく久米は、さながらシナの租界地のようで、19世紀まで中国語(ここでは取り敢えずそう呼んでおきます…【※2】)が話されており、明治期の琉球処分(廃藩置県)の頃は、日本の支配下に置かれることを嫌って清に逃げたり(「脱清人」)、挙兵を求めて清に渡ったりしたそうです。

また、日清戦争の時は清の勝利を願って祈っていたとのことです。

 

【※1】この説明は『沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介著/WAC出版)の説明を参照しましたが、前述の孔子廟裁判のエントリーでは、徳永弁護士が明の時代に貿易のために官僚組織としてきた人達と説明しています。

なお、Wikipediaの『久米三十六姓』の項には、「久米三十六姓(くめさんじゅうろくせい)は、1392年に明の洪武帝より琉球王国に下賜されたとされる閩人(現・福建省の中国人)の職能集団、及びその後三百年間にわたり閩から渡来した者や首里・那覇士族から迎え入れた人々の総称。」と書かれており、どちらも間違いではないようです。

いずれにしても、徳永弁護士が説明したように、「彼等は“文明の国からやって来たプライド”を持ち、沖縄の土着の人達と交わろうとしなかった」というのは19世紀まで中国語を話していたという惠氏の本と一致します。

 

【※2】長崎純心大学の石井望准教授のブログでは、久米三十六姓の出身地の福建人は非シナ人(石井教授は「非チャイナ人」と表記)であると説明しています。

 

 

ブログに掲載されているのは『そうだったのか 沖縄!』(仲村覚著/示現舎)の1ページで、この章の見出しは「尖閣を案内した福建三十六姓はチャイナ人ではなかった」となっています。

彼等は琉球に渡るにあたり、シナの戸籍を離脱しており、法的には琉球国人であり、シナ人ではないこと、漢字文化圏ではあるが非チャイナ語圏であることが書かれており、興味深いです。

日清戦争後、日本が台湾を統治するときに、“中国語”を学んだ日本人の話す言葉が台湾では全く通じなかったということを本で読んだことがありますが、台湾語もまた福建方言の系統です。

 

ここまででも分かるように、シナからの渡来人は官僚として特権階級であり、一方、平民は過酷な年貢を課せられ(【※3】)、また、本土のような寺子屋もなかったので、平民は読み書きもままならず農奴として苦しめられていました。庶民が学校に行けるようになったのは、沖縄県の設置以降です。

 

【※3】琉球において強力な中央集権体制が敷かれたのは1477年に即位した尚真(しょうしん)王からで、この時代に文官による専制政治体制が確立されました。

尚真は石垣、宮古、奄美五島を武力で併合。(←薩摩による支配を侵略だと言うが、このことには触れないのが沖縄の歴史) 離島住民には人頭税の他、本島の3倍の重税を課していました。

 

惠氏の著書では、いかにシナからの移民が特権を有していたかを物語る別のエピソードも紹介されています。

尚真王の時代から北京への官費留学生(=官生/かんしょう)は久米村の住民からとされていましたが、尚温王(在位:1795 - 1802)が官生の4人の内2人を首里士族から選ぼうとしたところ、久米村民が暴動を起こしたそうです。尚温王は19歳で早世しますが、毒殺説もあるとのことです。

 

* * * *

 

おそらく、ブログ主が知らないだけで歴史的には立派な渡来人もいたとは思いますが、孔子廟裁判に見られるように、数百年に渡る特権階級が今でも続いていることを考えると、前述の「孔子廟裁判」が単に市の公費問題に留まらないというのがお分かりだと思います。

 

【関連記事】 【沖縄】玉城デニー沖縄の李氏朝鮮化-首里城祭の三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)-

 

 

 

参考図書

  • 『沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介著/WAC BUNKO 226/ 新書 – 2015/9/17
  • 『そうだったのか「沖縄!」 』: 仲村覚 (著, 監修, 編集, その他), 仲村俊子 (著), 石井望 (著), 江崎孝 (著) /示現舎 (2015/5/9)
  • 『沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史』: 仲村 覚 (著) /ハート出版 (2018/4/18)

 

 

 

 

 


 

2018/11/28

【沖縄】「沖縄はいつから日本であったか?」 曖昧な政府見解を正した山田宏参議院議員の国会質疑

公開: 2018/11/28 11:46  最終更新: 2018/11/29 7:32  

これは前回のエントリーでご紹介した本、『沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史』(仲村 覚 (著) /ハート出版)で知ったことですが、驚くことに、政府は2017年まで、沖縄が数百年も前から日本の一部であったことを明言できていませんでした。

「沖縄はいつから日本であったか?」を問う質問主意書に対し、極めて曖昧な回答しかしていなかったのです。

これに危機感を持った仲村氏が何人かの政治家に訴えたところ、自民党の山田宏参議院議員が理解を示して、国会で質してくれたそうです。

以下に、国会議事録から該当の部分を抜き出して提示します。

 

 

 

 

第193回国会 決算委員会 第10号 平成二十九年六月五日(月曜日)

(前略)

○山田宏君 気象庁が検討してくれということであります。千七百キロも離れているんだから、中国はもっと離れている。だから、やはり気象庁がよく検討して、なるべくここをやって、NHKが毎日これを報道してくれれば、次は石垣、八重山です、その後は尖閣諸島の明日の天気は曇り後晴れですと、毎日これやれば、国民は、ああ尖閣諸島はやっぱり我が国の領土だよねと、ずっと関心を持ち続けるわけです。そのためには、気象庁、検討していただきたいと思います。
 この問題をずっとやっていると時間がなくなっちゃうので、次です。ちょっと次のパネルです。
 尖閣諸島だけではなくて、今、中国は、沖縄もこれは日本の領土じゃないと言い始めている。まあ何とかもたけだけしいというのはこのことなんだけれども、そのことについて公安調査庁は、今年、そして去年、おととしか、内外情勢の回顧と展望の中に、琉球帰属未定論というものを中国が提起しているということで、すごい危機感があるということを書いております。
 しかし、我が国はどういう態度かというと、これまでは、政府の公式の答弁は、皆さんのところにお配りしておりますように、平成十八年十一月十日の第一次安倍内閣の閣議決定で、沖縄はいつから日本の一部かという質問に対して、沖縄については、いつから日本の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置のときには日本国の一部であったことは確かであると、これが今の我が国政府の確定的な答弁なんです。しかし、向こうは、明のときから琉球は我が国の領土だと中国は言っているわけです。我が国の場合は、明治のときからはそうだけれども、その前は分からぬと、こう言っているわけです。こんなことでは勝負になりませんね、これでは。
 少し、この答弁、余りにも簡潔に書き過ぎているから、もう少しきちっと日本の古くからの領土だということを、かつて明治のときに大きな問題になったときに、寺島外務卿が、徹底的に日本の領土だと、縄文時代から領土だというふうに主張しているわけですから、その路線に沿ってこの答弁を少し充実させてほしいと思うんですけれども、外務大臣、どうでしょう。

○国務大臣(岸田文雄君) まず、基本的な立場として、沖縄が我が国の領土であることは国際法上確定しており、何ら疑いもないところである、これをまずしっかり確認しておきます。
 その上で、いつからなのかという点については、明治初期に寺島外務卿が当時の日本政府を代表して在京清国公使に宛てた明治十一年十一月二十一日付けの文書において、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方であり、現に我が国内務省の管轄である旨述べていたこと、これについて外務省としても確認をいたしました。
 いずれにしましても、沖縄については長年にわたり我が国の領土であり、沖縄が我が国領土であることは国際法上何ら疑いのないところである、このように考えております。

○山田宏君 国際法上だけじゃなくて歴史上ですね、向こうは歴史的にやっているわけですから、歴史上明らかだと、こういうふうにやっぱりきちっとこれを補充すべきだと思うんですが。
 これ、第一次安倍内閣のときの閣議決定されたのが、明治以降ははっきりしているが、その前ははっきりしないというやつですから、総理、今の外務大臣の答弁を受けて、きちっと充実をさせていただきたいと思いますが、いかがでしょう。

○内閣総理大臣(安倍晋三君) ただいま外務大臣から答弁をさせていただいたとおり、沖縄については、寺島外務卿が、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方である旨述べていたことが確認されています。いずれにせよ、沖縄は長年にわたり我が国の領土であり、沖縄が我が国領土であることは国際法上何ら疑いもないところであります。
 また、繰り返しになりますが、寺島外務卿が述べたのは、沖縄が数百年前から我が国所属の一地方であるということでございます。

○山田宏君 ありがとうございました。(以下略)

* * * *

 

実はブログ主はこの山田議員の質疑をリアルタイムで観ていたのですが、省略した部分では、日本でも尖閣諸島の天気予報をすべき、ということを求めており、これはよく覚えていますが、沖縄の日本帰属に関する部分は聞き流してしまったようです。

「日本でも」というのは、中国が自国領土として尖閣諸島の天気予報をテレビで流しているからです。

 

上記質疑の中で、「平成18年(2006年)11月10日の閣議決定」について言及されていますが、これは鈴木宗男議員の質問主意書(書面による質疑)に対する回答(閣議決定されたもの)で、その時の回答は「いつから日本の一部であるかということにつき確定的なことを述べるのは困難であるが、遅くとも明治初期の琉球藩の設置及びこれに続く沖縄県の設置のときには日本国の一部であったことは確か」といった、なんともあやふやな回答だったことが分かります。

しかし、山田議員の質疑により、「数百年前から我が国所属の一地方である」ということを明言したのでした。

 

岸田文雄外務大臣、安倍晋三首相の回答に出てくる寺島外務卿が清国公使に宛てた文書とは仲村覚氏が山田議員に要請するときに持参したものです。(詳細は次々章に)

 

「廃藩置県」は「琉球を清との関係から断ち切る」ことで完了した

ここで、岸田外相が「国際法上確定」と言っていますが、これはいわゆる「琉球処分」(1879/明治12年)のことです。

歴史の授業ではおそらく端折っていると思いますが、以下のプロセスを通じて、琉球と清の冊封体制を断ち切る交渉が日清間で行われます。

 

  • 「日清修好条規」(1871年9月13日/明治4/73年発効)
  • 「宮古島島民遭難事件」(1871年11月/明治4)
     …宮古島の漁師が台湾に流れ着き、原住民に殺害される
  • 「廃藩置県」(1872年10月16日/明治4年)=琉球の鹿児島県編入
  • 「琉球王・尚 泰を琉球藩王とする」(1872年10月16日/明治5)
     …この時点ではまだ「琉球藩」が残っていた。(廃藩置県未完了)
  • 「台湾出兵(征台の役)」(1874年5月6日-12月3日/明治7年)
     …「宮古島島民遭難事件」に対して行ったもの
  • 「琉球処分」(1879年/明治12年)=沖縄県設置
     …廃藩置県完了

 

これは国際法的に琉球(沖縄)を日本の帰属とする処理でした。

この辺りを学校でどう習ったのかは、もう忘却の彼方ですが、沖縄県の設置をもって「廃藩置県の完了」と教えるべきなのです。

この間、明治政府は清の李鴻章等と協議を重ねるわけですが、仲村氏が見つけた外交文書とはその間のやりとりを記したものです。

 

また、「琉球処分」の「処分」という言葉尻を捉えて、ネガティブに聞こえるせいか、これを利用して、いかにも、“日本が無理矢理琉球を取った”かのように喧伝する人達がいます。

しかし、「処分」とは、「罰する」や「余分(不要)なものを始末する」という意味以外にも、「(法律上)具体的事実や行為についての行政権・司法権の発動として法律上の効果を発揮させる行為」の意味もあります。

例えば、この当時の言葉として「秩禄処分」(ちつろくしょぶん)というものがあります。

これは、華族・士族に支給されていた封建的な秩禄(家禄と賞典禄)を廃止するために、規則を定めて整理し、最終的には公債(金禄公債)を公布するという処理を行ったことです。

 

ちつろく‐しょぶん【秩禄処分】
広義には、明治政府の華族・士族への家禄支給の廃止政策。版籍奉還以降段階を踏んで進められたが、狭義には、その最後の段階である1876年(明治9)の金禄公債交付をいう。

広辞苑 第六版 (C)2008  株式会社岩波書店

 

つまり、「対処」とか、整理するための一連の「プロセス」を表す言葉が「処分」であると思われます。


 

仲村覚氏論文:ウーマン村本に知ってほしい「沖縄モヤモヤ史観」

この寄稿文は、村本某という芸人が“沖縄は中国から奪ったもの”とテレビ番組(朝まで生テレビ)で発言したことを受けて書かれたものですが、その中で山田議員に持ち込んだ明治期の外交文書について言及しています。

 

https://ironna.jp/article/8864?p=1

(一部引用)

山田氏に要請するとき、筆者は重要な資料を持参した。それは明治12(1879)年の外交文書だ。実は、政府のあいまいな歴史認識を覆す資料が政府内部に存在していたのである。外務省のHPからダウンロードして入手した、カタカナ漢字交じり、もしくは漢語で書かれている文書の概要は次のようになる。(…)

明治12年の外交文書にあるように、江戸時代の沖縄は薩摩の統治が隅々にまでおよび、江戸幕府の幕藩体制下にあった。

 

石井望准教授のブログ

沖縄(琉球国)が明や清との間に冊封関係(朝貢貿易を行っていた)ことは事実ですが、薩摩は在番奉行を設置し実行支配をしていました。幕府の禁教令も八重山まで届いていたそうで、日本の封建体制下に組み込まれていました。

そもそも、沖縄の人の祖先は縄文人ですし、沖縄の方言は日本語の古語をよく残しているなど、古くから日本の一部であったことを示す証拠はいくらでもあるのですが、ここでは長崎純心大学の石井望准教授のブログ記事をいくつかご紹介します。

 

 

* * * *

 

仲村氏のiRONNAへの論文でも書かれていますが、さすがに“日本は沖縄を中国から奪った”とは思わなくても、日本人のどれほどが「沖縄はいつから日本なのか」という問いに自信を持って答えられるでしょうか。

かく言うブログ主も、沖縄関係のネット番組などからこのことを考える前は答えられなかったと思います。(と言うより、そのことを考えたこともなかった、と言うほうが正しいのですが。)

しかし、あらためて沖縄の歴史を調べると、歴史、少なくとも教科書レベルでは“消されている”事実が多いことに気づきました。

これはまた別の機会に書こうと思います。

 

 

 

 


 

2018/11/26

【沖縄の歴史】沖縄ではいつから日の丸がタブーとなったのか

前回のエントリーで沖縄において「国旗掲揚」を求める運動を進めていた沖縄教職員組合が左翼思想に染まり、解散に追い込まれて「沖教祖」が結成されたのが1971年(昭和46年)と書きました。

今回は、この「国旗掲揚」について、もう少し詳しく見てみることにします。

国旗を巡る問題は「祖国復帰運動」を象徴するものであり、前回、祖国復帰運動は形を変えた安保闘争と書きましたが、日付(「年」)に注目して見てみると、それがよく分かるかと思います。

 

 

 

 

敗戦後、日本は国旗掲揚は禁じられていましたが、本土では1949年1月にGHQから国旗の掲揚が認められました。(参考:Wikipedia『連合国軍占領下の日本』)

しかし、米軍統治下の沖縄ではそれが認められず、1952年(昭和27年)には、当時の沖縄教職員組合の屋良朝苗(やら ちょうびょう)会長の名前で琉球政府行政主席(現在の県知事に該当)に「国旗掲揚に就いての請願書」を提出しています。

既に、家庭など、政治的な目的を持たない場で国旗を揚げることは許可されていましたが、教育現場においても認めて欲しいという思いを綴ったもので、沖縄返還協定批准貫徹実行委員会の仲村俊子さんが、後に、初めて日の丸が届いた時の喜びを述懐しています。

 

しかし、喜屋武真栄(きゃん しんえい)氏が組合長になった後、「日の丸に賛成か反対か」というアンケートが届き、仲村さんの学校では賛成が多かったところ、やり直しを命じられた辺りからおかしいと感じたそうです。

Wikipediaで喜屋武氏の経歴を見ると、1968年(昭和43年)に組合長に就任されているので、やはり70年安保闘争と呼応していることが分かります。

 

時々、チャンネル桜の『沖縄の声』でキャスターのお一人、ボギー・テドコンさんが仰ることがあります。

それは、沖縄では、「日の丸の白は白骨の白、赤は血染めの赤」と教えられている、ということです。

また、沖縄では教科書の『君が代』の上にこれを貼って隠しなさいとプリントを配られることが少なくないようです。

ブログ主が時々Twitterでやり取りをする沖縄の高校生がいるのですが、彼(彼女?)は、テレビで何かのスポーツ大会を観ている時に流れてきた『君が代』を聴き、親御さんに「これ何?」と質問したと言っていました。

 

前のエントリーにも書いたように、反基地活動に代表される現在の沖縄のイデオロギー闘争は70年安保闘争に根があります。

言い換えれば、彼等の頭の中は昭和40年代半ばで止まっているのです。

 

* * * *

 

ところで、NHK BS1では時々、前回(1964年)の東京オリンピックの聖火リレーの映像を流すミニ番組を見かけました。

「聖火リレー1964再現プロジェクト」と題しているようで、サイトもあり、そこで県別に作成された番組を観ることができるのですが、第1回、つまり、聖火リレーのスタート地は沖縄でした。

 

 

せいぜい2分足らずの動画なので是非ご覧下さい。沖縄が日の丸で溢れています。(動画のキャプチャとともにテキスト化したものをエントリー末に掲載しました。)

 

* * * *

 

下は『沖縄の声』キャスター、江崎孝氏のブログ『狼魔人日記』です。

 

 

1986年頃の「日の丸」・「君が代」にまつわる“事件”が紹介されていますが、この頃はすっかり、生徒が洗脳されていることが分かります。

 

* * * *

 

下は、今年、沖縄に天皇皇后両陛下が行幸された際の奉迎パレードの映像です。

 

【特番】祝!3.27 天皇皇后両陛下奉迎提灯大パレード ~主催「天皇皇后両陛下奉迎沖縄県実行委員会」~ [桜H30/3/31]

 

4000人以上の参加者が提灯と日章旗を手にしています。

 

参考図書

  • 『そうだったのか「沖縄!」 』: 仲村覚 (著, 監修, 編集, その他), 仲村俊子 (著), 石井望 (著), 江崎孝 (著) /示現舎 (2015/5/9)
  • 『沖縄はいつから日本なのか 学校が教えない日本の中の沖縄史』: 仲村 覚 (著) /ハート出版 (2018/4/18)
 

 

このの2冊は内容は被っているところはありますが、同じテーマでも、どちらかにしかない情報もあり、甲乙付けがたいものがあります。

敢えて特色を挙げれば、『そうだったのか「沖縄!」 』の方は石井望・長崎純心大学人文学部准教授の執筆部分(シナから渡来した久米村の住人に関する考察や尖閣諸島)、『沖縄はいつから日本なのか』は幕末の沖縄史が詳しいことでしょうか。

 

 

1964年の聖火リレー in 沖縄

下は、(NHKのサイトが消されたときのために)ナレーションを書き取ったものですが、この中で、「日の丸の掲揚が特別に許可され」というナレーションが出てきます。

 

* * * *

 

1964年9月7日正午、聖火は、台風のため1日遅れて翁穴は空港に到着しました。聖火リレーは拍手と歓声に包まれて、12時40分スタート。

 

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当時の実況:「聖火は沖縄本島を横断し、沿道はどこも熱狂的な歓迎風景を見せ、聖火はこの中を奥武山(おおのやま)競技場に着くことになっております。」

 

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初日、聖火は奥武山公園の競技場で一夜を明かします。
4万人の観衆が見守る中、聖火台に点火されました

 

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翌日、聖火は沖縄本島南部を経由し、島の東側を北上して名護市に向かいました。

 

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名護市嘉陽地区に作られた聖火台。
住民手作りの聖火台は今も記念碑とともに残されています。

 

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日の丸の掲揚が特別に許可され、県民が振る小旗が沿道を埋め尽くしました。

 

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9日、聖火は沖縄本島の西側を南下し、那覇市に向かいました。

 

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2018/11/24

【沖縄】教科書が教えない真実の沖縄祖国復帰の経緯

公開: 2018/11/24 15:46  最終更新: 2018/11/25 21:31  

下はブログ主が受験に使った『日本史用語集』(山川出版社/1979年(昭和54年)版)の「沖縄の祖国復帰」の項の説明を書き写したものです。(括弧内に和暦を追加しました。)

 

沖縄の祖国復帰

1945年(昭和20年)4月、米軍の上陸以降、その占領下にあり、51年(26年)の平和条約で、アメリカの施政権が明文化された。
沖縄では異民族支配に抵抗して、1960年(35年)沖縄県祖国復帰協議会が結成され、運動が実を結んで、68年(43年)琉球政府主席公選となり、71年(46年)の返還協定により、72年(47年)5月祖国復帰。
米軍基地の整理などは今後の課題。

 

山川の教科書はもう手元にありませんが、これは副読本みたいなものなので、教科書にも、これに準拠したことが書かれていたはずです。

 

 

 

これを読むと、「沖縄県祖国復帰協議会」の活動が本土復帰を勝ち取ったように聞こえますが、大嘘です。

沖縄教職員組合を母体とした沖縄県祖国復帰協議会はむしろ祖国復帰を邪魔していたのです。

実際に本土復帰に大きな役割を果たしたのは「沖縄返還協定批准貫徹実行委員会」の方々でした。

 

 

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(上: 陳情に向かう仲村俊子さん、金城テルさんら/下: 沖縄返還協定批准貫徹実行委員会の皆さん)

 

以下のサイトに詳しいのですが、ここではかいつまんで、且つ、補足を加えて説明します。

 

 

背景としては70年安保闘争がありました。

安保闘争について、遡って説明すると、1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約とともに日米間の軍事的関係を規定した「日米安全保障条約」が締結されます。この改定を巡って、1959~60年(昭和34年~35年)に展開されたのが60年安保闘争で、この条約は10年を期限とし、日米どちらかの1年以内の通告が無い限り、自動延長されることになっていました。そこで1970年(昭和45年)の期限が近づいた昭和40年頃から反対運動が起こります。これが70年安保闘争です。(→補足(1))

 

社会党や共産党、総評、全学連といった左翼陣営は「米軍基地完全撤去を伴う沖縄全面返還」、「自衛隊配備反対」を掲げ、沖縄が一つの闘争の場となります。つまり、彼等にとっては形を変えた安保闘争だったのです。

 

また、この頃(1966年/昭和41年)、中国では文化大革命が始まります。

沖縄ではその影響を受け、学校現場では旧沖縄師範学校を出た管理職が戦後教育を受けた青年教師から監禁され、「自己批判」をさせられる事態に陥っていました。(→補足(2))

沖縄教職員組合は1971年(昭和46年)に解散に追い込まれ、国旗掲揚や国歌斉唱(これも途中から米軍排除運動に利用された)を純粋に推進していた保守派は駆逐され、「沖教祖」が結成されます。

 

米軍の撤退などこの時点であり得ないので、沖縄祖国復帰運動は、“米軍基地が存続したままの沖縄”の祖国復帰を阻む運動に変わっていきました。

 

前後しますが、1967年(昭和42年)には後述する「地方教育区公務員法」「教育公務員特例法」の2つの法律の導入阻止のため、教職員が暴徒と化し立法院(現在の県議会)を取り囲むという騒動が起き、警察が無力化します。(この暴動で警察に対する暴力が横行、なり手もいなくなる)

また、1970年にはコザ暴動(米軍人の起こした交通事故に端を発する軍車両および施設に対する焼き討ち事件)が発生。

沖縄が無法地帯になります。

この前年の1969年(昭和44年)には本土-沖縄間の渡航審査が米国民政府から琉球政府に移譲され(つまり、イミグレーションの審査緩和)、本土から過激派が移動してきます。(→補足(2))

 

ここで立ち上がったのが仲村俊子さん等数名の教師、そして、「沖縄子どもを守る父母の会」の金城テルさん等です。(金城テルさんは現在、チャンネル桜の『沖縄の声』でキャスターをしていらっしゃいます。)

新聞に、「沖縄県祖国復帰協議会」の脱退と祖国復帰を呼びかける宣言文を掲載し、集会を呼びかけます。

そして、本当の沖縄県民の声を国会に届けるべく、「沖縄返還協定批准貫徹実行委員会」を結成し、70団体の賛同の署名を集めた「請願書」を携え、東京に陳情に向かいます。沖縄県民の復帰を願う気持ちを本土の人に知ってもらうために都内で街頭演説も行いました。

 

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後に首相になる竹下登氏は涙を流しながら、この請願書を受け取ってくれたそうです。

 

一方、沖縄県祖国復帰協議会はこれを阻止する建白書(「復帰措置に関する建議書」)を政府に提出しようとしますが、間一髪の差で陳情団の声が先に自民党に届き、1971年(昭和46年)11月17日、沖縄返還協定を審議中の衆院特別委員会で自民党が質疑を打ち切り、強行採決。左翼政党や団体が抗議行動をするも24日に可決します。

そして翌1972年(昭和47年)5月15日に「沖縄返還協定」が発効され、26年ぶりに日本は沖縄を取り戻しました。

 

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上は、沖縄県祖国復帰39周年記念大会(2011.05.15)での仲村俊子さん(右)と金城テルさん(左)。(「 日本沖縄政策研究フォーラム」掲載の動画キャプチャ画像URL:http://www.okinawa-seisaku.org/archives/233

 

* * * *

 

こちらの動画も短くまとまっており、お薦めです。

2つ目の動画はほぼインタビューで構成されており、当時の写真もたくさん出てきます。このエントリーではそのキャプチャを使っています。

 

■【日本国民必見!】沖縄県祖国復帰物語〜これを知らずして沖縄を語れない〜

■View9 祖国復帰運動の証言ー知られざる復帰直前の沖縄の真実―

<出演者>
元沖縄子供を守る父母の会 金城テル(当時:事務局長)
元青年会 富川昇 富川春子
幸福実現党沖縄県本部 富川泰全

 

* * * *

 

なお、当時の三木外務大臣が下田駐米大使に、国内で革新(左翼)勢力が沖縄の祖国復帰と70年安保闘争を絡めている危険性を伝えますが、それを示す外交文書がOffice of the Historianで公開されています。

 

https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1964-68v29p2/d87

87. Memorandum of Conversation1
Washington, July 10, 1967.

SUBJECT
Okinawa and the Bonin Islands

PARTICIPANTS

Takeso Shimoda, Ambassador of Japan
William P. Bundy, Assistant Secretary for East Asian and Pacific Affairs
Samuel D. Berger, Deputy Assistant Secretary for East Asian and Pacific Affairs
Richard W. Petree, Acting Country Director for Japan

(以下、一部引用)

Mr. Bundy asked whether there was a relationship in Japanese thinking between the Okinawa problem and the 1970 problem in Japan. Ambassador Shimoda said there was no logical connection in the minds of Japanese leaders. Opposition parties, of course, hope to connect the two.

