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2018年6月の27件の記事

2018/06/30

【沖縄】翁長沖縄知事国連演説訴訟、最終局面へ【チャンネル桜】

公開: 2018/06/30 21:06  最終更新: 2018/07/01 7:31  

翁長沖縄知事国連演説訴訟は、次回、原告側の最終準備書面をもって結審することになりました。それに関して、先日、チャンネル桜の沖縄の声で特番があったので覚え書きとしてブログにエントリーしておきます。

 

まず、裁判について簡単に説明すると、翁長氏が2015年7月に国連人権委員会にて、本来、地方自治体の首長はその資格がないにも関わらず演説に行き、旅費等を公費で賄ったことに対する返還請求です。

この裁判は、原告側が勝訴しても賠償金が取れるといった類いのものではありません。被告は県であり、要求は「県」が翁長氏やそれに随行した職員、通訳等に対し、「費用の返還を求めよ」ということです。(国連ではNGOなどに「枠」が与えられるので、知事はNGOと共に参加したもので、その枠内で演説も行われました。)

但し、これは表面的な問題であり、核心は、ここで翁長知事が行った演説内容が沖縄県民のみならず日本人に対する裏切り行為であることを明るみに出すことにあります。

 

 

 

 

 

【沖縄の声】特番!翁長知事国連演説訴訟~沖縄だけじゃなく日本全体の問題~[H30/6/30]

出演: 江崎 孝(沖縄支局担当キャスター)
ゲスト: 徳永 信一(弁護士)

 

この訴訟は2017年10月に県民有志でつくる「沖縄県政の刷新を求める会」(江崎孝氏もその一人)が提訴したもので、ずいぶん早い結審だと思われるかも知れませんが、それは県側が前回の書面をもって、これ以上は反論しないことを宣言したからです。(リンク先は会のHP)

この動画の最後に徳永弁護士が説明されているように、県はこの裁判を長引かしたくないのでしょう。長引けば長引くほど県民の知るところとなり、11月の県知事選に影響があると判断してのものだと思われます。

 

裁判での争点

裁判での争点となるのは、下記の2点です。

 

①住民訴訟に先立って行った監査請求は時効ではないか?…住民訴訟は問題が生じてから1年以内に監査請求しなくてはならないが、演説したのは平成27年7月で訴えを起こしたのは29年10月。

②翁長氏の発言内容

 

①は、原告側によると、「首長の立場では国連で演説できない」ことを把握したのは産経の記事(後述 )であり、問題の発生はこの時点だというこという主張です。

この主張が認められれば、県知事としては演説できないというルールのため、私人として演説したと見なされ、県は翁長氏と随行員の旅費その他経費を請求せざるを得なくなります。

仮に県知事の立場で出張したと主張すれば、今度は②が問題になりますが、県はこれ以上争う意思を示していない以上、請求を求める判決が出て裁判が終わってしまうので、原告側は最終準備書面に言いたいこと(②)は盛り込もうという考えなのです。

 

翁長氏は国連で何を発言したか? self-determination/「自己決定権」

このことは以前のエントリーでも書きましたが、 翁長氏は国連では英語で演説したことが大きなポイントです。

この演説の中で「self-determination」という言葉を使い、この演説を報じる沖縄二紙は「自己決定権」という訳語を当てていますが、国連人権委員会という場でself-determinationという言葉を使えば、これは国連憲章の条文にある「民族自決権」であることは文脈から明らかであろうというのが徳永弁護士の説明です。実際、沖縄で「自己決定権」という言葉は沖縄二紙や沖縄独立論を唱えるサヨクが使う言葉なので、その文脈からも、「少数民族や先住民族の自決権」なのです。

 

Charter of the United Nations/国際連合憲章

Article 1

The Purposes of the United Nations are:

  1. To maintain international peace and security, and to that end: to take effective collective measures for the prevention and removal of threats to the peace, and for the suppression of acts of aggression or other breaches of the peace, and to bring about by peaceful means, and in conformity with the principles of justice and international law, adjustment or settlement of international disputes or situations which might lead to a breach of the peace;
  2. To develop friendly relations among nations based on respect for the principle of equal rights and self-determination of peoples, and to take other appropriate measures to strengthen universal peace;
    人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
  3. To achieve international co-operation in solving international problems of an economic, social, cultural, or humanitarian character, and in promoting and encouraging respect for human rights and for fundamental freedoms for all without distinction as to race, sex, language, or religion; and
  4. To be a centre for harmonizing the actions of nations in the attainment of these common ends.

英文: http://www.un.org/en/charter-united-nations/
和文: http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

 

以前のエントリーに翁長知事の演説全文を掲載してありますが、彼は「Okinawans' right to self-determination is being neglected」(沖縄人の民族自決権はないがしろにされ続けている)と言ったので、当然、前提は「日本では」とか「日本人により」ということになるので、「独立」や「先住民族」などという言葉を使ってなくても、そのようなことを訴えたのは文脈から明らかなのです。

これを県知事の立場で言ったのだとしたら、冒頭に書いたように、沖縄県民のみならず日本に対する裏切り行為であることは間違いないでしょう。

仮に翁長知事が全くの“お飾り”のような形で利用されたのだとしても、ジュネーブでは演説だけでなく、NGOが開く沖縄独立を謳うシンポジウムなどに参加していたので、自分が何をしているのか理解していないはずはありません。

 

「self-determination」を辞書で引いてみると

前記の説明でも十分だと思いますが、念のため英英辞典などで調べてみると、以下のように書いてあります。

 

オックスフォード現代英英辞典

  1. the right of a country and its people to be independent and to choose their own goverment and political system  〔SYN〕 independence
    国や国民の、独立して、政府や政治体制を選択できる権利 〔同義語〕独立
  2. 2. the right or ability of a person to control thire own fate
    個人の、自分自身の運命をコントロールする権利または能力

 

国連人権理事会で「Okinawans' right to self-determination」と言っている以上、個々人の権利を言っている訳ではないので、1の意味でしかありません。

この言葉の危険性は元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のヘンリー・スコット・ストークス氏も指摘しています。(後述)

 

沖縄県議会、県民、日本国民を裏切った翁長県知事、糸数慶子参議院議員

沖縄では一部の識者が散々沖縄名の独立を唱え、沖縄二紙もその記事を積極的に掲載していることは周知の事実で、それらが翁長県知事を担ぎ上げているので、翁長県知事がジュネーブに出発する前に自民党県連が下のような要請を公式に出していたそうです。

 

20150918_okinawa01

 

記事を読むと「沖縄県民が先住民族であり差別されている誤解を国際社会に生まないよう、慎重な発言を求めた」とあるので、実際に行ったのはまったくこれを裏切る行為でした。

 
翁長知事同様、世界に誤った情報を振りまき、日本人の敵と言っても過言ではない人物に糸数恵子参議院議員がいます。

 

2014_itokazu  

 

上は翁長氏がジュネーブに行った前年に参議院議員の糸数慶子氏がニューヨークの国連で演説した時の記事で、「Indigenous People」とは「原住民」という意味です。

首長や国会議員がこのような国益を損ねるような行為をしても罰する規定もない日本という国はどれほど“お花畑”なのでしょうか。

そう言えば、6月23日の「慰霊の日」でも知事は「(沖縄は)日本とアジアの架橋」などという奇妙なことをスピーチの中で言っていました。(演説全文後述)

 

徳永弁護士は、翁長知事は取り巻きに言いように利用されたのかも知れないが、それは知事としてあまりにも無責任と言いますが、全くその通りです。

弁護士は更にこう続けます。「沖縄人(県民)や日本人に対する裏切りが許せない」と。

「慰安婦の問題を知りつつ放置していた外務省と同じになってしまう。これは断固として言い続ける」

 

20180630_ch_sakura

 

産経:『国連演説の翁長知事を提訴へ 沖縄の有志 資格外で「公費返還を」』

http://www.sankei.com/politics/news/171119/plt1711190004-n1.html

2017.11.19 07:42
国連演説の翁長知事を提訴へ 沖縄の有志 資格外で「公費返還を」

 翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事が平成27年9月21日にスイス・ジュネーブの国連人権理事会で、参加資格がない「県知事」の立場で演説を行いながら公務としたのは不当だとして、県民有志でつくる「沖縄県政の刷新を求める会」(江崎孝代表)のメンバー5人が21日、公費から支出された約96万円(渡航・宿泊費、日当など)の県への返還を求めて翁長氏を那覇地裁に提訴することが分かった。

 5人は10月13日、地方自治法に基づき、県監査委員に住民監査請求を行った。しかし同27日に「1年以内の請求期限を経過した不適当な請求」などとして却下されたため、住民訴訟に踏み切ることにした。

 国連人権理演説で翁長氏は、沖縄に米軍基地が集中する現状を強調し「(沖縄の)人々は自己決定権や人権をないがしろにされている。あらゆる手段で新基地建設を止める覚悟だ」などと述べ、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設阻止への決意を示した。

 「辺野古移設阻止」を掲げる翁長氏には国際世論に直接訴えかけ、移設をめぐり対立する日本政府を牽制する狙いがあったようだ。

 外務省によると日本の首長が国連人権理で演説するのは初めてだが、翁長氏には県知事として演説する資格がなかった。規定で演説が認められるのは(1)非理事国政府代表者(2)国際機関代表者(3)国連経済社会理事会に認められた協議資格を有するNGO-の3者に限定されているためだという。

 翁長氏は、(3)に当たるNGO「市民外交センター」(代表・上村英明恵泉女学園大教授)に発言枠を譲り受けた。同センターは、沖縄県民を先住民に認定させる運動を展開している。

 加えて県関係者によれば、民間団体「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」がNGOとの調整に動き、翁長氏の「ジュネーブ外遊」に関しては県側はほぼ蚊帳の外に置かれていたという。

 原告団関係者は「演説での翁長氏の身分はNGOの一員にすぎず、費用はNGOが負担するか、個人で賄うべきだった。民間団体の国際世論工作に血税で加担し、結果的にNGOに公金を横流した形だ」と指摘する。また「沖縄独立」志向をにじませた演説内容も「日本国民の歴史的民族学的見地とは相容れない。県民を愚弄している」と批判している。

 産経新聞が8月、県に公文書公開請求したところ、ジュネーブに同行した知事秘書と通訳の経費も公費から計約131万円支出されていた。原告団は今後、これらの返還も求めて翁長氏を提訴する方針だ。

 地方首長が国の安全保障・外交政策をめぐって国連を舞台に訴えることは極めて異例。菅義偉官房長官も27年9月24日の記者会見で「強い違和感を覚える」「国際社会では理解されない」などと批判していた。

©2017 The Sankei Shimbun & SANKEI DIGITAL All rights reserved.

 

【参考】産経:『翁長氏、国連で「民族自決権」の危険極まる言動 H・S・ストークス氏緊急激白』

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20151015/dms1510151550004-n1.htm

翁長氏、国連で「民族自決権」の危険極まる言動 H・S・ストークス氏緊急激白

2015.10.15

 沖縄県の翁長雄志知事は13日、米軍普天間飛行場の移設先である名護市辺野古沖の埋め立て承認を取り消した。防衛省沖縄防衛局はこれを不服として、14日中にも行政不服審査法に基づく審査請求と効力停止を石井啓一国交相に申し立てる方針。政府と沖縄県が「全面対決」するなか、翁長氏の危険極まる言動について、米紙ニューヨーク・タイムズや、英紙フィナンシャル・タイムズの東京支局長を歴任した、英国人ジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークス氏が緊急激白した。

 翁長氏がついに、辺野古沖の埋め立て承認を取り消した。

 菅義偉官房長官は13日、「(仲井真弘多)前知事から行政の判断は示されており、法的瑕疵はない」と記者会見で語っていたが、まったく同感だ。翁長氏は完全に一線を越えてしまった。

 これまで何度も指摘してきたが、辺野古移設は「世界一危険」といわれる普天間飛行場の危険性を除去しながら、沖縄の基地負担を軽減し、日米同盟の抑止力を維持する「唯一の策」だ。中国は1990年代以降、国防費を毎年10%前後増加させ、沖縄・尖閣諸島周辺に艦船を連日侵入させている。沖縄本島への領土的野心もあらわにしている。

 翁長氏は、沖縄の地政学的重要性も考えて判断すべきだが、聞く耳を持たなかった。安全保障に対する意識が欠落しているのか、何らかの意図や背景があって目を閉ざしているかの、どちらかだろう。

 こうしたなか、翁長氏の看過できない、恐ろしい発言を知った。

 翁長氏は先月21日午後(日本時間22日未明)、スイス・ジュネーブで開かれた国連人権理事会で、辺野古移設に反対する演説を行った。日本の新聞は、翁長氏の「沖縄の自己決定権がないがしろにされている」という発言を報じていたが、正確には「自己決定権」という部分で「self-determination」という英語を使ったのだ。

 この英語は、国際法上の権利用語であり、正確には「民族自決権」と訳し、「植民地や従属地域からの分離、独立」を意味する。つまり、翁長氏は国連で「沖縄県民は独立民族だ」「沖縄は植民地」「沖縄には日本から独立する権利がある」と宣言したようなものだ。

 歴史的に、民族自決権を求める戦いは「武装蜂起」や「大量虐殺」など、悲惨な結果をもたらしてきた。コソボ、セルビア、ボスニア、ソマリア…。翁長氏はどういう意図で「民族自決権」という言葉を使ったのか。知恵をつけた人物や組織があるのか。沖縄が大混乱して喜ぶ国はどこか。

 このような妄言を振りかざすリーダーを持つとは、沖縄の将来は暗澹(あんたん)たるものと言わざるを得ない。沖縄に迫る危険性について、日本国民、特に沖縄県民は深刻に受け止めるべきだ。 (取材・構成 藤田裕行)

 

 

【参考】:沖縄慰霊の日 翁長知事平和宣言(全文)

https://mainichi.jp/articles/20180624/k00/00m/040/031000c
 
 二十数万人余の尊い命を奪い去った地上戦が繰り広げられてから、73年目となる6月23日を迎えました。

 私たちは、この悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さという教訓を学び、平和を希求する「沖縄のこころ」を大事に今日を生きています。

 戦後焼け野原となった沖縄で、私たちはこの「沖縄のこころ」をよりどころとして、復興と発展の道を力強く歩んできました。

 しかしながら、戦後実に73年を経た現在においても、日本の国土面積の約0.6%にすぎないこの沖縄に、米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けており、県民は、広大な米軍基地から派生する事件・事故、騒音をはじめとする環境問題等に苦しみ、悩まされ続けています。

 昨今、東アジアをめぐる安全保障環境は、大きく変化しており、先日の、米朝首脳会談においても、朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築について共同声明が発表されるなど緊張緩和に向けた動きがはじまっています。

 平和を求める大きな流れの中にあっても、20年以上も前に合意した辺野古への移設が普天間飛行場問題の唯一の解決策と言えるのでしょうか。日米両政府は現行計画を見直すべきではないでしょうか。民意を顧みず工事が進められている辺野古新基地建設については、沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではありません。「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません。

 これまで、歴代の沖縄県知事が何度も訴えてきたとおり、沖縄の米軍基地問題は、日本全体の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべきものであります。国民の皆様には、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制の在り方について、真摯(しんし)に考えていただきたいと願っています。

 東アジアでの対話の進展の一方で、依然として世界では、地域紛争やテロなどにより、人権侵害、難民、飢餓、貧困などの多くの問題が山積しています。

 世界中の人々が、民族や宗教、そして価値観の違いを乗り越えて、強い意志で平和を求め協力して取り組んでいかなければなりません。

 かつて沖縄は「万国津梁(しんりょう)」の精神の下、アジアの国々との交易や交流を通し、平和的共存共栄の時代を歩んできた歴史があります。

 そして、現在の沖縄は、アジアのダイナミズムを取り込むことによって、再び、アジアの国々を絆(つな)ぐことができる素地ができてきており、日本とアジアの架橋(かけはし)としての役割を担うことが期待されています。

 その期待に応えられるよう、私たち沖縄県民は、アジア地域の発展と平和の実現に向け、沖縄が誇るソフトパワーなどの強みを発揮していくとともに、沖縄戦の悲惨な実相や教訓を正しく次世代に伝えていくことで、一層、国際社会に貢献する役割を果たしていかなければなりません。

 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、恒久平和を希求する「沖縄のこころ」を世界に伝え、未来を担う子や孫が心穏やかに笑顔で暮らせる「平和で誇りある豊かな沖縄」を築くため、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。

 

 

 

 


 

【国会】『ご飯論法』-上手い喩えだが、実は的外れ

公開: 2018/06/30 09:06  最終更新: 2018/12/04 13:22 

今更ながら『ご飯論法』を取り上げたのは、先日(6月25日)の読売文化面(9面)に『【ご飯論法】かみ合わない「部分」と「全体」』武田徹専修大学教授・評論家の良質の寄稿文をご紹介したかったからです。

 

念のため、『ご飯論法』について説明しておくと、「朝ご飯食べたか?」-「(実際に食べたのはパンなので)ご飯は食べていません」というような「はぐらかし」のことです。

上西充子法政大学教授が国会でのやりとりを喩えたものだそうで、ある意味、典型的な「官僚答弁」(国会答弁)なのですが、卑怯な受け答えということを言いたいようです。

 

 

 

 

後述する武田教授の記事で知ったのですが、「ご飯」(部分)で「食事」(全体)を表したり、その逆(「花」(全体)→「桜」(部分))のような比喩を、修辞法でいうと『提喩』(ていゆ)と言うのだそうで、『提喩』を辞書で引くと必ず「ご飯」と「食事」の例が出てくるので、これ自体は大発見というほどのことではないものの、『ご飯論法』なるネーミング自体は上手いな、と思っていました。

更に辞書を引くと、英語ではsynecdoche(シクダッキみたいな発音)と言うそうで、例として、“Australia lost by two goals.”(オーストラリアは2点差で負けた)のAustralia(=Australian team)という文がありました。

 

下は武田教授の記事。

 

Synecdoche

 

①はご飯論法と呼ばれた国会での質疑ですが、これにはブログ主は異論あり。後ほど説明します。②は提喩の説明。③以降は国会に於けるご飯論法に対する苦言。

 

武田教授の「質問者は質疑応答の構図が提喩敵になっていると気づいて軌道修正を促すべき」というのは同感です。

実際に国会審議を聴いていると、不誠実な回答だなと思うこともしばしばあるし、質問者の質問がヘタだなと思うことも多々あります。和田政宗議員がよく使う喩えですが、「詰め将棋」のような質疑をするべきなのです。それをせずに、自分が求めるような答弁内容で無いと「答えになってない!」とキレるシーンはよく見ます。

「不誠実な回答」と書きましたが、聞かれた以上のことを答弁すると「聞いてないことまで言うな!」というのも時々あります。

 

ところで、①の質疑ですが、これはブログ主は実際に観ていたのですが、これが果たして『ご飯論法』に当たるのだろうか?と疑問を持ったので、上西教授による説明がないだろうかと探したら、下のような記事が出てきました。

この記事によると上西教授は『ご飯論法』の直接の命名者ではないようですが、上西教授によると、ブログ主が赤字にした部分がご飯論法の例だそうです。

 

http://wpb.shueisha.co.jp/2018/06/26/106774/

追及逃れのコミュニケーション術、安倍政権の「ご飯論法」がヒドすぎる

[2018年06月26日]

「ご飯論法」という言葉が注目されている。

意図的に“論点ずらし”や“はぐらかし”をして国会での質問にきちんと答えない安倍政権の答弁手法のことだ。

この言葉の命名者である漫画評論家・ブロガーの紙屋高雪氏がこう説明する。

「上西充子(みつこ)法政大学教授がツイッターで、安倍政権のでたらめな国会答弁ぶりを『朝ごはん食べた?』という質問への回答を例に挙げて上手に説明していたんです。

ちょうど国会での佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官の証人喚問を聞いて、『なんだ、このはぐらかしぶりは?』と愕然(がくぜん)としていたこともあって、上西教授の説明をもとに『佐川氏の答弁はご飯論法』だとツイートしたら、いつの間にかこの名前がネット上で定着していました」

ではあらためて、「ご飯論法」を発案した上西教授に、安倍政権の答弁ぶりについて聞いてみよう。

「明らかなウソは言わないけど、本当のことも言わない。それでいて、ちゃんと答弁しているかのように錯覚させてしまう。国会の質疑がそんな“騙(だま)した者勝ち”のようになっていることを多くの人に知ってほしくて、『ご飯論法』をひねり出してみたんです」

確かに今の安倍政権の国会答弁は「ご飯論法」のオンパレードだ。

例えば今年2月20日の衆議院予算委員会。裁量労働制のデータ捏造(ねつぞう)疑惑の追及に立った立憲民主党の長妻昭代表代行が「(厚労省の)忖度があったのでは?」と質問したときのこと。安倍首相の答弁は「私や私のスタッフが指示したことはない」というものだった。

「長妻議員は忖度の有無を聞いているのに、首相は自分で勝手に『指示』に限定し、『それはしていない。だから問題ない』と、追及をかわそうとしました」(上西教授) 

(後略)

 

まず、単なる「論点ずらし」や「はぐらかし」を「ご飯論法」と呼ぶのはおかしいのですが、取り敢えずこれは置いておきます。

 

赤字の部分ですが、本当にこのようなやり取りがあったとしたら、これは質問者が馬鹿なだけで、「忖度があったのか?」と、忖度されたと疑われている当人に訊いても答えられるわけはありません。

そして、ちょっと考えれば(野党の“忖度”の使い方を知っていれば)、「忖度を強要したのか?」の意味だと捉えての答弁だと分かるでしょう。

 

また、自称「ご飯論法を広めた人」の紙屋氏の挙げた佐川元理財局長の答弁(青字)も、単に野党につけいる隙を与えない佐川氏の巧みな答弁に対して悔し紛れにご飯論法と言っただけ。

ちっとも、ご飯論法に当てはまらないのです。

 

上に書いたように、「はぐらかし」の一手法として「ご飯論法」があるとして、それは「提喩」を使ったものでないとならないはずですが、上西教授の挙げた例は提喩でも何でもありません。

 

そして、武田教授が挙げた加藤厚労大臣の答弁(記事-①)。これも結論から言えば、ご飯論法とは思えないものです。

もしかしたら、武田教授は誰かに聞いただけで、この答弁を観ていない、あるいは議事録を読んでいないのかも知れませんが、一応どんなものか説明をしておきます。

 

具体的には、『第30号 平成30年5月25日 衆議院本会議』で、立憲民主党・西村智奈美議員が「ご飯論法だ!」と発言する部分があり、それは以前(3月5日)の参議院予算委員会での石橋通宏議員(立憲民主党)の加藤厚労大臣に対する質疑です。(議事録:http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/196/0014/19603050014006a.html

 

この頃は、「高度プロフェッショナル制度」に反対する野党が“野村不動産であった過労による自殺」の事実を厚労省に認めさせたくてやっきになって質問していました。

加藤大臣は、労災の事実は認めながらも、「それぞれ労災で亡くなった方の状況について逐一私のところに報告が上がってくるわけではございませんので、一つ一つについてそのタイミングで知っていたのかと言われれば、承知をしておりません。」というように答えます。

(実はこの時点ではご遺族から死因の公表の許可を得ておらず、プライベートなことなので明言を避けており、後にご遺族の了承を得て事実を認めました。)

質問に対してはぐらかした答えをしていますが、これがご飯論法かと言われてると首を傾げます。

 

ここまででお分かりかと思いますが、元々、

 

ご飯論法(に該当するような質疑応答)なんてなかった

 

んですよ。

冒頭に書いたように、(良いとは思っていませんが)相手の質問をのらりくらりかわしたり、微妙に論点を変えて答えるなんてのは国会質疑では日常茶飯事で、それを不誠実な答弁ととるか質問者がレベルが低いと見るかの違いだけです。

 

要するに、

 

『ご飯論法』って言いたいだけ

 

なのです。

 

「答えになってない!」に代わる新しい言葉を得て、嬉々として使っているのでしょう。

 

このエントリーを書いてからだいぶ経つのに、アクセスが伸びてて、何事かと思ったら、「今年の流行語」の一つに選ばれたからだと知りました。

上に提示した記事で既に答えが書いてありますが、「意図的に“論点ずらし”や“はぐらかし”をして国会での質問にきちんと答えない安倍政権の答弁手法」...こんなものは何も安倍政権に限らないのに、むりやり安倍政権に結びつけて批判に使いたいだけなんでしょうね。

 

 

あーくだらね。 ('A`)

 

 

 

【関連記事】【false equivalence】大臣答弁を『ご飯論法』と言って悦に入ってるが...

