ベラ・チャスラフスカさんが来日、東京五輪50周年祝賀会に出席
10月25日付の日経夕刊を見て驚いた。東京五輪で3つの金メダルを獲得した体操選手、ベラ・チャスラフスカさんが10日に行われた東京五輪50周年祝賀会に出席するため来日されたというインタビュー記事があった。
ブログ主はリアルタイムでは東京オリンピックの記憶はないが、後年何度もテレビで見た臙脂(えんじ)色のレオタードに身を包んだチャスラフスカさんの映像(下に貼った本の表紙のようなもの)は目に焼き付いている。ただ、それ以上に、1989年のビロード革命(周辺国の社会主義政権崩壊と前後してチェコスロバキアで起きた政治変動)でハベル大統領の顧問として政治の舞台に立ったときの方が印象深かった。ただし、これも五輪の映像同様、後年、ドキュメンタリー番組か何かで見た姿かも知れない。
新聞記事を見て驚いたというのは、その後(=ビロード革命での復権および政治の世界で活躍をしていた頃)に起きた痛ましい事件のために長らく病気で療養されていたので、再び公の場に出てこられるほど復活したのを知らなかったからだ。
記事によると、5年ほど前から再び公の活動をされているそうで、2011年の東日本大震災では、プラハ城でのチャリティーコンサートなど、様々なイベントで義援金を集めたとのこと。日本側に支援方法を相談したところ、子供を招待して欲しいという回答を受け、翌年被災地の子供たちをプラハに招待し、子供たちのためのスポーツイベントを開催したという。
記事にも略歴が載っているが、歴史的背景と合わせて覚え書きとして書いておくと、
1942年5月3日生まれ。1960年(18歳)のオリンピックローマ大会で個人総合8位、1964年(22歳)東京大会で個人総合、跳馬、平均台で優勝、1968年(26歳)メキシコ大会でも段違い平行棒、床、跳馬に優勝、個人総合でも2連勝を飾った。
とある。
体操選手としての略歴を書くとこのようになるが、プラハの春が1968年1月~8月なので、メキシコ大会(10月)はそんな状況下で出場していたことを後に知って驚いた。
プラハの春とは、チェコスロバキアで起きた民主化の動きで、1968年1月、改革派のドプチェクが党第一書記に就任。独自の社会主義路線を宣言して、国家による事前検閲の廃止や市場経済方式の導入などの政策を打ち出したが、社会主義体制の危機を感じたソ連(ブレジネフ政権)は、同年8月にワルシャワ条約機構軍20万人を投入。その民主化の動きを圧殺し、ドプチェクは解任される。
この短い「春」の間の6月に発表されたのが『二千語宣言』で、チャスラフスカさんも署名している。作家L.バツリークが起草し、70名の各界の有名、無名の知識人の署名を付し、6月27日に有力紙3紙に発表された、過去の共産党の権力独占を非難し、権力を悪用した者の退陣を要求した宣言書。それに対してソ連は反革命宣言であるとして激しい攻撃を浴びせ、武力介入に繋がる。
その後、共産主義が強化された中、署名の撤回を求められたが、それを拒んだため、スポーツ界から追放され、弾圧は20年あまりに及んだ。
復権するのは前述のように1989年のビロード革命後で、11月17日にプラハで合法的学生デモが警官隊により弾圧されたことに端を発し全国へ民主化要求運動が広がり、わずか1ヵ月あまりの間に共産党独裁の放棄(26日)、国民和解内閣の成立(12月10日)、ハベル大統領の選出(29日)と、政権交代と民主化が流血なくスムースに進んだことからこの名称がある。
この時に、プラハ中心部のバーツラフ広場のバルコニーに立って群衆の歓声に迎えられる姿が、ブログ主には印象的だった。計算すると、この時チャスラフスカさんは47歳だった。
その後、たまたま新聞の書評か何かで知って『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』(文藝春秋社/後藤正治著/2004年出版/本については後述)という本を買った。
しかし、その本を読んで知ったのは、1993年に息子がその父親、つまりチャスラフスカさんの離婚した夫を射殺する殺害するという痛ましい事件(→後述の【追記】参照)があり、そのことから心を病んで入院中であるというショッキングな事実。本によると、かなり深刻な状況らしかったので、今回の新聞記事は驚くとともに非常に嬉しかった。
余談だが、2010年のブログ記事に、NHK BSハイビジョンで放映される予定だった『世紀を刻んだ歌ヘイ・ジュード ~革命のシンボルになった名曲~』のことを書いていた。それ以前にNHK総合で観て、是非ブルーレイで残しておきたいと思ったのに、何故か予定が変わって放送されなかったもの。
この時に番組表からコピペしていた内容は、
1968年に誕生したビートルズの名曲“ヘイ・ジュード”。同じ年にチェコスロバキア では民主化への運動“プラハの春”がソ連軍の侵攻によって断たれた。チェコの歌手、マルタ・クビショバ(Marta Kubišová)はこの名曲の祖国への思いを込めた歌詞をつけ、ソ連 への抵抗を歌った。そのため彼女は政府の弾圧を受け、極貧の生活に陥るが、1990年の無血革命の時、この歌は革命のシンボルとして蘇る。“ヘイ・ジュー ド”に秘められた知られざる物語を探る。
語り:ロバート・ハリス(初回放送:BShi 2000/10/4)
というもの。
以前の記事に貼ったYouTubeがまだ生きているので再掲。
この時(ブログ記事を書いたとき)にも書いたが、ブログ主は以前(今回調べたら、1995年に)、ドイツの古城街道を旅して、その脚でプラハを訪れたことがある。いつものように、気ままな一人旅だったが、今回、時系列を整理したら、チャスラフスカさんはちょうどその頃療養生活を送っていたことになる。
その時の思い出を少しだけ書くと、当時チェコへはビザが必要で、その申請がてら、青山にある(あった?)チェドック(チェコ旅行公社)で資料を集めた。ドイツ国内はまだしも、チェコで宿を探したりする自信がなかったので、そこでホテルを予約し、勧められてオペラのチケットも取った。(なんてフットワークが軽かったんだろう...)
