【我が町】『映像で紡ぐかわさきの20世紀』/民衆駅【昔の川崎】
掲題の映像はYouTubeで観ることができます。下記のリンクは小学校の時の副読本を中心にブログ主がwebページ(ココログの機能/日付の入らない記事)に近代までの歴史を『我が町 大師の歴史』としてまとめたものですが、それ以降の歴史を合計40分ほどで観られる貴重なビデオです。
埋め込みができないようなので、リンクのみ。
- 映像で紡ぐかわさきの20世紀 vol 1
- 映像で紡ぐかわさきの20世紀 vol 2
- 映像で紡ぐかわさきの20世紀 vol 3
- 映像で紡ぐかわさきの20世紀 vol 4
- 映像で紡ぐかわさきの20世紀 vol 5
なお、オリジナルは、幸区が平成12年度に制作したビデオ(VHS/約37分)のようで、貸し出しも行っています。下はその説明文。
川崎市が誕生し発展を遂げた20世紀の歴史を、見る人が自分自身の思い出と重ねあわせ、身近に感じてもらえるよう、その時代、時代の街の様子や市民の暮らしを中心に映像で振り返ります。川崎市のあゆみを知ることができる貴重なビデオです。
ざっと観てみましたが、大半は神奈川ニュースの映像です。よく、映画館で本編の前に流れていましたね。
大師小の同級生にとって懐かしく感じる光景としてはvol3の後半からvol4あたり、特に昭和30年後半~40年代かと思います。人口が急増し交通量の増加に伴う川崎駅前の再開発、グリーンスクールに向かうバスに乗り込む小学生とそれを見送る母親達。そんな映像を見ることができます。(下の画像。ただし、リュックサック程度の荷物しか持っていないので、これはグリーンスクールや林間学校ではなくてただの遠足だと思います。)
ブログ主は実際は京浜急行が地上を走っていた光景は記憶にないのですが、古い映像の所々に記憶を呼び戻される建物が出てきて懐かしく感じました。
後ほど、このビデオその他を参考に『我が町 大師の歴史』を補完しようと思っていますが、そのために色々と調べていたら、「民衆駅」という言葉を知りました。
JR川崎駅は神奈川県で最初(1959年/昭和34年)の民衆駅なのだそうです。
NHKスペシャル『戦後70年ニッポンの肖像』の特設サイト『ニッポンのポ』に説明がありますが、電子辞書(ブリタニカ国債大百科事典)によると、
日本国有鉄道(現JR)と部外者の共同出資によって建設される駅施設。第2次世界大戦後、国鉄が駅舎の再建にあたって、建設費の節減と駅施設の有効利用との2つの要請から地元資本の出資を認め、代わりに駅施設の一部を貸室、店舗、ホテルなどに利用すること許したもので、1948年建設の豊橋駅が第1号。
とのことです。(上記サイトでは1979年/昭和54年当時の川崎駅前の写真が掲載されており、クリックするとわりと大きなサイズで見ることができます。)
川崎駅の他、博多、天王寺、広島、姫路、札幌の駅舎、東京都内では新宿、池袋、蒲田、吉祥寺なども民衆駅だそうです。
今は変わってスッキリとしましたが、そう言えば、昔の川崎駅ビルは細かく区割りされて小さな店舗がたくさん入っていました。どの時期までか分かりませんが、テナント料を払って借りていたのではなく、出資者として店舗を出していた店なのですね。
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