 

Synecdoche

 

 

 

だいたい、佐川氏の証人喚問なんて、こんな体たらくだったのですよ?(共産党・小池晃氏の質問)

 

20180327_koike

 

ここで、高井康行先生のありがたいお言葉を。

 

20180326_prime_takai  

 

16

 

 

 

 

 


 

2018/06/26

【北朝鮮拉致】産経新聞・阿比留瑠比論説委員『小泉政権時代の外交交渉記録欠落』【虎ノ門ニュース(2018/06/26)】

本日(2018/06/26)の虎ノ門ニュースで産経新聞の阿比留瑠比氏が出演し、『小泉政権時代の外交交渉記録欠落』について話されていました。

これは21日付紙面に掲載されており、web版にも全文が掲載されているので後述しますが、6月18日の参議院決算委員会に於ける立憲民主党の風間直樹議員による安倍総理対する質疑を受けたものです。

まだ議事録は公開されていないようで、記事にも質疑の一部が引用されていますが、動画で確認すると、まず、風間氏が「『日朝平壌宣言』(文書の日付は平成14年〔2002年〕9月17日/全文はこちら)に先立つ秘密交渉に於いて、当時の担当者が、拉致問題が主権の侵害であることを主張していない形跡がある。何故か安否情報の提供のみ要求している。」旨の発言後、当時の官房副長官であった総理の考えを訊いています。

総理は、日朝平壌宣言の作成過程には答えられないが、と前置きし、「我が国の国内に於いて拉致が行われたことは主権侵害と認識。」と発言し、記事に引用されたやり取りに続きます。

 

 

 

 

番組でも阿比留氏が言っていたように、当時の担当者とは外務省の田中均アジア大洋州局長で、自身の都合の悪い部分を廃棄したのではないかと想像されます。

もう少し補足しておくと、それ以前の交渉では、北朝鮮側が拉致ではなく「行方不明者」として調査する意向を示すも、そのような行方不明者は存在しない(98年6月)と発表、99年12月に再び行方不明者の調査で合意するも、2001年12月に交渉が途絶えます。

なお、金正日総書記の長男正男氏が不法入国で一時拘束されるも国外退去処分でみすみす返してしまったのはこの年の5月です。

手詰まり感のある中、事態が大きく進展したのは田中均氏が金正日総書記と近い人物(当時、「ミスターX」と呼ばれた)と極秘交渉を重ねて2002年9月の日朝首脳会談が実現したのは事実ですが、冒頭に書いたように、その交渉過程の記録が一部欠落しているという阿比留氏の発言に繋がります。

 
以下、21日付産経新聞の阿比留氏のコラムで、番組で話したこととほぼ同じ内容です。

 

https://www.sankei.com/premium/news/180621/prm1806210009-n1.html
2018.6.21 01:00

【阿比留瑠比の極言御免】日朝交渉文書欠落を振り返る

 もはや「モリ・カケ依存症」とでも言うべき野党のワンパターンな国会質問の中にあって、18日の参院決算委員会での立憲民主党の風間直樹氏の質問は白眉だった。今後、北朝鮮との交渉で焦点となる可能性が高い部分について、正面から取り上げたのである。少し長いが紹介したい。

 風間氏「(平成14年の小泉純一郎首相の初訪朝)当時の交渉担当者は、2回分の外交交渉記録を外務省に残していないとの国会答弁がある。安倍晋三首相も『彼は交渉記録を一部残していない』と(25年6月の)フェイスブックで批判している。公電が欠落している2回の交渉で、当時の担当者が北朝鮮と何を約束したか知っているか」

 安倍首相「ご指摘の部分は記録が存在していないため、当時の田中均外務省アジア大洋州局長が北朝鮮とどのような交渉を行い、何を約束したかについては、残念ながら承知していない」

 風間氏「国交正常化の際に、日本から1兆円規模の経済協力資金を提供するとの合意が図られ文書も交わされたと耳にしている。抜け落ちた公電にはこの部分が記載されていたと思うが、日朝間にそういう約束はあるのか」

 安倍首相「日朝平壌宣言自体、北朝鮮に行く飛行機の中で見せられた。交渉過程、宣言作成過程については全く承知していない」

 この問題について産経新聞は、10年以上前から何度も書いてきたが、他のマスメディアはなぜか関心が薄いようである。参院決算委翌日の19日の在京各紙を見ても、この部分には一切触れていない。そこで改めておさらいをしたい。

 この件は、田中氏が北京などで北朝鮮側の「ミスターX」らと30回近く非公式折衝を実施したうち、14年8月30日に政府が小泉初訪朝を発表し、9月17日に金正日総書記と日朝首脳会談を行うまでの間の2回分の交渉記録が外務省内に残されていない-という大問題なのである。

 通例、外交上の重要な会談・交渉内容はすべて記録に残して幹部や担当者で情報を共有し、一定期間を経て国民に情報公開される。そうしないと、外交の継続性や成果は無に帰するし、どんな密約が交わされていても分からない。それが欠落しているのだから、看過できる話ではない。

 安倍首相は25年7月の日本記者クラブ主催の党首討論会で、かつて谷内正太郎外務事務次官(現国家安全保障局長)に「すべて(日朝交渉の)記録を見たいから調べてほしい」と依頼したところ、佐々江賢一郎アジア大洋州局長が「2回分がない」と報告してきたと証言した。田中氏本人に確かめると「私は知らない」と答えたことも、同時に明らかにしている。

 これは、ふだん野党が何かに取りつかれたように追及している森友学園への国有地払い下げをめぐる財務省の文書改竄(かいざん)問題や、愛媛県と加計学園とのやりとりの備忘録メモよりも、はるかに重大で深刻な問題である。日本側は把握していない2回分の記録を北朝鮮側が持ち出し、何を要求してくるか分からない。

 その点を野党議員が提起したことに、少し救われる思いがしたが…。

 その後の野党幹部の発言に注目したが、やはり「(財務省の文書改竄は)民主主義の土台を揺るがす前代未聞の不祥事」(社民党の又市征治党首)などと相変わらずで、外務省の文書欠落への言及は見当たらなかった。野党もメディアも根本的にずれている。(論説委員兼政治部編集委員)

 

産経新聞、というか阿比留氏は過去にも度々田中均氏を批判しており、探したら、2013年のコラムがあったので下に引用しておきます。

 

https://www.sankei.com/politics/news/130627/plt1306270074-n1.html
2013.6.27 09:02更新

【阿比留瑠比の極言御免】だから田中均氏は信じられない

 前回、安倍晋三首相による「フェイスブック」での田中均・元外務審議官の対北朝鮮外交への批判とその波紋を取り上げた。その後、田中氏が24日の講演でこれに反論したことについて、拉致被害者の有本恵子さんの父、明弘さんからこんな電話をもらった。

 「メディアが田中氏に語らせるのが悔しい。外交官が自分でちょんぼしておいて反省せず、首相に文句を言う。田中氏は被害者家族と顔を合わせもしない」

 また、民主党の細野豪志幹事長や自民党の小泉進次郎青年局長が首相に自制を求めたことをこう嘆いた。

 「細野氏が言うのは野党だからまだいいねん。だけど、小泉氏が同じことを言うのはいかん。当時のことを何もわかっていない」

 拉致被害者家族の田中氏への不信感は根強い。背景には、田中氏自身の過去の言動の積み重なりがある。平成14年9月17日、当時の小泉純一郎首相の初訪朝前後を振り返ると-。

 田中氏は北朝鮮が伝えてきた不自然な拉致被害者8人の「死亡年月日情報」について、報道されるまで被害者家族に伝えなかった。17日午前中には情報を得たのに、小泉首相にも平壌宣言署名直前の午後5時ごろまで報告しなかった。

 10月に米大統領特使として来日したケリー国務次官補が福田康夫官房長官と安倍副長官を夕食会に招いた際には、勝手に「両氏とも忙しい」と断り自分が面会した。15年5月の日米首脳会談の際は、両首脳が北朝鮮に「対話と圧力」で臨むことで一致したのに、記者団への説明用資料から独断で「圧力」を削除した。

 米国務省幹部からは「サスピシャス・ガイ(怪しいやつ)」と呼ばれ、拉致被害者の家族会と救う会が北朝鮮担当から外すよう求める声明を出したこともある。

 「もう田中氏を相手にしてもしようがない」

 安倍首相は周囲にこう漏らす。ただ、田中氏の24日の講演での首相への反論も論点のすり替えが目立つ。

 例えば14年に帰国した拉致被害者について、田中氏が北朝鮮に戻すべきだと主張したとの首相の指摘を否定し、戻さないと決めた最終判断には「誰も反対していない」と強調した。とはいえ、田中氏が首相官邸内での議論の過程で「いったん北に戻すべきだ」と訴えていたとの当事者、関係者の証言には事欠かない。

 また、田中氏は首相の「日朝交渉記録を一部残していない」との批判に関しては「記録をつけない交渉なんてあり得ない」「記録が作られていないことはない」と反論した。だが、首相は「作られていない」などとは言っていない。なぜか今、一部の資料がない問題を問うているのだ。

 この件は菅義偉官房長官が25日の記者会見で「記録は一部残っていないのか」と問われ、こう明言した。

 「それは当然だ。そういう見解だ」

 結局、メディアや与野党の政治家も加わった今回の論争を通じて浮かび上がったのは、拉致問題に向き合うそれぞれの姿勢ではなかったか。(政治部編集委員)

 

追記することがあるかも知れませんが、一旦ここまでで公開します。

 

なお、番組で紹介されていた『メディアは死んでいた』(阿部雅美著/産経新聞出版)の書評はこちらのエントリーに。(櫻井よしこ氏の書評も掲載してあります。) また、現在、「学園浸透スパイ事件」と併せ、拉致事件を含めた日本・朝鮮半島史については時系列にまとめ中です。

 

 

 

 


 

2018/06/24

【沖縄】第15回「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」定例会【動画内容まとめ】

公開: 2018/06/24 17:23  最終更新: 2018/06/24 20:57  

このエントリーはブログ主が最近見た動画の覚え書きです。

「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」定例会の記録で、会に江崎孝氏を招き、勉強会の形式をとっていますが、後半の質疑応答で出る参加者の証言も貴重なものなので、記録として残しておくものです。(なお、ここで語られることについては、チャンネル桜に数多くの動画がupされているので、探して追ってURLなどを追記します。)

 

【特番】第15回「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」定例会[桜H30/6/23]

チャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」

浦添市社会福祉センターで行われた「琉球新報・沖縄タイムスを正す県民・国民の会」定例会

 

 

 

 

■「天皇メッセージ」を悪用する沖縄サヨク(11:00~)

以下、江崎氏の発言要旨。

近年は沖縄メディアはあまり「天皇メッセージ」(※)は登場せず、代わりに4月28日に「屈辱の日」(ブログ主註:1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約により主権を回復した日を沖縄でメディアはこう呼ぶ。)が、この2つは密接に関わっている。

 

※ブログ主註: 「天皇メッセージ」とは、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解を書き留めたもの。1947年9月20日という日付が附されて、文書の形で残っている。

cf. ブログエントリー『【沖縄】昭和天皇が命乞いのために沖縄を売り飛ばしたという嘘【天皇メッセージと第二の玉音放送】

 

「天皇メッセージ」とは、沖縄のみがその後も米軍の占領下に置かれた原因を、昭和天皇が敗戦後、“命乞いのために沖縄を売り渡した”証拠であり、現在も沖縄が基地負担している根源をこのメッセージだというもの。これを発見したのが当時筑波大教授の進藤 榮一という学者で岩波書店の雑誌『世界』に掲載した。

天皇メッセージには「信託統治」という言葉は出てこず、これが出てくるのはそれから5年後のサンフランシスコ講和条約で、「天皇メッセージ」には「沖縄の主権を残したまま25年から50年の長期租借」(※)と書かれている。

 

※ブログ主註: 前述のブログエントリーにも全文を掲載しているが、以下のように寺崎英成から陛下の言葉が伝えられており、「日本の主権を残す」よう伝えたが、結局これはアメリカ側に受け入れられず、サンフランシスコ宇和条約の条文のようになってしまった。

The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa (and such other islands as may be required) should be based upon the fiction of a long-term lease–25 to 50 years or more-with sovereignty retained in Japan.

According to the Emperor, this method of occupation would convince the Japanese people that the United States has no permanent designs on the Ryukyu Islands, and other nations, particularly Soviet Russia and China, would thereby be estopped from demanding similar rights.

沖縄(および必要とされるその他の島々)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残して25年から50年、あるいはそれ以上の期間の擬制に基づくものである。

この占領方法は米国が沖縄に永遠の野心を持たないということを日本国民に納得させ、それにより、他国、特にソ連と中国が同様の権利を要求することを禁じさせることであろう。

 

(大学時代本土の慶応大学の学生であった)自分のパスポート(日本旅行証明書)に羽田で押されたスタンプには「日本国への帰国を証する」と書かれており、沖縄からの帰国者は別の入国審査窓口で、審査もごく形式的なものであった。当時の沖縄人はアメリカ人ではなく、日本人であり続けた証拠である。(パスポートの画像は前述のエントリーに掲載

また、「天皇メッセージ」の日付は昭和27年9月19日(ブログ主註:文書に書かれている日付は元号表記に直すと「昭和22年9月20日」)で、それ以前(1946年〔昭和21年〕11月3日公布、47年5月3日から実施)に実施された日本国憲法に天皇は日本国の象徴と書かれている。つまり、天皇が命乞いなどする必要はなかった。

 

〔我那覇真子氏より〕最近、沖縄では子供新聞を教育に使うNIEという活動が行われているが、これが子供を洗脳するものである。

 

スクリーンで示されたのは琉球新報のこの教材。(URL: http://nie.ryukyushimpo.jp/?p=7952)

HP(左図)から子供新聞や解答用紙がDLできるようになっており、模範解答例(右図)も掲示されている。

Nie_01 Nie_02

 

■集団自決を悪用する沖縄サヨク(27:37~)

集団自決には様々な説があるが、沖縄タイムスの出版した『鉄の暴風』(※)というフィクションによって“軍の命令によるもの”という風説が流布された。

 

ブログ主註: 『鉄の暴風』とは、第二次大戦末期の沖縄戦で、約3か月にわたって米軍の激しい空襲や艦砲射撃を受けたこと。無差別に多量の砲弾が撃ち込まれるさまを暴風にたとえたもの。
[補説]昭和25年(1950)に沖縄タイムス社の記者がまとめた同名の書籍タイトルにちなむ。 (デジタル大辞泉より)

なお、これが出版された頃は沖縄はまだ米軍統治下であったことは重要なポイントで、内容はアメリカにこびへつらうような、アメリカ的ヒューマニズムに溢れ、日本軍は悪というものであった。当時、沖縄タイムスは米軍の機関紙のようなものだった。

この『鉄の暴風』は後に朝日新聞も絡んでいる。(詳細は追って記述)

 

慶良間諸島の座間味村では梅沢裕少佐が集団自決を命じたとされ、『鉄の暴風』では、『梅沢のごときは、朝鮮人慰安婦とともにどこかで不明死した」と記述されていた。しかし実際は梅沢氏は近年まで存命であり、「援護金」のためにそういうことにした(本来、軍人のための補償金を遺族が受けられるように軍命とした)と語った。その人物は沖縄タイムスから50万円を強請り取ったという。沖縄タイムスは謝罪や訂正もなく1950年版の『鉄の暴風』から梅沢氏の件をこっそりと削除した。その後、梅沢氏の名誉回復のために江崎氏らが原告となって裁判を起こした(→大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判)が敗訴(但し、そのように勘違いしても仕方がないというような理由)。その後、上原正稔(うえはらしょうねん/本名はまさとし)と琉球新報との間の裁判で上原氏が勝訴している。(※上原氏の裁判については後述) 

座間味の集団自決の証言者、宮城初枝氏は真実をノートに書き残し、娘の晴美氏に託す。それを元に「母の残したもの」を書くが、数年後、「新版 母の残したもの」では「梅沢隊長による軍命はなかった」という記述を削除している。

集団自決を巡る沖縄での言論封殺は金絡みの嫌らしいこと。

 

ブログ主註: 江崎氏の発言の中井出てくる大江・岩波裁判、金城重明氏、宮城初枝氏(娘の宮城晴美氏)については氏のブログに詳しい。

宮城初枝氏は梅沢裕少佐の伝令をしていた宮平秀幸氏の姉。;

 

■本土復帰の頃の沖縄(42:35~)

沖縄の本土復帰時には30歳前後だったが、復帰を求める運動の初期の頃は、歌まで作って子供に歌わせたりしていた。しかし、復帰が近づいてくると本土から日教組が入り込んできて沖教組も変わってきた。歓迎ムードだった証拠はサンフランシスコ講和条約の時の沖縄の新聞。(参考:ブログエントリー『【沖縄】『屈辱の日』という言葉を知っていますか?-沖縄と本土を分断工作者の造語-』)

 

■沖縄県知事選

〔我那覇隆裕氏〕最近、沖縄のサヨクの論調に変化がみられる。八重山日報の『辺野古移設についての相対する主張 琉球大学論客教授2氏に聞く』(6月9日付 移設容認派・和田和久教授、反対派・高良鉄美教授の両論併記→記事はこちらのサイトの6/9の項: http://okiryu.net/)で、高良教授が「米軍は抑止力がないわけではない」といったような容認をほのめかす発言を言っている。保守側もまた、県知事候補として11人も手を挙げている。

(県知事候補について江崎氏は)名前は言わないが、1人怪しい人物がいる。宮古や石垣で運動している若い方。この人物が立候補して保守票を食わないか心配している。

 

■翁長知事国連演説訴訟

翁長氏の国連演説に対する裁判は、費用(公費を使ったこと)から「民族自決権」を持ち出したことに論点を変えて争うよう準備中。

江崎氏ブログ記事

 

■沖縄県立平和記念資料館に関する参加者(元警備員の方)の声(1:01:35~)

  • 金城重明氏は「じゅうめい」、「しげあき」と相手が敵か味方かによって自分で使い分ける。
  • 日本が東南アジアを侵略し、無理矢理植民地にしたという史観の展示。
  • ガマ(洞穴)のジオラマがあり、以前は、赤ん坊を抱いた母親に銃剣を向けている日本兵の人形があった。しかし、抗議があり、銃剣の角度を少し変えた。
  • 出口に近くなるにつれ、反日から反米に展示が変わる。沖縄で米軍が起こした犯罪の年表まである。
  • ベトナム戦争のむごたらしい写真も展示されている。
  • 沖縄戦の集団自決後の等身大の写真がある。自分は見学に来る子供達には「無理に見なくてもいいよ」と声をかけていた。
  • ここに毎年来るのが金城重明氏。彼は、集団自決で日本軍がひどいことをしたというイメージ作りに利用されている。彼は最低10人は殺しているが贖罪の意識などない。戦後は軍の命令でしかたなかったと喧伝している。しかし、地元の人間は知っていて憤っている。彼が言っている、赤ん坊を壕から追い出したというのも嘘。あれは、安全な北部に行かせるために出て行かせた。(子供の声で)見つかったらアメリカ人は火炎放射器で焼き殺したから、それこそ皆殺しにされた。これは地元では知られている。こういうことは新聞では一切触れない。
  • 館長も平和団体に脅されている。
  • 入館者数も減ってきている。(※)

 

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/103431
平和教育に赤信号 沖縄県・ひめゆり資料館の来館者はほぼ観光客
2017年6月19日 07:55

9秒でまるわかり!

  • 沖縄県平和祈念資料館の県内入館者が、開業翌年の2001年度比で8割減
  • 来館者の大半が観光客に。ひめゆり資料館も県内の来校数が減った
  • 学力向上に注力する一方、平和教育など校外学習は減少傾向にある

 

 沖縄戦の記録や証言などを展示している糸満市の沖縄県平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館の県内の入館者数が低迷している。県資料館の2016年度の県内有料観覧者数(無料の学校団体除く)は7963人で、開業翌年の01年度と比べて8割減少。ひめゆりでは県内の利用状況が分かる小中高校の来校数が、ピークだった1995年度の140校から2016年度は72校と、ほぼ半減した。終戦から72年を迎え、沖縄戦の証言者が年々少なくなる中、施設関係者は「平和学習も含め、県民の関心の薄れを感じる」と危機感を抱いている。(学芸部・座安あきの)

 

 観光客を含めた全体の入館者総数も減少傾向。県資料館の16年度の入館者は37万2502人で10年前の06年度に比べて17%減。ひめゆりは同比約36%減の57万9865人となり、初めて60万人を割り込んだ。来館者のほとんどを観光客が占める。国内は減少傾向にあるが数年前から海外が増加し、県資料館の担当者は「全体的には下げ止まりつつある」と話す。

 一方、県内の入館者数は依然低迷が続く。県資料館の県内(有料)は開館効果があった00年度の約11万人を除くと、01年度の4万3820人が最多。08年度からは1万人を下回る。有料観覧者に占める県内の割合は05年度まで10%前後だったが、08年度以降は2%台で推移。県内小中高校の利用も00年度の368校(3万1947人)から、16年度は224校(1万8982人)に減った。

 県資料館は開館当初から、ひめゆりは08年度から県内の学校団体の入館料を無料にしているが、入館者の増加にはつながっていないという。識者や関係者は、県内客が低迷する要因の一つに、学校現場での平和教育の取り組みに課題があるとみている。

 平和祈念資料館学芸班長で、中学校で社会科を教えていた古謝将史さんは「県内の学校現場はここ数年、学力向上に力を入れ、校外学習行事を減らす傾向がある。一方で地域の身近な戦跡を活用した学習を進める学校も出始めている」と話す。「沖縄戦の体験者が少なくなる分、記憶を残す『場所』が一層重要になる。教育現場でも『場所』を活用し、共感する場面をどうつくるか、考えていく必要がある」と指摘した。

 

【沖縄の声】慰霊の特集!沖縄戦の意義と大東亜戦争の目的は?/第32軍司令官牛島満陸軍大将を顕彰する[H30/6/23]

4:11~: https://youtu.be/-4Efi5Vpvsk?t=4m11s

今から5年前の2月(ブログ主註:2013年2月?)、平和記念資料館で左翼の語り部が話している時に起きたハプニング。日本軍人を悪だとする話を聴いていた修学旅行の男子高校生が「日本軍人を悪し様に言うのはよして欲しい。曾祖父は沖縄を守るために志願して沖縄へ行き戦死した。」と抗議した。

 

 

上原正稔氏の「パンドラの箱を開ける時」裁判

https://www.sankei.com/life/news/130811/lif1308110021-n2.html
2013.8.11 03:08

【日曜に書く】論説委員・石川水穂 封じられた集団自決の真実

琉球新報が敗訴

 先月末、沖縄で集団自決の新聞掲載をめぐり、注目すべき判決が出された。

 沖縄戦のドキュメンタリー作家、上原正稔氏が琉球新報に連載した「パンドラの箱を開ける時」の中で、慶良間諸島での集団自決の部分の掲載を拒否されたのは契約違反だと訴えた訴訟で、福岡高裁那覇支部は上原氏の訴えを一部認め、琉球新報に105万円の支払いを命じた。

 集団自決は昭和20年3月、渡嘉敷、座間味両島で起き、計約500人の住民が手榴弾(しゅりゅうだん)などで自決した事件である。「鉄の暴風」(昭和25年、沖縄タイムス社)では、それぞれの島の守備隊長だった赤松嘉次大尉と梅沢裕少佐の自決命令によるものとされ、その誤った事実が教科書などで独り歩きしてきた。

 「パンドラの箱を開ける時」の連載が始まったのは平成19年5月下旬だ。集団自決が日本軍の命令(強制)だったとする教科書記述に、文部科学省が「命令の有無は明らかでない。誤解の恐れがある」と検定意見を付け、これに地元紙の琉球新報や沖縄タイムスなどが強く反発していた時期である。

 掲載を拒否されたのは第1章の第2話「慶良間で何が起きたか」だ。上原氏は渡嘉敷島の集団自決を目撃した元米兵、グレン・シアレス伍長の手記や、同じ場面を報じた1945(昭和20)年4月2日付ニューヨーク・タイムズの記事を引用し、日本側の記録や住民の証言をまじえながら、数十回の原稿に仕上げる予定だった。

 元米兵の手記やニューヨーク・タイムズの記事は上原氏が発見し、琉球新報の以前の連載でも取り上げたものだ。

赤松元大尉の手紙

 上原氏はさらに、「パンドラの箱を開ける時」の最終回で、掲載拒否された第2話を要約した原稿を書き、琉球新報に見せたが、これも拒否された。

 座間味島の女子青年団長だった女性が後に「梅沢少佐の自決命令はなかった」と告白した事実や、「遺族に援護法を適用するため、軍命令があったことにした」という元琉球政府援護担当者の証言を報じた産経新聞の記事(平成18年8月27日付)などを取り上げた内容だ。

 赤松氏が渡嘉敷島の元巡査に宛てて書いた次の手紙も紹介されていた。

 「真相が明白にされ、私たちの汚名がぬぐい去られる日を期待して努力しております。一日も早く沖縄の人々にも理解していただき、私たちと島民が心を合わせてともに戦ったように、次の世代が憎しみあうことなく本土の人々と仲よくやってゆけることを祈ってやみません」

 この手紙は新資料である。

 訴訟で、琉球新報側は掲載拒否の理由について「前と同じことを書いている」「新味のない焼き直し」などと主張した。

 上原氏側の徳永信一弁護士は「新聞社の編集権と作家の表現の自由との衝突という裁判を想定していたが、そうはならなかった」と振り返る。

 19年、琉球新報は「軍命の事実は消せない」(7月5日付社説)、「断固譲れない検定意見撤回」(9月8日付社説)などと繰り返し文科省の検定を批判した。掲載拒否の真の理由は、「軍命がなかった」とする上原氏の原稿が同紙の検定批判キャンペーンに水をさすと考えたからではないか。

 1審・沖縄地裁は琉球新報の主張を認め、上原氏の請求を棄却したが、2審・福岡高裁那覇支部は「合理的な理由なく、掲載を一方的に拒否した」と判断し、上原氏が逆転勝訴した。

 集団自決のような戦争のある場面について、以前に発表した資料を引用しつつ、新資料を加えて再検証する手法は、単なる焼き直しではない。琉球新報の主張には、少し無理がある。

