【書籍】『台湾人と日本精神』-台湾のヒノキ-
現在、腰を傷めているので、なるべく安静にしていようと本をたくさん買い込みました。
『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』(小学館文庫/蔡 焜燦〔さい こんさい〕・著)もその一つです。
実はまだ途中までしか読んでいませんが、読んでいて気になったことがあったので、手持ちの本で調べたことを書き留めておこうと思います。
この本は元々文庫版が先に出版され、14も版を重ねたロングセラーですが、読者からの要望で加筆されたものが新装版として出版されています。
まだ読了していないので、感想などは別の機会に書こうと思いますが、簡単に説明しておくと、日本人として兵役に就いたこともある著者が、その後の国民党統治を経て、日本統治時代の台湾と、今に息づく「日本精神」についてとを日本の読者のために書いた本です。
著者の蔡氏は、司馬遼太郎の『街道を行く』シリーズの「台湾紀行」編で司馬氏を案内した「老台北」という愛称の方、と言えば分かる方もいるかと思います。
このシリーズはブログ主も海外編を3冊ほど読んだことがあり、台湾編はその内の1冊です。司馬遼太郎らしく、旅をして見聞きしたことだけではなく、旅の前後に調べたのであろう蘊蓄が満載で、簡単に言えば、小説に出てくる「余談だが」の部分にあたるものを集めたような内容です。
前置きが長くなりましたが、『台湾人と日本精神』でブログ主の目に留まったこととは、靖国神社の神門が台湾のヒノキで造られているということです。
そこで靖国神社のサイトで調べてみると、境内マップに「昭和9年(1934)に建てられたもの」という説明がありました。
なるほど、この時代の台湾は日本であったので不思議ではありませんが、日本でもヒノキがあるのに、わざわざ台湾からヒノキを運んで使ったことに何か謂われがあるのでしょうか。
残念ながら、この本ではそれ以上の情報は(ブログ主が読んだ部分には)書かれていませんでしたが、かつて台湾は木材の輸出国だったので、単に豊富な木材を自国の資源として使っただけかも知れません。
この「靖国神社の台湾ヒノキ」で、日本の寺社には台湾のヒノキが使われる例が他にもあるのを思い出したのです。
ブログ主は一時、宮大工の西岡常一氏に興味を持って何冊か本を読み、修学旅行以来の奈良旅行もして法隆寺や薬師寺を訪れたほどですが、氏が手がけた古寺の再建に台湾のヒノキを使う話が出てきます。
昭和40年代頃では既に日本にはヒノキの巨木が少なかったからで、そのため、価格も高く、台湾のヒノキなら1/3くらいと安かったことが理由です。従って、他の日本の神社仏閣でも多く使われています。
なお、安い理由の一つには、質の点では日本のヒノキと変わらないものの、色味などの見た目が理由だそうです。
例えば、明治神宮の鳥居。
他にも奈良法輪寺の三重塔、東大寺大仏殿、薬師寺金堂・西塔、京都平安時代や北海道神宮などにも台湾ヒノキが使われています。
特に薬師寺の復元では、西岡棟梁が生前に残りの設計図も作成しており、既に木材も調達しています。
この、薬師寺再建に使用する台湾ヒノキのエピソードが『古寺再興』(講談社文庫/長尾三郎・著)に出てきます。
台湾ヒノキを使うことにした理由は前述の通りですが、この本の中に「(最初は日本のヒノキを使いたかったが、)最高で木曽ヒノキの樹齢が450年程度である」と書かれています。それほどの巨木でないと大伽藍には使えないということなのでしょう。
台湾の阿里山ヒノキ、太平山ヒノキと言えば明治末期以来、名木として知られているそうです。
頭領は祖父からの口伝のとおり「木を買わずに山を買え」と、実際に台湾の未開の山に登り、生えている状態を確認して、あの木、この木と選んでいます。そして、1本毎に薬師寺の執事が香を焚いて経を上げたそうです。
この山の持ち主は劉という方で、その母親が、「大事なお堂を造るヒノキをお世話することはありがたいことだと思って欲得抜きでやりなさい」と、当時は蒋介石総統の時代でヒノキの伐採についてはうるさかったそうですが、劉親子の尽力で十分な木材が確保できたということです。
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