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2012/12/30

【TV番組】『維新 の・ぼーる』 正岡子規の愛した野球とは【ブログ主の覚書】

昨晩、というか、今日の早朝にテレビ朝日系列で掲題の番組が再放送(多分関東では初放送?)されたので、録画して観ました。(ブルーレイインデックス:SPO009

2002年に野球殿堂入りした正岡子規(1867-1902)が松山にもたらした野球を追ったドキュメンタリーです。

メモを取りながら観たので、(メモ書きのままですが)ブログ主の覚書として記事にしておきます。(その後、2013/02/17付け読売新聞日曜版の記事『名言巡礼』、その他を参考に加筆。

【番組詳細】 (公式HPより転載)

◇番組内容明治の俳人・正岡子規。彼は晩年、肺を患いながらも野球をやめなかった。なぜ彼はそれほどまでに野球を愛してしまったのか。 その理由に迫るため、仲村トオルは東京の野球体育博物館へ、古田敦也は子規のふるさと・愛媛県松山市へと向かった。子規の愛した野球から、「時代を生き抜くヒント」を探る。

◇出演者仲村トオル、古田敦也

◇制作【テレビ朝日系列中四国ブロック】 広島ホームテレビ(HOME) 瀬戸内海放送(KSB) 山口朝日放送(yab) 愛媛朝日テレビ(eat)

◇番組HP http://eat.jp/no-ball/

子規は打者、走者、直球、飛球などの野球用語を翻訳。(baseballを“野球”と訳したのは中馬庚(ちゅうまん・かのえ)という野球創世記のスターだった選手で、1894年(明治27年)のこと。ちなみに正岡子規の翻訳は「弄球」(ろうきゅう)。)

17歳で上京した正岡子規は野球と出会い、自チームでは4番でキャッチャー。サウスポーだった。日本で最初の野球小説「山吹の一枝」』(やまぶきのひとえだ)(1889年/明治22年から執筆。未完。)を執筆するほど野球を愛した。実際にプレーに熱中したのは東京で学生生活を送っていた17~24歳頃と見られる。

子規は野球にまつわる9つの歌を残している。下はその内の番組で紹介された和歌。

九つの人九つのあらそひに ベースボールの今日も暮れけり

今やかの三つのベースの人満ちて そぞろに胸のうちさわぐかな

若人のすなる遊びはさはにあれど ベースボールに如く者もあらじ

久方のアメリカ人のはじめにし ベースボールは見れど飽かぬかも

うちあぐるボールは高く雲に入(い)りて 又(また)落ち来る人の手の中に

九つの人九つの場をしめて ベースボールの始まらんとす

 

9首の和歌が発表されたのは子規が勤めていた新聞『日本』だが、子規が創作した短歌や長歌、新体詩などを書き留めた創作ノートのような『竹乃里歌』(たけのさとうた)には推敲した跡が残る9首が書かれている。

なお、「日本」日本新聞社1896(明治29)年7月19日号-27日号で、『ベースボール』と題した野球を紹介する記事を発表している。(リンク先は青空文庫)

日本に野球を最初に伝えたのはアメリカ人の教師、ホーレス・ウイルソンで、1872年(明治5年)に第一大学区第一番中学(後の東京大学)で学生達に教えたのが最初とされている。

松山へは、子規によって全国に先駆けて野球がもたらされた。

大正時代 今治に日本初の女子野球部が創設される。大正7年に撮影された写真には袴をはいた女学生がヘッスラ。

当初のルールでは、打者がコースを選択(高め、真ん中、低め)し、その通りのボールが来たらストライク。現代のヒットでも、ワンバウンドでキャッチすればアウトになる。

以下もブログ主の覚書

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