芽生えた自由な言論

 20年2月、梅沢少佐の伝令役だった座間味島の民宿経営者が「梅沢少佐は住民の集団自決を止めようとした」と産経などに証言した。民宿経営者はその前に、琉球新報と沖縄タイムスにも「真実を話したい」と連絡したが、どちらも取材に来なかったという。沖縄のメディアには今も、異論を認めようとしない空気があるようだ。

 21年、沖縄県浦添市文化協会発刊の「うらそえ文藝」に、集団自決の軍命令はなかった-とする上原氏と詩人で同誌編集長の星雅彦氏による特集記事が掲載され、反響を呼んだ。

 閉ざされた沖縄の言語空間の中で芽生えた2人の自由な言論活動の今後に注目したい。

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2018/06/23

【SNS】HINOMARU騒動-マッチポンプかも、という発想も必要では?【産経『モンテーニュとの対話 28』】

『モンテーニュとの対話』とは産経紙面に掲載される随筆で、毎回、文中にモンテーニュ(Michel de Montaigne/フランスの思想家/1533~1592)の『随想録」の一節が引用されます。

 

およそ自分の意見をおし広めようとするときほど、人々が一所懸命になることはない。普通の手段で及ばないときは、我々は命令や暴力や剣や火をさし加える。

(第3巻第11章)

 

6月22日のNo.28では『SNS上の空騒ぎ』と題して、RADWIMPSというグループの歌う『HONOMARU』を巡る騒動を取り上げていました。

この記事は少し遅れてweb版にも掲載されるようですが、現時点ではまだ掲載されていないようで、タイトルとナンバー(28)で検索してもヒットしませんが、近日中にwebで読めるのではないかと思います。

 

 

 

 

さて、件の『HINOMARU』。

ネットをよく見る方、SNSをよく利用する方はご存知だと思いますが、歌詞が「軍歌のようだ」、「特攻を連想させる」という非難が一部から上がり、曲の上演停止、コンサートの中止を求めるようなTwitterのアカウントまで登場し、ブログ主もこれを見た時は言語道断だと思い、これは今でも変わりません。

 

それとは別の次元で、どのような歌詞なのか?と思って調べたところ、単に愛国風?の単語を並べただけの詞の陳腐さに呆れました。

「国歌にしたい」などという発言もあったようですが、軍歌(は勇ましい曲ばかりでもないのですが)などをあまり聴いたことがない人には古風な言い回しが新鮮だったのかな?とも思いました。

歌詞に対する感想は人それぞれだと思うので、これ以上は言わず、単に歌詞を提示するに留めます。

 

HINOMARU
RADWIMPS

風にたなびくあの旗に
古よりはためく旗に

意味もなく懐かしくなり
こみ上げるこの気持ちはなに
胸に手をあて見上げれば
高鳴る血潮 誇り高く

この身体に流れゆくは
気高きこの御国の御霊
さぁいざゆかん
日出づる国の 御名の下に

どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫けなどしない

胸に優しき母の声
背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に
恐れるものがあるだろうか

ひと時とて忘れやしない
帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて
幾々千代に さぁ咲き誇れ

さぁいざゆかん…

 

どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らのたぎる決意は
揺らぎなどしない

どれだけ強き風吹けど
遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は
挫けなどしない

僕らのたぎる決意は
揺らぎなどしない

ソングライター: Yojiro Noda
HINOMARU 歌詞 © Universal Music Publishing Group

 

これを作った野田氏もすぐに謝罪したので、ポリシー(という言葉は政治的ですが、ここでは単に主義主張、曲に込められたメッセージ程度の意味です)は元々なかったのかなと、個人的に判断し、これ以上、この問題には関心を持っていませんでした。

 

それを敢えてブログに書いたのは、この記事を書いた文化部の桑原聡記者の、“同曲の非難を「愛国者」が書き込んでいる可能性も捨てきれない。いわゆるマッチポンプだ。” という文を読んでのことです。(「愛国者」と括弧付きなことに注意)

 

実はブログ主は炎上商法の類いだろうと思っていたので、そこでこの話題は終わっていたのですが、マッチポンプという言葉で思いあたりました。

まず、コンサートを妨害(威力業務妨害)しようとする呼びかけるアカウントに対して、アカウントの停止を求めた様子も無いし、タレント側や主催者が法的措置をとらない不思議さ。

そこまで深く読む前に関心を失っていたのですが、記事にある「ワールドカップ」への言及で、炎上商法だけでなく、「便乗商法」という言葉も思い浮かびました。

 

ブログ主はネットはよく見る方ですが、分かりやすいのも多い一方、実は巧妙な罠なのでは?と思える情報も散見されます。例えば、保守を装って保守を内部崩壊させようとしているのではないかと思えるような一派も見られます。

Twitterでは報道機関の記事などを引用して自分のコメントをつけてツイートするということがよくありますが、そうしたツイートを更にリツイートする人の中にはソースをちゃんと読んでいるのだろうか?と疑問に感じるものも少なくありません。コメント(その人がソースを理解しているとは限らない)だけに反応して、自分の意見に合うからと言って脊髄反射的にリツイートして拡散しているだけのナイーブなユーザです。(「naive」の正しい意味は辞書で引いて下さい)

よく、ネットリテラシーなどと言われますが、これは単に「知性」の問題なのでは、と感じます。

 

 

 

 


 

2018/06/21

【JR東】不審事案多発 3月以降410件/JR東日本労組、組合員の脱退やまず

JR東日本労組からの脱退が止まらないという記事(2018.6.18付)が産経webに掲載されました。

組合員数は毎月発表されるようで、産経は都度記事にしており、当ブログでも4月に『JR東労組の脱退者1万4千人』という記事を書きましたが、組織率低下だけでなく、3月からJR東で不審事案が多発しているという記事が読売新聞(5月28日付)に掲載されており、気になっていたので覚え書きとして記事にしておきます。

 

まずは、最新の産経の記事を一部引用しますが、ここでも、不審事案について触れられています。

 

 

 

 

 

https://www.sankei.com/premium/news/180618/prm1806180006-n1.html
2018.6.18 08:00更新
JR東労組が「敗北宣言」 スト計画の顛末…3万人脱退、立て直し前途多難

 今年の春闘でストライキ権行使を一時予告したJR東日本の最大労働組合「東日本旅客鉄道労働組合(JR東労組)」では、組織の3分の2にあたる組合員約3万2千人が脱退する事態を招いた。これを受け、JR東労組は6月の定期大会で事実上の敗北とする宣言を採択したもようで、トップの制裁と指導体制の刷新をも行った。それでも会社側との関係修復は困難とみられ、組織立て直しに向けての前途は多難だ。(中略)

■スト予告で大量離反

 「3カ月という短期間で組織の3分の2が脱退する事態を生み出してしまった…(中略)…18春闘は『敗北』であると総括した」

 6月13日、さいたま市文化センター。JR東労組は定期大会で、こんな大会宣言を採択したもようだ。ストを計画した結果、組合員の大量離反を招いた事態を受けての“敗北宣言”だった。(中略)

■組織分裂まで招いた

 スト戦術が招いたのは、組合員の大量脱退だけではなかった。各地の地本がスト戦術積極派と消極派に割れ、路線の違いが鮮明になった。スト実施に積極的だった「強硬派」が東京、八王子、水戸の3地本。消極的だった「穏健派」が盛岡、秋田、仙台、大宮、千葉、横浜の6地本だ

 穏健派6地本はスト中止後、労組の態勢立て直しを図るべく臨時大会の開催を要求。4月12日に開かれた臨時大会で、「組織内に混乱を作り出した」として執行委員長ら幹部2人に加え、臨時大会開催に強硬に反対して執行委員会を途中退場したなどとして、強硬派3地本の執行委員12人についても制裁を決議した。(中略)

分割民営化(昭和62年)以前の国鉄時代、経営陣の合理化に反発した各労組が事実上のストやサボタージュを繰り返し、国民の信頼を失った過去がある。(中略)

 中でも激しい労使交渉で「鬼の動労」と恐れられた「国鉄動力車労働組合(動労)」の系譜は、離合集散を経てJR東労組などに受け継がれた。会社側は労使協調路線を続けていたが、平成22年に同労組の「絶対的指導者」(JR関係者)だった松崎明元委員長が死去して以降、関係は変化し始めていたという。(中略)

■不審事案に「内部犯行説」?

 そんな中、JR東日本の管内では、線路上に障害物が置かれるなど妨害とみられる不審事案が多発し、3月以降の3カ月間で計約410件にのぼっている。(中略)

 それぞれの事案の関係性は不明だが、JR東労組は6月13日の大会宣言の中で「現在、JR東日本管内で列車妨害が多発している」としたうえで「一部マスコミでは…(中略)…内部犯行説も流布している。JR東労組を社会的に抹殺していく狙いをも警戒し、鉄道マンとして、乗客や乗務員の命を脅かす列車妨害を跳ね返さなければならない」との見解を示したようだ。(後略)

 

下は後述する東洋経済の記事からの引用ですが、昨年11月現在で4万6540人の加入者数が春闘以降3万2千人減ったことになります。しかし、JR北海道やJR貨物では依然としてJR総連系の労組が勢力を持っているようです。

 

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3月以降410件の不審事案

産経の記事では3月以降の3ヵ月間で410件とありますが、下の読売の記事(5月28日付)では300件とあるので、約半月の間に100件の事案が発生したことになります。

春闘(スト計画~断念)と不審事案の多発に関係があるのかは不明ですが、時期が一致しているのはなぜなのでしょうか?

 

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JR東労組と革マル派

下は同じく、組合員の大量脱退を報じる東洋経済の記事(4月10日付)ですが、この春以降の出来事と、長らく労組のトップであった松嵜明氏(故人)と革マル派との関係に言及がなされています。(部分的に引用)

 

https://toyokeizai.net/articles/-/215728
JR東労組、組合員2.8万人「大量脱退」の衝撃
民営化から30年、大きな転機を迎えている

木村 秀哉 : 東洋経済 記者  2018年04月10日

スト権行使の予告がきっかけ

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昨年まで4年連続でベア

そもそもJR東日本には、ストに対して大きなアレルギーがある。スト権は憲法で認められた労働組合の重要な権利。だが、旧国鉄は争議行為を連発して利用者が離反、それがもとで経営破綻に追い込まれた経緯がある。

労組関係者の間では、労組の委員長、会長、顧問など、長きにわたり事実上のトップだった松嵜明氏(故人)が提唱した「いつでもたたかえる体制」を具現化する動きだったという見方がある。松嵜氏は革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)創設時の副議長でもあった人物だが、その松嵜理論に回帰する動きではないか、というのだ。

今回は、労組の上部団体「JR総連」が1990年にスト権を確立しようとした動きに似ているとの指摘もある。しかし、ある労組OBは「松嵜時代は結局、一度もスト権を確立していない。松嵜氏が言う『いつでもたたかえる体制』とは、スト権を指しているのかどうか」と疑問を呈する。別の労組元幹部は「今の執行部にはストの経験がない。組合員の多数意見を無視して、経験のないことをやろうとしてもダメだ。結局、読みを間違ってしまった」と指摘する。

組合員からは労組に対する不満の声も聞こえてくる。毎月給料から天引きされる組合費は「基本給×2.2%」で、年2回のボーナス月を含む14カ月分が徴収される。基本給30万円の場合、年間9万2400円。1カ月で7700円の計算になる。組合員平均は8000円程度で、上限はないという。一方、JR連合系のJR東海(東海旅客鉄道)は基本給30万円なら月5600円(上限は6000円)、JR西日本(西日本旅客鉄道)では月6500円(上限7000円)だ。

おカネの問題だけではない。休日にもかかわらず勉強会だ、デモだと駆り出され、参加しないと批判される。開かれる大会もJR総連のスローガンが色濃く反映されることがある。「憲法改悪反対」「安保法制廃止」「仲間とたたかい抜いた国鉄改革を再検証し・・」。確かに平和主義は大切なことだが、一部の組合員からは「これって労組?」と疑問の声も聞かれた

平成29年版「治安の回顧と展望」(警察庁警備局)では、「革マル派が相当浸透しているとみられる」として、JR総連と労組は警察庁・公安調査庁の監視対象となっている。

会社との対立が表面化していた今年2月23日には、参議院議員の質問に対して、政府が答弁書を閣議決定。「労組内には、影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している」とした。

妥結後も組合員の脱退が止まらない

(前略)止まらない組合員の脱退に対して労組は3月9日、会社側から組合員に対して脱退を働きかける不当な行為があったとして、各都県の労働委員会に不当労働行為からの救済を申し立てている(東京、八王子、水戸の各労組地方本部)

この申立書は、経営幹部が職場訪問を始めた直後から脱退者が出たと指摘。非協力ストは通常業務に影響を与えるようなものではないのに、あたかも列車運行に支障を来すかのような虚偽の喧伝をした、勤務時間内に個別に面談し、脅しと利益誘導で脱退を強要したなどとも申告している。会社側は「こうした事実はない」と否定している。(後略)

 

上の時系列表、2月23日にある「革マル派のJR総連系労組への浸透」という答弁書は下の質問主意書に対するものです。

 

提出番号 20  件名:  JR総連系労組への浸透が指摘され続けている革マル派の現状と実態に関する質問主意書

提出者: 川合孝典君

 

産経と東洋経済の記事を併せ読むと、前時代的な労使交渉を行う労組と国会でも取り上げられた革マル派との関係から普通の組合員が逃げ出し、東京、八王子、水戸といった強硬派の地方本部がより尖鋭化している、という実態が浮かび上がります。

 

 

 

 


 

2018/06/19

【北朝鮮拉致】5分で分かる拉致問題の経緯【ニュース女子(2018/06/18)】

公開: 2018/06/19 12:45  最終更新: 2018/06/19 13:32  

2018/06/18放送のニュース女子の『【ライブ配信 6/18(月)】『ニュース女子』 #166(米朝首脳会談・拉致問題・政界)』では北朝鮮による拉致事件を振り返っていました。

現在、拉致問題については「学園浸透スパイ事件」と共にこちらのエントリーに時系列にまとめつつありますが、拉致問題だけの流れを把握するためにこのエントリーではブログ主の補足も加えつつ、テキストでまとめておきます。

 

『ニュース女子』 #166(米朝首脳会談・拉致問題・政界)

①「米朝首脳会談」
②「拉致問題、解決の足を引っ張ったのは誰なのか?」
③「政界の忘れてはいけない問題」

MC:上念司(経済評論家)
西川史子(医師)
筆坂秀世(政治評論家)
藤井厳喜(国際問題アナリスト)
ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士)
須田慎一郎(経済ジャーナリスト)
井上和彦(軍事ジャーナリスト)
阿比留瑠比(産経新聞社政治部編集委員)
杉原杏璃(タレント)
吉木りさ(タレント)
眞鍋由佳
五十嵐麻里恵

ツイッターにupされた動画はこちら: https://twitter.com/chidiremen11/status/1008733411928727552

 

 

 

 

 

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1978年、日本海沿岸から相次いでカップルが姿を消した。(但し、後に判明するが、1963年に能登半島沖で遭難したとされる寺越武志さんが、それから24年後に北朝鮮で生存していることが判明。「北朝鮮に救助された」と本人は言っている。)

 

1980年1月7日、産経新聞(当時はサンケイ新聞)の阿部雅美記者による記事が初めて「外国情報機関の関与」を疑う記事が掲載されるも、当時は虚報とされていた。そのため、この記事を目にしたのは産経の読者のみ。国民の多くは知らされなかった。

 

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個々の事件は地方紙には掲載されていたが、行方不明者に失踪する動機も見当たらず、ゴム製の猿ぐつわなど、遺留品が国産のものとは思えない粗悪な製品であった。

 

1987年の大韓航空機爆破事件により、拉致被害者の存在が浮かび上がったにも関わらず、救出しようという機運は生まれなかった。

 

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当初は、韓国による自作自演説も流れていた。最もこの説を主張したのが社会党。

 

1988年、国会で梶山静六国家公安委員長による、初めて「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」という貴重な答弁があった。

 

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この答弁を引き出したのが共産党の橋本敦参議院議員。

元共産党幹部の筆坂秀世(政治評論家)によると、80年代頃は北朝鮮や朝鮮総連と共産党は断絶していた。それは、金日成思想を日本の共産党にも押しつけようとしことに反発してのものだった。

なお、橋下議員の秘書であった兵本氏は拉致問題に奔走。その後の家族会の設立に阿部記者や朝日放送プロデューサーの石高健次らと共に一役買った。

 

梶山答弁を報じたのは産経新聞と日経新聞だけ。産経や日経ですら小さなベタ記事で、世間の知るところとはならなかった。

 

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その後、1997年に産経新聞が横田めぐみさん拉致事件を実名で報道するが、行方不明になってから既に20年が経過していた。

 

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梶山答弁と同年の1988年、ヨーロッパで拉致された石岡亨さんからの手紙が家族の元に届く。

 

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家族は藁にもすがるつもりで北朝鮮との繋がりがある土井たか子氏に陳情するも、けんもほろろに「拉致など無い」と言われる。「拉致問題は政府の陰謀」との発言も。

 

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のちに、2002年の小泉総理大臣訪朝で金正日が拉致を認め、実態が明らかになると「私も騙されていた」と発言。しかし、その後も拉致創作説の論文を党のホームページに掲載していた。

 

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更に、1989年、韓国政府に逮捕されていた政治犯の釈放を求める嘆願書を、土井たか子氏、菅直人氏等が中心となって当時の盧泰愚大統領に提出。

 

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この政治犯とはもっぱら在日朝鮮人の韓国留学生による「学園浸透スパイ団事件の首謀者」とされた徐勝・徐俊植兄弟の救援であったが、この中に1980年に原敕晁(はらただあき)さんを拉致した辛光洙(シンガンス)容疑者も含まれていた。

辛光洙容疑者は元々「立山富蔵」と名乗っていた在日朝鮮人で、1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕→死刑判決→無期懲役に減刑→1989年7月 日本の議員により釈放嘆願→1999年12月31日、金大中大統領によるミレニアム恩赦で釈放、北朝鮮に送還。

辛光洙は国戻って英雄と称えられる。

 

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のちにこのことを当時の安倍晋三官房副長官は「極めて間抜け」と評する。

 

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2001年、金正男氏が密入国で入国管理局に拘束されるも...

 

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超法規的措置により、送還してしまい、みすみす、外交カードを逃してしまった。

 

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この措置に反対する議員も少なくなかったが、ここまで見てきて分かるように、社会党だけでなく永田町には親北の議員が跋扈していた。

阿比留瑠衣氏談: 社会党はほんとにひどかった。(拉致問題に関しては)警察の捜査を邪魔しようともした。しかし社会党だけでなく、自民党にも親北の議員、野中広務や河野洋平など、が大勢いた。

 

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拉致問題が大きく進展するのは2002年の小泉総理大臣訪朝による初の日朝首脳会談。

 

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金正日総書記が拉致を認めるも、特殊機関の一部が暴走してやったこととした。

 

2002年10月15日、拉致被害者5人が帰国。この中には政府が認定していない曽我ひとみさん(特定失踪者)も含まれていた。

 

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この時の申し合わせは「一時帰国」。政府は返さなかったが、一部マスコミは北朝鮮に返すべきと批判。

番組では取り上げなかったが、2004年5月に小泉首相が再訪朝。これにより、地村さん、蓮池さんご夫妻の子供が帰国、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんも日本へ。

 

未だに12名の被害者が帰らず。拉致の可能性を排除できない事案は883名に上る。

 

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拉致問題を語る時、当時の日本の社会情勢も知らないと理解できません。

慰安婦問題などなかった頃ですが、民主化が遅れた韓国や地上の楽園とまで言われた北朝鮮に対する日本人の意識、それを形成したのは知識人や岩波、朝日といったマスコミや言論界です。また、北朝鮮との国交正常化に前のめりになっていた外務省、etc. そうしたことは前述の時系列記事にまとめ中ですが、今回のニュース女子のVTRは大まかな流れがよく分かる良企画だと思います。

 

 

 

 


 

2018/06/17

【北朝鮮拉致】拉致と認定されない拉致 寺越武志さんのケース

「拉致被害者」と言うと、一般には12件17人の認定被害者の方を思い浮かべますが、政府から公式に認定されていない「特定失踪者」と呼ばれている方々がいます。

特定失踪者問題調査会によると、全国の約470人を拉致の疑いを排除できない「特定失踪者」としています。

しかし、拉致であることが判明しているのに、このどちらにも含まれていない方もいます。

その一人が寺越武志さんです。

 

 

 

 

「メディアは死んでいた」(阿部雅美著/産経新聞出版)にも、寺越さんのことは第4章に「不自然」(P.136~)と題されて書かれています。

 

 

寺越さんは63年に石川県志賀町(しかまち)の高浜漁港から叔父さん2人と能登半島沖に出漁中に行方不明になりました。漁船だけ発見され、家族も海で亡くなったものとして葬儀も済ませたところ、24年後に北朝鮮から叔父さんの手紙が届き、武志さんも生存して北朝鮮で生活していることが判明しました。

この本に書かれていることのいくつは、改めて「ああ、そういうことがあったな」と思い出すことも多く、寺越さんの事件もその一つだったはずですが、たまたま5月に読売新聞に『北の息子と「最後」の対面』というタイトルで久しぶりにこの事件を思い出していました。

 

読売新聞は6月12日の米朝首脳会談の日程が決まった後に、見開き2頁で『基礎からわかる拉致問題』の特集を組んでいましたが、それより1週間前に寺越さんとお母さんの再会を記事にしていました。

 

下がその記事です。

 

20180523_yomiuri_terakoshi

 

この記事にも書かれていますが、武志さんは「北朝鮮船に救助された」と語っており、家族は当然この不自然さに気づいていますが、拉致と言ってしまうと武志さんの身に危害が加えられることを恐れ、家族会にも加わらずにいます。

ブログ主がこの事件を知ったのはいつだか忘れてしまいましたが、時々、寺越さんとお母様との再会は新聞記事になっている記憶があるので、多分その記事の一つででしょう。

 

なお、「メディアは死んでいた」で知りましたが、2001年に寺越さんは本を出版されているそうで、邦題を『人情の海』というものだそうです。

ネットに公開されているというので調べて見たところ、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博氏のブログにダウンロードできるようにPDF掲示されていました。

ブログ主は読んでいませんが、当然のことながら、金日成を礼賛する内容で、阿部雅美氏も「一読はお勧めしない」と書いています。

 

荒木和博BLOG: 2005年5月8日 『人情の海』

 

なお、寺越さん同様、拉致であることが判明していて認定されていない被害者には、74年6月に埼玉県上福岡市〔現・ふじみ野市〕から拉致された高敬美ちゃん(読売記事では6歳/本では7歳)と3歳の弟、剛ちゃん幼児がいます。

この2人のケースが認定されないのは日本国籍ではないためで、日本人の母親は殺害されたとみられているそうです。

 

 

 

 


 

2018/06/16

【メディア】NHK ニュース7が北朝鮮による拉致問題を茶化すニュースを放送

夕方、NHKのニュース7を観ていたら、米朝会談後に北朝鮮ラジオが「拉致は解決済み」と放送したことを「ちゃぶ台返しされないかと懸念」というニュース。

このニュース映像が拉致問題を茶化すもので、あまりにも不謹慎でした。

動画はこちらのツイートにupされています。

 

検索にもかかりやすいよう、テキストでも再現しておきます。

 

「拉致問題は既に解決された。」

 

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北朝鮮の国営メディアが米朝首脳会談の後拉致問題に触れ、従来の主張を繰り返しました。

 

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安倍総理大臣が北朝鮮との対話に前向きな姿勢を示す中、拉致問題は解決に向けて、進展するのでしょうか。

 

今日、岩手県で開かれた「ちゃぶ台返し」の大会です。

 

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(ここでしばらく楽しそうな岩手県の「ちゃぶ台返し大会」の映像が続く)

(再び、米朝首脳会談の映像になり、)

 

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米朝首脳会談から4日、この時の合意がちゃぶ台返しされないか、懸念する声も出ています。

 

茶化していいことと悪いことがある。

 

 

 

 


 

【書籍】「メディアは死んでいた」(阿部雅美著)読了【北朝鮮拉致】

公開: 2018/06/16 20:25  最終更新: 2018/06/17 9:26(櫻井よしこ氏の書評追加)  

掲題の本、「メディアは死んでいた」(阿部雅美著/産経新聞出版)を読了したので、覚え書きとして書評のようなものを記しておきます。

この本のことは以前ご紹介した「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた」(iIRONNA)というweb記事で知ったのですが、40年前に各地で発生していたアベック蒸発事件を追って初めて産経新聞(当時はサンケイ新聞)で拉致疑惑を記事にし、その後、横田めぐみさん拉致疑惑を初報した著者が取材の経過やメディアの拉致報道を再検証し、当時の社会情勢、政界の動き、世間の反応などをまとめたものです。(リンク先はブログ記事。web記事のリンクが貼ってあります。)

 

 

 

 

著者は、警視庁を担当していた時にふと耳にした「日本海の方で変なことが起きている」という言葉から、富山(78年8月)、福井県小浜市(78年7月)、鹿児島(78年8月)の3件のアベックが行方不明になった事件(富山は未遂)を地方紙から見つけ出し、点を線にする取材が始まるのですが、取材の過程はまるで刑事ドラマを見ているかのようです。

