【書籍】『台湾人と日本精神』 (小学館文庫/蔡 焜燦)読了
公開: 2018/08/06 15:38 最終更新: 2018/08/09 12:50
以前のエントリーでご紹介した『台湾人と日本精神』(小学館文庫/蔡 焜燦〔さい こんさい〕著)を読了しました。
読み終えたのはもう2週間ほど前ですが、その後、この本から興味が派生して、関連する資料を読んだりしていたので、書き留めておきたいことはたくさんあるのですが、今回は全般的な内容のご紹介をするつもりです。
下は文庫版の目次です。
蔡さんと私 合い言葉は「お国のために」 金美齢
第1章 台湾の恩人・司馬遼太郎
第2章 台湾近代化の礎を築いた日本統治時代
第3章 「二つの祖国」 - 「戦争」そして「終戦」
第4章 “祖国”の裏切り
第5章 日本人よ胸を張りなさい
第6章 「台湾論」その後
あとがき
台湾略年表
まず、タイトルにある「日本精神」(台湾語でリップンチェンシン)ですが、成語(熟語)として台湾に根付いているもので、その対語には「中国式」という表現があるそうです。前者は「勤勉で正直で約束を守る」、後者は「嘘、不正、自分勝手」という意味があると著者は説明し、日本の統治時代を経験した世代には「日本精神」がある、というわけです。
ご存知のように、日清戦争(1894~1895)の結果、下関条約(1895年)により台湾が日本の領土となりました。最初の3年間程は治安維持に注力したため、本格的にインフラ整備等に手を付けたのは第4代台湾総督・児玉源太郎(1852~1906/1898年〔明治31年〕着任)の時代からです。そのために後藤新平(1857~1929)、新渡戸稲造(1862~1933)といった、そうそうたる人物が台湾に呼ばれました。
日本統治時代の台湾というと、どうしても八田與一(1886~1942)に代表されるようないうハードの面(道路、鉄道、水道等の建設・整備)のインフラ整備を思い描きがちです。こうした事業が開始されるのは前述のように第4代台湾総督・児玉源太郎の時代からで、第7代総督・明石元二郎(1864~1919/1918年〔大正7年〕)の時に、台湾教育令(1919年)が施行され、ソフト面での台湾近代化が展開されます。
こうした名前を見ていると、日本人が恩着せがましく言うことではありませんが、この時代に台湾が日本に統治されたのは、ある意味“奇跡”ではないかと思います。
明治維新の立役者達が、日本では手探りでやった経験を元に、更に理想的に、更に効率的に台湾の近代化を進めることができたと思うからです。
しかし、蔡氏のこの本を読むと、「日本精神」はけっしてこれらの“偉人”によってもたらされたものではないことが分かります。
それは、日本人教師や警官といった名もなき人々から学んだものでした。
ちなみに、2014年に公開された映画『KANO』の嘉義農林学校(通称「嘉農」)が甲子園(第17回全国中等学校優勝野球大会)で準優勝するのは昭和6年(1931年)です。満州事変が勃発する年ですね。映画には八田與一が登場し、烏山頭ダムの完成も試合進行とともに描かれますが、完成は1942年です。着工は1920年で、明石総督が没した年の翌年でした。
この映画の中でも嘉農の学生達の授業風景が出てきます。
【KANO 正式預告 】(ARSFILMPRODUCTION)
著者の蔡 焜燦氏(1927~2017)が生まれたのは日本式に言うと昭和2年で、台湾が日本の領土となってから既に30年以上経っていますが、この世代の方が、戦後、日本からかつての恩師を招いて旧交を温めるというのはよくある光景だったそうです。
以前にもこのブログに書いたことがありますが、ブログ主が1991年に台北に出張に行った時、週末に案内をしてくれた現地スタッフの女性とその家族が連れて行ってくれた茶の店で、やはり蔡氏と同世代の店主が、私が日本人と分かると、奥から何冊もの古いノートを持ってきて、日本の教育を受けられたことがどれほど幸せだったかと、もちろん日本語で語っていました。
