国連の権威失墜と朝日の焦り/国連の広報誌が麻生氏や映画「楢山節考」画像を無断使用
公開: 2017/12/30 最終更新: 2017/12/31 10:38(新聞記事追加)
今朝(2017/12/30)の読売新聞朝刊国際面に『麻生氏の画像不適切使用』というタイトルの記事がありました。国連の広報誌がある寄稿文に関連する画像として、麻生太郎副首相のコラージュ画像(いわゆる“コラ画像”)を使ったという意味です。
これは11月中旬にはネットで話題になっていた(下図参照)ので、「なにを今更」と思ったのですが、指摘されて差し替えた画像(今村昌平監督の『楢山節考』のスチール写真)がまたも無断使用だったいう話で呆れてしまいました。
記事をよく見ると『国連欧州本部 映画写真も無断掲載』というサブタイトルが付いています。
下はweb版の読売新聞記事ですが、タイトルと本文は新聞記事とは変わっています。
麻生氏画像と映画写真、国連広報誌が不適切使用
http://www.yomiuri.co.jp/world/20171229-OYT1T50088.html2017年12月30日 08時44分
【ジュネーブ=笹沢教一】国連欧州本部(ジュネーブ)発行の広報誌が、日本の「姥うば捨て伝説」に関連した麻生副総理兼財務相のコラージュ画像を使用し、在ジュネーブ日本政府代表部の抗議を受け、電子版から削除していたことがわかった。
抗議を受け、差し替えた画像は、姥捨て伝説を題材にした東映の映画「楢山節考」(今村昌平監督、1983年)からの無断使用だった。
麻生氏のコラージュが掲載されたのは月刊誌「UNスペシャル」10月号。「楢山節考」に言及しながら、高齢者への配慮について考察した記事と一緒に載った。発行部数約1万とされる同誌は、ジュネーブの国連関連機関や政府代表部などに配布され、電子版もある。
この画像を問題視した同代表部は同月中旬、「日本の要人を不適切に扱っている」と編集部に申し入れた。国連関係者によると、問題の画像は、外部委託した担当者がインターネット上で見つけたもので、麻生氏がコラージュされているとは知らなかったという。
さらに、東映広報室によると、差し替えた画像は、東映の映画「楢山節考」のもので、国連側から写真使用の許諾申請はなかった。東映側が11月、国連側に無断掲載の事実を伝え、画像は削除された。同誌編集部は本紙に「著作権に問題があるとの指摘を受け、画像を削除することにした」と話している。【追加】 新聞記事
ブログ主は麻生氏の画像が話題になった頃に国連のサイトで問題の広報誌を読んでいました。
この記事自体はタイトルこそ「オバステ」(姥捨て)なのですが、日本とは直接関係なく、長年勤めた元職員の待遇についてカザフスタン出身の国連職員が批判的に書いた記事で、上に引用した記事には書かれていませんが、読売の新聞版の記事ではこのことに触れています。
問題の画像(麻生氏の画像)は日本語のわからない外注のデザイン担当者が無作為に採用したもので、意味も知らなかったと説明して、本物の映画の一シーンの画像に差し替えられており、ブログ主が広報誌(PDF)をダウンロードしたときは既に画像は差し替えられた後でした。
今回のニュースはその差し替えた画像すら無許可であったというお粗末な話です。
この記事を読んだときに思いだしたのが、先日読んだ『朝日新聞がなくなる日』(ワニブックス/ 新田 哲史 (著), 宇佐美 典也 (著) )です。
この本の感想は別途エントリーにしようと思っているのですが、ここで語られていたことの一つが朝日新聞の主張の拠り所である国連(※1)の権威の失墜です。
国連とは言うまでもなく、第二次世界大戦の戦勝国のための組織です。
敗戦後、日本は東京裁判、その後のGHQ(※2)によって植え付けられた徹底的な“自虐史観”により国際社会の仲間に復帰しようと努力をしてきました。(“自虐史観”と書きましたが、ブログ主は大東亜戦争に反省すべきことが皆無とは思っていません。)
それでも、“グローバルスタンダード”(国際的に共通の基準。国際標準規格。)-この言葉は比較的最近のものですが-を取り入れて、“世界の悪人”とレッテルを貼られた自国の汚名をそそごうと必死だった日本は国連を絶対的な正義のように見なしていた時期があると思います。
しかし、常任理事国(※3)のエゴがぶつかる様や、国際的な問題を解決する能力がないこと見るうちに国連に対する信頼感は徐々に薄れ、近年の「国連特別報告者」による公平とは言えないレポートでそれは決定的になりました。また、これにより国連を利用する反日的な活動家の存在も知られてきました。
※1 こく‐れん【国連】
(United Nations)国際連合の略称。第二次大戦後、平和と安全の維持、各国間の友好関係の促進、経済上・社会上・文化上・人道上の問題について、国際協力を達成するために設立された諸国家の組織。1945年10月24日正式に成立。国際連盟の精神を受け継ぎ、さらに強化した組織。2006年現在、加盟国192、本部はニューヨーク。日本は56年加盟。主な機関として総会・安全保障理事会・経済社会理事会・信託統治理事会・国際司法裁判所・事務局がある。UN→国連憲章 →ニューヨーク(図)。※2 ジー‐エッチ‐キュー【GHQ】