 

タイトル(Subject)にある「the Bonin Islands」とは小笠原諸島のことです。(辞書によると「無人〔ぶにん〕からか」、とありました。)

下田大使は、日本政府としてはそのつもりはないが、野党はその2つ(沖縄復帰問題と1970年の問題=安保条約の継続)を関連づけようとしているということを伝えています。

 

* * * *

 

これでお分かりだと思いますが、「沖縄県祖国復帰協議会」の本質は安保闘争であり、沖縄で現在行われている反基地運動はここに根があるのです。

沖縄の教師の多く、特にOBやOGがイデオロギー闘争に参加しているのも、ここから始まったものです。

 

* * * *

 

沖縄の教職員が暴徒と化した教公二法阻止闘争事件

 

【沖縄の声】金城テルの沖縄政治活動の歴史~すべては約50年前、たった一人の闘いからはじまった~[桜H30/11/23]

出演:
   又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)
   金城 テル(沖縄支局担当キャスター)

 

沖縄の教師が行った教公二法阻止闘争事件について金城テルさんが語ります。(リンク先はWikipedia)

1949年に本土で成立した「地方教育区公務員法」「教育公務員特例法」の2つの法律は、沖縄では本土復帰前の1967年に成立の動きがありました。

この法律は、教員の年金制度や産休制度といった待遇改善とともに、勤務表の導入や政治活動の制限をするものだったため、教師はこれを阻止しようとゼネストを行ったり、立法院(復帰前の沖縄では現在の県議会に代わるものとして立法院があった)に押し寄せました。

テルさんは、お子さんの通う学校で教師がストに明け暮れ、生徒が自習ばかりさせられているのに疑問を持ち、これと戦いました。

 

【追記】 『辺野古移設反対派=左翼の本質は立法院乱入にある』

沖縄の声に出演された又吉氏のブログ。教公二法阻止闘争事件やコザ暴動(1970年)など沖縄返還前の沖縄の騒乱と現在の辺野古移設反対派について。

 

 

補足(1)-警備警察50年(警察庁)

 

https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_0201.htm
第2章 警備情勢の推移

 

「テロ・ゲリラ」を展開し暴力革命を目指す過激派

1.過激派の誕生

 昭和30年代初頭、路線対立等の理由から、日本共産党を除名されたり、離党した者が中心となって、日本共産党に代わって、我が国で暴力により共産主義革命を起こすことを目的とする集団が生まれました。これが過激派です。
 日本共産党が、それまで採っていた武装闘争を「極左冒険主義」と自己批判し、30年7月の第6回全国協議会(6全協)で戦術転換を図ったことから、武装闘争の中心となっていた学生党員等の間で指導部への不信感が生まれました。
 また、時期を同じくして、共産主義者の間で絶対的存在であったスターリンに対する批判がその死後に高まったり、ソ連が同じ共産圏のポーランドやハンガリーに対して武力介入を行ったことから、既存のマルクス・レーニン主義に対する懐疑も深まりました。
 こうした状況の中で、スターリンと対立して暗殺されたトロツキーを再評価する動きが国内で高まり、彼の思想であるトロツキズムを研究し、それに基づく革命の実現を目指す元共産党員らが中心となって、32年1月、日本トロツキスト連盟を結成し、同年12月には革命的共産主義者同盟(以下「革共同」という。)と改称しました。これが現在の過激派の二大勢力である革マル派と中核派の母体です。
 また、23年9月に日本共産党の指導下に結成された学生組織である全日本学生自治会総連合(以下「全学連」という。)は、日本共産党の路線変更や、消極的な指導方針に不信と不満を抱き、33年5月に開催された全学連第11回大会では、日本共産党指導部に反旗を翻す全学連主流派と、日本共産党指導部に従う反主流派が激しく対立し、その後、大量の学生党員が除名等の処分を受けました。
 これを機に、全学連主流派は、完全に日本共産党の指導から離脱し、同年12月、独自に共産主義者同盟(以下「共産同」という。)を結成するとともに、35年4月には全学連も共産同系全学連と日本共産党系全学連に分裂しました。これが現在の共産同系各派の母体です。
 この他に、日本共産党が中国共産党との関係を断絶した時期に除名、離党した党員らが中心になって結成した親中共派や日本共産党の綱領論争の過程で離党した党員らが結成した構造改革派、社会党の青年組織である社会主義青年同盟(以下「社青同」という。)に入り込んだトロツキスト集団が後に組織を乗っ取る形で独立した革命的労働者協会(以下「革労協」という。)等が誕生し、現在の過激派の流れを形成しています。
 こうした過激派各派は、続く「60年安保闘争」において重要な役割を果たすこととなりました。

2.60年・70年安保闘争

1 60年安保闘争と過激派の暴走

 「安保闘争」とは、サンフランシスコ講和条約と同時に締結された日米安全保障条約の改定等に反対して取り組まれた闘争で、社会・共産の両党や総評等の労組が中心となって全国的に展開された社会運動でした。
 その山場は、昭和35年と45年であり、それぞれ西暦の末尾を取って「60年安保闘争」、「70年安保闘争」と呼ばれました。
 「60年安保闘争」は、34年3月、日米安保条約の改定交渉が本格化する中で、日本社会党、総評等による「安保条約改定阻止国民会議」が結成されたことにより始まったもので、34年4月から取り組まれました。
 これに対して過激派は、同会議の集会、デモ等の大衆行動に介入し、暴力的な行動を煽動するなどして、我が国の治安に大きな影響を与えました。特に、共産同系の全学連は、共産主義革命の理論には必ずしも賛同しない一般の学生に対する働き掛けを強め、「反安保」を軸に結集を図り、自らのもくろみである革命情勢を作り出すために、過激な行動へと駆り立て、国会周辺は連日数千から数万のデモ隊が押し寄せる状態となりました。
 その例として、「国会構内乱入事件」(34年11月)、「国会請願デモ事件」(35年4月)、「首相官邸乱入事件」(35年5月、6月)等の事件を引き起こしました。これらの事件では、共産同系全学連は、角材や石塊で武装し、警備に当たっていた警察部隊と激しい衝突を繰り返し、双方に多数の負傷者を出しました。そして、新安保条約の批准成立を目前に控えた35年6月15日には、「安保決戦」を叫んで、再び国会構内へ乱入し、ついに女子学生1人が死亡する事態に至りました。
 しかし、こうした過激な反対行動にもかかわらず、新安保条約は、同年6月23日に日米両政府が批准書を交換し発効、当時の岸首相はこれをもって退陣を表明しました。このため、反対勢力各派は闘争目標を失い、「60年安保闘争」は急速に沈静化しました。
 共産同はこの闘争の指導責任をめぐって内部分裂に陥り、組織は崩壊することになりました。
 一方、革共同は、33年8月と34年8月の2回にわたり、路線をめぐる意見の対立から分裂を繰り返していましたが、35年9月には、崩壊した共産同から多数の有力活動家が合流し、勢力を伸ばしました。しかし、38年2月、再び路線をめぐる意見対立から分裂し、ここに革マル派と中核派が誕生しました。
 過激派は、「60年安保闘争」以降、大衆を広く引きつける闘争課題を模索するとともに、同闘争で大量の検挙者を出したり、組織が分裂したため、組織の建て直しを図りました。

2 70年安保闘争を主導した過激派

 

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 昭和41年9月、いったんは崩壊した共産同が紆余曲折を経て再建にこぎ着けたのに続き、同年12月には、中核派、社学同、社青同解放派による、いわゆる「三派系全学連」が結成されました。
 こうした中、過激派は、45年6月に安保条約が再び延長の期限を迎えることから、「70年安保闘争」を主要な闘争課題に据えたほか、戦後米国の統治下に置かれていた沖縄の本土復帰を求める運動に介入し、両者を絡めた「安保・沖縄闘争」を掲げて、「60年安保闘争」時の高揚を再現することをもくろみました
 その手始めとして、過激派は、42年10月と11月に、佐藤首相の外遊を阻止するため、羽田空港周辺を混乱に陥れることを画策し、ヘルメット、覆面姿に角材、石塊で武装した活動家多数を動員し、警備に当たっていた警察部隊に組織的、計画的な攻撃を加え、双方に多数の負傷者を出すとともに、空港ロビー等を破壊しました。
 続いて、43年1月の「米原子力空母エンタープライズ寄港阻止闘争」、同年2月から4月の「米軍王子野戦病院開設阻止闘争」等、当時激化していたベトナム戦争に伴う反戦闘争にも取り組みました。
 さらに、同年10月には、ベトナム戦争に反対する各種労組、市民団体等の呼び掛けによる「国際反戦デー統一行動」で、過激派はこれまで以上に激しい闘争形態をとり、特に新宿駅では駅構内に侵入して関係施設を破壊し、騒ぎで集まった群衆をも巻き込んで周辺は大混乱に陥ったため、警察は27年5月の「皇居前メーデー事件」以来16年振りに騒擾罪を適用し、多数の関係者を逮捕しました(「新宿騒擾事件」)。
 この後も過激派は「安保阻止」を掲げて、街頭での武装闘争に明け暮れ、警察部隊との衝突を繰り返し、この間双方に多数の負傷者を出し、警察官が殺害される事件も発生しましたが、46年11月の「渋谷暴動事件」と「日比谷暴動事件」で、約2、000人もの活動家が逮捕され、闘争はひとまず終息しました。
 一方、こうした闘争の拠点づくりのため、過激派は学生運動への介入を強め、全国の大学では、ストライキやバリケードによる封鎖が横行し、大学は正常な授業ができない状況に追い込まれました。元来学生運動は、学費値上げに伴い大学側の経営姿勢を問いただすなどの目的で一般学生の間で自然発生的に生まれた活動でしたが、これに過激派が介入し、次第に暴力的色彩を強めていったという事情があります。
 44年1月には、東大構内に立てこもる過激派を警察部隊が排除した「東大封鎖解除事件」がありましたが、こうした事態に反発した世論の後押しもあり、8月には「大学の運営に関する臨時措置法」が成立・施行され、全国の大学も正常化に向かいました。

(後略)

 

補足(2)-参考図書

沖縄よ、甘えるな! (惠隆之介著/WAC BUNKO 226/ 新書 – 2015/9/17

 

 

「琉球国は良かった」、「アメリカ統治下では辛い思いをした」、「基地の過重な負担」という、左翼メディア・左翼言論人が垂れ流すステレオタイプのカウンターとして書かれた本なので終始辛口。駆け足だが沖縄の通史を知るのにも良い。

 

 

 

 


 

2018/11/23

【沖縄】誤った歴史観について考えさせられた東京大学大学院准教授の論文

最近、沖縄や尖閣の歴史を本や動画、webサイトなどで学んでいるのですが、それらの資料は「沖縄で教師や学者によって押しつけられている歪んだ歴史観」を正すというスタンスで作られて(書かれて)います。

「沖縄で」と書きましたが、本土の人間の間でも「沖縄(琉球)史」を知らないのに、あるいは、無知な故か、同じような歴史観を刷り込まれている場合が多々あります。

これから少しずつ、学んだことを自分で咀嚼してからご紹介して行こうと思っているのですが、今回はそのイントロダクションのようなものです。

 

 

 

 

先に述べた「歪んだ歴史観」とは、「沖縄(琉球)は被害者」というストーリーです。

当然「加害者」がいるわけですが、それは「日本」になります。現代ではそれに「米軍」も加わっていますが、それも、「日本(政府)が重い基地負担を沖縄に強いている」からで、最も悪いのはやはり「日本」。

 

歴史を遡ると、例えば、1609年に薩摩の支配下に置かれたことも被害者の視点で描かれているようです。

江戸時代は1603年に幕府を江戸に開いた時から、と学校で習うとは言え、まだ戦国時代の“延長戦”のような1609年に、薩摩に“侵略”されたことを被害者意識を持った歴史として描くのは異常なことに思えます。(喩えは悪いですが、豊臣秀吉を恨む韓国人のような...)

ブログ主の住んでいる川崎は戦国時代の特筆する歴史がないので実感として分からないのですが、戦国武将がいた地方の方は他国から侵略されたり、他国を支配した時代に対して未だにそういう感覚はあるのでしょうか?(福島県や長野県は元は別の『国』だから~とか、幕末の、例えば会津などはよく言われますが。)

 

* * * *

 

以下に書くことは長崎純心大学の石井望准教授のブログを読んで知ったことです。(そのブログエントリーは後ほどご紹介します。)

そのエントリーでは阿古智子東京大学大学院准教授の論文(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57941)を取り上げています。

論文のタイトルは「日本のエリート学生が『中国の論理」に染まっていたことへの危機感(副題:行き過ぎた政治タブー化の副作用)』というもので、これを読んで2つの点に驚かされました。(gendai  ismediaの記事はしばらくすると読めなくなるので、冒頭を少し長めに引用します。)

最初に書いておきますが、ブログ主は筆者(阿古准教授)の語るテーマそのものがおかしいと言いたいわけではなく、この中に出てくる筆者の「沖縄に関する認識」がおかしいのです。

 

まず、リード部分。

 

日本の若者は民主主義の価値を認識していない? このままでは日本の存在感は薄れていく? 東京大学大学院准教授の阿古智子氏は、最近そうしたことを痛感する出来事がいくつかあったという。日中のエリート学生の討論会と、自身の息子が通う小学校の教育から見えてきたこととは――。

 

本文。

 

■日中エリート学生の討論会で

筆者は普段、大学で現代中国や中国語について教えており、学生団体のアドバイザーも務めている。

先日、コメンテーターとして学生団体の討論会に招かれた。参加していたのは、日本、中国ともに国を代表するようなエリート学生ばかりで、日中学生の混合チームが、流暢に英語でプレゼンテーションした。

私がコメントを頼まれたのは、文化の多様性(cultural diversity)の分科会だった。

はじめに、「文化とは、アイデンティティの一形態であり、共有された社会実践の知でもあります。多様性とは、維持するものでもあり、促進するものでもあります。マジョリティとマイノリティの間の対立をどう解決するか、互いにどのように譲歩すべきか。グローバル化は抗えない趨勢であり、異なる価値観やアイデンティティを受け入れる戦略が必要です」と、学生たちは素晴らしい問題意識を示した。

その後、「日本では言葉遣いがおかしいなどとして、飲食店などで働く外国人を差別する人が増えており、中国のファーストフードチェーンでは、イスラム教徒のためにハラルフードを入れる容器を別に準備したが、イスラム教徒でない人にメリットのないことでコストを増やすのかと反対の声が高まりやめてしまった」と、差別やマイノリティ軽視の事例が紹介された。

そして学生たちは、「誰をも傷つけず、全体に福利厚生を行き渡らせることは難しい。各民族にとって、何が決して譲歩できない、必ず抑えるべき基本的関心事項であるのかを考え、それぞれの文化を実践する権利を保障する必要がある」と説いた。

沖縄と中国の少数民族地区を比較

ここまでは、筆者の頭にもスムーズに話が入ってきたのだが、この後、首をかしげる展開になった。

学生たちは、事例として沖縄と中国の少数民族を取り上げたのだが、「高い同質性を求める日本社会は、沖縄の人たちを独立した民族として認めず、彼らの独自の言葉も文化も尊重せず、日本の国民として同化する政策を行ってきた。それに対して、中国の少数民族は集団的権利を認められており、その独自の言葉、宗教、文化は尊重され、教育や福祉において優遇政策がうまくいっている」と説明したのだ

そして最後に「日本は民族間の境界を曖昧にするが、中国ははっきりさせる。民族の分類が明確になれば、民族アイデンティティを喪失することはない」と結論付けた。

 

まず、この“エリート学生達”の認識に驚かされます。

それと、筆者が何のためらいもなく沖縄の少数民族と書いていることです。(括弧をつけていればまだ分かるのですが。)

これはこの後の文章の伏線になってます。

 

この論文のテーマからも分かるように、この後、筆者はそれに対して批判していく訳ですが、それは以下のように続きます。

 

江戸時代に琉球が幕藩体制に巻き込まれていった経緯や、明治期の学校教育の普及の方法などを見れば、日本が近代国家を形成する中で沖縄を「同化」したと捉えることができるのだろう。

沖縄戦の悲劇や基地問題など、沖縄の多大な犠牲や負担の下に現在の日本が成り立っていることも事実だ。

しかし、過去と現在、未来のさまざまな文化的要素が交錯する中で、アイデンティティは複雑に形成される。そして、仮にも民主主義を採用している現在の日本において、一方的な「同化」など不可能だ。

 

「しかし」以下の文とそれに続く「極端に単純化されたロジック」という章は学生達の論理を批判しているのですが、その前に書かれていることは、彼等の思考過程を想像するという形を取っていますが、筆者の歴史観でしょう。

これが驚いたことの2つ目。

 

これに対する反駁は石井望准教授がブログの中で行っているので、そちらをお読み下さい。

 

二〇一八年一〇月一四日 
琉球史について學生に反駁できてないことへの危機感

http://senkaku.blog.jp/2018101477859471.html?ref=popular_article&id=5907804-1293497

 

石井氏は阿古氏の歴史観部分だけを引用していらっしゃいますが、学生達の認識もブログ主には驚きだったので、ここではそれも含めてご紹介しました。

 

石井氏が仰っているように、論文の筆者は、中央集権体制下に各地に存在した『国々』の一つでしかない琉球を独立国家のように捉えているようですが、これはいわゆる「沖縄サヨク」が展開する沖縄論です。筆者のイデオロギーはよく分かりませんが、少なくとも、ステレオタイプの沖縄観をお持ちのようです。

 

ここでブログ主が言いたいことは、イデオロギーによるものでないとしたら、東京大学大学院准教授という教養のある方でもこんなレベルだということ。

尤も、他国(ここでは「≈他県」という意味)の歴史など、普通はそれほど詳しくなく、「ステレオタイプ」で見ていることはよくあります。

しかし、沖縄の歴史に関しては日本人はもう少し正確に学び、理論武装する必要があると感じています。

それは日本の安全保障にも関わる問題だからです。

 

 

 

 


 

2018/11/21

【国連】慰安婦問題に関する強制失踪委員会の「勧告」とは/報告書原文

国連の「強制失踪委員会」が19日、慰安婦問題をめぐって日本政府に事実解明と責任者の処罰を“勧告”したとの報道がありました。(記事後述)

 

まず、“勧告”という表現(訳)が適切かどうかという問題があるのですが、これは後述することにして、強制失踪委員会について説明します。

 

国連人権委員会や各委員会の位置づけ

まずは、この「強制失踪委員会」の位置づけを見てみます。

下の図は2017/6/9付読売が特集した人権関連の国連組織図を加工したものですが、「国連人権委員会」とは別に、人権に関する様々な条約に基づく委員会があり、「強制失踪委員会」はその一つです。

 

Structure

 

 

 

 

「国連人権委員会」と各委員会の事務局を務めているのが「国連人権高等弁務官事務所(OHCHR:Office of the United Nations High Commissioner for Human Rights)です。

以前、クマラスワミとかデービッド・ケイといった国連特別報告者の名前を聞きましたが、彼等は「国連人権委員会」の「特別手続き」という作業部会が募集して選出するもので、「強制失踪委員会」のような委員会の委員とは別です。

 

国連「強制失踪委員会」とは

この「強制失踪委員会」というのは、外務省のサイトによると、強制失踪条約(強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約/International Convention for the Protection of All Persons from Enforced Disappearance)に基づき設置されているもので、日本は平成19年(2007年)2月6日に署名しています。

以下は上記サイトより強制失踪条約の説明を引用したものです。

 

強制失踪条約は,国の機関等が,人の自由をはく奪する行為であって,失踪者の所在を隠蔽すること等を伴い,かつ,法の保護の外に置くことを「強制失踪」と定義するとともに,「強制失踪」の犯罪化及び処罰を確保するための法的枠組み等について定めています。

 

 

今回の「強制失踪委員会」の“勧告”とは

下は、今回の勧告を報じる産経の報道です。

 

https://www.sankei.com/world/news/181120/wor1811200011-n1.html
国連強制失踪委 慰安婦問題で日本に責任者処罰など勧告
2018.11.20 08:46

【パリ=三井美奈】国連の強制失踪委員会は19日、対日審査の報告書を公表し、慰安婦問題をめぐって日本政府に事実解明と責任者の処罰を勧告した。2015年の日韓合意で「最終的かつ不可逆的解決を確認した」とする日本の主張は、「補償を求める被害者の権利を否定するもの」だとして遺憾を表明した。

 報告書は、日本政府が慰安婦問題で「事実関係やデータを開示していないという情報がある」と指摘。慰安婦やその子供の失踪について、遅滞なく完全な調査を行うべきだと求めた。行方が分からなくなった慰安婦の子供についても調査が必要だとした。

 対日審査は今月5、6日に行われ、日本政府代表は慰安婦問題で「調査の結果、軍や官憲による『強制連行』を確認できるものはなかった」と主張。アジア女性基金などを通じて日本が行ってきた問題解決の努力を説明した。同委員会は、2010年に発効した強制失踪条約について、加盟国の実施状況を審査する機関。勧告に法的な拘束力はない

 

実は、慰安婦問題に関しては2017年にも「拷問禁止委員会」が韓国に対して“勧告”を出したことがあります。

この時は日本に対して出されたもののように一部メディアが報道したようで、菅官房長官がそのことを強調したことがありました。(記事後述)

また、山岡鉄秀氏がブログで報告書について、メディアが報道しているようなものではない、ということを書いていました。(後述)

山岡氏のブログによると、委員会は条約(この場合は「拷問禁止条約」)を批准している国をモニタリングし、是正すべき事などがあれば、それを“意見・提案”する、という性格のものです。

実際に、その時の報告書を読むと、日本や日本国民が善意で立ち上げた「アジア女性基金」なのに、その基金を受けようとした元慰安婦に対し、一部の団体がハラスメントを行っている、などと韓国に対する意見が書かれています。(報告書は後述)

 

それで、今回出された報告書を読む必要があると思い、探してみたところ、どうやら、これのようです。

 

https://tbinternet.ohchr.org/Treaties/CED/Shared%20Documents/JPN/CED_C_JPN_CO_1_33067_E.pdf

下はブログ主メモ。

https://tbinternet.ohchr.org/_layouts/treatybodyexternal/SessionDetails1.aspx?SessionID=1154&Lang=en

https://tbinternet.ohchr.org/_layouts/treatybodyexternal/Download.aspx?symbolno=CED%2fC%2fJPN%2fCO%2f1&Lang=en

 

読んでみると、確かに記事のようなことが意見されているのですが、「is concerned about ~」(~ということを心配している、懸念している、気にしている)という表現なのです。

尤も、いくら表現が軟らかいとは言え、書かれていることは変なのですが。

慰安婦とは戦時中の売春婦であり、責任者として処罰されるべきは、女衒や娘をそういう境遇にした親ではないかと思うのですが...。

 

以下は、PDFからコピペした原文です。(P.5)

 

The situation of the so-called “comfort women” victims of enforced disappearance

25. Recalling articles 8, 12 and 24 of the Convention, the Committee wishes to emphasize the continuous nature of the crime of enforced disappearance and to reaffirm the rights of victims to justice, reparation and to know the truth about the circumstances of an enforced disappearance, the progress and results of the investigation and the fate of the disappeared person, regardless of when the enforced disappearance was committed. In this respect, the Committee is concerned about the lack of statistical information on the number of so-called “comfort women” who may have been subjected to enforced disappearance, and about the absence of investigations, prosecutions and convictions of perpetrators of these cases. It is further concerned at reports of the removal of children born to these women and the refusal of the State to investigate such cases. The Committee remains concerned at reports of the concealment or failure by the State party to disclose related facts and materials on the issue of the so-called “comfort women”. It is further concerned at the lack of adequate reparations to the victims in accordance with article 24 (5) of the Convention and regrets the State party’s position that the issue “is resolved finally and irreversibly”. This perpetuates impunity and denies victims their right to know the truth and to obtain justice, reparation and guarantees of non-repetition (art. 1, 8, 12, 24 and 25).

