【動画】『台湾人と日本精神』-“日本語族”蔡 焜燦氏インタビュー
このエントリーでは、以前ご紹介した『台湾人と日本精神』という本を著した蔡 焜燦〔さい こんさい〕氏のチャンネル桜でのインタビューをご紹介します。
最初に少しこのインタビューの前提となる説明をすると、以前NHKで放送されたNHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」(2009年4月~6月)という番組で、蔡氏のような“日本語族”の方々が日本統治時代を語ったところ、恣意的に発言を切り取られて正しく意図を伝えられませんでした。
彼等が語った中には当時の良い面、悪い面があったのですが、NHKが意図したストーリー通りに発言を切り貼りされて、あたかも日本統治時代が抑圧されて暗い時代だったかのような印象操作に利用されたのです。
この件はエントリーを改めてまとめるつもりですが、さっそく動いた人達・団体の一つがチャンネル桜で、NHKの番組内でインタビューされた方々や蔡氏のインタビューをとって、NHKを糾弾するキャンペーンを張りました。
番組は前後半の2回に分けられており、動画も更に分割されているのでリストにしました。
【前半】
1/3【台湾取材レポート】老台北・蔡焜燦氏に聞く 第1弾[桜 H21/5/6]
2/3 https://youtu.be/BegRnBTrxTo
3/3 https://youtu.be/ha1ZtSUwhog
中共政府と同じ反日的な視点から、日本による台湾統治の「陰」の部分のみを強調するという目的のために、日台間の歴史の真実も、親日国・台湾の人々が日本に寄せる複雑な心情も、ただ利用し、踏みにじった「NHKスペシャル シリーズ『JAPANデビュー』第1回『アジアの一等国』」。その作為を明らかにすべく台湾に赴いた井上和彦が、老台北(ラオタイペイ)として著名な蔡焜燦氏に、NHKの番組に見られる誤りの数々や、日本による統治時代の実情、台湾のために貢献した日本人たちの功績などについてじっくりとお話を伺った模様をお送りします。
【後半】
1/2【台湾取材レポート】老台北・蔡焜燦氏に聞く 第2弾[桜 H21/5/11]
問題視されている「日台戦争」という言葉ですが、これは動画の中でも語られているように、日清戦争後(1895年4月17日 下関条約)、日本人による統治が始まった初期に頻発した抗日ゲリラによる抵抗のことですが、「台湾民主国」に言及していたので、少々補足します。
清仏戦争(1884~85年、清国とフランスとのベトナム支配権をめぐる戦争。天津条約を結び、ベトナムはフランス保護領となる。)の間にフランス軍が台湾を襲ったことから、この地の重要性を強く認識した清は台湾を独立した省として巡撫(地方長官)を派遣するようになります。
その後、日清戦争に敗北した清から日本への台湾の割譲が決まると、これに抵抗する台湾の官僚等は「台湾民主国」の成立を宣言(1895年5月25日)します。既に割譲が決まっているので清は全く関与しませんでしたが、この事態に、日本は武力での統治が必要と、海軍大将・樺山資紀を初代総督に任命して派兵、しかし、日本軍が上陸(6月3日)すると、台湾民主国の総統は廈門(アモイ)に逃走。無血開城となります。
その後、台湾人との戦闘状態が5ヵ月続き、NHKはこれを「日台戦争」と呼んだのですが、前述のように台湾民主国に統率された軍隊などありませんでした。
下は、チャンネル桜の井上和彦氏が台湾に行き、老人が集まる公園や広場で“日本語族”にインタビューしたもの。特に、龍山寺で出会ったご老人方の話は必見です。
2009/04/22 に公開
1/5【台湾取材レポート】井上和彦・台湾取材で感じたこと
https://youtu.be/8dqmJrgoSHQ2/5【台湾取材レポート】二二八紀念公園でのインタビュー
https://youtu.be/h7Anl-B1t1E3/5【台湾取材レポート】龍山寺前広場でのインタビュー
https://youtu.be/_vg5wn-EF9k4/5【台湾取材レポート】龍山寺前広場でのインタビュー・後半
https://youtu.be/5EOmXXtVgD05/5【台湾取材レポート】台湾取材を終えて[桜 H21/4/22]
https://youtu.be/Km9pUH9pBPM
この時は国民党の馬英九政権の時代で、李登輝総統(中国国民党だが、初の本省人の総統)以降進められた民主化が後戻りしていた時代だということを前提に観る必要があります。
ところで、動画の中で、日本統治時代と国民党支配の違いとして、治安を挙げる方が何人かいました。
それで思い出したのが、ブログ主が出張した当時(1991年)、驚いたのはマンションの厳重さでした。エレベーターで部屋のある階に下りると、通路というほどのスペースもなく、部屋のドアがあるのですが、そのドアの前にもう一つ、鉄格子があるのです。
NHKのJapanデビューは当時どのくらいの台湾人が観たのかは分かりませんが、台湾は衛星放送やケーブルテレビの普及が日本よりも早く、ブログ主の部屋のテレビでもNHKが映っていました。
あまりテレビを観る時間はなかったのですが、毎朝、時計代わりにテレビを点け、朝ドラを観てから部屋を出ていた記憶があるので、地上波の番組が観られたのだと思います。従って、台湾を取り上げた番組とあっては、NHKを観る習慣がある方はこの番組を観ていたのではないかと思います。
1991年当時、相撲とか甲子園(高校野球)も人気で多くの人が観ていると聞きました。前回ご紹介した同僚の女性の両親は“日本語族”だったのですが、彼女と一緒にお昼を食べた日本食屋で壁に貼られた大相撲のポスター(千代の富士)を見て、「この人知ってる。えーと、確か貴乃花...」と言いかけたので訂正しようかと思ったら、「...に負けた人でしょ。」と言ったので、彼女は日本語は話せませんが、家族と相撲をよく観ていたのでしょう。
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