【盗用疑惑】講談社・群像の『美しい顔』全文を読んで
公開: 2018/07/07 16:39 最終更新: 2018/07/07 17:14
現在世間を騒がせている芥川賞候補の『美しい顔』(北条裕子著)の全文が公開になりました。
最初に関連するURLなどを提示します。
『美しい顔』全文
作品はPDFで公開され、下記の「講談社からのお知らせ」からダウンロードすることが可能です。(PDFのURLも書きました。)
「講談社からのお知らせ」 (http://www.kodansha.co.jp/news.html#news52261)
- 2018.07.04 群像新人文学賞「美しい顔」(「群像」6月号掲載)全文、および「群像」8月号(7月6日発売)巻末告知を公開しました。こちらをご覧ください。(http://book-sp.kodansha.co.jp/pdf/20180704_utsukushiikao.pdf)
簡単にストーリーを説明すると、小説は、母と幼い弟のいる女子高生主人公で一人称で語られます。震災の直後に行方不明の母親を捜し回り、変わり果てた母親と遺体安置所で対面するまでとその後を描いたもので、表題の「美しい顔」はその時の母の顔を見た印象です。
少女の心理描写に重きを置いた作品とは言え、やはり、被災地の描写-例えば、水が引いた後に電柱に絡みついた遺体といった凄まじい光景など-がリアリティを与えており、これが無ければこの作品は成り立たないでしょう。
そうした描写を引用した“参考文献”の内の一つが石井光太氏の『遺体』(新潮社)で、主に遺体安置所の光景を描写した部分が盗用されています。そして、最初に問題視されたのがこの作品との類似点でした。
『美しい顔』における『遺体』からの引用箇所は既に色々な媒体で書かれているので、ここでは省略しますが、遺体安置所の客観的な描写のみならず、石井氏が現地で感じた主観的な描写、例えば「うっすらと潮と下水のまじった悪臭」とか、毛布にくるまれた遺体を「蓑虫」に喩えるといった特徴的な表現が、その前後も含めて書き写されており、「(悪臭が)流れてくる」を「漂う」と書き換える程度の小手先の改編がなされています。
新潮社と講談社の見解や経過報告
この件では、現在二社の間で協議が行われています。現時点で両社が発表している見解等は下記から読むことができます。
【新潮社】「群像」8月号、『美しい顔』に関する告知文掲載に関して
【講談社】「講談社からのお知らせ」
- 2018.07.06 群像新人文学賞「美しい顔」に関する「経緯のご説明」を公開いたしました。こちらをご覧ください。(http://www.kodansha.co.jp/upload/pr.kodansha.co.jp/files/pdf/2018/180706_Gunzo.pdf)
講談社の説明する経緯は著者のプライベートなことも理由にして、参考文献を確認する時間がなかったと、言い訳に終始しています。
目を向けたい、被災者の手記からの剽窃
新潮社という有名な出版社はニュースバリューがあるので新聞などに取り上げられますが、他にも以下のような“参考文献”があるそうです。
- 『3.11 慟哭の記録 71 人が体感した大津波・原発巨地震』金菱清編/東北学院大 震災の記録プロジェクト( 新曜社)
- 『メディアが震えた テレビ・ラジオと東日本大 震災』丹羽美之/藤田真文編 (東京大学出版会)
- 『ふたたび、ここから 東日本大震災・石巻の人たち50間』池上正樹(ポプラ社)
- 文藝春秋二〇一年八月臨時増刊号『つなみ 被災地のこども80人作文集』(企 画・取材構成 画・取材構成 森健/文藝春秋)
この内、『3.11 慟哭の記録 71 人が体感した大津波・原発巨地震』の編者である東北学院大学金菱清教授がコメントを出しているのですが、あまり大きくは取り上げられていません。
ブログ主が見つけたのは朝日新聞の『芥川賞候補作、全文無料公開へ 講談社「盗用ではない」』(2018年7月3日)くらいで、それも、記事の最後に付け足しのようにこう書かれているだけです。(下記)
「遺体」と同じく参考文献とされた「3・11 慟哭の記録」(新曜社)の編者、金菱(かねびし)清さんも2日、「単なる参考文献の明示や表現の類似の問題に矮小化(わいしょうか)されない対応を、作家と出版社に望みたい」とのコメントを出した。
そこで、探してみると、ブログ主と同じくココログに『新曜社通信』というブログがあり、2018年7月 6日 (金)付で『東北学院大学 金菱 清 「美しい顔」(群像6月号)についてのコメント』というエントリーがありました。
盗用部分に言及した箇所のみ下記に引用させて戴きます。
shttp://shin-yo-sha.cocolog-nifty.com/blog/2018/07/post-3546.html
- 小説「美しい顔」(以下、本小説)において『3.11慟哭の記録』(以下、慟哭)との類似箇所が見られたわけですが、当初情報として類似箇所は何かを知らされていないなかで、本小説を拝読しました。では、50万字にものぼる慟哭の文字量のなかからどのようにして10数箇所の類似箇所が判明したのか。その作業は実はまったく難しくはありませんでした。
といいますのも、本小説を読みますと、慟哭を詳細に照らし合わせるまでもなく、すぐにああ、これは慟哭の手記のこの方やあの方からモチーフを採ったものだとわかるレベルでした。
- 慟哭の中でも最も多くの箇所が参照されている手記は、まさにその当時避難所で物資も情報もない中で、無神経に取材にやってくるマスメディアに向けられた「怒り」を表したものであったわけです。このモチーフは本小説でも踏襲されていると感じられました。
