【ブログ主覚書】「うたかたの恋」オーストリア皇太子心中事件の遺書が発見される
先日の新聞で、1889年1月30日にオーストリア皇太子・ルドルフと情死した愛人マリー・ベツェラの自筆の遺書が発見されたとの記事を読んだので、その覚え書き。
皇太子にはベルギー王女ステファニーという妃がいて離婚を望んでいたが、ローマ教会の許可を得られず、また、外交、内政において皇帝と意見を異にしており、その繊細な神経が耐えられなかったと言われている。時に皇太子30歳、マリー17歳。
今回遺書が発見されたのは、オーストリアのSchoellerbankという銀行の金庫で、革の書類入れの中に他の書類とともに収められていたという。これらは1926年に預けられ、長期にわたって引き取り手が現れなかったために銀行が整理しようとして見つかった。遺書が存在していたことは知られていたが、紛失されたと思われていた。
この事件の舞台となったのはウィーンの南西24kmほどのマイヤーリンク(Mayerling)という場所にある狩猟館で、それにちなんでマイヤーリンク事件と呼ばれているが、タイトルの「うたかたの恋」はこの事件を題材にした小説の邦題(原題:Mayerling)で、その後映画化された作品や舞台もこのタイトルで知られている。
記事にもオーストリア国立図書館(Österreichische Nationalbibliothek )から提供された遺書の画像などが掲載されているが、公式のプレス発表はこちらで、書き起こされた遺書の全文(PDF/“Mary Vetseras Abschiedsbriefe im Wortlaut”/ドイツ語)も読むことができる。
これを読んで分かったのは、新聞記事には遺書全文として翻訳されたものが掲載されているが、それは母ヘレーナ(Helene)宛に書いた部分で、他にも、兄(弟?)のFeri、姉(妹?)のHanna宛てにも遺書を残していて、更に追伸も残していた。
下は、母宛ての遺書。
Liebe Mutter(親愛なる母上)
Verzeih mir was ich gethan.(私の行いを許して下さい。)
Ich konnte der Liebe nicht wiederstehen. In Übereinstimmung mit Ihm will ich neben Ihm im Friedhof von Alland begraben sein.(私は愛に抗えませんでした。彼=ルドルフも同意していますが、アラントの墓地に、彼の隣に埋葬して下さい。)
Ich bin glücklicher im Tod als im Leben. Deine
Mary (私は生きているより死んだ方が幸せです。あなたのマリーより)
他の家族宛の遺書も同様に短い別れの言葉だが、追伸はやや長く、「フルカ家には全く罪はありません。全ては自分の意思で、なんの助けもなく行ったことです。」(Die Familie Hulka ist ganz unschuldig, ich habe alles aus freiem Willen und ohne Hilfe gethan.)などという文もあり、新聞記事にあった“走り書き”という言葉から受けるイメージよりは冷静に書かれている印象。
ルドルフの死去により後継者となったフランツ・ヨーゼフ帝の甥が1914年6月末、サラエボでセルビア青年に暗殺され、第一次大戦の導火線となったのは有名な話。
ブログ主はこの事件自体にそれほど感心があったわけではないが、オーストリア、特にウィーンは好きな街で、旅行するとそこかしこにルドルフの母である皇妃エリザベートや父のフランツ・ヨーゼフ帝の肖像画を目にする。特にエリザベートはその美貌だけでなく、ウィーンの宮廷生活になじめず旅を続け、ルドルフの死後は生涯喪服で過ごし、最期はジュネーブのレマン湖の畔で刺殺されるという悲劇的な生涯で、日本でもよく知られている。また、ハプスブルク家の歴史はヨーロッパ史と重なる部分も多いので、何冊か関連書籍を読んでいたので、この事件のことも知っていた。
なお、ドイツ、バイエルン地方の有名な城、ノイシュヴァンシュタインを建てたルートヴィヒ2世はエリザベートと親戚の間柄(※)で、ルートヴィヒ2世もまた廃位させられた後、幽閉されていたシュタインベルク湖で不審な死を遂げている。この事件を森鴎外が「うたかたの記」という小説にしており、青空文庫で読むことができる。(→青空文庫『うたかたの記』)
※今回、あらためてルートヴィヒ2世とエリザベートとの関係を調べたのでメモしておくと、
共通の祖先はバイエルン王マクシミリアン1世(Max I. Joseph/1756-1825)で、
- ルートヴィヒ2世(Ludwig II/1845-1886)の曾祖父
- エリザベート(Elisabeth (Sisi)/1837-1898)の祖父
但し、ルートヴィヒ2世の祖父でありバイエルン王のルートヴィヒ1世(Ludwig I/1786-1868)とエリザベートの母ルドヴィカ・フォン・バイエルン(Ludowika von Bayern/1808-1892)とでは母親が異なる。(参考サイト)
- ルートヴィヒ2世の曾祖母; Auguste, Prinzessin von Hessen, Prinzessin von Hessen-Darmstadt 1765-1796
- エリザベートの祖母: Caroline von Baden, Prinzessin von Baden 1776-1841
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