【北朝鮮拉致】産経新聞・阿比留瑠比論説委員『小泉政権時代の外交交渉記録欠落』【虎ノ門ニュース(2018/06/26)】
本日(2018/06/26)の虎ノ門ニュースで産経新聞の阿比留瑠比氏が出演し、『小泉政権時代の外交交渉記録欠落』について話されていました。
これは21日付紙面に掲載されており、web版にも全文が掲載されているので後述しますが、6月18日の参議院決算委員会に於ける立憲民主党の風間直樹議員による安倍総理対する質疑を受けたものです。
まだ議事録は公開されていないようで、記事にも質疑の一部が引用されていますが、動画で確認すると、まず、風間氏が「『日朝平壌宣言』(文書の日付は平成14年〔2002年〕9月17日/全文はこちら)に先立つ秘密交渉に於いて、当時の担当者が、拉致問題が主権の侵害であることを主張していない形跡がある。何故か安否情報の提供のみ要求している。」旨の発言後、当時の官房副長官であった総理の考えを訊いています。
総理は、日朝平壌宣言の作成過程には答えられないが、と前置きし、「我が国の国内に於いて拉致が行われたことは主権侵害と認識。」と発言し、記事に引用されたやり取りに続きます。
番組でも阿比留氏が言っていたように、当時の担当者とは外務省の田中均アジア大洋州局長で、自身の都合の悪い部分を廃棄したのではないかと想像されます。
もう少し補足しておくと、それ以前の交渉では、北朝鮮側が拉致ではなく「行方不明者」として調査する意向を示すも、そのような行方不明者は存在しない(98年6月)と発表、99年12月に再び行方不明者の調査で合意するも、2001年12月に交渉が途絶えます。
なお、金正日総書記の長男正男氏が不法入国で一時拘束されるも国外退去処分でみすみす返してしまったのはこの年の5月です。
手詰まり感のある中、事態が大きく進展したのは田中均氏が金正日総書記と近い人物(当時、「ミスターX」と呼ばれた)と極秘交渉を重ねて2002年9月の日朝首脳会談が実現したのは事実ですが、冒頭に書いたように、その交渉過程の記録が一部欠落しているという阿比留氏の発言に繋がります。
https://www.sankei.com/premium/news/180621/prm1806210009-n1.html
2018.6.21 01:00
【阿比留瑠比の極言御免】日朝交渉文書欠落を振り返る
もはや「モリ・カケ依存症」とでも言うべき野党のワンパターンな国会質問の中にあって、18日の参院決算委員会での立憲民主党の風間直樹氏の質問は白眉だった。今後、北朝鮮との交渉で焦点となる可能性が高い部分について、正面から取り上げたのである。少し長いが紹介したい。
風間氏「(平成14年の小泉純一郎首相の初訪朝)当時の交渉担当者は、2回分の外交交渉記録を外務省に残していないとの国会答弁がある。安倍晋三首相も『彼は交渉記録を一部残していない』と(25年6月の)フェイスブックで批判している。公電が欠落している2回の交渉で、当時の担当者が北朝鮮と何を約束したか知っているか」
安倍首相「ご指摘の部分は記録が存在していないため、当時の田中均外務省アジア大洋州局長が北朝鮮とどのような交渉を行い、何を約束したかについては、残念ながら承知していない」
風間氏「国交正常化の際に、日本から1兆円規模の経済協力資金を提供するとの合意が図られ文書も交わされたと耳にしている。抜け落ちた公電にはこの部分が記載されていたと思うが、日朝間にそういう約束はあるのか」
安倍首相「日朝平壌宣言自体、北朝鮮に行く飛行機の中で見せられた。交渉過程、宣言作成過程については全く承知していない」
この問題について産経新聞は、10年以上前から何度も書いてきたが、他のマスメディアはなぜか関心が薄いようである。参院決算委翌日の19日の在京各紙を見ても、この部分には一切触れていない。そこで改めておさらいをしたい。
この件は、田中氏が北京などで北朝鮮側の「ミスターX」らと30回近く非公式折衝を実施したうち、14年8月30日に政府が小泉初訪朝を発表し、9月17日に金正日総書記と日朝首脳会談を行うまでの間の2回分の交渉記録が外務省内に残されていない-という大問題なのである。
通例、外交上の重要な会談・交渉内容はすべて記録に残して幹部や担当者で情報を共有し、一定期間を経て国民に情報公開される。そうしないと、外交の継続性や成果は無に帰するし、どんな密約が交わされていても分からない。それが欠落しているのだから、看過できる話ではない。
