【領土・主権展示館】 (1) 尖閣諸島の歴史と各種資料 【日本固有の領土】
公開: 2018/01/26 00:23 最終更新: 2018/06/18 14:56
2018年1月25日 領土・主権展示館オープン
2018年1月25日、政府は領土・主権展示館が東京の日比谷公園の一角にある市政会館にオープンさせました。島根県・竹島と沖縄県・尖閣諸島の関連資料を常設展示し、「日本固有の領土」であると国内外に訴えるのが狙いだそうです。
入館無料。開館時間は午前10時から午後6時までで、土、日曜、祝日と年末年始は休館
市政会館は、1929(昭和4)年10月19日、日比谷公園の南東の一角に日比谷公会堂とともに誕生しました。塔時計と茶褐色のタイル張りの外壁をもつクラシックな建物は、日比谷のシンボルとして親しまれています。
名称: 公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所
所在地: 東京都千代田区日比谷公園1番3号
後藤・安田記念東京都市研究所公式サイト: https://www.timr.or.jp/index.html
※2018/06/08付産経新聞によると、東京・四谷の駅前再開発事業に伴い、建設中の複合ビルに移転し、展示内容も大幅に拡充するとのこと。これまで展示が無かった北方4島関係の資料、竹島や尖閣のジオラマ、シアターも併設予定。
しかし、検索したところホームページも見当たらず、そこに展示されている資料にweb上でアクセスすることができません。
国内外にアピールするなら、資料へのアクセシビリティ(accessibility/近づきやすいこと、わかりやすさ, 利用しやすさ)をもっと重視すべきだと思いますが、検索していて、外務省のサイトに、平成29年(2017年)3月15日から3月31日に開催された「尖閣諸島と竹島の史料に関する企画展示」(内閣官房・外務省共催展示 )が見つかりました。
- 「尖閣諸島と竹島の史料に関する企画展示」 解説(PDF)別ウィンドウで開く
- 尖閣諸島に関するパネル(PDF)別ウィンドウで開く
- 竹島に関するパネル(PDF)別ウィンドウで開く
全く無いよりはましとは言え、PDFでは検索にもかかりにくく、気軽に閲覧することはできません。
そこで、これらの資料をテキストに起こしておこうと思い、2回に分けてブログに掲載することにしました。
今回は「尖閣諸島」で、次回、「竹島」についてまとめます。
その前に...
このエントリーを書いている間に早速韓国側が資料館の閉鎖を要請してきたようです。![]()
領土展示館開設 韓国政府が批判の声明=日本公使呼んで抗議も
2018/01/25 17:56【ソウル聯合ニュース】韓国政府は25日、日本政府が東京都内に独島の領有権などを主張する「領土・主権展示館」を開設したことについて、「わが固有の領土である独島に対する不当な主張のために展示館を設置したことに強く抗議し、即刻の閉鎖措置を厳重に求める」とする外交部報道官声明を発表した。
声明は「日本政府は歴史的・地理的・国際法的に明白にわが固有の領土である独島に対する望みのない試みを直ちに中止し、正しい歴史認識が韓日関係の根幹ということをあらためて考えなければならない」と強調した。
韓国政府関係者によると、外交部はソウルの日本大使館の北川克郎公使を非公開で呼んで抗議。海外出張中の金容吉(キム・ヨンギル)東北アジア局長は同大使館の水嶋光一総括行使に電話をかけ、抗議の意を示した。
在日韓国大使館も日本の外務省に抗議した。
日本政府は「竹島問題および尖閣諸島を巡る情勢に関する資料などを展示する」として25日、東京都千代田区の市政会館に展示館を開設した。
島根県など地方自治体が独島の領有権を主張する資料館などを設置したケースはあるが、日本政府が東京都心に常設の展示館を開設したのは初めて。
韓国政府が論評より格上の措置となる声明を出しながらも、日本大使館の公使を非公開で呼んだことは、最近の両国関係の流れを勘案した対応との見方もある。韓国政府が旧日本軍の慰安婦問題を巡る両国合意の新方針を発表したことに日本政府が強く反発し、両国関係は冷え込んでいるが、安倍晋三首相が平昌冬季五輪の開会式に出席する意向を示したことで、両国が状況を安定的に管理する方向へ進むとの声も出ている。
目次
- 尖閣諸島の位置
- 尖閣諸島の構成
- 尖閣諸島は日本固有の領土
- サンフランシスコ平和条約(1951年9月)
- 沖縄返還協定(1972年発効)
- 突然の中国の領有権主張と挑発行為
- 尖閣諸島関連年表
尖閣諸島の位置
尖閣諸島は、沖縄本島から約410キロメートル、石垣島(いしがきじま)の北方約170キロメートル、与那国島(よなぐにじま)から約150キロメートル、台湾から約170キロメートル離れた東シナ海に位置しています。
尖閣諸島の構成
