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2018/04/09

『学園浸透スパイ事件』とその時代 No.2 岩波書店の罪/「進歩的」知識人はなぜ北に傾倒したのか

公開: 2018/04/09 17:06  最終更新: 2018/04/11 11:21

『学園浸透スパイ事件』が起きた1971年は韓国が朴正煕大領の軍事政権下でした。そのため、韓国国内では民主化を求める運動が盛んでした。

 

ここでもう一度学園浸透スパイ事件と徐勝氏について振り返ると、

朝鮮総連にオルグされた在日朝鮮人(ここでは朝鮮半島にルーツを持つという意味)が韓国に留学し、1971年(昭和46年)に20名ほどの学生がスパイ容疑で逮捕されました。その内の一人が徐勝氏(4月逮捕)で、第1審で死刑判決を受けるも、無期懲役に減刑され、1990年、金大中大統領によるミレニアム恩赦で釈放され、弟の俊植氏はそれに先立つ1988年に釈放されています。

徐勝氏は獄中で無実の、しかし思想犯であると主張し続け、マスコミを通じ、韓国政府の暴虐を宣伝します。

彼を支えたのは日本の『徐君兄弟を救う会』(以下『救う会』)を中心とする日本の知識人、『徐君兄弟を守る学友の会』、アムネスティ日本支部、日本キリスト教協議会、それとマスメディアでした。メディアの一つ、朝日新聞については、前回のエントリーに書きましたが、その論調は「北朝鮮は豊かな素晴らしい国、韓国政府は軍が支配する民主化の遅れた国」であり、スパイ事件は北の仕業とする韓国政府のでっち上げ、南北統一を妨げているのは韓国政府、というもので、朝日新聞はこの論調に沿った記事を発信し続けます。つまり、北朝鮮の代弁者です。

 

 

 

 

韓国の民主化運動と連動する反韓活動

著者の 張明秀氏は朴政権に反対する「民主化運動」は北の工作の隠れ蓑、救援運動も反韓プロパガンダが目的と述べています。

 

朴大統領を批判する在外韓国人団体・韓民統(韓国民主回復統一促進国民会議)は当時、日本に亡命していた金大中氏を議長に担ぎ上げて旗揚げしたものですが、実は北の偽装団体であることを、KCIA(韓国中央情報部)に自首したメンバーが告白しています。(P.84)

 

なぜ、日本の「進歩的」知識人が社会主義や北朝鮮に傾倒していったのか

日本に住む在日朝鮮人がこのような活動をするのはまだ理解できることですが、では、なぜ、日本の知識人がこの運動に共鳴し、参加していたのでしょうか。

 

『救う会』(代表:山田昭次教授、東海林務牧師)の指導的言論者の一人として和田春樹東大教授(ロシア革命史)がいます。度々集会で講演し、岩波書店の月刊誌『世界』では金正日を称賛する記事をしばしば寄せていました。

北にルーツを持つ在日朝鮮人である著者は、彼のような日本人に対し、「過去の被支配民族である朝鮮人を憐れみ、施しを与える『進歩的』な支配民族としての優越感が見え隠れする」(P.221)と述べています。

俗な言葉で言うと、“上から目線”というものでしょうか。また、以下のように分析しています。

 

彼らの北朝鮮、韓国、日本に関する論理は、「北朝鮮を生んだ朝鮮戦争はアメリカの帝国主義に対する民族抵抗」→「戦後も日本を支配している軍国主義者と韓国政府はつるんで南北を分断している」→「だから、日本人としては韓国政府を批判する義務がある」(P.123)

 

なお、後の、と言っても、本書が雑誌に連載されていたさなかの1993年に「金日成こそがソ連帝国主義の傀儡として朝鮮戦争を起こして民族を分断した」という機密文書をロシアが公開し、その要旨が朝日新聞(6月28日付)に掲載されますが、その解説を皮肉にも和田春樹が書いているそうです。

