昔の川崎
今日の昼頃、懐かしい人から電話がありました。
それはkoizumi君。
近所を車で通るときに電話を入れてくれたみたいですが、昨日の夜からずっと昔の思い出に浸っていたときだったのでビックリ。
今朝も昔を懐かしむあまり、朝食(というかオサレに言うとブランチ?)にお好み焼きを食べたのでした。(何故、お好み焼きかは後ほど...)
そもそも何で昔のことを思いだしてたかと言うと...
時系列はよく分からなくなっちゃったけど、昨晩、大師線のルートが変わるというのを知って、ネットで調べていました。
正確な情報は、市の建設緑政局(←よく分からない名称ですね )のサイトにありますが、川崎駅から直接港町の方へ行かず、宮前に迂回してから港町に向かうみたいです。
ルートもそうですが、地下鉄化する予定だそうで、オフィシャルサイトには完成予定が載っていないのでWikipediaを参照すると、「全体の完成予定は2015年春となっているが、予定通りの完成は困難という見通しが出ている」だって...
(´・ω・`)
大師線の乗り場も位置が変わるようで、Wikiによると、
「大師線京急川崎駅は本線の駅南側の川崎DICE南側付近に移設、地下化して作られる。このため本線との連絡線が設けられる。」
とのこと。
ちなみに、DICEというのは以前小美屋デパートがあった場所にある商業ビルです。
多分、昨晩はこの辺りから脳内がタイムスリップしたんだと思うけど、JR川崎駅もその内、北口が最下位(←ああ、「さいかい」で「最下位」が最初に変換されるベイファンの悲しさよ... )じゃなくて再開されるんですよね。(神奈川新聞の2010年1月22日付け記事『商業店舗も展開へ、市がJR川崎駅の北口自由通路構想を公表』)
こちらは、市の報道資料(PDF)が正確な情報ですが、P.5に完成予定図が出ています。
これによると、タワーリバークビル(と言うより、パチンコ松葉があったところの方が伝わるかな)の前、現在ポツンと建っているコーヒー店の辺りに北口通路入り口ができるようですね。
現在は中央に動線が集中しているので、北口は早く復活して貰いたいものです。
こんなことを考えながら、色々検索していたら、川崎市図書館のサイトに『おもいで昭和30年前後の川崎駅前』というギャラリーのページを見つけました。
我々が生まれる前だけど、1954年6月27日の日付の北口辺りの風景は見覚えがあります。そう言えば、駅前に植え込みのあるロータリーがあったっけ。
松葉屋とかローゼンバームのあったビルとか、懐かしいです。
なお、こちらはgooの地図だけど、昭和38年のボタンをクリックすると当時の航空写真を見ることができます。(スクリーンショットを画像として掲載してみました。)
下のスケールでズームもできます。
この地図で大師小学校を見てみると、こんな感じでした。
講堂があって、その隣(上)に1年4組があった木造校舎も映っています。
地図を左側に移動すると大師公園があり、こちらをフォーカスすると、ちゃんと『ひょうたん池』もあります。(ポインターが指している辺り)
2011/05/13追記 古い地図に関しては、記事『二ヶ領用水竣工400年』でも扱っています。
コメント