この、「点を線に」というのは読者も同じで、この本に出てくるエピソード、例えば、原敕晁(はらただあき)さんを拉致した工作員、辛光洙の逮捕、大韓航空機爆破事件で実行犯が日本人により日本人化教育を受けたという告白、横田めぐみさんの実名報道、有本恵子さんの拉致に加担したよど号ハイジャック犯の妻の供述、etc.と大きな動きがある時はメディアも連日報道するので関心を持ちますが、それが過ぎると世間の関心も薄れてしまいました。この本は、その隙間を、報道に現れていないエピソードで埋めてくれるものです。

 

そのエピソードの一つが、タイトルの元になった「梶山答弁」(1988年3月26日)。

政府が初めて北朝鮮の拉致に言及したのに、ほとんどのメディアが黙殺するか、扱っても小さなベタ記事のみでした。

前の記事にも書きましたが、この答弁を引き出したのが共産党の橋本敦参議院議員で、阿部記者のスクープに興味を持って独自に調査を始めた兵本達吉氏は橋下議員の秘書。

後に、拉致被害者の「家族会」が発足しますが、この会の設立は兵本氏、阿部記者、そして朝日放送の石高健次プロデューサーがお膳立てしたとのことです。

 

ここで、なぜ共産党が?と思われるかも知れません。

徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち』(張明秀著)を読んで、共産党と総連が距離を置いていた時期があると知りましたが、この本では、当時の共産党と朝鮮労働党の関係について、個人崇拝を巡る対立やラングーン爆弾テロを巡る論争があり、83年以降断絶状態が続いていた、という説明があります。

この間、北朝鮮と密接な関係にあったのは田辺・土井体制の社会党です。

しかし、98年以降、関係を修復したらしく、機関誌『赤旗』での拉致に関する論調に変化が現れます。兵本氏が定年間近で党を除名されるのもこの頃です。

 

ところで、たまたま検索したら、言論テレビに兵本達吉氏が出演されている回の動画を見つけました。(会員でなくても視聴可能) 

 

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12分頃から、拉致問題に興味を持った経緯や除名された理由をを語っていらっしゃいます。

 

【言論テレビ】 Vol.96 一般公開 『共産党の微笑作戦に騙されるな』
2016.03.18 50分

https://www.genron.tv/ch/hanada/archives/live?id=274

兵本達吉氏プロフィール
評論家、元日本共産党党員

昭和13(1938)年、奈良市生まれ。京都大学在学中、日本共産党入党。53年、中央委員会勤務員となり、党国会議員秘書に。ロッキード事件やリクルート事件、北朝鮮による日本人拉致事件の真相解明に努めたが、平成10(1998)年、党を除名された。著書に『日本共産党の戦後秘史』。

※ プロフィールは放送日2016.03.18時点の情報です

 

限られた時間なので途中で話が遮られてしまっていますが、共産党と朝鮮労働党は元々友党であったので、徐々に北の仕業だということとが濃厚になっていくにつれ、兵本氏の活動が党内で問題視されるようになったとのことです。

しかし、共産党の議員が国会で質問したくらいなのですから、この間に共産党と朝鮮労働党との関係に変化があったのでしょう。

著者は皮肉を込めて、「拉致問題で終始ぶれずにいたのは社会党だけ」と書いています。

 

この本に書かれていたエピソードを一つ。

91年に有本恵子さんのご家族が実名での記者会見を決意し、そのことをメディアに予告しました。実名を出して世間に訴えることで輿論を喚起したかったからです。

メディア側の窓口にはNHKがなっていましたが、直前に、NHK記者がある人物(本にはもう少し情報あり。左翼系活動家に近い人物。)を紹介し、その人物から、水面下で交渉中なので実名は出さないよう説得されます。その際、NHK記者も同席していました。

その結果、会見はインパクトの無いものになり、話題とはなりませんでした。そして、その人物からはいつの間にか音信が途絶えてしまったとのこと。

NHKの記者は何が目的だったのでしょうか。

このことから、有本さんのご家族に「NHK不信」が生まれたそうです。

 

【追記】現在、「学園浸透スパイ事件」と併せ、拉致事件について時系列にまとめています。

 

【追記】産経新聞に掲載されていた櫻井よしこ氏の書評を追記します。

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2018/06/14

【愛媛県文書】文科省で新たに『新しい教育戦略』文書発見(5月10日)

公開: 2018/06/14 12:44  最終更新: 2018/06/15 17:00  

この件は朝日新聞、毎日新聞、赤旗しか報じていないようですが、文科省で『新しい教育戦略』と書かれた文書が見つかりました。共産党が入手したもののようです。

 

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出典: 朝日web記事『獣医学部の「照会資料」、文科省に存在 愛媛文書と合致』(記事後述)

 

 

 

 

この件が今後他のメディアを巻き込んでの大騒ぎになるかどうかは分かりませんが覚え書きとして記事にしておきます。

 

まず、赤旗が報じたのが6月10日で(記事後述)、それを読むと共産党が文科省から情報を得たとあります。参院の文科委員会や予算委員会の理事会にそれに関する調査を附し、12日の林文科大臣の定例会見でも朝日の記者が質問に答える形で報告されていました。そして、同日に朝日と毎日が後を追ったという流れです。

毎日や朝日の記事は有料記事のため、赤旗のみ全文を読むことができます。なお、その後、他紙が後追いした形跡はネットの記事を見ている限りはありません。

 

赤旗が言いたいのは、

 

  1. この『新しい教育戦略』の存在で愛媛県が5月21日に新たに公開した「愛媛県新文書」(27頁からなる文書)の内、県が「個人メモ」として提出したP.17~19に記述されている内容とこの『新しい教育戦略』が一致するので、「個人メモ」とされているが、信憑性が高まった。
     
  2. 加計学園理事長が安倍総理と2015年2月25日に面会した際に学園が提出した資料を“柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があった”(P.17)という記述がある。

 

つまり、2月25日に加計理事長と総理が面会し、理事長と総理が獣医学部の構想を語り合った証拠だということです。(→文書一覧はこちらの記事参照)

 

これに対し、12日の林文科大臣の会見で朝日新聞の記者から質問がなされています。

 

林文部科学大臣会見(平成30年6月12日):文部科学省

mextchannel
2018/06/11 に公開

 

【発言要旨】

  • 「アンケート形式の資料」について、参議院文教科学院感および参議院予算委員会において理事会の協議事項になったため、文書の確認を行った。
  • 「アンケート形式の資料」およびその結果は確認できなかった。
  • (『新しい教育戦略』については)2015年3月当時、構造改革特区の審査中で、愛媛県から提供を受けたと思われる資料を元に識者に意見を伺い、それをとりまとめた資料も存在。これは文科省内で検討するために担当者が作成したもの。
    この資料は当時内閣官房に出向していた職員も含め、他省庁の職員に示した事実は確認ができなかった。

 

 

赤旗:『加計氏と首相 面会時の同名資料が存在』(2018年6月10日)

ブログ主の見解は後述することにして、赤旗の記事を提示します。まずはタイトルとリード部分。(①、②、③はブログ主が挿入)

 

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-06-10/2018061001_01_1.html
2018年6月10日(日)

加計氏と首相 面会時の同名資料が存在

文科省が認める

愛媛県文書 信ぴょう性さらに


 獣医学部新設をめぐり学校法人「加計学園」との協議内容をまとめた愛媛県の文書に、文部科学省が『新しい教育戦略』という資料を使い獣医学の専門家に「意見照会を実施している」と記されていた(①)ことについて9日までに、同省は日本共産党の小池晃書記局長と辰巳孝太郎、吉良よし子両参院議員に同名の資料を活用して意見照会したことを認め、参院予算委員会に提出(②)しました。県文書では、加計孝太郎理事長が安倍晋三首相に面会した際に、『新しい教育戦略』を提供したと記述しています(③)。首相、学園側は面会を否定していますが、県文書の信ぴょう性を高めた形です。

 

①は林文科大臣も会見で認めていますが、この時点ではあくまでも「第26次 構造改革特区」の審査の資料としてであり、そのことは林大臣も明言しています。

②で共産党が独自に得た情報だと分かります。(共産党の調査能力がすごいのか、文科省の職員が共産党と通じているのかは不明。)林大臣の発言から、共産党の議員より参院の文科委員会や予算委員会の理事会に調査を提案されたのでしょう。

③で言う県文書とはP.17~19の個人メモで、下はその一部。 

 

20180610_akahata01

 

 

『赤旗』記事引用(リード以下の文)

 

小池・辰巳・吉良各氏に提出

 県文書は2015年3月15日に今治市と学園の協議内容を記録したもの。県文書によると、安倍首相と加計氏の面会時(同年2月25日)に学園が資料『新しい教育戦略』などを提供。ここから「目指すべき大学の姿に関する部分を抜粋したアンケート形式の資料」をつくり、短期間で専門家に意見を求めたとしています(④)

 文科省が提出した資料によると、15年3月9~11日ごろ専門家に意見照会のメールを送信。その際、学園側が首相に渡したとされる『新しい教育戦略』と同じ題名の文書などをもとに意見を求めたとしています。専門家からは1~2日のうちに返答があり、県文書の「短期間での回答」という記述も裏付けています。

 文科省は、県と市が構造改革特区に獣医学部新設を提案したので、対応方針を考えるため独自の判断で専門家に意見照会をしたとしています。しかし県文書の通りなら、学園側は文科省内部の作業を、ほぼ時間差なしで把握していたことになります。

 文科省は専門家に送った『新しい教育戦略』について、愛媛県からもらったと思われると説明。ただ県は文科省に「文書が残っておらず、本県から提出した資料かどうかわからない」と回答(⑤)したといいます。

 県文書は意見照会の結果を柳瀬唯夫首相秘書官(当時)との面会時に学園に「情報提供されるものと推測」とも記述しています。この点について文科省は、意見照会の結果を「他省庁等の職員に示した事実は確認できなかった」としています。

 

④林文科大臣の会見によると、「アンケート形式の資料」は存在を確認できなかったとのこと。

⑤2015年4月2日に愛媛県ご一行が藤原次長(内閣府地方創生推進室)と柳瀬総理秘書官との面会の後、文科省に寄るも担当者(専門教育課)が不在で会えなかったので、後日(恐らく4月3日)に面談記録=「備忘録」と称する文書=と共にFaxででも送ったのではないかと想像します。

【追記】愛媛県新文書の「個人メモ」は全て日付が「月」までしか書かれていません。しかし、共産党は「3月15日」と明言しています。これは、「個人メモ」とは別に、上長の承認を得るなど「公式文書」化した文書が存在していることを裏付けます。(どうも愛媛県は「個人メモ」や個人の「備忘録」を利用している感がぬぐえません。)

 

ブログ主の見解

再度、赤旗の主張をブログ主がまとめたものを提示します。

 

  1. この『新しい教育戦略』の存在で愛媛県が5月21日に新たに公開した「愛媛県新文書」(27頁からなる文書)の内、県が「個人メモ」として提出したP.17~19に記述されている内容とこの『新しい教育戦略』が一致するので、「個人メモ」とされているが、信憑性が高まった。
     
  2. 加計学園理事長が安倍総理と2015年2月25日に面会した際に学園が提出した資料を“柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があった”(P.17)という記述がある。

 

「個人メモ」に関しては、愛媛県がそう主張しているだけで、その後、日付がきちんと記入され、上長の承認を得た紙の「公式文書」が存在していたはずで、でないと、愛媛県は個人メモで行政が回っていることになってしまいます。書いてあることが全て事実かどうかはともかく、“信憑性”は元からあるのです。(但し、公開前に改ざんしていないという前提)

 

再々問題になっている2015年2月25日は、加計理事長と総理が面談したかはともかく、加計学園関係者と総理周辺(内閣府?)とで接触があったのではないかと思っています。加計学園側は加計氏と総理の面談は否定しましたが、何もないところから2月25日という日付が出てくるのも考えられないからです。

この時期は時系列で確認すると、愛媛県の提案は第26次構造改革特区の審査中ではありましたが、既に国家戦略特区で新潟が獣医学部新設を提案(2014年7月18日)しており、9月には国家戦略特区諮問会議にWG委員より獣医学部新設の解禁の提案がなされています。

柳瀬秘書官も参考人招致の際に答えていましたが、議事録などに現れていない面談の類いはあってもおかしくなく、例えば京産大も、藤原審議官と3回面談(H28/1/26、6/7、10/5)しています。(2018/05/14衆院予算委、共産党・宮本徹議員の質疑で判明)

新潟県はそれほど綿密な構想ではなかったため尻すぼみになっていきますが、内閣府が、長年構造改革特区に申請し続けてきた愛媛県(+加計学園)は十分に練られており、岩盤規制打破の目玉となりうる愛媛県に対しては、テクニカルなアドバイスを与えるために親身に相談していたことはありうることだと思います。

その際(2月25日)に、『新しい教育戦略』なる文書を提示し、4月2日の柳瀬秘書官との面談であらためて提出を要望されたのではないかと想像します。さすがに、仮に2月25日に加計氏と総理が会ったとしても、たった15分程度の面会で、このような文書を示して獣医学部の構想を語り合うとは考えにくいものがありますが。(この日新聞各紙「首相動静」でも加計氏が総理を訪ねた形跡は一切無し)

2月25日の面談相手や場所は不明ですが、内閣府とか官邸とかで相談をすることが広い意味で“総理(周辺)”と捉えられた可能性もあったのではないでしょうか。あくまでも証拠は愛媛県職員の書いた文書であり、これは“伝聞の伝聞のそのまた伝聞”を書き留めたようなものです。

 

【参考】朝日記事:『獣医学部の「照会資料」、文科省に存在 愛媛文書と合致』(2018年6月12日19時22分)

加計学園による獣医学部新設をめぐり、愛媛県が国会に出した文書に記載されている資料が、文部科学省に残っていることが分かった。県の文書では、この資料は加計学園の理事長と安倍晋三首相が2015年2月に面会した際、学園側が提供した資料の一部だとされる。学園と首相はいずれも面会を否定しているが、県の文書と合う事実がまた判明した形だ。

 文科省で見つかったのは、県文書に登場するのと同じタイトルの「新しい教育戦略」という資料。野党議員らの要求を受けて調べたところ、獣医学部を担当する専門教育課に紙で保存されていたという。文科省は資料を愛媛県から入手したとしているが、県は「県が提供したかわからない」としている。

 資料には「獣医学教育空白地域『四国』に新しい獣医学部を創設」と書かれたうえで、「人獣共通感染症(略)等に対処でき、国際調和に貢献する」「ライフサイエンス分野で活躍」「(動物感染症の発生に)四国の特性を知った危機管理」などと記されている。今春開学した加計学園の獣医学部の教育内容と重なっており、学園の意図が反映されているとみられる。

 県の文書によると、学園側は1…

 

 

 

 

 

 


 

2018/06/13

【愛媛県文書】共同通信が不正取材を試み失敗、謝罪

なんとも奇妙な記事です。

 

https://www.sankei.com/west/news/180612/wst1806120080-n1.html

共同通信、大阪支社編集局社会部の記者ら2人処分 不適切取材で
2018.6.12 17:13更新 産経web(配信は共同通信のもよう)

一般社団法人共同通信社は12日、学校法人「加計学園」事務局長が5月31日に愛媛県庁で同県幹部と面会した際、非公開の会議室内に録音状態のICレコーダーを置く不適切な取材をしたとして、大阪支社編集局社会部の記者をけん責の懲戒処分、松山支局記者を厳重注意処分にした。

 社内調査によると、取材は冒頭の数分間だけ許可され、その後はカメラの脚立などを除き会議室から持ち出すよう報道陣は県側から説明を受けていたが、大阪社会部記者が録音を促した。後輩の松山支局記者は従わざるを得ないと考え、レコーダーを会議室の椅子に置き退出。問題ある行為と認識していたことから、回収はしなかった

 共同通信は12日、県に経緯を説明し謝罪した。正村一朗総務局長は「極めて不適切な行為で深くおわびします。記者教育を徹底し再発防止に努めます」としている。

 

5月31日は加計学園関係者が愛媛県庁に謝罪のために訪問した日で、この日は大会議室に多くのマスコミを入れ、公開謝罪をさせた日です。

 

直接ICレコーダを残した松山支局記者が従わざるを得なかっただけかもしれません。しかし、大阪社会部記者は「問題ある行為と認識していたことから、回収はしなかった。」と、問題があると分かっていながら実行した(させた)のは何故でしょう?

そもそも、録音したICレコーダはどうやって回収するつもりだったのでしょうか?

マスコミが締め出された後で自分の犯した過ちに気づいたとして、ICレコーダだけならどの社が置いたかはバレないと踏んでそのままにしたのでしょうか?そんな短時間で後悔するなら、置く前に理性は働かなかったのでしょうか?

一番、あり得るのは、回収できる見込みがあったから置いたけど、録音済みのレコーダの受け渡しに失敗したのだと思うのですが。

あるいは、うっかり置き忘れたということにして、返して貰うつもりだったのか。

 

 

 

 


 

2018/06/12

【書籍】「わが朝鮮総連の罪と罰」(韓光煕・野村旗守著)読了

掲題の「わが朝鮮総連の罪と罰」(韓光煕・野村旗守著)を読了したので、覚え書きとして記事にしておきます。

下はAmazonの商品説明からの引用ですが、若くして朝鮮総連の支部に参加して工作員となった著者(韓光煕/ハン・グァンヒ)が赤裸々に組織や工作活動について語った本で、表紙の野村旗守氏の名前の下には「取材構成」と書かれているので、基本的はインタビューを元にしてもののようです。文章は韓氏を一人称にして書かれています。構成が良いこともあってか、単純に読み物としても面白い。

 

 

 

 

秘密結社「学習組」の実態、総連式「オルグ」術、対韓国「スパイ」工作…。10代の頃から40年間にわたって総連にすべてを捧げ中央財務局副局長にまで登りつめた著者が、朝鮮総連の知られざる錬金術を語る。

 

 

 

著者は朝鮮総連の体質の変化に徐々に幻滅し、当時の財政局の幹部、許宗萬(ホ・ジュンマン)氏と衝突して失脚、総連を離れていきます。その許宗萬氏は現在の総連の議長であり、総連を大使館と見なせば大使のような存在です。

ブログ主がこの本を知ったのは過去のエントリー『【動画】朝鮮総連の破産申し立てを求めるメールを官邸に!【チャンネル桜】』でご紹介した動画で、上記記事にリンクを貼っている箇所から試聴することをおすすめしますが、この本についても41m34s~に言及しています。

 

上にご紹介した動画の中で韓国人を日本に呼び寄せ、教育して金を持たせて帰国させ、国会議員にするという件(くだり)が紹介されますが、手口についてもう少し補足すると、在日韓国人をオルグして韓国に行かせ、総連が用意したチラシやマルクス・レーニン主義などについて書かれた小冊子をばらまくという方法。

チラシは文字通りビルの屋上などから風で自然に巻かれるようにばらまきますが、小冊子は本屋の棚にさりげなく置いていくという方法で、そこに、日本に来た際に連絡をするようにと総連の連絡先を書いておく手口です。韓国では反共教育が徹底されていたので、そうした本を手に取る人物は対南工作をするのには有望だというわけです。

驚くことに、韓国で国会議員になったという人物は『学園浸透スパイ事件』にも関わっていました。議員という立場を利用して、容疑者をひそかに釈放させているのです。

 

韓氏が工作員として行った活動の一つが60年代の後半から行った「着岸ポイント」作りです。(下に雰囲気が分かる程度に縮小した画像を提示します。)

 

Waga01

 

日本中を調査し、工作船が着岸するのに良さそうな場所を調査するのですが、その情報は密かに北に送られていたそうです。

韓氏は後に“公式に”北朝鮮を訪れますが、本の中では、それ以前は工作船で何度も往復していたとさらりと書いているのに驚かされます。

 

著者は拉致については全く語っていないのですが、隠しているのか、それとも、拉致は別系統のラインで行われていたことで知らなかったのかは分かりません。

しかし、70年代に頻発する拉致活動に氏の作った着岸ポイントが利用され事は想像に難くありません。


 

 

 

 


 

2018/06/09

【学園浸透スパイ事件とその時代】 もう一つの日本・朝鮮半島史【北朝鮮による拉致問題】

公開: 2018/06/09 23:21  最終更新: 2018/06/21 11:49(拉致関連の出来事追記中)  

このエントリーは北による対南工作である「学園浸透スパイ事件」と北による「日本人拉致事件」に係る出来事を時系列に並べたものである。

     

     

  • 徐勝(ソ・スン)「英雄」にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち』(張明秀著)を読みながら日付を拾ってメモをしていたものを時系列に並べたもので、基本的には文中の記述。(ページ番号(P.xx)は本書の頁)
  • 「学園浸透スパイ団事件」そのものの概略はこちら
  • 敬称略。必要に応じて肩書を記す。
  • 現在、『メディアは死んでいた』を参考に、北朝鮮による拉致事件も追記中。(青字で追記
  • 関連するブログ記事は  _blog_entry  にリンク
  • その他の出典については、頁末に。

 

 

 

 

朝鮮戦争

1950年(昭和25年)6月25日 朝鮮戦争勃発(~53年7月休戦)

  • 大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次大戦後の米国・ソ連の対立を背景として、1950年6月25日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍の支援のもとに国際紛争にまで発展した戦争。朝鮮動乱。

1950年9月~1958年10月 〔日本国内〕第1次~第4次北朝鮮スパイ事件

  • 激動する朝鮮半島情勢を背景に、在日米軍に関する情報収集や、日本の警察予備隊、保安隊に関する情報収集を目的とする。「本庄浜事件」・「一宮事件」(1964年7月)、「寝屋川事件」(同年10月)

 

北朝鮮帰国事業にマスコミが果たした役割

1959年(昭和34年) 〔社会党〕朝鮮問題対策特別委員会を設置 帰国事業の推進を図る。日本共産党主導の団体・「日朝協会」は帰国事業が始まる直前に北を訪問した見聞録を発表。北を賛美したものであった。

1959年(昭和34年)12月14日 北朝鮮帰国事業開始…社会党が中心的役割。元々は金日成が外交政策として掲げたスローガンに過ぎなかったが、日本政府も朝鮮人に帰って欲しかったためあっさり実現してしまう。(~1984年)

在日朝鮮人はそもそも38度線より南出身者が多かったので元々北に対する郷愁はない。 そのため、帰国事業を推進する国際赤十字委員会は本当に帰国の意思があるかどうか確認しようとした。しかし北朝鮮政府が反対。北の主張に加担したのは雑誌『世界』(岩波書店)で、59年6月号では 朝鮮労働党機関誌『労働新聞』59年3月17日の社説まで転載して北の立場を支援した。結局は本人への意思確認が必要と言うことになったが、北と総連は「共和国は地上の楽園」キャンペーンを行う。それを支援したのも『世界』(P.211)で、60年6月号では帰国協力会の代表委員だった自民党の岩本信行代議士が、それまでの帰国者1万6千人の北での暮らしぶりを訪ねた報告を掲載する。60年は他のマスコミ各社も北朝鮮の現地取材をしたが、どれも同じように北の豊かさを喧伝するものだった (P.212)

岩本が北は極楽と嘘を言ったのは在日同胞を帰国させることが日本政府の意思だったためで、貧困・犯罪の温床である在日朝鮮人を厄介払いしたかった。(P.213)

 

1960年(昭和35年)~ 日本に侵入していた北朝鮮スパイの摘発相次ぐ…「浜坂事件」(60年)、「寝屋川事件」(64年)、「東大阪事件」(68年)、「湯川事件」(75年)、「水橋事件」(80年)

1963年(昭和38年)5月 寺越武志さん、能登半島沖に出漁中に行方不明 …24年後に北朝鮮から叔父さんの手紙が届き、武志さんも生存して北朝鮮で生活していることが判明。→ _blog_entry

 

1964年(昭和39年) 〔徐勝〕東京教育大学入学 韓学同(民団系)に加盟…62、3年頃高校生の徐勝に近づきオルグしたのは芥川賞作家の李恢成(りかいせい/イ・フェソン)。彼は学生時代から68年まで総連の活動家であった。(P.44~46)

 

1965年(昭和40年)6月22日 日韓基本条約 …韓国を朝鮮半島唯一の合法政府と認める。

  • 北は日本が南だけと結ぶこの条約は南北分断を固定化するものと反対。日韓基本条約後、韓国政府は在日同胞の留学生を大々的に受け入れるようになる。

韓学同は総連に牛耳られていたので反対したが、総連は急にその反対運動をやめる。(P.48
)韓学同を表向き穏健な組織にして、北側の工作員を送り込むため 。

 

1967年(昭和43年)8月 〔徐勝〕工作船にて第一次入北、間諜教育を受ける …1ヵ月後の9月10日に工作船で帰国。(P.59)

 

1968年(昭和44年)1月21日 〔北朝鮮〕青瓦台襲撃未遂事件 …北朝鮮特殊部隊により発生した韓国大統領府襲撃未遂事件

 

1968年(昭和44年)4月 〔徐勝〕留学生としてソウル大学へ

1969年(昭和44年)12月10日  〔北朝鮮〕大韓航空機YS-11ハイジャック事件

1970年(昭和45年)3月31日~4月5日 〔日本・北朝鮮〕よど号ハイジャック事件…犯人等が北朝鮮に亡命

1970年(昭和45年)8月15日  〔韓国〕朴正熙大統領、光復節の演説で初めて北朝鮮政権の存在を認める。同時に北朝鮮の対韓武力行使と戦争挑発行為の即時放棄を前提に、南北間の人為的障害を除去する方策を採る用意があることを表明(8・15宣言)

