【我が町】(」´0`)」<BSプレミアムの新日本風土記で「川崎」ですよ~(2014/05/23)【ブログ主覚書】
ブログ主の覚え書きです。
- チャンネル:BSプレミアム
- 放送日時: 2014年5月23日(金) 午後9:00~午後10:00(60分)
- 再放送:5月28日(水) 午前8:00、5月31日(土) 午前6:00
京浜工業地帯の中心都市・川崎。日本の経済成長を支えてきたこの街は、川崎大師や東海道の宿場町など、古くからの歴史を持つ街でもある。
川崎大師で10年に一度開かれる「大開帳」、江戸の昔をしのばせる「ハマグリ鍋」、日本有数の「工場夜景」など、川崎の今昔を美しい映像でたどるとともに、50年以上続く「労働者演劇」や、川崎の繁栄を支えてきたコリアンタウンの「水キムチの味」など、働く庶民の街の息づかいを伝える。
【内容(予定)】
- 川崎大師 …10年に一度の本尊大開帳。晴れ舞台を演出する講の人々の嵐の1ヶ月。
- 工場夜景と海苔漁師 …大工業地帯ならでは絶景。その一角でノリ養殖の技を伝える老漁師。
- 労働者演劇 …コンビナートに息づく工場労働者の心意気。若い劇団員が知る川崎の戦後史。
- 知られざる浜の味覚 …大師参拝の江戸っ子たちも舌鼓を打った老舗料亭の「はまぐり鍋」
- コリアンタウン …日本経済を底辺で支えた街。焼肉屋のハルモニが見つめてきた人間模様。
- 町工場の三人娘 …町工場のガールズバンド、駅前の路上ライブで“川崎愛”を叫ぶ!
【追記】
録画したものをようやく観ました。
川崎と言っても、川崎駅から南側と言うか海側、つまり川崎区を扱っていて、まさにブログ主の地元です。
ただ、比較的狭い範囲ですが、人口も多く多様性があるので、近所とは言え、知らないことがたくさんありました。
一つは、繁忙期の久寿餅(大師では、くず餅はこう表記します)屋を支えているのが、東北から冬の間に出稼ぎに来ている方たちとは、全く知りませんでした。
ブログ主は、久寿餅はもう一生分食べたので、今はあまり食べませんが、大師の久寿餅は余所のくず餅と比べると腰が全然違うそうです。(伝聞なのは、余所のくず餅も食べたことはないからです。 )
それと、川崎には沖縄から移住した方が多いと言うこと。
沖縄返還(1972年/昭和47年)の頃は高度成長時代で、工場の多い川崎(区)には雇用が多かったからでしょうか。そう言えば、JR川崎駅近くには、つねに沖縄の物産を扱っている店があるような気がします。(テナントなので、場所は移動しているようですが)
川崎駅周辺で毎年開催されるエイサー(ブログ主は知りませんでしたが、沖縄の盆踊りのようなものなのですね。)も、こういう理由があるのかと納得しました。(正直言って、阿波踊りとかサンバカーニバル、よさこいみたいな、借り物のお祭りは好きではありませんが。)
子供を対象にした「海苔作り体験教室」のようなものは、以前からあるのは知っていましたが、東扇島東公園にある人口の「かわさきの浜」で実際に海苔を養殖しているのは知りませんでした。
昭和40年代は既に海岸は遠くなっていましたが、ブログ主の家の近所でも漁に出ているお宅があり、海苔を干す風景は良く覚えています。かわさきの浜では天然のアサリも育ち、潮干狩りができるようです。
番組の中で川崎大師の本堂が昭和20年4月の川崎大空襲で全焼し、昭和29年12月に再建されたことを知りましたが、あれだけの戦争の後、たった9年で本堂が建設されたことに驚きました。
ブログ主が物心ついたときは既にあの本堂が建っていましたが、山門は木造のもので、移築されて現在は不動門と呼ばれている門でした。山門の思い出と言えば、なんと言っても傷痍軍人で、小学校の低学年くらいまではまだ見かけました。子供心には怖くて、怖くて...。
調べたら現在の山門は昭和52年に建立されたそうです。
あ、番組で間違っていたことが...
地元の人は川崎大師(平間寺/へいけんじ)のことは、「お大師様」ではなく、単に「だいっさま」と呼びます。だから、割と最近まで、平間寺の正しい読み方を知りませんでした。
番組で出てきたハマ鍋(蛤鍋)の料亭「恵の本」は川崎大師駅(京浜急行)からだいっさまに伸びる参道をまっすぐ行ったところ(左側)にあります。このブログの右サイドバー上部にリンクを貼った『我が町!大師の歩き方』に地図があり、明記はしていませんが、明長寺の手前で、駅からは数分の距離です。
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コメント
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「事情により名無し」さんから直接伺ったところ、
>戦後食糧難の折に、久寿餅が主食だったとか
というのは、味噌だのをつけて食べていたそうです。
この時2人で気づいたのは、久寿餅って「ちくわぶ」っぽいってことでした。
なお、テレビで紹介されていたのは「住吉」(すみよし)という久寿餅屋で、大師にはもう一件、「住吉屋総本店」という古い久寿餅屋があり、地元で人気があります。
仲見世通りには、久寿餅を現代風にアレンジしてパフェのようにしたものを食べさせるカフェ?っぽいお店もあります。
大師の久寿餅は、ついている黒蜜が美味しいです。黒蜜だけ売って欲しいくらい。
投稿: 大師小ブログ主 | 2014/06/07 12:35
>大師界隈の年配の方は、戦後食糧難の折に、久寿餅が主食だったとか…
へぇ 黒蜜なんてなさそうだし、どんな味付けで食べたのでしょうね。
投稿: 大師小ブログ主 | 2014/06/03 10:25
豆知識的にいくつか。
・大師界隈の年配の方は、戦後食糧難の折に、久寿餅が主食だったとか…
・沖縄と川崎の交流関連で、『石敢当(いしがんとう)』と呼ばれる魔除けが、
川崎の駅前に鎮座していますね。
・コリアンタウン…カツアゲされた経験がトラウマです。
・「惠の本」…味付けが上品すぎて、大師っこの口には合わないとか?
上記コメント、各方面に支障があれば削除して下さい。
投稿: 事情により名無し | 2014/05/30 19:29