【北朝鮮拉致】5分で分かる拉致問題の経緯【ニュース女子(2018/06/18)】
公開: 2018/06/19 12:45 最終更新: 2018/06/19 13:32
2018/06/18放送のニュース女子の『【ライブ配信 6/18(月)】『ニュース女子』 #166(米朝首脳会談・拉致問題・政界)』では北朝鮮による拉致事件を振り返っていました。
現在、拉致問題については「学園浸透スパイ事件」と共にこちらのエントリーに時系列にまとめつつありますが、拉致問題だけの流れを把握するためにこのエントリーではブログ主の補足も加えつつ、テキストでまとめておきます。
『ニュース女子』 #166(米朝首脳会談・拉致問題・政界)
①「米朝首脳会談」
②「拉致問題、解決の足を引っ張ったのは誰なのか?」
③「政界の忘れてはいけない問題」
MC:上念司(経済評論家)
西川史子(医師)
筆坂秀世(政治評論家)
藤井厳喜(国際問題アナリスト)
ケント・ギルバート(カリフォルニア州弁護士)
須田慎一郎(経済ジャーナリスト)
井上和彦(軍事ジャーナリスト)
阿比留瑠比(産経新聞社政治部編集委員)
杉原杏璃(タレント)
吉木りさ(タレント)
眞鍋由佳
五十嵐麻里恵ツイッターにupされた動画はこちら: https://twitter.com/chidiremen11/status/1008733411928727552
1978年、日本海沿岸から相次いでカップルが姿を消した。(但し、後に判明するが、1963年に能登半島沖で遭難したとされる寺越武志さんが、それから24年後に北朝鮮で生存していることが判明。「北朝鮮に救助された」と本人は言っている。)
1980年1月7日、産経新聞(当時はサンケイ新聞)の阿部雅美記者による記事が初めて「外国情報機関の関与」を疑う記事が掲載されるも、当時は虚報とされていた。そのため、この記事を目にしたのは産経の読者のみ。国民の多くは知らされなかった。
個々の事件は地方紙には掲載されていたが、行方不明者に失踪する動機も見当たらず、ゴム製の猿ぐつわなど、遺留品が国産のものとは思えない粗悪な製品であった。
1987年の大韓航空機爆破事件により、拉致被害者の存在が浮かび上がったにも関わらず、救出しようという機運は生まれなかった。
当初は、韓国による自作自演説も流れていた。最もこの説を主張したのが社会党。
1988年、国会で梶山静六国家公安委員長による、初めて「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」という貴重な答弁があった。
この答弁を引き出したのが共産党の橋本敦参議院議員。
元共産党幹部の筆坂秀世(政治評論家)によると、80年代頃は北朝鮮や朝鮮総連と共産党は断絶していた。それは、金日成思想を日本の共産党にも押しつけようとしことに反発してのものだった。
なお、橋下議員の秘書であった兵本氏は拉致問題に奔走。その後の家族会の設立に阿部記者や朝日放送プロデューサーの石高健次らと共に一役買った。
梶山答弁を報じたのは産経新聞と日経新聞だけ。産経や日経ですら小さなベタ記事で、世間の知るところとはならなかった。
その後、1997年に産経新聞が横田めぐみさん拉致事件を実名で報道するが、行方不明になってから既に20年が経過していた。
梶山答弁と同年の1988年、ヨーロッパで拉致された石岡亨さんからの手紙が家族の元に届く。
家族は藁にもすがるつもりで北朝鮮との繋がりがある土井たか子氏に陳情するも、けんもほろろに「拉致など無い」と言われる。「拉致問題は政府の陰謀」との発言も。
のちに、2002年の小泉総理大臣訪朝で金正日が拉致を認め、実態が明らかになると「私も騙されていた」と発言。しかし、その後も拉致創作説の論文を党のホームページに掲載していた。
更に、1989年、韓国政府に逮捕されていた政治犯の釈放を求める嘆願書を、土井たか子氏、菅直人氏等が中心となって当時の盧泰愚大統領に提出。
この政治犯とはもっぱら在日朝鮮人の韓国留学生による「学園浸透スパイ団事件の首謀者」とされた徐勝・徐俊植兄弟の救援であったが、この中に1980年に原敕晁(はらただあき)さんを拉致した辛光洙(シンガンス)容疑者も含まれていた。
辛光洙容疑者は元々「立山富蔵」と名乗っていた在日朝鮮人で、1985年にソウル特別市内で韓国当局に逮捕→死刑判決→無期懲役に減刑→1989年7月 日本の議員により釈放嘆願→1999年12月31日、金大中大統領によるミレニアム恩赦で釈放、北朝鮮に送還。
辛光洙は国戻って英雄と称えられる。
のちにこのことを当時の安倍晋三官房副長官は「極めて間抜け」と評する。
2001年、金正男氏が密入国で入国管理局に拘束されるも...
