【BS朝日新春討論5時間スペシャル】「蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜」を引用する青木理の軽薄さ
公開: 2018/01/02 最終更新: 2018/01/02 19:21
元旦の夜は『BS朝日新春討論5時間スペシャル』という番組を観ました。出演者にウンザリするような名前が散見されますが、中日新聞論説委員で東京MXの『ニュース女子』の司会を務める長谷川幸洋氏が出演されていたからです。
下は番組HPから引用した内容です。
BS朝日新春討論5時間スペシャル
【放送日時】 2018年1月1日(月)よる6:00~10:54
2011年から7年連続で放送してきたBS朝日新春討論スペシャル「いま、日本を考える」。2018年も各界多士済々の論客たちが集結し、熱い議論を繰り広げる。
◆出演者
田原 総一朗(ジャーナリスト)
井沢 元彦(作家)
井上 達夫(東京大学大学院教授)
三浦 瑠麗(国際政治学者、東京大学政策ビジョン研究センター講師)
長谷川 幸洋(東京新聞・中日新聞論説委員) 前半のみ
青木 理(ジャーナリスト)
室井 佑月(作家)
岩田 温(政治学者、大和大学専任講師)
小林よしのり(漫画家) 後半から
川村 晃司(テレビ朝日コメンテーター) 後半から◆司会
小松靖(テレビ朝日 アナウンサー)
本間 智恵(テレビ朝日 アナウンサー)
この番組について書き留めておこうと思ったのは、ここに出演した自称ジャーナリストの青木理氏の発言があまりにも浅薄で、文字通り他の出演者からフルボッコにされているのが痛快だったこともありますが、ここで知った桐生悠々というジャーナリストのことをメモしておきたかったからです。
まずは「百聞は一見にしかず」、動画をTwitterに上げて下さっている方がいるので、リンク先の動画を是非ご覧下さい。
https://twitter.com/blue_kbx/status/947799332857692162
小松アナ「安倍政権を戦後最悪だと言うなら対案を出すべき」
青木理「ジャーナリストだから対案を出す立場にない」
室井佑月「(小松アナに対し)頭おかしい」
長谷川幸洋「政権を批判するのがジャーナリストだと定義するならいつまでもアンチ政権という事になる。私のジャーナリストの定義は全く違う
発言を要約すると上の通りですが、もう少し詳しく文字に起こして、ブログ主が調べたことなどを以下に追記しておきます。
(以下敬称略)
小松アナ: そこまで「史上最悪の政権だ、安倍内閣は」と、青木さん、言うんであれば、対案がないとね、やっぱ説得力伴わないですよ?
あの、その話をしようとすると、私は政治記者ではないのでって仰るんですけど、そんなことは関係ない。
社会部の記者としてこれまでの知見を集結すれば、一つの答えは十分出せると思うのですが。だからちょっと教えて欲しい。
(小松アナの追求に困った表情を浮かべる青木。田原、室井が口を挟もうとする。)
小松アナ: 青木さん、青木さん、青木さんに聞きたい。教えて下さい。
(室井: えー頭おかしい)
青木: ジャーナリストという存在が対案を出すべきものなのかというのはずっと疑問に思ってきたんです。(桐生悠々の「蟋蟀(こうろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」という句を引用して)
僕らジャーナリストは鳴き続けるのが仕事であって、対案を出すのは、もしかしたらこのテレビ朝日だったり、この番組の責任かも知れないし、あるいは政治学者だったり、○○人(?聞き取れず)だったりするかも知れないけど、少なくともジャーナリストという立場で安倍政権の、この、これがダメだからこれに対する対案はこうですよっていうのを出すのが仕事だとは思っていない。
井沢: いや、ダメだという判断の背景には、こっちのほうがいいって判断があるはずで、それを個人的な意見でもいいから伺いたい。
(青木発言せず。)
小松アナ: 青木さんね、すごいきちんと答えて頂きました。ありがとうございます。
小松アナ: (田原が口を挟もうとするが押さえこんで)ごめんなさい、ちょっと時間なので。最後に長谷川さん一言。
長谷川: 野党が政権交代を展望できないのはまさに今の問題なんですよ。つまり、まともな対案というものがない。 彼らの定義は、自分達の定義は、政権に反対するのが俺たちの仕事という風に思ってる。その限りでは、いつまでも、永遠に野党でいて貰うしかない。ジャーナリストも同じことで、政権を批判するのがジャーナリストだと、そういう定義をするならば、いつまでもアンチ政権だ。全く違います。
長谷川幸洋氏の発言が全てですね。
追記をする前に、ブログ主が感心したことがあります。このカメラワークと言うかスィッチングは秀逸だと思いませんか?
