トイレを表す絵文字(ピクトグラム)は日本で生まれたものだった
この記事はブログ主の覚え書きです。
トイレを表す絵文字(ピクトグラム)と言えば、男女のシルエットのマーク。
今では日本のみならず、デザインは多少異なれど、様々な国で見かけます。
これが日本で生まれたというのはご存知ですか?
これは10月13日付けの日経に掲載されていたコラム『 を生んだ11人の侍』で知りました。
そもそもこのコラムは2020年の東京オリンピックに関連して、オリンピックの競技を表すピクトグラムの始まりを説明するもので、現在、どのオリンピックでも当たり前のように目にする競技のシンボルは、1964年の東京オリンピックが最初で、これに合わせて各施設を表すシンボルマークは若手デザイナー達が作り上げたそうで、記事のサブタイトルは『ピクトグラム、64年大会のレガシー』(【ブログ主註】legacy:遺産、遺物)となっています。
ブログ主は気になった記事やもう少し掘り下げて調べてみたい記事などはしばらく捨てずに保存しておくのですが、これもそんな記事の一つです。
ヒントは『家紋』から!?
国際オリンピック委員会(IOC)はフランス語と英語が公用語で、この2言語での表記が義務づけられいますが、これでは日本人には分からない、また、日本語も外国人にはほぼ通じないと、競技と必要最低限の施設の意味が分かるようにと、東京五輪アートディレクターを務めた勝美勝氏がシンボルマークを作ることにしたとのこと。
なんと、ヒントになったのは日本伝統の『家紋』だそうです。
既に競技シンボルは山下芳郎氏が五輪前年までに完成させていましたが、食堂、トイレ、バス停などと言った施設シンボルは作られてはおらず、これでは選手村内でも混乱が生じかねないと気づいたのは大会直前。ピクトグラムを作るために当時20~30代の若手グラフィックデザイナー11人が集められたのは64年2月だったそうです。
田中一光氏、横尾忠則氏、宇野亜喜良氏、福田繁雄氏等、後に大家となった新進気鋭のデザイナーが参加しています。(リンクはWikipediaの各項)
なお、オリンピックのこのようなシンボルマークは東京オリンピック以前にもありました。しかし、言語のバリアを取り除くというコンセプトで各種シンボルマークが統一して作られたのは東京オリンピックが初でした。(参考:『The History of the Olympic Pictograms: How Designers Hurdled the Language Barrier』/オリンピックのピクトグラムの歴史: デザイナーはどのようにして言語という障害を乗り越えたか』@Smithsonian.com)
1964年東京オリンピックのピクトグラム
記事には11人のデザイナーによる共同作業の様子が書かれていました。
“まず、「お題」を出す。一斉に11人が絵を描き、それぞれの絵について議論、一つのシンボルに落とし込む。”
「食べる」、「着替える」という行為を絵で説明すると複雑になりシンボル化しにくいようなものは、、五輪全体の統一感を重視し、亀倉雄策氏がデザインした五輪エンブレムから逸脱しないように作っていったそうです。
トイレのシンボルマークはマリー・クワントのドレス!?
最終的に35種類の施設を表すマークが完成しましたが、トイレはドレス姿の女性とスーツ姿の男性をイメージしています。
「ドレスは当時最先端のマリー・クワントのミニスカートを参考にした。このトイレマークが後に世界中に広まったのには驚いた。」
と思い出話を語るのはまとめ役だった道吉剛氏。
手元にソースとなる記事が見つからないのですが、他の新聞記事で、これらシンボルマークの権利は自由に使って貰いたいと放棄したというのを読んだ記憶があります。だからこそ世界共通のマークとなったのでしょうか。
当時はデザインにはほとんど予算はなく、彼ら若手デザイナー達はほぼ無報酬で仕事をやり遂げたそうですが、代わりに開会式の席が全員分用意されたとのことです。
昨今の2020年東京五輪を巡るゴタゴタを見るにつけ、当時の日本人の気概や気骨はどこにいってしまったのだろうと思います。
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