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2018/10/20

【沖縄】玉城デニー沖縄の李氏朝鮮化-首里城祭の三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)-

公開: 2018/10/20 10:29  最終更新: 2018/10/20 13:29(入力した文字が一部消えていたので修正)  

昨日(10月19日)のチャンネル桜『沖縄の声』で興味深く、対照的な2つの祭を紹介していました。(動画は本日の夕方頃、公式チャンネルにupされるので、後ほどリンクをリンクを貼り直します。)

 

一つは金武(きん)町の「當山久三生誕150年祭」、もう一つは「首里城祭」です。

この話題の前に、少し前まで書いていた『秀吉の朝鮮出兵と李舜臣の真実』も関係があるので補足しておきます。(リンク先は(3)のエントリー)

 

 

 

 

朝鮮出兵とは2回の出兵、「文禄の役」(1592年)と「慶長の役」(1596年)からなり、一般的にも「文禄・慶長の役」と呼ばれているのはご存知だと思います。

それではなぜ、2度目の出兵を行ったのかと言うと、最初の文禄の役で和議が成立するかに思われたところ、秀吉は明の皇帝(万歴帝)からの文書に激怒したからです。それは、秀吉の望む条件が満たされていなかっただけでなく、「爾(なんじ)を封じて日本国王となす」と書かれていたからでした。

つまり、明の皇帝から「王」という爵位を与えて君臣関係を結ぶことを意味し、これを冊封(さくほう)体制といいます。

 

琉球の支配者はこの冊封により琉球王を名乗り、朝貢外交を行っていました。

 

但し、この朝貢外交というのは、一般的には朝貢国にとって文化的・経済的恩恵をもたらすものであり、そのため1609年以降琉球を支配下に置く薩摩もこれを利用していました。(→cf. ブログエントリー『【尖閣諸島】中国政府がぐうの音も出なかった資料とは-明時代、中国人は尖閣への航路さえ知らなかった』)

 

琉球の朝貢は2年に1回でしたが、朝鮮は年に4回(1644年以降は年1回)と頻度も高く、中国との外交における朝鮮の負担は宗主国よりも大きなものとなっていました。(『朝鮮の開国と近代化』を引用した『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』(勝岡寛次・著/小学館文庫)より)

 

朝鮮では、宗主国から来る勅使(頻度は朝貢国が宗主国に行く数分の1)を迎えるときは、「漢城郊外の迎恩門に至り、土下座して恭しく勅使を迎えた後、慕華館で勅使の接待をすることを余儀なくされていた」(前述書)のですが、この土下座こそ「三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)」であり、これをわざわざ再現しているのが『首里城祭』なのです。首里城祭のこのような“自虐ショー”がいつから始まったのかは知りませんが、韓国でさえ、こんな儀式を“見世物”にしようとは思わないのではないでしょうか?

 

Sankikyukoutou

 

上の画像はこちらの動画からキャプチャしたものですが、さすがに琉球王役の人は額を打ち付けてないようです。この儀式の本質を県民に知られたくないからでしょうか。

 

「三跪九叩頭の礼」についてはこちらのサイト『龍柱に反対する市民の会』に説明があり、動画もありますが、この動画を撮影しているのは『世界ウィグル会議』のトゥール・ムハメット氏(数週間前に虎ノ門ニュースで中国によるウイグル族弾圧や臓器摘出を告発されていた方)一行らしく、トゥール氏も呆れています。(Wikipedia『三跪九叩頭の礼』-3度跪き、各3回額を地面に打ち付ける儀式)

朝鮮の場合は、清(大中華)の従属国であることで、自ら「小中華」を自認し、これにより日本やシナの女真族などの他国に対し、謎の優越感に浸っていました。

 

もう少し、シナ(明・清)と朝鮮の関係について書き留めておきます。

朝鮮が見下していた女真族ですが、明末の17世紀にはヌルハチが後金を建て、その子孫(孫の世祖)が明を滅ぼして清を建てます。そして朝鮮を屈服させる(1637年『丙子胡乱』(へいしうらん))のですが、これで、見下していたはずの清に対して政治的には主従関係となります。これを事大主義(自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやりかた)と言います。

 

 

『丙子胡乱』にて降伏した朝鮮は以下の三点を盟約させられます。

 

  1. 朝鮮は公文書に清の年号を用いること。
  2. 王位継承において冊封を受けること。
  3. 一年四貢の朝貢を行い、礼物を受領すること。

 