26. The Committee recalls the continuous nature of the offence of enforced disappearance and recommends the State party to:

(a) Generate accurate statistics on the number of the so-called “comfort women” who may have been subjected to enforced disappearance to conduct investigations and guarantee the rights to the truth and reparation;

(b) Ensure that all cases of so-called “comfort women” who may have been subjected to enforced disappearance, including the removal of children born to these women, are investigated thoroughly and impartially without delay, regardless of the time that has elapsed since they took place and even if there has been no formal complaint;

(c) Ensure that the alleged perpetrators are prosecuted and, if found guilty, punished in accordance with the gravity of their acts;

(d) Take the necessary measures to search for and identify any children born to “comfort women” who may have been victims of wrongful removal, enforced disappearance and/or identity substitution and that they are returned to their families of origin, in conformity with article 25, paragraph 2, of the Convention;

(e) Ensure the disclosure of any information related to facts and materials;

(f) Ensure that all victims receive adequate reparation in accordance with article 24 (4) and (5) of the Convention and that it takes account of gender issues;

(g) Guarantee the right to truth.

 

上の文をコピペしてGoogle翻訳にかければ大意は取れると思いますが、例えば青字の部分は、「この点において、委員会は、強制的に失踪した可能性がある、いわゆる「慰安婦」の人数に関する統計情報がないことや、これらの事件の加害者の捜査、起訴および断罪がないことに関し懸念している。」程度の表現なのです。

 

2017年5月の「拷問禁止委員会」による韓国に対する“勧告”

以下、参考までに2017年5月の「拷問禁止委員会」の記事などを引用しておきます。

 

https://www.sankeibiz.jp/macro/news/170513/mcb1705130118017-n1.htm
国連委員会が慰安婦問題の日韓合意見直しを勧告 報告書で日韓両政府に 補償は十分でないと指摘
2017.5.13 01:18

【ロンドン=岡部伸】国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は12日、慰安婦問題をめぐる日韓の合意について、被害者への補償などが不十分として、合意の見直しを勧告する報告書を発表した。

 同委員会が明らかにした韓国に対する審査報告書は、慰安婦問題を巡る2015年の日韓合意に対して、「被害者への補償や名誉回復、再発防止策が十分とはいえない」と指摘、同委員会は日韓両国政府に合意見直しを勧告した。

 さらに報告書は、両国政府は被害者への補償と名誉回復が行われるようにすべきだと強調した。

* * * *

https://www.sankei.com/politics/news/170518/plt1705180032-n1.html
政府、拷問禁止委の見直し勧告に反論へ
2017.5.18 19:05更新

 菅義偉官房長官は18日の記者会見で、慰安婦に関する日韓合意の見直しを求めた、国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会の勧告について「わが国の立場は、委員会も含めた国際社会に対してしっかり説明していくことが大事だ」と述べ、政府として反論する考えを示した。

 菅氏は勧告について「あくまでも韓国政府に対するものであり、法的拘束力はない」と指摘した。その上で、「何が最も効果的であるかも含め、具体的な対応を検討中だ」と述べた。

 拷問禁止委員会は12日、「元慰安婦は現在も生存者がおり、被害者への補償や名誉回復、再発防止策が十分とはいえない」などする報告書を発表し、合意見直しを勧告した。

 

官房長官が「韓国政府に対するもの」と言っているように、これは批准国である韓国に対して出された報告書ですが、おそらく、わざわざこのような声明を出したということは、日本に対する韓国のように報道したメディアがあったのでしょう。

下は山岡鉄秀氏がブログや報告書の訳です。

 

山岡鉄秀氏のブログ(アゴラに転載されたもの):『拷問禁止委員会の「日韓合意見直し勧告」はこんなにいい加減だ! --- 山岡 鉄秀

外務省が公開している仮訳:https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000087943.pdf

 

 

 

 

 


 

2018/11/20

【台湾/東京五輪】IOCが台湾正名を正式に不許可?

台湾の方達の間で広がっている「台湾正名」運動-台湾の名前で東京オリンピックに参加を!-という動きは、全国的な広がりとなり、とうとう国民投票(台湾では「公民投票」と呼ぶ)が今月24日に行われることとなりました。

この国民投票は他にもいくつかの投票項目があり、東京オリンピックの件はその内の一つに過ぎないのですが、この投票の内容を正確に書くと、「(チャイニーズ・タイペイではなく、)台湾の名前で出場できるよう、IOCに申請せよ」ということを政府に求めるものです。

この国民投票は、今年の7月に、台中市で2019年に開催予定だった国際スポーツ大会「東アジアユースゲームズ」が、中国の圧力によって中止になったことから、署名する人が急激に増え、国民投票を実施するに十分な署名集まったことで実現しました。

 

 

 

 

しかし、その気勢をそぐような発表がIOCよりあったということを19日、NHKが報じました。

詳しいことが分かれば追記しようとは思っていますが、取り敢えずそのニュースを記録しておこうと思います。

 

記事で気になるのは、これを明らかにしたのが台湾のオリンピック委員会であることです。

記事には書かれていませんが、台湾オリンピック委員会というのは国民党が牛耳っている組織です。

中国共産党と国民党が争っていたのは蒋介石の時代の話で、現在は中国(中華人民共和国)の犬と化し、署名を行っている最中も台湾オリンピック委員会は様々な情報を流して攪乱していました。この夏に台湾南部に慰安婦像を建てたのも国民党(ブログエントリー『【台湾】台湾版慰安婦「肉体慰労隊」と「軍中楽園」』参照)。

日本と台湾との友好関係を分断し、台湾を中国の一部にしようとしているのが国民党です。

こうした背景から、今回の報道ももう少し注意深く観る必要があります。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181119/k10011716361000.html
IOC 台湾呼び方変更認めない方針 住民投票に影響も
2018年11月19日 19時11分

オリンピックに出場する際の台湾の呼び方を「チャイニーズ・タイペイ」から「台湾」に変更するかどうかを問う住民投票が予定されていることをめぐり、IOC=国際オリンピック委員会は変更を認めない方針を示しました。

 

台湾のオリンピック委員会はIOCから届いた今月16日付けの手紙について19日、内容を明らかにしました

この中でIOC側は、1981年に台湾と合意した「チャイニーズ・タイペイ」という呼び方について、ことし5月に開いた委員会で、変更を認めない方針を決めたとしています。

そして台湾が呼び方の変更を求めた場合、合意を履行せず、IOCの決定に介入したとして、台湾のオリンピック委員会の資格を停止する措置がとられる可能性もあるとしています。

台湾では、市民団体がおよそ43万人分の署名を集めたことを受けて、今月24日、東京オリンピック・パラリンピックなどに参加する際の呼び方を変更するかどうかを問う住民投票が行われる予定です。

今回示された方針は住民投票で呼び方の変更に賛成する票が多数となった場合でも協議には応じないとするIOCの立場を明確にした形で住民投票の行方に影響を及ぼす可能性がでています。

 

取り敢えず、ここまでで公開します。

 

 

 

 


 

2007年の「留学生30万人計画」から既に始まっていた外国人労働者受け入れ計画

9月に大阪市天王寺区の「日中文化芸術専門学校」が定員超過で外国人留学生を受け入れ、大阪府や大阪入国管理局の指導により大量の退学者を出していたことが新聞各紙で報道されました。

昨年度から今年度にかけて退学させられた留学生は約360人にも上るそうです。

ジャーナリストの出井康博氏によると(https://blogos.com/article/338552/)退学となった留学生のうち7人のベトナム人は、同校理事長らに損害賠償を求める訴えを起こしているそうです。

読売新聞ではこの件を追った解説記事を11月10日に掲載していたので、この記事を元に調べたことをまとめておくのが、このエントリーの目的です。

 

 

 

 

下は、問題が発覚したときの記事(産経新聞)

 

https://www.sankei.com/west/news/180925/wst1809250044-n1.html
定員超過で留学生100人以上退学 大阪の専門学校
2018.9.25 11:42

 大阪市天王寺区の観光系の専門学校「日中文化芸術専門学校」が大阪府や大阪入国管理局に定員超過を指摘され、4月に入学したベトナム人留学生ら100人以上が退学となっていたことが25日、府への取材で分かった。

 府によると、学校は昨年、定員を大幅に超過して留学生を入学させ、府が是正を求めた。大阪入国管理局も今年に入り、定員超過を認めないと通告。7月以降に在留資格が期限切れとなる留学生らは更新できなかったとみられる。

 学校は主に日本人を対象として認可を受け、平成27年に開校した。だが実際はベトナム人や中国人を主に募集し、定員418人に対し昨年は約560人が在籍。その後も留学生を入学させ、今年5月時点で在籍者は約580人となっていた。

 退学者の中には別の専門学校に入学して在留資格が認められたケースもあるが、帰国した人もいるという。学校は府に対し「新たに校舎を建てる予定」と説明し、是正に応じる姿勢を示しているという。

 学校は取材に「担当者が不在で対応できない」としている。

 学校のホームページによると、「観光・通訳ガイド専攻学科」などがあり、観光産業の人材を育成している。

 

読売新聞ではこの件を追った解説記事を11月10日に掲載しているのですが、同校は主に日本人を対象に中国語の通訳などを養成するとして府の認可を受け、2015年に開校しましたが、9割以上がベトナムやネパールからの留学生。これまで欠席を理由に退学になった留学生は400人に上るそうですから、始めから、就労目的の留学生目当てで開校したのではないかと思われます。

実際に、留学生は本来の目的の授業にはついていけず、漢字の読み書きといった初歩の日本語を教えていたそうです。

 

形骸化している学校教育法

そもそも、学校教育法では専門学校は「外国人を専ら対象とするものを除く」と規定されているので、府がきちんと管理していれば認可されないか、あるいは開校直後にこのような学校は排除されていたはずですが、いまだに同校が運営されていることをみると、たまたま目に余ったから問題視されただけで、チェック体制や罰則規定などは整備されていないのでしょう。

その証拠に、読売新聞が独自に行った調査では、集計が未完了の東京都を除く46道府県で、約2400校の内、外国人学生が9割以上の専門学校は少なくとも72校、この内35校が全員外国人だったそうです。

 

留学とは名ばかり、実質は外国人単純労働者

もちろん、大きいのは就労目的です。

日本語学校は最長2年までしか認められていないので、これを超えて、帰国せず、大学に入学する意思がない留学生の受け皿になっているのが専門学校です。

日本では週28時間までの就労が認められていますが、土日8時間働いても16時間ですから、いつ勉強する暇があるのだと思います。

記事に具体例は書いていませんでしたが、アメリカなど先進国では、勉学に支障が出るといった理由からもっと厳しい制限があるとのことです。

このユルユルな規制に関して、想像に難くないのは、コンビニ業界などの要請でしょう。

ブログ主の住む地域、都会の住宅街と言ってよいと思いますが、コンビニだけでなく、コンビニまがいのミニスーパーとかホームセンターとかで外国人従業員を見ることは日常のことで、駅周辺の店ではその遭遇率はもっと高くなります。飲食店なども同様でしょう。

彼等がどのような資格で働いているのかは分かりませんが、ベトナムやネパールでは就労目的の留学生を送り出す仲介業者が急増しており、借金を背負って日本にやってくる留学生が多くないそうです。

 

外国人単純労働者の隠れ蓑『留学生30万人計画』

2008年に福田康夫内閣が掲げた『留学生30万人計画』について触れられていましたが、これにより在留資格取得の手続きの緩和が行われたそうです。

この計画について詳しい説明はないので調べて見ると、一応、「大学の国際競争力の向上」を謳っていますが、留学生の名の下に、実は労働者の受け入れまでを目的としていることが分かります。

以下は、文科省のサイトからのコピペです。

 

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/07/08080109.htm
「留学生30万人計画」骨子の策定について
平成20年7月29日

「留学生30万人計画」について、文部科学省ほか関係省庁(外務省、法務省、厚生労働省、経済産業省、国土交通省)は、平成20年7月29日付けで計画の骨子を策定し、同日の閣議後閣僚懇談会において報告しましたのでお知らせいたします。

1.背景

 「留学生30万人計画」は、日本を世界により開かれた国とし、アジア、世界の間のヒト・モノ・カネ、情報の流れを拡大する「グローバル戦略」を展開する一環として、2020年を目途に30万人の留学生受入れを目指すものです。
 このため、日本留学への関心を呼び起こす動機づけや情報提供から、入試・入学・入国の入り口の改善、大学等の教育機関や社会における受入れ体制の整備、卒業・修了後の就職支援等に至る幅広い施策を、上記関係省庁において検討し、このたび、その基本的な考え方や施策の方向性を「留学生30万人計画」骨子としてとりまとめました。
 今後、関係省庁は、本計画の実現に向け十分に連携しつつ、施策の具体化を図ることとしています。

2.方策の項目
(1)日本留学への誘い−日本留学の動機づけとワンストップサービスの展開
(2)入試・入学・入国の入り口の改善−日本留学の円滑化−
(3)大学等のグローバル化の推進−魅力ある大学づくり−
(4)受入れ環境づくり−安心して勉学に専念できる環境への取組−
(5)卒業・修了後の社会の受入れの推進−社会のグローバル化

(以下略)

 

下は、上記サイトに掲示されているPDFの一部を切り取ったもの。

 

20080729mext01

 

「社会のグローバル化」などと“ふんわり”とした言葉で誤魔化していますが、移民の受け入れまでを見込んだ政策だということが分かるかと思います。

この政策で実際に急増した留学生数(2017年で26万7千人〔日本学生支援機構調べ〕)を押し上げているのは、実は「日本語学校」と「専門学校」だということを記事では書いています。

それぞれの留学生数を5年前と2017年を比較すると、

 

  • 日本語学校: 7万8千人(5年前の3.2倍)
  • 専門学校: 5万8千人(5年前の2.3倍)

 

だそうです。

 

日中文化芸術専門学校の件は、バイト漬けでろくに日本語能力も向上せず、大学進学のレベルにも達しない留学生-実質は外国人単純労働者-の受け皿になっている、というのが表面的な事象ですが、これを後押ししていたのは政府なのです。

 

 

 

 


 

2018/11/19

韓国統治は併合か植民地というおかしな議論

公開: 2018-11-19 09:43:50  最終更新: 2019/09/29 7:42

ここで言いたいのは、言葉の定義をせずに「併合」とか「植民地」だとかを議論するのは馬鹿馬鹿しいということです。

もう一つ、言葉というのは生き物です。後世に作られた「定義」が、過去のその時点の定義や理解と同じか?ということも考える必要があります。歴史を検証した後で作られた定義でその当時のことを判断するというのは、まるで「後出しジャンケン」みたいなものです。

 

* * * *

 

よく、「韓国を植民地にした」というと「植民地ではない併合だ」ということを言う方がいます。

「植民地」を辞書で引くと、確かに、

 


【明鏡国語事典】

  1. ある国からの移住者によって開発・形成された地域
  2. ある国の経済的・軍事的侵略によって支配され、政治的・経済的に従属させられた地域

 

と、侵略して搾取するというニュアンスの意味が書かれています。

ブログ主も、このニュアンスがあるために韓国の日本統治について「植民地」という言葉は誤解を与えるので不用意には使いません。また、「植民地ではなく併合だ!」と主張する人も2の意味で言っていることを理解しているので放置します。ただ、当時、日本人が朝鮮や台湾を「植民地」と呼んでいる資料はいくらでもあるし、第三国が「朝鮮半島を日本の『colony』と見なしている」例もあるので、ご注意下さい。

(普通はそこで、当時と今とで全く同じ意味で使っているのだろうか?という疑問が湧くはずなのですが...)

 

実際、1の意味は、古代ギリシアの植民市やローマのコロニア(colonia)のような移住地のことで、これが原義。帝国主義の時代を経て、新たに追加された概念が2です。

ただ、「搾取」というニュアンスは、結果として搾取したからという“後付け”の定義だと思っています。

あるいは、「搾取」を目的に「植民地」にする(した)という「植民地主義」を「植民地」の定義にまで持ち込んで、「手段」(植民地)と「目的」(搾取)をごっちゃにしているせいだと思います。(言葉というのは、いつから使われたのかも大事。「植民地主義」の始まりの時点でこの言葉があったというより、後から歴史を検証して「植民地主義(の時代)」と名付けられたのだと思います。)

 


しょくみんち しゅぎ[6] 【植民地主義】
帝国主義的な先進国が自国の植民地を原料・商品市場として利用すると共に、住民を政治的・軍事的に抑圧・支配し、また他国の植民地や発展途上国を侵略して勢力の拡大を図ろうとする政策や思想

新明解国語辞典 第七版 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2013

 

* * * *

 

例えば、パラオは大東亜戦争(第二次世界大戦)で日本の「委任統治領」になり、南洋庁がおかれ、多くの日本人が居住、パラオの人達に日本語を教えました。そのため、今でも、現地の言葉に日本語の名残もあります。

 

 

上:『日本を愛した植民地』商品画像

そして、当時のパラオをどう呼ぶかというと「植民地」です。(後述しますが、この言葉には「狭義」と「広義」があります。)

但し、日本はヨーロッパの国の植民地のような搾取はしておらず、今でもパラオの人達は日本の統治時代を懐かしがってくれていることはご存知の方も多いでしょう。

下:昭和天皇在位60年を提灯行列で祝うパラオの人々 

 

19861123_palau

 

「植民地」の定義に搾取だの侵略だのというという属性を与えている人は、ここで行き詰まってしまうはずです。

 

もう一つ、「併合」と「植民地」を対比させるのは国語の問題としておかしい。

「併合」は『動作あるいは行為』、「植民地」は『状態』を表す名詞です。

併合する」とは言えますが、「×植民地する」とは言えず、「植民地化する」のようにいう必要があります。

 

従って、「併合して植民地とする」というのは文法的、論理的には正しいのです。

 

また、「併合」という言葉自体は少なくとも日本語ではニュートラル(中立的)な言葉ですが、通常は強国が弱小国を飲み込むわけで、「平和的な併合」もあれば「武力で脅してむりやり併合」することもあり得ます。ただ、「併合」という言葉はそういった特殊な“色”が付いていない『プロセス』を表す言葉として使われているだけだと思います。

 

注意しなくてはならないのは、日本語の「植民地」と外国語、例えば英語の「colony」。語感とかニュアンスも含めて1:1で対応するとは限りません。従って、外国語での定義を持ち出して議論するのも的外れ。

調べてはいませんが、そもそも、欧米人にとって、「植民地」という言葉にネガティブな意味があるのかは疑問です。おそらく、彼等はかつての植民地支配に罪悪感など持っていないだろうし、「植民地」もニュートラルな言葉でしょう。

実際、ニュージーランド(※)に旅したときに、イギリス人が入植した当時の建物を「コロニアル様式」と呼んで観光スポットとしているのを知りました。日本人が昔、ハワイやブラジルに移住しましたが、これも「入植」です。つまり、「新天地への移住」程度なのでしょう。(なお、後者の場合の「入植」は英語ではimmigrationの方が適当だと思います。)

 


※ここは読み飛ばしても構いません。

ニュージーランドへの移民は計画移民です。よく、オーストラリアは流人と言われますが、イメージは少し違います。

確かに最初に送り込まれたのは罪人なのですが、その罪状はというと、ガチョウを何羽盗んだとか、小麦粉を何キロ盗んだとかの微罪の犯罪者です。当時、ロンドンの牢屋がいっぱいになっていたこともあって、オーストラリアに送り込まれた人達で、従って、開拓の先鋒隊のようなものだと思います。(昔ペーパーバックで読んだ英語の本で、タイトルも忘れたのですが、)確か、到着すると船員も罪人も一緒になって乱痴気パーティーをしたという説明がありました。

 

 

こんなことを考えたのは、『THE NEW KOREA』という本を読んだからです。

 

 

 

 

この本の著者を説明する「出版社のコメント」をAmazonの商品ページから引用して紹介しますが、著者は日本の韓国統治も「植民地経営」と見なしています。

 


著者のアレン・アイルランド(Alleyne Ireland)は、1871年-1951年イギリス生まれの世界の植民地統治研究の専門家、第一人者です。シカゴ大学委員、王立地理学会特別会員であり、アメリカの雑誌などに広く執筆活動を行なっていました。
1901年、米シカゴ大学の招きにより、極東の植民地運営を研究するための委員会の責任者に任命され、3年間極東に派遣され、イギリス、フランス、オランダ、そして日本による植民地経営のシステムを研究しました。6カ月間のフィリピン滞在の後、アメリカに戻り、新しく設立されたシカゴ大学の植民地・商業学部の責任者に就任。日本による朝鮮の合邦政策について研究をまとめ、1926年にニューヨークで「THE NEW KOREA」を出版しました。「THE NEW KOREA」は韓国で翻訳出版された以外はその存在は知られていませんでしたが、87年の年月を経て2013年に弊社で完全対訳本として出版致しました。
アレン・アイルランド氏は、中立の立場、または欧米の立場にいた学者です。彼が実際の朝鮮半島を見た上でまとめた本書は、大変貴重な第一級資料であり、研究論文です。
その研究方法は、様々な客観的データを用いて中立的な立場で現実を把握することに努めており、研究は学術的に高い評価を受けています。当時広く執筆活動を行ない、著書は10冊あります。
本書は、朝鮮史を語る上で欠くことができない書籍です。

 

この本は、原文(英語)と翻訳(日本)を見開きの左右に並べた、いわゆる「対訳」ですが、例えばこんな文が出てきます。

 


“It is my purpose to examine Jaanese rule in Korea as a concrete example of colonial administration, ...”

(日本の朝鮮統治を植民地統治の具体例として検証するのが本書の目的であり...)

“The annexation of weak country by strong countries is a phenomenon which has persisted since the beginning of recorded time; practically every strong nation has practiced the habit.”