1970年(昭和45年)8月30日 〔徐勝〕弟俊植を連れて工作船再入北 

1971年(昭和46年)4月 大阪経済法科大学設立 …帰化した在日朝鮮人により設立 副学長は学園浸透スパイ事件を工作した指導員の筆頭に挙げられていた。

 

1971年(昭和46年) 〔韓国〕4月27日行われる選挙に向けて朴大統領の三戦を阻止しようと学生運動高まる。(P.62)

 

学園浸透スパイ事件

1971年(昭和46年)3月6日 〔徐勝〕再び韓国に渡航。逮捕

1971年(昭和46年)4月20日 学園浸透スパイ事件で逮捕

  • 【4月20日付毎日新聞夕刊】韓国陸軍保安司令部は、二十日、北朝鮮の指令を受けて政府転覆を画策していた51人の大規模なスパイ団グループを検挙した、と発表した。(中略)朴(正煕)大統領の三選阻止運動を進めていたとしている。(『わが朝鮮総連の罪と罰』より)

1971年(昭和46年)4月27日 〔韓国〕朴正煕、金大中を破り大統領三選

1971年(昭和46年)5月29日 〔徐勝〕反共法(61年施行)と国家保安法で起訴

1971年(昭和46年)7月19日 〔徐勝〕第一審 …焼けただれた顔で現れたため李恢成がガスバーナーによる拷問と言いふらす。(P.207) しかし、そもそも拷問だと言い始めたのは産経新聞(P.208) 71、2年頃の新聞は激しく徐兄弟の問題を騒ぎ立てた。

1971年(昭和46年)10月 『救う会』発足(代表:東海林務牧師) …指導者の一人に東大教授・和田春樹氏(ロシア革命史)。度々集会で講演。金正日を度々称賛(岩波書店『世界』にて)、山田昭次等。実際の仕切り役は長兄善雄だというが、長兄の存在は徹底的に隠されている。

1971年(昭和46年)10月22日 死刑判決 …俊植は懲役15年、翌年無期懲役、懲役7年に減刑→上告は棄却され刑が確定。

  • 71年10月の第一審では対南工作を認めているがその後前言を撤回し、純粋な思想犯を演じ始める。事実関係を否認して無実を主張。著者によると、救援運動がそうさせた。総連はKCIAのでっちあげと主張、日本のマスコミもそれに同調していた。
  • 韓国では「転向書」を書けば刑期を満了せずに釈放されるが兄弟は書かないどころか、獄中から世界のマスコミを通じて政府批判を続ける。
  • 〔朝日新聞〕徐兄弟逮捕時にソウル特派員だった猪狩という記者は一貫して「この事件は韓国政府のでっち上げ」という前提での記事を書き続ける。この記者は80年に北に招かれて1ヵ月滞在し、北を称賛する記事を何本も書く。
  • 〔朝日新聞〕71年9月27日 金日成との会見記を紙面に掲載。その後も度々会見記を掲載。

『救う会』の指導者等の「北朝鮮、韓国、日本」に関する論理は、「北朝鮮を生んだ朝鮮戦争はアメリカの帝国主義に対する民族抵抗」→「戦後も日本を支配している軍国主義者と韓国政府はつるんで南北を分断している」→「だから、日本人としては韓国政府を批判する義務がある」(P.123) ところが、後の93年に「金日成こそがソ連帝国主義の傀儡として朝鮮戦争を起こして民族を分断した」という機密文書をロシアが公開し、その要旨が朝日新聞(6月28日付)に掲載されるが、その解説を和田春樹が書いている。さすがに、事実を渋々認めるような内容であった。(P124)

 

『地上の楽園』の本当の姿を伝えた赤旗の記者、隠す朝日や岩波

1970年代初め 北朝鮮・総連との癒着が更に強化

  • それまでは日本社会党と日本共産党の統一戦線的な団体「日朝協会」とが中心だったが、北が金日成への貢ぎ物を強要したために共産党と総連が仲違いする。これで総連は社会党を取り込む。
  • 当時の共産党と朝鮮労働党の関係は、個人崇拝を巡る対立やラングーン爆弾テロを巡る論争があり、83年以降断絶状態が続いていた。(「メディアは死んでいた」)

1971年(昭和46年) 朝日新聞・宮田記者、北朝鮮の招待で2ヵ月滞在

  • 滞在して見聞きしたこととして朝日新聞夕刊に12回に渡って『チュチェの国 北朝鮮』を連載し、北朝鮮を礼賛。
  • 日本共産党の機関誌『赤旗』の特派員として72年から平壌に駐在した萩原遼氏は、日本で耳にした話と実態とのギャップに衝撃を受ける。

1972年(昭和47年)2月、10月、80年5月、83年4月と日本の国会は徐兄弟救援の訴えと要望書を韓国政府に提出。76年1月31日には衆議院予算委員会理事会で全員一致で「死刑執行の中止」を求める決定。これに尽力したのは社会党の安宅常彦議員。(P.182)

1972年(昭和47年)10月6日 金日成・安江良介(1972~88『世界』編集長)との会見

1972年(昭和47年)11月 『韓国からの通信』が岩波書店『世界』に連載開始 …筆者はT・K生なる匿名の人物。

  • 著者はT・K生を安江良介ではないかと疑うが、後に池明観という人物が自分であると名乗り出る。報道したのは朝日新聞(2003年7月26日)
  • 安江編集長と北朝鮮の深い関係は→ _blog_entry

 

1972年(昭和47年)は激動の年であった。

1972

 

韓国民主化運動という名のスパイ行為

1973年(昭和48年)8月8日 金大中事件 …東京でKCIAに拉致

1973年(昭和48年) 辛光洙(シンガンス)秘密工作船で北朝鮮から日本上陸 …坂本という日本名で日本人になりすます。(元々在日コリアンで「立山富蔵」と名乗っていた)→原敕晁(はらただあき)さん拉致事件

1973年(昭和48年)4月8日 〔北朝鮮〕4・8教示 …金日成「総連の全ての事業は祖国統一の実現に従属するものである」(P.92)

1974年(昭和49年)6月 在日朝鮮人の2児拉致、母親は殺害 …日本国籍ではないため2児については拉致認定はされていない。

1974年(昭和49年)8月15日 〔韓国〕朴正煕暗殺未遂事件 …夫人暗殺。犯人は在日韓国人二世の文世光(むん・せがん)。(P.82)

1974年(昭和49年)8月17日 〔ソウル地検〕犯人の自供内容を発表 …文は大阪生野西支部(総連)にオルグされ、69年に民団系の青年組織・韓青(在日韓国青年同盟)の幹部活動家だった(72年に辞表を提出)

  • 韓青は総連が民団内部に作ったフラクション(※)であった。しかし、韓青の指導者のひとりであり「朴政権打倒」を掲げる在日韓国人組織・韓民党(韓国民主化統一国民会議)は総連との関係を否定する。(P.83)
    ※フラクション: 小部分の意味だが、革新政党が他の大衆団体の内部に設ける党員組織。フラク。

1974年(昭和49年)10月 〔北朝鮮〕金正日、クーデターで父の弟・金英桂を蹴落として北の全権を掌握 →77年1月、総連に宛てた指示書

【当時の日本のマスメディアの半島報道】(『メディアは死んでいた』(阿部雅美著)より引用)韓国に対しては、自由主義、民主主義という価値基準に照らして軍事独裁、圧制と批判し、その打倒を掲げた民主化運動へのシンパシーに満ちていた。(中略)一方で、同じ価値規準に照らせば、言論の自由も結社の字湯もない北朝鮮に関しては、その独裁体制を問題にすることはなかった。完全にダブルスタンダードだった。75年にベトナム戦争でサイゴン(ブログ主註:現ホーチミン)が陥落して米国が負けると、この傾向に拍車が掛かった。⇒日本国内、特に言論界や知識人層による「親北、反南」という世論形成;

 

北による日本の政界工作と雑誌『世界』/日本人拉致活動

1976年(昭和51年)11月11日 〔北朝鮮〕金正日、総連に宛てた指示書 …内容は、日本にいる韓国マスコミ特派員の買収、保守系の大物政治家を1、2名工作、小田実(作家・政治運動家)のような人物を2,3名獲得すること。(P.184)

1977年(昭和52年) 『見果てぬ夢』(李恢成著) …対南工作事件を題材にした小説。北野工作員が韓国に潜入する描写は驚くほど徐勝の裁判での証言に一致する。(P.55)=徐勝の工作活動を把握していたという著者の推論の根拠

1977年(昭和52年)頃より北朝鮮による日本人拉致容疑事案が頻発する。

Abduction

1977年(昭和52年)9月19日 能登半島で久米裕さんをだまして拉致…(宇出津事件)

1977年(昭和52年)10月21日 鳥取県米子市で松本恵子さん拉致

1977年(昭和52年)11月15日 新潟市で横田めぐみさん拉致

1978年(昭和53年) 〔岩波書店〕『世界』5月号 『徐兄弟獄中からの手紙』 …社会党土井たか子がこの記事を国会で取り上げ、日本政府の韓国への強硬な態度を迫る。

  • 土井たか子は衆議院外務委員会で、78年5月10日、26日、6月14日、80年2月14日、5月15日、82年4月21日、84年4月25日と、園田、大来、桜内、安部の歴代外務大臣に執拗なまで徐兄弟の問題を質問。78年5月10日には雑誌『世界』5月号の『徐兄弟・獄中からの手紙』を振りかざして救出を迫る。(P.183)

1978年(昭和53年)6月 都内で働いていた田口八重子さん拉致、神戸市内の田中実さん拉致

1978年(昭和53年)7月7日 福井で地村保志さんと浜本富貴恵さん拉致

1978年(昭和53年)7月31日 新潟で蓮池薫さんと奧土祐木子さん拉致

1978年(昭和53年)8月12日 鹿児島で市川修一さんと増元るみ子さん拉致

1978年(昭和53年)8月12日 佐渡島で曽我ひとみさん、ミヨシさん拉致

1978年(昭和53年)8月15日 富山でアベック拉致未遂

1979年(昭和54年)10月 〔韓国〕朴正煕大統領暗殺事件

1980年(昭和55年)1月7日 〔産経新聞〕「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」の記事で拉致事件をスクープ(阿部雅美記者)

  • 初めて「外国情報機関の関与」を指摘。しかし、「20年前 13歳少女拉致」 北朝鮮亡命工作員証言》の記事が産経新聞一面に掲載されたのは、それから17年後の97年2月3日。
1980年(昭和55年)3月 国会で公明党議員がアベック失踪を質問…警察庁は関連性否定

1980年(昭和55年) 〔岩波書店〕『世界』4月号 …朝日宮田記者による徐兄弟の母のインタビュー記事を掲載。

1980年(昭和55年)5月11日 徐兄弟救出の運動の一環として開かれたパネルディスカッション …和田春樹らとともにパネラーとして前田康博毎日新聞記者参加。(P.206)

 

「地上の楽園」の嘘

1980年(昭和55年)5月18日~27日 〔韓国〕光州事件 …5月17日の全斗煥らのクーデターと金大中らの逮捕を契機に、民主化を求めて光州市を中心として起きた民衆の蜂起。多数の死傷者を出した。

  • 総連は南に送り込んでいた学生スパイを通じて事前に動きを察知しており、予め日本の左翼系映画人をソウルに派遣しており、事件後、日本で講演をし、南のネガティブキャンペーンに利用した。(『わが朝鮮総連の罪と罰』P.171~)
1980年(昭和55年)5月 欧州に留学中の石岡亨さん、松本薫さん拉致 

1980年(昭和55年)6月17日 原敕晁(はらただあき)さん拉致事件(辛光洙事件) …宮崎市の海岸に誘い出され、北朝鮮の工作員辛光洙らに拉致されたとされる。/北朝鮮の発表では1986年に病死とされている。

  • 辛光洙容疑者: 1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕→死刑判決→無期懲役に減刑→1989年7月 日本の議員により釈放嘆願→1999年12月31日、金大中大統領によるミレニアム恩赦で釈放、北朝鮮に送還。

1981年(昭和56年)2月25日 〔韓国〕全斗煥 大統領に就任

1981年(昭和56年) 〔社会党〕「在日韓国人政治犯を支援する国会議員懇談会」発足 …会長稲葉誠一、副会長野坂浩賢)名簿には土井たか子、山花貞夫等の名も。

1982年(昭和57年) 〔北朝鮮〕帰国事業で63年に北朝鮮に帰国した朴安復(ぱく・あんぼく)氏消息不明に …帰国、平壌中央放送局でアナウンサー局長を務めていた。→「人間狩り(マグジャビ)→妹の春仙さんに総連から「85年8月21日にスパイ容疑で銃殺された」との知らせ→『北朝鮮よ、銃殺した兄を返せ!』(1994/06)→93年7月2日 『徐君兄弟を守る学友の会』から北を批判するのをやめるよう電話 『救う会』による帰国者救済の妨害(P.108)

1983年(昭和58年)7月 欧州に留学中の有本恵子さん拉致

1983年(昭和58年)10月9日 〔韓国・北朝鮮〕ラングーン爆弾事件 …全斗煥大統領暗殺未遂

1984年(昭和59年)2月 『凍土の共和国』(亜紀書房)出版 …元朝鮮総連幹部が明らかにした北朝鮮の真の姿→産経や読売は帰還事業の協力を辞めるが、朝日新聞は最後まで協力を続ける。

 

社会党と北朝鮮との密接な関係

1984年(昭和59年)12月20日 社会党中央執行委員会では韓国政府を承認する決定

  • それに先立つ14日に外交委員会と朝鮮問題対策特別委員会との合同会議。ここで、北一辺倒の姿勢から韓国との交流へ議論するも、山花貞夫氏(当時外交委員会事務局長)は「日米韓の軍事的結びつきの強化になるような交流には反対と発言している。(韓国は全斗煥大統領時代) 

1985年(昭和60年)2月 〔韓国〕辛光洙工作員をを逮捕…原さん拉致が明らかに

1985年(昭和60年)5月23日 社会党・田辺誠が7名の代表団と共に北朝鮮を訪問 …金日成との会談。

  • 2月の韓国大統領選挙について話題にし、金日成は韓国の「自主化」が大事と述べている。(月刊社会党に報告記事) 自主化とはアメリカと手を切ることを意味する。

1986年(昭和61年)9月15日 〔北朝鮮・総連〕金正日から「マルスム」(お言葉=指示) …「総連が組織として自立するように」指示

  • これにより総連の企業活動が活発になる。(『わが朝鮮総連の罪と罰』P.184~)→パチンコ、焼肉屋、「地上げ屋」

1987年(昭和62年)1月 寺越さんの叔父から家族へ手紙が届く …「北朝鮮で暮らしている」

1987年(昭和62年)7月 〔社会党〕田辺誠を団長とする「日朝友好親善の船」 …約300人の訪朝団で、毎年組織している(P.197)

1987年(昭和62年)9月24~28日 〔社会党〕土井たか子、北朝鮮を訪問 …金日成と会談。

  • この少し前に週刊文春で8月24日・31日号の2週に渡って土井たか子とパチンコ業界・総連との癒着に関する記事が掲載される。

1987年(昭和62年)11月 竹下登第74代内閣総理大臣就任 (~1989年6月3日に内閣総辞職)

1987年(昭和62年)11月29日 〔韓国・北朝鮮〕大韓航空機爆破事件 …大韓航空の旅客機が、偽造パスポートを使い日本人に成り済ました北朝鮮の工作員によって、飛行中に爆破されたテロ事件。

  • 犯人の一人「蜂谷真由美」こと金賢姫(キム・ヒョンヒ)は後(89年1月15日)に日本から拉致された「李 恩恵(リ・ウネ)」(田口八重子さんと見られる)に日本語を習ったと告白。原敕晁さんと結婚したといわれている
  • 女の身柄は12月15日に韓国へ引き渡された 容疑を否認し続けた。北は「南朝鮮政府の自作自演」と主張したが、それに同調したのは社会党で、機関誌『社会新報』でも大々的に宣伝。土井たか子も「この事件は北にはメリットがない」と主張(P.188)
  • 著者によると、日本共産党から見放された総連が社会党に必死にしがみついているのが朝鮮総連の資料に現れているという(P.187)
  • 『韓国からの通信』がこの事件に触れ、「密室で仕組まれた発表をどうして信じられよう」、「(この事件は)韓日米が協力したようにも見える」と陰謀論を唱えている。

1988年(昭和63年)3月 『韓国からの通信』 突然終了

  • 『韓国からの通信』は韓国国内でもメディアに注目されており、著者だけでなく、韓国でもK・T生探しが行われていた。韓国の新聞『中央日報』の東京特派員・崔喆周(ちぇ・ちょるじゅ)記者が調査を始め、実際に安江社長にインタビューを行い、韓国の雑誌『月刊中央』に崔氏が書いた記事によるとKCIAも調査に乗り出していた。

 

1988年(昭和63年)2月 弟、俊植の釈放を訴える嘆願書 (P.70)

1988年(昭和63年) 俊植の釈放

 

「梶山答弁」…初めて政府が北朝鮮の拉致関与に言及、しかし、メディアは黙殺

1988年(昭和63年)年3月26日 梶山答弁 …(梶山静六国家公安委員長)昭和53年以来の一連の行方不明事犯を「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と、政府が初めて北朝鮮の名前を出す。(答弁を引き出したのは共産党橋本敦参議院議員)

  • 橋下議員の秘書、兵本達吉は1月15日の金賢姫の会見で「『李恩恵』という日本から拉致された日本人女性から(日本人化)教育を受けた」という一言から拉致事件に興味を持ち、アベック連続蒸発事件を知り、新潟、福井、鹿児島へ出向いて調査。その後、共産党は北朝鮮との関係を突然修復、兵本氏は党を除名されながらも、拉致被害者支援の活動を続ける。
  • 朝日放送プロデューサーの石高健次が韓国情報機関から「13歳の少女拉致」の情報を入手。96年に雑誌「現代コリア」に情報を掲載した。それが兵本さんに伝わって具体的に消息になり、97年の産経記事「20年前、13歳少女拉致」(阿部雅美記者)に繋がる。

1988年(昭和63年)7月 〔韓国〕7・7宣言 …盧泰愚大統領が北朝鮮と融和を図る

1988年(昭和63年)9月 石岡亨さんから実家に手紙 …「松本さん、有本さんと平壌にいる」

1988年(昭和63年)9月 〔韓国〕ソウル五輪開幕 …北朝鮮は不参加

1989年(平成元年)7月 韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を嘆願するという趣旨の要望書が、当時の日本社会党・公明党・社会民主連合・無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出される。当時の日本国内での政治犯釈放要求運動の対象はもっぱら、「学園浸透スパイ団事件の首謀者」とされた徐勝・徐俊植兄弟の救援であったが、この中に辛光洙(シンガンス)も含まれていた

  • 金正日が北朝鮮による日本人拉致実行を認めた2002年9月以降、同年10月19日に当時官房副長官であった安倍晋三が土井たか子・菅直人を名指しで「極めてマヌケな議員」と評するなど、署名した国会議員は保守政治家や日本共産党から激しく批判された。

1989年(平成元年)7月23日 第15回参院選 …社会党は大躍進し、「おたかさん(土井たか子)ブーム」と呼ばれる。

 

徐勝特赦

1990年(平成2年)2月28日 徐勝特赦 …(P.66)同年5月17日に日本帰国 8月27日に渡米(P.224)。その間、歓迎集会が東京(7月1日)、京都〔7月8日〕に開かれる。ネルソンマンデラと会見するなどして韓国政府批判を続ける。

 

==== 「学園浸透スパイ事件」はここまで ====

 

1990年代の日本の政界

1990年(平成2年)9月 〔自民党・社会党〕金丸・田辺訪朝団 

  • 89年の3月30日の衆議院予算委員会で村山富市議員が総理大臣・竹下登に質疑し、日本政府として初めて「自覚と反省」をこめた北朝鮮への戦後責任を認める答弁を引き出す。これが金丸訪朝の引き金になったと言う。(自社の完全なデキレース) 当日、田辺ら社会党議員団が北朝鮮を訪問し報告。三党共同宣言(自・社・さきがけ)

1991年(平成3年)1月 日朝国交正常化交渉開始

1991年(平成3年)4月 毎日新聞取材団が金日成主席と会談…拉致問題には触れず

1991年(平成3年)5月 警察当局が「李恩恵」を田口八重子さんと断定

1992年(平成4年)3月 朝日新聞取材団が金日成主席と会談…「李恩恵」問題を巡って

1992年(平成4年)11月 日朝国交正常化交渉中断…拉致問題には触れず

1993年(平成5年)2月 〔社会党〕山花貞夫委員長、韓国訪問の意向を示す …朝鮮問題対策特別委員会→社会党日朝委員会に改称。

1993年(平成5年)4月21日 〔北朝鮮・総連〕日朝委員会初会合 …総連からの参加者。金日成が示した「金民族の団結の10大原則」を配布。

1993年(平成5年)4月 〔社会党・北朝鮮・韓国〕「アジアの平和と女性の役割」が主催するシンポジウム …社会党と【慰安婦問題】 → _blog_entry 

  • 土井たか子を始めとする社会党の女性議員の呼びかけで開かれたもので、“従軍慰安婦”の補償が主な議題。
  • 北朝鮮から最高人民会議(国会に相当)副議長らが訪日した。5月には討論会参加者の土井たか子社会党元委員長らが金正日氏に「感謝の書簡」を送付。【慰安婦問題】を利用した世界的な反日活動に日本政界が支援。
  • 韓国からも出席者が参加。→このシンポジウムは南(韓国)の切り崩しに社会党が加担したものと見ることができる。

1993年(平成5年)5月 〔北朝鮮〕準中距離弾道ミサイル「ノドン」を日本海に発射

1993年(平成5年)11月7日 帰国者遺族証言集会 …「人間狩り」(マグジャビ)の犠牲となった在日同胞の集会。

1993年(平成5年)8月9日 細川内閣発足 …(~1994年4月28日)山花貞夫を始め社会党幹部入閣、土井たか子元委員長は衆議院議長に就任。

  • 1955年(昭和30年)の結党以来38年間政権を維持し続けた自由民主党は初めて下野。 非自民・非共産8党派の連立政権であるこの内閣の発足により、社会党は与党第1党ではあったが、1990年のおたかさん(土井たか子)ブームも去り、総選挙で一人負けの状態(他党は共産党が1議席を減らした他は、自民党も含めて全党が現状維持か議席増)だったため、与党第1党にもかかわらず首相を出すことができなかったが、一方で無視できるほど力は小さくないという、連立与党内でも微妙な立場となった。

1993年(平成5年)9月 〔社会党〕山花貞夫委員長訪韓

1994年(平成6年) 〔社会党〕村山富市委員長(93年9月就任)、羽田連立与党から離脱

1994年(平成6年)5月~ 〔朝日〕朝鮮学校の生徒へのいじめに関するキャンペーン開始

1994年(平成6年)6月30日 村山政権(自社さ政権)発足 …(~1995年8月8日) 自民党は村山委員長を首班とする自社連立政権樹立を決定 

1994年(平成6年)7月8日 〔北朝鮮〕金日成死去

1994年(平成6年)8月21日 日本教員主体思想研究会 第18回全国集会(新潟) …主体思想を理想としている団体。スローガンは日朝友好連帯運動の前進を目指して。(P.198)

1995年(平成7年)3月 連立3与党訪朝団 …渡辺美智雄団長→6月、北朝鮮に米支援開始

 

横田めぐみさん拉致報道

1997年(平成9年)2月3日 〔産経新聞〕横田めぐみさん拉致を実名で報道 …国会でも取り上げられる。

1997年(平成9年)2月7日 西村真悟衆議院議員の質問主意書に対し政府が「6件9名」」の拉致被害者を認める答弁書 

1997年(平成9年)3月 「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)発足 

1997年(平成9年)5月 警察庁がめぐみさんを含む7件10人を拉致認定する国会答弁 

1997年(平成9年)11月 与党代表団(森喜朗団長)が訪朝/北朝鮮が「行方不明者」として拉致問題調査の意向を表明

1998年(平成10年)2月 〔韓国〕金大中大統領が就任 →北朝鮮に対し「太陽政策」

1998年(平成10年)4月 有識者による「救う会」発足

1998年(平成10年)6月 〔北朝鮮〕北朝鮮赤十字が拉致疑惑を全面否定 

1998年(平成10年)8月 日本共産党が兵本達吉を除名

1998年(平成10年)8月 〔北朝鮮〕中距離弾道ミサイル・テポドン発射 日本列島を越える

1999年(平成11年)12月 北朝鮮が再び行方不明者の調査を表明

2001年(平成13年)5月1日 金正日の長男・金正男が成田で拘束 →3日報道、4日に強制送還

2001年(平成13年)12月 北朝鮮側が調査の中止を表明

2002年(平成14年)3月 「よど号グループ」元妻が有本さん拉致を証言

 

相次ぐ朝銀破綻と公的資金投入(1990年代末~)

この項仕掛かり

2001年(平成13年)11月22日 『朝銀信用組合の破綻に対する公的資金投入に関する質問主意書』(提出者:西村眞悟) →12月14日答弁書(内閣総理大臣 小泉純一郎)⇒最終的に合計1兆3600億円もの公的資金投入