テレビ朝日ということで“左寄り”のイメージはあるかと思いますが、意気消沈していく青木氏の表情を良く捉え、小松アナが助け船を出して長谷川氏に話を振ったときのホッとしたような青木氏の表情も逃していません。そもそも、これは録画なのに、この部分をちゃんと放送したのは評価します。
ところで、ブログ主は青木氏が引用した俳句のようなものが分かりませんでした。聞き取れた部分で検索して初めて知ったのですが、
「蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」
というもので、これを詠んだのは桐生悠々という戦時中のジャーナリストでした。Wikipediaの『桐生悠々』の項から引用してこの人物をご紹介します。
桐生 悠々(きりゅう ゆうゆう、1873年5月20日 - 1941年9月10日)は、石川県出身のジャーナリスト、評論家。本名は政次(まさじ)。明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論(広い意味でのファシズム批判)をくりひろげ、特に信濃毎日新聞主筆時代に書いた社説「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」は、当時にあって日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘したことで知られる。
実は上の句の文面を正確に知ったのはどなたかのブログで、参照したブログの一つでは、記事を書くきっかけになった中日新聞の『嵐に鳴く蟋蟀(こおろぎ)のように 桐生悠々を偲んで』という社説だと書いていました。その社説を読みたくなってタイトルで検索したところテキストだけは見つかったのでコピペして保存しておこうと思います。(桐生悠々に関してはブログ主の付け焼き刃の知識でこれ以上説明することは避け、後半に資料をまとめるにとどめます。)
言論により反権力・反軍の姿勢を生涯貫いた桐生悠々の句を、意見を求められて黙りこくってしまう青木理氏が、まるで自分を桐生になぞらえるかのように引用するとはなんと不遜なことでしょう。
自分の意思を言論で表現し続けたために職を追われた桐生悠々と、左翼マスコミに囲まれた安全な場所から“鳴いている”だけの青木理氏とどんな共通点があるというのか、笑止千万です。
大東亜戦争に突き進む当時の日本に現在の日本をなぞらえるのは“左巻き”マスコミやジャーナリストの常套手段とも言えるレトリック(詭弁に近いと言っていいような巧妙な言いまわし)ですが、誰が戦争を望んでいると言うのでしょうか。
北朝鮮の核や隙あらば我が国の領土を奪うことに虎視眈々としている中国囲まれている現在の日本が、戦争を避けるために必要最小限の「抑止力」を持つことを批判する勢力は、レトリックを使って誤魔化し、実は日本は「座して死を待つべし」と思っている輩でしょう。
年末(2017年12月26日頃)、新聞各紙やニュースが護衛艦「いずも」の空母への改修を報じましたが、「攻撃型空母」とか言葉遊びをしていてうんざりしました。
今回初めて青空文庫で桐生悠々の『関東防空大演習を嗤う』を読んだのですが、短い文章でもあり、これは是非ご一読下さい。ここでは最後の部分だけ引用します。
要するに、航空戦は、ヨーロッパ戦争に於て、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝であり空撃されたものの敗である。だから、この空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない。
切りがないのでいい加減、話をBS朝日の番組に戻します。
この番組での長谷川幸洋氏の出演は前半だけでした。司会の小松靖氏が「時間がない」と言っているのはそのためです。
番組紹介では“各界多士済々の論客たち”と謳っていますが、論理的に意見を述べていたのは長谷川氏くらいで、昔話ばかりして最近の出来事は時系列すら覚えていない田原総一朗氏、低俗なワイドショーのコメンテーターがせいぜいの室井佑月氏、前置きがダラダラ長く結局何が言いたいのか分からない三浦瑠麗氏、憲法ならまだしも、経済問題を語って論破される井上達夫氏、よくもこんなメンバーを集めたものだと思いました。(岩田温氏や井沢元彦氏は割を食ってあまり発言の機会がなかったので論評は省略。)ついでに言えば、アシスタント?の本間智恵アナウンサーは番組に添える花程度の存在で全く無用でした。(たまに左翼陣営に同調するような言葉を挟もうとしていましたが...)タイムキープすら小松アナがやっていた始末です。