(General Headquarters)
(1)総司令部。
(2)特に、日本を占領した連合国軍総司令部。初代最高司令官(SCAP)はマッカーサー。占領政策を推進し、戦後改革を行なった。対日講和条約発効とともに廃止。※3 じょうにん‐りじこく【常任理事国】 ジヤウ‥
常に理事を出している国。国連では、安全保障理事会に常に議席をもつ米・英・ロ・仏・中国の5カ国をいう。⇔非常任理事国広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書
前述の『朝日新聞がなくなる日』という本の第1章では朝日新聞の体質を「反権力ごっこ」と揶揄していて、国連の権威が失墜した後、反権力の象徴として安倍政権を敵対視することで「反権力」の旗手であり続けようとしているというようなことが書いてあるのですが、これには少し論理の飛躍があると思います。
尤も、この本は著者2人による対談集なので、話題がどんどん展開していき、個々の発言を深く掘り下げたり、論理的に説明することがないので真意は分かりませんが。
最近の小川榮太郞氏に対する提訴や、高山正之氏の月刊「正論」のコラムに対する申入書で、朝日の「社是」が話題になっていて、朝日は「我が社には社是はない」と言っていますが、社内の“空気”として流れているのは「東京裁判史観」、もっと簡単に言ってしまえば「左翼思想」という単純なものではないかと考えています。
これは「社是」という明確なもの、明文化されたようなものでなく、もっとフワフワした「社風」と呼ぶべきものかと思います。会社のトップや上司から直接押しつけられることはなくても、「うちの会社はこういう社風だから」という意識は隅々の社員になんとなく伝わり、受け継がれるもので、朝日新聞社の社員なら、なんとなく“朝日らしさ”を意識するものだと思います。ある程度歴史のある会社では、社長が替わろうと社風はなかなか変わらないもので、その中で出世をするためにその空気を尊重するのもよく分かります。
朝日新聞が単に「反権力ごっこ」をしているのではないというのは、過去の政権に比較して、安倍政権叩きの異常さが際立つからで、その原因を考えると、平成19年1月の内閣総理大臣施政方針演説で「戦後レジームからの脱却」を明言(※4)したからだと思います。
※4 安倍晋三氏公式HP 「政策」より一部引用
https://www.s-abe.or.jp/policy/consutitution_policy
憲法改正
最終変更日時 2009年06月12日
.
私は平成19年1月の内閣総理大臣施政方針演説で「戦後レジーム」からの脱却を宣言しました。憲法を頂点とした行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組みの多くが、21世紀の時代の大きな変化についていけなくなっていることは、もはや明らかです。
戦後レジームからの脱却を成し遂げるためには憲法改正が不可欠です。(以下略)
だから、前川文科省前事務次官のような“権力者”であり、天下り斡旋の首謀者である“悪人”でさえ、安倍首相に敵対する存在となれば、一転、自分達の側の人間と見なして擁護し支持するのです。「敵の敵は味方」みたいな感じで。
個々の社員、特に若い社員が皆、“反日”や”護憲”、あるいは“親中国”であったり“親北朝鮮”、”親韓国”であるとは思いませんが、社内に漂う空気、たとえば全共闘世代の亡霊のようなものに支配されているのではないかと思います。それと、縁あって入社した会社を否定されたり、自分が選択したもの(入社した会社)を寄ってたかって否定されると自己を否定されたように思い、人間、意固地になるものです。
近年の国連の権威失墜は、朝日の社風の拠り所であるものが1つ崩れたわけで、それを後押ししたのはネットの発達、SNSの普及でしょう。
先日、拙ブログで『【日いづる国より】高山正之、朝日新聞が昔から自作自演していた話[桜H26/10/3] 』という動画を紹介しました。ここで語られる朝日のやり方は耳を疑うようなおぞましい話です。昔なら、このような話はどこかの雑誌に書かれるだけで目にする人は限られていたでしょうが、動画としてネットに上がり、拡散力は小さいですが、このブログで紹介することで新たに目にされた方もいるかと思います。
昔から嘘を拡散していた朝日新聞にとっては、他の新聞社よりネットは脅威だと思います。
それを裏付けるのは、「徹底検証『森友・加計事件』 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」を著した小川榮太郞氏への提訴です。
朝日新聞が言論機関であることを自覚するなら本来は言論で闘うべきで、その場は現代なら紙面ではなくネットの世界です。
ネットを恐れ、敵視する朝日にはネットの世界で言論を闘わせる勇気などなかったからこそ裁判に持ち込んだのだと思います。
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