沖縄の首里城祭に話を戻すと、この「三跪九叩頭の礼」を見世物にした勢力は、そういった姿勢を沖縄県民に植え付けたい意図があるのでしょう。なお、この沖縄のショーに参加しているのは公募で選ばれた人達だそうです。

 

ところで、この儀式を見ていて、先日の玉城デニーの中央訪問を思い出しました。

沖縄二紙は「国に物申した!」とばかりの記事を書いていましたが、「一国二制度」などとほざく玉城沖縄県知事は、ちゃっかり、沖縄振興予算の増額を総理にお願いしているのです。

現代の琉球王の事大主義はどこまで続くのでしょうか。

 

【追記】現代の朝貢使節

 

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/79979
中国・福州市、那覇市長を「栄誉市民」に 訪問団は琉球墓で奉納演舞
2017年1月16日 16:03

 中国・福州市と友好都市締結35周年に合わせ、那覇市の城間幹子市長や那覇市首里赤田町自治会や久米崇聖会のメンバーら約50人の訪問団が、10日から3泊4日の日程で福州市を訪問した。

 

20170116_shiroma

 

 訪問団は滞在中、全面改修され展示もリニューアルされた琉球館を視察。琉球人墓園では小学生から大学生までの若者を中心に構成された約20人の「赤田のみるく・路次楽隊」が奉納演舞し、福州市民と交流を深めた。

 また、福州市の尤猛軍(ゆうもうぐん)市長から城間市長に「栄誉市民」の称号が授与された

 城間市長は「那覇と福州は琉球王国時代から深いつながりがある。さらなる友好交流発展への思いを強く感じている」などとあいさつした。

 

 

* * * *

 

さて、話は変わって、金武(きん)町の「當山久三生誕150年祭」ですが、それを報じる琉球新報の記事をご紹介します。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-818643.html
「移民の父」金武魂を継承 當山久三生誕150年祭

2018年10月15日 06:00

 沖縄移民の父と呼ばれる當山久三(1868~1910年)の生誕150年記念祭(同実行委員会主催)が14日、出身地の金武町で開かれ、町内外から多くの人が訪れた。町民による大規模パレードや當山を描いた演劇を通して、困難に打ち勝ち移民事業を成功させた“金武魂”を再確認し、次世代に継承することを改めて誓った。

 當山は1868年に金武間切並里(現金武町並里)に生まれた。99年に県初の移民30人をハワイへ送り出した。その後も多くの県民が海外へと渡った。移民した県出身者は、沖縄が戦争で壊滅的な被害に遭うと、古里を助けようと多くの寄付を贈り、復興への足掛かりをつくった。

 当時、移民を見送る場所だったドンダン小(グヮー)(現金武町金武)で開かれた顕彰式では、町内5区が空手や獅子舞などを披露し、祭りを盛り上げた。

 宜野座村から友人と訪れた金城佑貴さん(28)は「移民の始まりが金武町だとは知らなかった。チャレンジ精神を大切にしていこうと思う」と笑顔で話した。

 

この當山久三(とうやまきゅうぞう/リンク先はWikipedia)という人物は、下に揚げるリーフレットにも書かれていますが、「いざ行かん 我らの家は世界五大州」と世界に目を向けていた方で、この精神は現在も金武町立金武小学校の校歌に受け継がれており、番組(『沖縄の声』では詳しく歌詞を紹介していました。ここでは琉球新報の短い記事をご紹介します。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-240736.html
校歌探訪 金武町立金武小学校
2015年3月22日 18:19

 「いざいざ行かん五大州 われらの家は世界ぞと」-。戦前、移民事業を始めた「移民の父」當山久三が1期生として学び、第6代校長を務めた金武小学校。校歌の歌詞や校舎を元気よく駆け回る児童たちには、開拓者としての勇気や信念を貫く「金武魂」の精神が脈々と受け継がれている。

 

以下のリーフレットは配布のために惠隆之介氏がFacebookに掲載されていらっしゃるようなので、當山久三について書かれた裏面のみご紹介させて戴きます。

これを読むと、痛快なのは、琉球の最後の王、尚泰王(しょう・たいおう)が亡くなったときに、祝いの綱引きをやったという逸話があります。と言うのは、(以下、公開時は一部文字が消えていましたのを修正→)沖縄の庶民は尚家や一部の特権階級に過酷な人頭税を強いられて窮乏していたからです。李氏朝鮮と同様、教育を受けられるのはごく一部で、明治になって調査したところ、沖縄の識字率は大層低かったと、動画では説明されていました。なお、廃藩置県後、王は華族として東京に藩邸を与えられたそうですが、現在の麻布高校がその跡地だそうです。

 

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