【追記】後半、井沢元彦氏は朝日新聞のコラム『素粒子』の一つを取り上げて朝日コメンテーターの川村晃司氏がぐうの音も出ないというシーンがありました。ブログ主は残念ながら、どんな内容だったか忘れてしまいましたが...また、憲法がテーマの部分で、井上達夫氏が「フジのプライムニュースならしっかり話させててくれるのに。」みたいなグチを言っていたのが記憶に残っています。まぁ、このメンバーでまともな憲法論なんてできるはずはありませんが。
最後に、小松靖氏について。
ブログ主は時々小松アナがキャスターを務める日曜午後の『日曜スクープ』という報道番組を見ています。日曜午後~夜の唯一の報道番組なので観ているのですが、これが小松アナには気の毒になるくらいの番組で、レベルの低いゲストしか用意して貰えず、川村晃司氏は“The 朝日”のコメントしかしないし、小松アナが空回りしています。(ゲストに関しては、この番組のゲストの人選からも想像付くかと。)
見ている限り、テレビ朝日にあっては珍しく中立の立場で仕切れるアナウンサーだと思うのですが、それ故、地上波では使って貰えないのでしょうか。この番組の他にはAbemaPrime(アベマ・プライム)というネットテレビ局abemaTVの報道番組の司会をしているとWikipediaを見て知りました(月 - 金曜日の21:00 - 23:00に生配信)が、ネット番組ゆえ、これもたいして視聴はされないでしょう。
この時間帯はBSフジのプライムニュースと被るので観られませんが、確かabemaの番組はニコ生のタイムシフト機能のように予約しておくことで後でも再生できる機能があるので観てみようかと思っています。
桐生悠々に関するブログ主覚書
■桐生悠々について書かれたブログ記事
- 『つらねのため息』 2014/9/10 『蟋蟀は鳴き続けたり嵐の夜』
ご自分で調べたことを詳しく書かれていて非常に参考になりました。
また、このエントリーで青空文庫で桐生悠々の文章が読めると知りました。
- 『三酔人の独り言』 2013-09-12 10:04:07 『桐生悠々「嵐に鳴く蟋蟀(こおろぎ)のように」』
詳しい論評はありませんが、中日新聞の社説を紹介して下さっているブログです。無断でリンクを貼りましたが、大変参考になりました。改めてお礼申し上げます。
■中日新聞社説
★【社説】桐生悠々を偲んで 嵐に鳴く蟋蟀のように
中日新聞 2013年9月12日
参院選での「ねじれ」解消を受け、安倍内閣本格始動の秋です。競い合うように鳴く虫たちの音。何かを告げるようで、胸騒ぎを覚える人もいるのでは。
<蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>
明治後期から昭和初期にかけて健筆をふるった反骨のジャーナリスト、桐生悠々(きりゅうゆうゆう)の作句です。
悠々は、本紙を発行する中日新聞社の前身の一つである新愛知新聞や、長野県の信濃毎日新聞などで、編集、論説の総責任者である主筆を務めました。
海外にも視野を広げた豊富な知識に基づいて藩閥政治家、官僚、軍部の横暴を痛撃する姿勢は、今も報道に携わる者の手本です。
■報道の使命を詠む
冒頭の句が世に出たのは一九三五(昭和十)年二月でした。
悠々は、信毎時代の三三(同八)年、「関東防空大演習を嗤(わら)ふ」と題した論説で、敵機を東京上空で迎え撃つことを想定した陸軍演習の無意味さを批判します。
日本全国が焦土と化した歴史を振り返れば、悠々の指摘は正鵠(せいこく)を射たものですが、在郷軍人会の怒りに触れ、信毎を追われます。
悠々が戻ったのは新愛知時代に住んでいた今の名古屋市守山区でした。ここで個人誌「他山の石」を発行して、糊口(ここう)をしのぎます。
<蟋蟀は…>はこの「他山の石」に掲載されたものでした。
昭和十年といえば、中国東北部を占領した六年の満州事変、海軍の青年将校らが当時の犬養毅首相を殺害した七年の五・一五事件、
国際的な孤立へと突き進んだ八年の国際連盟脱退と続く、軍部台頭の流れの真っただ中です。
<嵐の夜>からは、そうしたきな臭い時代背景を読み取ることができます。 その中にあっても<鳴き続け>る<蟋蟀>には、ジャーナリストとしての使命感や意地が込められているようです。■一大軍縮見る前に
悠々は四一(同十六)年九月、太平洋戦争の開戦三カ月前に六十八歳で亡くなります。
