世論(せろん)と輿論(よろん)、西部邁氏の定義
以前、ブログ主も「世論」と「輿論」を自分なりの言葉でまとめたことがあるのですが、先日観たチャンネル桜の『Front Japan桜』で西部邁氏の説明が紹介されていたので、ブログ主の覚え書きとして記事にしてきます。
【Front Japan 桜】ファシズムに道を開くのは誰か / また中国系企業か?年金機構の業務委託 / 日米首脳会談 / 情報開示すべきでない公文書の見極め[桜H30/4/18]
キャスター:上島嘉郎、saya
- https://youtu.be/ggmuzlT5bpE (該当箇所は36分あたり~)
前回も書いたのですが、『輿』は御神輿(おみこし)の『輿』で『与』の正字。「みんなが力をそろえる様、みんなの」という意味です。『与』は「くみする、力を合わせる、仲間になる」と言う意味で、「与(くみ)する」という言葉は「賛成して仲間となる。味方する。」という意味です。従って、「よろん」を書き換えるとすれば『与論』と書くのが正しいそうです。(『漢字源』より)
かつては「世論」と「輿論」を区別してつかっていたようです。
その後、「輿」が常用漢字外となって、「世論」で代用することになり、その区別も意識されなくなってしまいましたが、区別するために「輿論」の意味では「よろん」と読み、そうでない場合は「せろん」と読まれます。
キャスターの上島氏が紹介したのは氏が月刊正論の編集長をしていたときに西部邁氏が書いた世論と輿論の定義です。
『世論』と『輿論』
『世論』(せろん)…大衆社会において「世間で流行している暫時の意見」
『輿論』(よろん)…歴史という伝統を運搬する「車の輿(台)にいる庶民の常識的な判断」
「世論」については、新聞社などが調査する内閣支持率とか政党支持率といったような、一時的な意見と考えれば理解できます。意見というより、一時の感情に近いのかも知れません。
番組では続けてもう少し西部氏の言葉を引用します。
大衆の「世論」というのは政策の数値や期限や段取り(=公約、マニフェスト)を吟味せず、問われて良いの悪いのと答える。(大衆が)“大口を叩く”こと。
庶民の「輿論」は政治家に対する人物判断については大きく的を外さず、政策については議会の審議にひとまず任せる。そうした良識を手放さないという意味で庶民の公共性は強いと言ってよい。
だが、その庶民が大衆に変じ、金銭と教育を手にして社会の前面に出てきたあげくに、「世論」によって議会を左右したり、倒壊させたりしている。
その動きを統括しているのはもちろんマスコミである。
輿論が“大衆の「世論」”と相対するものと考えれば、輿論という“神輿の担ぎ手”である我々庶民が意見を述べるためには、政策を吟味したり、問題の本質を見極めたりといった判断力や理性が求められるのだと思います。
ここまでをブログの下書きに書いていたまま、上島氏の次の放送がありました。上の西部氏の言葉の「その動きを統括しているのはもちろんマスコミである」の一つの例が示されています。
【Front Japan 桜】国民の懲罰感情を利用する確信犯たち / 日本を「発達障害大国」にしたのは誰か?[桜H30/4/25]
キャスター:上島嘉郎・銀谷翠
- https://youtu.be/K94ecD7R9gE (最初から)
「国民の懲罰感情を利用する確信犯たち」の「確信犯」(正しくは“確信犯的”)とはマスコミであり野党のことですが、例えば麻生大臣の35万円のスーツ。
マスコミはこれを殊更に騒ぎ立てることで大衆の嫉妬をかき立て、懲罰感情を煽ろうとしているのだと上島氏は言います。
そう言えば、以前、麻生氏がカップラーメンの値段を知らないとかホテルのバーに通っていることで大衆の嫉妬心を煽りました。これがある程度成功したので、二匹目のドジョウを狙ったのでしょう。
この裏には、マスコミの人間の「ほら、おまえら、貧乏でしょう?こんなスーツ変えないでしょう?」という上から目線というか選民意識も見え隠れしています。
ブログ主は朝日新聞のweb版でユーザ登録をしているので、1日に1~2回、メールでヘッドラインが送られてきます。(ユーザ登録をすれば、1日に1本くらいは有料記事が読めるのかと思ったのですが、そうでもないようなので、アクセスすることはないのですが。)
それをざっと眺めると、やたらに“弱者に寄り添った風”の記事が多いのです。ルサンチマン(※)を多く作り出すのが彼らの手口だとよく分かります。
※ルサンチマン【ressentiment(フランス)】
(1)ニーチェの用語。弱者が強者に対する憎悪や復讐心を鬱積させていること。奴隷道徳の源泉であるとされる。→君主道徳。
(2)一般に、怨恨・憎悪・嫉妬などの感情が反復され内攻して心に積もっている状態。
広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店
一方で、庶民の側はどうでしょうか。
“金銭と教育を手にして社会の前面に出て”、“大衆に変じ”た庶民とは、スマホを手にして力を持った(と勘違いしている)庶民にも当てはまらないでしょうか。
SNSやブログの発信者にはきちんとソースを示してくれる人も確かにいます。しかし同時に、烏合の衆が、その時の感情に任せて気に入らない相手を罵るツィートも多く目にします。
一人の政治家のツィートを炎上させて勝ったような気になっているかもしれませんが、相手は“確信犯”なのです。無意味とは言いませんが、あくまでも政治に多少関心があるものだけの盛り上がりと理解すべきです。スマホやPCを手にしていても、世の中には野党6党が国会をサボっていることなど全く知らずに、例えばタレントの不倫とか不祥事だけに関心がある人達もいます。残念ながら、彼らも有権者なのです。
ネットの中でピーチクパーチクさえずる(tweet)だけでなく、もう一歩行動をしませんか?
さて、上島氏の最近の動画ではスイスの『民間防衛』が紹介されていました。ふらっと書店に寄った際に書店の端末で検索したら1冊だけ在庫があったので買ってみました。
この本は1969年にスイス政府が発行して国民に配布した冊子の翻訳ですが、当のスイスでは配布はこの一度だけにも関わらず、日本ではロングセラーとなっている本です。
次回、この本について少しご紹介したいと思います。
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