尖閣諸島は、魚釣島(うおつりじま)、北小島、南小島、久場島(くばじま)、大正島(たいしょうじま)、沖ノ北岩(おきのきたいわ)、沖ノ南岩(おきのみなみいわ)、飛瀬(とびせ)などの島々からなっています。
- 魚釣島(うおつりじま): 東西に約3.5 km、南北に約2 kmの島で面積は 3.81 km²。島南側に海抜 200 - 250 mの急峻な崖が東西に横断している。最高部は標高362 m(奈良原岳)。
- 北小島(きたこじま): 面積は 0.31 km²。
- 南小島(みなみこじま): 面積は 0.40 km²。
- 久場島(くばじま): 面積は 0.91 km²。
- 大正島(たいしょうじま): 面積は 0.06 km²。
- 沖ノ北岩(おきのきたいわ): 面積は 0.03 km²。
- 沖ノ南岩(おきのみなみいわ): 面積は 0.01 km²。
- 飛瀬(とびせ): 面積は 0.002 km²。
尖閣諸島は日本固有の領土
日本は、尖閣諸島が無人島であるのみならず、他国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895年(明治28年)1月に閣議決定を行って沖縄県に編入しました。
これは、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています。
その後、日本の民間人が日本政府の許可の下、尖閣諸島に移住し、鰹節工場や羽毛の採取などの事業を行いました。
1902年(明治35)12月 臨時沖縄県土地整理事務局製図 八重山郡大浜間切登野城村全図 〈複製〉
1899年(明治32)に沖縄県土地整理法が制定され、同法に基づき設置された臨時沖縄県土地整理事務局が、尖閣諸島において土地整理事業(測量及び地租改正)を実施し、同諸島の測量の結果、調製された土地整理図。同事務局は沖縄本島について1903年(明治36)、宮古・八重山諸島について1902年(明治35)に土地整理事業を完了した。【石垣市史編集室所蔵】
なお、福建省の漁民が尖閣諸島の魚釣島近海で遭難した際には、日本人が救助を行い(※1)、1920年5月に当時の中華民国駐長崎領事から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島」と記載された感謝状(※2)が発出されました。
第二次世界大戦の前は、200人以上の住人が尖閣諸島で暮らし、税徴収も行われていました。また、現在においても、警備・取り締まりや国有地としての管理等が適切に行われています。
※1 1920年(大正9)2月17日付 川越壮介沖縄県知事より田中都吉外務省通商局長宛て公信地第一四五ノ三号
前年12月、暴風で遭難し尖閣諸島に漂着した中国福建省の漁民31名を、日本人漁業関係者が救護し、石垣島まで移送の上、中華民国駐長崎領事との交渉の結果、台湾基隆を経て福州へ送還した経緯を、沖縄県から外務省へ報告した文書。
当時、尖閣諸島には日本人が経営する漁業事務所があり、30名以上の日本人従業員が在住しており、彼等が漂流民を救助したことが記されている。【外務省外交史料館所蔵】
※2 1920年(大正9年)5月20日付 尖閣列島遭難 中華民国感謝状 豊川善佐宛て(石垣市立八重山博物館所蔵)
サンフランシスコ平和条約(1951年9月)
戦後、1951年(昭和26年)9月に署名されたサンフランシスコ平和条約(※1)において尖閣諸島は日本が放棄した領土には含まれず、日本の南西諸島の一部として米国の施政下に置かれました。南西諸島の一部は米国により射爆撃場として使用されていましたが、当時、中国はそれらの措置に一切異議を唱えておらず、逆に中国共産党の機関誌や中国の地図の中(※2)で、日本の領土とした扱われてきました。
※1 サンフランシスコ平和条約〈複製〉 (尖閣諸島・竹島の両方にかかる史料)
1951年(昭和26)9月8日調印。1951年9月8日、講和会議に出席した国のうちソ連など3か国を除く49か国の全権によって署名された。日本側は順に、吉田茂、池田勇人、苫米地義三、星島二郎、徳川宗敬、一万田尚登の各全権が署名。
この条約の第2条(a)では、日本が朝鮮の独立を承認するとともに、放棄すべき地域に「済州島、巨文島、鬱陵島を含む朝鮮」が規定されたが、竹島は日本が放棄すべき地域に含まれていない。
また、尖閣諸島は、同条約第2条(b)に基づいて、日本が放棄した領土には含まれず、日本の南西諸島の一部として米国の施政下に置かれた。【外務省所蔵】
(参考)サンフランシスコ平和条約における竹島の取扱い
サンフランシスコ平和条約の草案に、日本が放棄すべき地域として「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮」と規定されたことを知った韓国は、1951年7月、梁(ヤン)駐米韓国大使からアチソン米国務長官宛ての書簡を提出した。その内容は、「我が政府は、第2条a項の『放棄する』という語を『(日本国が)朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、独島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する。』に置き換えることを要望する。」というものだった。
