【書籍】『徐勝-「英雄」にされた北朝鮮のスパイ 金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち-』 No.2
前回エントリーの続きです。
著者、張明秀氏とはどのような人物か
張明秀(ちゃん・みょんす)氏の略歴をカバーの袖から引用します。(一部ブログ主の注釈追加)
1934年(昭和9年)、朝鮮慶尚北道義城郡に生まれ、39年に母に連れられて来日。53年(昭和28年)に朝鮮総聯(以下朝鮮総連と表記)の活動家として、主に在日同胞の帰国事業に携わる。(1953年~75年)
在日朝鮮人の帰国事業における帰還船(画像はWikimediaより直接表示)
77年(昭和52年)から83年(昭和58年)まで総連新潟本部副委員長を務めるが、88年(昭和63年)総連を批判し、一切の役職から離れる。丸一年、帰国者と共和国の真実を追究するルポ「裏切られた楽土」(講談社)を著す。現在(ブログ主註:1994年出版当時)、共和国帰国者問題対策協議会を結成、活動中。著書に「38度線突破!」(宝島社)がある。
* * * *
上に書いたように、張氏は総連で在日朝鮮人の帰国事業に携わっていたのですが、帰国した約10万人の同胞の多くがその後行方不明になっているのに気づきます。
責任を感じて88年頃から行方不明者の追跡調査を始めますが、当然、妨害、つまり、脅迫や監視が行われ、90年4月末に朝日新聞の宮田という記者から電話が入り、会う約束をしますが、結局現れず、5月14日の『朝鮮新報』に張氏を批判する記事が載ります。そこで、朝日新聞社に出向き宮田記者を問い詰めると「総連から張氏は南の手先だ」と聞いて電話をかけたと白状したそうです。
ここで重要なのは総連の手先となって動く記者が朝日の中にいることです。本の中でも朝日新聞の活動については岩波書店と共にページをかなり割いています。
この頃著者は、徐勝氏をスパイとして送り込んだ大阪本部の活動家が北に召喚されて行方不明になったことを耳にします。それ以来、徐兄弟について調べ始めました。
そして、最初は「救う回」の人達は総連に騙された善意の人達だと思っていたのが誤りだと気づきます。それは、北の工作員である長兄の存在を隠していること、徐勝氏の入北を隠そうとすること(隠しきれなくなると言い訳をするようになる)などから「純粋な良心からの運動がこのような情報操作を行うだろうか?」と疑問を持つのです。
著者はこの本を書くにあたり丹念に裁判記録や国内外の新聞記事、「救う会」などの印刷物を調べており、日付と記事名も書かれていて推測の部分はかなり少ないので信憑性は高いと言えます。
この本が連載されていた当時(『宝島30』93年(平成5年)7月号~)や出版された1994年当時の一般の評価や反響はよくわかりませんが、ある意味、現在の方がここに書かれていることは真実みを持って受け止められるのでないでしょうか。
北朝鮮や中国の脅威を前にして、永田町では他国の代弁者としか思えない議員、国会の停滞のみを目的にしているような一部野党、倒閣プロパガンダに明け暮れるメディア、そして、教育界や言論界の重要なポジションに入り込んでいる活動家、等々。
状況は全く同じです。
また、名指しで書かれた東大教授や岩波書店の安江社長は連載中、訴えると脅してきたそうです。言論で闘おうと応じても、それには乗らず、訴えると言うだけで、その後トーンダウンしてしまったそうで、高圧的ですが議論を避けるというのも小川榮太郞氏を訴えた朝日新聞に通じるものがあります。
この項の最後に書いておくと、徐勝氏は1994年(平成6年)4月から立命館大学の非常勤講師として教壇に立っていたそうですが、そのいきさつは不明です。ただ、「立命館大学は最近(執筆当時)も北朝鮮に代表団を送ったほど北と親密だと評判の大学」と書かれていました。
前回、この「学園浸透スパイ事件」は北の対南工作の一つと書きました。別の言い方をすると、反韓国の一大キャンペーンでした。また、その中では「学園浸透スパイ事件」そのものは取るに足らない事件だとも書きました。
次回は、当時の時代的背景を知るために、言論界(岩波、朝日新聞)や政党(主に社会党)の動きを、もう少し幅広い時間的流れに沿ってまとめてみたいと思います。
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