その間際まで、「他山の石」を舞台に、発行停止処分を度々受けながらも、軍部や戦時の外交・内政への批判を旺盛に続けました。
亡くなる前、悠々自身が発送した「廃刊の辞」も発行停止処分となり、その通達が通夜の席に届けられたといいます。
「戦後の一大軍縮を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何(いか)にも残念至極」という部分が当局を刺激したのでしょう。
それから七十年余り。悠々が見たいと切望した一大軍縮は戦後、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」ことをうたった、新憲法の九条に結実します。
その後、憲法解釈により、自衛のための必要最小限度の実力部隊である自衛隊が誕生しましたが、専守防衛に徹し、節度ある防衛力の整備に努めてきました。
かつての戦争の反省に立った新憲法の平和主義は、日本の新しい「国のかたち」ともいえます。
これを根本的に変えようというのが、安倍晋三首相率いる自民党の憲法草案です。
自衛隊を「国防軍」に改組し、現行憲法では禁じられている集団的自衛権も行使できるようにするものです。
憲法改正に至らなくても、自衛隊を強化し、内閣法制局長官を交代させてでも政府の憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使を認める。これが安倍内閣の狙いです。
イラク戦争のような米国の誤った戦争に引きずり込まれることがあっては、断じてならない。
政府が策定作業を進める「特定秘密保護法案」も見過ごせません。
安全保障上の秘密を漏らした公務員を最高十年の懲役刑に処すものですが、知る権利の制限につながりかねない内容は、弾圧の治安維持法と重なります。
こうした動きは、戦前から戦中にかけてと全く同じではないにしろ、きな臭さを感じさせます。もし、権力者が国民を間違った方向に誘導するのなら、警鐘を鳴らすのは私たち報道の役目です。
特に新聞は、政府のお先棒を担ぐようなことが再びあっては決してなりません。
権力者の宣伝機関に堕し、偽りの情報を大本営発表の名の下に流して読者を欺いた、戦前から戦中にかけての誤りを繰り返してはならないのです。
■言うべきこと言う
悠々は「言わねばならないことを言うのは義務の履行」であり、「義務の履行は多くの場合、犠牲を伴う」とも書き残しています。身をもって導き出した教訓です。
もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それこそが私たち報道に携わる者の義務の履行です。
一昨日の九月十日は悠々の没後七十二年の命日でした。大先輩の業績を偲(しの)び、遺訓を胸に刻む。そんな日にしたいと思うのです。(終)【引用元】2ch(今は5チャンネル?)の過去ログ(レスは読む価値はないかと)
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コメント
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【ブログ主】
kanakoさん、明けましておめでとうございます。
こちらこそ、拙文をお読み下さって、ありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
>青木理という人は、確か参院選挙前に青山繁晴さんの
ないことないことを文春にチクって記事にさせた人じゃなかったでしょうか。
そうでしたね。
花田編集長の「週刊誌欠席裁判」でも詳しくやってましたよ。
これだったかな?↓
www.youtube.com/watch?v=LYk-TMVuxmk
『文春やり過ぎ!参院候補の青山繁晴さんをトンデモ扱い 第197回 月刊HANADA 花田紀凱の「週刊誌欠席裁判」 その2』2016/07/05 に公開
しかしこんな人が共同通信の記者時代、まともな記事が書けたんだろうか。著書もいくつかあるのよね。自分の意見も書かないジャーナリストって...
投稿: 大師小ブログ主 | 2018/01/02 21:35
あけましておめでとうございます。
いつも有意義な記事のUPありがとうございます。
青木理という人は、確か参院選挙前に青山繁晴さんの
ないことないことを文春にチクって記事にさせた人じゃなかったでしょうか。
小松アナは良い仕事してますよね。
投稿: kanako | 2018/01/02 20:28