超法規的措置により、送還してしまい、みすみす、外交カードを逃してしまった。
この措置に反対する議員も少なくなかったが、ここまで見てきて分かるように、社会党だけでなく永田町には親北の議員が跋扈していた。
阿比留瑠衣氏談: 社会党はほんとにひどかった。(拉致問題に関しては)警察の捜査を邪魔しようともした。しかし社会党だけでなく、自民党にも親北の議員、野中広務や河野洋平など、が大勢いた。
拉致問題が大きく進展するのは2002年の小泉総理大臣訪朝による初の日朝首脳会談。
金正日総書記が拉致を認めるも、特殊機関の一部が暴走してやったこととした。
2002年10月15日、拉致被害者5人が帰国。この中には政府が認定していない曽我ひとみさん(特定失踪者)も含まれていた。
この時の申し合わせは「一時帰国」。政府は返さなかったが、一部マスコミは北朝鮮に返すべきと批判。
番組では取り上げなかったが、2004年5月に小泉首相が再訪朝。これにより、地村さん、蓮池さんご夫妻の子供が帰国、曽我ひとみさんの夫、ジェンキンスさんも日本へ。
未だに12名の被害者が帰らず。拉致の可能性を排除できない事案は883名に上る。
拉致問題を語る時、当時の日本の社会情勢も知らないと理解できません。
慰安婦問題などなかった頃ですが、民主化が遅れた韓国や地上の楽園とまで言われた北朝鮮に対する日本人の意識、それを形成したのは知識人や岩波、朝日といったマスコミや言論界です。また、北朝鮮との国交正常化に前のめりになっていた外務省、etc. そうしたことは前述の時系列記事にまとめ中ですが、今回のニュース女子のVTRは大まかな流れがよく分かる良企画だと思います。
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コメント
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【ブログ主】
moriyuh様
コメント、ありがとうございました。
社会党・社民党系が北朝鮮と近いのは確かですが、政権の座についている期間の長い自民党の罪も重いですね。
投稿: 大師小ブログ主 | 2018/09/27 06:04
北朝鮮日本人拉致問題は一般的に知られている横田めぐみさん・田口八重子さん・市川修一さん拉致事件等の多くは福田赳夫元総理〜鈴木善幸元総理・中曽根康弘元総理の時に勃発していて、当時は警察庁長官が無能だったり、故金丸信元副総裁や故加藤紘一さん等憲法9条を擁護する自民党左派勢力や故土井たか子さん率いる日本社会党が猛威を奮っている時代でした。その後、憲法9条長期化に加えて、金丸信元副総裁による北朝鮮訪朝・川砂利支援、土井たか子委員長の北朝鮮擁護、野中広務元官房長官・河野洋平元外相らのコメ支援・加藤紘一さんの北朝鮮擁護政策・野中広務元官房長官による野中院政、村山富市元総理の北朝鮮擁護政策等の影響で安倍総理率いる今の日本政府は拉致被害者の救出は出来ずに、拉致被害者の年老いた両親・年上の兄弟姉妹の訃報待ちに繋がったと思います。
投稿: moriyuh | 2018/09/26 22:16