言葉も分からず、不慣れな場所だったが、プラハの人がとても親切だったのを記憶している。例えば、地下鉄に乗るために切符を買おうとしたら、機械が故障していていたらしく、買えなくて困っていたところ、通りかかった女性が別の機械で切符を買ってくれたり。(確か、お金を受け取ってくれなかったと思う。)レストランなどでも店の人などが親切だった。
それと印象に残っているのがレストランなどの安さ。レストランで夕食をとっても(ビールをつけて)700円かそこらという記憶がある。今回、ガイドブックにレシートが挟まっているのを発見したが、ホテルのカフェでビールとデザート、コーヒーで71Kč(コルナ)、当時のレートは1Kč=3.2円くらいだったので約230円だから、夕食もそんなものだと思う。また、オペラのチケットに書かれている料金も国立オペラ劇場(旧スメタナ劇場)で600Kčなので2,000円もしない。物価だけでなく為替レートも関係するので、安易に安いとか高いとか言わないが、ホテルはシングルで1万2千円くらいだったので、それで物価を想像していたため、安くて拍子抜けした。
■『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』 (文春文庫) 文庫 – 2006/9/1/後藤 正治 (著)
この本は、Amazonのレビューでは評判がいいが、やや“看板に偽りあり”という印象。
と言うのは、先に述べたように、当時はチャスラフスカさんは病気療養中だったので、ご本人へのインタビューができず、確か、コンタクトを取ろうとした状況がつらつらと書いてあったと思う。(つい数ヶ月前に図書館に寄贈してしまい、今、この本は手元にない。)
当時の女子体操界について多くページを割いており、どちらかと言うとこの話がメイン。結果として当時の社会的状況やチャスラフスカさんの状況も分かるが、タイトルから彼女の評伝だと想像すると期待を裏切られる。
チェコが舞台の本をもう一冊紹介すると、『プラハの春』(集英社文庫/春江一也著)
タイトルはそのものズバリ。
当時の社会情勢を知るのにノンフィクションが苦手な人には恋愛小説なので読みやすいと思う。レビューでの評判はよいけれど、かなり“ベタ”な少女マンガのような設定(日本人外交官と東独出身の女性の悲恋)なので、そういう話が好きな人向け。
【追記】 『五輪の名花チャスラフスカ 栄光と失意の五十年 ドキュメンタリー映画VERA68』/2015/01/02 BS1放送 (→BLインデックス)
録画した番組を視聴。
2012年にチェコテレビで製作されたドキュメンタリを前半と後半に分けたもので、前半はチャスラフスカ氏の「栄光」にスポットをあて、後半は、二千語宣言への署名撤回を拒んだためにあらゆる資格を剥奪されたが、ビロード革命にて名誉を回復後、政治家として活躍するも、夫のDVに悩み、息子が夫を傷害致死させるという痛ましい事故、その後心を病み16年間に及ぶ療養生活からの復活というジェットコースターのような人生を振り返ったものであった。
番組の構成は、ビデオや思い出の品を眺めながら氏本人が語っるというもので、その合間に、友人との会話やメキシコの素試合会場を訪れた様子などが挿入されたもので、過去の映像(動画)も多く、とても見応えがあった。
家族に起こった事件は、先に紹介した『ベラ・チャスラフスカ 最も美しく』では詳しく取り上げていたが、ブログ主は事件の詳細はすっかり忘れていた。上に「射殺」と書いたがブログ主の記憶違いで、実際は、酒場で夫が他の客と諍(いさか)いを起こし、それに割って入った息子が夫を殴り倒し(この辺りの証言は様々ある)、倒れて頭を打った夫がその後死亡したというもの。過失か故意かということが争点となったが、結局故意として実刑判決が下った。(その後ハヴェル大統領により恩赦を与えられた。)
この辺りの状況を言及しているドキュメンタリは初めて見た。
ドキュメンタリのラストはメキシコオリンピックでの演技と現在の姿をシンクロさせるという映像で、笑顔で軽やかに舞うチャスラフスカ氏が印象に残った。
【追記】 2016年8月30日、チャスラフスカ氏がお亡くなりになりました。NHKでは『BS1スペシャル「チャスラフスカ もう一つの肖像~知られざる激動の人生~」』を放送するそうです。/2016年9月5日(月) 午後8:00~午後9:50(110分)/2015年10月12日放送の番組の再放送
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