【沖縄】『屈辱の日』という言葉を知っていますか?-沖縄と本土を分断工作者の造語-
近年、沖縄における分断工作をネット番組等で注視をしているのですが、本土では知らない、4月28日になると沖縄で使われる言葉があります。
それは『屈辱の日』。
これについて説明された動画(チャンネル桜『沖縄の声』-動画については後日)を観て、まとめておこうと思ったのですが、色々調べている内に深みにはまってしまい、とても1回のエントリーでは書き切れなさそうなので、今回は『屈辱の日』という言葉が、どういう意味、あるいは文脈で使われるのかのみ書くことにします。
まずは、ネットの『コトバンク』に書かれていた説明を提示します。
屈辱の日
朝日新聞掲載「キーワード」の解説太平洋戦争で敗れ、米国などの連合国の占領下に置かれた日本は、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約により主権を回復し、独立した。しかし、沖縄では72年に本土復帰するまで米国の統治が続き、基本的人権などを定めた日本国憲法が適用されなかった。このため日本と切り離されたという思いから、この日は沖縄で「屈辱の日」とも言われる。
(2018-04-27 朝日新聞 朝刊 1社会)
出典は朝日新聞のようですが、朝日新聞をとっているとこの日にこの言葉を目にするのでしょうか。
沖縄では、4月28日が近づくとこのような記事↓がでます。
次に、琉球新報の記事を引用しますが、この言葉が使われ始めたきっかけが分かります。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-268569.html
きょう「4・28」 沖縄「屈辱の日」を知ってますか?2016年4月28日 05:04 琉球新報
1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効してから28日で64年となった。敗戦後、連合国軍の占領下にあった日本は条約発効で独立を果たしたが、沖縄や奄美は日本から切り離された。沖縄が日本復帰するまで米施政権下にあった27年間、本土から沖縄へ基地が移転。日本国憲法が適用されず、人権が蹂躙(じゅうりん)された。過重な基地負担など現在の沖縄差別の源流ともなったこの日は「屈辱の日」と呼ばれる。
日本政府は52年7月、米国民政府との連絡を担う那覇日本政府南方連絡事務所(南連)を設置したが、沖縄の住民を「琉球住民」と定義し、沖縄在住で日本本土の国籍を持つ「日本人」とは区別していた。南連の沖縄政策は、「日本人」は保護の対象だが「琉球住民」は対象外としており、識者は「沖縄差別の源流ではないか」と指摘している。2013年4月28日には、安倍晋三首相が主権回復の日式典を催し、沖縄からは強い反発の声が上がった。
28日午後6時15分から、沖縄平和運動センターが県民集会とデモ行進を県庁前で開く。
第2パラグラフに出てくる『南方連絡事務所(南連)』というのはWikipediaの説明によると「アメリカ施政権下の沖縄に設けられた日本政府の機関」で、当初は「渡航事務や文化交流など在外公館的」役割を果たし、1968年以降、「米国民政府との協議」窓口となっていたようで、現在は「沖縄総合事務局」として内閣府の内部部局の地方支分部局となっています。
「沖縄差別の源流」かどうかはかなりこじつけのような気がしますが、少なくともそういうことを言う“識者”はいるようです。
「主権回復の日」というのは、記事に書かれているように、2013年、第2次安倍内閣の元で、サンフランシスコ講和条約(=対日講和条約…第二次世界大戦の終結と国交回復について日本と連合国との間に結ばれた条約。1951年9月サン‐フランシスコで調印、翌年4月28日発効、占領が終結。)の発効を記念して制定されたものですが、いわゆる「記念日」としてカレンダーに記載されるような日ではありません。
要するに、「主権回復の日」に対する言葉として「屈辱の日」を使い始めたようです。
琉球新報、あるいは一部の沖縄の方が言いたいのは、“沖縄が切り離された状態”で主権回復と喜ぶな、と言いたいのでしょう。この感情は分からないでもありませんが、政府としては反日の基地反対派(「基地反対派」全部ではない)につけいる隙を与えてしまった、という感じでしょうか。
いずれにしても、沖縄のサヨクメディアの常套句、「沖縄は捨て石にされた」、「本土から見捨てられた」に、まことに都合のいい言葉であるのですが、実際は、一部が使うだけで、それほど浸透しているわけではないとのこと。
実際、サンフランシスコ講和条約発効の際の沖縄のメディアはどうだったのかというと、祝賀ムードだったそうです。
サンフランシスコ講和条約の意義として分かりやすい具体例をご紹介します。
敗戦後、日本製品に付けられた「made in occupied Japan」から「occupied」の文字が外れた日でした。
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