さすがに、事実を渋々認めるような内容であった、と著者は感想を述べ、そして、「冷戦構造が崩壊し、共産主義への幻想も消え去った現在、北を理想として全てを犠牲にしてきた総連活動家」の苦悩を見ています。(P124)

 

著者はまた、日本の知識人や言論界の、社会主義や北朝鮮へ偏向していったプロセスを以下のように説明しています。(P145)

 

敗戦後、反動から社会主義に対する憧憬が社会一般に広がる。特に知識人には 社会主義でなければ「反動」とする風潮→ソ連や中国への憧憬、連帯→しかし、ソ 連の帝国主義やスターリニズム、中国の文化大革命の実態が明らかに→社会主 義の理想が北朝鮮やユーゴスラビアに向かう。特に北はソ連・中国の大国主義に 屈しない自主的立場を守り抜いたという幻想(著者もこの認識で北への帰国事業に 従事していた)→日本のマスコミや知識人の中の“日帝時代の罪悪感”も手伝った。

 

既に書いたように、著者自身は帰還事業で多くの同胞を北に送り返した立場であり、帰国後に多くの帰国者が行方不明になったり処刑されている事実から金親子の暴虐の実態を知り、自分の責任感から総連を抜けて帰国者問題に取り組 んでいます。

 

岩波書店の罪(雑誌『世界』と安江良介社長)

第6章の見出しは『岩波書店の安江社長は金日成の太鼓持ち』というものです。

朝日新聞と並んで、日本人の特に知識人の韓国観を形成するのに、岩波書店の安江良介社長と彼が編集長時代(1972-88)の月刊誌『世界』は大きな役割を果たしました。

特に彼が編集長時代、『世界』に15年間(1973-88)連載されていた『韓国からの通信』(筆者は「K・T生」と匿名)は一貫して「韓国政権の正統性を否定し、北朝鮮のテロを隠蔽するもの」でした。

 

実は、この本が書かれた当時はこのK・T生が誰かは分かりませんでしたが、2003年に池明観(じ・みょんくわん)という人物が自分がK・T生であると告白しました。連載終了から15年後のことで、報道したのは7月26日付朝日新聞です。(※)

彼は北朝鮮出身で、プロフィールによると、1972年に来日後、大学で客員教授などとして教鞭を執っていました。

そのことが分からなかった執筆当時は、著者は安江良介氏がK・T生だと推理しています。この『韓国からの通信』は韓国国内でもメディアに注目されており、著者だけでなく、韓国でもK・T生探しが始まります。韓国の新聞『中央日報』の東京特派員・崔喆周(ちぇ・ちょるじゅ)記者が調査を始め、実際に安江社長にインタビューを行います。韓国の雑誌『月刊中央』に崔氏が書いた記事によるとKCIAも調査に乗り出したそうです。

しかし、K・T生探しが始まった88年3月に『韓国からの通信』は突如連載を終了します。

安江氏は1972年から91年の間、北朝鮮を5度訪問し、金日成主席のインタビューも何度も『世界』掲載する他、韓国政府を罵倒する『韓国からの通信』を発信し続けます。

安江氏自身都知事への出馬も噂されるほどだったそうですが、実際に政治家との接点も多く、美濃部亮吉東京都知事の誕生後、報道担当特別秘書に任命されています。『世界』に初めて金日成の会見が掲載されたときの聞き手も美濃部都知事でした。(1972年2月号)会見は平壌で行われました。

 

『韓国からの通信』最終回(88年3月)に話を戻すと、この前年〔1987年(昭和58年)11月29日〕、北朝鮮による大韓航空機爆破事件が起こりました。

最終回ではこの事件に言及しています。

金賢姫(きむ・ひょんひ)は既に記者会見で犯行を自白していましたが、『韓国からの通信』では「密室で仕組まれた発表をどうして信じられよう」、「(この事件は)韓日米が協力したようにも見える」と陰謀論を唱えています。

 

なお、安江社長が金日成に送った手紙は北朝鮮の妙香山にある「国際親善友好展示会所」という博物館に展示されている(当時)そうです。

 

