【ブログ主覚書】サッカー日本代表のエンブレムになぜ八咫烏?/サッカーと蹴鞠、八咫烏の不思議な関係
新聞の書評欄を読んでいたら、『日本の蹴鞠』という本の紹介に、少し詳しい説明があったので、辞書や他の本などの情報を追加して、覚え書きとして記事にします。
八咫烏(やたがらす)は、日本神話で神武天皇(西暦紀元前660年(=神武紀元元年)に即位されたとされる)の東征のとき、熊野から大和へ入る山中を導くために天照大神(あまてらすおおみかみ)から使わされたカラスとされています。
また、『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく/平安時代の諸氏の系譜を記したもの)によれば、鴨県主(かものあがたぬし/県主:大和時代の県の支配者)の祖である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身と伝えられており、京都市左京区にある下鴨神社(正式名称:賀茂御祖神社/かもみおやじんじゃ)は賀茂氏の氏神を祀る神社です。
蹴鞠との関係ですが、この賀茂一族が当時中国から日本に伝わった蹴鞠の「名足」(めいそく)、つまり“名手”だったそうです。その後、蹴鞠は単なる遊びではなく、「蹴道」(けどう)として精神性を帯びていくことになります。
ところで、八咫烏と言えば3本脚のイメージですが、八咫烏の「咫」(シ)は長さの単位で、一咫は約18cm。つまり、八咫烏は大きなカラスということになり、3本脚の要素はありません。
しかし、『倭名類聚将抄』(わみょうるいじょうしょう=倭名抄-平安時代の930年頃に編纂された百科事典的な漢和辞書)では、中国古代説話で太陽の中にいるという3本足の赤色の烏(カラス)、『金烏』(きんう)の日本語訳として八咫烏を充てています。つまり、八咫烏≒金烏は太陽の異称であり、象徴でもあるのです。
ここで、3本脚の八咫烏と蹴鞠(≒サッカー)に三題噺のような不思議な繋がりがあることが分かりました。
サッカー日本代表チームのユニフォームに八咫烏のエンブレムがついている理由は、日本にサッカーを紹介した中村覚之助という人物が、熊野那智大社がある和歌山県那智勝浦町の出身だからと説明されています。神武天皇の伝説も同時に紹介されていたのですが、今ひとつ腑に落ちない思いがありました。蹴鞠との関係はともかく、八咫烏が太陽をも象徴しているのであれば、日本代表のシンボルとして相応しいものと思えます。
八咫烏の意匠は1987年に採用された新しいものなので、エンブレムありきで、シンボルを探したのかも知れませんが、よくぞ見つけたと思います。
ところで、現代の感覚では、カラスは「死」を連想させる不吉な鳥のイメージがあります。
上で見たように、カラスはむしろ神の化身や使いであり、現代でも、祭礼神事を行う前に、先食台(せんじきだい)に供物を供え、カラスが食べれば神意にかなうとして、神事を始めるという習慣(烏食いの儀/からすぐいのぎ)があります。
しかし、中世になると、カラスに呪詛(じゅそ)のイメージが見られるようになりました。
例えば、『宇治拾遺物語』(うじしゅういものがたり/成立は13世紀初めと言われる鎌倉時代説話文学集)では、“ある日、若く将来性のある蔵人が参内しようとするところ、カラスが現れて糞をかけました。これを見た安倍晴明(あべのせいめい/921~1005)が、このカラスを式神(しきがみ/陰陽師の命令に従って、変幻自在、不思議なわざをなすという精霊)と見破り、その晩、加持祈祷をして、その若者の命を救った”という話があります。
このようにして、神事における神聖な動物として見なされる一方、民間では、平安中期の陰陽道(おんようどう)の影響を受け、呪詛の道具というイメージがついたようです。
『日本の蹴鞠』
光村推古書院 池 修著(2,160円)
発売日:2014/6/5蹴鞠とは何か? 蹴鞠の歴史はもちろんのこと、鞠庭の様式や装束、鞠の蹴り方、練習法までを詳細に解説。 豊富なイラスト・写真で蹴鞠の世界をわかりやすく紹介する。 蹴鞠の家の系譜、約800項目にもわたる豊富な索引、英文要約、仏文要約付。
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