その時は、あまり意味が分からなかったのですが、当時は戦後日本に変わって台湾にやって来た外省人(国民党)により、まだ反日教育が行われていたのでした。
話は前後しますが、台湾にはかつて高砂族(※)と総称された九つの部族がおり、大陸から渡ってきた漢民族と数百年に渡り交わり、「台湾人」となっていきました。(大陸からの移住は手元の百科事典によると明代(1368~1644)末期=清の前=からだそうなので、日本で言えば江戸時代の初期からになります。)戦後、新たな統治者として大陸から国民党軍がやってきて、台湾人は「本省人」となり、後からやって来たチャイニーズは「外省人」となります。
日本の統治が始まった頃に手を焼いたのが彼等高砂族(当時は「蕃(ばん)人」でしたが、治安維持のために配置された警官が日本語や勉強を教える教師役もしていたそうです。こうして、それぞれ異なった言葉を話していた各原住民、そして漢人との間に共通の言葉がもたらされました。大東亜戦争の末期(昭和17年)、台湾人の志願兵が許可されて、最も名を轟かせたのは「高砂義勇隊」(高砂義勇軍)でした。
※高砂族=こうざん‐ぞく【高山族】 カウ‥
台湾の先住民族。言語はオーストロネシア語族に属し、パイワン・アミなど九つに大別される。伝統的には焼畑による陸稲・粟の栽培に従事する者が多い。日本統治時代には高砂(たかさご)族と総称。カオシャン族。
と言われる
なお、KANOの監督、馬志翔氏は映画で言う“蕃人”の血を引いています。
この本は台湾の現代史を知るのにも良い本だと思います。ブログ主の台湾と日本の台湾統治に関する断片的な知識が繋がりました。
但し、抗日運動などにはあまり触れずに書いてくれているとは思います。
日本統治時代に原住民のセデック族が日本人に対して起こした反乱(霧社事件)、女子どもを含む日本人134名を殺害するというこの事件が起きたのは1930年、つまり、嘉義農林学校が甲子園で準優勝をする前年のことです。
歴史についてはもっと書きたいことはありますが、ここではこれくらいにして、他の部分をご紹介すると、蔡氏は“中国や韓国の顔色を窺ってオドオドする日本や日本人”が歯がゆくてしょうがないと、第5章だけでなく、全編にわたって我々日本人を叱咤激励する言葉を書き連ねています。
第5章は小林よしのり氏の『台湾論』にまつわる騒動について書かれており、このエピソードが面白いのでご紹介します。
小林氏については色々思う方もいるかも知れませんが蔡氏によると、このマンガは「我々台湾人の『忠実な代弁者』」とまで仰っているので、興味のある方は読まれたらいかがでしょうか。
このマンガは雑誌『SAPIO』連載中に既に蔡氏のような“日本語族”(日本語を解する台湾人)の間では話題になり、日本から取り寄せてコピーを取って読まれるなど、話題沸騰だったそうです。
日本語が分からない若い世代には読めないことに苛立ちさえ覚えていたそうですが、日本で単行本化された4ヵ月後に「中文版」が発売されます。2001年のことでした。
そして、『台湾論』はブームを巻き起こしました。
しかし、外省人がこの漫画本を燃やすなどの抗議をすると、外省人に牛耳られている台湾マスコミが同調し、批判します。蔡氏の説明では、人口2300万人の台湾人のわずか10%に過ぎない外省人=中国人により、台湾全体が批判しているかのような印象操作が行われました。
まるで、どこぞの国みたいですね。
書かれていることは事実なので、外省人達は感情的な反論しかできず、ターゲットにしたのは「慰安婦は強制連行されていない」という記述でした。(恐らくマンガの中でそう証言した)許文龍氏や蔡氏が非難されます。
その様子を、蔡氏は「我々は河野洋平や村山富市の犠牲者」と評するところが愉快ですが、実際、経営している会社まで嫌がらせの電話が鳴り止まず、国もとうとう著者の小林氏の入境(入国)拒否を行います。