 

日朝首脳会談

2002年(平成14年)9月17日 日朝首脳会談 …金正日総書記が拉致を認める。5人生存、8人死亡と説明。

  • 田中均アジア大洋州局長が金正日総書記と近い人物(当時、「ミスターX」と呼ばれた)と極秘交渉を重ねて実現したが、この極秘交渉の記録の一部は欠損している。→ _blog_entry

2002年(平成14年)9月25日 有本さん拉致事件で、よど号の安部(現姓・魚本)公博容疑者に逮捕状

2002年(平成14年)9月~10月 政府が北朝鮮に調査団派遣 …松木さんの「遺骨」を持ち帰る。→11月 松木さんとされた遺骨は別人と判明

2002年(平成14年)10月15日 蓮池、地村両夫妻、曽我ひとみさんの5人帰国 …この時の申し合わせは「一時帰国」。政府は返さなかったが、一部マスコミは北朝鮮に返すべきと批判

2002年(平成14年)11月 松木さんとされた遺骨は別人と判明

 

“一時帰国”のはずであった帰国者を北に帰すべきと主張した一部マスコミ

2003年(平成15年)1月1日 朝日新聞社説「『千と千尋』の精神で 年の初めに考える」

“拉致の被害者たちに寄せる同情や北朝鮮への怒りがあふれたのは自然として、そうした感情をあおるばかりの報道が毎日繰り返される”

“(拉致問題という)同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい”

“厳しい国際環境はしっかりと見据える。同時に、複眼的な冷静さと柔軟さを忘れない。危機の年にあたり、私たちが心すべきことはそれである。”

(月間HANADAセレクション『財務省「文書改竄」報道と朝日新聞誤報・虚報全史』P.25の引用文)

 

2003年(平成15年)1月8日 久米裕さん拉致事件で金世鎬(キム・セホ)容疑者に逮捕状

2003年(平成15年)1月 拉致被害者支援法に基づき、政府が15人を被害者と認定

 

2回目の日朝首脳会談-北に残っていた一部家族の帰国

2004年(平成16年)5月22日 2回目の日朝首脳会談 …蓮池、地村両夫妻の子供計5人が帰国

2004年(平成16年)7月 曽我ひとみさんの夫・ジェンキンスさんと娘2人が帰国

2004年(平成16年)11月9~14日 日朝実務協議 

  • 北朝鮮側がめぐさんの「遺骨」などを提出→12月8日、DNA鑑定で「遺骨」は別人と判明。

 

2005年(平成17年)4月 田中実さんを拉致被害者と追加認定

2006年(平成18年)2月23日 蓮池、地村夫妻拉致事件で、チェ・スンチョル容疑者等に逮捕状

2006年(平成18年)11月2日 曽我さん母娘拉致事件でキム・ミョンスク容疑者に逮捕状

2006年(平成18年)11月 松本京子さんを拉致被害者と追加認定

2007年(平成19年)3月 ベトナム・ハノイで日朝国交正常化作業部会 …北朝鮮「拉致問題は解決済み」

2007年(平成19年)6月13日 石岡、松木さん拉致事件で、よど号メンバー妻の森順子、若林(旧姓・黒田)佐喜子両容疑者に逮捕状

2008年(平成20年)6月11~12日 日朝実務協議 …北朝鮮が拉致問題の再調査を表明→9月4日 再調査の先送りを日本側に通告

 

2011年(平成23年)12月 〔北朝鮮〕金正日死去 →金正恩が権力継承(12年4月11日 朝鮮労働党第1書記に就任)

2014年3月10~14日 横田さん夫妻がめぐみさんの娘・キム・ウンギョンさんとモンゴルで初面会

2014年(平成26年)5月26~28日 〔日本・北朝鮮〕ストックホルム合意 …全ての拉致被害者の調査を盛り込んだ合意。北朝鮮は特別調査委員会を設置。

(2016年1月2日 米大学生・オットー・ワームビアさん、平壌空港で北朝鮮当局に拘束)

2016年(平成28年)2月12日 〔北朝鮮〕特別調査委員会解体 …北朝鮮の相次ぐ核実験や弾道ミサイル発射などを受け、日本が独自制裁を強化したことに対する対抗措置として。

 

(2017年(平成29年)2月13日 金正恩総書記の異母兄・金正男氏殺害事件)

2017年(平成29年)5月12日 「特定失踪者」の家族が「有志の会」結成

(2017年6月 米大学生・オットー・ワームビアさん、アメリカ帰国。19日に死亡)

2017年(平成29年)9月19日 トランプ米大統領が国連総会の演説で拉致問題に言及

2018年(平成30年)4月17~18日 日米首脳会談 …トランプ大統領が米朝首脳会談での拉致問題提起を明言

2018年(平成30年)4月27日 〔北朝鮮・韓国〕板門店で南北首脳会談

2018年(平成30年)5月9日 〔北朝鮮〕米国人3人を釈放

 

 

その他出典/関連サイト

【その他の出典】

  • わが朝鮮総連の罪と罰』 韓光煕著(2002/4)
  • 日本社会党興亡史』 上住 充弘著(1992/9/27)
  • Wikipedia『韓国の歴史年表
  • 警察白書 「警備警察50年」
  • iRONNA 「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた→ _blog_entry
  • メディアは死んでいた」(阿部雅美著/産経新聞出版)→ _blog_entry 
  • 更にや百科事典などから当時の時代背景が分かるような客観的事実や事件、用語の解説などをメモしておいたものを記す。
  • 読売新聞2018/5/31付『基礎からわかる拉致問題』

【関連サイト】;

 

 

 

 


 

【拉致問題】マスコミが報道しなかったために9年間のロスが...【iRONNA】

公開: 2018/06/09 10:33  最終更新: 2018/06/09 21:13  

今回はブログ主の覚え書きを兼ねて、とても良い記事を見つけたのでご紹介します。

 

iIRONNA 「報道しない自由」が北朝鮮をつけ上がらせた

米朝首脳会談を前に一冊の本が衝撃を与えている。『メディアは死んでいた-検証北朝鮮拉致報道』(元産経新聞記者・阿部雅美著、産経新聞出版)。40年前、拉致事件を発掘し、21年前に横田めぐみさん拉致疑惑を初報した記者が、取材の経過とメディアが拉致をどう報じたか、赤裸々に綴ったのである。

 

 

 

 

リードにも書いてありますが、『メディアは死んでいた-検証北朝鮮拉致報道』(阿部雅美著)というほんの一部を抜粋して再編したもので、ブログ主もまだ半分くらいしか読んでいませんが、6本ぐらいの記事が章のようになっているので、全て読むとかなり読み応えもあります。

各記事の文章はしっかりしたものなのに、表題がそれを台無しにしているのが残念。もう少しクリックする気を起こさせるような表題をつけて貰いたかったです。

 

 

下は各記事の見出し。

 

  • 報じられなかった「梶山答弁」 
      1988年3月26日、メディアが死んだ日
     
  • 取り返しのつかない空白
      誰も目にしたことがない国会映像
     
  • 家族会結成につながった情熱
      人権問題に産経も共産党も朝日もない
     
  • 解決へ全政党が知恵を絞れ
     
  • あれから40年 (動画)
     
  • 「怒りが大きな力になった」
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  • 「6・12」何が起こる
      北朝鮮問題めぐる日中韓の駆け引き
      金正恩の妹と横田めぐみさんの娘「学校も職場も同じ」説の真偽

 

最初の記事の「1988年3月26日、メディアが死んだ日」というのは梶山静六国家公安委員長(自治相)が重大な答弁をした日で、それは、昭和53年以来の一連の行方不明事犯を「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と、初めて北朝鮮の名前を出した日だったのです。この答弁を引き出したのは橋本敦参議院議員(共産)でした。

この失踪事件を初めて報じたのは1980年(昭和55年)1月のことで産経新聞に掲載されたのですが、それから8年後のことでした。

しかし、この重要な発言を報じたのは産経と日経だけ、しかも、産経が29行、日経が12行と小さなベタ記事(1段の記事)で朝日、読売、毎日には一行もなかったそうです。

 

1980年1月に記事を書いたのが前述の本の著者、阿部雅美氏で、アベック3組の失踪に外国情報機関が関与している疑いを指摘したものでした。記事の存在を知った横田早紀江さんは、めぐみさんの失踪と関係があるかもしれないと、すぐに産経新潟支局を訪ねたそうです。

 

しかし、横田めぐみさんの失踪が北朝鮮の拉致によるものだという報道が出るのは1997年。梶山答弁からさらに9年の歳月が経過していました。

iRONNAの記事によると、1996年に石高健次・元朝日放送プロデューサーが初めてめぐみさんのことを記事にし、97年1月に橋本敦議員の秘書、兵本(ひょうもと)達吉氏から阿部記者に電話があり、その時は北朝鮮による拉致とは思いもよらなかったそうですが、最終的に石高氏が韓国情報機関から「13歳の少女拉致」の情報を入手し、雑誌「現代コリア」に情報を掲載しました。

記事の一つの「人権問題に産経も共産党も朝日もない」というタイトルはそういう意味です。

とにかく、一日でも早い拉致被害者の皆さんの帰国を祈ります。

 

記事はメディアの人間として書いているので、報道しなかったことについての慚愧の念を述べていますが、これは政府も同罪、いえ、分かっていて何もしなかったも同然なので、もっと罪は重いでしょう。

ブログ主は以前、『徐勝-「英雄」にされた北朝鮮のスパイ 金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち-』(張明秀著/宝島社/1994.12)という本を読んだ時、主な日付をメモ帳(アプリ)にメモしていたので、それを繙(ひもと)いてみると、1985年には社会党の田辺誠氏が7名の代表団と共に北朝鮮を訪問し、金日成国家主席と会談、87年にも土井たか子氏が金日成を訪問、1987年には 大韓航空機爆破事件が起こりますが、社会党は北の「南の自作自演」と同調し、土井たか子氏も「この事件は北にはメリットがない」と主張するなど、拉致など存在しないと言い続けた社会党の罪は深いものがあります。(カテゴリ『【政治】学園浸透スパイ事件とその時代』シリーズのブログ記事はこちら。)

 

社会党はなくなりましたが、この系譜を引く者が、まるでガンが移転するように、現在の社民党や立憲民主党などに散っているのです。国会の拉致対策委員会には必ず有田芳生議員がいますが、質疑を見ていても、情報収集のために委員になっているのでは?と感じることが度々あります。

また、社会党だけでなく、90年には金丸・田辺訪朝団(本によると、前年の社会党・村山富市議員による竹下登首相への質疑が伏線。)と、自民党の中の北との繋がりは今でも綿々として存続しているのでしょう。

安倍政権にばかり色々要求するのは酷ですが、安倍総理の間にスパイ防止法の成立も望みます。

 

 

 

 


 

【国会】もはや政府の邪魔しか手がない野党-「質問主意書」、「退席」という嫌がらせ

2018年6月8日付のNHKwebニュースで、『森友 “関わっていたら議員辞める”「2つの首相答弁は同趣旨」』という記事が掲載されていました。

下に記事を引用しましたが、昨年2月17日の総理の答弁に関し、文脈から理解できることをわざわざ「質問主意書」で質問したものです。(答弁書はまだupされていませんがこの質問の経過情報はこちら/2017年2月17日の国会議事録はこちら

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180608/k10011469111000.html
森友 “関わっていたら議員辞める”「2つの首相答弁は同趣旨」

2018年6月8日 16時04分

森友学園をめぐる問題に関連して安倍総理大臣が「関係していたら総理大臣を辞める」などと答弁し、その後、「贈収賄などではないという文脈で、一切関わっていない」と述べたことについて政府は、2つの答弁は同じ趣旨だとする答弁書を決定しました

森友学園への国有地売却について安倍総理大臣は去年2月、「私や妻が関係していたら、総理大臣も国会議員も辞める」と答弁しました。

そして先月、安倍総理大臣は去年2月の答弁の趣旨を質問され、「贈収賄などではないという文脈で一切関わっていないと申し上げている」と述べました。

立憲民主党の逢坂誠二衆議院議員は、先月の答弁は新たな解釈の表明だとして、去年2月の答弁との整合性を問う質問主意書を提出しました。

これに対し政府は8日の閣議で「安倍総理大臣が先月の国会で『私が新しい定義を定めたわけではない』と答弁しているとおりで、2つの答弁は同じ趣旨だ」などとする答弁書を決定しました。

 

 

 

 

もはや一部野党の嫌がらせの手段となっている「質問主意書」

ご存知だと思いますが、国会の委員会などでの質疑の他に書面で質問する「質問主意書」と言うものがあり、答弁も書面でなされますが、答弁書自体は官僚が作成、それを正式に回答(「答弁書」)とするには閣議決定がなされます。

閣議決定とは全大臣(全省庁)が合意することで政府全体の合意事項とするもので、内閣は受け取った日から7日以内に、閣議決定を経て文書で答弁しなければなりません。当然、この答弁書を作成するのは事務方(官僚)。

 

働き方改革法案の審議では「過労で人が死んでいるんですよー 」(←嘘泣きなので実際は涙は出ていない)をしながら叫んでいるデマノイ、じゃなかった山井(やまのい)議員もいますが、自分達が官僚に対して行っているパワハラは無視ですか?(実際、高度プロフェッショナル制度と過労死はまた別の問題だと思うのですが。)

 

本来、質問主意書による質問は質疑時間の少ない、あるいは貰えない少数会派の質問の機会を想定したものですが、、野党の一部(日本維新の会や新しくなった希望の党、それと一部の無所属の議員を除いた野党、要するにサヨク野党。)は政府を疲弊させることしかもはや手がないのです。

 

UFO、ニコチン濃度、ザギトワの秋田犬…官僚たちを残業で追い詰める「大量の質問主意書

以前も同様の記事を『【国会】立憲民主党・逢坂誠二議員は北朝鮮のミサイルより地球外生命体の攻撃に関心があるようです』というエントリーで書きました。ちなみに上の質問は現・立憲民主党の逢坂誠二議員によるものですが、このような質問主意書による嫌がらせが近年とみに増えたという記事がありました。

部分的に引用してご紹介します。

 

https://www.businessinsider.jp/post-168546
UFO、ニコチン濃度、ザギトワの秋田犬…官僚たちを残業で追い詰める「大量の質問主意書」これでいいのか問題

    川村力 [Business Insider Japan]
    Jun. 04, 2018, 05:10 AM Politics

■ここ何年かで提出件数が3~4倍に

(…)主意書の提出数が年々増加しているからだ。衆議院を見ると、2013年の通常国会で提出されたのは133件。その後、275件、464件、329件、438件とここ何年かで数倍に膨れ上がり、2018年も5月30日までに公開されたものだけで310件に達している。

■衆議院ではわずか3議員の質問が全体の半数を占める

実は、ここまでの会期中で衆議院に提出された310件のうち、4分の1を超える80件が、立憲民主党の逢坂誠二議員から提出されたものだ。さらに、6分の1超に当たる47件が同じく立憲民主党の初鹿明博議員から、10分の1超に当たる27件が国民民主党の山井和則議員から提出されている。この3議員の提出件数だけで154件、全体の半数を占めている。

少数の議員が大量の質問主意書を提出すること自体は、問題とまでは言えないかもしれない。しかし、3議員を除いた提出件数は5年前とほぼ同水準であることを考えると、制度の活用が活発化しているという評価には違和感がある。

また参議院では、今会期中ここまでに119件の質問主意書が提出され、立憲民主党の川田龍平議員がダントツの29件、他に同党の有田芳生議員11件牧山弘恵議員10件自由党の山本太郎議員12件無所属の小西洋之議員が14件。5議員計で76件、全体の6割超を占め、こちらもやはり少数議員の存在が際立つ。


■UFO、ニコチン濃度、固有種の馬、ザギトワの秋田犬……

(以下、逢坂誠二議員の質問のみ引用)

「秋田犬保存会によるロシア・ザギトワ選手への秋田犬贈呈に関する質問主意書」

贈呈のセレモニーにおいて、ザギトワ選手本人に直接手渡しすることは、秋田犬保存会や関係者の熱意や苦労が報われる集大成の場であり、安倍総理からではなく、マサルのブリーダーや秋田犬保存会関係者などから直接ザギトワ選手に手渡しされるべきであると考えるが、政府の見解を尋ねたい。

 

普段、国会を見ていれば、「案の定...」と思える名前ばかり並んでいます。

「国民の敵」(正しくは「あなたは国益を損ねている」)と自衛官から暴言を吐かれたと訴えた議員もいますね。

 

Kokumins_enemy

 

なお、6月1日の参院本会議で質問に立った小西議員が壇上に立つやいなや、「国民の敵」という野次が...w (動画はこちら

 

後から分かりましたが、野次の主は中野正志・日本のこころ代表でした。さすがニッコロ大魔王

konishi_tweet

 

(昨年の衆議院選挙の結果、日本のこころは政党要件を満たさなくなったので、現在は自民党と同じ会派を組んでいます。)

Nikkoro_daimaou_nakano

(画像は、ネットで拾って、良い写真なので保存しておいたもの。国会会期が終了して日本のこころに挨拶に訪れた安倍総理とのツーショット)

 

質問主意書というのは、ネットに公開されており、誰でも閲覧できます。だからこそ、NHKも最初に紹介したような記事を出したわけですが、マスコミが問題視しないのをいいことに、一部野党はこんな下らないことをやっているのです。

 

(会期を選択することで他の会期のの質問主意書の閲覧可能)

 

 

「退席」で会議を打ち切らせる嫌がらせ

今国会、GWの頃に一部野党が示し合わせて審議拒否し、18連休もとっていたことは記憶に新しいのですが、この間、与党や残りの野党は粛々と審議を進めていました。

国民民主党の玉木雄一郎代表などは、親に「そろそろ出ろ」と怒られたそうですが、彼等が復帰した時、ニュースなどでは「ようやく国会が正常化」などと報じられました。しかし、はっきり言って、この期間が一番国会が正常化していました。

委員会を成立させるためには最低限の出席人数が決まっているため、野党の18連休の間、出席する委員はトイレに立つために代理を呼んだり、お互いをカバーするために複数の委員会を掛け持ちするなど苦労していましたが、戻ってきた野党は、「審議時間が足りない」、「休んでいた審議時間を寄こせ」と言って、委員会を特別に招集させたりもしていました。

こうした“やりたい放題”を全く指摘しないマスコミにも問題があるのですが...。

 

先日はこのようなことがありました。(自民党・長尾たかし衆議院議員のブログより一部引用)

 

長尾たかしブログ 2018-06-04 08:30:35

ニヤニヤするなぁっ、何が楽しいんだっ、コラっ。 マスコミもこれを報道しろよっ

先週の厚労委でのことです。 維新を除く野党はどこまでいっても腐っているということ、与党が甘やかすので完全になめられている、委員長もナメられているという事態が起きました。 (…)

加藤厚生労働大臣が食品衛生法改正の趣旨説明を始めた途端、維新を除く全野党委員が退席したのです。(…)

野党は与党席の空席を数え、今自分たちが退席すれば定数が割れ、審議が止まる。ここで審議を止めてしまえば、大臣趣旨説明は無効となり、本会議に入る。本会議は時間変更できないから、改めての趣旨説明は土日挟んで次週となり、時間を稼げると踏んだのでしょう。 一気に退出したのでした。(…)

なんと、野党議員は委員会室の外でマスコミと雑談をしています。 とある野党理事は、後ろの傍聴席からマスコミたちと委員会室の様子を覗き込み、ニヤニヤしています。 ニヤニヤと、、、。 マスコミはその隣でカメラを回しています。 (…)

 

これを「国民の敵」と呼ばずしてなんと言う!

 

 

 

 


 

2018/06/07

【愛媛県文書】一部野党が加計学園を訪問/教職員組合の声明文

公開: 2018/06/07 15:11  最終更新: 2018/06/08 7:53  

愛媛県文書を巡って新たな動きがあったので覚え書きとして記事にしておきます。

 

まず、一部野党(国民民主党・今井雅人氏、立憲民主党・逢坂誠二氏ら)がまたテレビカメラを引き連れて加計学園に押しかけて質問状を手渡すパフォーマンスを行ったこと。

そして、加計学園の教職員組合が“愛媛県に対して、加計理事長と安倍総理が会ったという虚偽の説明をしたこと”に抗議する声明文を出したということ。

 

これらは、最近の愛媛県知事の行動とリンクしているのではないかと思われます。

 

 

 

 

現在、愛媛県文書の件は世間ではフェードアウトしつつありますが、国会では一部野党がいまだに「カケガー、モリトモガー」をやっており、加計理事長の国会招致を叫んでいます。

今国会の会期もあとわずか。国会が閉幕したら、野党は“空気”になり、政府が外交などで成果を上げれば支持率も上昇します。今のうちに失点を誘うことしか手がない状態なのですが、芸がないですね。(個人的には骨太方針=安倍政権の経済政策=の「外国人材受け入れ促進」のほうがよっぽど批判すべきだと思いますが、野党はこれは賛成なのでしょう。

今後の展開は不明ですが、現状分かっていることを書き留めておきます。

 

TBSニュース: 加計学園、野党質問状への回答を事実上拒否(5日 19時55分)

 

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3387780.htm?1528345275470

 加計学園の獣医学部新設を巡り、野党議員が加計理事長の国会招致などを求めた質問状に対し、学園側は4日、回答を事実上、拒否しました。

 

20180605_tbs01

 

 「来た回答を見ますとですね、全く説明になっておりません。ぜひ加計学園の関係者の皆さんには国会に来ていただいてですね、事実関係を説明してもらいたい」(立憲民主党 逢坂誠二 政調会長代理)

 

20180605_tbs04
 

 質問状は先月30日、立憲民主党などの野党議員が岡山市の加計学園本部を訪れ、柳瀬元総理秘書官と加計学園関係者の面会の事実関係や、野党側が求める加計理事長の国会招致への意向などを問い合わせたものです。

 

20180605_tbs02

 加計学園は4日、立憲民主党にコメントで回答し、「政党・会派への個別対応については差し控えたい」として、答えませんでした。

 

20180605_tbs03

 

立憲民主党の逢坂議員は「多くの皆さんが納得するとは思えない」と述べて、改めて加計孝太郎氏らの証人喚問が必要だとの認識を示しました。

 

【2018/06/08追記】蓮舫議員のTwitterに掲載された加計学園からの回答

 

20180607_kake_letter

 

 

朝日新聞:加計学園の大学教職員組合が声明「虚偽説明は背信行為」(2018年6月4日)

朝日の記事とほぼ同じ内容のKSB瀬戸内海放送のニュース動画と記事が見つかったので、ここではそれを引用します。なお、瀬戸内海放送は朝日系列とのこと。(リンク先はWikipedia)

 

https://www.asahi.com/articles/ASL643FRPL64PTIL009.html
加計学園の大学教職員組合が声明「虚偽説明は背信行為」

村上潤治、中川竜児 2018年6月4日19時03分 

(一部引用)

 5月末発行の組合ニュースで「教職員の地道な教育への努力を根底から台無しにする行為」「入試に深刻な影響をもたらすことが懸念される」と批判。理事長や執行部に対し、公の場で説明するよう要望書を提出したことも明らかにした。

* * *

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/ksb/region/ksb-9985
加計学園の虚偽説明問題 教職員組合「公の場で説明を」
KSB瀬戸内海放送2018年06月05日11時55分

動画: https://youtu.be/OrqeYKhvuko

 加計学園が理事長と安倍総理が面談したという、うその説明をしたと釈明した問題について、学園の教職員組合が5日、理事長らに公の場での説明を求めていたことがわかりました。

 

20180605_ksb01

 

 加計学園の教職員組合が、5月30日付で加計孝太郎理事長宛に出した要望書では、獣医学部新設に関してうその説明をしたと発表したことに対して「関係自治体や住民、国民全体への重大な背信行為だ」と指摘。

 その上で、「理事長と学園執行部による公の場での真摯な説明を、早急におこなうことを要求する」としています。

 5月31日には、学園の事務局長が愛媛県と今治市を訪問し、うその説明について謝罪しました。

 しかし、加計孝太郎理事長はいまだ公の場で説明していません。

 加計学園本部は、要望書について「現在対応を協議している」とコメントしています。

 

テキストの記事はここまですが、動画では愛媛県知事のコメントがついているので文字に起こしておきます。

 

20180605_ksb02

 

“しっかり説明された方が、法人・学園そのものの信頼に寄与するのではないだろうか。それが、ひいては安心した教育環境にも繋がるし、長い目で見て学校の信頼にも繋がってくるんじゃないかなと思ってますんで、まあ(教職員組合も)同じような気持ちではないかなあと...”

 

ニュース動画の声明文にある「岡山理科大学・倉敷芸術科学大学教職員組合」の文字から、同組合を検索してみると、HPが見つかります。(http://ouskusa-kumiai.org/)

「組合ニュースアーカイブ」をクリックするとパスワードで保護されているので、朝日は直接組合ニュースを入手したようです。

 

また、トップページを見ると、詳細は保護されていて読めませんが、下のような文字があります。

  • 保護中: 定年短縮問題第2次訴訟次回の公判(投稿日: 2016年4月2日)
  • 保護中: 関西私大教連第七回大会(投稿日: 2016年3月25日)
  • 保護中: 定年短縮による不利益の補償を求める2次訴訟が進行中&私大教連かんさい116号&情勢(投稿日: 2016年1月28日)

学園は定年短縮問題で教職員組合から訴訟を起こされているらしいことや、関西私大教連の下部組織であることが分かります。(関西私大教連: 〒542-0012 大阪府大阪市中央区谷町7丁目1番39号新谷町第二ビル102号室 /HP:https://ksfpu.jimdo.com/)

関西私大教連のサイトを見ると、『かんさい116号』は関西私大教連の会報のようで、これ自体は掲載されていませんが、他の号の名前が見られます。

それにしても、案の定というか、サイトに並んだ文字は...