※池明観氏について

T・K生について、何か分からないかと調べたら、Wikipediaに『池明観』というエントリーを見つけました。更に「池明観 T・K生」で検索すると、2003年7月26日付朝日新聞に池明観という人物がT・K生であるという告白をしたという記事が掲載されていたことが分かりました。

 

正確な日付は不明ですが、2003年7~8月頃のブログ記事で、その箇所だけ引用させて戴くと、

http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2003/tk.html

連載終了から15年、「T・K生」が名乗りをあげた、と報道したのは7月26日付朝日新聞であった。

 

と、あります。

また、2015年08月11日(火曜日)付朝日新聞朝刊2面に『(ひと)池明観さん 韓国の軍政弾圧を告発した「T・K生」、日本で最後の講演』という記事が掲載されていたのが分かりました。

この記事に言及した2015年8月13日付のブログにこの記事の一部を引用したらしい文があるので引用します。

 

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20150813/p2

……1973~88年、月刊誌「世界」に連載され、軍政の弾圧を告発した「韓国からの通信」。12年前、筆者「T・K生」は自分だと明かした。東京女子大教授で民主化運動に携わっていた。連載のもとになった手記や資料は、日本のキリスト教関係者らの協力で、韓国から極秘に届けられた。

 そんな記憶が日韓双方で忘れられていると危機感を持ち、講演を引き受けた。「次世代のために」と自己批判もした。「あれは闘いの書。事実を誇張し、民主化勢力を美化し過ぎた。後輩が研究し批判するなら、喜んで受け入れる」

 

以下は、池明観氏が実名で著した本の紹介や著者プロフィールをAmazonより引用します。上に紹介したブログからも、下の目次からも、氏が岩波書店だけでなく、朝日とも当時から深い関わりを持っていたのではないかと思われます。

 

「韓国からの通信」の時代―韓国・危機の15年を日韓のジャーナリズムはいかにたたかったか 単行本(ソフトカバー) – 2017/9/28

【内容】

1970~80年代、朴正熙-全斗煥と続く軍事独裁の暴風が最も激しく吹き荒れた時代に、韓国の学生・市民は民主化を求めてどのように闘い、韓・日のジャーナリズムはそれをどのように伝えてきたか。

当時日本にあって韓国の危難を外へと発信し、国外の連帯へとつなげ、韓国内の民主化運動を励まし続けた“T・K生"こと池明観氏は、この時代を「日韓の歴史にとって共通の戦いを戦いながら北東アジアの平和を求めた初めての歴史であった」と捉える。いまだ緊張の続く朝鮮半島情勢、そして日韓関係の未来のために、私たちがこの時代の経験から学ぶべきことは多い。

 

 

◆主要目次◆
第1章 『東亜日報』が伝えたこと
・維新体制のはじまり
・「白紙広告」の戦い
・3・1民主救国宣言
・光州事件
・民衆革命の時代へ

第2章 「韓国からの通信」が伝えたこと
・批判と拒絶
・殉教の時代
・希望の底流
・誰が来る春を止められよう
・時代の闇を超えて

第3章 『朝日新聞』が伝えたこと
・維新体制をながめる憂いの眼
・金大中拉致事件と日韓関係
・政治的弾圧に対する国際的批判
・深まる憎悪と分裂
・吹きはじめた自由の風

 

【著者について】

1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。
朴正熙政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授(86〜93年)。

雑誌『世界』(岩波書店)に73年5月号から88年3月号まで“T・K生"の筆名で、韓国内の軍事政権と対抗する民主化運動の動静をレポートした「韓国からの通信」を連載。(この連載はのちに岩波新書から『韓国からの通信』『続 韓国からの通信』『第三・韓国からの通信』『軍政と受難―第四・韓国からの通信』として、80年7月までの連載分が再編・刊行された。)

93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。

主要著作:『T・K生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『韓国史からみた日本史―北東アジア市民の連帯のために』(かんよう出版)、デジタル版『現代の理論』(明石書店)に「韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート」を連載中。

 

 

 

 


 

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