兵庫県文書問題

  • Banner_hyogo
    一時的にTOPに配置します。

最新情報

  • 2024/02/26
    ブログを更新しました。
    2018/04/30
    冷やし中華...じゃなかった、Twitterはじめました。

このサイトに関して



当サイトご利用上の注意

  • 2019/04/14現在、コメント欄にURLを書く場合は、「https」や「http」はNGワードに設定しているので、それを外すか、例えば「h ttps」の様に書いて下さい。
    メールアドレスの入力が求められる場合、とりあえずメールアドレスの形をしていれば(@の前は適当でも)OKです。

    コメントは承認無しで掲載されますが、ココログの仕様で投稿されたコメントが画面に反映されるのにはしばらく時間が掛かります。ご了承下さい。



    このブログの趣旨など。コメント欄はゲストブックとしてご利用下さい。


    記事についてご不明な点などはメールでは回答しかねますので、各記事のコメント欄にお願いします。






    ** ツイログ/Twilog **

特設コーナー

  • Banner_wuhanvirus2

    banner_kunimori01


















外部サイト(その他)

  • 台湾の名前で東京オリンピック参加を!署名活動


    憲法改正を実現する1,000万人ネットワーク 美しい日本の憲法をつくる国民の会









管理人ポータル

大師小同窓会関連












  • 画像を提供、あるいはオリジナル写真を貸して下さる方は管理人までご連絡ください。


我が町!大師の情報

  • 大師の歴史・町名の由来

各種ノウハウ集



私家版スクラップブック

  • ブログ主の個人的スクラップブック集です。

    100円ショップの木箱やディスプレイケースなどを利用したドールハウスのまとめページです。

    メンテナンス中のため一時アクセスを制限しています。

友達の輪・お薦めSHOP

  • CHITIのボディデザイン
    魅せるボディデザイン/カラダ作りの本質とは!?
    川崎市在住のインストラクターが近隣のスポーツ施設や公園・ご自宅でのパーソナルトレーニング受け付けます。




    かわさき楽大師

    ファッション・雑貨の店 「+R」

    ヘアーサロンE'(イーダッシュ)


« 【ドールハウス工作】 No.34 ピンポン球を使って... | トップページ | 【ドールハウス工作】 No.35 セリアの標本箱で作ったドールハウス(その2) »

2012/12/30

【TV番組】『維新 の・ぼーる』 正岡子規の愛した野球とは【ブログ主の覚書】

昨晩、というか、今日の早朝にテレビ朝日系列で掲題の番組が再放送(多分関東では初放送?)されたので、録画して観ました。(ブルーレイインデックス:SPO009

2002年に野球殿堂入りした正岡子規(1867-1902)が松山にもたらした野球を追ったドキュメンタリーです。

メモを取りながら観たので、(メモ書きのままですが)ブログ主の覚書として記事にしておきます。(その後、2013/02/17付け読売新聞日曜版の記事『名言巡礼』、その他を参考に加筆。

【番組詳細】 (公式HPより転載)

◇番組内容明治の俳人・正岡子規。彼は晩年、肺を患いながらも野球をやめなかった。なぜ彼はそれほどまでに野球を愛してしまったのか。 その理由に迫るため、仲村トオルは東京の野球体育博物館へ、古田敦也は子規のふるさと・愛媛県松山市へと向かった。子規の愛した野球から、「時代を生き抜くヒント」を探る。

◇出演者仲村トオル、古田敦也

◇制作【テレビ朝日系列中四国ブロック】 広島ホームテレビ(HOME) 瀬戸内海放送(KSB) 山口朝日放送(yab) 愛媛朝日テレビ(eat)

◇番組HP http://eat.jp/no-ball/

子規は打者、走者、直球、飛球などの野球用語を翻訳。(baseballを“野球”と訳したのは中馬庚(ちゅうまん・かのえ)という野球創世記のスターだった選手で、1894年(明治27年)のこと。ちなみに正岡子規の翻訳は「弄球」(ろうきゅう)。)

17歳で上京した正岡子規は野球と出会い、自チームでは4番でキャッチャー。サウスポーだった。日本で最初の野球小説「山吹の一枝」』(やまぶきのひとえだ)(1889年/明治22年から執筆。未完。)を執筆するほど野球を愛した。実際にプレーに熱中したのは東京で学生生活を送っていた17~24歳頃と見られる。

子規は野球にまつわる9つの歌を残している。下はその内の番組で紹介された和歌。

九つの人九つのあらそひに ベースボールの今日も暮れけり

今やかの三つのベースの人満ちて そぞろに胸のうちさわぐかな

若人のすなる遊びはさはにあれど ベースボールに如く者もあらじ

久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬかも

うちあぐるボールは高く雲に入(い)りて 又(また)落ち来る人の手の中に

九つの人九つの場をしめて ベースボールの始まらんとす

 

9首の和歌が発表されたのは子規が勤めていた新聞『日本』だが、子規が創作した短歌や長歌、新体詩などを書き留めた創作ノートのような『竹乃里歌』(たけのさとうた)には推敲した跡が残る9首が書かれている。

なお、「日本」日本新聞社1896(明治29)年7月19日号-27日号で、『ベースボール』と題した野球を紹介する記事を発表している。(リンク先は青空文庫)

日本に野球を最初に伝えたのはアメリカ人の教師、ホーレス・ウイルソンで、1872年(明治5年)に第一大学区第一番中学(後の東京大学)で学生達に教えたのが最初とされている。

松山へは、子規によって全国に先駆けて野球がもたらされた。

大正時代 今治に日本初の女子野球部が創設される。大正7年に撮影された写真には袴をはいた女学生がヘッスラ。

当初のルールでは、打者がコースを選択(高め、真ん中、低め)し、その通りのボールが来たらストライク。現代のヒットでも、ワンバウンドでキャッチすればアウトになる。

以下もブログ主の覚書

« 【ドールハウス工作】 No.34 ピンポン球を使って... | トップページ | 【ドールハウス工作】 No.35 セリアの標本箱で作ったドールハウス(その2) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 【ドールハウス工作】 No.34 ピンポン球を使って... | トップページ | 【ドールハウス工作】 No.35 セリアの標本箱で作ったドールハウス(その2) »

counter since 2018/12/25

  • Flag Counter

    FLAG Counterのロゴをクリックすると、更に詳しい分析結果が表示されます。
    ココログのアクセス解析よりは少ない数字になるようです。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

sponsored link


ドールハウス工作おすすめ参考図書

カテゴリー

無料ブログはココログ