あるいは別の手記において、食べ物のない、物資の届かない極限の状態のなかで「盗み」をせざるをえず、生きたいという感情からだったと自分をなんとか納得させる描写は、その当時の人の立場でなければ体現できないもので、これは現実の想像をはるかに超えるのです。そのモチーフも本小説に同様に見られました。
『美しい顔』を読めば分かりますが、作品中、多くの文字数を費やしているのは、上に書かれている“無神経に取材にやってくるマスメディアに向けられた「怒り」”です。ほぼ全編に渡ってこの「怒り」や「敵意」が女子高生の口から語られています。
多分、『遺体』のように文章をほぼ丸写ししたわけではないのでしょう(※と思ったら、かなりよく似ていました。)が、金菱氏の文章を読むと、この小説は被災された方の手記を元に、継ぎ合わせて書かれたものではないかと思わざるを得ません。
※追記 下は某所で見つけた一例
『美しい顔』
そろそろ一度も自宅に帰らずにいるのも限界と言って無理やり出ていく人がある。
だけど遠くまで行けば胸まで泥水に浸かることになる。着替えはない。泥を落とす水もない。
つまり行けばもう戻ってこられない。家も残っているのかはわからない。
道は泥水で底が見えずマンホールのふたも空いているという。
それでも自宅へ向かう人がいる。行った人の安否はわからない。
『3.11 慟哭の記録』
そろそろ一度も帰らずにいるのも限界が近づいてきていて、私の職場の人も一人、二人と、水がまだ胸まである中、矢本まで徒歩で帰りました。
市内が全域冠水しているので、一度濡れたら着替えもないし、泥を流すこともできないので、
体育館へ戻る事はしないで、絶対に家までたどり着く決心で出発して行きました。
後で聞いたら、下が見えないので、側溝のふたが水圧で外れていたのがわからずに落ちてしまい、危なく溺れる寸前だったり、何かを踏んで足の裏を切ったりしたそうです。
『美しい顔』
「お母さん?この避難所にはいないはずだよ。キョウカさんがもしいれば誰よりも働いてくれるだろうからすぐにわかると思うけど」
(中略)
看護師をやりながら日頃から町内会やPTA、福祉関係のボランティアに走り回り、いつも他人のために尽くしてきた母を、みな、いればすぐわかるはずだと言った。
『3.11 慟哭の記録』「お父さん見つからないの?」「お母さん見てないよ」「お父さんが避難していたらすぐわかると思うけど、見かけないよ」という情報ばかりだった。
私の父は数年前まで町内で自営業を営んでいて、私たちが小さい頃はPTAやら、体育協会などで活動していたので、町の人たちには顔なじみの父だった。
「お父さんが避難所にいたら率先して働いてくれると思うから絶対わかるけど、見かけないよ」
この本の著者である北条氏は被災地に行ったことはないそうで、下の「受賞の言葉」には、むしろ当時は震災から目を背けていたと語っています。となると、今、震災を描くに当たっては、相当の資料を集めないと想像では書けないはずですが、それが“手記”とは、安易すぎないでしょうか。
恐らく、手記を書かれた方は身を削るようにして言葉を絞り出したはずです。これは単に“参考文献”を書き忘れたで許されるものではないでしょう。
犯罪としての“盗作”が成り立つのかどうかは分かりませんが、少なくとも、モラルに反することだと思います。
具体的に剽窃部分を指摘されたのは今のところ『遺体』と『3.11 慟哭の記録』だけですが、他にも類似点があるという本が3冊もあるわけですから、いったい、著者のオリジナリティはどれほどあるのだろうか?と疑われてもしかたがありません。
ここまで見ていると、講談社は“逆ギレ”といってもいいような対応ですが、見苦しい言い訳をせずに、素直に引用元の出版社や編者に謝罪すべきででしょう。
最後に、どうでもいいことではありますが、「銀座8丁目」について、詳しくない方に補足説明を加えたいと思います。ブログ主が長年勤めた会社は銀座のすぐ隣でした。
この小説はところどころ稚拙な表現が見受けられます。それは文芸評論家でもないブログ主がいちいち指摘するのは僭越なのでやりませんが、常識に欠けているところも見受けられます。
その一つが「銀座8丁目」。
P.13に主人公の心の言葉として、「パリのシャンゼリゼ通り」、「ニューヨークの五番街」と並んで、「銀座8丁目」が出てきます。
ブログ主はシャンゼリゼ通りも五番街も行ったことはありませんが、ブログ主より世間を知らないであろう女子高生でもこの2箇所は「華やかな通り」というイメージで知っていても不思議でないほど有名だと思います。
しかし、銀座8丁目は銀座の中でも新橋に近い“場末”感の漂う場所で、昼間はあまり目立たず、夜になると着飾ったホステスさんが歩いているという、どちらかというと夜の町です。
普通、シャンゼリゼ通りなどと並び称するなら「銀座4丁目」でしょう。あるいは銀座を貫く「(銀座)中央通り」。
「銀座4丁目」は和光(高級デパート)や三越(デパート)がある交差点付近で、銀座の写真として紹介されるならここしかないという場所なので、地方の女子高生でも知っていておかしくはないかも知れません。
銀座が1丁目から8丁目まであるというのはある意味常識で、だからこそ、「幻の9丁目」が話題になるのですが、場所を説明するのに、「三越より8丁目寄り」のように方向を表すのに良く口にします。(詳しくない人には「新橋寄り」と言い換えますが。)
しかし、女子高生が思い描く銀座の華やかさを象徴する場所ではありません。なぜ、それを女子高生の口から言わせたのか不思議です。
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