(強国による弱小国の併合は有史以来存続している歴史的事実であり、実際、全ての強国が繰り返し行ってきたことである。)

 

この著者は、実際には台湾は調査していませんが、台湾も「植民地」とみなしています。(ご存じのように、台湾は清から割譲された土地で、日本が直接"侵略”したわけではありません。)

 

下はマイペディア(平凡社)の説明の冒頭。

 


本国の政治的・経済的支配下に置かれた地域をいい、完全に本国の主権下にある領土(狭義の植民地)のほか、自治領、保護領、租借地、信託統治、委任統治領なども含まれる。

(中略-古代ギリシアやローマの移住地の例)

現在では一般に15世紀の「大航海時代」以降、西欧諸国がアジア、アフリカ、アメリカに進出して割取した地域をいう。これは単なる移住地ではなく、本国の政治的支配下に置かれた略奪貿易の対象であり、資本主義の生成期における資本の原始的蓄積の要因であり、更に進んで本国の原料供給地および過剰資本・資本の投下・販売地となった。始めはスペイン、ポルトガル...(以下略)

 

パラオはここでいう広義の「植民地」に当たるわけです。

国語の問題になってきますが、中略の前が定義、後ろは「植民地」の名の下で行われた行為や事象を説明しています。ブログ主には後半までを含めて定義とするのは抵抗があります。

このマイペディアの説明に則るとすると、「植民地」という言葉は“ざっくり”とした言葉です。「国際法」上云々いう場合は、狭義の厳密な区分けで語るべきでしょう。

日本の韓国統治に関し、文書上などで「植(殖)民地」という言葉を使っていることがありますが、これで、やっぱり「植民地だ」と鬼の首を取ったように言うのは「植民地」の概念が幅広いのですから愚かなことです。

ブログ主には「韓国は植民地ではない!」という主張も分かります。当時は軽い気持ち(かどうかは分かりませんが、「拓殖地」程度の意味で)で使っていた「植民地」という言葉に対して、戦後、「侵略」だの「搾取」だのと言った属性がつけられたら、「それとは違う」と言いたくなります。実際、アイルランド(1801年、イギリスが併合)は「植民地」と呼ばれないのですから不思議です。

詰まるところ、「植民地」か「併合」という言葉を巡る論争は、「朝鮮人を搾取したか否か」という議論の代理戦争をさせられているのだと思います。

前述のように『日本を愛した植民地』という本があっても、誰もパラオのことなど口に出さないことからも、むしろ、「植民地=搾取」論者には都合が悪い事例であり、朝鮮半島だけに持ち出されるからです。

 

* * * *

 

ここで、朝鮮について、併合に至った経緯を見てみましょう。

1876年(明治9年)の日朝修好条規(江華島条約)では朝鮮を独立国として各国が承認します。これに先立つ江華島事件は日本で言えば、黒船に象徴される列強の威嚇で、日本はこの黒船の立場。

尤も、日本の目的は中国の属領として不安定な朝鮮が自主自立してくれれば良かったので、これで朝鮮が実際に独立国としてしっかりしてくれればこれだけで良かったのですが、国内に動乱が起こるとすぐに清に頼る李王朝のふがいなさのせいで日清戦争。

日清戦争で日本が勝利しても、三国干渉を受ける日本を見て馬鹿にし、今度はロシアにすり寄り、依然として一族の中で覇権争い。国内の反閔派(反閔妃)派と日本人により閔妃が暗殺されると、高宗はロシア公使館に引きこもり。そのため、日本は日露戦争(1904~05年)でロシアと戦う羽目に。

1904年に結んだ第1次日韓協約では、日本は外交・財政権を剥奪

1905年の日韓保護条約(第2次日韓協約)保護国化。

1907年の第三次日韓協約内政監督権を取得。国内の愛国者等が結成した一進会(李容九)は対等な合併を望むも、1910年併合

  

大雑把ですが、こんなプロセスを経ての併合です。

これを、先の『マイペディア』の定義に則って見れば、「独立」→「保護領」→「併合」という状態の変化は、徐々に植民地化の度合いを深め、最後は併合に至ったとなります。もう一度書きますが、ここに「搾取を目的とした」という『色』をつけてしまうことが話をややこしくしているのです。

ブログ主は、「併合」と「植民地」を分けたがる人こそ、むしろ1904~1910年の6年間は「植民地」だと認めないとフェアではないと思います。

また、併合された側は曲がりなりにも「李氏朝鮮」という「国家」であったわけで、これが徐々に主権を奪われていくのですから、この感情を慮(おもんぱか)ることなく、「近代化してやった」部分だけを主張するのも傲慢ではないかと感じます。もちろん、韓国国内や日本の反日活動家が流布している慰安婦や徴用工などといった歴史の歪曲については糺していかなくてはなりませんが。

 

* * * *

 

以下は雑談。

仮に韓国国民が正しい歴史を知ったとしたら、それはそれで、劣等感を持ったり屈辱を感じたりするでしょう。

そして、その屈辱を味合わせた日本を恨むのも感情の問題だからとやかくは言いません。(感情を「正しい」、「間違っている」とジャッジはできないことですからね。)

しかし、これって、例えば、日本が開国前に散々列強にやられたことで、我が国はいくつもの不平等条約を結ばされました。

先月、フランスで、日仏交流160周年の記念式典が行われ、日本の自衛隊が堂々とシャンゼリゼをパレードをしましたが、その時、ふと、160年前に何があったっけ?と思って、調べたら、「安政五箇国条約」(米、英、仏、蘭、露)と知り、思いっきり不平等条約やないかい! と思ったことがありました。

日本はこうした不平等条約を独力で改定してきたので、フランスやオランダなどを一千年恨むなどということはありません。

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは、日清戦争後に三国干渉を受けた日本人の合い言葉になりましたが、この復讐心も克服しました。

Tシャツだのミュージックビデオだので溜飲を下げるようなみみっちいことをやっていて恥ずかしくないのかと。

 

いや、恥ずかしくないのだろうなあ。

 

韓国の歴史には独力で打開したという事実が殆どないのです。「解放」すら、日本の敗戦によるものですから。(だから、抗日パルチザン〔笑〕で独立を勝ち得た金一族を首領に戴く北朝鮮を「正統」と見なす人が韓国人にもいるのです。)

日本は大東亜戦争こそ負けましたが、日清、日露の戦争ではカタルシスを感じることができます。彼等にはこれがないから、コンプレックスになっている。だから、彼等は何かというと秀吉の朝鮮出兵を持ち出すのでしょう。“日本の悪行”を言い立てることができるのは、実はこれが彼等にとってカタルシスだからなのだと思います。彼等が日本に対して優位に立てるのはこれか、更に遡って「白村江の戦い」くらいですからね。

 

* * * *

 

【2019/09/02追記】SNSで面白い画像を見つけたので追記します。

「植民地」とか「併合」とか、国際法上の厳密な表記をする必要がある場合と、慣用的に社会で使われる言葉はギャップがあるものです。

 

201908_twitter

 

この画像を誇らしげにupしている人の意図は説明するまでもありませんが、ブログ主など、この画像を見ると、むしろ当時は「殖民地」という言葉にネガティブな意味がなかった証拠に思えます。

これはポスターのようですが、これとよく似た表紙の本を国会図書館のデジタルアーカイブで見つけました。

 

1912_takusyokuhakurankai

 

拓殖博覧会記念写真帖』(大正1)という本で、中を見れば分かりますが、現地の建物や風物(虎の剥製など)といった当時珍しいものの写真集に過ぎません。

ところで、「拓殖」という言葉ですが、例えば岩波国語辞典を引くと「(人の住んでいなかった)土地を切り開いて人が住みつくこと。開拓し殖民すること」とあります。(現在の意味ですが、これ自体にネガティブなニュアンスはありません。)

また、拓殖大学という大学がありますが、1900年(明治33)アジアで働く人材の養成を目的として創立された台湾協会学校が前身で、台湾以外にも「外地」が増えたことで、東洋協会専門学校などを経て18年(大正7)拓殖大学と改称され、現在に至ったものです。

 

上の画像をupしてツイートされた方は「北海道を含めて殖民地です」と書いています。

大正14年(1925年)に沖縄県出身の代議士が帝国議会に沖縄救済の建議書を提出しているのですが、その中で「植民地のごとく、特別会計に改めて貰いたい」と訴えています。この経緯を説明すると長くなるの省略しますが、要するに、他県と同様では経済が成り立たないので特別の補助・援助をして欲しいという請願です。「『植民地』扱い」にはそういうニュアンスもあったのです。

言葉には使うシーンによって異なる多面性があるという良い例でしょう。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

【韓国】またも見つかった原爆を揶揄するMV(ミュージックビデオ)

芸能ネタはブログ主の対象外なので韓流にも疎いし、わざわざBTSとかTWICEをブログ主が取り上げなくても他の方が取り上げているのでスルーしていましたが、これは言い訳できないわ。

この動画はひどすぎる。

原爆ドームに、炎に焼かれて苦しんでいる人々...

 

一人でも多くの人に見てもらいたいのでブログで下のtweetをご紹介します。(動画が上手く再生されるかな?)

 

 

 

しかし、反核団体って、なんでこのコリアタレントによる一連の騒動にダンマリなんでしょうね。

アメリカがINF条約(中距離核戦力全廃条約)を破棄する宣言をしたときには大はしゃぎで長崎だか広島だかの市民にマイクを向けてインタビューしてたマスメディアもスルー。

 

9条改正反対とともに、日本での反核キャンペーンがどこの国のためのものかよく分かりますね。

 

 

 

 


 

2018/11/18

【朝日新聞慰安婦虚偽報道】植村隆は主犯ではない!?

たまたま見つけた動画です。

今更、慰安婦虚偽報道は植村隆・元朝日新聞記者だけが悪くない、朝日が社を挙げてやったことだ、などと言っても、「知ってた」という話ではありますが、下の動画で語られることを聴けば、(敢えて、植村氏の立場に立てば)、自分だけ集中砲火を浴びるのは不公平だと思うのではないかという気がしました。

とは言え、というか、だからこそ、櫻井よしこ氏を恨むのはお門違いなのですが...

 

【アゴラVlog】植村隆元記者は主役ではない
アゴラチャンネル 2015/02/13 に公開

池田信夫氏のVlog。 昨年の8月に朝日新聞が「強制連行」に関する一連の記事が誤報であることを認めてから、早いもので半年がたちました。 その間第三者委員会の報告もあって、少しずつですが事実が明らかになってきました。 あらためて見えてきた、より大きな朝日新聞社の問題点とはいったい・・・?

 

 

 

 

まず、この動画が撮られたタイミングなのですが、丁度、植村隆氏が西岡力氏や櫻井よしこ氏相手に訴訟を起こした直後で、この動画の中でも池田信夫氏は言論人が言論で対抗せず、司法に訴えることを非難しています。

 

しかし、慰安婦報道の第三者委員会報告から他の記者の実名が分かると、動画のタイトル通り、植村隆氏は主役ではなく、朝日という組織の中で行われた「慰安婦キャンペーン」の一つの駒に過ぎないのではないか、という見方もできると思いました。

だからといって、彼の犯した罪が消えるわけではなく、彼だけをトカゲの尻尾にしてぬくぬくとしている他の記者に怒りが湧いてくるだけですが。

 

* * * *

 

以下、動画で語られる内容を要約します。(2:34辺り~/以下、敬称略)

 

大阪社会部の植村隆が書いた記事は1991年(平成3年)8月11日の金学順(当時は匿名)の記事と同年12月の記事の2本。彼はそれしか書いていない。

彼に記事を書かせたのは当然、デスクであり、吉田清治の証言記事はそれ以前の1982年から頻繁に掲載している。これは他の記者が書いていたもので、そこには別のデスクの指示があり、別の論説委員が書いている。

例えば大阪本社の論説委員の北畠清泰(きたばたけ きよやす)。

植村隆に91年8月の記事を書かせたデスクは鈴木規雄(すずき のりお)。

北畠と鈴木は大阪社会部で一貫して「慰安婦キャンペーン」をやっている。

以下は、第三者委員会報告の北畠清泰が書いた記事に対する検証の一例。(P.18/ページ番号は12/リンク先はPDF、PDFが掲載されているサイトはこちら:http://www.asahi.com/shimbun/3rd/3rd.html

 

論説委員の北畠清泰による1992年1月23日付夕刊記事(1面「窓」)に
ついては、「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、一年二年と監禁し、集団強姦(ごうかん)し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」、(吉田氏の名前を出すと迷惑がかかるのではないかとの質問に対する)「いえいえ、もうかまいません」などの吉田氏の発言が記載されており、取材に基づく記事と考えられるが、執筆者が物故しているため、取材の経緯や裏付け取材の程度等は不明である。

 

1992年1月の一番大きな問題になった記事、即ち、宮沢首相訪韓の直前に、旧日本軍による慰安所の設置や募集の監督、統制についての「国の関与を示す資料が防衛庁図書館にある」とする記事を書いたのは東京社会部の辰濃哲郎(たつの てつろう)。彼は、当時、厚生省担当の記者であった。全く畑違いである。

そして、この辰濃のデスクが鈴木規雄。(東京に転勤していた)

つまり、鈴木を中心として、大阪だけの「慰安婦キャンペーン」から全国的なキャンペーンとなったと思われる。

その後、鈴木は大阪に戻り、大阪の社会部長になる。

ここで1997年の吉田証言記事の検証が行われることになる。

この検証について補足すると、吉田証言自体は1992年に秦郁彦氏や済州島の韓国人女性記者が現地で調査をしたが強制連行の証拠は見つからず、メディアでは信憑性がないと見なされていた。しかし、朝日だけがしつこく吉田証言を記事にし続けていた。

そして1996年に歴史教科書問題が起こる。これは、翌年度の教科書に慰安婦などの記述が書かかれた教科書(大阪書籍)が現れ、世間で吉田証言の信憑性に関する論争が再燃し、朝日新聞の、吉田証言に関する一連の記事に強い非難が集中。過去の報道を検証せざるを得なくなった。

この検証の時、当時の政治部長であった若宮啓文(2016年に北京のホテルで不審死した人物)が誤りを認めて謝罪しようとしたが、大阪社会部長の外報部長の清田治史(きよた はるひと)、彼も吉田清治の記事を書いていたが、彼と社会部長の鈴木規雄という当事者が検証作業のトップでとなる。自分達がやったことを検証するわけである。

当然、その検証は甘く、1997年(平成9年)3月31日に見開き2ページで掲載された慰安婦問題の特集記事では、吉田証言について、「真偽は確認できない」と誤魔化すものであった。

これで済ましたつもりだったが、2014年に再び社会的な問題となり、検証を行う羽目になった。この件と東電の吉田調書虚報問題で社長の木村伊量(きむら ただかず)は辞職。

次に社長に就任したのが渡辺雅隆(わたなべ まさたか)だが、これが元・大阪社会部長。

 

つまり、実際の主犯格は表に出ず、しれっと出世しているのである。

 

もうね、なんなん? この会社 (´・ω・`)

 

 

 

 

 


 

2018/11/17

【朝日新聞・慰安婦問題】櫻井よしこ氏の会見および言論テレビを観て

公開: 2018/11/17 16:36  最終更新: 2018/11/18 16:52(アゴラチャンネルの動画を追加)  

昨日16日、外国特派員協会にて、元朝日新聞 植村隆記者のとの裁判(札幌地裁)に勝訴した櫻井よしこ氏の記者会見がありました。

 

日本外国特派員協会 会見映像 オフィシャルサイトFCCJchannel
https://www.youtube.com/channel/UCaY31Acbdk1WUQfn304VCZg

Yoshiko Sakurai: "The Legal Fight over Reporting of Comfort Women"
https://youtu.be/4DWL11J2s4U (11月16日)

※上記YouTubeチャンネルから前日15日の植村隆氏の会見動画を視聴することもできます。

 

 

 

 

ブログ主はリアルタイムで最初と最後の方を見ただけで、途中の部分(記者からの質疑と応答の一部)を観ていないのですが、迎える側の協会が櫻井氏への敵意がむき出しでひどいものでした。

林いずみ弁護士を同伴されていましたが、その場でたった一人で彼等と対峙する櫻井氏は毅然とされて、気高さを感じました。

 

敵意がむき出しと書きましたが、それは冒頭の進行役による英語での紹介からしてそうでした。

うろ覚えですが、「元」ジャーナリストで、日本会議のメンバーで、(歴史)修正主義者の...という表現で、確か、日本会議の前にはわざわざ「右翼の」(right wing)とまでつけていたと記憶しています。

もちろん、櫻井氏は「現在も」ジャーナリストであるので、すかさず訂正させていらっしゃいました。おそらく、政治活動家というようなレッテルを貼りたかったのでしょう。

「日本会議のメンバー」というのは事実と異なり、また、「修正主義者」(revisionist)とは特定のイデオロギーを含んだ言葉ですので、これも訂正していました。彼女は「事実誤認を正そう」とはしていますが、決して修正主義者ではありません。繰り返しますが、revisionistはそれほど特殊な言葉なのです。

 

このような状況での会見および質疑応答で、ブログ主が観た質疑応答部分では、ニコ生のナナオ氏の視聴者からの質問代読以外は、質問と言うよりは論戦を挑むという感じでした。

中には、櫻井氏が時々寄稿する産経新聞が、慰安婦問題などの記事タイトルに「歴史戦」と付けること、そのような新聞に寄稿することも批判的に質問していて呆れました。

 

また、最後に質問した記者は、最初、「新聞社に属していますが、一人の言論人として質問します」などと言って、長谷川綾という名前だけで社名を名乗らなかったのですが、櫻井氏にはお見通しで「北海道新聞の方ね」と見破っていました。(なお、「北海道新聞 長谷川綾」で検索すると色々出てきます。)

いくら新聞社名を隠そうと、北海道新聞の記者だから、その会見場に入れたはずですが。

 

話題はもちろん裁判のことですが、以前のエントリー『【朝日新聞慰安婦報道】櫻井よしこ氏側勝利判断は妥当である/附:慰安婦報道訂正記事』に書いたように、裁判官は事実認定に基づき、“櫻井氏が植村隆氏は「事実を知っていながらわざと『女子挺身隊の名の元で強制連行された』云々と書いた」と信じるのは尤もである”(これを『真実相当性』と呼ぶそうです。)という判断をしました。

また、櫻井氏の書いた論文(雑誌の寄稿)は、「確かに、植村氏の名誉を損ねる」ものではあるが、その『公共性』ゆえ、過失は認められない、という判決を下したわけです。

 

* * * *

 

この会見の後、言論テレビの収録をされたようで、夜はいつもの『櫻LIVE』と『花田編集長の右向け右』の2枠を使って2時間かけ、裁判の検証番組が放送されました。

 

20181116_genron02

 

裁判の詳細は重複するので省略しますが、この中で印象に残った、というか、あらためて気づいたのは、植村隆氏の書いた記事のインパクトの大きさです。

彼は、「朝日以外の他紙も報道していたのになぜ自分の書いた記事だけ」という戸惑いがあったようですが、この番組を観て、その罪深さが分かりました。(下は記事の再掲)

 

19910811_asahi_uemura

 

植村隆氏の署名記事が掲載された1991年8月11日の当時は、ブログ主はインターネットも使える立場でしたが、確かまだダイアルアップで、家ではいちいち電話線に繋いで利用し、その間、電話代がかかるので、新聞などを悠長に読むこともありませんでした。

従って、自分の家で取っている新聞以外を読む機会はほとんどなく、ブログ主は、朝日が飛びついた吉田清治証言も彼が書いた本もリアルタイムでは知りませんでした。

 

「強制連行」という言葉は70年代終わりに知ったので、少なくともそれ以前からあったのですが、それは(主に男性の)労働者について使われ、若い女性を“強制的”に“連行”して、しかも“慰安婦”にしたということは言われていませんでした。

しかし、それを吉田が言い出したのです。

当然、日本からも秦郁彦氏のような研究者が調査し、強制連行の舞台とされた済州島の女性記者が聞き取り調査をしましたが、いくら調べてもそれを裏付ける証拠はありませんした。

 

【2018/11/18追記】たまたま下記の動画を見つけて視聴しました。朝日新聞が過去の慰安婦報道を訂正した直後にこれを検証する動画です。

20140807 朝日新聞「大誤報」を検証する 池田信夫×石田雅彦×石井孝明
アゴラチャンネル 2014/08/08 に公開

この中で、NHKのディレクターをしていて「強制連行」を調べていた池田氏(別のディレクターは「慰安婦」について調査)が、この当時のことを語っていますが、NHKも調査をして、済州島辺りではそもそも強制連行の証拠が見つからなかったと語っています。

当時、吉田証言はメディアや言論界はほとんど無視をしていたそうですが、朝日だけが執拗に食いついていたと見ていたそうです。

また、朝日の慰安婦虚報問題に関して、やはり植村氏の記事が一番悪質で、女子挺身隊と慰安婦の混同はあり得ないと非難しています。

 

そんなときに彼の記事によって、初めて“生き証人”が出てきたのです。

 

そして、それは“女子挺身隊の名で”という衝撃的な内容で、「慰安婦」と「強制連行」が結びついた瞬間でした。

 

番組内で、西岡氏はかなり衝撃を受けたというようなことを仰っていましたが、その後、調べて行くと、いくら探しても証拠はなく、段々と、その嘘に気づいて戦う決意をされたようです。

 

ブログ主は当時おそらく「女子挺身隊」という言葉は知らなかったと思います。多分、下の画像のように、「『勤労奉仕』をする女性とか学生さん」という言い方が口語では一般的だったと思います。

 

Teishintai_pic  

 

例えば、戦時中が舞台のドラマなどでも、「勤労奉仕に励む」という言い方をしていたと思います。

いずれにしても、彼の記事で「女子挺身隊」と「強制連行」が初めて結びつけられたのでした。

そして、その後、「強制徴用」などという珍妙な言葉まで作られるのですが、この話題は別に書きます。

 

彼が記事を書いた当時は、韓国国内で、「挺身隊」が「身を挺する」ということで「慰安婦」と混同されていた事実はあるようです。それは朝日の慰安婦虚報問題が発覚して検証記事を掲載したときに朝日新聞が言い訳に使っていましたし、彼もそう主張していました。

しかし、日本人であり、教養もある植村氏が、しかも、日本人読者向けに書く記事で混同するとは思えません。その他の証拠と併せても、植村氏が“意図的”に、「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と書いたとしか思えない、と言うのが櫻井氏が論文で書いたことで、また、今回の裁判で裁判官も認めた=真実相当性=のです。

 

彼がそれを“フェイク”だと言うのなら、彼が証拠を出せばいいだけなのですが、自称“強制連行された”慰安婦の金学順氏も、その記事が書かれた当時、「養父に騙されてキーセン(※)学校に売られた」と答えているし、彼が聴いたという証言テープも存在せず、その時の取材メモさえ無くしたというのではお話になりません。

 

キーセン【妓生】
(朝鮮語kisaeng)朝鮮の官妓(かんぎ)。役人などを歌舞で接待した。現代の韓国で接客業の女性を指す場合がある。キーサン。

広辞苑 第六版 (C)2008  株式会社岩波書店

 

なお、日本ではキーセンのような官製の芸妓も売春婦もいません。しかし、戦後の賠償問題を解決するのに、当然、酒席での接待のようなことはあり、そのような場合は民間の飲食店に連れて行きました。

そこで、インドネシアのスカルノ大統領に見初められたのがデヴィ夫人。もちろん、デヴィ夫人がキーセンのような仕事をしていたわけではありません。

この当時、このような汚れ仕事は政商とかヤクザが係ったのですが、その中で在日朝鮮人も大きな役割を果たしていました。この辺りの話は『ヤクザと妓生が作った大韓民国』(副題:日韓戦後裏面史/菅沼光弘著/ビジネス社)に詳しいです。(但馬オサム氏が企画・構成で、対談のような形式になっています。)

 

閑話休題。

 

朝日は慰安婦問題に関して数多くのフェイクニュースを流しつつけましたが、その中でも、植村隆氏の書いた記事の罪深さは格別重いもの、というのがお分かり頂けたでしょうか。

 

下は、植村氏が記者会見で主張した内容です。

 

19910811_asahi_uemura

 

4つ目の、「ジャーナリストの世界では私の正しさが証明されている」とは、いったい、どこのパラレルワールドなのでしょうか。

 

ただ、昨日の言論テレビを観ていて、ブログ主の勘違いでなければ、彼は、「正しい」を「正義」の意味で使っている風でもありました。

つまり、「か弱い女性を(強制連行かどうかは関係なく)性処理の道具にした」という道義的責任を追求するすることが正義だと勘違いしている気がします。

いわゆる、「ポリティカル・コレクトネス」という立場です。

 

下は何度か掲載した朝日の慰安婦報道の検証記事の一部抜粋ですが、これにもその姿勢の一端が見て取れます。

 

20140805_asahi01

 

数々の虚報を流したことを反省するどころか、今日的な問題にすり替えて開き直っています。

朝日新聞や植村隆氏が、その犯した罪(crimeではなくsin)を全く反省せずにいまだに日本と日本国民、そして我々の祖先の名誉を毀損し続けるのはこのためです。

 

