『バルサで作るミニオブジェ -おばあちゃんの針道具-』と曲尺・鯨尺・呉服尺の話
(。◕‿◕。) これは初めの頃に作ったバルサのミニオブジェ。
祖母の針仕事のイメージで作ってみました。
丸く削ったバルサを芯にした反物、握りバサミ、竹尺(竹のものさし)、くけ台、そして縫い糸やしつけ糸。
くけ台は記憶を頼りに作ったのだけれど、くけ台自体は、どうやら下のような形だったみたい。
そう言えば、下の板の上に座布団を敷いて、その上に座っていたっけ。針箱と記憶がごっちゃになっていたみたい。
ところで、ブログ主は裁縫はほとんどしないので、自分で買った裁縫道具はほとんどなく、祖母が残したものや小学校の時に購入した裁縫道具でやりくりしています。
針なんて、一生かかっても使い切れないほどあって、下はそのほんの一部。
手芸道具で有名なクロバーの針は、今と違って味のあるパッケージです。塔印お縫い針なんてのは説明を読むと金張りのようです。
ところで、針のサイズを表す「三ノ二」という単位。何かと思って調べたら、「三」が太さ、「二」が長さ(1寸2分の「寸」の部分を省略したもの)だそうです。
太さは単に太さに番号を振っただけで、細いものほど番号が大きく、画像にもあるみすやのサイトを見ると、 三ノ二は 0.71ミリ/36.4ミリ(太さ/長さ)、四ノ二は0.56ミリ/36.4ミリとなっています。
この数字を検証しようとして、実は「あれ!?」と思ったことがあったのですが、それは後回しにして、ちょっと尺貫法のお勉強。
尺貫法は古代中国に起源する度量衡(どりょうこう=長さと容積と重さ)の基準で、日本へは7世紀頃に伝わり、大宝律令(701年)で法制化されました。これ以前には日本固有のの咫(あた)=親指と中指を広げた長さ(約18cm)とか尋(ひろ)=両手を伸ばして開いた長さ(約1.5m)とかあったそうです。
時代とともに度量衡は変化し、江戸時代に枡座と秤座を設けて統一ししましたが、ものさしは放任されたままだったので、曲尺、鯨尺、呉服尺という3つの尺が残りました。
ちなみに『尺』と言う文字は象形文字で、人が手幅でものを計る、その手の姿を描いたものです。
これでは混乱を招くと言うことで、1875年(明治8年)に度量衡条例を発布し、伊能忠敬(いのうただたか)の折衷尺を原尺として曲尺を定めて、下のように鯨尺と呉服尺の長さも定めました。
3つの尺のうち曲尺(かねじゃく)というのは大工仕事に使うものさし(1尺=約30.303cm) で、古代からほとんど変わらずに使われている基準です。
で、鯨尺(くじらじゃく)というのは、曲尺の1尺2寸5分(約37.88cm)で、反物を計るのに用いられてきた和裁用のものさし。鯨髭で作られたことに由来するという説もあるそうですが定かではありません。
呉服尺は曲尺の1尺2寸(約36.4cm)。
ここで「あれ!?」ですが、てっきり、針の長さは鯨尺を基準としていると思ったのに、計算したら曲尺でした。
詳しいことは分かりませんが、1959年の計量法発布以降は鯨尺の製造、使用は禁じられて1977年に販売が認められるようになったそうなので、これが理由かも知れません。
祖母が残した針はほとんど三ノ二くらいの針で、これは和服を縫うとき、長い直線を一気に縫うのに指ぬきをすると、このくらいの長さ(短さ)でないと長すぎるからですね。
こんなことを書いていて、何年も前に岩崎弥太郎の旧宅、旧岩崎邸に行ったときに聞いた話を思い出しました。この建物は英国人ジョサイア・コンドルによって設計された和洋折衷(洋館に和風の離れのような建物が繋がっている)の建築ですが、設計はヤード・ポンド法でされました。実際に作業をしたのは日本人の職人ですが、フート(フィート/feet/ft)が 30.48cmで、ほとんど日本の1尺と変わらないので、大きな混乱はなかったそうです。(記憶が不確かだけど、1尺に読み替えたとかなんとか...)
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