のどかな春でございます
「冬に何を言っているんだ」と思われるかも知れませんが、この言葉は昨晩観た『坂の上の雲』での印象的なシーンの台詞。
ドラマの中では正岡子規の心象風景のように、やや唐突に挿入されるけれど、ドラマの進行に沿って原作を「拾い読み」ながらも再読しているので記憶していて、数行でしか語られないエピソードをよく映像化してくれたなあと、原作を読んでいる者にはサービス的なカットでした。
原作では、キューバまで行ってスペインとの海戦を見た淳さん(秋山真之)の、文字通り世界を股にかけて活躍している様に思いを馳せながら、六畳一間とそれに続く小庭が昇さん(子規)の世界の全てで、そこで、短歌俳句界の思想を一変させようと戦っている...
そんな対比の中で「ついでながら」と挿入されるエピソードです。
子規の玄祖父にあたるひとは松山藩のお茶坊主で、一甫(いっぽ)といった。初春の回礼に知人の家々をまわるとき、かならずえりに寒梅の枝を挿し、『のどかな春でございます』といってまわったという。
病を押して文学と戦っていた一方、本来「のどかな」という心境に憧れていたという子規が、
芽生えの苗をみながら、花のさく年を待っている。そのころには地上にいないかもしれないとおもいつつ。
子規はこの玄祖父の話が好きで、よく人に語っていたとか。
この部分は玄祖父という言葉を知らず、電子辞書で調べたので、短いけれど印象に残っていました。
確認のために、もう一度辞書を引いてみたところ、玄祖父(げんそふ)の「玄」とは、一義では「か細い様」を表すそうで、「玄孫」(げんそん:曾孫=ひ孫の子、つまり孫の孫)という言葉もありますが、「か細い末(すえ)の孫」という意味だそうです。だから、子規からみたら玄祖父はおじいさんのおじいさんですね。
ちなみに、「玄」という文字の「幺」(よう)は「細い糸」の意で、-(横線)を引いた上にちょこんと一部だけ見えるから、「よく見えない様を示す」会意文字です。
BSの先行放送で既に第七回の「子規、逝く」も観てしまっているのですが、原作ではそれほど多く語られない子規の家族、特に妹の律を丁寧に描いているのは好感が持てます。
児玉源太郎が乃木希典の家を訪ねる部分で描かれる市井の人々もそうですが、ともすれば、高官や武人、良家の子女といったエリートだけで進行するドラマで、庶民がどういう生活をしていたのかが垣間見られ、また、封建時代の名残も感じられて、地に足がついたドラマになっていると思いました。
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