 

 

 

 


 

2018/11/15

【戦時朝鮮労働者問題】個人が企業相手に戦後賠償請求というビジネスモデルを作ったのはアメリカ人

ブログ主が最近見た動画の覚え書きです。

このところ話題にしている、いわゆる「徴用工」、正しくは「戦時朝鮮労働者」が個人で日本企業に相手に賠償請求をするというビジネスモデルを作ったのは、米国人弁護士のバリー・フィッシャーというお話です。

元々は、国を持たない(=国家間の賠償ができない)ユダヤ人がナチスによる犯罪に対する賠償請求を行うためのスキームだったのが、この成功に味を占めたバリー・フィッシャーがアジアを回って、中国人や韓国人を焚きつけた、というのが今回の戦時朝鮮労働者訴訟に繋がっているそうです。

 

 

 

 

【Front Japan 桜】韓国訴訟の仕掛け人はアメリカ人 / 忘れてはいけない祝日の意味 / 人権賞剥奪~改心したスー・チー / 透けて見える「侮日」~BTS事務所が謝罪[桜H30/11/14]

キャスター:髙山正之・髙清水有子

 

バリー・フィッシャーはアメリカでマイク・ホンダ(←この名前が出てくると、途端に胡散臭くなるでしょ? )と組んでアメリカで立法化しようとしたそうですが、それは成功しなかったとのこと。

この部分の詳しい話はなかったのですが、こんな法律を作ったら、いずれアメリカ企業にブーメランが突き刺さるでしょうから、当たり前ですね。

 

この賠償ビジネスの中国での成功例が三菱マテリアル。(日本側から見れば失敗例ですが)

ここでは、報道記事ではなく、産経新聞の櫻井よしこ氏の寄稿文をご紹介しておきますが、動画の高山正之氏の説明によると、この裁判には元外務省の岡本行夫氏が絡んでいるとのこと。

 

https://www.sankei.com/premium/news/170108/prm1701080039-n1.html
【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】
三菱マテリアルの和解はやはり「追及」の始まりだった…官民協力して真実を国際社会に知らしめよ

2017.1.9 01:00更新

 早速きたか、というのが私の感想だ。昨年12月6日、中国人元労働者と遺族27人が北京市第三中級人民法院(地方裁判所)に鹿島建設を提訴した。第二次大戦中に日本に強制連行され苛酷な労働を強いられたという元労働者に謝罪し、1人100万元(約1650万円)を払えとの内容だ。

 同種の訴訟はこれから中国国内でずっとおこされるだろう。

(以下略)

 

 

また、番組の中で、産経新聞の矢板明夫記者が書いた記事が紹介されますが、それが下の『中国点描』です。

 

https://www.sankei.com/world/news/181107/wor1811070001-n1.html
【矢板明夫の中国点描】中韓共闘にくさび打ち込んだ安倍首相訪中
2018.11.7 08:00

 韓国の元徴用工をめぐる訴訟で、韓国の最高裁判所が日本企業に賠償を命じる確定判決を下した翌日の10月31日。中国官製メディアはこのニュースをどう伝えたかを確認しようと同日付の共産党機関紙、人民日報の記事を丁寧に探したが、関連報道は1行も載っていなかった。代わりに見つけたのは、3面に大きく掲載された福田康夫元首相が「日中協力の大切さ」を強調する長文の寄稿だった。

(中略)

 韓国の徴用工問題とほぼ同じ構図で、中国国内にも第二次世界大戦中の「強制連行」問題がある。元労働者や遺族で構成する複数の原告グループによる日本企業を相手取った損害賠償訴訟が、各地の裁判所で係争中だ。

 2014年冬、河北省石家荘市で行われた原告グループの会合を取材した。地元の裁判所近くにある火鍋料理店を借り切って、食事をしながら行われた集会は、元労働者と遺族ら計数十人に加えて、政府幹部、法曹関係者、官製メディアの新聞記者も大勢参加した。民事訴訟にもかかわらず、中国当局が深く関与していることをうかがわせた。さらに驚いたのは、集会が始まると、韓国からきたゲストが次々と登壇し、同国で行われていた徴用工裁判の経験を紹介し、日本政府・企業との戦い方などを指導し始めたことだ。

 当時、日本と対決する姿勢を強めていた習近平政権は、韓国と連携して歴史問題で対日“共闘”を展開していた。集会は、両国の「反日勢力」が一体化したことを強く印象づけた。

(中略)

 昨年5月に発足した韓国の文在寅政権は、さらに反日色を強め、日本たたきをするために国際法を無視する暴走を始めた。しかし、一方の中国は米中貿易戦争の影響で、日本への接近を図るようになり、日本を刺激しないために歴史問題にあまり言及しなくなった。今回の安倍晋三首相の訪中で、その傾向はさらに強くなった。北京の人権活動家によれば、中国国内での強制連行に関する訴訟はすでに“凍結”された。韓国の徴用工裁判の判決後、中国の警察は抗議デモを警戒して、各地の原告団関係者の行動を制限し、監視し始めたという。

 

矢板氏は元・中国残留孤児二世なので、中国時代の体験を石平氏との共著で出されたりしています。

 

 

 

 

 

 


 

2018/11/14

【「徴用工」問題】「元徴用工」が2017年8月14日に韓国政府に対して賠償を求めた裁判について

いわゆる「元徴用工」の裁判を巡る報道において語られない裁判があります。

それは下記の『元徴用工ら、韓国政府に賠償請求』という裁判です。ブログ主が探した範囲ではその結末が分からず、結局、今回(2018年10月31日)の大法院判決があったので、この裁判は棄却されたかと思ったのですが、その後の文在寅大統領の言動を見ると、原告が取り下げたのかも知れません。

 

それを示すために、一部、過去に書いたものと重複しますが、この後の文在寅大統領の発言や動きをまとめておきます。

 

 

 

 

2017/8/14 元徴用工ら、韓国政府に賠償請求

元徴用工ら、韓国政府に賠償請求  (日経新聞 2017/8/14 19:31)

 【ソウル=山田健一】太平洋戦争時に旧日本軍に徴用されて軍需工場などで働いた朝鮮半島出身の元徴用工とその遺族の計6人が、1人あたり1億ウォン(約960万円)の損害賠償を韓国政府に求める訴訟を14日までにソウル中央地裁に起こした。韓国政府の責任を問う訴訟は珍しい。元徴用工を支援する市民団体「アジア太平洋戦争犠牲者韓国遺族会」が明らかにした。

 原告は1965年の日韓請求権協定によって日本政府から韓国政府に支払われた3億ドル(約330億円)の無償提供資金が、元徴用工個人に支払われなかったのは不当と主張している。市民団体側は、原告を今後千人規模に拡大したいという。

 元徴用工に対する賠償責任を巡っては、日本政府は日韓請求権協定を結んだことで解決済みという立場。韓国では大法院(最高裁)が2012年に韓国人の個人の請求権は消滅していないとの判断を示して以降、地裁や高裁で日本企業が敗訴する例が相次いでいる。

 

 

2017/8/15 文在寅大統領の光復節演説

2017年5月10日に大統領に就任した文在寅は、8月15日、つまり、上記訴訟の翌日、光復節(日本の敗戦により、その支配から解放された記念日)にて演説を行っています。

下の記事は以前のブログエントリーからの再掲ですが、記事の最後の段落を読むと、「慰安婦」問題と併せて「被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止」に努めることを約束するとともに、「日本の指導者の勇気ある姿勢が必要」と日本への要求をほのめかしています。

 

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2017/8/17 文在寅大統領の就任100日演説

この2日後の8月17日には就任100日の演説を行いますが、ここではもっと踏み込んで、「徴用工、強制徴用を受けた個人が三菱などの企業を相手に持つ個人の権利(請求権)は残っている」と、発言しています。

ここで完全に「日本との間の徴用工問題は解決済み」という歴代政権の認識を覆しました。

 

https://www.sankei.com/world/news/170817/wor1708170025-n1.html
2017.8.17 12:53更新
【文在寅政権100日】「徴用工の個人請求権は消滅していない」文大統領が会見 慰安婦問題は「日韓請求権協定時には分かっていなかった」

 【ソウル=名村隆寛】韓国の文在寅大統領は17日、就任から100日の記者会見をした。文大統領は2015年に日韓が「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した慰安婦問題について、「(1965年の日韓請求権協定の)韓日会談の当時には分かっていなかった問題だ。会談で扱われなかった問題だ」と述べた。

 文氏は「慰安婦問題が判明し、社会問題となったのは韓日会談よりかなり後のことだ。慰安婦問題が韓日会談で解決したというのは正しくないとみる」と語った。2015年の日韓合意については、「現在、韓国外務省で検証作業を進めている」とした。

 また、日本の朝鮮半島統治からの解放記念日である15日の「光復節」の式典での演説で、自ら言及した徴用工の問題については「(日韓)両国間の合意は個々人の権利を侵害できない」とした。その上で、「両国間の合意にも関わらず、徴用工、強制徴用を受けた個人が三菱などの企業を相手に持つ個人の権利(請求権)は残っているというのが、韓国の憲法裁や最高裁の判例だ」と指摘。「韓国政府はこの立場で歴史問題に臨んでいる」と強調した。(以下略)

 

 

2017/8/25 安倍首相と文在寅大統領、電話会談

これから8日後の8月25日、安倍首相と文在寅大統領は電話会談を行い、ここで安倍首相が徴用工問題に触れ、「日本国民の間に心配がある」と釘を刺します。

この時の日本のメディアは、下に示した産経の記事もそうですが、手元にある読売の記事でも「徴用工『国家間では解決』」という見出しとともに「韓国大統領 揺れる発言」と、なっており、再び軌道修正したかのような報道ですが、よく読むと、17日の就任100日会見で示した、企業に対する個人的請求権まで解決したのではないという発言は訂正していません。

なお、読売の同記事ではもう一つ、「訴訟リスク消えず」という見出しで訴訟の可能性には一応言及しています。

 

https://www.sankei.com/politics/news/170826/plt1708260003-n1.html
韓国の文在寅大統領「徴用工の賠償問題、政府間で解決済み」 安倍首相との電話会談で表明
2017.8.26 00:44更新

 安倍晋三首相は25日、韓国の文在寅大統領と電話で会談し、日本の朝鮮半島統治時代の徴用工に絡む請求権について1965(昭和40)年の日韓請求権協定で賠償問題は解決済みとの立場を伝えた。文氏も政府間では解決済みとの認識を示した。両首脳が徴用工に関して意見を交わしたのは初めてで、両首脳は未来志向で日韓関係を構築していくことも確認した。

 安倍首相は電話会談で、日韓の請求権問題は解決済みだとの日本の立場を強調し、「未来志向の関係を構築していく上でも日韓の懸案を適切に管理していくことが重要だ」と述べた。

 聯合ニュースが大統領府関係者の話として伝えたところによると、文氏は電話会談で「この問題が韓日基本条約と韓日会談で解決したと韓国政府も認めた」と述べた17日の記者会見で個人の請求権は残っているとの見解を示したことに関しては「国家間の問題ではなく、被害者と企業間に残っている個人的請求権まで解決したのではないという趣旨の(最高裁の)判決について話した」と述べた。その上で「この問題が未来志向的な関係発展の足かせにならなければいい」と続けたという。(以下略)

 

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この後、9月に、文在寅は、春川地方裁判所長だった金命洙(キム・ミョンス)を大法院長(最高裁判所長官)に指名し、21日、国会で承認されます。金氏はいわゆる人権派。

 

 

2018/7/23

次に、この件で動きがあるのは、今年(2018年)の7月23日です。

朴槿恵政権時、最高裁が日韓関係に配慮する外交省に便宜を図り、大法院(最高裁)の判決の日程を延期させようとした、という疑惑が持ち上がり、8月2日には外交省への家宅捜索が行われます。

 

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そして8月3日には3名の大法院裁判官が交代させられ、これにより、14人の裁判官の構成は、李明博任命(1人)、朴槿恵任命(5人)、文在寅任命(8人)となります。(8月8日付産経『正論』日韓揺らす徴用工判決に準備を/西岡力氏寄稿 より)

 

* * * *

 

なお、既に認識を改めているとは思いますが、念のために書いておくと、2012年5月に大法院が出した判断は、下の図にあるように、“韓国憲法の規定に照らすと、日程占領期の朝鮮支配は不法な独占”というものです。

併合以降、日本統治下で行われた行為全てが“不当な支配”の元で行われたことであり、その前提に立つと、原告は徴用工であろうが、募集に応募したのであろうが、どうでもいいことなのです。

 

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後からできた憲法に従って過去の条約をひっくり返すのですから、常人では理解できない国です。

 

 

 

 

 


 

2018/11/12

【沖縄・北海道】翁長知事国連演説訴訟:沖縄と北海道で同時進行する似非民族独立論

ブログ主が最近見た動画の覚え書き等。

9日に翁長知事国連演説に対する住民訴訟の判決が下されました。

結果は「却下」でした。簡単に言ってしまえば、内容を検討されるまでもない門前払いです。

 

【特番】「翁長知事国連演説訴訟」裁判、判決のご報告と今後について[桜H30/11/10]

11月9日に那覇地裁にて行われた「翁長知事国連演説訴訟」の裁判の判決のご報告と、今後の裁判の日程について、弁護士の徳永信一氏ご報告いただきます。
出演:
   江崎 孝(沖縄支局担当キャスター)
ゲスト:
   徳永 信一(弁護士)

江崎氏のブログ『狼魔人日記』:結果報告、翁長知事・国連演説訴訟(2018-11-10 07:26:06)

 

 

 

 

ここで、住民訴訟の内容を過去のブログエントリーから引用します。

 

まず、裁判について簡単に説明すると、翁長氏が2015年7月に国連人権委員会にて、本来、地方自治体の首長はその資格がないにも関わらず演説に行き、旅費等を公費で賄ったことに対する返還請求です。

この裁判は、原告側が勝訴しても賠償金が取れるといった類いのものではありません。被告は県であり、要求は「県」が翁長氏やそれに随行した職員、通訳等に対し、「費用の返還を求めよ」ということです。(国連ではNGOなどに「枠」が与えられるので、知事はNGOと共に参加したもので、その枠内で演説も行われました。)

 

「却下」と紛らわしいものに「棄却」がありますが、こちらは内容を審議した上で、その訴えをする正統性がないという判断をすることだそうです。(つい最近、元朝日新聞記者の植村隆氏が彼の書いた記事を批判した櫻井よしこ氏やその論文を掲載した出版社を名誉毀損で訴えた裁判の判決がありましたが、それが「棄却」です。これについてはこちらのエントリーに書きましたが、呼んで戴ければ、原告と被告が提出した証拠資料などを審議しての「棄却」ということが分かります。)

 

今回の「却下」とは、「時効」に似たような理由で、審議するまでもない、という判断です。

しかし、番組の中で話されているように、金城テルさんが起こした「孔子廟裁判」(久米至聖廟裁判)を想起される判決だそうです。

つまり、地裁は審議から逃げた、ということ。

また、「時効」に似たような理由で却下されたと書きましたが、これは、住民訴訟は事案が発生してから1年に以内に行わなくてはならない、ということで、訴訟を起こす法的要件がないという理由です。

 

しかし、住民の立場では、「翁長氏が国連人権委員会の参加資格を逸脱して演説を行った」という事実を知る術がなかったことから、産経新聞の当時の支局長の書いたスクープ記事でそれを知ったときから起算すべき、というのが徳永弁護士の考えで、このような理由が認められた例は数多くあるそうです。

 

(沖縄のお陰で、裁判に関する知識が増えますわ。

 

そして、控訴したら二審で一審への差し戻しが行われる可能性が高いとのこと。

今後のスケジュールとしては、直ちに控訴し、来年3月くらいに第1回目。それ1回で結審するか、もう1回の口頭弁論があるかというところで、もう1回あるとしたら4月中くらい。そうなると判決は7,8月くらいだろうとのことです。そこで一審に差し戻しになれば、一審の裁判が始まるのが来年の今頃、という感じだそうです。

 

それにしても、「差し戻し」というのは、要するに高裁からの地裁への“ダメ出し”みたいなものなのに、裁判する側にとっては、費用も時間も取られるし、なんと理不尽なことかと思います。

 

* * * *

 

上に、この住民訴訟の内容を書きましたが、真の目的は、この裁判を通じて翁長知事が行った演説内容が沖縄県民のみならず日本人に対する裏切り行為であることを明るみに出すことにあります。

つまり、翁長雄志前沖縄県知事が「琉球独立運動」の片棒を担いだ、ということです。

過去のエントリーにも書きましたが、彼が演説した内容は「沖縄人の『民族自決権』の回復」です。要するに、沖縄にくすぶる『先住民族論』に与しており、“日本人ではない”という民族の分断を図る行為です。

 

これは、沖縄では様々な表現で語られます。

「沖縄のことは沖縄が決める」、「(沖縄は)『日本』と世界の架け橋になる」、等々。

つい先日行われた玉城デニー県知事の外国人記者クラブでも、この「架け橋」云々を言っていましたし、会見の中で、時折、沖縄方言を交えては、「(今の言葉は)『日本語』で言うと~です。」とも言っていました。

 

いよいよ現実味を増してきた『アイヌ独立』

この沖縄独立論は根が深い問題で、これについては別の機会に書こうと思っていますが、それにしても、現代の沖縄県民に、“あなたは少数民族ですよ”とか、”沖縄独立”とか言っても、普通の人なら「???」でしょうし、実現の可能性はないのですが、北海道で進行している「アイヌ独立」問題は、政府が安易にアイヌを少数民族と認めてしまっているだけに、日本人としては相当警戒する必要があります。

アイヌの方が沖縄県民全てを含む『琉球民族』よりはずっと分かりやすいというか、一般国民でアイヌを少数民族と誤解している人が少なからずいるので、こちらの方がやりやすいと、反日活動勢力は沖縄よりアイヌに注力しています。

 

来年の国会では、「アイヌ新法」が提出されることが予定されています。

政府がアイヌを少数民族と認めてしまったと書きましたが、これは、世間(世界)で言う、少数民族とは異なるなどと訳の分からないことを言ってごまかしているものを、本格的に少数民族と認めてしまう恐ろしい法律です。

 

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:VPTDL7gu-YsJ:https://jp.reuters.com/article/idJP2018081401001956+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp (リンク切れ。URLはキャッシュ)
国内政治ニュース(共同通信) 2018年8月14日 / 17:20 / 3ヶ月前

アイヌ新法、来年国会提出

 政府は、主に北海道に住むアイヌ民族の生活向上を支援する新たな法案について、2019年1月に召集される通常国会に提出する方向で調整に入った。日本の法律としてアイヌを「先住民族」と初めて明記する。生活格差を解消するための法整備を図り、20年4月に北海道白老町で開館するアイヌ文化振興の拠点施設とともに支援策の両輪と位置付ける。関係者が14日、明らかにした。

 新法制定に関し、アイヌ民族でつくる団体内で拠点施設の開館に合わせ、早期に成立させてほしいとの意見が相次いでいる。法策定では、アイヌが差別の対象となった歴史的経緯に触れるかが論点となるとみられる。
【共同通信】

 

https://this.kiji.is/403010106654835809
京都新聞社説:アイヌ新法 先住民族の権利明記を
2018/8/17 11:06

 これまで文化振興に限ってきたアイヌ政策を修正する。先住民としての権利を認め、同化政策で生まれた経済格差の解消や民族教育を受ける権利を具体的に保障する。

 生活支援を含めた新法の必要性は2009年の有識者懇談会が政府に提言しており、それが動きだす。「ようやく」という感は否めない。確実に成立させ政策を実施する必要がある。

 同時に、国内の一部にある「日本は単一民族国家」といった認識を改め、多様性を認め合う契機にしたい。

 国連では07年に「先住民族権利宣言」が採択されている。先住民族の自決権や土地、資源に対する権利を幅広く認める一方、関係各国に権利保障のための立法措置を求めている。

 宣言には日本も賛成した。これを受けて翌08年には衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを認める決議」が採択され、政府も先住民族と認める官房長官談話を出した

 だが、具体的な政策は1997年のアイヌ文化振興法に基づくものに限られていた。アイヌ語の教育や民族文化、技術の継承などは一定の成果を上げているが、北海道の調査では、アイヌの世帯収入や進学率の低さなど、さまざまな格差が残っているという。

 狩猟や漁業で生活していたアイヌは同化政策で農業への転換を迫られた。だが、与えられたのは多くが農業に不向きなやせた土地だった。日本語の強制は独自の文化の衰退を招いた。北海道アイヌ協会の記録には、今に続く問題の歴史的経緯が明記されている。

 政府がこの間、文化振興にとどまった背景には、「特別扱い」という批判を恐れたことがある。土地や資源の権利回復が具体的に浮上することも懸念された。

 だが、97年まで続いた旧北海道土人保護法による同化政策が生んだ矛盾を解消し、アイヌの血を引く人の誇りと尊厳を取り戻す責任は国にある。新法では歴史的経緯にも触れるべきだ。

 国は2020年4月に北海道白老町にアイヌ文化振興の拠点施設を開設する。アイヌへの理解と民族共生のための情報発信や教育の拠点になる。新法の整備と合わせ、アイヌ政策の柱となることを期待したい。

[京都新聞 2018年08月17日掲載]

 

https://www.sankei.com/politics/news/160513/plt1605130041-n1.html
アイヌ新法検討を確認 政府の政策推進会議
2016.5.13 13:19

 政府は13日、アイヌ民族支援の施策を検討する「アイヌ政策推進会議」(座長・菅義偉官房長官)の会合を官邸で開き、アイヌ民族の生活や教育を支援する新法の制定に向けて検討を進める方針を確認した。菅氏はあいさつで「しっかりと総合的に検討する」と説明した

 会議では、北海道白老町に整備を予定するアイヌ民族の文化復興拠点の名称について「民族共生象徴空間」と決定。拠点内に建設される中核施設の名称も「国立のアイヌ文化博物館」から「国立アイヌ民族博物館」に変更するとした。

 会議はアイヌ民族の団体関係者のほか、高橋はるみ北海道知事らで構成。新法制定は北海道アイヌ協会が要請していた。

 

菅義偉官房長官は政府のスポークスマンの立場で、しかも、官房長官会見では東京新聞の望月イソコ記者と対峙していながら、マスコミに叩かれない理由を考えましょう。

 

 

 

 


 

2018/11/11

【同窓会】2018/11/10 駅前酒造に集まりました

昨日(11月10日)、近所に住む同級生だけで駅前酒造に集まりました。

年に2回ほど行っている飲み会ですが、毎回、noguchiさんが幹事となって声をかけてくれ、十数人程が集まります。

普段はこの会があっても特にブログで報告することもないのですが、今回、会費の残金、3,600円を当ブログ管理人が預かったので、(忘れないよう、)メモしておきます。

このお金は次回の飲み会に使うことになっています。

前回の、学年全体に声をかけての同窓会の残金とは別に管理するという意味です。

ご了承ください。

 

 

 

 


 

2018/11/10

【朝日新聞慰安婦報道】櫻井よしこ氏側勝利判断は妥当である/附:慰安婦報道訂正記事

公開: 2018/11/10 14:27  最終更新: 2018/11/10 15:35  

このエントリーはこの件に関し関係資料をまとめることを目的としています。

 

昨日(11月9日)、元・朝日新聞記者の植村隆氏(現・『週刊金曜日』社長)が、櫻井よしこ氏と氏の論文を掲載した雑誌社を相手取って名誉毀損の訴えを起こした裁判の判決が下され、原告(植村氏)の訴えは棄却されました。

ブログ主は判決文要旨(後述)を読んでみましたが、札幌地裁は至極まともな判断だと評価します。

 

https://www.sankei.com/affairs/news/181109/afr1811090014-n1.html
元朝日新聞記者、植村隆氏の請求棄却 札幌地裁
2018.11.9 16:13

 元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった植村隆氏が、記事を「捏造」と断定され名誉を傷つけられたとしてジャーナリストの櫻井よしこ氏や出版社3社に損害賠償や謝罪広告の掲載などを求めた訴訟の判決で、札幌地裁は9日、植村氏の請求を棄却した。

※ブログ主註:出版社3社とは雑誌『WiLL』のワック社、「週刊新潮」の新潮社,「週刊ダイヤモンド」のダイヤモンド社のこと

 

 

 

 