そこで立ち上がったのが、当時陳水扁(ちんすいへん)総統(2000年就任/民進党)の国策顧問であった金美齢氏です。(このくだりは本でお読み下さい。)
金氏の活躍は台湾人のアイデンティティを呼び起こす大きなムーブメントとなり、陳水扁総統は内政部が勝手に出した小林氏の入境拒否の撤回を宣言します。
ところで、先日、来年8月に台湾中部・台中市主催で開かれる予定だった東アジアユースゲームズが、議長国の中国の発議により臨時理事会が招集され、多数決で中止に追い込まれました。
このことはチャンネル桜の台湾チャンネルでもしばしば取り上げていますが、下の動画で、この裏には、現在台湾で行われている、「台湾正名運動」(東京オリンピックに台湾の名前で参加する国民投票を求める民間の署名活動)を中国に告げ口したのではないかという現地のニュースが流れます(17:53~)が、キャスターの永山英樹氏の説明によると、台湾の台湾オリンピック委員会というのは国民党に支配されているそうです。
【台湾CH Vol.243】中国の卑劣な圧力は逆効果!東京五輪の台湾正名を目指し立ち上がる台湾の民衆 / 台湾歴史博物館で日本の人類学者の先駆・伊能嘉矩の特別展[桜H30/8/3]
キャスター:永山英樹・謝恵芝
永山氏の説明によると、5月の始めにIOCが台湾のオリンピック委員会に対し台湾正名を求めても許可しないという通告をしてきたそうで、台湾オリンピック委員会は台湾政府にそれを伝えたとのこと。前述のように、まだ政府は何も動いていないのに、です。
【参考】台湾・台中市、国際スポーツ大会の復活申請=中国主導の中止「理不尽」
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018073000752&g=spo
台湾・台中市、国際スポーツ大会の復活申請=中国主導の中止「理不尽」【台北時事】来年8月に台湾中部・台中市主催で開かれる予定だった国際スポーツ大会「東アジアユースゲームズ」が中国の圧力で中止に追い込まれた問題で、林佳龍市長は30日、台北で記者会見し、大会の復活を東アジア五輪委員会に申請したと発表した。林市長は「台中市は規定に違反するようなことは何もしていない。理不尽な決定だ」と述べ、大会中止を主導した中国を批判した。
大会をめぐっては、日本や中国、台湾など9カ国・地域で構成する同委員会が24日、中国・北京で臨時理事会を開催。台湾の一部民間団体が2020年の東京五輪に「チャイニーズタイペイ」ではなく「台湾」名義による参加を目指して活動していることを理由に、中国の提案で中止を決定した。台湾は反対し、日本は棄権した。
中国は東アジア五輪委に委員長を派遣しているため、議決権を2票持っている。中国は香港、マカオ、北朝鮮、モンゴルを含む多数派を形成しており、大会復活の可能性は低いとみられている。
林市長は「台湾の窮状を世界に知ってもらうため声を上げた。日本を含む参加国・地域に直接出向き、協力をお願いしたい」と強調した。(2018/07/30-17:54)
反対したのは台湾代表のみで、日本(JOC副会長が出席)は棄権、他の代表は全て賛成しました。(日本代表は既に退席。反対の挙手をしているのは台湾代表。)
記事にあるように台湾の民間が東京オリンピックに「台湾」の名前で参加することを目的に署名活動をしていることがIOCのルールに反する、という理由での発議だったのですが、現時点で台湾国内で日本の国民投票にあたる公民投票の実施を求めるための署名運動を民間人が行っているだけで、台湾政府や台湾オリンピック委員会の活動とまでは至っていません。
日本代表の棄権は、議論が不十分という理由とのことですが、では、議論を尽くしたからといって、日本が台湾と共に反対できるのかという疑問は残ります。
【追記】8月5日付読売にこの件に関する良い記事があったので貼っておきます。
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