  • 特別決議「核兵器禁止条約の採択を歓迎し,日本政府の消極姿勢を糾弾する決議」核兵器廃絶決議.pdf PDFファイル 90.0 KB
  • 特別決議「共謀罪(テロ等準備罪)創設に反対する決議」共謀罪反対特別決議.pdf PDFファイル [157.5 KB]

 

20180607_kansaishidaikyo02

 

「活動の紹介」のページには「<平和と民主主義を守る運動> 憲法改悪を許さず、平和・民主主義を守るための取り組みを諸団体と共闘しながらすすめています。」

 

20180607_kansaishidaikyo

 

組合活動は労働者に認められた権利であり、待遇改善などを求めて雇用側と組合を通じて交渉することは批判しません。ただ、どういう輩が入り込んでいるのかは想像できますね。

 

この教職員組合の動きは関西私大教連や朝日新聞とリンクしているのは確かでしょう。

 

 

 

 


 

2018/06/06

【国際戦略総合特区】JR東・品川-田町間の新駅とは?

JR東が品川-田町間の新駅の名前を募集するとのこと。

駅ができることは以前どこかで読み、なんでこんな短い区間に新駅を?と思った記憶がありますが、今日の産経朝刊で『山手線の新駅名を公募 JR東日本、今冬発表』という記事(記事後述)を目にして、そもそもこの再開発の目的は?とと思い調べてみました。

このエントリーの目的はこれに関する情報をまとめておくものです。

 

最初に見つけたのが日経の記事で、「国際戦略総合特区」に指定されているのだと知りました。

 

 

 

 

https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0403L_U2A100C1CR8000/
山手線の新駅構想が前進 品川-田町間  国が特区指定

2012/1/5付

20120105_nikkei  JR東日本の品川―田町駅間の新駅構想が本格的に動き出す。国が昨年、この地域にある車両基地の跡地をアジア地区の本社や研究開発拠点を目指す「国際戦略総合特区」に指定。2014年度にも新駅設置に向けた工事に着手する。JRや東京都、港区などは03年からこの地区に新駅を設置する前提で再開発計画を検討しており、今回の特区指定で事業化が大きく進展しそうだ。

 山手線の新駅は1971年に完成した西日暮里駅(東京・荒川)以来30駅目。JR東日本は上野駅を終着点とする宇都宮線など3路線を東京駅まで延伸したうえで、東海道線と直通運転する「東北縦貫線」を運行する計画だ。運行後、この地区にある車両基地が不要になるため約10ヘクタールをオフィスビルなどに転用する。

 品川―田町駅間は約2.2キロメートルと山手線内で最も長い。JR東海は隣駅の品川駅(東京・港)にリニア新駅を設置する計画で、京浜急行電鉄も羽田空港までの鉄道を運行している。国内外への利便性の高さで「都内最後の大型開発」として人気を集めそうだ。

 ただしJR東日本は東日本大震災により東北地方で不通区間を抱えており、復旧には多額の費用が必要となる。これらの復旧を急ぐとすると「14年度の新駅着工は難しい」(JR東日本幹部)との見方があり、新駅の着工年度は遅れる可能性もある。

 

国際戦略総合特区について説明する前に、官邸HPを見ると、特区としては「国家戦略特区」と「総合特区」は別立てになっており、「総合特区」の中に「国際戦略特区」と「地域活性化総合特区」があります。「(官邸HP「総合特区」、「総合特区一覧」参照)

上のサイトによると、総合特区は“産業の国際競争力の強化及び地域の活性化に関する施策を総合的かつ集中的に推進することにより、我が国の経済社会の活力の向上及び持続的発展を図る”もので、国際戦略特区は大都市に限定されたものです。

このJR品川車両基地跡地は国際戦略総合特区の一つ、「アジアヘッドクォーター特区」の一部で、下のような構成になっています。

 

Asia_headquarter01

 

ブログ主の住む川崎にも国際戦略総合特区があります。ブログ主は国家戦略特区だと勘違いしていましたが、「京浜臨海部ライフイノベーション国際戦略総合特区」(神奈川県、神奈川県横浜市、川崎市)だそうで、川崎市の特区はキングスカイフロントと名付けられています。

ちょっと話はわき道に逸れますが、「キングスカイフロント」とは多分、地名の「殿町」に由来しており、殿町は上杉憲幸の館があったことに由来しています。

閑話休題。

アジアヘッドクォーター特区の説明を以下に転記しておきます。

 

【目標】
東京が日本全体の経済成長を牽引し、アジアの拠点としての地位を維持するため、IoT、ビッグデータ、AI等の第4次産業革命関連技術を有する外国企業、資産運用業やFinTech企業といった金融活性化に資する金融系外国企業を中心に誘致するとともに、外国企業と都内・国内企業とのビジネスマッチングの活性化を通じて、経済効果を日本全体に波及させていく。

【取組概要】
東京が日本全体の経済成長を牽引し、アジアの拠点としての地位を維持するため、規制の特例措置や税制・財政・金融上の支援措置等を活用しながら、①誘致・ビジネス交流事業、②ビジネス支援事業、③生活環境整備事業、④BCPを確保したビジネス環境整備事業の4つの事業を特定国際戦略事業として位置付け、グローバル企業のアジア統括拠点と研究開発拠点の誘致に係る取組を行っていく。

 

新駅は東京五輪が開催される平成32年に暫定開業の予定だそうで、キングスカイフロントの例を出したのは、エリア名をつけて、そのエリア名にちなんだ名前をつけた方がいいと思う。あるいは駅名がエリア名になるのでもいいけれど。応募する人は「国際戦略特区」ということを意識した名前を考えて欲しい。

 

【関連記事】

https://www.sankei.com/life/news/180605/lif1806050016-n1.html
山手線の新駅名を公募 JR東日本、今冬発表

2018.6.5 15:51更新

 JR東日本は5日、山手線と京浜東北線の品川-田町間に建設している新駅(東京都港区)の駅名を公募すると発表した。同社が駅名を募集するのは初めてで、今冬にも発表する。

 30日まで、パソコンやスマートフォン、郵便はがきで受け付ける。応募数による決定でなく、全ての名称を参考にして選考するという。

 JR東によると、山手線の新駅は昭和46年開業の西日暮里駅以来で、30駅目。東京五輪・パラリンピック開催直前の平成32年春に暫定開業する。

 品川-田町間は2・2キロあり、新駅は品川駅の北900メートルの場所。駅舎は新国立競技場の設計を手掛けた建築家の隈研吾氏がデザインした。本格開業は36年の予定。

 

 

 

 

 


 

2018/06/05

【愛媛県文書】中村時広愛媛県知事「学園のコンプライアンスをクリアに」←え?

NHK BS1のニュースを見ていたら、『加計理事長は会見し説明を 愛媛県知事 首相との面会問題』という見出しで、短く切り取られた中村時広愛媛県知事の会見動画が流れていました。

webニュースには動画はありませんでしたが、下のキャプチャがテレビで流れたニュースと同じ記事です。

 

20180604_ehime

 

2018/06/03付エントリーに書きましたが、愛媛県文書で最初に朝日新聞に漏洩した『備忘録』は2015年4月13日に知事に対して報告した際のメモ(県庁内では『情報』と呼ばれるそうです)であり、このメモが配布されたのはごく一部の人間であることが判明しているのに、加計学園のコンプライアンス云々の前に愛媛県庁内のコンプライアンス、ガバナンスはどうなっているのでしょうか。

 

以下、記事全文です。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180604/k10011464561000.html
加計理事長は会見し説明を 愛媛県知事 首相との面会問題

6月4日 19時39分

加計学園の獣医学部新設をめぐり、学園の渡邉事務局長は先月31日、愛媛県庁を訪れ、県の内部文書に書かれていた安倍総理大臣と理事長の面会は自分が実際にはなかったものを持ち出したとして謝罪しました。

愛媛県の中村知事は4日、県庁で記者団の取材に対して「学園のコンプライアンスをクリアにすることが学園の信頼につながる。この問題をクリアしないとガバナンスの問題になるので真摯(しんし)に対応してほしい」と指摘しました。

そのうえで、学園側に対して、加計理事長が記者会見を開いて一連の経緯を説明することや、獣医学部の設置認可が妥当なのか、文部科学省に確認するよう求めたことを明らかにしました。

また、愛媛県が学園側に対して支出する補助金については「この段階でそ上に乗せる考えはない」と述べて、学園側の対応を見守る考えを示しました。

 

 

 

 

 


 

【財務省文書改竄問題】NHKのひどい印象操作『首相「私や妻が関係していたら議員辞める」のあと記録廃棄』【森友問題】

公開: 2018/06/05 06:49  最終更新: 2018/06/06 7:01  

昨日(2018/06/04)に麻生財務大臣、財務省による記者会見が行われました。

財務省の出席者は大田理財局長、矢野官房長、伊藤秘書課長で、報告書の説明を行ったのは伊藤氏です。

 

財務省の記者会見に引き続いて行われた報道機関との質疑応答では、なんとか安倍総理の昨年2月17日の総理答弁をきっかけとして文書の改ざんが行われたとしたい報道陣が、財務省がいくら否定しても繰り返し繰り返し同じことを質問していました。その結果話はループして、4時くらいから始まった会見が終わったのは8時過ぎでした。

そして、NHKもこのような印象操作の記事。(記事全文は後述)

 

20180604_nhk

 

 

 

 

確かに順序として、首相が「私や妻が関係していたら議員辞める」という国会答弁(2017年2月17日)のあとに記録を破棄したのは間違っていません。しかし、これがきっかけというわけではないことを財務省は記者会見で繰り返し述べていました。

 

ここで、ポイントとなる重要な時系列を先に提示しておきます。

 

2017年2月8日 朝日新聞が8.2億円の値引きをスクープ

2017年2月10日 財務省が野党に対し経緯説明の文書を作成・提出…「学園側から地下埋設物が平成27年8月26日にあった」との記述

2017年2月14日 財務省が野党に対し再び経緯書を提出…上記記述を「新たなごみ」と書き換え=平成28年3月11日に見つかったゴミにすり替え

2017年2月15日 佐川理財局長国会答弁(森友問題発覚後初めての参考人招致)→議事録

2017年2月17日 安倍総理の国会での答弁「私や妻が関わっていたら~」→財務省は森友関連文書を確認。総理夫人や谷氏の記述は問題ないことを認識。しかし、政治家の照会に関する記述が数多くあることを知り、その取り扱いを協議する。

2017年2月21日 民主党議員団が近畿財務局に押しかける→国会議員の関与を追求される→(決裁文書の開示請求に備え)本庁より近畿財務局に国会議員の照会などの記述のリスト化を命じる→改ざん開始

 

これを見れば分かるように、まず問題視されたのは8.2億円の値引きであり、財務省が隠したかったのはその理由です。つまり、地中にゴミがあることを隠して籠池氏に土地を売ろうとし、それがバレて脅された結果値引きしたということです。だから、既に2月10~14日の段階でゴミが見つかった時期をごまかそうとしています。

 

20180412_moritomo_mainichi

 

2月9日に報道されて決裁文書等の精査に入っており、14日以前には何を隠さなくてはならないかが財務省の中では分かってたと思われます。

 

安倍総理は自分も妻も値引きに介入していないので、そのとおり答えたまでですが、財務省は決裁文書をチェックし、ひとまず問題ないことを確認します。しかし、直接交渉にあたっていた近畿財務局が事細かな文書(応接録)を作成しており、そこに何人かの政治家からの照会も記述されていることが庁内で問題視されます。

これが決裁文書の改ざんに繋がるわけですが、この辺りのことは財務省が昨日公開した調査報告書に書かれてます。(下記資料は財務省HPに掲示→『決裁文書の改ざん等に関する調査報告書について』…PDFにて公開)

 

20180604_mof_report_P15_2

 

上は「(2) 政治家関係者との応接録の廃棄等の経緯」(P.14)という見出しの元に書かれた説明ですが、2月17日の総理答弁で関係書類を確認したとあり、総理夫人や谷氏の照会は問題ないと結論づけています。

 

マスコミは、“首相答弁がきっかけで書類を確認したじゃないか。忖度したのでは?”と何度も質問していましたが、自白を強要しているようなものです。

決裁文書を精査するきっかけにはなったかも知れませんが(多分、それ以前に精査に入っていたとは思いますが)、その結果見つかったのは、これが明るみに出ると野党から更に厳しい追及がありそうな政治家の名前です。

文書改竄を始める直接のきっかけは2月21日の国会議員団の訪問だと伊藤秘書官も言っています。

記者会見の動画(52m3s~)をご覧下さい。

 

文書改ざんで財務省が調査結果を発表(2018年6月4日)

THE PAGE(ザ・ページ)

 

ここで記者から「(決裁文書の改ざんの)一番最初の行為はどれにあたるのか?」という質問が出て、伊藤秘書課長が以下のような回答をしています。

 

20180604_page01

 

「昨年の2月21日に国会議員団が現地視察に来られて、近畿財務局で厳しい質問をされていかれた。(その後)何日からというのは特定は難しいが、まず意識したのが政治家の関係の『応接録』。色々質問されたりしているな、ということで、そこから問題意識が出た。応接録からスタートして、『特例承認決裁』の経緯の中に含まれていたので、そのうち問題になるなと認識し、そこから書き換えを始めた。」

 

つまり、改ざんの直接のきっかけ、直近の出来事が何かと問われれば、首相の答弁ではなく、民主党議員による近畿財務局の訪問なのです。

この2月21日の国会議員団の訪問はニュース動画にもなっています。

 

「十分な答え得られず」 国有地問題、民進議員団聴き取り

KyodoNews
2017/02/21 に公開
大阪府豊中市の国有地が、学校法人「森友学園」(大阪市淀川区)に評価額の14%の値段で売却された問題で、民進党の国会議員による「追及チーム」が21日、現地を視察し、売却に関わった近畿財務局と大阪航空局などの担当者から大阪市内で聴き取りをした。その後、記者会見した。

 

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NHK 『首相「私や妻が関係していたら議員辞める」のあと記録廃棄』(6月4日 20時26分)

ここまで読んで戴いたら、この記事のタイトルがいかにひどい印象操作か理解できると思います。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180604/k10011464571000.html

森友学園をめぐる決裁文書の改ざん問題で、財務省が公表した調査報告書には、去年2月17日に安倍総理大臣が国会で「私や妻が関係していたら総理大臣も国会議員も辞める」と答弁したあと、政治家の問い合わせに関する記録の廃棄が進められていったことが記されています。

 

昭恵氏の名前入った書類あるか確認

それによりますと、安倍総理大臣の答弁のあと、理財局の総務課長が国有財産審理室長や近畿財務局の管財部長に対し、安倍総理大臣夫人の昭恵氏の名前が入った書類があるか確認を進めたということです。

その結果、総理大臣夫人付きの職員から理財局に照会があった際の記録が確認され、近畿財務局からは、そのほかの政治家の関係者からの問い合わせの記録について相談があったとしています。

これらを踏まえて総務課長は、政治家の関係者による問い合わせについてリストの作成を指示し、その内容を佐川前理財局長に報告しました。
佐川氏は、交渉記録の保存は1年未満という「文書管理のルールに従って適切に行われるものである」という考えを示したということです。

総務課長は、佐川氏に記録を廃棄するよう指示されたと受け止めて、国有財産審理室長や近畿財務局にそうした内容を伝え、記録の廃棄が進められたとしています。

一方、森友学園との交渉記録をめぐって佐川氏は去年2月24日に国会で「交渉記録はなく、面会などの記録も残っていない」と答弁しますが、理財局の総務課長などは、この答弁までは実際には記録が残っていると認識していたとしています。

佐川氏は実際に記録が残っているかどうかを確認しないまま、文書管理のルールどおりに廃棄されているはずだと認識していたということです。

さらに佐川氏はこの答弁のあと総務課長に対し、答弁を踏まえて文書管理の徹底について念押ししたということで、これによって総務課長は、残っている記録があれば適切に廃棄するよう指示されたと受け止めた、としています。

そして総務課長は、文書管理を徹底すべき、として近畿財務局や財務省の国有財産審理室に伝え、それぞれの部署で交渉記録の廃棄が進められたということです。

 

更にひどいのが朝日の記者会見速報。

 

20180604_asahi

 

もうね、笑っちゃうでしょう?

途中で石破茂氏のコメントをとったらしく、速報なので会見が進むにつれタイトルも替え、今は『【詳報文書改ざん】「理財局長が方向性」 麻生氏は続投』というタイトルになっていますが、16時台~17時台はずっとこのタイトルだったのです。(URL: https://www.asahi.com/articles/ASL6436HFL64UEHF003.html)

 

【追記】麻生大臣や財務省記者会見を動画で観るのは大変なので産経の詳報を読まれるといいと思います。(ブログ主は、リアルタイムで観ていて、途中から話がループしだし、(4)くらいで脱落しました。)

 

会見詳報(1)「私のリーダーシップの下、信頼回復に努める」麻生氏、閣僚給与12カ月返納

会見詳報(2)首相や政治家への“忖度”「そういう事実はなかった」矢野官房長

会見詳報(3)佐川氏の指示「あったと言って構わない」伊藤秘書課長

会見詳報(4)「役に立つ人と書いて役人。人徳なき学識は社会罪」矢野官房長、ガンジーの名言引用、官僚論展開

会見詳報(5)太田理財局長「佐川氏の答弁は反省点はあるが、理財局で判断」

会見詳報(6)「佐川氏からこれ以上聞かせてもらうことは考えていない」矢野官房長

会見詳報(7・完)4時間半続き、終わったのは8時過ぎ…「包み隠さず調べたが、内部調査に限界も」

 

 

 

 

 


 

2018/06/03

【愛媛県文書】最初に流出した「備忘録」の13(日)が手書きのわけを考察

公開: 2018/06/03 17:42  最終更新: 2018/06/03 17:55(カテゴリ「加計学園問題(愛媛県文書)」を新設。過去の記事も修正予定)    

ブログ主は農水省で見つかったという4月3日付の備忘録の日付欄を見落としていたのですが、「3」の文字はワープロ文字です。(画像はKSL Live『速報!「首相案件メモ」農水省では文章が違う!朝日新聞とは日付や改行の位置が異なっていることも判明』より引用)

 

Bibouroku_ksl

一方、最初に朝日が報じた備忘録の日付欄は「13」が手書きです。

 

Twitterで情報を寄せて下さる方-ブログ主は実際の愛媛県庁の方とほぼ確信しているのですが-とのやりとりで知ったことから、この点を考えてみました。以下は、その情報が正しいという前提での考察だとご了承ください。

 

 

 

 

まず、県庁内のルールから。

下にやり取りしたTweetの一部を貼っています。

中村時広知事は個人メモとか個人用の備忘録と言い続けていますが、あれは庁内では『情報』と呼ばれる連絡メモのようなもので、了承されたら正式に日付を記入するそうです。上長(局長レベル以上)の了解を得たあとは「○/○ 知事了」のように誰に報告したかも記入して紙で保管するものなのだそうです。

また、日付のルールは16時を過ぎると翌日の日付(平日)を記入するルールのようです。

 

 

Twitter02

 

Twitter01

 

 

以上を前提としたうえで、

 

4月13日に知事に対して報告を行われた際、その資料として紙が配られたことは知事も認めています。(→『【愛媛県文書】朝日に流出した『備忘録』の日付(4月13日)は知事が報告を受けた日』)

そしてルール通りなら、知事が了解した後にオリジナル(電子ファイル)の『情報』には正式に「4/13 知事了」などと記入され、印刷されたものが物理的なファイル(2穴バインダーとか)に綴じられることになります。

つまり、「13」が手書きの『情報』は一時的に存在していただけで、それを受け取った人間は知事への報告会に参加していたごく限られた範囲です。

「4/13 知事了」と書かれた紙ならバインダーに近づける人間ならコピーを取ることが可能ですが、手書きのものは、言ってみれば“レアもの”なのです。

知事が「口頭での説明」の資料だと、やたらと“口頭”を強調するのはこのためだと思われます。

 

また、5月21日に公開された文書(以下、愛媛県新文書)のうち、復命書以外は「日」が未記入のもので、「個人メモ」として提出されました。

本来なら、日が書き込まれた紙の文書が存在し、地域政策課内にあるバインダーに綴じられているはずです。

しかし、それを出してしまうと意思決定の経緯が明らかになり、また、今まで「個人メモ」と呼んでいたことの整合性がとれなくなります。

だから、愛媛県新文書には、わざわざサーバ内の電子ファイルの印刷を命じ、「個人メモ」を装っているのでしょう。

 

こうしてみると、財務省の決裁文書書き換えと部分的に構図が似ています。

改ざんしたと言われる文書は直接の決裁文書ではなく、その別添という扱いで、そこには籠池氏の強引な交渉の様子とか、籠池氏が言ったこと(昭恵夫人の発言等)も近畿財務局の職員は事細かに書き記し、なんとかあの異常な交渉の過程を伝えようとしていました。

“備忘録”を書いた職員も、柳瀬氏の藤原氏評(「彼は多少強引なところもあり、軋轢を生じている点もあるが突破力がある」)など、どうでもいいことを書いていますが、これも藤原次長が味方に付いてくれたことで、ほぼ落選が決まっている第26次構造改革特区とは異なり、国家戦略特区では希望があるということを上司に伝えようと書き留めたのでしょう。(個人的には、こんな事は紙に残さず、口で伝えればいいと思いますが。)

 

財務省文書は上司(本庁)が公文書の改ざんを命じることで政局化し、結果、本庁の職員が減給などの責任を取らされましたが、愛媛県知事は、本来は行政文書であるはずの文書を「個人メモ」と偽って職員一人に責任を負わせて政局に利用しているというのが違いです。

愛媛県新文書と呼ばれる文書ではこの職員の名前を黒塗りにせず公開しました。これも知事が了解しているはずです。

幸い、安倍政権を攻撃できればいいだけのマスコミはこの職員を追求しませんが、場合によっては命を絶たれた近畿財務局の職員になっていたかもしれません。

 

 

以前のエントリーで5月10日の柳瀬秘書官参考人招致の国会にて立憲民主党の蓮舫議員が5月21日に公開された文書を事前に見たとしか思えない質疑をしたと書きました。

この時の蓮舫議員もそうですが、枝野幸男代表といい、立憲民主党は中村時広知事の参考人招致を強く主張しています。

 

○蓮舫君 決定権者は安倍総理、決めてほしい人は腹心の友の加計理事長。この二人が疑われることのないようにするのが首相秘書官の仕事なのに、むしろ、つないでいる疑いがやっぱりまだ濃厚です。
 委員長、今日の柳瀬さんの発言の正当性を確認するために、愛媛県、今治市、それぞれ黒塗りされて出したものも含めて全ての面会記録、全てをこの国会に黒塗りをなくして出してもらいたいという要望と、中村愛媛県知事にこちらに参考人で来てもらいたいと要望します。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/196/0014/19605100014017a.html

 

知事も参考人として招致されたがっているような発言を度々しています。

普通に考えたら、知事は直接の当事者ではないし、職員からの又聞きの情報しか知らないくせに、何を証言するんだろうと考えますが...

 

以下はご参考まで。

 

Wikipediaより

枝野幸男: >1993年、日本新党の候補者公募に合格。当時初の公募による候補者として第40回衆議院議員総選挙に旧埼玉5区から日本新党公認で立候補する[2]。

中村時広: >のちに日本新党に参加して1993年の第40回衆議院議員総選挙で日本新党公認で旧愛媛1区から立候補する。

 

 

 

 


 

岡山県早島の謎の看板『沖縄独立まで あと1106.12km』

岡山県早島に現れた謎の看板。

 

Okayama01

 

意味は不明だが、この地点から那覇空港までの直線距離に該当するという。

看板自体は貸し看板のようなもので、電光掲示板になっている。誰かが借りてやっているのだろう。

 

 

 

 

ある時、「沖縄独立まで あと1106.12km」から画像に映像が変わった。。

 

Okayama02

 

もう一枚。

 

Okayama03

 

画像を逆さにすると...