植村氏は櫻井氏のウェブサイトに転載して掲載している論文の削除を求めたほか、謝罪広告の掲載や慰謝料等(各被告ごとに550万円)の支払を求めていました。

 

ご存知のように、名誉毀損とは、論文の内容が真実であっても、それにより原告の社会的評価を低下させるものであれば成立しますが、公益性があればその過失は認められません。

札幌地裁の判断は、植村氏の記事に対し疑義が生じるのは尤もで、櫻井氏が参照した他の資料からも、「櫻井氏がそう(捏造だと)判断するのは妥当」とし、その目的は公益性があるために過失とはしない、というものです。

 

 

植村隆元朝日新聞記者の記事とは

まず、櫻井よしこ氏が批判した、植村隆氏が書いた記事がこちらです。(月刊HANADAセレクション『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞 誤報・虚報全史』に掲載されていた記事画像を雰囲気が分かる程度に縮小したもの。)

 

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この月刊HANADAには他にも当時の朝日新聞が掲載した慰安婦関連の誤報・虚報が解像度の高い画像で掲載されているので、(老眼鏡か虫眼鏡を使えば)テキストも読めます。

 

 

櫻井よしこ氏の論文

櫻井氏の公式サイトはこちら(下)で、検索ワードで検索も可能ですが、「植村隆」で検索した結果のURLも掲載しておきます。雑誌記事が転載されたエントリーが含まれています。

 

 

【追記】櫻井よしこ氏の2016.4.22付産経新聞寄稿文

「植村氏の記事への評価、変えない」 櫻井氏の意見陳述の主な内容

 

 

札幌地裁の判断

これは植村氏を支援する団体のサイト(http://sasaerukai.blogspot.com/)に掲載されていたものをコピペして誤字などを訂正し、体裁を整えたものです。(文字色、下線はブログ主が読みながら付したもの。特に青字は事実認定の部分に使っています。)

 

 

 

 

11月16日(金)の言論テレビでこの問題を櫻井氏が解説

11月16日(金)の言論テレビでは、2時間に渡ってこの問題を取り上げる特別番組が放送されます。

金曜夜9時からの本放送では会員でなくても無料で視聴が可能です。

 

11月16日金曜夜9時『櫻LIVE 君の一歩が朝(あした)を変える!』第317回放送は、櫻井よしこキャスターを中心に、同じ植村氏からの慰安婦記事名誉棄損裁判を闘っている麗澤大学客員教授の西岡力さん、今回の裁判で櫻井側主任弁護士を務めた林いづみさん、慰安婦問題も言論の自由にも関心が高いジャーナリストの有本香さん、小川榮太郎氏の著作に対する損害賠償訴訟で朝日新聞と闘う月刊『Hanada』編集長の花田紀凱さんが勢揃いし、言論の自由をテーマに熱い議論を繰り広げます。(HPより番組紹介文を一部転載)

 

 

朝日新聞の慰安婦報道の捏造訂正記事一覧

ブログ主が保存しておいた当時の新聞記事です。訂正記事と書きましたが、言い訳を書き連ねているだけのものをここに再掲します。

 

■『慰安婦問題の本質 直視を』(2014/08/05) 

下は朝日の訂正記事が掲載された頃に書いたエントリー(2014/09/14付)に掲載した画像です。訂正記事が掲載された8月5日に編集担当の杉浦信之記者が書いた記事の一部ですが、朝日新聞の姿勢をある種象徴する文章なので、あらためて転載します。

 

 

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日本で公娼制度が廃止されたのは、連合軍総司令部(GHQ)により1946年、その後も黙認されていた赤線・青線が廃止されたのは1958年売春防止法です。それを、この文では、ボスニア紛争での強姦事件という90年代のモラルを持ち出して、問題をすり替えています。

朝日の姿勢は、吉田証言により騙されて誤報を掲載したという被害者意識が滲み出ており、都合のいい情報を得たことでこれに乗じて散々日本叩きをやったことには何ら反省していません。

下はこの記事の全文です。

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■過去の記事の検証結果(2014/08/05)

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■新聞販売店宛に出したレター(2014/08/18)

読者からの苦情を受けた(?)販売店宛に出したと思われるレターで、「朝日新聞の過去の報道に対して、言われなき批判」と開き直り、「他のメディアもやってたのになんでウチだけ」と怒り、最後はお決まりの「人間の尊厳を軽視するような論調こそが、むしろ国際社会の中で日本が異端視され、孤立することにつながります」と問題のすり替えをやっています。

 

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■池上彰氏のコラム『新聞ななめ読み』(2014/09/14)

本来は訂正記事を出した直後に掲載されるはずであった池上彰氏が執筆するコラム(『新聞ななめ読み』)を朝日が掲載拒否したことを池上氏本人が暴露したことから、再度非難され、1ヵ月以上遅れて掲載したもの。しかも、他の識者が安倍首相を批判するコラムとともに『オピニオン』のページに掲載された。

「池上彰コラム掲載拒否事件」は他からの意見には耳を貸さない朝日の体質を現している。

 

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■2014/08/05の訂正記事を訂正する記事(2014/09/29)

ブログ主がメモ帳にコピペして保存していたもの。訂正記事でも虚偽を掲載していた。

 

【29日朝刊の社会面】と【朝日新聞デジタル】 2014年9月29日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S11375306.html(既にリンク切れ)

『慰安婦特集記事の一部を訂正します 朝日新聞社』


 8月5日の特集記事「慰安婦問題を考える(上)」で、朝日新聞社は、韓国・済州島で女性を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽だと判断し、吉田氏に関する記事を取り消しました。初報は1982年9月2日付大阪本社朝刊の記事として、「執筆した大阪社会部の記者(66)は『講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった』と話す」と記しました。しかし、その後、この元記者は当該記事の執筆者ではないことがわかりました。おわびして訂正します。

 元記者は社内の取材班の調査に対し、当該記事を含めて吉田氏に関する記事を数本書いたと認めていました。しかし、元記者がその後、海外への渡航記録を調べたところ、大阪市内で講演のあった82年9月1日時点で国内にいなかったことが判明し、記憶違いであることが確認されました。その後の吉田氏に関する記事は実際に書いていました。

 特集記事の掲載後、当時の大阪社会部にいた別の元記者が「吉田氏の記事を書いたことが1度だけある。初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出ています。

 初報が掲載された経緯については近く設置する第三者委員会の調査結果を踏まえて紙面でご説明します。

 

 

朝日の慰安捏造報道の経緯

以下のブログエントリーは朝日の虚報が発覚したときにブログ主が慰安婦報道の経緯を時系列にまとめたものです。

 

【ブログ主覚書】朝日「慰安婦」報道の闇解明を!

 

 

【追記】朝日新聞前社長が初めて綴った 「W吉田誤報」の内幕(文藝春秋 2018年2月号/文春オンライン)

以下の寄稿文を読むと、何らかの反省から検証したものではない、ということが分かります。

 

朝日新聞前社長が初めて綴った 「W吉田誤報」の内幕

文藝春秋 2018年2月号
http://bunshun.jp/articles/-/6111

 平成26年8月、朝日新聞は過去の慰安婦報道を検証し「吉田清治証言」を取り消した。だが謝罪がないことが批判を呼び、また翌月には元福島第一原発所長・吉田昌郎氏の「吉田調書」についても誤報が判明。責任を取って社長を辞した木村伊量氏(64)が当時を振り返って綴る。

◆ ◆ ◆

 朝日新聞社の社長を平成26年末に辞して以来、わたしは沈黙を守ってきました。未曾有の混乱を招いた最終責任を取って社を去った者が、何を語ろうと弁解がましくなるのがおちで、胸の奥にすべて封印しようと考えたからです。一方で、当時の経緯やトップとしての判断を、できるだけ正確に書き残すことは、やや大げさなもの言いをするなら、歴史に対する責任ではないか、という思いが去来してもおりました。社を退いて3年。それなりの時間が経過したこともあり、今回、編集部の求めに応じたしだいです。

 慰安婦報道をめぐる経緯はおおむね、平成26年12月に出された「第三者委員会」の報告書にある通りです。社内では平成9年に一度、慰安婦報道を検証したのですが、いわゆる「吉田清治証言」の信ぴょう性には各方面から疑問が相次いでいたにもかかわらず、訂正や取り消しはせず、中途半端な対応にとどまった印象でした。

 平成24年6月に社長に就任してまもなくのことです。編集担当の役員から、前年に韓国の日本大使館前に慰安婦像が設置されるなど、慰安婦問題はさらに深刻化すると見られ、朝日としても内々に再調査する意向が伝えられ、同意しました。社のOBから「慰安婦問題を歴代の朝日トップはほおかむりしてきた。君の時代に決着させろ」という私信が届き、販売店ASAや若い記者諸君からも会合などで「いつまで誤報を放置するのですか」とたびたび詰問されるようにもなりました。

 平成26年になると、安倍政権が慰安婦をめぐる「河野官房長官談話」の検証に踏み出すという話も伝わってきました。そうした動きもにらみつつ、3月、後任の編集担当のもとに検証チームを立ち上げました。わたしは社内のある席でこう訴えました。「日本だけでなく、アメリカもドイツも中国も韓国も、触れられたくない『負の歴史』を背負っている。逃げずに過去を直視してこそ品格ある道義国家だ。来年2015年は日韓基本条約締結から50年。未来志向の日韓関係を訴えていくためにも、誤報はただし、後世の評価にたえる検証にしよう」

 社長室の机の片隅に「The buck stops here.(最終責任は自分が取る)」と書いた紙片を貼りつけていました。たとえ火の粉を浴びようとも不退転で臨む覚悟でした。

 その年の8月の検証記事掲載にあたっては危機管理の観点から、編集幹部もまじえた役員の会合で何度も議論しました。当初の紙面案には「おわび」がありましたが、それまでの朝日の慰安婦報道への全面的な謝罪だと読者に受け取られかねない、という意見が数人から表明され、ある役員は「謝り過ぎだ。これでは店(販売店)がもたない」と強く異論を唱えました。最終的にそのトーンで紙面化することが固まりましたが、社長のわたしが一貫して議論を主導したことは間違いありません。

 ただ、いまもって「安倍首相と何度も会い、彼の軍門にくだって、慰安婦報道を取り消したそうじゃないか」などと、いわれのない批判を受けるのには暗然とします。首相や政権の要路と慰安婦問題で話をかわしたことは一度たりともありません。(各社政治部長OBの会合を除くと)わたしが社長として首相に会ったのは平成25年2月7日、朝日の編集幹部2人とともに、ホテルの中華料理店にお招きした折だけです。

 池上彰さんとはいまも面識がありません。人気コラムの「新聞ななめ読み」は柔らかな筆ながら、こちらの痛いところをズバリと突く硬派ぶりに、「やられたなあ」と苦笑したものでした。このコラムに限らず、社長が外部筆者の原稿に紙面化の前に目を通すのはありえないことです。ただ、このときはどんな経緯だったのか、慰安婦検証を取り上げた池上コラムのゲラが、わたしのもとに持ち込まれました。一読して「役員全員で検証記事のトーンを決めたのに、『おわびがない』という一点をもって検証記事の意味はなかったと言われ、読者の不信を買うようなら、ぼくは責任をとって社長を辞めることになるよ」と、かなり厳しい調子でコメントしたと記憶しています。

 掲載までまだ時間はあるし、修正をお願いしようという話になりました。詳細は承知していませんが池上さんとの交渉は難航したようで、今回は掲載を見合わせてなお交渉を続けるとの報告を受けました。「コラム打ち切り」を指示した事実はありません。それがほどなく、途中経過が週刊誌にスキャンダルとして報じられ、わたしは新聞社にあるまじき「言論封殺」に手を染めたとして断罪されることになったのです。

 のちに第三者委員会による聴取で「あなたの発言を下の人が『社長の意向』だと忖度したことに責任は感じないか」と問われました(そう、昨今話題になることが多いあの「忖度」です)。「そう思われたというのなら、あえて反論はいたしませんが」と答えたように思います。

 だれにでも臆せずにものが言える自由な社風の中で育ち、部下に理不尽な権力をふるった覚えもありませんが、危機管理意識が過剰だったのか、そこは大きな反省点です。「経営と編集の分離」も改めて問われました。「編集内容に対する最終責任は経営、編集管理者に帰せられる」と戦後間もない昭和23年から継承される日本新聞協会編集権声明にありますが、ふだん、社長が社説や記事に干渉することなどありません。新聞社のトップがまず心すべき編集権の擁護とは、ときの政治権力や資本(大株主の創業家など)の介入を防ぐことです(詳しくは申せませんが、この点では社長時代に思いきった環境整備をはかりました)。

暗転した「吉田調書」報道

 追い打ちをかけたのが、東電福島第一原発をめぐる「吉田調書」報道でした。平成26年5月20日の朝刊トップ記事を見て、「超ド級のスクープだ」と小躍りしたものです。ところが、日がたつにつれて、「吉田所長の命令に違反」という記事の根幹部分を疑問視する声が社外から相次ぎ、事態は暗転。わたしの記者会見当日の未明になって「編集としては記事の全文取り消しもやむをえません」とのメモが入りました。「それは編集局の総意なの?」。仰天したわたしは編集幹部に問いただしました。ならば、何をか言わん。ジャーナリズムの信用を失墜させた責めは免れません。信頼回復への一定の道筋をつけたうえで社長を辞任するハラをひそかに固めました。

 調査報道に実績があり、優秀で信頼していた記者たちによる過ちだけに、いまも悔やまれてなりません。しかし、調査報道こそはジャーナリズムの明日を切り拓く「道標」です。現役記者の皆さんは手痛い躓きに教訓を学んでも、けっして萎縮することなかれ。正確で重心の低い調査報道に、勇気をもってチャレンジし続けてもらいたいと願っています。

 

 

 

 


 

2018/11/08

【false equivalence】大臣答弁を『ご飯論法』と言って悦に入ってるが...

昨日、ブログのアクセス解析を見たら、以前書いた記事「【国会】『ご飯論法』-上手い喩えだが、実は的外れ」へのアクセスが伸びていることに気づきました。

その時は理由は分からなかったのですが、しばらく経って、ユーキャンの流行語大賞候補に「ご飯論法」がノミネートされていると知りました。

おそらく、「ご飯論法って何だっけ?」と調べた方がアクセスして下さったのでしょう。

 

 

 

 

「ご飯論法」とは、「ご飯食べたか?」-「(実際に食べたのはパンなので)ご飯は食べていません」というような「はぐらかし」のことですが、上記記事に書いたように、提喩(ていゆ)という比喩の一種で、「ご飯(白米)」=部分=で「食事」=全体=の代用をさせることを意味します。(部分や特殊なものを表す言葉で全体や類を指す。)

別の例では「『手』が足りない」の「手」(hand)で「労働者」(workman)を指すのも提喩。

逆に、「『花』の命は短くて...」のように、「花」=全体=を「桜」=部分=の意味で使うのも提喩です。

 

Gohan

 

そこで、以前書いたブログエントリーをツイートしたところ、コメント(リプライ)で教えて戴いたのが、「false equivalence」(直訳:偽の等価性)という言葉。(Twitterをやっていると、頭の良い方、語学に堪能な方から教えて戴く機会が多々あり、勉強になります。)

 

Wikipediaでこの項(英語)を見ると、次のような例が出てきます。

 

  • "They're both living animals that metabolize chemical energy. There's no difference between a pet cat and a pet snail."
    「ペットの猫もペットのカタツムリも、エネルギー代謝をする生き物である。故に両者に違いは無い。」

 

  • "The Deepwater Horizon oil spill is no different from your neighbor dripping some oil on the ground when changing oil in his car."
    「ディープウォーター・ホライズン(BP社の石油掘削施設-2010年に原油流出時期を起こした)の原油流出はあなたの隣人が車のオイル交換をする際にオイルをこぼすのと違いは無い。

 

「エネルギー代謝をする」、「オイルをこぼした」という共通部分を持ってして、「両者が等しい」とする論法のようです。

 

* * * *

 

以前のブログエントリーでは加藤大臣や佐川理財局長の答弁を「ご飯論法」と呼ぶのは的外れでは?ということを書いたわけですが、この「的外れ」と言うか、「詭弁」を指すのが「false equivalence」です。

そして、「一瞬等価に思えるので変な説得力があり、受け手が反射的に納得して分かった気になってしまう」から気をつけろ、と、危険性に重きをなす文脈で使われるそうです。(これも教えて戴きました。)

 

図にするとこういうこと。

 

Synecdoche

 

「ご飯論法」というネーミング自体は上手いと思いますが、すっかり忘れられたこの言葉を引っ張り出してきたユーキャンは、単に政権批判をしたいんでしょうね。

 

 

 

 


 

2018/11/07

【外国人労働者受け入れ】健康保険法改正案(医療保険制度)

現在、外国人労働者の受け入れを拡大する「入管難民法」の改正が議論されています。

ブログ主はこの話題は取り上げてきませんでしたが、一言で言ってしまえば反対で、これまで、Twitterで自民党の議員に意見を伝えてきました。

主な理由の一つは入管法以外の法が未整備で、日本の社会保障制度が外国人の食い物にされることですが、それに対する医療保険制度の改革が検討されるとのことで、本日(11月7日)付読売1面トップに記事が掲載されていました。

但し、来年の通常国会に提出とのことで、泥縄式の感は否めません。まずはこうした穴を防いでから入管法の改正に取りかかるべきです。(これ以外にも、国防上からは「スパイ防止法」など、様々な対処が必要です。)

 

 

 

 

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181106-OYT1T50100.html
外国人労働者の医療保険、母国の家族は除外
2018年11月07日 07時18分

 政府・自民党は、日本で働く外国人が母国に残した家族について、日本の公的医療保険制度の適用対象から原則として除外する方針を固めた。政府が来年4月の開始を目指している外国人労働者の受け入れ拡大に向けて環境を整えるためだ。来年の通常国会に健康保険法改正案を提出する方向で検討を進める。

 海外に住む外国人家族の医療費を日本側が負担する仕組みを改めることで、日本人労働者が抱く不公平感を解消し、医療保険財政への圧迫を抑える狙いがある。

 日本で働く外国人は昨年10月末現在、約128万人(厚生労働省調査)。現行制度では、外国人労働者が〈1〉大企業の健康保険組合〈2〉中小企業向けの全国健康保険協会(協会けんぽ)――のいずれかに加入した場合、その外国人労働者が生計を支えている子や孫など3親等以内については、日本に住んでいなくても扶養家族として扱われる。

(ここまで371文字 / 残り566文字)

 

20181107_yomiuri_kenpo

 

 

公開されているテキスト部分は現状の説明で、図の中にあるように、「海外に住む外国人労働者の家族は、扶養家族として扱わない」という法改正を目指すというものです。

これは、数年前に、ある女性タレントの父親がこの仕組みを悪用してブローカーのようなことをやって逮捕され、その時にこんな抜け道があったのかと気づいた方も多いと思いますが、ようやく手を付けるとは遅きに失した感は否めません。

現在の政権が目論んでいる官製の外国人労働者受け入れに関わらず、日本の企業が外国人社員を雇用することは継続して行われているので早急に対応すべきです。

 

* * * *

 

この記事のweb上で公開されていない部分に重要なことが書かれています。

それは、外国人労働者を差別しないよう、日本人の保険適用も制限することが検討課題とされているということ。

具体的には、「留学や就職などで一時的に海外に滞在する場合、その家族を扶養家族から除外するかどうか」、ということです。(または、家族帯同で海外駐在し、駐在者本人が帰国しても子どもの学業の関係で母親と子どもがしばらく現地に残るというようなケースも考えられます。)

その場合、旅行保険のような、その国の医療を受ける際の備えとして、私的な損害保険に加入することになるかと思いますが、これはしかたがないことかと思います。

 

 

 

 


 

2018/11/06

【沖縄】シナへの従属の象徴「守礼門」を復元する沖縄、「迎恩門」を壊した韓国

以前のエントリーで、首里城祭の三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)について書きました。

要約すると、

シナとの冊封体制(朝貢外交)を象徴する儀式ですが、宗主国であるシナから来る勅使を土下座して迎える三跪九叩頭の礼を沖縄では「首里城祭」と名前をカモフラージュして再現しています。

 

Sankikyukoutou

 

勅使は守礼門(しゅれいもん)で上の画像のようにしてに迎えられました。

 

 

 

 

守礼門は戦災で焼失し、現在の門は1958年(昭和33年)に復元されたものです。

守礼門自体は沖縄の歴史の一部であり、復元自体は嘗てあった建造物の再建なのでとやかくは言いませんが、このような屈辱的な儀式をショーとして行うことの馬鹿馬鹿しさ、と言うか、県民にはその意味を考えさせないようにして再現していることの意図を考えると恐ろしいものを感じるというのが、前回書いたことです。

 

その時に、同じように朝鮮で清の勅使を迎えていた「迎恩門」はその後どうなったのだろう?と思って調べていたのですが、長くなるので割愛していました。

実は、韓国では、徐載弼(じょ さいひつ)という人物がこの屈辱的な門を壊して、その跡に新たに「独立門」を建てていました。(1896年11月21日に起工式が行われ、1897年11月20日完成)

 

Independence Gate in 1897

 

Dokripmun

 

独立とは「清からの独立」を意味します。

 

徐載弼(じょ さいひつ)は17歳の時日本に留学して福沢諭吉の元で学び、甲申事変に参画、失敗して日本に亡命したあと、アメリカに渡っていました。甲申事変とは、1884年、閔妃(びんひ、みんぴ=高宗の王妃-)一派に対し、金玉均(きん ぎょくきん)ら開化派がソウルで起こしたクーデターで、清軍の軍事介入により失敗しました。

日清戦争のあと、ロシアに近づいていった閔妃が日本や反閔派の朝鮮人によって暗殺(1895年10月8日)された後、高宗はロシア公使館に逃避、そこから1年間程はロシア公使館で政務を摂るという異常事態で、朝鮮は混迷の度を深めました。

そんな中、金弘集(きん こうしゅう)首相はアメリカから徐載弼を呼び寄せたのです。

外務大臣の職に就くよう要請された徐載弼ですが、それを断り、啓蒙運動に身を投じます。彼はハングルによる「独立新聞」を創刊し、前述の「迎恩門」を壊して「独立門」を建て、「慕華館」(中国皇帝の使者を迎える館-上の古い画像の中央に映っている建物)の看板を「独立館」に掛け替え、独立運動の拠点としました。

この独立の機運を受け、高宗はロシア公使館への逃避をやめ、清国との従属関係からの離脱を宣言、国号も「大韓帝国」と改め、欧米各国からも承認されます。(1897年10月13日)

しかし、現実はロシアの干渉を受け続け、日本を含む他の欧米列強の利権争いに翻弄されます。

徐載弼ら「独立協会」のグループはこれを糾弾しますが、韓国政府は逆にこれを排除する動きに出て、徐載弼はアメリカに帰国しました。2年にも満たない韓国滞在でしたが、彼の「独立新聞」が創刊された日は現在「新聞の日」(4月7日)に制定されているそうです。

なお、徐載弼を呼んだ金弘集(きん こうしゅう)首相も親露派により1896年2月に殺されています。

 

さて、このような「独立門」ですが、実はオチがあります。

 

歴史を正しく教えられていない韓国民は、これを「日本からの独立」の記念門だと思っているそうです。

 

 

 

 


 

2018/11/05

蓮舫氏「(父は)日本占領下で日本国籍を有していました」発言

本日(11月5日)は参院予算委員会が行われています。

時間が無くて観ていなかったのですが、自民党、和田政宗議員がこのようなツイートをされていました。

 

 

 

 

和田さんは「日本占領下」という表現を問題視されていらっしゃるようですが、ブログ主が気になったのは、て「日本占領下(統治下)で日本国籍を有していました」という部分。

台湾が日本の領土となったからと言って、台湾人が自動的に日本の国籍を得たわけではないはず。

自身の二重国籍が問題視されている蓮舫氏が、自分の父親が「日本人」扱いになったことを「国籍を有していた」と表現するのは、「国籍」に対する認識がいい加減すぎるのではないでしょうか。

現時点では参院の審議中(インターネット中継)で、蓮舫氏の発言を確認できませんが、終了後はアーカイブスに動画がupされるので、どのような文脈で発言したのか、確認しようと思います。

 

【メモ】1903年(明治36年) 「戸籍調査令」、1905年(明治38年) 人口調査開始。(伊藤潔著『台湾 400年の歴史と展望』中公新書/P.90)

 

 

 

 

 


 