この韓国側の意見書に対し、米国は、同年8月、ラスク極東担当国務次官補から梁大使への書簡をもって次のとおり回答し、韓国側の主張を明確に否定した。
「・・・合衆国政府は、1945年8月9日の日本によるポツダム宣言受諾が同宣言で取り扱われた地域に対する日本の正式ないし最終的な主権放棄
を構成するという理論を(対日平和)条約がとるべきだとは思わない。ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島支庁の管轄下にある。この島は、かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない。・・・」これらのやり取りを踏まえれば、サンフランシスコ平和条約において竹島は我が国の領土であるということが肯定されていることは明らかである。
※2
沖縄返還協定(1972年発効)
1972年(昭和47年)発効のいわゆる「沖縄返還協定」でも、尖閣諸島は日本に施政権を返還する対象地域の中に含まれています。
このように、尖閣諸島は戦後秩序と国際法体系の中で一貫して日本領土として扱われてきました。
突然の中国の領有権主張と挑発行為
1969年に国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性かあることが指摘されると、それまで何ら主張を行っていなかった中国は、日本の閣議決定から76年後の1971年(昭和46年)になって、初めて尖閣諸島の「領有権」について独自の主張をするようになりました。
中国政府は、1992年に「中華人民共和国領海及び接続水域法」を交付した際に、「尖閣諸島を含むその付属諸島」は中国の領土に属すると一方的に制定し、さらに、2012年には声明を発表して、その中で魚釣島およびその付属島嶼(とうしょ)の領域基線を交付しました。
また、2013年には一方的に東シナ海上空に「防空識別区」を設定し、尖閣諸島空域があたかも「中国の領空」であるかのように表示をしました。2008年以降は継続的に中国政府の船舶が尖閣諸島周辺海域に派遣され、頻繁に領海侵入するなど、日本への挑発的行動を繰り返し(※)ています。
これに対し、日本としては、日本の領土、領海、領空は断固とした守り抜くとの決意の下、冷静かつ毅然とした対応を行うとともに、中国に対して厳重に抗議を行っています。
※下はPDF資料からではなく、海上保安庁サイトの『尖閣諸島周辺海域における中国公船等の動向と我が国の対処』より転載。
尖閣諸島関連年表
1885年(明治18年)以降 沖縄県が尖閣諸島を現地調査し、どの国の支配も及んでいないことを慎重に確認。
1895年(明治28年)1月14日 閣議決定により尖閣諸島を日本の領土とする。その後、沖縄県の一部として支配。
1896年(明治29年)以降 明治政府の許可を得て、尖閣諸島の開拓を開始。
多くの日本人が尖閣諸島に居住し、漁業を中心に鰹節工場や羽毛の採集に従事。
1919年(大正8年)12月 尖閣諸島付近で遭難した中国人を日本人が救助。
1920年(大正9年)5月20日 日本人の救助活動に対し、中国が「日本帝国尖閣列島」と明記した感謝状を贈る。
1951年(昭和26年)9月8日サンフランシスコ平和条約に日本が署名。尖閣諸島は日本の領土として残る。
1952年(昭和27年)4月28日 サンフランシスコ平和条約が発効。
1969年(昭和44年)5月 国連が東シナ海に石油埋蔵の可能性ありと指摘。
1971年(昭和46年)6月 台湾が史上初めて公式に尖閣諸島は台湾の領土であると主張。
1971年(昭和46年)12月 中国が史上初めて公式に尖閣諸島は中国の領土であると主張。
1992年(平成4年)2月25日 中国が尖閣諸島を中国の領土とする国内法を制定。
2008年(平成20年)12月8日 中国公船が尖閣諸島周辺の領海に侵入。
2010年(平成22年)9月7日 尖閣諸島周辺の領海内で中国の漁船が日本の巡視船に意図的に衝突(中国漁船衝突事件)。
その後も中国公船が尖閣諸島周辺海域に出没。
2012年(平成24年)9月11日 尖閣諸島のうち民間人所有だった魚釣島、北小島、南小島を日本政府が取得・保有。
2012年(平成24年)9月14日以降 日本政府への所有権移転を口実とした中国公船による尖閣諸島周辺の領海侵入が激化。
2012年(平成24年)12月13日 中国機が尖閣諸島の領空を侵犯。
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