節分
今日は朝から確定申告書の作成をしていました。
もちろん、手書きではなくてネットで申告書を作っていたのだけれど、配当金とか特定口座がらみの入力が、毎年微妙にシステムが変わっていて、イライライライラ....
電話で操作方法を問い合わせてもオペレータが要領を得ず、何か聞く度に「少々お待ち頂けますか。」で保留にされ、イライライライラ....
せめて、「一つ前のデータ(行)をコピーする」くらいの機能をつけてくれてもいいのに。
この部分だけ異様に操作性が悪いのは、意地悪としか思えない...
などとブツブツ言いながらも申告書完成。
明日にでも提出して、さっさと還付を受けようっと。
と、ちょっと荒んだ気分を和らげるために、最近拾ったほのぼの画像を...
巣鴨のマクドナルドの看板だそうです。
先日のプラタモリでも池袋編で取り上げていましたね。
巣鴨の商店街は一度話の種に行ったことがあるけれど、コンセプトがあるせいか、商店街の雰囲気が統一されていて、あれならおばあちゃんが集まってくるのも分かる気がしました。
今日は久しぶりに門前の方に買い物に行ったけど、大規模スーパーの広い店内を歩き回ったり、レジに並ぶのが面倒なので、個人商店で買い物。
節分の豆が売られているのを見て、「あ~、節分か」と思っただけだったけど、買ってくれば良かった。
子供の頃は、豆を升に入れて、しばらく神棚に供えてから、夜にトイレとか縁側とかまいたっけ。きっと邪気が潜んでそうな場所?なんでしょうね。
豆まきはしなくなっちゃったけど、あの豆って素朴な味で美味しいんですよね。
そんなことを考えていたら、今日の読売夕刊、『はじまり考』というコラムで、節分の豆まきの由来が紹介されていました。
元々は宮廷行事の『追儺』(ついな)というものだったそうです。
手持ちの辞書で『追儺』を調べると、
鬼やらい(おおっ!「おにやらい」で変換したら「儺」と出た!」)、大儺(たいだ)、駆儺(くだ)ともいう。悪魔を祓い、悪疫邪気を退散させる儀式。中国に始まり、文武天皇の頃に伝わり、後には社寺、民間でも行われた。古くは大晦日に行われたが、後に節分の豆まきとして行われるようになった。
とあります。
「鬼やらい」の「やらい」とは「遣らい」=「追い払うこと、払い除くこと」だそうで、「儺」の漢字は、「人が難を祓う」という会意文字とのこと。
最近は、この辺りでも、太巻き(恵方巻)を食べるのかも知れないけど、スーパーなんかでは予約を受けたりして、まるでクリスマスケーキのよう。
まあ、行事にご馳走(太巻きがご馳走かどうかはさておき)を食べるのは分かるけど、丸かじりなどという下品な風習(←起源を調べれば分かるけど...)はいかがなものかと。
節分と言えば、高校生の時、教師の机の上に鬼のお面を置いておき、教師がふとお面を顔に着けたら、隠し持っていた豆を投げつけるという遊びをしたなあ。
そう言えば、ドイツ語圏でも似たような風習を見ることができます。スイスとかチロル(国ではなくて地方だけど)では、鬼ならぬナマハゲみたいなお面を被った冬の精みたいなものを追い払って春の精を迎えるというものが多いようです。
でも、春の行事として広く行われているのはキリスト教のイースター(復活祭)なんでしょうかね?
年によって日が変わる『移動祝日』というもので、ドイツ語の学校に通っていた頃、イースターが近づくと、毎年その謂われを説明されたけど、『春分の日の後の最初の満月の次の日曜日』なんて、百回聞いても覚えられない...(し、覚える気もない)
『節分』は「立春の前日」だけど、ふと、こういった二十四節気(にじゅうしせっき)はどのように決められるのか疑問に思って調べたら、二十四節気というか、その基準となる春分の日や秋分の日は天文の分野の話なので、間接的には国立天文台で決める(判定する)と言えるようですね。(国立天文台のサイト)
これによると、二十四節気は「1年の太陽の黄道上の動きを視黄経の15度ごとに24等分して決められている。」のだそうです。
豆だけに豆知識
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