2018/11/04

【沖縄】岩屋防衛相「県が本部町に港の使用許可を出さないよう指導」→琉球新報「フェイクニュースだ!」

先日のエントリー『【沖縄】辺野古埋め立てを“地元”の本部町が妨害?【NHK】』で、辺野古埋め立ての土砂を運ぶために沖縄防衛局が港のある本部町に港の使用許可を得ようとしたら拒絶された(既に他の業者と契約してしまった)ということを書きましたが、その後、沖縄タイムスの報道により、沖縄県が実質的な権限を持っており、沖縄防衛局の邪魔をしているのは沖縄県らしい、と追記しました。

追記した部分は『狼魔人日記』というブログで知った旨を上記ブログにも書きましたが、本日の同ブログ『嘘つきはNHKか沖縄2紙か、本部町が県指導で防衛局申請拒否』(2018-11-04 06:14:06)

詳しくは『狼魔人日記』で読んで戴きたいのですが、記録として、沖縄二紙(沖縄タイムス、琉球新報)、NHK、岩屋防衛相の発言などをメモしておきます。

 

概略としては以下の通りです。

 

11月2日に岩屋大臣が「沖縄県からは新たな申請を受けないようにと指導されている」と話し、NHK沖縄はその通りに報じました。(参考ソース【※1】、【※2】)

しかし、沖縄2紙は「県が妨害しているとの印象操作だ!」と発狂記事を書いている、というのが『狼魔人日記』の内容です。

沖縄2紙は表現の差はあれど、「指導ではない!協議して決めた!」と言っていますが、『狼魔人日記』の筆者が、

 

県は指導はしていないが、「圧力をかけた」が正解ではないだろうか。(爆)

 

と結んでいるいるように、まあ、言葉遊びの類いです。

とりわけ、琉球新報は「フェイクニュース」呼ばわりまでする発狂度が面白いのでご紹介しておきます。(【※3】)

 

参考記事・ソース

【※1】岩屋防衛相のインタビュー(該当部分) 

 

http://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2018/11/02a.html

Q:土砂を船に積み込む本部の港ですが、本部町が台風で港が壊れていることや、他の業者が使っていることを理由に、許可を出せないと言っておりますが、これに対してどのように対応していこうとお考えでしょうか。

A:昨日、本部港に対して、岸壁使用許可書を申請しようとしたところ、本部町からは、台風の被害を受けているということと、既に延べ45件の岸壁使用許可を行っていることから、こうした状況を沖縄県港湾課に説明したところ、沖縄県からは新たな申請を受けないようにと指導されていると、これは普天間飛行場代替施設建設以外の事業についても、同様の取扱いであるという理由が説明されました。申請の受取りを拒まれたということでございますが、防衛省としては、引き続き、これからも本件に係る本部町との調整を進め、速やかな使用許可を得たいと思っております。

 

【※2】NHK沖縄の報道

 

https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20181102/5090004871.html
本部町が県指導で防衛局申請拒否
11月02日 20時44分

アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、沖縄防衛局が行った港の使用許可の申請について、港がある本部町が県から指導を受けて書類の受け取りを拒否していたことがわかり、防衛局は引き続き町と調整を進めていくことにしています。

アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、石井国土交通大臣が県による埋め立て承認の撤回の効力を一時的に停止する決定を出し、沖縄防衛局は、1日から工事を再開しました。

岩屋防衛大臣は、2日、閣議のあと記者団に対し、防衛局が、1日、埋め立て予定地への土砂の投入に向けて港の使用許可の申請を行った際、本部町が書類の受け取りを拒否したことを明らかにしました。

そのうえで、岩屋大臣は、「県から『新たな申請は受けないように』と指導されたということだった」と述べました。

一方、県は、「物理的に使用許可を出せないということを県として本部町と確認しただけだ」としています。

本部町によりますと港はことし9月の台風で一部が壊れ、壊れていない部分もほかの港湾業者にすでに使用許可を出し、割り当てるスペースがないということです。

国と県との間では土砂は海上から運ぶことが決められていて、港が使えない場合、今後の工事に影響が出る可能性があり、防衛局は、引き続き町と調整を進めていくことにしています。

 

【※3】琉球新報の記事

前回のエントリーで沖縄タイムスの記事の一部として、「一方で、本部町担当者は「本部港の管理主体は県で、町は認可権限の一部を委託されているだけ。 許可判断を町独自で出すことは無い」としている。」という一文を紹介しました。

今回、琉球新報では「港の使用許可を出す権限を移譲された町は、港の管理者である県と協議の上」云々と書いています。

これでおおよそ分かりましたが、実際に管理している(=使用許可を判断する)のは県で、本部町は単に窓口として事務処理を委託されているのでしょう。

 

それでは、琉球新報の発狂ぶりをお楽しみ下さい。(^Д^)
↓ ↓ ↓

 

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-828614.html
「沖縄県妨害」との印象操作 防衛相誤認発言 国、強引姿勢鮮明に
2018年11月3日 10:03

<解説>
 沖縄県名護市辺野古沿岸部の埋め立てに使う土砂を搬出する港の使用ができないことを巡り、岩屋毅防衛相は2日の会見で「(本部町は)沖縄県から新たな申請は受けないようにと指導されている」と事実と異なる説明を行い、あたかも辺野古新基地建設に反対する県が妨害したかのような印象操作につながった。事実に基づかない「フェイク(偽)」情報のまん延が問題となる中で、行政の中立や公平性を求められる大臣自らが、政治的な思惑から事実をゆがめるという看過できない言動だ。



 米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う埋め立てに関し、国の強引な姿勢が鮮明となっている。県が下した埋め立て承認撤回処分に対し、国の1機関である沖縄防衛局が“身内”の国土交通相に執行停止を申し立てて認められ、1日に早速、工事再開に向けた作業に着手した。埋め立てに使用する土砂を搬出するため、その日のうちに本部港塩川地区の岸壁使用許可も本部町に申請したが、町の方針で受理されなかった

 港の使用許可を出す権限を移譲された町は、港の管理者である県と協議の上、台風被害で破損された岸壁は使用できず、残る岸壁では新規の受け入れが難しいと判断。既に新規受け入れを中止する方針を決めていた。県から町への「指導」はなく、その権限も有していない。町にも指導された認識はないのが実際の経緯だった。

 多くのメディアは岩屋防衛相の「指導」という言葉をうのみにし、その映像や文字起こしがテレビやインターネットを通じて全国に発信された。沖縄県がなりふり構わず建設阻止に動いていると印象付けられかねない。だが事実は違う。政府には法の順守や県への誠実な対応が求められる
 (山口哲人)

 

 

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2018/11/03

【孔子廟裁判】琉球新報、うっかり、自爆記事を書いてしまうw

公開: 2018/11/03 18:43  最終更新: 2018/11/04 5:17  

孔子廟裁判(久米至聖廟裁判)の差し戻し控訴審第2回口頭弁論が11月1日に行われ、その報告がチャンネル桜『沖縄の声』で放送されました。

この裁判は翁長県知事が那覇市長時代に那覇市の市民公園内に建てた孔子廟(孔子を中心に、歴代儒者の霊を祀った廟)が、久米崇聖会(くめそうせいかい)という特定の私的な団体の宗教施設であり、このための土地を那覇市が無償で貸与しているのは憲法の定める政教分離の原則に違反しているとして、市と当時の翁長市長を相手取って住民が起こした裁判です。

第一義的には、「市はきちんと賃貸料を請求せよ」ということを求めた裁判で、これは那覇市民なら当然の要求です。

 

今回の番組では、口頭弁論の解説だけでなく、沖縄のみならず日本人の宗教観を考えさせられて非常に興味深かったので、記録としてブログに残しておきます。

 

 

 

 

【沖縄の声】辺野古埋め立て工事再開へ/孔子廟訴訟~第2回口頭弁論のご報告[桜H30/11/2]

出演:
   又吉 康隆(沖縄支局担当キャスター)
   金城 テル(沖縄支局担当キャスター)
ゲスト:
   徳永 信一(弁護士)

 

20181102_koushibyou02

 

下記サイト(「一般社団法人久米祟聖会訴訟裁判資料」)に原告(那覇市)の準備書面と被告(金城テルさん)の答弁書がupされていますが、原告の準備書面も面白くて、つい読みふけってしまいました。

これを読むと久米崇聖会(くめそうせいかい)を作る久米三十六姓という人々は何者か、ということがよく分かります。

※地裁に差し戻されて金城テルさんが勝訴しましたが、それに不服で被告側が控訴したので、控訴審では、原告は那覇市側、被告がテルさん側になります。以降、紛らわしいので「金城テルさん側」、「市側」のように表記します。

 

一般社団法人久米祟聖会訴訟裁判資料

原告(那覇市)の準備書面(ページ数が多いので3分割)

 

那覇市会議録キーワード検索(「孔子廟」などで検索)

  • 平成 30年(2018年) 4月臨時会-04月23日-01号
  • 平成 30年(2018年) 4月臨時会-04月27日-02号

 

また、議事録の直接リンクは上手く貼れませんが、「議案第72号」(訴えの提起について)が議論されたときの議事録は那覇市のサイトで読むことができます。

この議事録は、4月13日に言い渡された判決(那覇市敗訴)を受けて、城間幹子市長によって提出された控訴の議案に関して議論しているものです。

最終的には控訴に反対する自民党など一部の議員が退出したので全会一致で決議されていますが、一部の議員(前泊美紀議員や奥間亮議員)が控訴しても勝てるのかと疑問を呈する質問をしており、なかなか面白いです。

 

* * * *

 

さて、掲題の琉球新報ですが、当然、沖縄二紙は翁長雄志前市長とその後継者の城間幹子市長、そして、裁判の参加人である久米崇聖会の味方ですが、うっかり、金城テルさん側のアシストになるような記事を書いてしまいました。

孔子廟は宗教施設か否か、という争点で、久米崇聖会は「公共性があるから私的な宗教施設ではない」という反論をしているのですが、そもそも、この会には久米三十六姓という明代に沖縄に来たシナ人の末裔しか入会資格がありません。それだけでも公共性などないのに、琉球新報の記事により、「女性も入会できない」という閉鎖性が暴露されてしまったのです。

 

20181102_koushibyou01

 

(ノ∀`)アチャー

 

徳永弁護士は「墓穴報道」と仰っていましたが、オウンゴールというか、逆アシストというか...w

 

* * * *

 

今後のスケジュール

次回は、原告・被告とも1月18日が意見書の提出期限で、結審は1月31日と決まったそうです。

金城テルさん側では、今、儒教の宗教性について大阪大学名誉教授(加地さん?)が意見書を作ってくれているそうで、市側は今頃、憲法学者に意見書を書いて貰っているとのこと。

徳永弁護士の感触では、裁判官は市側の引き延ばしだと言うことを感じてるようで、恐らく、判決はもう決めているとのこと。

もちろん、負けた方は上告をするので、最高裁で争うことになり、その判決は早ければ来年、もしかしたら再来年になるそうです。

 

* * * *

 

以下は動画を観てのブログ主の覚え書き(出演者の発言-断りがない場合、徳永弁護士の発言、敬称略)やら雑感ですので、動画をご覧になればお読みになる必要はありません。

差し戻し審で「孔子廟は宗教施設である」と判断されて負けた市側(+久米崇聖会)としては、当然、「宗教施設ではない」という申し立てを準備書面で述べています。しかし、素人が読んでも、的外れというかピントがずれているのが分かります。

苦し紛れにも程があり、久米崇聖会のwebページに書いてある内容を金城テルさん側が証拠として提出したらしいのですが、それについて、「何者かが改ざんした」などと言い張っています。

 

■年に一度行われる「釋奠祭禮」(せきてんさいれい=孔子祭り=その日に降りてくる孔子の霊を供応する儀式)を市側は宗教儀式ではない、沖縄の伝統文化と言い、儒教は宗教ではなく学問だと言うが、儒教に学問の側面があると言って宗教の側面がないとは言えない。
日本に仏教が入ってきたときも新しい学問としての側面はあった。
儒教は道徳だと言うが、キリスト教やイスラム教など西洋の宗教も道徳の要素はある。

 

Koushi01

 

■那覇市も久米崇聖会も 「○○(ex. 学問、公共性がある、孔子は実在の人物)だから宗教じゃない」と主張するが、宗教っは何かという定義が抜けている。
孔子は実在の人物だから宗教じゃないと言うなら、菅原道真を祀ってる天満宮はどうなんだ?

■憲法でいう宗教とは『超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為』をいう、というのが、「津地鎮祭訴訟」で名古屋高裁が出した見解で、これが定着している。
「釋奠祭禮」はまさしく孔子の霊を呼び寄せる儀式。
→〔又吉〕1年に1回の祭礼のとき大きな門が開くが、これを通っていいのは孔子の霊ということになっている。
→そのような門がある施設は宗教施設以外の何者でもない。

 

151230 Kume-Shiseibyo Naha Okinawa pref Japan05n

 

■公共性というなら不特定多数の人が利用できるものでなければならない。しかし、久米三十六姓の末裔でしかも男性しか入会できない会の施設に公共性などない。

■これは、中国の 宗族(そうぞく/男系の血縁)という考え方。日本と違って、中国や韓国は血縁が強い。日本は血縁から地縁へと移行した。だいたい鎌倉時代には農耕を中心とする地縁社会へ。だから、共同体毎に祭がある。

■孔子廟や「釋奠祭禮」が沖縄の伝統文化として根付いているとは言えない。
→〔又吉〕「釋奠祭禮」なんて沖縄の人はまず知らないし、孔子廟も近所の人くらいしか知らないだろう。

■日本の仏教は儒教を取り込んでいる。インド(の仏教が正しいとは限らないが)では元々、死んだら来世は象になったり虫になったり、と輪廻転生という考え方。(それから解放されるのが「解脱」)だから、基本的に位牌やお墓はない。 しかし、日本の仏教は、「先祖供養」である。これは儒教の「孝」の考え方。
→〔又吉〕沖縄ではお盆などのご先祖を供養する際に紙のお金を供える。(方言で「ウチカビ」というらしい。)これは、先祖があの世でもお金に困らないようにするもの。
→日本(沖縄)で仏教の行事として先祖崇拝とか先祖を金銭的に援助するという行為は本来の仏教とは異なる。これが「孝」。

■先祖に対する「拝み」は儒教の宗教性だ、ということを学んだ。儒教の考え方は、「人は『魂魄』(こんぱく)から成る。
どちらも「たましい(魂)」だが、「魂」は死後、天に上り、「魄」は地にとどまる(地下に潜る)。これが分かれること=死。
これを蘇らせるためには天上に昇っていった「魂」をお香の香りで呼び寄せ、地下に潜っていった「魄」をお酒を撒いて呼び寄せる。「魂魄」は先祖の身体を受け継いだ子孫の身体を「依り代(よりしろ)」として復活する。
この儀式を子孫代々やらないといけないというのが儒教の根本教義である「孝」。単なる「親孝行」ではない。

■この裁判を通じて学んだのは 久米三十六姓が沖縄の中でどういう役割を果たしてきたのかということ。
16世紀の明の時代、冊封体制のもとでシナと貿易をするのに、文書などを書く必要があるので、それを行う技術集団として一族がやってきた。それが久米村に住みついて、久米三十六姓となっていく。

■「久米崇聖会」や「釋奠祭禮」は彼等のアイデンティティ(自分達は文明国からきたという選民意識)を確認するための組織であり宗教儀式。
彼等が文化をもたらしたことは否定しないが、「釋奠祭禮」や孔子廟が果たして沖縄の文化として根付いていたか? 彼等は沖縄の伝統文化になっていると言うが、それは無いと思う。
→〔金城〕彼等はずっと支配階級で琉球の人は下に置かれていた。

〔ブログ主〕廃藩置県=沖縄ではこれを被害者意識を持って「琉球処分」と呼びますが、久米三十六姓はこの時、清に行って兵を出してくれと頼んだそうです。また、彼等は日清戦争の時に清の勝利を祈っていました。

■かつて久米三十六姓と呼ばれる人達の役割があったとしても、それは明治維新で無くなった。
それが、孔子廟で中国との繋がりを強調し始めたあたり、政治的な臭いがする。
「孔子の名前を使って世界を侵略しようとする中国の政治的思惑に利用されているという感じがする。孔子学院は工作機関と海外では認定されている。
→〔金城〕明倫堂ではそういう集会をやっていると見ている。彼等の出している冊子で読んだ。

■今回知ったが、孔子廟を以前あったところから公園に移動するとき「拝み」をやっている。これをやっているのがユタと呼ばれる女性と言ったら、あれはユタじゃなくてカミンチュだと言ってきた。しかし、どっちも宗教の人じゃないのか。「カミンチュ」は「神の人」と書く。
→〔又吉〕ノロというのもある。これは公的な拝み屋(神官)。ユタは民間の拝み屋さん。

〔ブログ主〕ノロのまじないは独特なリズムがあるそうで、これが沖縄音楽のメロディーに使われているという。

 

 

 

 


 

【毎日新聞】社会部記者が徴用工裁判を利用して政権批判

毎日新聞の高橋昌紀という記者がTwitterで政権批判をし、炎上してアカウントを削除しました。

そのツイートがこれ。

 

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三権分立がどうのと書いていますが、条約はその国の法律より上位に来るものであるということを知らないようです。

日頃から、なんでもかんでも政権を叩くネタにすればいいと考えているから、こんな無知を晒してしまったのでしょう。

毎日新聞をとっている方には、こういう人間が新聞を作っていることを知って戴きたいものです。こんな馬鹿が偉そうに記事を書いている新聞にお金を払う価値はありますか?

 

 

 

 


 

2018/11/02

【徴用工裁判】韓国最高裁判決要旨・解説(坂元茂樹・同志社大学教授)

公開: 2018/11/02 20:30  最終更新: 2018/11/07 9:04  

読売新聞(10月31日付)に韓国大法院(最高裁)の判決文要旨が掲載されていたのでupします。

 

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これに関しては坂元茂樹・同志社大学教授の見解が分かりやすいので、そのまま掲載します。

 

20181031_yomiuri03

 

留意すべきなのは、今回認められたのは徴用工の未払い金請求ではなく、損害賠償請求であること。

坂元教授が書いているように、新たな概念です。

しかし、以前のエントリー『【徴用工裁判】韓国の「対日請求権要綱」と日韓請求権並びに経済協力協定の「合意議事録」』に書いたように、「戦争による被徴用者被害に対する補償」も協定に含んでいるはずです。

 、

また、「日本による併合そのものが不法である」という前提に立つので、この論理では、日本統治時代なら、「徴用」であろうが「募集」であろうが関係ないということになります。

 

 

 

 


 

【沖縄】辺野古埋め立てを“地元”の本部町が妨害?【NHK】

公開: 2018/11/02 09:46  最終更新: 2018/11/03 12:43  

沖縄県が埋め立て許可を「撤回」したことに対し石井国交相が「一時停止」を表明したことから、辺野古埋め立て工事の再開が決定しました。

これに対して、県(玉城デニー知事)はどのような対抗策を取るのかと見ていたら、即座に裁判ではなく、国に“対話での解決を求める”そうです。(参考記事【※1】)

 

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ニュース動画のキャプチャに映る背景から判断すると、日本記者クラブ(Japan National Press Club)での会見のようなので上京していたのでしょう。

なお、別の報道では、近く、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し立てるとも言われています。(【※2】)

 

 

 

 

この件に関し、今朝(11月2日)、少し奇妙なニュースをNHK(BS1)で見ました。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181102/k10011695401000.html
名護 辺野古への移設めぐり 地元は”港の使用許可難しい”
2018年11月2日 6時11分

沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、沖縄防衛局が埋め立て予定地への土砂の投入に向けて港の使用許可を求める手続きを始めたことが関係者への取材でわかりました。しかし、港がある地元自治体は、台風で港の一部が壊れていることなどを理由に許可を出すのは難しいとしていて、防衛局が対応を検討しています。




アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、石井国土交通大臣が沖縄県による埋め立て承認の撤回の効力を一時的に停止する決定を出し、沖縄防衛局は、1日、立ち入り禁止区域を示すフロートの設置を始めるなど工事を再開しました。

さらに、防衛局が、埋め立て予定地への土砂の投入に向けて、土砂の運搬に使う港の使用許可を求める手続きを、作業を請け負った業者を通じて港がある沖縄県本部町に対して始めたことが関係者への取材でわかりました。港の使用許可は、県による撤回の間に期限が切れたため、今回、改めて申請するということです。

しかし、町では、ことし9月の台風で港の一部が壊れ、壊れていない部分もほかの港湾業者にすでに使用許可を出しているため割り当てるスペースがなく、新たに許可を出すのは難しいとしています。

国と県との間では土砂は海上から運ぶことが決められていて、港が使えない場合、今後の工事に影響が出る可能性があり、防衛局が対応を検討しています。

 

まず、この記事で疑問に思うのは、「県による『撤回』の間に期限が切れた」からと言って、前回の翁長知事が「埋め立ての『取り消し』」を行った時同様、せいぜい2週間で国から「工事停止の『一時差し止め』」が出て工事が再開されるのが分かっていたはずで、沖縄防衛局は継続して港を使用することは想定されるのに、他の業者に貸してしまうでしょうか?通常なら、成り行きを見守ると思うのですが。

素直に考えれば、この自治体による辺野古埋め立ての嫌がらせです。

 

となると、別の疑問も湧きます。

「地元自治体」って?

これはニュース動画を見ないと分かりません。

 

20181102__nhk01

 

本部町(もとぶちょう)という自治体です。

本部町を地図で見ると...

 

20181102_nhk02

 

これを「地元」と呼ぶでしょうか?

おそらく、NHKとしては「『地元』が工事の邪魔(反対)をしている」とアピールしたいのでしょう。しかし、それが嘘だから記事にはその自治体名を書けなかった。

こうなってくると、このニュースをそのまま信じていいのか分からなくなってきます。

ニュースの「裏」と言うか「裏の裏」なのか分かりませんが、本部町が工事の嫌がらせをしていると単純に考えていいのだろうか?という不信感です。

 

【2018/11/03追記】やはり裏がありました。

チャンネル桜『沖縄の声』のキャスターを務める江崎孝氏のブログ『狼魔人日記』の2018-11-03 10:57:40付エントリー「【辺野古移設】本部使用不許可は県の卑劣なイヤガラセ!」から、沖縄タイムスの記事引用部分だけ転記させて戴きます。

 

一方で、本部町担当者は「本部港の管理主体は県で、町は認可権限の一部を委託されているだけ。 許可判断を町独自で出すことは無い」としている。

 

やっぱり県が裏で糸を引いていました。

 

* * * *

 

参考記事

【※1】ある意味、NHKのスタンスがよく分かる記事です。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181101/k10011694091000.html
辺野古で埋め立て工事再開 政府と沖縄県の対立 深刻化へ

2018年11月1日 12時25分

アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、沖縄県の埋め立て承認の撤回の効力を一時的に停止する決定を石井国土交通大臣が行ったことを受けて、1日午前、沖縄防衛局は埋め立て予定地の現場での工事を再開させました。玉城知事が政府に対話での解決を求める中、工事が再開されたことで、両者の対立が深まるのは避けられない情勢です。


アメリカ軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、沖縄県が行った埋め立て承認の撤回の効力を一時的に停止する決定を石井国土交通大臣が行い、先月31日、工事が再開できる状態になりました。

これを受けて、沖縄防衛局は1日午前、県に対して「海上での作業を再開する」と通知し、現場の海域で立ち入り禁止区域を示すフロートの設置作業を始めるなど工事を再開しました。

防衛局は今後、土砂投入に向けた作業を本格化させることにしています。

この問題をめぐって、移設阻止を掲げる玉城知事は国の対応を批判したうえで、政府に対話での解決を求めていますが、工事が再開されたことで両者の対立が深まるのは避けられない情勢です。


玉城知事「政府に対話による解決を強く求める」

沖縄県の玉城知事は記者団の取材に「安倍総理大臣との対話を求めているが、それにもかかわらず工事が再開されたことは極めて残念だ。今後、政府に対して、対話によって解決策を導くという民主主義の姿勢を粘り強く求めたい」と述べました。

(画像は謝花副知事)

 

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官房長官「土砂投入時期は未定」

菅官房長官は午前の記者会見で、「きのう国土交通大臣から執行停止の決定を通知する文書が沖縄防衛局に届いたことを受けて、きょう沖縄県に連絡をしたうえで作業を再開したとの報告を防衛省から受けた」と述べました。

そのうえで、土砂を投入する時期について「今後の作業の進捗(しんちょく)状況や気象状況などを踏まえる必要があり、現時点では何も決まっていない」と述べました。


ゲート前で抗議「驚きと怒りと悲しみでいっぱい」

名護市辺野古の埋め立て予定地に隣接するアメリカ軍基地の工事用ゲートの前には移設に反対する人たち50人余りが集まり、抗議の声を上げました

那覇市から駆けつけた50代の女性は「移設反対の立場の知事が当選したのに、こんなに早く工事が再開されて驚きと怒り、それに悲しみでいっぱいです。皆さんと力を合わせて、何とかして阻止したいと思います。これ以上、基地はいりません」と、涙ぐみながら話していました。

沖縄市の70代の男性は「政府に対してはものすごい怒りを持っている。民意を聞かないで強制的に埋め立てを進めていくのは許せない」と話していました。

沖縄市の70代の女性は、沖縄県の埋め立て承認の撤回の効力を一時的に停止する決定を国土交通大臣が行ったことについて「政府が法律を乱用したやり方で、そうしたことは絶対に許せない」と話していました。


海上でも船やカヌーで抗議

海上では移設に反対する人たちが船やカヌーに乗って抗議活動を行い、海上保安庁がゴムボートで制止していました。

 

「名護市辺野古の埋め立て予定地に隣接するアメリカ軍基地の工事用ゲートの前には移設に反対する人たち50人余りが集まり、抗議の声を上げました。」とあります。

辺野古の埋め立ては「飛行場の新設」のためです。その飛行場はどこに新設されるかというと、「アメリカ軍基地」(=キャンプ・シュワブ)です。

それをなぜ「隣接する」と書くのでしょうか?