 

Okayama05

 

何かの示威行動ではあると思う。

ただ、ある意味追い詰められているのだとも言える。

 

なお、この件は国益を考える国会議員には連絡済み。

 

おまけ。

 

 

内外情勢の回顧と展望(平成30年1月)の公表について

 

久々に公安調査庁のHPを見たら、『内外情勢の回顧と展望』が更新されていた。(平成30年1月)

 

 

 

 


 

【ドールハウス工作】 No.377 マーガレットのミニチュア

前回ご紹介したドールハウス の小物の一つ、コーヒーテーブルの上に置いたマーガレットです。

 

Marguerite01

 

このような花びらが沢山ある菊のような花の作り方はよくドールハウス本には紹介されているのですが、初めて作ってみました。

 

 

 

 

作り方を簡単にご紹介すると、

 

  1. 紙巻きワイヤーの先端にしずく型(逆しずく型とでも言うのかな?)の粘土を付け、ハサミで上から十字に切り込みを入れる。
  2. 4分割された粘土を更に3つに切り込みを入れて、粘土用の細工棒で広げていく。

 

という方法ですが、等分に分けるのは結構難しかったです。

大きさは、硬化すると8割くらいに縮むことを考慮して実物の1/10のサイズに作れば、最終的に1/12スケールになります。

 

葉は100均などで手に入る造花の葉を利用しています。

 

花瓶はこちらのミニチュアガラス瓶を利用しました。

 

 

ブログ主が購入した時は450円くらいだったのですが、今見たら少し値上がりしています。(確かこのショップは中国から郵便で送られてくるので3週間くらい掛かった記憶があります。)

中にUVレジンを入れ、花や葉をバランス良く挿して¹時間ほど放置すればレジンは硬化します。

 

下に敷いたドイリーはこんなものを利用しました。

 

Marguerite02

 

何という名前か分かりませんが、手芸店で量り売りしているリボンと同じコーナーに見つけました。

各色10cmだけ所望したら、お店の人がちゃんと切りのいいところでカットしてくれたので、それぞれ5枚分のドイリーが買えました。

 

 

 

 


 

2018/06/02

朝鮮総督府が建てた韓国・慶北大学校の建物を「中国人が建てた」...

最近見た動画の覚え書きです。

 

チャンネル桜
【Front Japan 桜】医療から見た朝鮮半島の甘えの歴史 / 無益な大盤振る舞いの愚-戦後日本の対外援助 / メディアの煽りが民主政治を壊す~森友文書で佐川氏ら不起訴[桜H30/6/1]

キャスター:上島嘉郎・銀谷翠

 

 

 

 

この番組中で精神科医の銀谷翠先生が説明するのは、医療史から見る日本とコリアの関係で、日本統治時代にいかに彼の地で公衆衛生の発達に寄与したか、という話です。

資料として提示していたのは『日本の精神医療史』(金川英雄著)です。

 

現在の韓国で最初に設立された病院も明治9年(1876年)に外務大丞・宮本小一(みやもとしょういち)の提唱によって釜山に創られた済生院という病院だそうです。

また、朝鮮総督府(1910年~)によって、大邱(てぐ)に建てられた大邱道立病院は、その後、慶北大学病院(kyungpook national university)に発展しましたが、当時の建物は現存しており、エントランスホールかなにかとして利用されているそうです。

 

20180601_korea02

 

こちらは画像検索の結果からキャプチャした画像。

 

20180601_korea03

 

観光サイトから見つけた内部のものらしい画像。シンプルながら美しいですね。

 

20180601_korea04  

 

なぜ番組の中でこれが紹介されたかというと、現在、この建物のことを日本人観光客に「腕のいい中国人が建てた」と説明されているのだそうです。

 

そこまでして歴史を捏造する執念には驚かされます。

ちなみに病院のHPで歴史のページを見てみましたが、

 

http://en.knu.ac.kr/~eng/intro/about01_011.htm

1969.03 Graduate School of Education established

 

と、1969年(昭和44年)からの歴史しか記載されていませんでした。

 

キャスターの上島氏も仰っていますが、「日本が~してやった」と殊更に恩着せがましい言い方する必要もなく、韓国人の「くやしい」気持ちは、これは感情の問題なので議論してもしかたがありません。

しかし、慰安婦の問題や“日本がコリアを搾取した”(創氏改名=×名前を奪った/○日本風の名前をつけることを許した、×日本語を押しつけた/○ハングルも許されていた、etc.)という一方的な嘘には毅然とした態度を取るべきというのには同感です。

 

以前もブログに書いたことがありますが、1980年代のプロパガンダは「強制連行」、「創氏改名」がキーワードでした。(「従軍慰安婦」なる言葉は1990年以降の造語) これは、高校時代に授業をそっちのけで「朝鮮問題」と称した授業を行っていた教師の記憶からです。(ちなみに、1年だけ在校期間が被っている作家の島田雅彦氏も多分この教師の授業を受けていると、以前書きました。)

 

下は、銀谷氏が示したフリップですが、統治時代に韓国で行われた医師の試験は朝鮮語で行われたという意味です。

 

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2018/06/01

【愛媛県知事】せめて「フォント中村」という恥ずかしい渾名はやめてさしあげようw

これはTwitterを通じて戴いた愛媛県の庁内文書らしきもの。(少なくともどこかの県庁文書らしい)

 

20180601_font_nakamura01

 

このように強調のために一部をゴシックにする習慣のある自治体はあるようです。

 

念のため、検索してみましたが、愛媛県内に「総合政策課政策推進グループ」というセクションはあるようです。

 

20180601_font_nakamura02

 

 

むしろ、これで却って愛媛県職員の『備忘録』は庁内のルールに則った、極めて“公文書”ライク(“公文書”チック)なものであるとなったのではないでしょうか。

 

 

せめて武士の情けで「フォント中村」という渾名はやめてさしあげろw

 

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【愛媛県文書】4月3日付の『備忘録』が農水省で見つかったわけを推理

Twitterを使うようになって、今まで1人でコツコツとやっていたソースの発掘が捗ります。

愛媛県職員は2015年4月2日の日帰り出張だったのに何故農水省に4月3日付の『備忘録』があるのかがずっと謎でした。

しかし、Twitterでこれのヒントになるような東京新聞の記事を教えていただきました。ありがとうございます。

 

まず、以下に記事全文を提示します。

 

 

 

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201804/CK2018041602000126.html

「加計」愛媛県文書 農水省が提出求める 柳瀬氏面会情報を把握

2018年4月16日 朝刊

20180416_tokyo_2  学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部開設を巡り、農林水産省で見つかった愛媛県職員作成による柳瀬唯夫首相秘書官(当時)らとの面会を記した文書は、県が農水省の要請で、二〇一五年四月の面会直後に同省へ提出したものだったことが政府関係者への取材で分かった。柳瀬氏らと面会する情報をつかんだ農水省から「どんなやり取りがあったのかを至急確認したい」と連絡があったという。

 農水省は当時、獣医学部の開設に慎重で、政府関係者は「農水省が県に面会記録の提出を求めたのは、学部開設を進めようとする官邸側や学園などの動向を探るためだった」と証言している。県の担当者が国への提出文書に虚偽を書く可能性は考えにくく、内容の信ぴょう性が高まった。

 柳瀬氏は「記憶の限りでは会っていない」と面会を否定している。

 農水省で見つかった文書は、県や今治市、学園の幹部らが柳瀬氏や藤原豊・内閣府地方創生推進室次長(当時)と面会した翌日の一五年四月三日付となっている。県職員が作成し、直後に同省に提出した。

 四月三日付の文書は面会直後に作成し、十三日付の文書は知事報告のために一部内容を補ったもので、ほぼ同じ内容になっている。中村時広知事はこれまでに、二つの文書とも県が作成したと認めている。

 二つの文書には、柳瀬氏の「本件は首相案件」「国家戦略特区の方が勢いがある」などの発言や、藤原氏の「総理官邸から聞いている」「かなりチャンスがあると思ってよい」という助言などが記してあった。

 農水省は「文書を受け取った当時の職員から引き継いだ後任者が個人用ファイルに保管していた。入手経路は分からない」と説明している。中村知事は、文書が文部科学省、農水省、内閣府に渡った可能性を会見で述べたが、農水省以外では見つかっていない。

 文科省は面会前の一五年三月、首相官邸からの連絡で、県幹部らの来訪を事前に把握したことが本紙の取材で明らかになっている

 面会当時、国は獣医師が増えすぎないように獣医大学・学部の新設を規制しており、学部新設には獣医師が不足しているかどうかが焦点の一つだった。獣医師の育成や確保に関わる農水省は「獣医師は足りている」と主張していた。

 

読んでいて思わず吹き出してしまいましたよ。

 

「当時農水省は~だった」と尤もらしく書いていますが、これは全て「政府関係者」からの伝聞。農水省には取材していません。

そして、その政府関係者とは記事の下の方を読むと分かります。

 

ワーキンググループ議事録を読んでいる方には周知のことですが、「獣医学部新設(正確には申請)の解禁」に反対しているのは文科省で、農水省は、国家試験の基準を満たした学生を合格にするだけと、学部の数が増えることには取り立てて反対していません。

告示案が「広域的に~」と、新潟、今治、京都の3者を対象にしていた時に、なんとか1校分だけという理由がつけられないかとワーキンググループ委員の原英司氏に泣きついたのも文科省。(リンク先は該当記事) そして、原委員が農水省に聞きに行ってあげると(確か、動画の中で「ボクって親切でしょう?」とか言ってました)、農水省は「分からない」とけんもほろろ。

復命書を読むと、4月2日の出張では柳瀬氏との面談後に文科省に行きますが専門教育課の担当者が不在で会えませんでした。

当然、文科省はこの日にどんな話がなされたのか知りたがりますよね?

 

農水省も関心が無いことはないでしょうが、多分、積極的に会談内容を知りたがったのは文科省のはずです。

前回のエントリーに転記したTwitterの情報が正しいなら、Faxか何かで文科省に送付する前に上長に許可を取り、内容が一旦確定したのが4月3日で「3」という日付を書き込んで文科省に送付したのでしょう。

その際に農水省にもFaxしたのか、文科省専門教育課の職員が渡したのかは分かりませんが、これはたいして重要ではありません。

 

よく子供が言う、「ママ~、○○ちゃんがお菓子欲しいんだって~」、母「あんたが食べたいんでしょ!w」というのと同じです。

 

 

 

 


 

【愛媛県文書】朝日に流出した『備忘録』の日付(4月13日)は知事が報告を受けた日

前回のエントリーで2015年4月13日に知事に対する報告会があったとしたら...」と書きましたが、愛媛県が知事への報告がその日にあった(らしい)ということを公表していました。

これで、最後の文が内部向けに説明するような表現である説明が付きました。

 

https://www.pref.ehime.jp/governor/teirei/sonota300413.html

更新日:2018年4月16日
農林水産省による総理官邸訪問関連文書の公表に係る知事共同取材(4月13日)の要旨について

日時:平成30年4月13日(金曜日)
13時40分~13時57分
場所:知事会議室

 

 

 

 

このページは1枚の画像として保存しましたが、巨大なので、以下に該当部分だけトリミングして提示します。

 

20180413_01

 

職員が自分のPC、あるいはサーバ上に保存している『備忘録』を報告のためにプリントして、知事を含むその場の出席者に配布した可能性を示唆しています。

一方、知事はこれまでの何度かの会見で「口頭での報告」を強調しています。

紙は受け取ってないというアピールです。

 

前回のエントリーに追加した情報(Twitterでの情報)を寄せてくれた方がブログ主宛に以下のような情報を下さいました。

 

返信先: @Daishi_hundredさん

日付記載のルールもありまして(笑)、原則特別職等に説明のため持ち込んだ「情報」の担当者手持ち分に、了解を得た日付を「手書き」で書き入れて、それを原本として紙で保存するのが普通の取り扱いです。
遡った日付は、通常あり得ません。

15:19 - 2018年5月31日

 

「情報」と括弧書きなのは、このような報告書の庁内での通称だからです。(以前のTweetで説明してくださったこと)

 

匿名の情報なので鵜呑みにしてはいけませんが、これが事実だとすると、職員の作成するメモ(「情報」)が極めて公式の文書のような体裁(書式)をしている理由が分かります。また、日付が「27.4」のように月までしか書いていないことの理由も。

原本を紙で保存しているのなら、これはもう公文書でしょう。

 

ここまで知事の説明や事実を整理すると、

  • 流出した備忘録は4月13日に知事に報告した時の資料
  • 知事は口頭で説明を受けた
  • 「職員を守るため」と言いつつ、5月21日公開した文書の復命書は職員の名前を黒塗りしない
 
これで職員を守っていると言えるのでしょうか?

 

『農林水産省による総理官邸訪問関連文書の公表に係る知事共同取材(4月13日)の要旨について』全文

 

(NHK(幹事社))

 今朝、農林水産省の方から県が作成したとされる文書が見つかったということで公表されたが、これについて、愛媛県の認識と知事の所感はどうか。



(知事)

 国の調査は、どのようにやるかは分かりませんので、自分がどうのこうのという意見はないんですけれども、しっかりと隅々まで国が調査をするということが行われた結果として出てきたんだろうなと思いますけれども、正直言って、私どもは備忘録として扱っていましたから、県には保存していないんですけれども、それぞれ機関によって、どういう文書の扱いにしているのかは異なりますので、それがあったいきさつについて、ルールについては、私は分かりません。



(NHK(幹事社))

 農林水産省の方で公開されている文書について、これは県の文書という認識は。



(知事)

 実は、農水省の方で今回保管されていた文書については、取り寄せることができまして、前回の新聞、マスコミで出ていた文書と比較をしてみました。若干違いがありまして、日付、それから、大まかな内容を見るとですね、1番と2番に分かれていまして、1番につきましては、会議の中での発言の主旨、2番はそれを受けて担当者がここをどういうふうに考えたいかというふうな方針の項目になっています。

 まず、日付につきましては、担当者の方に確認しましたところ、今回出てきた4月3日という日付については、会議の直後にメモした日付だろうということでございます。で、13日については、私への報告の直前に用意した文書という違いがございましたので、会議直後のものと、私への報告直前のものという違いで日付が異なっているということでありました。

 中身については、1番については、誤字と文書の中での「てにをは」になりますけれども、1字削減1文字修正だったかな。ですから、記録については文字修正だけですから、中身は全く変わっていない同じものでありました。

 2番の担当者の今後の方針の考え方については、4月3日の時点では、協力しながらというふうに書かれていましたけれど、私への報告の直前には、予算面での配慮もしなければいけないだろうということで、そこが付け加わって、私への報告の備忘録になっているということでありました。



(NHK(幹事社))

 あらためて、国会の論戦の中では、愛媛県と国で、どちらが正しいんだというような議論もされている中で、こう二つの文書が出てくるということは、県の文書の信ぴょう性をあらためて裏付けるようなことになったのではないかと思うが、そのあたりの受け止めはどうか。



(知事)

 いやそれは、本当に、それぞれの機関が正直に話をすればいいだけの話で、どちらが正しいとかいう議論に置かれているとは、自分たちは思っていませんので。愛媛県として一生懸命仕事をした備忘録であるということだけは間違いないというふうに思っています。



(フジテレビ)

 再度の確認だが、備忘録と説明された文書は、愛媛県の行政公文書という位置付けで捉えてよいのか。



(知事)

 いや違います。あくまでも備忘録です。



(フジテレビ)

 その違いは何か。



(知事)

 この辺は、一昨日も申し上げたんですけれども、線引きってものすごく難しいんですね。愛媛県の場合は、長年にわたりまして、結論というものが明確な会議等については、しっかりとした文書として残していますけれども、今回の会議というのは何か決まったわけでもない、いろんな会議に出ていますから、そういった時には、全てではないんですが口頭報告で、こんな中身の議論がありましたというような報告がなされることがあります。

 そういう時に、担当者は、ほとんど口頭なんですけれど、担当者の方で口頭の報告をするためにメモを書くというふうなことは常にあります。



(フジテレビ)

 報告文書という位置付けになるのか。



(知事)

 いえ違います。備忘録です。



(南海放送)

 4月13日付け文書の方が、最後の部分が、ちょっと詳しく書かれているようだが、このあたりはどういった経緯で詳しく書かれているのか。



(知事)

 そうですね、やはり関係者と協力して誘致に向けて頑張ろうというふうな思いが、これは一貫しているんですけれども、ご覧になってお分かりのとおり、最初の4月3日の文書には予算面の記述が無いので、そういったところも、担当者としては、今後予算の問題も出てくるので、私への報告の時には、ちゃんとそこら辺も話した方がいいのではないかという判断で加わったように聞いています。



(南海放送)

 先日も少し話があったが、4月3日の文書、4月13日の文書、それぞれどのあたりの省庁にいっているのか。



(知事)

 これは分かりません。特に4月3日付けの文書というのは、直後の文書ですから、私自身も見ていないと思います。報告の時ですから、私がもし見ていたとするならば13日の方の文書ですから。3年間の間に異動もあったり退職された方もいらっしゃるので、これ別に悪いことでも何でもないですから、どういう形で渡ったのかっていうのは、やれる限り調査はしますけれども、今の段階ではちょっと分からないですね。はい。



(南海放送)

 一応、両方とも、2種類とも国に渡ってるわけだが。



(知事)

 ひょっとしたらですね。分からないですよ、でも可能性としてあるならば、直後の文書ということになると、担当者かなという感じがしますね。で、13日以降になると担当者ないし私が、説明の時に使った可能性があるということになろうかと思います。



(読売新聞)

 確認になるが、では知事が報告を受けたのは、4月13日以降なので、14日とか15日とか、その辺、日付は。



(知事)

 えっと、じゃあ後で調べて正確な、間違ってはいけないので。今、担当いないかな。分かんない秘書課、何日の報告か。



(担当者)

 ちょっと確認します。



(知事)

 確認して、それはマスコミの皆さんに周知してください。



 ※本日午後、確認の結果、「4月13日に報告したと思われる」ことを報道機関に公表済。



(読売新聞)

 今回の4月3日付けの文書が使われたというのは、その報告をする前に配られたという認識で。



(知事)

 そうですね。そこは誰が見たか、誰が誰に渡したかというのは、ちょっと今の段階では分からないんですけれど、そういうことですね。



(読売新聞)

 じゃあ、3日から13日の間に配られたと。



(知事)

 そこは分からないですね。そのまま持って、例えば県庁だけでなくて東京にも人がいますから。そういったことを考えると、いつというのはちょっと分かりにくいですね。



(読売新聞)

 13日以降の可能性もあると。



(知事)

 あります。



(読売新聞)

 職員がおそらく渡しに行ったと。



(知事)

 そういう可能性があるのではないかということです。



(南海放送)

 今回、農水省、国側から文書が出たことを受けて、柳瀬さんが、あらためて面会したことを否定しているが、そのことについての所感は。



(知事)

 それは相手先が正直に言えばいいことだとしか言えないですね。



(朝日新聞)

 安倍首相は、柳瀬さんのことを信頼していると答弁しているが、この点については。



(知事)

 それは、それぞれの立場だと思います。



(読売新聞)

 確認だが、4月3日付けの文書も13日付けの文書も、県の同じ職員が作成をしたと。



(知事)

 そうです。



(読売新聞)

 で、4月3日付けのものは、備忘録として作っていて、それを知事への報告用に更新をしたと。



(知事)

 そうです、備忘録を更新したものです。



(読売新聞)

 更新して、13日付けの文書ができているという理解でよいか。



(知事)

 そうです。ただし1番については誤字の修正だけですから。



(読売新聞)

 もちろん。だから更新というのは、2番の部分については、知事への報告用に更新されたと。



(知事)

 そうですね。もうちょっと予算の面も触れておいた方がいいなと、予算折衝もありますから。そういう気持ちでそこを足したということです。



(読売新聞)

 いずれにしても県の文書であると。



(知事)

 県の備忘録です。



(南海放送)

 あらためて、こういう文書は、陳情とか説明の際に、中央官庁と共有することもあり得るということか。



(知事)

 今回は、特に熱意を伝えることが大事ということもありましたので、それぞれの省庁にもまたがる案件ですから、こんな状況に国の方でもなっているようなので、よろしくお願いしますということで使ったということになろうかと思います。



(フジテレビ)

 備忘録は、行政公文書に当たらないという説明だが、それはそうすると情報開示請求で、請求はできない文書に当たると。



(知事)

 無いんです。愛媛県には無いんです。ですから開示請求されても無いものは出せないですから、そうとしか言いようがない。なぜならば、メモというのは、記者会見でも申し上げましたけれど、個人個人でいつ廃棄するかは分からないんですよね。私もいっぱいメモ持ってます。すぐ捨てちゃうときもあれば、1カ月くらい自分の机の上に置きっ放しのときもあれば、それぞれですから。保管義務というのは無いので、担当者それぞれの裁量に委ねています。



(フジテレビ)

 じゃあ、報道を受けて確認したらあったので、まあ。



(知事)

 いや、無いんですよ。



(フジテレビ)

 文書そのものは、あったわけだが。



(知事)

 文書そのものが、愛媛県の中には無いんですよ。



(南海放送)

 あらためて、表現は悪いかも知れないが、国と知事と、どちらかが嘘をついているのではないかみたいな論調になってしまっていることについての受け止めは。



(知事)

 そういう論調になるのは、ちょっと心外なんですけれども。ずっと言い続けてきたように、愛媛県は愛媛県の職員の行動、言動、発言等については、全部オープンにしてきていますから、それはそれぞれの機関が同じようにやれば良いというふうに考えていますから、ただそれだけのことなので。

 どちらが嘘をっていう次元での話ではなくて、我々は、本当に誤解していただきたくないんですけれども、本当に長年にわたっての要請というものを、今治市の悲願というものを実現するために、本当に岩盤規制が崩れて実現したということで、歓迎しているということは、ぜひ忘れていただきたくないと思っています。



(愛媛新聞)

 農水省から入手した文書を、備忘録を、作成した職員に見せて確認したということか。



(知事)

 はい、そうです。



(愛媛新聞)

 国家戦略特区は公募が前提だと思うが、文書の最後に、県としては国家戦略特区の申請のために、提案書について今治市の意向を踏まえて加計学園とも協議しながらとあって、加計学園の名前も出ているわけだが、そのあたりはどのように。



(知事)

 愛媛県の立場は、加戸前知事の時代から、加計学園と相談しながら、18年以降、そもそも加計学園から獣医学部設置の思いがあるということで始まったと聞いていますので、加戸前知事の言葉を借りるならば、愛媛県の場合、今治の場合ですね、加計学園で応募するというふうなところから、一貫して、スタートしてやっていますので、我々の側からすれば違和感はないんですけれども。



(読売新聞)

 今回、県側の方で、この4月頃に農林水産省の方に職員が説明しに行ったという記録であったり、職員が覚えていたりというのは。



(知事)

 これは、まだ分からないです。今、どうだろうかということは可能な限り聞いてはいるんですけれど、さっき申し上げたとおり、退職された方もいらっしゃるし、あるいは他の団体との人事交流なんかもありますので、どこまで聞けるかはちょっと分からないですね。



(読売新聞)

 県職員の誰が、農水省のどの部署の誰にいつ頃渡したというのは、今の段階では。



(知事)

 今のところは分からないです。



(読売新聞)

 今朝、農水省の方が、県の内部資料のようなものを、そのまま持って来るのはどうなのかというふうな発言をしたそうだが、そのことについての所感は。



(知事)

 そうですね。それはこちらの熱意というものを伝えるためにというふうなこで、逆に言えば熱意によって決まるというふうなこともありましたのでね。そういう中で、説明の時に置いてきてしまったのかなと思いますけれども、それはそれだったら(受け取った方で)廃棄されるということも選択肢として先方さんにもあるのではないかなと思いますけれど。それは機関によって扱いが違いますので、ちょっと分からないですね。



(読売新聞)

 そうした文書を持っていくこと自体は、通常よくあることか。



(知事)

 そうですね、私なんかも、説明に行くときは、こういうふうなことなんでといって自分が書いたメモを見せる時もありますよ。



(読売新聞)

 今回、農水省で見つかった文書を取り寄せたとのことだが、愛媛県に元々パソコンで作って、今は消えていると思うが、データとして消えてしまった分を、あらためて復元するという考えは。



(知事)

 今はまだ各ファイルとかを調べている段階ですから、でも何か悪いことしているのならば別ですけれど、出てきたものを、これは間違いないと言っていて、今の段階では、そこまで考えていないですけれど。それをこちらが否定しているとかだったら別ですけど。



(共同通信)

 公文書の線引きの話になるが、今回、あらためて正式に省庁の方から備忘録が出てきたということで、省庁の方にも渡るような文書というのが、公文書に当たらなくていいのかという疑念の声もあると思うが。



(知事)

 そうですね、これは一昨日の記者会見でも申し上げたんですけれども、そういったことも含めて、文書の保護、保全、保管に関する条例というのをきちんと考えておく必要があるかなと思います。いい機会なので。はっきり言って、いくら議論しても、ここまでがという100パーセント正しい答えは無いと思うんですが、可能な限り知恵を絞ってみたいなと思います。



(南海放送)

 繰り返しになるが、安倍総理が、愛媛県の職員と会ってないと言っている柳瀬さんを信じるということで、一方で新しい文書も出てきたわけだが、愛媛県としてはどういう受け止めを。



(知事)

 それは国で調査された上で、しっかりと対応していただけたらと思っています。



(フジテレビ)

 水掛け論がこのまま続くような状態になって、県の職員に国会への招致を求めるような事態になった場合、どのように対応するのか。



(知事)

 何でそこまでいくのかはよく分からないですけれど、私は職員に精神的なプレッシャーをかけるのはどうかなと思いますから、私がちゃんと職員に話を聞いて、全て矢面に立つというふうに申し上げているので、職員が証人喚問というのは、何か疑惑でもあるのであれば別ですけれども、本当に一生懸命仕事をしているだけですから、それはちょっと行き過ぎではないかなと思いますけれど。



(フジテレビ)

 仮に招致がかかるようになった場合には、知事が表に立つと。



(知事)

 そうですね、いつでも。ただし、これは野党の政治的なパフォーマンスに付き合うつもりは全くないですから。それはもう国全体でということになったら、当然。今は、記者会見の中身しか言うことは無いですけれども、いつでも説明というのは、できると思います。

 

 

 

 


 

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