安倍首相は25年7月の日本記者クラブ主催の党首討論会で、かつて谷内正太郎外務事務次官(現国家安全保障局長)に「すべて(日朝交渉の)記録を見たいから調べてほしい」と依頼したところ、佐々江賢一郎アジア大洋州局長が「2回分がない」と報告してきたと証言した。田中氏本人に確かめると「私は知らない」と答えたことも、同時に明らかにしている。
これは、ふだん野党が何かに取りつかれたように追及している森友学園への国有地払い下げをめぐる財務省の文書改竄(かいざん)問題や、愛媛県と加計学園とのやりとりの備忘録メモよりも、はるかに重大で深刻な問題である。日本側は把握していない2回分の記録を北朝鮮側が持ち出し、何を要求してくるか分からない。
その点を野党議員が提起したことに、少し救われる思いがしたが…。
その後の野党幹部の発言に注目したが、やはり「(財務省の文書改竄は)民主主義の土台を揺るがす前代未聞の不祥事」(社民党の又市征治党首)などと相変わらずで、外務省の文書欠落への言及は見当たらなかった。野党もメディアも根本的にずれている。(論説委員兼政治部編集委員)
産経新聞、というか阿比留氏は過去にも度々田中均氏を批判しており、探したら、2013年のコラムがあったので下に引用しておきます。
https://www.sankei.com/politics/news/130627/plt1306270074-n1.html
2013.6.27 09:02更新
【阿比留瑠比の極言御免】だから田中均氏は信じられない
前回、安倍晋三首相による「フェイスブック」での田中均・元外務審議官の対北朝鮮外交への批判とその波紋を取り上げた。その後、田中氏が24日の講演でこれに反論したことについて、拉致被害者の有本恵子さんの父、明弘さんからこんな電話をもらった。
「メディアが田中氏に語らせるのが悔しい。外交官が自分でちょんぼしておいて反省せず、首相に文句を言う。田中氏は被害者家族と顔を合わせもしない」
また、民主党の細野豪志幹事長や自民党の小泉進次郎青年局長が首相に自制を求めたことをこう嘆いた。
「細野氏が言うのは野党だからまだいいねん。だけど、小泉氏が同じことを言うのはいかん。当時のことを何もわかっていない」
拉致被害者家族の田中氏への不信感は根強い。背景には、田中氏自身の過去の言動の積み重なりがある。平成14年9月17日、当時の小泉純一郎首相の初訪朝前後を振り返ると-。
田中氏は北朝鮮が伝えてきた不自然な拉致被害者8人の「死亡年月日情報」について、報道されるまで被害者家族に伝えなかった。17日午前中には情報を得たのに、小泉首相にも平壌宣言署名直前の午後5時ごろまで報告しなかった。
10月に米大統領特使として来日したケリー国務次官補が福田康夫官房長官と安倍副長官を夕食会に招いた際には、勝手に「両氏とも忙しい」と断り自分が面会した。15年5月の日米首脳会談の際は、両首脳が北朝鮮に「対話と圧力」で臨むことで一致したのに、記者団への説明用資料から独断で「圧力」を削除した。
米国務省幹部からは「サスピシャス・ガイ(怪しいやつ)」と呼ばれ、拉致被害者の家族会と救う会が北朝鮮担当から外すよう求める声明を出したこともある。
「もう田中氏を相手にしてもしようがない」
安倍首相は周囲にこう漏らす。ただ、田中氏の24日の講演での首相への反論も論点のすり替えが目立つ。
例えば14年に帰国した拉致被害者について、田中氏が北朝鮮に戻すべきだと主張したとの首相の指摘を否定し、戻さないと決めた最終判断には「誰も反対していない」と強調した。とはいえ、田中氏が首相官邸内での議論の過程で「いったん北に戻すべきだ」と訴えていたとの当事者、関係者の証言には事欠かない。
また、田中氏は首相の「日朝交渉記録を一部残していない」との批判に関しては「記録をつけない交渉なんてあり得ない」「記録が作られていないことはない」と反論した。だが、首相は「作られていない」などとは言っていない。なぜか今、一部の資料がない問題を問うているのだ。
この件は菅義偉官房長官が25日の記者会見で「記録は一部残っていないのか」と問われ、こう明言した。
「それは当然だ。そういう見解だ」
結局、メディアや与野党の政治家も加わった今回の論争を通じて浮かび上がったのは、拉致問題に向き合うそれぞれの姿勢ではなかったか。(政治部編集委員)
追記することがあるかも知れませんが、一旦ここまでで公開します。
なお、番組で紹介されていた『メディアは死んでいた』(阿部雅美著/産経新聞出版)の書評はこちらのエントリーに。(櫻井よしこ氏の書評も掲載してあります。) また、現在、「学園浸透スパイ事件」と併せ、拉致事件を含めた日本・朝鮮半島史については時系列にまとめ中です。
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