言わずもがなで、キャンプシュワブの隣に「新基地」を建設すると言いたいのです。

つまり、NHKは反基地活動家側のスタンス。

それは取材する人物を見ても分かります。 - 「ゲート前で抗議する人達」、「カヌーで抗議する人達」。

NHKにとって、沖縄県民は活動家だけのようです。そして彼等の民意が「沖縄県の民意」と印象操作したいのです。

 

20181101_nhk02

 

「船やカヌーに乗って抗議活動」と書いていますが、これは不法な妨害です。

 

* * * *

 

【※2】この記事は、少し注意して読む必要があります。

「沖縄県は近く、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し立てる。」とありますが、ブログ主が見落としていないのであれば、玉城知事自身は明言していないと思います。

県知事選に出馬する条件(?)として、自分では「撤回」せずに謝花副知事に知事選の前に「撤回」をさせた玉城知事です。これは、1日2千万円とも言われる賠償金が怖いから。

玉城知事に「国地方係争処理委員会」に審査を申し立てて工事の妨害する度胸はあるのでしょうか?

東京新聞が早く法的措置をとれと煽っているのではないかと思われます。(→【追記記事※3】参照)

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201811/CK2018110202000132.html
玉城氏「粘り強く対話を」 辺野古工事 政府が再開
2018年11月2日 朝刊 東京新聞

 政府は一日、沖縄県の米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の移設に伴う名護市辺野古(へのこ)の新基地建設工事を再開した。年内の土砂投入を目指す。県が辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回してから中断していた工事が二カ月ぶりに動きだした。沖縄県は法的手続きによる対抗措置を取る一方、政府に対話を求めたが、安倍晋三首相は拒否する構え。双方の対立はさらに激化する情勢だ。 (関口克己)


 沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は工事再開について「極めて残念だ」と県庁で記者団に表明。「対話によって解決策を導く民主主義の姿勢を粘り強く求めたい」と首相との会談を求めた。


 これに対し、菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で、首相はすでに玉城氏と会っているとして、重ねての会談を拒否する考えを示した。菅氏は自身と玉城氏との会談については「日程が合えば、お会いしたい」と語った。


 首相は衆院予算委員会で「現行の日米合意に基づき抑止力を維持しながら、普天間飛行場の一日も早い全面返還を実践するため、全力で取り組む」と建設を進める方針を強調した。


 工事再開は、埋め立て承認撤回の効力を石井啓一国土交通相が停止したことを受けて可能になった。沖縄防衛局が一日、県に工事再開を通知して始まった。


 この日は、海上での立ち入り禁止海域を示すフロート(浮具)や海上保安庁のゴムボートなどを係留する浮桟橋を再び設置する作業が行われた。県が八月に埋め立て承認を撤回して工事は法的根拠を失ったため、一時撤去されていた。


 沖縄県は近く、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し立てる。埋め立て承認撤回の効力停止に対抗する手続きで、却下されれば高裁への提訴を検討する


 玉城氏は十月十二日に首相と官邸で会談し、新基地建設に反対する考えを伝えたが、首相は「推進の立場は変わらない」と表明し、平行線に終わっていた。

 

【追記記事※3】沖縄タイムス

 

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/338488
デニー沖縄知事「極めて残念」 辺野古再開、法的措置より対話を優先
2018年11月1日 12:15

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄防衛局が辺野古での工事を再開したことを受け、玉城デニー知事は1日午前、県庁で記者団に「政府に対話を求めたが、極めて残念だ。対話によって解決策を導く民主主義の姿勢を粘り強く求める」と述べた。

 国の第三者機関である国地方係争処理委員会に国土交通相による埋め立て承認撤回の執行停止の不服を申し立てるなど法的な対抗措置を取るよりも、政府との対話を優先する考えを示した

 

 

 

 

 

 


 

2018/11/01

【徴用工裁判】またも英文記事で日本のネガティブキャンペーンをやっている朝日新聞

Twitterでまたもや朝日新聞が偏向した英文記事を書いていると教えて戴いたので読んでみました。

それは、例によって、「慰安婦」を「former “comfort women” who were forced to provide sex to Japanese military personnel 」と、「元・慰安婦」と書いた後でそれを説明するために関係代名詞「who」で繋ぎ、「日本軍人に性奉仕をすることを強要された」と書く表現です。

尤も、朝日新聞は、ケント・ギルバート氏や山岡鉄秀氏がこの表現をやめるよう申し入れをしても、これからも使い続けると開き直ってはいるのですが。(【参考記事※1】)

 

 

 

 

問題の記事は以下のものですが、慰安婦の記述以外にも違和感を覚えました。韓国目線の記事なのです。

参考までに日本語訳をつけました。原文と日本語訳と交互にしています。やっつけ仕事の日本語訳はご容赦を。

 

http://www.asahi.com/ajw/articles/AJ201810310031.html
Japan quickly blasts S. Korea court ruling on wartime labor

日本、戦時労働に関する韓国の裁判所判決に対し、即座に激しく非難

THE ASAHI SHIMBUN
October 31, 2018 at 15:40 JST

Japanese officials warned of a deterioration in relations with South Korea after its Supreme Court ordered Nippon Steel & Sumitomo Metal Corp. to pay compensation to wartime laborers from the Korean Peninsula.

日本当局は、最高裁が新日本製鐵と住友金属工業に対し、朝鮮半島出身の戦時労働者の報酬を支払うよう命令したことで、韓国との関係が悪化すると警告した。

Prime Minister Shinzo Abe told reporters that the Oct. 30 verdict was “inconceivable in light of international law.”

安倍晋三首相は、10月30日の判決は「国際法に照らして考えられない」と記者団に語った。

An hour after the verdict was announced, Foreign Minister Taro Kono issued a statement that called the ruling “extremely regrettable and totally unacceptable.”

判決が言い渡されてから1時間後には、河野太郎外相が「非常に遺憾であり、全く受け入れられない」という声明を発表した。

Kono on Oct. 31 called South Korean Foreign Minister Kang Kyung-wha to relay Japan’s criticism of the top court ruling.

河野外相は、10月31日、日本の裁判所判決の批判を受け入れるため、康京和(カン・ギョンファ)外交部長官に電話をかけた。

“It completely overthrows the legal foundation of relations between the two nations,” Kono told his counterpart.

河野氏は、「両国関係の法的基盤を完全にひっくり返すものだ」と述べた。

The Japanese foreign minister later told reporters that Tokyo would wait and see how Seoul responds rather than take immediate action against South Korea.

日本の外相は、その後、日本政府は韓国に対して直ちに行動するのではなく、韓国政府がどのように対応するかを見守ると記者団に語った。

The top court upheld an order for the Japanese company to pay 100 million won ($87,700 or 9.8 million yen) each to four South Koreans who said they were forced to work at the company under harsh conditions in Japan during World War II.

最高裁は、第二次世界大戦中の厳しい状況下でその会社で働くことを強制された韓国人4人に対して、日本企業は1億ウォン(87,700ドル/980万円)を支払うように命令した。

According to South Korean Foreign Ministry officials, Kang told Kono that the South Korean government would respect the Supreme Court’s verdict but would also prepare measures to deal with the ruling after comprehensively considering various factors.

韓国外務省関係者によると、康長官は、韓国政府は最高裁判所の判決を尊重すると同時に、様々な要因を総合的に考慮して判決を処理する措置を準備すると河野外相に語った。

Kono also asked Kang for South Korean government measures to ensure that no Japanese company is disadvantaged because of the ruling.

河野氏はまた康長官に、判決により日本企業が不利益なものにならないよう、韓国政府の措置するよう要請した。

Japan has long argued that all compensation claims had been “settled completely and finally” by the 1965 bilateral agreement on settlement of property and claims.

日本は、1965年の財産と債権の和解に関する二国間協定(ブログ主註:『日韓請求権並びに経済協力協定』)によって、すべての補償請求が「完全かつ最終的に解決された」と主張してきた。(新たに「謝罪と賠償を!」と言われる度に日本がそう言ってきたのは確かだが、そもそも、二国間で合意して交わした協定。この書き方だと、日本の一方的な主張に読める。

However, the South Korean Supreme Court said the Korean laborers were mobilized to work in Japan when the Japanese government was ruling the Korean Peninsula illegally as a colony, and that the recruitment by the Japanese company was an inhumane and illegal act closely intertwined with Japan’s war activities.

しかしながら、韓国最高裁判所は、韓国人労働者は日本政府が朝鮮半島を不法に植民地として支配して時に動員して日本に連れて来られたものであり、日本企業による徴集が日本の戦争行為と密接に関連した非人道的かつ違法な行為であった、と言った。

With that as background, the top court said the 1965 agreement did not apply to the plaintiffs’ case because they were not seeking unpaid wages and compensation, but were making a claim for “consolation money from the Japanese company as a victim of the forced labor” movement.

これを背景に、最高裁判所は、1965年の合意は原告のケースに該当しないという。なぜなら、原告は未払い賃金と賠償を求めているのではなく、「強制労働の犠牲者としての日本企業からの慰労金」を求めるている。

Although Kono told Kang that bilateral ties would be seriously compromised if Seoul did not take appropriate measures, Japan also faces a dilemma because cooperation with Seoul is vital in dealing with North Korea.

河野氏は康長官に、韓国側が適切な措置をとらなければ、二国間の関係が深刻に危うくなるだろうということ、韓国政府との協力は北朝鮮に対処するために極めて重要であるため、日本政府はジレンマに直面している、と述べた。

The Supreme Court’s ruling is the latest impediment in a number of recent events that have thrown cold water on ties with South Korea.

最高裁の判決は、韓国との関係に冷水を投げかけた数々の最近の出来事の中で最新の障害である。(慰安婦像、徴用工像、旭日旗問題といった最近の問題に連続する最新の問題という意味で、以下にそれを列挙している。

A foundation set up under a bilateral agreement to support former “comfort women” who were forced to provide sex to Japanese military personnel before and during World War II is on the verge of dissolution.

第二次世界大戦の前や大戦中に日本の軍人に性を提供することを余儀なくされた元「慰安婦」を支援するための二国間協定の下に設立された財団は解散の危機に瀕している。

In October, the Maritime Self-Defense Force scrapped its planned participation in an international fleet review in South Korea after Seoul asked the MSDF to lower the “kyokujitsuki” flag, which some Asian nations still consider a symbol of Japan’s past militarism.

10月には、海上自衛隊が、韓国政府が旭日旗を揚げないよう要請した後に韓国の国際観艦式に参加することを断念した。旭日旗はいくつかのアジア諸国が依然として日本の過去の軍国主義を象徴していると考えている。(こんなことを言っているのは韓国だけであろう。

Japan is also concerned about the ramifications of the court’s decision on other cases in South Korea regarding compensation for wartime laborers brought to Japan to work for a number of other Japanese companies.

日本はまた、多くの他の日本企業で働くために日本に連行された戦時労働者の賠償に関する韓国の他の事件に対する裁判所の判断の結果についても懸念している。(日本政府は実際に「徴用された」朝鮮人は少ないという見解なので、こんな表現をするはずがない。

The organization providing support to Lee Choon-shik, 94, the sole surviving plaintiff in the lawsuit against Nippon Steel & Sumitomo Metal, indicated at an Oct. 30 news conference in Seoul that the verdict provided a new departure point for other South Koreans brought to work in Japan.

新日本製鐵と住友金属の訴訟で唯一生存している原告である李春植(イ・チュンシク/94歳)氏の支持団体は、10月30日のソウルでの記者会見で、この判決は日本で働くために連行された他の韓国人の新しい出発点となるとの見解を示した。

The group said 1 million Koreans were forced to work abroad during Japan’s colonial rule of the Korean Peninsula between 1910 and 1945.

このグループは、1910年から1945年までの朝鮮半島の植民地支配の過程で、100万人の韓国人が海外で働くことを余儀なくされたと述べた。

Japanese companies named in other compensation lawsuits are also closely monitoring moves by the government.

その他の損害賠償訴訟の対象と名指しされた日本企業も、政府の動きを注視している。

Four economic organizations--Keidanren (Japan Business Federation), the Japan Chamber of Commerce and Industry, Keizai Doyukai (Japan Association of Corporate Executives) and the Japan-Korea Economic Association--issued a joint statement on Oct. 30.

日本経団連、日本商工会議所、経済同友会、日韓経済協会の4つの経済団体が10月30日に共同声明を発表した。

“We are deeply concerned because (the verdict) could become a barrier in pursuing investment and business opportunities in South Korea in the future,” the statement said.

声明で明らかにしたところによると、「将来、韓国での投資とビジネスにおいての障害となる可能性があるため、我々は深い懸念を抱いている。」とのことである。

 

以上、ざっと訳してみましたが、ものすごく違和感のある記事です。

それぞれの発言をそのまま事実として引用していると言えばそうなのですが、判決と日本政府の反応を報じる記事に韓国の支援団体の勝手な言い分を混ぜることなど不要です。

また、下線や赤字で強調しましたが、日本に非があるような単語をちょくちょく入れているのも気になります。

要するに、まるで韓国の報道のようなのです。

 

と、思ったけど、もしかしたら日本語の朝日の紙面もこんな調子の記事ばっかりなのかもしれませんね。

 

 

【参考記事】

【※1】問題なのは、「were forced to provide sex」(性奉仕を強要された)と受動態で書くと「誰によって?」という部分がないため、読んだ人はその「誰」を「日本軍」と読み替えてしまうことです。つまり、暗に「強制連行」や「レイプ」を匂わすような表現なのです。

「慰安婦」を説明するなら、素直に能動態で「(who) provided sex」(性奉仕をした)と書けばいいのです。彼女らは職業的な売春婦だったのですから。

もちろん、家が貧しいなどの理由で、本人の意に反して慰安婦になった女性もいるでしょうが。

 

慰安婦英文報道に対する有志修正申し入れ、朝日新聞は「応じられない」(回答書全文)
2018.7.24 14:05

 米カリフォルニア州弁護士でタレントのケント・ギルバート氏ら有志が、慰安婦問題をめぐる朝日新聞電子版の英文報道に修正を申し入れていた問題で、朝日新聞は24日までに「申し入れに応じることはできない」と回答した。ギルバート氏は同日、東京都内で記者会見し「朝日は日本や日本人の名誉回復に努めることが自分たちの仕事だと思っていないことがはっきりした」と語った。

 ギルバート氏らは今月6日、朝日が慰安婦の説明で「forced to provide sex(性行為を強制された)」としている表現が「慰安婦強制連行・性奴隷説」を流布するような内容だとして、東京・築地の朝日新聞本社を訪れ表現の修正を申し入れていた。

 朝日は申し入れに応じられない理由について「慰安所の生活で『強制的な状況』があったとする記述を含む河野洋平官房長官談話の内容は、現在の安倍晋三政権まで日本政府が継承してきた立場といえる」などと説明した。

 豪州で慰安婦問題解決に取り組む「オーストラリア・ジャパン・コミュニティー・ネットワーク(AJCN)」代表で、有志の一人である山岡鉄秀氏は記者会見で「これ以上あいまいな表現を看過するわけにはいかない」と語り、近く朝日の回答に対する見解を公表する考えを示した。

 朝日の回答の全文は以下の通り。(以下略)

 

 

【正論11月号】メディア狂想曲 朝日新聞さん、慰安婦訂正を隠すつもりじゃないよね 
AJCN代表 山岡鉄秀

2018.10.13 01:40

 

 

 

 

 


 

【徴用工裁判】裁判を起こす韓国人、一方、台湾人は...? 比較するのも失礼w【台湾高座会】

公開: 2018/11/01 10:02  最終更新: 2018/11/02 10:18  

たまたま目に留まったニュース。

週刊実話の記事ですが、数ヶ月前に読売新聞でも報じられた「台湾高座会」について書いたものです。(『徴用工問題』日本に対する「韓国人と台湾人」“雲泥”の違い 2018年11月01日 01時20分)

「台湾高座会」というのは第二次世界大戦中に台湾からやって来て日本の軍需工場で働いていた元・少年工が作る会で、「高座」とは彼等が働いていた「高座海軍工廠」から。

ブログ主が読んだ読売新聞の記事はこの来日に備えて当時の写真などを募集しているというものでした。

 

 

下は記念式典を報じる東京新聞の記事です。

 

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokyo/region/tokyo-CK2018102102000132
台湾少年工 来日75周年で歓迎大会 大和で600人交流、顕彰碑も除幕

東京新聞2018年10月21日08時10分

 第2次世界大戦末期に「高座海軍工廠(こうしょう)」(座間市、海老名市)で戦闘機などの製造に当たった台湾の少年工が来日して今年で75年となる。節目を記念し、元少年工でつくる「台湾高座会」の歓迎大会が20日、かつて寄宿舎のあった大和市であり、関係者600人が旧交を温めた。 (曽田晋太郎)

 一九四三年当時、日本の労働力不足を埋めるため、台湾から十代の少年工八千四百人が来日した。高座海軍工廠をはじめ軍需工場で働き、終戦後に台湾へ戻った。八八年に発足した高座会は日本と交流を続け、来日五十周年時は大和市にあずまやを寄贈するなどしてきた

 歓迎大会は、台湾にゆかりのある県内関係者らでつくる実行委員会が主催し、文化複合施設シリウスで開催。元少年工の二十二人が出席し、高座会の李雪峰会長(92)は「日本を第二の故郷と思っている。今後も途切れることなく交流したい」とあいさつした。父が寄宿舎の舎監だった石川公弘実行委員長(84)は「少年工の人たちは本当に心優しかった。みなさんの存在を後世に伝えたい」と話した。

 大会に先立ち、実行委が七十五周年に合わせて座間市で建てた顕彰碑も除幕された。長年にわたり県と台湾の交流促進に尽くしたとして、黒岩祐治知事は十九日、李会長に感謝状を贈っている。

 李会長は「日本とは切れない仲。高座会の会員は高齢化しているが、会の趣旨に賛同してくれる青年たちに活動をつないでいきたい」と語った。

 

下はこれを報じる『日本李登輝友の会』の記事で、ブログ主と同様、読売新聞の記事を読んでのもののようです。

 

台湾少年工来日75年を期し10月20日に「台湾高座会留日75周年大会」

投稿日 : 2018年8月17日  | 最終更新日時 : 2018年8月22日

http://www.ritouki.jp/index.php/info/20180817/

 

思わず、韓国人と比べてしまいたくなりますが、そもそも、比べること自体失礼...かも。

 

【追記】

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181101-00000016-ykf-int
韓国国民が知らない「徴用工」の真実 「強制連行」ではなく「破格の高給」 専門家が緊急寄稿

夕刊フジ 11/1(木) 16:56配信 (松木國俊氏寄稿)

 韓国最高裁は30日、元徴用工4人が植民地時代に強制労働させられたとして、新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償の支払いを命じた。国際法を無視した「異常判決」「デタラメ判決」といえる。韓国国民が知らない「徴用工の真実」について、朝鮮近現代史研究所所長の松木國俊氏が緊急寄稿した。

 まず、徴用は、戦時下の労働力不足に対処するため、1939(昭和14)年に制定された「国民徴用令」に基づき、日本国民すべてを対象とした義務だった。

 当時、日本国民だった朝鮮人に適応されたのは国際法に照らしても、問題はない。むしろ、朝鮮半島で「徴用」が発動されたのは44(同19)年9月と遅かった。

 気配りもあった。徴用先は労務管理の整備された事業所に限定され、給与も法律で決められていた。留守家族には収入減の補償まであった。

 44年11月に徴用され、東洋工業(現マツダ)で働いた鄭忠海(チョン・チュンへ)氏が著した『朝鮮人徴用工の手記』(河合出版)には、手厚い待遇の様子が描かれている。

 徴用工は清潔な寮で、絹のような布団で寝起きし、食事も十分だった。当時では破格の月収140円という給料をもらい、終戦後には日本人と別れを惜しんだという。

 危険が伴う職場では、さらに待遇は良かった。九州の炭鉱では月収で150~180円、勤務成績の良い徴用工には200~300円が支払われた。屈強な朝鮮人の給与が、体力に劣る日本人を上回ったとされる。

 高賃金にあこがれ、多くの朝鮮人青壮年が、内地に密航したことも分かっている。徴用工が「強制連行」でないことは、数々の資料や証言から判明している「歴史的事実」といえるのだ。

 

 

 

 

 


 

【徴用工裁判】原告は「徴用工」ではなく「自ら応募した労働者」だった(佐藤正久外務副大臣Twitter)

公開: 2018/11/01 07:44  最終更新: 2018/11/02 18:25(判決文全訳PDFのURL追記)  

取り急ぎ、佐藤正久外務副大臣のツイッターを引用して記事を書きましたが、11月2日付読売新聞に4人の原告に関する詳細が書かれていたので、記事の後半に追記します。

 

 

 

 

 

佐藤正久氏は外務副大臣なので、おそらく裁判記録や原告の調書も目にしているでしょうから、これは確かでしょう。

 

そもそも、戦時中に徴用労務者として韓国から来た者は245人にすぎないという資料があるのです。

 

https://www.sankei.com/column/news/180428/clm1804280002-n1.html
【産経抄】4月28日
2018.4.28 05:03

 政府が17日に閣議決定した答弁書は、昭和34年7月11日付外務省記事資料を引用していた。資料は「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」で、朝日新聞が「大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表」と報じていたものである。

 ▼資料によると当時の在日朝鮮人約61万人中、戦時中に徴用労務者として来た者は245人にすぎない。資料は断じる。「大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、事実に反する」。

 

念のため書いておきますが、当時日本の一部だった韓国なので、日本人ほどではありませんが、労働者不足を補うために工場などで働かされました。

下はネットで拾った新聞記事。(追記: 1959年7月13日付朝日新聞だそうです。)

 

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【2018/11/02追記】 読売(2018/11/02付朝刊2面『首相 「4原告」 徴用でない』より)

以下は韓国大法院(最高裁)の判決文より

原告4人のうち2人は、1943年9月頃、旧日本製鉄(現・新日鐵住金)が平壌で行っていた行員募集の公告を見て応募し、面接を経て合格。大坂の製鉄所で訓練工として労役に従事した。

もう1人の原告は、41年、大田(てじょん)市長の推薦で動員され、日本に渡って、釜石製鉄所で労役に従事した。

原告最後の1人は43年1月頃、群山府(現・韓国群山)の指示を受けて募集され、八幡製鉄所で業務に従事した。

 

記事

 

20181102_yomiuri01

 

【韓国大法院判決】日弁連が翻訳したものがweb上にupされています。

 

韓国の法令・裁判例・その他資料: https://www.nichibenren.or.jp/activity/international/nikkan_shiryo/korea_shiryo.html?revision=0&mode=0

(4)-2新日鉄事件大法院判決(PDFファイル;219KB): http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/sengohosho/saibanrei_04_2.pdf

 

 

 

 

 


 

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